講演会・展示会・ワークショップのお知らせ 0
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昨日は久しぶりのお休み。今週はたまっていた仕事を処理しようと思っていたのだけど、スタッフのお父さんが手術をすることになり、本人落ち着かず、仕事どころではなくなった。さて、お知らせです。今週末のお話。10月6日(土)放送の「にじいろジーン」(関西テレビ、フジテレビ系列、午前8:30~9:55)の「世界まるごと見聞録」のコーナーでトルコ・アンタルヤが紹介されます。ガイド役のイエリズ嬢(上写真)と番組マスコットのジーンちゃんが、アンタルヤの「ツウ」な情報をお届け。アンタルヤを知っている人でも「えーっ、こんなところあったの?」と新しい発見があるかも・・・・!にほんブログ村手芸(その他・全般) ブログランキングへ
2012年10月01日
新港の方に行くたびに、あるレストランの「ショップ・シシ」の看板が目に入るようになって、気になってはいたのだけど、アンタルヤのショップ・シシじゃ、ハズレだよなあ・・・・と行ったことがなかった。先日、知人が行ってきて、ちゃんとチョップ・シシだったよ、というので試しに行ってみることにした。何度もいうけど、チョップ・シシとクネフェにはうるさいミフリ社長。チョップ・シシってアイドゥンとかセルチュクで有名なんだけど、要は屑肉の串焼きである。肉が小さいからおいしいのである。1人前が20本、1本50YKR(約45円)。大きさと油っこさは満足。でもトルコにしてはサービス面でちょっと気がきかなかったかな・・・・・。食後はもちろん、クネフェ屋でクネフェ。
2008年07月05日
アンタルヤは暑さ驀進中。気温的には30度前後でそれほど高くないのだけど、夕方になっても湿気のある空気で涼しい~、って感じがしない。エアコンから離れられないので、ミフリ社長は家かクルマの中にいるわけである。(そういえば店もエアコン効いていたなあ・・・・)というのは冗談で、なんだか用事で右へ行ったり、左へ行ったりしているうちに、ご飯を食べる機会を逃す。そして夜中とか、変な時間に食事をすることになる。スーパーや市に行く時間もないので、家には食材がないので外食する。(単なる手抜きであることも否定しないけど・・・・・)ところでミフリ社長は、実はあんまりトルコ料理が好きではない。チョップ・シシは食べるけど、味と規定にはうるさい。甘いものはクネフェぐらい。ただしやはり味と規定にうるさい。だからお客人があるとき以外は外食はしないのだけど、このところ上記理由で外食続き。アンタルヤのデデマンホテルの近くにあるレストラン「ハジュ・ベイ」。まずカナット。鶏の手羽の炭火焼。手前は麦のピラフと焼いたトマト。切ったトマトの上にひき肉のケバブ。これは日本風にいうと漬物。とうがらしのピクルス。辛いのでミフリ社長は手を出さないけど・・・。そして肉料理にはアイランである。甘くないヨーグルトドリンク。こちらはレストラン「コンヤルラル」のショッピングセンター内の支店。ピラフの上にドネルケバブ。一緒に出されるパンとチーズとバター。ああ、でも段々暑くなってきて、これらの料理ともしばらくお別れ。アンタルヤの夏のメニューはやっぱりスイカとメロンと白チーズである。
2008年06月04日
アンタルヤは地中海沿いの人口約70万人の都市である。夏になると国内・国外から別荘族や観光客が訪れ、人口はさらに増えているのだと思う。それはさておき、アンタルヤから北、つまりイスタンブルへ向かう道は高台に続き、その高台に上る途中に初代大統領アタチュルクの顔の彫像と滝が見える。この彫像の上はどうなっているのだろうと思っていたら、偶然立ち寄った公園がその場所であった。アンタルヤを一望でき、しかも水しぶきで、涼しいのである。暑い日だったけど、水と冷えた空気でいい気分。景色もきれいだし・・・・・。画面の先には見づらいけど地中海。こうして見ると、この10年で急激にビルが建ち、道路ができ、都市化が進み、町が広がったとはいえ、まだまだ緑豊かな土地ではないか・・・・。この美しい町を、機会があったら(機会を作って)一度訪れてみてください。
2008年06月02日
アンタルヤ市の外れにフルマ村というところがある。何にもないところだが、ボチボチマンションが建っていたり、別荘地ができていたりする。そこにアンタルヤ市の下水処理場がある。まだ新しく、これからいろいろ設備が作られようとしている。広い敷地内には下水処理システムの他、アンタルヤ名物オレンジの畑が広がっている。ある日、ミフリ社長はアンタルヤ水道局の一日公務員!?としてこの下水処理場を訪問。オレンジ畑もあるし、ピクニックできるねえ・・・なんて言っていたら「えっ!? キミはこの臭いを感じないのか?」と驚かれてしまった。そうなんだよね、ここは下水処理場。我が家のトイレの汚水も、台所の汚水もみんなここへ流れてくるということである。でも本当に何も臭わないんだもん。鈍感な人はいいね・・・って・・・私もそう思う。
2008年05月23日
新聞記者、フセインの配信したニュースがまたまた受賞した。今回はアンタルヤのツアー会社がオーガナイズした国際マラソンのニュースをテーマに、4組が選出されたものである。このツアー会社はドイツ在住の国会議員が事実上のオーナーらしく、ドイツ向けに最大のシェアを誇っている。日本とはほぼ無縁であるが、アンタルヤでは名前をよく聞くし、アンタルヤの若き支配人はマスコミと綿密な関係を築き、例えば今回のようなマスコミ関係者を招いた会合を多くすることで名前を上手に売る、やり手である。さすが大きくなる会社は中心となる人物がスタッフやマスコミの心をガッチリつかんでいるなあ・・・と感心する。さてさてミフリ社長の関心は若き支配人の魅力的な話し方にもあるけど、やはり食べ物である。前菜あれこれに、ラフマンジュ、串焼き肉。特に炭火の入った土皿に乗った、串に指した牛肉、鶏肉、ミンチはうまかった。周囲はラク、ワイン、ビールとお酒の宴会になっているわけだけど、ミフリ社長はもくもく串焼き肉を食べて大満足。あ~あ、これじゃいつまで経っても痩せられないわ・・・・。別にいいんだけど・・・・。ところで受賞者への賞は、ツアー会社だけにリゾートホテル1週間、2名様ご招待というものであった。2名様の文字に「今回は骨休みしたいから{一人}で行って、仕事もなにもかも忘れて休養してくるんだ」・・・・とフセイン。一緒に行く人もいないのに・・・・と、私が突っ込む前に防御されてしまったけど、本人も実は気にしている・・・・!?。
2008年05月15日
温かいアンタルヤでは珍しくない。初夏の風物、雹(ひょう)が降った。それも思いっきり。そしてどういうわけか、家のベランダにひょうが10cmの高さにまで積もり、その後のドカ雨が家の中にまで浸水してきた。断っておくけど、我が家のべランダは鎧戸付きの部屋になっていて外部から雨などが入ることはない。画像は掃除が一段落ついたあとに撮影したもので、だいぶ解けているが、最初にベランダのドアを開けたときはこれが何なのかわからないぐらい積もっていた。鎧戸からも窓からも壁からも天井からも、ひょうや雨が侵入した形跡がどこにもない。屋上からの配水管にひょうが詰まって、外まで流れず、2階の我が家のベランダに逆流してきたとしか考えられなかった。それにしてもすごい量である。おかげで家の中は洪水で、しかも氷雨の水であるから冷たい。足が冷たさに耐えられないほどであった。デッキブラシで風呂場の排水溝に水を流しながら、タイタニックが沈没したとき、海中はもっと冷たかったわけだな・・・とか考えてしまった。寝室と子供部屋、そして長い長い廊下が水浸し。もちろん敷いてあった絨毯も全部、水浸し。フローリングの床は全部剥がれてきてしまうだろうから、張替えだなあ・・・・。だけどそのおかげで家の中、すみからすみまで掃除ができたんだよね。廊下も床も家具の下のゴミまで流れてきて、ほこりがない状態。なんか家の中の空気まですっきりしたみたい。絨毯も大きいのから長いのから、7枚、しっかり洗って、干した。ちょうど冬の絨毯は片付けるところだったから、洗えて一石二鳥!?いやあ、災い転じて家の掃除ができた・・・・というわけである。
2008年04月28日
アンタルヤにあるホテルの数はトルコ最大らしい。イスタンブルにもたくさんのホテルがあるが、そんなの目じゃないとか・・・。おかげでオフシーズンには安く泊まれる得もあるので、大変ありがたい。今回泊まりに行ったのは、アンタルヤのギョイニュックというリゾート村。何にもなかったところにあれよあれよと大型ホテルが建ち、ずいぶん変わっていた。その昔、この辺りに土地を持っていた人たちが、大型ホテルに土地を売り(当時はとても安かった)、今ではそのお金も使い果たして、ホテルの運転手、掃除夫として働いていたりしているらしい。当初、ホテル側からは土地はあなたから、ホテルの建設費用は私たちから。共同経営しましょうという話が持ち込まれたようだが、目の前の現金の方を選択した元地主たち。共同経営していたら、今の結果は違ったものになったのに。もちろん、誰にも先のことを読める力などないのだから仕方がない。こんな場所でホテル業が成り立つなんて、誰も想像しなかったのだろう。アンタルヤのリゾートホテルがとっているシステムは全部込み価格である。朝食、ブランチ、ランチ、3時のおやつ、夕食、夜食、国産アルコール、ソフトドリンク、ホットドリンク、水などリミットなしの食べ放題、飲み放題。室内プール、屋外プール、専用ビーチ、ハマム、サウナなど使い放題。夏の最盛期だと20000円から30000円する宿泊料金も、オフシーズンなら3000円~5000円という格安料金。これなら我が家も泊まれるというところである。5月から少しずつ価格があがっているので、その前に、と駆け込んだ。今頃の相場は10000円前後なので、4000円というこの5つ星ホテル、あまり期待しないで行ったけど、子供たちが楽しむのには十分であった。子供たちは朝から晩までプール。私はサウナとハマム。身も心もリフレッシュできた。これでまた仕事頑張るぞ~。我が家の場合、価格面でオンシーズンは泊まりに行くことができないから、次回は11月以降かな・・・。
2008年04月27日
アンタルヤのララ海岸にはいくつかの有名レストランが並んでいる。造りもしゃれていて、でも味の方も定評。そしてちょっと高めにもかかわらず、トルコ人のお客さんで毎晩満席状態。レストランは地元の人がどれだけくるかというのが肝心である。とくに食にうるさいトルコの場合。そのひとつ、フィッシュ・レストラン。ロブスターをはじめ、魚を選んで調理方法も指定できる。料理も十分おいしかった。サラダひとつにしても丁寧に作っているのがよくわかる。お酒の種類も豊富。前菜も他ではあまり見られない変わったものもあり、値段も外国人の多い場所の魚料理レストランに比べたら、かなり良心的である。
2008年04月17日
暑い1日だった。どこへ行こうかと考えて、思い出したのがここ。・・・・アンタルヤの涼しい場所のひとつ。ドゥーデンの滝。上の滝と下の滝があって、下のドゥーデンの滝はララのギュゼロバの断崖から海に注ぎ落ちるもの。水量が多いのでゴウゴウという音とともに流れ落ちる。上のドゥーデンはその上流にあり、その近辺は水温の低さと、周囲に比べて標高が低いこともあり、とても涼しいのである。その滝の元に養殖の川魚を食べさせてくれるレストランがある。10年ほど前に知人に連れられていったのであるが、滝を眺めながら、しかも涼しく食事ができるので、夏の暑いときなど、食欲が低下したときに(ミフリ社長にそんなときがあるのだろうか・・・・)、よく食べに来た。魚をオーブンで焼いただけなので、塩とレモンをしぼって食べる。おしょうゆをかけてもおいしいそう・・・。焼きたてのパンとバター、白チーズ、胡桃とサラダ。そしてビール。1人当たり1300円。お腹はいっぱいだし。水の流れと音と清涼な空気に身も心も洗われる・・・・。
2008年04月16日
