まいくの続『ナースの森』(森ないや、ここには。。)

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原動力は怒 医療の向上を訴える


 地元テレビ局の報道カメラマンとして活躍する佐藤均さん(55)=出雲市小山町=は、がんとの闘病生活を続けながら、抗がん剤をはじめとする医療技術のレベルアップを各地で訴えている。死因の約3割を占め、毎年国内で約30万人が命を落とすがん。「命」を見つめる真剣なまなざしの向こうには、がん治療の現状への「怒」がある。【岩尾真宏】
 ◇副作用に苦しむ
 佐藤さんががん告知を受けたのは01年4月。知人の勧めでたまたま受けた大腸がん検診で見つかった。「ショックでしたね。家族のことが頭に浮かび、これからどうしたらいいのかと2~3日ふさぎこみました」。同年5月に、同市内の総合病院で切除手術。手術は成功したものの、抗がん剤投与という長い苦しみがスタートした。
 「とにかく吐き気、体のだるさがつらい。投与後2~3日は仕事もできなかった」。74キロあった体重も64キロに。「もう大丈夫かな」と思った02年5月、今度は肝臓へ転移。再手術したものの、昨年3月に再び肝臓に転移し、ラジオ波焼灼(しょうしゃく)療法で焼き切った。再発への不安がぬぐえぬころ、知人の女性から抗がん剤に詳しい東京の医師のことを聞き、足を運んだ。そこでの抗がん剤投与が、佐藤さんの人生を左右する。
 ◇治療への疑問
 「あって当たり前」と考えていた副作用。しかし、やり方によってはほとんど感じないことを身をもって体験した。「まるで別世界でしたね。以前の病院での投与時間は30分くらいでしたが、東京の病院は夜9時から朝6時までゆっくりと投与するんです。量も慎重に決められており、投与後すぐに駅の階段を上り下りしても全く平気でした」。治療の説明も患者が納得するまで行われる。新たながん治療との出合い。同時にそれは、これまでのがん治療へ疑問の目を向けるきっかけとなった。
 昨夏、全国のがん患者などでつくる「癌(がん)と共に生きる会」の会長に就任。抗がん剤など外科手術後の化学療法の不十分さ、欧米に比べ遅れている臨床腫瘍(しゅよう)医の育成、世界で多く使用されているがんの治療薬が日本では未承認となっている現状の改善など、患者の視点で、がん医療の向上を訴える。各地での講演会に加え、週に1度は抗がん剤投与のため上京。肉体だけでなく、経済的な負担も軽くない。「もう限界」。そんな言葉が口をつくこともある。それでも病身を押し、突き動かす原動力は「怒」。
 ◇家族に支えられ
 「『いい先生にめぐり会えたからよかった』なんて、がん患者の生命が運に左右されるのは許せない。誰もが質の高い医療を受ける権利があるはず」。佐藤さんらの動きに触発され、今年4月、島根大医学部に各科の垣根を越えて横断的にがん診療を行う腫瘍科が開設された。「まだまだ不満は残るけれど、まずは第一歩」と期待を込める。
 新たに両方の肺への転移が見つかるなど、がんとのつきあいはまだまだ続く。闘病の支えは家族。仕事中心で、家庭を顧みなかった生活も一変した。「いろいろ迷惑かけたけど、家族ってありがたいと思いましたね」。がんが見つかって3度目の春。今も変わらずカメラを担ぎ、取材現場を走り回る。ファインダーをのぞくその表情は、「生きる」ことへの優しさであふれていた。(毎日新聞)


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