息子の学校行事で、アンタルヤ郊外の観光牧場へ行ってきた。子供と父兄と担任教師が朝食と遊びをしながらの懇親会。ここへはオープンしたての頃、ダチョウ肉の料理を食べさせるという話で来たことがある。今はダチョウ牧場の名を捨て、馬牧場になっていた。ダチョウもいた、いた。2羽だけだったけど・・・。この観光牧場、入り口でカードを受け取り、施設内での支払いはカードに書き込み、出口で支払いをするシステム。オープンビュッフェの朝食が大人15YTL(約1250円)、子供8YTL(約670円)。乗馬が15分15YTL(約1250円)。カラーボールの射撃が4人で100YTL(約8400円)。その他に宿泊施設やプールなどもある。(余談だけど、ついこの前まで15YTLが1500円、8YTLが800円、100YTLが1万円だったのに、この急激な円高でずいぶん円換算で安くなったものだ・・・と改めて思うわけである。)日曜日とはいえ、こんな辺鄙なところにあり、しかも安くない牧場の朝食に、子供連れはもちろんなんだけど、カップルや大人のグループで来ている人がたくさんいた。約1000席はあるだろう朝食のテーブルも、最後は座るところが見つからないほどである。乗馬も列をなして待たされている状態であった。息子とその友達は馬に2回ずつ乗り、水を買ったりしているうちに、会計は109YTL(約9100円)。ずいぶん高い休日の朝食になってしまったけど、子供たちは楽しんだから、まあいいや・・である。それにしてもトルコでも、お金がないとどこへも行けないご時勢になったのか、と思わずにはいられない。先週行った遊園地でも、チップ10個で25YTL(約2100円)。もし家族4人で行って10種の乗り物に乗ったら、それだけで100YTL(約8400円)の出費。飲み物でも買ったらすぐに1万円コースになる。都市生活は便利になったとはいえ、こんな調子で、我が家の家計は年々厳しくなっていく一方である。
2008年03月25日
トルコで雪が降るのは別に珍しいことではない。でもアンタルヤに雪が降るのは珍しいことである。しかも2月中旬という、普通なら温かくなりつつある時期に・・・である。昨夜から気温が下がっているのは感じていた。冷たい空気だなあ・・・などと思っていた。そして目が覚めるころ、外から「雪が降っているよ~」という子供たちの声。それを聞いて、近所の人たちが外へ出てきたのか、なんだか賑やかである。私はといえば、布団の中でぬくぬくしていたのだけど、友人たちから携帯にメッセージが入る。朝からなんだと思ってみると「雪が降っているから外を見ろ」とのこと。窓から外を見ると白いものがチラホラ。でも花びらが舞っている程度で本格的じゃない。その2時間後にはかなりの舞いよう。道路に積もるほどではないし、他の雪の降る地域に比べたら、全く何でもないのだけど、確かにアンタルヤでこれだけ雪が降るということ自体、驚きである。今でも伝説となっている「1992年のアンタルヤの雪」。あれから15年、アンタルヤの標高の高い山に雪が降ることがあっても、街中に雪が降ることはなかったはずである。子供たちの多くは初めて見て触れる雪に大興奮。学校でも子供たちは雪を捕まえようとしたり、滑ったり。大人たちも外で記念撮影をしていた。そういう私も、次回はいつ体験できるかわからないアンタルヤの雪を撮影。新聞記者のフセインもこの珍しい光景に、朝からあちらこちらに駆け回って、雪風景を撮影。午後には青空が見えたが、夜になってまた気温が下がってきた。水曜日にはまた元に戻るようだけど。
2008年02月18日
アンタルヤで開催されているフード関係のフェアの最終日。ホテル帰りだし、面倒だな・・と思いつつ、仕事、仕事と出かけて行った。このフェア、トルコ国内、国外、また地元の企業が参加していて、試食もかなり思い切って提供してくれているので、ぐるっと回るとお腹がいっぱいになるのである。トルコの冷凍食品、ドネル関係、ジュース、チョコレート、アルコール、エネルギードリンク、肉、魚、無農薬野菜、アイスクリーム、ケーキ、調味料などなど、無料で試食、試飲ができ、サンプルや資料などももらえるため、招待状がない一般の見学者たちもチケットを買って見に来るので、かなり混雑する。サーモンのドネル、アイスクリーム、チョコレート、ケーキ、スモークサーモン、海老、しめ鯖、ビール、アルコール飲料、ノンアルコール飲料などを手に、資料を集めて歩いた。サーモンのドネルは、トルコの人にはあまり人気がなかったけど、私にはとてもおいしかった。トルコにもこんな食品があったのか・・・・と、ちょっと驚きであった。それがアンタルヤの企業だったりして、でもマーケットであまり見かけない、業者向けのメーカーなどもあるわけだけど、カフェ&レストランの経営者を兼ねている身ととしては今後はチェックしなくちゃ・・・・と気持ちを新たにしたわけである。カフェ用とは別に、輸出向けにもかなりおもしろいものがあったので、トルコの輸出素材としてまたいくつか交渉先も見つけることができた。ところでうっかりなんだけど、カメラのバッテリー切れで、肝心の写真が撮れなかった。最初の方ではケーキにばかり目が行って、バッテリーを考えずにとりまくり。ミフリ社長が甘いものに目がないのが、バレてしまったわけである。
2008年02月09日
AKDiMの招待で、ギョイニュックのクイーンエリザベス・ホテルへ行ってきた。AKDiMとはアンタルヤ文化交流センターの略称で、アンタルヤ在住の外国人を対象に様々な催しを行っている団体である。私は会員でもなんでもないのだが、協賛している地元企業の社長さんのお誘いで行くことになっただけ。でも行ってみたらそれなりに楽しめた。今日はアシュレ・ギュヌに、アンタルヤ在住の外国人と家族を招待し、お祝いする会で、1000人収容の宴会場が満席。さらにイスラエルとドイツでも同様の催しを行い、中継するというもの。ノアの箱舟伝説の演劇あり、セマーゼン風ダンスあり、地元の小学生による歌とダンスあり、トルコで成長した様々な国の子供たちによる歌あり・・・・と出し物が多すぎて、後半退屈する人たちでちょっとざわついていたけど・・・・。2時間半の出し物とトークなどのあと、やっと食事。テーブルの上に並べられたナイフとフォークは飾り物ではなかった。そしてこれがアシュレ。トルコに住むようになって、アシュレ・ギュヌにご近所さんや友人からアシュレをいただくことが多いが、家庭によっていれるものや出来上がりがそれぞれである。トルコ人に言わせると、やはり食べなれたお母さんのアシュレが一番。アシュレを盛り付けるコックさんたち。ところでアシュレとは胡桃、石榴、ドライ杏、アーモンド、シナモンなど7種の実を合わせた甘い食べ物で、別名ノアの箱舟プディングであるが、ノアの箱舟伝説で様々な人種が船の中で持ち合わせた材料を混ぜて作ったところから、そう呼ばれているらしい(・・と、ノアの箱舟伝説の劇中で解説していた)。なるほど、会場がクイーンエリザベス・ホテルであるのは、このためであったか・・・・。
2008年01月20日
アンタルヤのトップクラスの企業家たちがメンバーのANSiAD主催の、2007年度トップ企業家、芸術家、そして記者を表彰する集まりに行った。場所はシェラトンホテル。表彰される2007年度トップ記者はフセインで、ミフリ社長は名もない中小企業の社長だから、メンバーになるには50万年ぐらい早いので、招待客として参加しただけであるが・・・・。前回は記者クラブの2位受賞で賞金はなかったが、今回は約7万5千円の賞金付き。「月曜日までにこの金は消えてるぜ!」とフセイン。酒も博打も女もやらないフセイン。おごる相手(ガールフレンド)もいないフセイン。いったいどうやって1日で7万5千円を使えるのだ! と突っ込もうと思ったが、おめでたい日なのでやめておいた。会は首相のアンタルヤ訪問と日が重なってしまったため、県知事が出席できず、副県知事、区長、国会議員らが参加したものの、やはりちょっと盛り上がりにかけた。マスコミの数も少なかった。それでも料理は私には十分おいしかったし、アンタルヤじゃ名の知れた会社の経営者たちの話は、異なる視点でのアンタルヤや経済の話題で、勉強になったし、とても新鮮であった。あとは歌とダンス。メンバーが週末の夜を楽しむという趣向である。デザートを食べ終わったミフリ社長は、踊る相手もいないので(いたら踊る気満々である)、フセインを家まで送って帰宅。明日のアシュレ・ギュヌにはアンタルヤ在住の外国人とその家族を招待する催しがあるので、クイーンエリザベス(ホテルの名前)にお出かけである。いやいや・・・外交も大変である。
2008年01月19日
クレムリン宮殿に行ってきた。・・・といっても、アンタルヤのクンド村の、トプカプ宮殿、コンコルド、キャラバンサライ、タイタニックなど、例のおもちゃ箱をひっくりかえしたようなホテル群のひとつである。5つ星ホテルではあるが、トルコの星はよくわからない。格は高くない、一見豪華な、団体さん向けリゾートホテルである。部屋は最上階で、内階段つきのドブレックス。10時にチェックイン、ブランチのギョズレメ、ランチ、午後のお茶、夕食、夜食、朝食と食べ放題、ホテル内では飲み放題、部屋の冷蔵庫の中身も無料、翌日は12時にチェックアウト。室内プール、ジム、サウナもあるし、ショッピングセンター、ボーリング、インターネット、ゲームセンターなどの設備もあるので、こりゃ本当にホテル内で用が済んでしまう。夏なら専用ビーチもあるし、さまざまな屋外プールもある。これで今回、○○技師協会会員価格3500円ポッキリ。非会員価格でも6000円、子供は半額3000円。どうりで観光客が市内やカレイチに出てこないわけだ・・・・・。食っては寝て、寝ては食っての2日間。食うのはもうゴメンだ~、といいつつ、食い続け。でもつかの間の休息ってこのこと。休暇っていったって、家から車で30分。地元もいいとこ。そして12時にチェックアウトしたあとは、まっすぐ店に行って、夜遅くまでクッションカバー縫い。ミフリ社長に休暇は似合わない・・・・ってこと。
2007年12月15日
今度の店があるドーガラジ界隈では、火曜日に大きな市が立つ。店の真ん前から始まり、かなり広範囲で広がっている。中心部では大きい市のひとつで、知り合いのほとんどもこの市に来るという。よく選べば安いらしい。市で買い物をすることがなくなって、10年近くなるか、10年以上経つかのミフリ社長であるが、カフェの仕入れとスタッフ飯の仕入れで、市をめぐった。とりあえず、値段を聞いてみるものの、高いのか安いのか、よくわからない。マッシュルーム2.50TL(約250円)/kgにんじん 0.50TL(約50円)/kgきゅうり 1TL(約100円)/kgたまねぎ 0.70TL(約70円)/kgじゃがいも 0.75TL(約75円)/kgいちご 5TL(約500円)/kgキウイ 2.50TL(約250円)/kgバナナ 2TL(約200円)/kg米 2.50TL(約250円)/kg胡桃 6TL(約600円)/kgトルコのほかの物価から考えたら、野菜・果物類はかなり安いのだと思う。いやあ、トルコの物価って日本より高いと感じるときのほうが多い。最近、安いなあと思ってみると、中国製の安かろう、悪かろう商品だし。
2007年12月12日
何年か前の話。アンタルヤのとある村で、村人たちが「UFOを目撃した」という話があり、マスコミが取材に行った。半信半疑のマスコミを前に、村人たちはかなり具体的な目撃証言をしたという。純真な村人たちのことだから嘘を言っているとも思えない。取材中にはUFOらしきものとは遭遇できなかったらしいけど、そんな話があったなあ・・・・と新聞記者のフセインが言った。なんでこんな話になったかというと、実は今年の夏にUFOらしきものを見たのである。日本人の大学生たちも一緒で、私一人の幻体験とか、見間違いとかじゃないのである。念のため・・・。ある日の夕食後、友人の家の庭でみんなで涼んでいると、家のお父さんが3階のべランダから「空を見ろ!」と叫んだ。みんなで空を見ると、地中海のほうから、陸に向かって3つの強い点滅しない光が3角形状に並んで見えた。あまりにも突然のことで、ただ眺めていただけだが、飛行機のように点滅していない。しかも飛行機なら進路が全く反対である。「火をともした気球じゃないか?」という声があがったけど、気球の速度じゃない。飛行機と同じぐらいの速さで西の空に進み、突然、光が消えた。光の消え方はまさに突然で、遠く離れたから見えなくなったのと違った。それでも宇宙人とか宇宙船とか思ったわけじゃなく、なんだかわからないけど軍関連の飛行物体かなあ・・・と現実的に思っただけで、今度フセインにでも聞いてみよう・・・と話は終わった。ところがその後に、この家の人たちが何回か同じ光を目撃し、さらに強烈だったのが、この家の隣に広い空間があって果樹園になっているのだが、ある日、突然強い光が見えて、風もないのに、木々がザワザワと大きく揺れて、「何か」が飛び立ったというのである。家の人が4人ともそれを目撃し、他の人たちに「突風が吹いたんじゃないの?」とか「鳥が飛立ったんじゃないの?」とか言われていたが、強い光が何だったのか、という話になると「UFO]しか考えられないのである。フセインにその話をすると、「なんだろうね」と首を傾げるだけで、あまり本気にされないわけであるが、信じる信じないは別にして、上記の村の一件もあったし、アンタルヤではなにか不思議な現象が起きていて、目撃者もいるんだよなあ・・・・というのである。ただアマチュアの証言とか、撮影ばかりで、プロによって撮影されたものがないらしく、いまひとつ決めてになるものがないし、信用ならないと言う。とにかく、私たちが見たものが「何か」はわからないけど、ただ見たことは事実である。しかも一人で見たわけでなく、何人もの人間がその1、2分の光の動きを目にしたし、それが飛行機や気球、衛星などじゃないことも事実だろうし・・・・。いろいろ想像しているうちはわくわくして楽しいんだけど、庭から飛立つ光放つ物体とかは、あまり見たくないなあ・・・と実はとっても怖がりのミフリ社長であった。
2007年11月04日
区役所に用事があって、昨日もでかけたのだが、ドアは開いていても中はもぬけのカラ・・・まあ、祝日だからなあ・・・と思っていた。今日は平日、開いているはず・・・と出かけたら、どうやら「お引越し」。一区民の相談に乗るどころじゃないわけ。引越し先は、かれこれ10年以上前から着工して、やっと完成した建物。今まではカレイチの向かいにあって徒歩1分と便利だったのだけど、今度はクルマで渋滞がなくても20分はかかる場所。広報に知り合いがいるので、電話で用事の一部は済ませられたけど、まだ面談しなきゃいけない用事が残っている。私の急ぎの用事があるときに限って、引越ししなくても・・・・って思うわけである。さらにテレコム(電話会社)にも用事があって行ったのだけど、今日に限って「ストライキ」。で、一顧客の相談に乗るどころじゃないわけ。まあ、これは明日でもいいや、と戻ってきたけど、わざわざ行ったんだよね。なかなか行けなくて、今日やっと行けたのに、こういう時に限ってストライキしなくても・・・って思うわけである。ここのテレコム、駐車場もない上に路上駐車する場所もなくて、毎度毎度クルマを置く場所に困るのである。道も狭いし、立ち寄るのをできるだけ避けたい場所のひとつである。というわけで、区役所もテレコムも、明日もう一度行かなきゃならなくなった。
2007年10月30日
vicivさんのトルコとアンタルヤに関するご質問・・・・。BBSでは文字制限があると思いますので、この場で申し訳ありませんが、私が知っている範囲でお返事したいと思います。知っている範囲なので、変更になったこと間違っていることなどもあるかと思いますが、参考までにどうぞ。その1:インターネットと電話について。自宅にインターネットをひく場合、まず管轄のトゥルクテレコムに電話回線の申し込みをします。個人だとパスポートのみでよかったかと思います(実際に申し込みに行ってみないと言われることがまちまちで不明)。スタンダード回線で月額約1300円。市内通話が約4.3円~8.5円/分、市外通話が約10円/分。日本へは約115円/分。インターネットは使い放題・・・で、我が家は1024mbpで月額約4900円。これが最高額で、速度や時間制限ありでこれより安くなります。インターネット事情は以前に比べたら数段よくなりましたが、急速に加入者が増えるにつれて、回線の問題、また新システムの導入の工事などで時々すごくゆっくりになったり、一時的に使えなくなったりすることがあります。でも個人で使っている分には特に困ることはありません。その2:海外送金について:たいていの銀行で相手方のIBANナンバーがあれば簡単に送金できます。上限については確認できていませんが、資本金の移動など、何千万円など大きい金額の場合、送金できる銀行が限られるなどの制限があったかと思います。通常の送金は問題ないかと思います。その3:郵便事情について。郵便は住所までの配達となります。小包も2kg以下やEMSなどの場合は住所まで配達されます。ただし2kg以上30kg以下の通常小包の場合は、お知らせカードが届き、身分証明書(パスポート)などをもって担当の郵便局まで取りに行きます。関税を支払う場合もあります。以前は2kg以上の国際郵便の取り扱いは郵便局が限られていましたが(クルマで行かなければならない所)、現在は市内で4か所(もっとあるかもしれませんが・・・)あります。ですから最近は特定郵便局からではなく、住所の管轄の郵便局からお知らせカードが入っています。はがきや2kg以下の小包を出すのでしたら、小さい郵便局どこでも扱っています。切手のみの販売箇所などは見当たりませんので、郵便局まで行って窓口へ出すのが確実のようです。その4:アンタルヤの物価について。トルコの物価ははっきり言ってかなり高いです。地方都市のアンタルヤでこれですから、イスタンブルやアンカラの物価はもっと大変なんだと思いますし、実際話に聞くと大変のようです。最近は日本のほうが安いなあ・・・と思うことが多くなりました。トルコで日本より高いと思うもの・・・・電化製品、クルマ、家具、家電製品、プラスチック用品、食器、台所用品、衣類、娯楽施設、加工食品、肉、魚、文房具、外食・・・・・というかほとんどです。しかも、あまり選択できないのがネックです。日本と比較してまだ安いなあと思えるものは野菜と果物ぐらいですが、これも最近あまり差がなくなってきました。100円均一(1YTL均一)で売っているものはほとんど中国製の安物です。トルコものは高い高い・・・。私たちが普段利用しているのは、ミグロス、リアル、キパ(kipa)といった大手スーパーです。それ以外に小規模店舗としてコマシュ、カルフール、タンサシュ、マクロ、ゲンパなどがあります。安売りのビムなどもありますが、安いものはそれなり・・・といった製品が多く、結局、高いけど品質的に比較的安心できる大手メーカーのものを購入します。そのうち撤廃されるようですが、移動市場も毎日市内のどこかで開催されています。夕方になって残りものだと安くなったりしますが、このところ、リアルなどの野菜コーナーのほうが安くて品質がよかったりしますので、値段に関しては必ずしも移動市場が安いとはいえません。ただいろんな八百屋さんが入っていますので、品質もいろいろ、地元の変わったものも見つかるかもしれません。野菜などはそれぞれの地区の移動市場で買う人が多いようですが、地区によって値段差がありますし(高級な地区や観光地のそばでは高かったりする)1週間分、1kg単位で買わなければなりませんので、我が家のように息子と2人だと、スーパーで必要なときに100gとか200gとか買って済ませる方が経済的だったりします。こちらで暮らす人たちのなかでは、いきつけの肉屋、魚屋、パン屋などがあって、品質にこだわっている人もいます。ただこれも値段についてはいいものは高いというわけで、変わりません。魚など大量に買って、保管できる冷凍庫などがあれば、卸し屋がありますので、そこで多少安く買うことができます。でも上記スーパーのリアルやキパのお買い得価格には負けています。(アンタルヤの飲食店ではメーカーや問屋から直接買わず、大手スーパーのチラシを見てコーラやその他の食材を買い込むという不思議なシステムが存在します)その5:車の運転について。アンタルヤに限らず、大都市でのクルマの渋滞は悩みのタネです。アンタルヤは現在、道路の整備、工事が続いていて、一方通行が急に変更になったりして、また中心部の道路の不整備から交差点での待ち時間、合流などで移動に時間がかかるようになりました。ドライバーマナーは良いほうではないと思います。かなり乱暴かもしれません。車線はあってないようなもの。隙間があったら入り込まないといけないし、割り込みは誰も道を譲ってはくれませんので、とにかくクルマの先を列に突っ込むという強引な方法をとらないと進めません。信号の位置が交差点の手前にあるため、見にくく、またロータリーシステムがありますので、進んでいいのか、停止しなきゃいけないのか、わかりにくいところも数箇所あります。一方通行も迷路のようで、なれるまでは戸惑うかもしれません。また市内では駐車場が整備されていないのも問題です。一応、市の駐車場がいくつかありますが、遠かったり、不便だったりします。免許については警察に確認しましたら、日本の免許に日本大使館でトルコ語に翻訳してもらったものを添えてもっていればいいそうです。(私はこれで済ませています)書き換えをしたい場合は、やはり日本大使館で翻訳してもらったものと、裁判所の無犯罪証明書(?)、滞在証明書、パスポートなど(すみません、用紙をなくして具体的には忘れましたが・・・)いくつかの書類をそろえて提出すればよかったと思います。管轄であるUNCALIの警察に確認すればすぐに教えてくれます。その6:ペットについて。アンタルヤではカレイチのそばに新しくペットショップが1軒オープンしました。ペットフードは種類はありませんが、今ではスーパーなどでも一般的に売っていますので、購入に問題はありませんが、やはり高価です。我が家で犬、ネコを飼っていたときは、肉屋で鶏肉を買ったり、大型犬にはレストランからでる残りものの骨を買って食べさせていました。(栄養的には偏るのでしょうが、経済的にはその方が安あがりでした)。グッズもあまり充実していません。獣医はあちらこちらにあり、これに関しては問題ないです。とくに高級住宅地の獣医さんは奥様たちのたまり場のようになっていて賑やかです。カットもしてくれますが、麻酔を使われる場合もあります。こうして書いてみると、トルコって生活するの経済的にも実は大変だったんだなあ・・・って思う。実は先日、トルコ語でも習おうと、アンタルヤのトメルに聞いたら、1か月間80時間で360ドルだそうで、ちょっと考えてしまいました。1995年に同じ内容でトメルで授業を受けていたときは、120ドルだった。トルコの物価の上昇と、トルコリラの高騰、外貨の下落で、外貨を持っている外国人には有利な国というイメージも現実も今ではすっかりなくなってしまったかも。追記:アンタルヤ生活でこれはラクだなあ・・・と思っていることがゴミの分別がないこと。なんでもかんでも好きなときに設置されているゴミ箱に捨てる。不用品もゴミ箱のそばに置いておけば、手引き車で不用品回収している人が持っていってくれる。なにせ日本に帰ったときの住所は鹿沼市だもんね・・・・。(実家の千葉市よりもっともっと厳しくて、私は帰国のたびに結局ゴミ出しができなくて憂鬱になる。)地球には優しくないけどね・・・・。
2007年10月23日
ミフリ社長の週末の夜。たいてい、家にいるか友人宅でご飯をごちそうになっているか・・・なんだけど、今日は断食月の最終週末ということで、友人たちとその子供たちと空港そばのショッピングセンターへ行ってみた。週末ということですごい人だった。(あくまでアンタルヤにしたら・・・という意味で)イフタルを待つ人もいれば、断食と無関係に週末だから家族や恋人同士で来ている人たちもいる。ここは中心から約20kmのところにあり、自家用車がないとちょっと来づらい場所であるが、23時まで営業しているため週末の夜は人が多いのである。まずはフードコーナーで食事をして(ハンバーガーとポテトとコーラ・・・!)、お店でガラス製の花瓶を買って、ゲームコーナーで遊んで、最後は映画を観た。今年になって、フードコーナーの中心にアイススケートのリンクができて、いつもお客が全くいないので心配していたけど、今日は子供たちが数人滑っていた。2階の映画館は毎度のことであるがガラガラ。いても10人ぐらいで、今日もジャッキー・チェンの新作が上映されて初めての週末にもかかわらず、私たち7人と、後ろに3人、合計10人のための上映で、なんだか貸切みたいで気分はいいけどね・・・・。ちなみにこんな週末の家計簿・・・・。ハンバーガーのセット7.5YTL(約750円)、ガラス製の花瓶7.5YTL(約750円)、ゲームコーナーのコイン1枚1.25YTL(約125円)、映画5YTL(約500円)、ポップコーンとコーラのセット3.5YTL(約350円)・・・・・お買い物(ガラスの花瓶)を除いた一人当たりの遊び代は約2100円。家族で来たりすると、4人でもガソリン代を入れたらなんのかんのと9000円の出費である。なんだか高いのか安いのかわからなくなるが、映画を観にきたと思えば、日本よりはお得かな・・・・って無理矢理納得するか・・・・って感じ・・・かな?
2007年10月06日
先週も暑かったけど。先週の新聞にも書いてあったけど。ものすごく暑くなる・・・って。昨日と今日は40度を越えていたらしい。風が吹くと、涼しいのではなく、熱風なので、窓を開けることもできない。昨日は初めて、窓を閉めたまま寝た。普通はエアコンをかけて寝て、涼しくなってきたら窓を開けて寝たりするのだけど、窓を開けると部屋の温度が一気に上がるので、窓が開けられなかった。アンタルヤに限らず、トルコ全土がそうだったらしいけど、明日はさらに暑くなるようだ。外出しないように呼びかけているし、実際外に出る気にならん・・・。あさってには気温が下がるという話。それで今日、とある仕事の打ち合わせにいったのだけど、明日はめちゃくちゃ暑くなるらしいから、あさってにしよう・・・と言われた。トルコらしい話だけど、今日以上に暑くなるのなら、たしかに外出するのは危険である。この3日間は日中も夜間もエアコンをつけっぱなし。おかげでのどが痛くなりかけているけど、他に手段がないもんね。オーブンの中に入れられた肉の塊とか、魚の気持ちが今、よくわかる・・・・!?
2007年06月26日
復活日記はまだまだ終われないわけなんだけど、ちょっと休憩して、日曜日だし(・・・って曜日は関係あるのか)海水浴に行ってきた。場所は地中海、アンタルヤ、ララ。リゾート地なんだけど、ビーチもいろいろで、今日行ったところはオルネッキキョイの人工ビーチ。外国人の観光客が増えて、山から削ってきた土砂で埋め立てた海岸で、砂浜なんだけど粒がでかくて歩くと足は痛いわ、今日は40度越えていたもんだから素足ではとてもじゃないけど歩けない。熱した鉄板を上を歩くのと同じで、素足で歩こうとして「あっちっちっ!」と跳ね上がっている人を何人も見た。私もそのうちの一人なんだけど、足の裏が火傷したみたい。波打ち際までサンダルはいて行っても、たった2mが地獄である。肝試しで裸足でどこまでいけるか、なんて競争している人もいたけど、念のために手にはサンダル。そしてやはり耐えられず、途中でサンダルを履いていた。なんだか地中海リゾートには似合わない、庶民的な雰囲気が漂っている・・・・・。ビーチも外国人はごく一部で(自分を外国人として数えないところがミソである)、地元トルコ人か、別荘かプライベートビーチを持っていない小型ホテルかペンションに泊まりに来ているトルコ人観光客ばかり。トイレと海の家が1軒。地中海、アンタルヤ、ララという条件であって、ビーチリゾートという言葉がまったく似合わない。海水浴としかいいようがないのである。ビーチパラソルは持参、タオルも持参、水着は家で着てきて、水とボレキも途中のマーケットとパン屋で調達。いくら地中海でも地元人がいくと海水浴になるのである。泳ぎながら、子供のころ夏休みになると行っていた田舎の祖父の家の日本海の海を思い出してしまった。岬の先には5つ星ホテルのプライベートビーチが続く。あの岬を挟んで地中海ビーチリゾートと海水浴って分かれているわけ。いつかはあちらの人になってみせるぞ・・・と思いつつ。クルマですぐに地中海に泳ぎに行ける贅沢に感謝しなきゃ・・・・。日焼け止めを十分に塗って、さらに12時から14時半までの日差しが危険な時間帯は海に入らずにいたにもかかわらず、ヒリヒリである。あと何度かは海水浴に行くことになるだろうから、帰国時にはきっと真っ黒。歯だけは白くしておこう・・・っと。
2007年06月24日
日本はゴールデンウィークだそうで・・・・・。アドナンは今年もそれに合わせて日本へ遊びに行った。アドナンがいなくなった代わりに、今年は日本語講座の生徒たちが順番に私の面倒を見てくれるもので、私もすっかり甘えている。このところの私の生活というと、家、店、日本語講座の3角地点の行き来だけである。それに家の前からどこへ行くにもクルマの移動で、スポーツサロンに行かない限り、歩くこともない。スポーツサロンに行く時間と心の余裕のない、最近(2、3か月ご無沙汰しているかも・・・)。歩いたのは何歩か、って数えられるぐらいである。このままでは、不健康な年寄りになってしまう・・・・・。・・・・それを案じた生徒の一人が、散歩に付き合うから、一緒に歩こう、と誘ってくれたので、今日はクルマなしで息子と歩いた。家から南に歩くと10分ほどで海岸線にでる。コンヤアルトのビーチが見渡せる崖の上であるが、ここが最近、整備されて、レストランやカフェが並ぶ、公園になった。駐車場もあって、休日になるとビュッフェスタイルの朝食を食べに来る家族連れや、カフェで海を眺めるカップルたちの姿が見られる。今日のような、暑くもなく寒くもない日は散歩にぴったりなのである。ここから博物館を過ぎてファレズホテルまで歩く。ファレズホテルの裏手にあたる海岸沿いには、公園ができたらしい・・・という話だけは聞いていたが、歩いてみて初めて入り口がどこなのかということを知った。ここから入るとガラスのピラミッドと呼ばれる見本市会場などに続く一帯が全てが遊歩道、公園になっていて、途中には東屋があるカフェなどもあった。人もそれほど多くなく、池に魚がいたり、アヒルがいたり、かなりの距離を歩いたにもかかわらず、時間が過ぎるのを忘れてしまった。午後3時ぐらいから歩き始めて、気がつくと8時である。ミグロスが目の前だったので、そこまでもうひと頑張り歩いて、夕食を食べて、タクシーで帰宅したころには周囲もすっかり暗くなっていた。生徒はアンタルヤで10年以上暮らしている。それでもこんないいところがあるのは知らなかった・・・と感動していた。私もアンタルヤに13年間住みながら、クルマで素通りするだけの生活で、歩いてみてこんないいところが近くにあったなんて本当に今まで何をしていたのだろうと、思ったほどである。今年の夏は、夕方から公園を散歩したり、カフェでお茶を飲んだりすることもありかな・・・・と。
2007年04月29日
朝、日本語講座に出かけたら、市民口座の女性上司のクルマに人だかり。「何があったの?」と声をかけると女性上司「ネコがエンジンルームとタイヤの間に挟まって、出てこないのよ」と。家からここまで来る間にも、ネコの鳴き声が聞こえてくる。ラジオからかなあ・・・と思いながら、着くと、なんとクルマの前から聞こえてくる。ネコを挟んだまま運転してきたようであった。のぞきこんでみると、タイヤハウスとエンジンルームの隙間にネコが入り込んでいて、前足がちょこんと出ている。いろいろ手を尽くしてみたが、挟まったまま出て来れないでいる。痛いのと怖いので猫はニャー、ニャーないているけど、どうしようもない。ついに声がしなくなり、死んだか気絶したか・・・なんて話していたが、アドナンが棒でつつくと再び鳴き声がしたので、みんながホッとした。その間に消防署に連絡を入れていたらしく、しばらく待つと、消防車に乗って二人の消防士がやってきた。消防士も状態に戸惑いながらも、ネコを救出するために策を練っていた。じゃ、記念写真でも・・・・と、アドナンがカメラを出し、「はい、みなさん、こっち向いて笑って・・・!!」と言うと、みんな笑いながらポーズ。ネコのために、大きな消防車が出動してきたっていうのもなんだか微笑ましい。その後、ああじゃない、こうじゃない・・・と苦戦した後、ネコは無事助けられ、でも恩も忘れて一目散に逃げていって姿を隠した。ネコがなぜ、クルマの隙間にもぐりこんだかと言うと、この日はちょっと寒かったからに違いない・・・・と思うわけである。元気な姿で助かってよかったね・・・・。
2007年04月18日
何もしないで、食べて、飲んで、寝て・・・・の2泊3日。しかも家から30分ほどの地元でのホテルリゾートの日々。本当に何もしなかったけど、(プールもサウナもビーチの散歩も・・・・全く利用しない日々)。ホテルの部屋はこんな感じ。シンプルでとても広い。手前にはソファーが2台、ベランダはシーサイドでテーブルと椅子がある。ウォキング・クローゼットも広々。ホテルのビーチ側からみた外観。日本をコンセプトにしているホテルらしいけど、大レストランの入り口にこんなものが・・・・。プールの滑り台に漢字・・・・。朝食、ブランチ、昼食、ケーキタイム、夕食、夜食、24時間オープンのバーがあり、全て宿泊代に込み。部屋の冷蔵庫の飲み物も、ワインやフルーツも込み。夏シーズン料金になったとはいえ、まだハイシーズンではないので、カクテル10杯飲めば、宿泊料金分飲んだことになる計算。お酒に強い人は、料金を気にしないで朝から朝まで飲み続けられるわけである。・・・・何も考えないで、ただただ食って飲んで寝るには、とっても居心地のよいホテルであった。
2007年04月15日
4月に入って、気分的にも実質的にも観光シーズンに入った。といってもカレイチは閑古鳥のままだけど、大型リゾートホテルはぼちぼち満室になっているようである。アンタルヤ市内から一番近い大型リゾートといえば、空港から東の海岸沿いのクンド村のホテル群である。カーネーションなどの温室栽培が盛んな地に、何年前だったかトプカプ宮殿をモチーフにしたホテルができた。その後、タイタニック、コンコルド、ベネチア、ホワイトハウス、クレムリン・・・・などなど、今年の夏にオープン予定のイスタンブルパレスにはガラタ塔とか、ボアジチとかあるらしい・・・・遊園地みたいな造りのホテルが次々できて、周辺も序々に整備されつつある。昨年秋にはLホテルがオープンした。聞くところによると「日本」をコンセプトにしているだが、どう見ても中国と日本となんだかゴッチャにしている。それでも欧州、ロシアからやってくる観光客にとっては関係ないのだろうけど・・・・・。今年の1月に団体客の価格交渉で下見に行ったとき、そんなことを説明されながら、部屋や各設備を案内してもらった。壁にはほとんどが中国の絵を拡大コピーしただけのものが飾られ、中には日本画(のカラーコピー)だなというものもいくつかあった。部屋には日本の地名がついていて、それは確かに日本の都市や町の名前であった。ホテルは300部屋、寿司レストランを含む7つのアラカルトレストラン、オープンビュフェレストラン、バーがいくつかあって、プライベートビーチ、屋内外プール、ディスコ、ショッピングセンター、ハマム、サウナ、マッサージ、ボウリング、インターネットとなんでもあって、朝食、ブランチ、昼食、3時のおやつ、夕食、夜食、その他バーでの飲み物、軽食など、好きなだけ飲み食いして、全て料金に含まれているシステムである。冬場料金は3月まで個人で25ユーロ(3750円)、団体10名以上で17ユーロ(2550円)ということであった。はっきり言って、今のトルコで3食外食しようと思ったら、この値段では無理である。それを考えたらホテルとしてはとっても安い。さて、ちょっと用事があって、もう一度会社として料金交渉と話し合いにでかけた。4月に入っているから料金は冬場料金では無理だとしても、もし魅力的な値段だったら、泊まりたいなあ・・・・という気持ちもあった。営業担当者と会って、料金のこと、再度、設備の見学をさせてもらった。ホテルは実にきれいである。写真はスウィートであるが、普通の部屋にもプラズマ、浴槽はついていて、どの部屋も異なるデザインで、画一的な大型ホテルとちょっと違うのもおもしろかった。コンセプトが日本というにはおそまつではあるが、そんなのは宿泊には無関係だし、愛嬌、愛嬌・・・。同行したアドナンもかなり気に入った。というのも先日、ベレックでの出張で同クラスのSホテルに宿泊したのだが、設備とシステムはまあ置いておいても、料金が個人で240YTL(20900円)と、高くてなんとなく不満であった。このチェーンホテルは値段ばかり高いって有名なんだけどね。通っているフィットネスもこのチェーンホテルの中にあって、ホテルの人が「他に泊まったほうがいいよ」と言うぐらいである。同レベルで5000円以下で泊まれるところがたくさんあるのだもの、自分でお金を出すなら絶対泊まらないだろうな、と思う。さてさて気になる4月以降の値段であるが・・・・。4月は60ドル前後で販売しているという、ちょっと泊まってもいいかな・・・っていう価格である。ただ4月はほぼ満室状態で日にちが選べるかどうか・・・・。ところで部屋を見学してるときに、エレベーターを待つ間に、ふと壁にかかっている絵に違和感を持ち、振り返って見た。なんかへんだな・・・・と思ったら、中国文字の書いた絵が、逆さにかかっていたのである。「これ逆さみたいですよ・・・」と案内してくれた女性にいうと、大うけで、「さっそく伝えて直しますね」と言っていた。営業担当にも屋外プールの滑り台に大きく書かれた3文字「森」「愛」「葉」の意味を聞かれたし、ホテルの入り口の外壁に書いてある「日本語」と聞かれた。「私たちは何も知らないのよ」と言っていたが、外壁には「酒店桜薔薇」と書かれている。やっぱり中国とごっちゃであった。
2007年04月05日
すっかりポカポカ陽気のアンタルヤ。日中は半そでで十分。夕方は涼しくなるから、一応上着は持っていっているのだけど、人の服装もずいぶん春らしくなってきた。今日は鹿沼の国際交流協会の会報の最終回原稿を送って、それに添付する写真を撮りに、久しぶりにカレイチを歩いた。カレイチに仕事場があって、そこに1日いるわけなんだけど、カレイチを歩くってこと、最近なかったなあ・・・って思いながら、天気もいいし、夏服のヨーロッパ人観光客を横目にマリーナまで下った。急ぎ足だったから、用事だけ済ませて急いで店に戻ったけど、店が閉まっていたり、変わっていたり、知人が別の場所で商売していたり、商売変えしていたり、新しいホテルやレストランを見つけたり、新たな発見もあった。カレイチはここ数年の不景気で、知人の多くは姿を消したが、今日、2年ぶりに顔を見た、土産物屋のイボも「今年で店を閉めるんだ、実はベルギー人の彼女と結婚して向こうに住むことにしたんだ」と言った。店に戻って日向ぼっこをしながらアドナンと「時間が経つのは速いねえ」という話になった。朝起きて店に来て、家に帰ってインターネットして寝て、また朝起きて・・・・。代わり映えのない生活、何もしていないのに時間だけが過ぎて、気がついたら32歳だという。今は日本語講座が唯一の楽しみらしい。早く来い来い、日本語講座の日・・・・と。「自分で独立して家庭でも持ったら」と言うと、「それも変わらない生活だ」と言う。欲しいものもないし、やりたいことも特にないし、目標がないのかな・・・私たちの生活って・・・・。なんとか生活もできる、経済的にも困らない、でもこれっていうしたいこともない、何かしようと思ってもお金をかけてまでするかなあ・・・って思ってしまう。これもある意味幸せなのかもしれないけど、目標がない人生はやはりつまらない。で、とりあえず提案。今日から一緒に「完全禁煙」しよう・・・・・と。私は守っている。でもアドナンは耐え切れず4本吸った。
2007年02月23日
テレビをつけていたら、ニュースでも言っていた。「アンタルヤのシーズンはまだ終わっていない」アンタルヤのビーチで泳いでいる人、水着で日光浴している人たちを映し出していた。アンタルヤへ休暇できたトルコ人たちも「まさか泳げると思ってなかった。水着も用意していなかったけど・・・」いやいや本当に今年は暖かい。もう12月に入るところではないか。いつ天候が崩れるのか、わからないけど、毎日、店のテラスで座っているけど、日が当たると暑いほど。このまま年末年始休暇(もとい犠牲祭休暇)に入ってくれたらいいなあ。ホテルの予約もすでにいっぱいになっているらしい。今年はどうするのでしょう・・・私たち。
2006年11月30日
カレイチゲートが設置されて、約1か月が経とうとしている。本日27日より料金が徴収される。事前に27日からカレイチに入るクルマの料金は以下の通りですよ~。と看板が立っていたけど、絶対もめるだろうなと誰もが想像していた。ちなみに料金は以下の通り。0-2時間 無料2-4時間 5YTL(416円)4-6時間 10YTL(832円)6-8時間 25YTL(2080円)8-10時間 50YTL(4160円)10時間以上 100YTL(8320円)まず2時間まで無料である。・・・・が、5分しか過ぎていないじゃないか、20分ぐらい大目に見ろ、と2~4時間の料金5YTLを払わない人がいるだろう。駐車料金は空港を除けば、1日2~4YTLが相場だから、出口ゲートで10YTLを請求されたら、たいがいの人が支払いを拒否すると思う。5YTLでも高い。それで口論になって、出口が大渋滞・・・・・・。1晩過ぎて、10時間以上、つまり100YTLを請求されたら・・・・・血を見るんだろうなあ・・・と。仕事が終わって、夕方5時。帰宅するために出口ゲートへ向かった。案の定、ゲートのところで1台のクルマが職員ともめていた。警官が2人と私服が2人いて、今日はもめることを予測して、待機しているのだろうなと見ていた。私たちの前にクルマが3台。1台目はまだもめている。約10分が経過・・・一番偉いだろう警官が面倒になって、ゲートをあけて出した。もちろん料金を支払わなかった。2台目はそのゲートをあけた瞬間、料金を払わず逃げようとした。すかさず警官が前に出て、クルマを停めた。乗っていた人は隣にある政府系銀行の行員、いわゆる公務員仲間であるが、なんで俺から料金をとるんだという風に怒っていて、(もちろん誰でも払うわけであるが・・・・)ゲートのまん前にクルマを置いて、外に出た。渋滞になってしまったので、警官が行員を呼び寄せ、一緒にクルマに乗って、場所を移してそのままモメていた。面倒になって、やはりそのまま帰してしまうのだろうけど・・・・。3台目はパスカードを持っていて、4台目の私たちもパスカードを通過。約15分はゲートで待たされたわけである。近くの人たちが、「さっきまではもっとすごくて、あそこのレストランの前までクルマの列ができていた」と言っていたが、こうなることはわかっていただけに、怒るというよりは笑ってしまった。こうして料金を払わない人、出口で職員ともめる人がでてきて、最後はどうなるのだろうか・・・・と思ってしまう。いっそ待機所を作って、モメたい人はそこで気の済むまで職員か警官とやりあうとか・・・・。ちょっと駐車料金は異状だと思うけど、入り口に料金表があって、これだけとりますよ、と通達している以上、出口でもめるのはルール違反だと思う。料金をとられるのが嫌だったら、カレイチに入らず、近くの駐車場に停めてくればいいわけだけど、みんな自分だけは特別だと思っているらしく、カレイチゲートが定着するまでは、まだまだ事件が起こりそうである。
2006年11月27日
カレイチの入り口2か所、出口2か所に設置されたゲート。カレイチ内の住人、商人などには書類の提出で無料のパスカードが渡されたが、それ以外は有料である。で、料金はいったいいくらなのか・・・と思っていたら、昨日から料金表が掲げてあった。0-2時間 無料2-4時間 5YTL(416円)4-6時間 10YTL(832円)6-8時間 25YTL(2080円)8-10時間 50YTL(4160円)10時間以上 100YTL(8320円)カレイチのホテルに宿泊してクルマを1晩停めておいたとしたら8320円を払う、ってこと・・・・つまり、カレイチ内にクルマを停めるな、ってことなんだろうけど。でもそこまで考えないでカレイチにクルマで入って、出口で100YTL請求されたら・・・・たいていの人は怒り出すだろう、って思う。料金所の職員と大喧嘩になるのだろう、って思う。対策マニュアルはあるのだろうか・・・・って心配してしまう。今のところゲートは稼動しているが、料金はまだとっていないようである。このままだと、そのうちゲートも撤廃か・・・・!? なんて思わないでもないのだけど、どうなることやらカレイチ・ゲート。ところで来年からYTLがTLだけの表記になるらしい・・・って聞いたけど、ガイドブックなどの訂正などでは確認されたらいいかも・・・・・。
2006年11月16日
昨日は長袖の服などを着てみた。といってもキャミの上に薄手のカーディガン。室内はいいけど、これで外はちょっと寒かった・・。2日前の夕方に突然、天気が崩れ、雷を伴う大雨が降った。それまでは10月に入ったのに、汗かく暑さ。もちろん半袖とかノースリーブとか。夜も日によってはエアコンつけていたぐらい。それが昨日も雨が降ったり、やんだりの天気で、気温がぐっと下がったのを感じたわけである。断食やっている人たちにはこの寒さが身に応えたかもしれない。冬服着こんでいる人もかなりいた。このまま冬になっちゃうのかな・・・と思っていると、11月で晴れの日は気温38度なんていうのもよくあるから、今が着る服に一番悩む時期。とりあえず、羽根布団も出したことだし、布団のなかでぬくぬくするのを楽しめる時期になったなあ・・・なんて思いつつ、今日は徹夜仕事で布団のなかでぬくぬくをまだ体験していないミフリ社長であった・・・・・。・・・というどうでもいい話は置いておいて、そろそろ冬支度はしておこうかなと思う。ソーラーシステムの給湯設備を、ガスに切り替える準備。(ガスを買って置くだけ・・)。セントラルヒーティングの燃料準備。(灯油をタンクに入れに来てもらうだけ・・)。って何もすることはないんだけど、一番肝心なのは冬を越せる燃料費の捻出か・・・。悩みのセントラルヒーティングのバカ高い燃料代も、市の話によると来年あたりから序々に天然ガスがアンタルヤにも引かれるという話なので、あと2年の我慢である。アンタルヤの冬が短くて本当によかった・・・と思うけど、逆に冬が長いところは暖房のことをよく考えているから、意外と燃料費安かったりするんだよね、その上、室内は温かくなっていたり・・・・。ああ、夏には早く涼しくなればいいなあ、と思ったけど、寒くなり始めると夏がよかったなあ・・・って思う。ミフリ社長は寒いのは苦手である。暑い方がまだマシ・・・エアコンがあればの話であるが・・・。
2006年10月14日
6日にアンタルヤにまた新しいスーパーがオープンした。買い物をあまりしない私は気にもしていなかったんだけど、ちょうど日本語講座がある市の教育センターの隣にできたものだから、帰りに寄ってみた。事前のチラシの効果か、とにかく混雑していた。私たちが行ったのは4日目の平日だったので、それほどでもなかったけど、初日と土日はレジで30分待ちだった・・・なんて話。目新しいところで、食料品では、お惣菜コーナーがあったり、パッケージになったケーキやドーナツ類が売っていたり、冷凍食品が種類が豊富だったり、フルーツも南国ものが置いてあったりと、他の店よりおもしろい。冷凍食品ではエビやイカがあり、エビは1KG8YTL、イカは1KG5YTLと今までに比べたら安い。特筆するのは豚肉加工品コーナーかな・・・。さすが外資系のスーパー。ベーコン、ソーセージなど3、4種類だったけど、幅1メートルの棚が下から上まで全てがこれらで占められており、しかもご丁寧に「豚肉製品コーナー」と書いてあったりする。ベーコンは1KGで約7000円。高いんだか、安いのだかわからないけど、これで食べたいときにベーコンが買えると安心した。いままでもベーコンなどはスーパーでも売っていたことがあった。でも他の肉加工品に埋まって、「すみません、ベーコンです。」って感じでひっそりと。今回はコーナーまで作ってもらって、ずいぶん偉くなったものだね、って思ったけど、さすが興味で手にとる人はいても買っている人は見なかった。ラマザン月でちょっと勇気がいるかね・・・。食料品以外に、電化製品、文具、書籍、カー用品などが並んでおり、オープン記念のラップトップは999YTL(約83000円)もするにもかかわらず、すぐに売り切れになったそうである。まだオープンしたてで混雑しているけど、少し人が引いたらゆっくり買い物に出かけようと思っている。豚肉加工品コーナーに不快感を表す人がスーパーに抗議したりするのかなあ・・・なんて考えたりもするのだけど、これも時代の流れ・・・ってことですね。
2006年10月12日
カレイチの出入り口にゲートが設置されることになった。つまりカレイチにクルマで入るときは有料になるわけである。アンタルヤではコンヤアルトゥ海岸のビーチパークがクルマでの入場で駐車場代として2YTL(約170円)だったかな・・・? 徴収するシステムをとっているが、カレイチもそんな感じになるわけである。すでにゲートは完成していて、現在試運転中で無料。でも情報がまだ浸透していない分、ゲートの前で有料と思って、バックしてくるクルマがいたり、クルマの列ができてちょっとしたパニックになっている。カレカプスとウシュクラルのタクシー停留所の2か所が入り口専用で、ここでボタンを押して入場時間の書かれたレシート状の紙を受け取る。するとゲートが開き、さらに下のカパン(金属製の逆走を防ぐギザギザ)が下がる。出口はドネルジレル・レストランと、イエニカプの2か所。ここでレシート状の紙を渡してお金を払う(のだと思う)。ゲートにはカメラが設置され、ナンバーを読み取るらしいが、その他話はいろいろ飛び交っているが、どこまでが真実かはちょっと不明・・・・。さて、当然ながらカレイチに住居がある人や、職場がある人、またはカレイチ内に駐車場を借りている人、レンタカー業をしている人には特別配慮がある。パスカードを市が発行して、そのパスカードがある限り、とりあえず(と言っておこう)無料である。パスカードの申し込みが今週の月曜日から始まったが、何事にも準備万端のミフリ社長はすでに先週、書類をそろえた上でマリーナにある市の建物内での受付に行っていた。早いといわれたので昨日、出直してきたのであるが、受付している人がいい加減で、何をそろえるべきかわかっていない。例えば、職場がある場合、商工会議所が発行する業務内容証明書か区の開業証明書、納税証明書、クルマ(2台まで)のナンバーリストの入った申請書があればよい。先週は申請書は用意されているからここへ来て書き込めばいいと、と言われ、認印やら車検証やら、準備万端で出かけた。(配布されている紙に、申請に必要な書類は書かれているけど、トルコの場合、それプラスいろいろが現場で必ずでてくる・・・・)受付の警官がいて、書類リストを見ながら確認していくわけだけど、ところで申請書をください、と言うと、それは何だ・・・?と言うわけである。先週来たとき、ここにいた別の警官にそう言われた。というと、それは市役所でもらってくるものだ・・・と言う。なんで市役所・・・? と思ったわけで、市役所のどこへ行けばいいわけですか? としつこく聞いていたら、警官も他の係りの人も顔を見合わせるだけで返事ができない。で他の人の受付書類を確認しているもんで、私もそれを覗き込んだ。「ああ、自分で書けばいいみたいだ・・・」と警官と私が同時に言った。プリンターで印刷されたものだったけど、またここまで降りてくるのも面倒なので、会社の認印もあるし、手書きでもいいか、と聞いたら(いいわけなんだけど・・・・)、しばらく考えこんで、「それでもいい」と。だけど、ふと思ったわけ・・・。あとで手書きじゃダメだとか、いろいろ言われて、また振り出しに戻るのも嫌なので、申請書をパソコンで作ってから出直してくることにした。それでもすんなり終わるとは思っていないんだけどね・・・・。このパスカードのために、たくさんの人が申し込みにくるはずなのだけど、なんだか受付する側がシステムを熟知していないし、案内が不十分である。さらにマリーナまで足を運ばせておいて、これじゃダメだ、これをもってこい、これが抜けている・・・と行っては戻り、行っては戻り・・・・トルコ風に言うと「git gel」である。こういう面倒がないように、指定の書類を用意しておいて、書き込むだけにするとか、何か配慮してくれたらいいと、この手の作業ではいつも思う。私がよく行くところじゃ、博物館鑑定の申請、電話局、電気会社などの内容変更などの申請、税務署、市役所、区役所から書類をもらうときの申請書、銀行の内容変更の申請などなど・・・・公の場所では申請書が必要であるが、日本ではいったいこれらはどうしていたっけ? と思い返すと名前や住所など必要部分のみを書く書類が用意されていて、それを記入していただけだよなあ・・・って思う。ましてやトルコで、トルコ人で慣れている人ならともかく、何も書いていない白い紙を渡されて、「これに申請書書いて」と言われても、いったい何をどう書くのか、とわからなくて普通である。公的な申請書には宛名、日付、書き方などの書式が一応ある、それをいったいどれだけの人が知っているのか・・・・。15年近くもいて、会社を経営している以上、公的書類には慣れてはいるので、どこへ行ってもとりあえずトルコ語で書けるし、困ることはないけど、時々、役人の態度が悪かったりすると私も外国人あることを盾に言ったりするわけ・・・・。「この紙に、あたしはひっこししました。だからあどれすがかわりました、あどれすをなおしてちょうだい、ミフリ・・・って書けばいいわけ?」。そうすると文面を口答で言ってくれたりするのだけど、仕舞いには面倒になって、代わって書いてくれたりもする。これってトルコ人でも公的な文書の書き方とか、用語を知らない人には絶対かけないって、って思うんだよね。毎回、毎回、口答で言ったり、書いてあげるぐらいなら、名前と住所などを書き込むだけの申請書類を用意しておけばいいのに、って本当に思う。いずれはこういうことも変わってくるのだとは思うけど、時々、トルコの急激な変化についていっていない部分もまだまだあるなあ・・・って感じる。人が少なくて、誰かがしっかり面倒を見てくれる時間や心の余裕のある時代や場所なら、古いシステムのままでもそれもいいなあ、なんて思うけど、都市部じゃ、もうそれじゃ処理し切れない。今回はパスカード申請の話で終わってしまったけど、本当はこのゲートと進入禁止箇所、一方通行標識などで、カレイチの現状がどうなっているか・・・・書きたかった。それはまた機会があったらにする。ゲート設置やクルマの進入禁止箇所の指定などは、ケメルやシデの例を見ると、成功していると思う場合もあるけど、同じ方法がどこでも適切であるわけはない。実際にカレイチは寂れていく一方だし、店舗の空家率や空家期間が非常に高くなっている。ドネルジレルの後ろの通りなど、一時期は賑やかだったのに、今では40軒ほどあった店舗のうち、残っているのは10軒ほど。しかも空家が目立つし、放置されている状態で、通る人もいなくなっている。残りの10軒が消えるのも時間の問題であろう。それは私の店があるイシハヌも同じで、この建物が出来てから最初の店子が私で、今現存する店子も私と、私の1年後に入ったチャイ屋のみ。もうここで5年目になるが、その間、長い人で1年とか半年、短い人で1か月で出入りが激しい。さて、このゲート設置、クルマの進入制限が吉とでるか、凶とでるか・・・・。クルマを制限することは構わないと思うけど、これでカレイチに来るトルコ人の数は変わるし、レンタカーの外国人はカレイチを出るまでに1時間はかかると思う。それを経験した後、再度レンタカーを借りる気になるかどうか・・・。慣れている人だって、進入禁止の標識通りに走ると、とんでもないことになる。先日、店の前から駐車場までの道を確認するために走ったら、なんと目の前にあるのに、そこへ行くために、一度カレイチを出てウシュクラル通りを下り、他の入り口から入ってこなきゃたどり着けないということがわかって、思わず大笑いしてしまった。それでもカレイチの道をよく知っているからできることで、知らない人が迷い込んだら、道幅も狭いし、ユーターンも困難だから、出口のない迷路に迷い込んだみたいになるだろう。地域として考えれば、10年スパンの長い目で見たら、もしかしたらとてもいい結果を得られるかもしれないんだろうけど、駐車場の不足、入場料の支払いなどで来客が激減することは間違いなし。そうじゃなくてもここのところカレイチ自体の魅了がなくなり、そぞろ歩きする人もいなくなってきているというのに・・・・。今いる商人たちにとっては1年後にここで商売をしていられるのか、飯が食えるのかどうか・・そちらの方が重要であることも間違いないわけである。
2006年10月04日
最初にお断りをさせてもらいたい。驚かせたり、怖がらせるためでなく、安心してもらう目的で書きたいということ・・・・。実は今日の夕方4時30分ごろ、アンタルヤのカレイチのレストラン街向かいで爆弾による爆発があった。私たちはちょうどペリンの中華屋の冷房の効いた室内で涼んでいたところだった。突然、レストランの窓ガラスが大きく揺れ、大きな音がした。風圧でガラスがボンと揺れた。爆発だ、ととっさに思った。あっという間に人が集まり、私たちは2つめの爆発を考え、レストランに留まったが、様子を見にいったアドナンやジャンによると、すぐそばのレストラン街の向かいの市庁舎のビルの前で爆弾が爆発し、レストラン街のガラスは割れ、そばを通っていたクルマの窓も割れ、なかにいた運転手は呆然として何もできないでいた。ニュースの速報では死傷者は死亡4名含めて16~20名ということである。昨日のイスタンブル、深夜未明のマルマリスに続いての爆発であるし、国際ニュースになる可能性を考えて、とりあえず、私たちも周辺にいる人たちも一緒にいる人たちも元気であるので、心配しないでほしいと伝えたかったこと・・・・・。それと、今回の事件で思ったのが、爆弾の仕掛けられた場所、時間帯を考えると、自分たちが被害者になりえたこと・・・。気丈なペリンでさえ、ニュースを知った知人たちからの電話を受けているうちに、泣き出した。「自分があの中にいたかもしれないことを考えたら、怖くなった」という。爆発を近くで聞いた人、見た人たちもパニックになり、泣いていたり、呆然としていたり、手が震えていたり・・・・。私とペリンはフィットネスに行くところだった。たまたまお客さんがいて、すぐに出られなかったので、その瞬間、そこを通ることはなかったが、あのままレストランを出ていたら・・・と思うとぞっとした。朝、ちょうどその道のところにあるATMでお金をおろした。時間がズレていたらどうなっただろう・・・・。私自身でなくても、アドナン、ペリン、Rちゃん・・・・知人・友人の誰かが日常的に通る場所である。実際、今日も誰もがそこを通ったし、また通る可能性があった。フィットネスも行く気がしなくなったし、みんなで家に戻ることにした。噂で5つ星ホテルのある大通りで2つ目の爆発があった・・・なども聞いたが、そのあたりは新聞記者のフセインに確認してもらい、爆発はカレイチだけで2つ目は疑いがあるところを調査中のための封鎖であると知った。日常的に歩く場所での出来事で、心理的な影響を受けてしまったのであるが、この愛すべきトルコという国で、このような出来事が早くなくなってほしいと思うのである。無事であることの報告まで。
2006年08月28日
カレイチ・プロジェクトに新たな動きがあった。マリーナを取り囲んだ、すり鉢状のカレイチには、クルマの出入口が7か所ある。いずれは、そこにゲートを設置し、一般車は有料でカレイチに入ることになり、商人の指定車はカードか何かを保持することで自由に出入りできるというシステムになるらしい。有料となるとカレイチに入るクルマが減って、商売に影響が出るというのが商人たちの心配であるが、今の県庁のあるところに駐車場を作り、通常はそこにクルマを停め、徒歩でカレイチを散策してもらうというプランになっているらしい。といっても2年後、3年後になることは間違いないんだけど・・・・。さて、駐車場問題が解決しないうちから、ドネルジレル・チャルシュス(レストラン街)の横の出入口が出口のみになることになってしまった。入口はというと、さらに海の方へ向かったタクシー停留所の脇から入る道なのだけど、普段は空港方面から戻るときは私もそこを使っているが入り組んだ細い路地で、知らない人がこの路地に迷い込んだら、どこに出ていいのか、また細いためクルマをユーターンさせることも、ひょいと右、左に曲がることも難しい。工事は昨日中に行われるというので、影響を受ける近隣の商人たちが工事をやめるよう、市に直談判に行った。カレイチにきた観光客がこの路地に入って、標識もないのに、どうやって出口のあるレストラン街まで出られるのか、はっきり言って出られるわけがないのである。市のプランは結構だと思う。カレイチがきれいになり、システム化されたら、観光するほうも気持ちがいいだろう。でもカレイチのシステムを作らないうちに、また駐車場を考えないうちに、まずは出入口を制限して、というやり方に、カレイチの一部の商人たちの怒りが爆発しているところ。今が最後のかきいれ時なのに、クルマを入りづらくして、お客さんが来づらくして、商売の邪魔をする気か~! そうじゃなくても景気が悪いのに~! って感じ。以前、道路にカパン(とげとげがついていて、逆走しようとするとタイヤがパンクしてしまう装置)をとりつけて、それからタイヤがパンクして大喧嘩とか、カレイチで道に迷うクルマとか、しまいには誰も来なくなってしまったとか・・・・やはりカレイチ商人が市に直談判を繰り返し、結果、すぐに取り外されたが、今度の出入口制限も、じきに撤去されるのだろうとも思う。「設置するのは構わないけど、なにもかきいれ時の今じゃなくてもいいだろう。クルマの進入経路をシステム化してから、オフシーズンにやってほしい」というのがカレイチ商人の要求である。外から見ているカレイチと、実際を知っているカレイチ商人から見たカレイチはかなり差があると思う。市との戦いが続いているのはこのあたりに問題があるわけだ。カレイチに店を持ち、丸11年が経つ。この間、3回移転をしたが、同じ通りの近所での移転である。カレイチの古い家にトータル7,8年は住んだだろう。私にとっては、トルコ=カレイチ生活なのであるが、正直な気持ちを言えば、以前の賑やかなのに、ゆったりしたカレイチの様相は今はないし、作り物の空間になっていくだけに思えて仕方がない。それを言ったら、私が来る以前のカレイチはもっと雰囲気のある素敵な場所だったかもしれないし、時代の流れに逆らえないってことなんだろうけど・・・・。新しい建物が建っても、それは上っ面だけのことで、元の住民たちは家を売り、外へ出て行く。逆に他所の都市からやってきてカレイチに店をオープン。でも最近の不景気のさなか、新規ではなかなかうまくいくわけがなく、すぐに消えていく、出入りの激しい商人たち。そのなかで、どういうわけか古くからいる商人たちの仲間意識が異状に強いというのも、新しいものを受け入れないというのではなく、長年、その出入りを見てきた結果なのだろうな・・・などと、わけのわからない結論を出す、ミフリ社長であった。
2006年08月16日
アンタルヤで25日(日)に爆発事件があったそうである。このニュースをどこで知ったかというと、出勤前に目を通すインターネットの日本のニュースであるのだが、「トルコの保養地」と書かれているので「またか・・・」と思って開いたら、「アンタルヤ」。しかもトルコ人2名、外国人2名の死亡者も出ている。「えっ!?」と思って読んだら、アンタルヤの公園にあるレストラン・・・・・・。アンタルヤの公園ってカラアリオール公園か・・・!?(ミフリ社長の頭は単純である・・・公園と言えばそれしか知らない・・・)どこであったのだろうと、店にいるアドナンに電話で聞いたら「・・・(事件があったこと)知らない・・・・」。出勤してからレンタカー屋の親父に会ったので「爆発事件ってどこであったの?」と尋ねたら、「マナウガット・・・でもテロじゃなくて、レストランのプロパンガスが爆発しただけらしいよ」。・・・・以前にもアンタルヤの観光地でエアコンが爆発して死者がでたことがあったし、ゴミ箱のスプレー缶が暑さで爆発して負傷者がでた事件もあった・・・・。アンタルヤの夏は異状に暑いですからねえ・・・・。店に来ていた新聞記者のフセインなど、「マナウガットで悲しい事件があった・・・」と言うので「それってレストランの爆発事件のこと!?」と詳細を聞こうと思ったら、「新聞記者仲間が暴行にあって、機材なども壊されたらしい・・・・」と違う話。それ以後、誰の口からもこの爆発事件の話題は出なかったのであるが、それも不思議である。アンタルヤでも、市内ではなくマナウガットであるから私たちのいるところからクルマで1時間離れているとはいえ、(日本の報道によると)テロとの関連もありえるかもしれないのにカレイチ商人の間ではほとんど話題にのぼらなかった・・・。(マナウガットでは騒いでいるかもしれないけど・・・・。)死傷者30人ほどの大きな事件なのに、不謹慎なことをあえて言わせてもらうと、不景気に加え、ジャスト観光シーズン前に爆発事件で、今年の観光もダメージを受けるのだろうか・・・・という不安な気持ち。過去にも同じような事件で何度も繰り返し味わってきたために、できるだけ穏便に騒ぎたくない・・・という感覚が無意識にあるのかもしれない・・・・。日本で「アンタルヤ」と報道されているとしたら、親兄弟、親戚、知人・友人も心配していることだろうと思い、連絡を兼ねて書いてみた。どうぞ心配しないでください・・・えっ、誰も心配していない・・・・。
2006年06月26日
カレイチっていうのは、アンタルヤの旧港を囲んだ旧市街のことで、以前は普通の家屋もたくさんあって、住民もいたらしいけど、今ではプチホテル、ペンション、土産物屋、レストランなどが並ぶ観光地区になっている。弊社ミフリもカレイチにある。観光地区なんだけど、このところ、郊外にできた大型リゾート施設に押され気味で(・・っていうか、完全に負けている)、観光客の姿が以前に比べて見事に少ない。観光不振でつぶれていったり、夜逃げする商人が続出なんだけど、このままじゃいけない、っていうので市がなんだか計画しているらしい・・・と言う話は聞いていた。そのプレ計画として、カレイチへのクルマの乗り入れ口の限定と、一方通行、進入禁止の立て札を立てまくり、クルマの行き来を制限した。今までも標識立てたり、いろいろしていたが、所詮標識じゃ、無視して逆行するクルマはあとを絶たないわけで、余計、混雑したり、路上での喧嘩の原因になっていた。今回、強制手段として道路にカパンを設置した・・・・・。カパン(KAPAN)・・・日本語ではなんていうのでしたっけ?ほら入り口などに設置されていて、クルマが逆行できないように、金属製の爪のあるものを道路に埋め込み、逆走しようとするとタイヤがパンクするやつ。これが立て看板で「カパンあり、注意」ってあるのだけど、気がつかない。私は知っているから気をつけるけど、これでタイヤをパンクさせるクルマが続出して、ちょっと問題になっていた。ついにはパンクを巡って口論から殺傷事件にまで起きた。さらにカレイチの商人たちにとっては、ただでさえ観光不況なのに、さらに観光客が入りづらくなり、来る人が減ったという問題も出た。アンタルヤの場合、観光客といっても外国人観光客ばかりあてにしているわけではなく、地元もしくは各地からのトルコ人のリピーターがいる。とくにレストランやバー、レンタカー屋はこのカパンのせいで大打撃。もし昨日までにカレイチにクルマで入ったことがある人ならわかるだろうが、このカパンのせいでカレイチ迷路に迷い込んだネズミ状態になる。はじめてくる人にとっては、入ったはいいが、カパンのせいで後戻りはできないし、道は狭いし、どこに出たらいいのかわからないし、どこへ行っても進入禁止と一方通行の立て札だけで、ほんの目の前の目的地にいくために、カレイチを一度でて、グルっと周って、また同じところから入らなければならないなんて事態もあり、である。カレイチで商売をしている私の場合、カレカプスから入ってすぐのところに店がある。そこから駐車場にたどりつくまでがまるで迷路で、いままで使っていた道が全て進入禁止になり、50メートル先、目の前にある駐車場に行くのに、まず一度カレイチを出て、外壁の外の道路を進み、もう一度別の入り口からカレイチに入り、そこから細い道をクネクネ進み、駐車場へ。50メートルで済んだところが、1キロはかかる。それよりもっとひどいのが、店の前が一方通行になってしまったため、荷物を積みに店に戻るために、一度市内に出て、グルっと周って、カレカプスから入らなければならなった。荷物なんか積まないから別にいいもん・・・って思ったわけだけど、それだけですまないカレイチ商人はたくさんいる。カパンのおかげでカレイチのクルマは減って歩きやすくなったが、その分、人も激減。中華屋のペリンはおかげで暇になり、毎日、私とプール通いができるようになったが、これがこのかきいれどきに続いたら、それこそ死活問題である。で、ペリンが被害をこうむっているカレイチ商人たちの署名を350名分集めて、市役所に提出、現状を訴えた。それが昨日、そして今日、カパンはあっさり撤去されていた。(事前に多方面に根回しはしたが・・・・。)これでみんながほっとしたところなんだけど、このカパン設置に関する費用総額、ペリンが言うところによると5000000YTL(約3億5千万円・・・・!?)。えっ・・・!?計算間違い・・・って思ったんだけど、そんなもんですか?これが無駄遣いになったわけ。だいたいカパンを取り付けた時点でこうなることはわかっていたのに、もったいないことをしたもんだと思うわけ。市いわく、カレイチに関する開発計画があって、カレイチをクルマ進入禁止にし、クルマはカレカプス前に作られた駐車場に置き、カレイチの道路は花を植え、歩行者専用道路になる・・・・計画自体はとても素晴らしいものである。それこそ、以前からカレイチ商人たちがこうなってくれたらいいな、と話していた内容である。でもその計画の前準備であったカパン設置が、逆効果になり、ますますカレイチ商人を苦しくしてしまったのである。それにしてもあっさりと取り外された(刃が収納されただけなんだけど・・・・)カパン。明日には一方通行や進入禁止の交通標識も取り外されて、すっかり元の状態に戻るかも・・・・なんて思っているところ。
2006年06月24日
アンタルヤのここ数日の暑さは異状である。湿気はまだないのだけど、外は熱風、夜も熱風、気温が下がっていないような気がする。私のことだから、天気予報を見て正確なことを言っているわけではない。体感温度で語っているだけだから、どこまで正しいことを言っているからはわからない・・・念のため。でもこの暑さで私たちの身体がいかれかけているのは事実。社員のアドナンも食欲がない。このところ、何も食べない。店にエアコンをバンバンかけて、マクドナルドの宅配便でもオーダーすればなんとか食べてくれるが、水分ばかりとっている・・・やばいなあ・・・と思っていたらやはり具合を悪くした。夫も食欲はあるが、頭が痛かったり、ダルかったり、かなりバテている。アトリエにはエアコンがないので、作業は主に深夜。日中はエアコンをかけた部屋で寝る生活。十分な睡眠がとれなかったり、生活のリズムが突然狂ったりするから、身体にいいわけない。私と息子は元気である。連日のプール通いで、日に当たりすぎて、今日あたりは少々疲れが溜まっている気がするが、それでもプールに行けと言われれば、たぶん行けるであろう。3日連続で日中行ったら、日焼け止めをしっかりして、焼かないようにしていたつもりだけど、気がついたら顔も身体も黒い。昨年までの運転焼け(片腕と顔だけが黒い)に比べたら、マシ・・・・か。もはや、アンタルヤ脱出しか方法はない・・・・・!?というわけで来週あたり梅雨の日本へ帰ります。
2006年06月21日
太陽が月に隠れる皆既日食。約4分間であったが、まさにこの場にいて見ることができてよかった、って思ったのが素直な感想。(詳しいレポートなどはいろんなところでごらんいただけるだろうから省略。画像も省略。)部分日食が始まって、約1時間10分後のできごと。天気はよく、太陽の位置もちょうど店のあるテラスから見ることができ、階下のチャイバフィチェシにも若者たちが集まった。多くの人はアタチュルク広場のイベント会場に集まり、店を離れられないカレイチの商人たちもそれぞれの店の前に椅子を並べたり、立ったまま観測した。観測用のメガネは最後の投売りをしていたり、無料で配られているものもあり、それらを手にいれ、カメラに貼り付けた。階下の若者たちはやたら興奮していて、私とRちゃんもテラスにテーブルと椅子をおき、ビールなど飲みながら、時を待つ。今日は仕事があっても、これが済まない限り、何もする気にならない。部分日食が始まって、周囲にかげりがでてくる。完全日食に入ると、夕方の風景に変わり、星が空に見え始めた。夕暮れ時の夕焼けが地平線沿いに現れ、街灯が点灯する。あれだけ暑かったのに、寒さが身体を襲う。カメラで撮るよりも肉眼で見た太陽は、中央に黒い月の影ができ、その周囲の光の関係か何重にもなった細い光の輪のようなものが渦巻いた。ただただ感動である。前回のシバスの皆既日食のときは、アンタルヤは部分日食で、多少薄暗くなったが、ここまでの体験はできなかった。今回は完全日食で、周囲が夜になり、その直前まで広がっていた青空が闇になり、そして光の輪を伴った太陽が真上にある状態。宇宙・自然の驚異、神秘体験である。4分間の闇が続いて、光がさしこみはじめ、序々に昼間の風景に戻ったが、この瞬間のためだけに世界各国から天文ファンが集まってくる理由がわかったような気がした。世界各国から集まった人たちにとっても、アンタルヤの人たちにとってもなんだか朝から興奮していた一日であったと思う。このイベントも終わり、あとは残った仕事を今週中に片付ければ、今度は1週間の旅の始まりがやってくる。
2006年03月29日
最近、停電が多い。しかも夕方6時から8時前後。夕食の支度をする時間である。せめて昼間にして欲しいと思うんだけど、どうもみんなが一番困る時間帯におきる。日本のように事前にお知らせなどなく、突然起きるから、準備をする暇もない。食事もできず、寒さに震え、やることもなく、息子とろうそくの灯りのもと、毛布にくるまってじっとしているしかないのである。それでも電気ならまだいい。今日は朝から水がでない。事前連絡なしの断水である。(事前連絡があったためしはないが・・・・)最初は誰かがまちがって我が家の元栓をしめたのかと思った。管理のおじちゃんに「この地区一体が断水だよ」と言われて、まあ、そのうち終わるだろうと思った。そしたらおじちゃんの言うことには「明日には水が来るっていう人もいれば、あと5、6日は続くだろうという人もいる」。5、6日~!?風呂もなし、トイレもなし、食器も洗えず、洗濯もできず、顔も洗えない。食事も作れない。ソーラーシステムにお湯はあるけど、熱湯である。シャワーもあびれない。事前のお知らせがあったなら、文句を言いつつも、水を貯めておくことぐらいできただろうに・・・。いまごろみんなスーパーで買ったミネラルウォーターでお尻を洗っているのか・・・・って考えたのは、きっと私だけではないはず・・・・。(下品な〆ですみません~!)
2006年03月15日
北や東、内陸部ではまた寒さがぶり返したようだが、アンタルヤは雪ではなく大雨と雷。2月のこの天気は珍しいことかもしれないけど、やはりアンタルヤの冬には雷と前が見えなくなるほどの大雨がかかせない。「アフィヨンのカイマク(生クリーム)、コンヤのマニアック(頭のおかしい人)」「カラデニズリ(黒海地方の人)の頭は午後から動く」など、その土地の人のことを皮肉ったいい方があるが、(その土地の人にとっては不本意な、または面白くない言われ方だろうが)、アンタルヤにもある。「アンタルヤの天気と娘たちは信用できない」アンタルヤの天気はころころ変わる、娘たちも気分次第でころころ変わる・・・ってことなんですかね。娘たちは知らないけど(知っているけど)、天気に関してはその通りと思うこともある。例えば、ここ数日の天気。朝は青空、気温も高い。これは今日もいい天気・・・・! なんて思っていると、雲が流れてきて、突然寒くなる。ポツリポツリの雨が、いきなり滝のように降ってくる。かと思うと青空が見えていたり・・・・。今朝もひどかった。朝、ホテルのフィットネスに行くのに、家を8時半に出た。太陽も出ているし、青空でなんだか暖かい。息子にも薄着で保育園に行かせた。クルマで5分のカレイチに向かい、ペリンをひろい、空港方面に走ること、約10~15分。雨がポツリポツリと降り始めたかと思うと、いきなりドシャーって大雨と横風。街路樹が海から陸側に傾くほど。水蒸気と雨で前が見えなくなり、点灯しワイパーを全開。前から来るクルマが見えないほどの大雨になった。道路はすぐに川と化し。お昼ごろにホテルを出るころには、ポツリポツリ程度になり、カレイチの店(正確には自分の店にはいかず、ペリンのレストランで飯食って帰宅になったけど)に行ったときには、雨は止んでいた。そして午後3時ごろ帰宅しようとしたら、突然の豪雨。クルマをペリンの店の前につけていたから、濡れずにすんだけど、家までの道筋では徒歩の人が気の毒なほどで、さらに道が川となっているから、歩いている人たちの靴には浸水、加えてクルマが通るたびに跳ね上げる水がまるで津波のよう。そして夕方にはまるで何もなかったかのように雨があがっていた。「アンタルヤの天気と娘たちは信用できない」昔の人たちは、無意味にこれらの言葉を言ったわけじゃないってこと・・・・!?
2006年02月08日
以下、トルコ観光局のページからです。1999年8月に20世紀最後の「皆既日食」が観測されたトルコにおいて、来年2006年3月29日、再び「皆既日食」観測のチャンスが到来いたします。 NASA(アメリカ航空宇宙局)は、皆既日食に関しての関連書籍において、トルコが最良の観測地点になっていることを公示しています。この皆既日食は、ブラジル、アフリカ、中東、およびアジアで観測出来る予定ですが、トルコにおいては南部の都市「アンタルヤ」(Antalya)周辺からトルコ北東部の黒海沿岸の町「ギレスン」周辺を横断いたします。トルコで14時前後に実現する皆既日食は、下記の各県(アンタルヤ、コンヤ、アクサライ、ネヴシェヒル、カラマン、カイセリ、クルシェヒル、ヨズガット、シワス、トカト、アマスヤ、オルドゥ、ギレスン)を通過し、約190キロの広範囲に渡り観測が可能です。現地時間 13:54に地中海沿岸部から観測が可能となり、太陽の動きとともに観測ポイントも北上、14:13に黒海沿岸に移動いたします。気候、気象条件の観点から、アンタルヤ海岸部分が最も容易に観測できることになります。是非、この機会に「皆既日食」という神秘の現象をご覧になられてはいかがでしょうか。皆様のトルコへのお越しを心よりお待ちいたしております。※トルコにおける皆既日食のスケジュール等の詳細については、下記サイトにてご確認ください。 http://www.eclipse2006.boun.edu.tr/eclipse_2006eng.html (英語)
2006年02月04日
今日のアンタルヤは温かかった。と、思ったら、東京も春の陽気だったそうで。村のアイシェのところへ、Rちゃんとアドナンと息子と行った。アイシェはドルマとチェルバを作って待っていた。夕べ夜勤だったお父さんも起きてきて、みんなで昼食。我が家の息子は村に来ると、とたんに食欲旺盛になる。普段は食べないトマトやきゅうりも自分から進んで食べる。おいしい空気と、みんなで食卓を囲む雰囲気が食べさせてくれるのだろう。Rちゃんは、今月末からアイシェのもとで村滞在しながら絨毯を織る。1平方mぐらいのものを予定している。約3週間の期間。今年はアイシェは薪ストーブを組まなかった。アンタルヤの冬が温かく過ぎてしまったせいだが、2月になれば温かくなるアンタルヤではあと少しの我慢。それに今日みたいな気候がであれば日中は全く問題ないし、日が落ちてからもガスストーブか電気ストーブがあれば部屋は暖まる。外のテラスにアイシェの織った絨毯たちを広げて、日向ぼっこ。太陽エネルギーを身体に充電した、って感じ。息子もクルマの心配のない家の前でボールを蹴ったり、近所の子と遊んで上機嫌。遊ばせておくにも心配ないので、親ものんびりできるし。お土産にアイシェお手製のユフカと、村で採れた果物をもらって帰宅した。9連休の最終日。
2006年01月15日
アンタルヤは温かい。とくに今年はありがたいほど温かい。アンタルヤで11年目の冬を迎えて、こんなに温かい冬は初めてかもしれないなどと思ってみる。今日も青空が広がっている。犠牲祭がらみの大型連休でトルコ人観光客もぼちぼち来始めているようだし、彼らにとてはラッキーなことだろう。トルコや日本の天気予報をテレビで見ていると、0度とか-○度とか、この時期それが普通なんだろうけど、私しゃ、昨晩などはサンダルで出かけてしまったほど(・・・っていつもサンダル履いているだろ、と突っ込みたくなるだろうけ・・・最近は靴履いていたもんね)。息子の保育園が月曜日も休みになり、結果9連休になってしまった。知っていたら、思い切って日本にでも行っても良かったんだけど、合間に中途半端に用事ができてしまったものだから、いまさらどこにも行けなくなってしまった。後半はアンタルヤ近郊どこかに遊びに出かけようかな・・・・。今日は犠牲祭の前夜祭で、明日は犠牲となる牛や羊、山羊たちが切られる日。数日は庭先や家庭内で焼肉か、天気がよければピクニックに出かけて焼肉をする家族連れを見ることができるだろう。トルコに親戚なしの母子家庭にはちょっと辛い光景だけど、普段の平安を考えたら、友人・知人はいてもいいけど、トルコ人の親戚はいらんかも・・・・。私たちは連休に入って、何をしているかというと、1日目はフィットネスに行き、家に戻ってから2キロ分の小麦粉と12個の卵でドーナツを山のように作り、作ったらそれで満足してしまい、できあがったものは食べるわけでもなく、友達におすそ分け。2日目は家の掃除をして、夜になったらカレイチのペリンのところに遊びにいった。ついでに夕飯をご馳走になって帰ってきた。3日目の今日は、朝から天気もよくて、どこかに遊びにいきたいところ。とりあえずフィットネスにこれから行って、午後は店に顔を出す。・・・・ってことで、じつは退屈しているんです。
2006年01月09日
アンタルヤ。寒いです。でも天気予報で他の地域を見ていると、いかに温かいかがよくわかる。最高気温が1桁台で10度を超えるところがほとんどないトルコで、アンタルヤ、ボドルムなど地中海、エーゲ海地域では15度前後。どんなにアンタルヤが寒いといっても、盆地で気温の低いコンヤ(今晩は-10度!?)や東部に比べたら、ここは天国だねえ、というのがあいさつ代わりの今日このごろ。なんでもトルコの観光の50%をアンタルヤだけで支えているって話。もちろんカレイチとかアンタルヤ市内だけでは無理で、近郊のホテルリゾートを併せてのことなんだろうけど。今日あたりから、ぼちぼち欧米からのクリスマス休暇の観光客の姿が見られるようになった。これから年末年始にかけて海外はもちろんなんだけど、トルコ国内の観光客が増える時期。アンタルヤって観光の点では寂れたといっても、まだまだトルコ人の憧れの地であることは変わりないのだなあ、と思う。アドナンも明日から1週間の休暇で旅行に出かけてしまう。私はホテルのフィットネスに行きつつ、店には一応行って、フセインとハムディおじちゃんと、あと社長(社長というあだ名の日本人男性)とTちゃん(が暇だったら)とオケイでもして日々を過ごすのか・・・。いっそ旅行でも、と思ったけど、どこもかしこも寒いし、行ったところで近場で村のアイシェのところに、顔を出すぐらい。仕事も年内分は今週がんばったから、なんとか型がついたし、仕事納めしちゃった。2005年もよく働いたこと・・・・(!?)。
2005年12月23日
数日前から雨が降ったり、やんだり。時々青空も見せるけど、不安定な天気になってきた。昨日、今日にかけてどしゃぶりはないけど、シトシト雨。気温は寒波の来た日本やアンタルヤ以北に比べたら、温暖なんだろうけど、急激な変化に身体がついていけない!?だいたい、私はコート類を持っていない。アンタルヤだから分厚いコートを着ることもない上に、クルマでしか移動しないから必要ない。クルマで移動ばかりしているから、身体がなまるのだけど、これだけはよかったと思えることがある。ひったくり、スリの類に遭遇しない、気を使いながら道を歩かなくてよい・・・ということ。トルコはスリや置き引き、ひったくり類の犯罪の少ない国だったし、数年前まではアンタルヤでもひったくりとかの心配が頭をよぎることもなかった。それぐらい確率が低かったと思う。ところが経済的に不安定になり、職がなかったり、お金が稼げなくなると、主に若者グループの軽犯罪が目立つようになった。カバンのひったくり、ケイタイ電話をすり取る。などなど。ケイタイはシステムの都合上、いままでみたいに盗んだところで売れなくなってしまったのだけど、それでも先日、友人が路上でケイタイをすり取られてしまった。周囲を見渡しても、カバンをひったくられたことのある人、ケイタイを盗まれたことのある人・・少なくない。私はそういう経験がないなあ・・・って思っていたけど、これはクルマで移動しているおかげなんだと改めて思った。だってドルムシュのなかですら、カバンを開けられることがあるらしい。でもクルマに乗っていても、私はぼおっとしているけど、トルコ人の友人たちはキーロックしろとうるさい。後部座席にカバンを置きっぱなしにしているから、停車中にドアをあけられて持っていかれたら追いかけようがないよ、ってことなんだけど、考えてみたら当たり前の警戒。私一人がトルコは安全な国だって思って、ぼおっとしているけど、ぼおっとしすぎて、一般的に注意しなくてはいけないことまで忘れてしまっている。実際、日本にいるときより、警戒しなさすぎである。なんて話がそれてしまったが、今朝は太陽が見えない。風呂の温水をソーラーシステムからガス湯沸かし器に変えなきゃなあ・・・って思っているところ。
2005年12月19日
アンタルヤで中期・長期滞在するための人に、アパートホテルというのがある。ホテルとの違いはなんだ、というと基本的には部屋にキッチンとキッチン用品があるかどうか、なんだけど、大きく二つのタイプがある。まず普通のペンションやホテルなんだけど、旅行者の長期滞在、トルコ人の学生さんや期間出稼ぎで来ている人に月貸しで貸しているタイプ。空いている部屋は普通に1泊からのお客さんにも貸す。もうひとつは普通のアパートに生活に必要な家具を置き、月貸ししているもの。家具付のアパートとどこが違うかというと、貸し方は不動産屋を通してということが多いので同じなんだけど、普通の家具付アパートより小ぶりで一人二人向けで、家賃も家具付アパートに比べたら安目。アンタルヤではララ方面とコンヤアルトゥ方面にそれぞれあって、どちらもたいした設備じゃないのに、ビーチリゾート目的の長期滞在外国人になれてしまっているせいか、家賃がえらく高くて驚いた。アンタルヤに滞在予定のお友達のために、ミフリ社長が路地1本1本入って調査してきた結果なんだけど、ずいぶん強気の商売で、しかも部屋は結構うまっている。コンヤアルトゥでそれほどきれいじゃなけど、一番マシかな、と思ったのが、2ベットルーム、サロン、台所、バス・トイレ、ベランダがついたタイプでエアコン、テレビ、冷蔵庫などがついていて、1~6か月の中期滞在だと1か月あたり約10万円。+電気代。10万5000円ってとこ。1年単位の滞在だと月約75000円+電気代。で約8万円。4人まで泊れるし、別にサロンのソファーで5人、6人泊ってもいいよ、ということなんだけど、家族で泊って、ようやく金額的に我慢できるかな、というところ。ベットのスプリングもいかれているし。1か月未満の通常宿泊だと1泊約8500円。冬場は6000円。4人までOK。朝食はなし。ララにも何軒かあって、こちらはピンキリ。安いところは電気代を含めて、1か月約50000円なんだけど、これははっきり言って汚い。泊っている人は出稼ぎ者が多く、我慢はできる程度だけど、たいていのことはOKの私でもちょっとダメかなあ・・・。なんて思っていたら、アンタルヤの中心部にある我が家から近いところですごくいいアパートホテルRを見つけた。上記の2地域は中心地までクルマで約20~30分かかる。ドルムシュだと小1時間かかる上に歩かなきゃ行けないし、夏ビーチだから、冬場は閑散とする。だいたいスーパーにいくのにドルムシュに乗らないと行けない。中心地のアパートホテルRは、ホテルとして十分きれいで、設備も新しかった。各部屋に換気扇付の台所があり、これも使っているの? ってぐらいきれい。エアコン、テレビ、冷蔵庫、ベットルーム2つ、ベットはしっかり固いマット。キッチン用品もきれいなものを設置してくれる。夏ならプールも使える。で、お値段は高いのだろうなあ・・・・と思っていたら、これがビックリであった。3日かけて周ったララもコンヤアルトゥのアパートホテルも、この時点で全てさようなら~。しかも普通は電気代は別、って言われるんだけど、ここは全て込み。一部屋に4人まで泊れるし、ときどきお客さんが泊りに来てもかまわないって。我が家から2通り向こう、歩いても5分ぐらいのところなんだけど、週末は泊りにきちゃおうかな、って感じ。これなら、へたに家具付のアパートを借りるより不動産手数料とか、家具への保証金もなく、ずっと経済的で、しかもタオルの交換や部屋の掃除はホテルがやってくれるというから、ラクでいい。アパートホテルの唯一の難点は部屋に洗濯機がないことなんだけど(家具付アパートだって家電製品は古いものが多くて、実際あっても壊れていたりするんだけど)、アンタルヤには洗濯屋さんというのがある。洗濯物を持っていくと、洗って干してアイロンをかけてくれ、1回いくらという料金である。小物はホテルの部屋で洗えるから、ジーンズとか大物はためて、洗濯屋さんに出せばいいわけである。お金を出せばホテルでも洗ってくれるしね。グループで借りると、完全団体ツアー料金。2部屋+サロン+キッチン+バス・トイレで、さらに設備が新しく、二人部屋でお一人様1泊約2000円。ビュフェ形式の朝食付き。カレイチのホテルはもちろん、あっさり系ペンションより安いんだよね。1泊2泊程度の旅行なら、もちろんカレイチが便利だし、雰囲気あると思うんだけど、滞在を目的に中期・長期になるなら、買い物にも便利で、中心にも徒歩圏内のこんなアパートホテルもおすすめ。ちなみに一般トルコ人家族と滞在するホームステイは、トメルでも紹介してくれるけど、月350ユーロ(約5万円)~。朝夕食は家族とご飯。実際に利用した人たちの話によると、家によってかなり差があるらしく、暖房設備が十分ない家や、共働きで食事がスナック食みたいになってしまう家庭もあるらしい。いい家族にあたれば、トルコ人の生活習慣などを十分楽しめて、料理も覚えられたりするから、おもしろいんだけどね。干渉されるのが嫌いな人、一人の時間が欲しい人にはちょっと無理かな。それにしてもトルコもずいぶん物価が上がったものだと思う。安い安いと思っていた宿泊費や食費ももう普通の国並。奥さんのお給料がまるまる子供の保育園代になるなんて、日本と変わらないんだよね。(保育園代は法定最低賃金より高い)。いったいこれからどうなるトルコ!?追記:turkuvazさんのコメントに思わずうなずいたけど、本当に以前は外貨換算するとすごく安かった。5年ぐらい前までは2LDKのアパートホテルや3LDKのアパートの家賃って、外貨で計算すると100ドル~130ドルぐらいだった。いまじゃ月300ドルの家を見つけるのは至難の業。それでもトルコ人にとっては当時から収入対する家賃の割合は変わっていないのかもしれないけど、トルコは安い、と思って移住してきた外国人には住みづらくなったと思う。ちなみに我が家が日本で借りている3DKの1軒家の家賃。月5千円です。
2005年11月19日
世の中が変わった、人が変わった・・・・って、朝、アドナンと話をした。というのも、断食月になって、こんなに周囲を気にしないで飲食できる自由、自由に飲食しているトルコ人たちの姿を見て思ったことなんだけど。私は実はカレイチっ子である。トルコ生活のほとんどをカレイチですごしてきた。不夜城の華やかな観光地時代から、観光業不振で店やペンションが次々と閉まったいった時期、ホテルや有名店の栄枯、夜中の酔っ払いの喧嘩、発砲事件、殺人事件まで・・・・見てきた。カレイチというのはアンタルヤの旧市街地で、城壁に囲まれた地域のこと。以前は普通の住宅があったらしいけど、今ではホテル、レストラン、ショップなどがあって、観光客が歩くところ。アンタルヤへ来て、ここで(しかも店を3回移転したけど同じ通りだし)商売して10年。そのうち住居もカレイチ内だった時期が6、7年ある。朝も昼も夜も夜中も・・・わずか10年の間だけど、カレイチの変貌を見てきた(つもり)。そのなかで断食月の10年前と今との差は、私の中では激しい。10年前、アンタルヤへ来たばかりのころ、断食月でも外国人観光客の多いカレイチではレストランは開いているし、外国人は自由に食事をしていた。それでもレストランではカーテンをかけ、外から食事する人が見えないように配慮していたし、断食月の間、閉店する店もあった。(もちろん今でも田舎や宗教色の強いところなどではそれが当たり前の地域もあるだろう)無宗教の私には誰も断食を強制しないし、好きなときに飲食はできた。でも、みんなの見えるところでは食べにくかったし、外を行き来する人でも手に食べ物や飲み物を持つ姿はほとんどなかった。食事をするときは、断食している人たちに見えないように、部屋のなかで食べたり、間違っても目の前に食べ物や飲み物をさらすこともなかった。それが2、3年経ったころから、カレイチを行き来する学生たちが手にハンバーガーやコーラを持って、外を臆せず歩く光景を見ることになった。世の中、変わったねえ・・・なんて驚いた。それから10年経った今年はどうだろう。私もアドナンも断食はしない。店で朝食のトーストとチャイを頼んで、運んできた人が「中に置く?外に置く?」って聞くから私の方が気を遣って「中にしようか」って聞くと、アドナンの返事は「外で構わないよ」。15年ぐらい前に(正確にはいつか忘れた)イスラム教徒になったはずの夫は、絵の個展(と、ついでにキリム展示会)のために単身赴任先の日本で豚肉でも食うことだろう・・・。店の階下のチャイ・ガーデンでは、断食月に入ったからお客は減るか、なんて思ったのは私だけで、若者たちが集まって、水タバコ、チャイ、コーラ。周囲の目はいっこうに気にしていない。(もちろんなんだけど、信仰は個人の心の中にあると思うし、トルコは政教分離の国だから、断食をするもしないも個人の自由で、断食しない人が責められたり、後ろめたい思いをするということは本来ないのである)チャイ屋のお兄さんも「断食している」らしかったけど、「明日からは断食しないよ」と、堂々と宣言。イベントとして初日と最終日だけやる人も多い。意味はないけど、イベントだから・・・・・って。気を遣うのは断食をしてそうな人には一応「断食していますか?」と聞いてから、飲み物をすすめたり、すすめなかったり。それぐらい。昨年も思ったけど、こんなに気を遣わなくていいのか・・・って。今年は本当に断食月をかんじない。これって何だか、日本で年末年始の慌しさ、忙しさ、スーパーが1週間ぐらい休みになるからと、買出しに行ったり、なんだか正月用品が高くていやになったり、それでもやたら高い紅白のかまぼこを買わなくちゃ、とあちらこちらと探しまわったり・・・・そんな興奮が、最近なくて、寂しいのと似ている・・・。台風の前には、川が氾濫して、停電して、断水するから・・・・と、雨戸に板を打ち付けたり、ろうそくを用意したり、水をくんでおいたり・・・っていう緊張感が最近ないけど、その感じ。時代の流れはトルコでも止められなくなっている。だんだん普通の国になっていく。おかげで私は今年も気も遣わないし、ラクしているけど。ここまでくると、私が断食でもしようかな、って思ってしまう。目の前にはモスクのミナレット。エザーンの声。アンタルヤの青い空・・・。お断り:実際に断食している人はたくさんいるはず。カレイチでも断食している人、たくさんいるはず。でも、していない人が普通にいるから、飲食することを隠さない人が増えたから、いつもと変わらない生活行動の人が増えたから、なんだかそんな風に思ってしまうのです・・・・・。
2005年10月05日
上の画像は昨年の絨毯畑の様子。大急ぎの出張行き帰り。アンタルヤへ戻り、村の絨毯畑をCさん、日本からアンタルヤへ着いたばかりのKさん母娘と見にいった。絨毯畑・・・・昨年の日記にも書いたと思うのだけど、トルコ各地の絨毯業者の依頼で、キリム、絨毯などを太陽に当てて、色を落ち着かせる作業を行う業者があるのだが、広い敷地にそれらを広げた様子がまるで絨毯の畑のようで、トルコでもそのままの言い方をする。2日前に大雨が降ったばかりで、行ったときはちょうど一度集めてビニールシートをかぶせた絨毯を広げなおしに、作業の人たちが集まってきているところだった。アンタルヤは夏の間、ほとんど雨が降らない。そのために絨毯畑に適しているわけであるが、今回のような雨が降った場合、天気を読んで事前に絨毯を片付けるのである。一部が広げられていたが、ほとんどが山と積まれている状態であった。これもめったに見れる光景でないから、かえっておもしろかった。画像もとってきたから、そのうち弊社のホームページに載せたいと。さてこの絨毯畑。見渡す限りの広さに絨毯が重ならないように敷かれて、6月中旬から今年は10月20日まで太陽の下にさらされる。画像では十分にお見せできないが、山すそまで続いている。枚数はトルコ最大規模で、ボドルムなどにも絨毯畑はあるが、規模が全く違う。ここではこの業者だけで40000枚から50000枚。見ていて驚く広さの土地に絨毯・キリム・・・・。それだけで楽しくなってしまう。(でも買えないのですけどね・・・・)それからアイシェの家に寄り、チャイだけのつもりが、昨夜焼いたというパンとオリーブ、トマト、いちじくジャム、チーズなどを出してくれて、簡単な食事になった。ほんとうにここにくると、何もしないで木陰で寝ていたくなる。夕方になる前にアンタルヤへ戻る。Cさんは夜の便でイスタンブルに戻り、そのまま乗り換えで帰国。ビールを一杯ずつ飲んで、お疲れ様。
2005年09月21日
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