おうち。。。

☆おしん



 山形の貧しい農家に生まれた少女・おしんが、明治・大正・昭和の激動の時代を背景に、さまざまな辛酸をなめながら女の生き方、家族のありようを模索しつつ必死に生きる姿を1年間にわたって描く。主人公のおしんを、小林綾子(7~10歳)、田中裕子(16~45歳)、乙羽信子(50~83歳)の3人がリレーで演じている。

 1年間の平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%(11月12日)という驚異的な数字を記録。一大ブームを巻き起こした。

 このドラマに、原作・脚本の橋田壽賀子と制作者たちは「高度経済成長の中で現代人が見失ってしまったものを提示し、問いかけよう」と意図したという。

 3回に分けて、『おしん』を紹介するが、まずは、そのストーリーを振り返る。全国の2人に1人は見た"国民的ドラマ"。その物語は、昭和58年、83歳になったおしんが、家を出て苦難の人生を振り返る旅から始まった。

   おしん 小林綾子         

第1週(4月4日)~第6週(5月14日)放送

 明治34年(1901年)、山形県最上川上流の小作農の父・作造(伊東四朗)、母・ふじ(泉ピン子)の三女として生まれたおしん(小林綾子)は、家が貧しく9人の大家族(祖母、両親、おしんを入れて6人の兄弟姉妹)の食事にも事欠く中、7歳の春、学校へ行けると喜んでいた矢先に、米1俵と引き換えに材木問屋へ子守り奉公に出される。


 そこで、おしんは早朝から夜遅くまで、満足な食事も与えられず働かされる。それでも、弱音を吐かずに耐えるおしんだったが、店の財布から50銭銀貨がなくなったことで、疑いをかけられたことに我慢できず、吹雪の中、飛び出してしまう。

 実家に帰ったものの、貧しい家にはおられず、今度は酒田の米問屋・加賀屋に奉公する。おしんの根性と辛抱する心を高く買った女当主・くに(長岡輝子)に可愛がられ、習字やそろばん、帳簿付け、生け花、茶の湯、行儀作法を教えられる。

   おしん 田中裕子         

第7週(5月16日)~第38週(12月28日)放送

 大正5年、山形・酒田。おしん(田中裕子)は16歳の春を迎えていた。ある日、おしんは農民運動で警察に追われている高倉浩太(渡瀬恒彦)を助けたことから、想いを寄せるようになる。しかし、浩太は加賀屋の娘・加代(東てる美)と駆け落ち同然に東京へ。


 傷心のおしんは、8年勤めた加賀屋を去って実家に帰るが、姉の薦めもあり、東京に出ることを選ぶ。浅草の髪結いの師匠・長谷川たか(渡辺美佐子)のもとでの修行は、3年間給金をもらえない下積み生活。だが、当時、女性が独り立ちできる職業だった。

「たとえ10年辛抱したってええっ!自分の思うように生ぎられる女子になりっでえんだっすッ!」

 そう叫ぶ、おしん。骨身を惜しまず働き、先輩を抜いて客のところに出向いて髪を結うまでになる。

 そんなおしんに好意を寄せたのは、佐賀の士族の出の豪農、田倉竜三(並木史朗)。おしんも20歳になっていた。過労で倒れたおしんを見舞い、気遣う竜三の求婚をおしんは承諾する。小作農の娘とは身分が違うという竜三の母・清(高森和子)の反対を押して、2人は祝言をあげる。結婚4年目には長男・雄も誕生。竜三とともに苦労しながら田倉商会の経営を軌道に乗せる。しかし、幸せは長く続かなかった。不況のうえ、工場完成祝賀会のまさにその日、関東大震災が起こり、竜三の商売は破たん。一家は、竜三の佐賀の実家へ身を寄せることになる。


 佐賀での生活は地獄だった。初めから結婚に反対していた姑は、勝手に一緒になった挙句の果てに無一文となって転がり込んだと、嫁のおしんにつらく当たる。それでも賢明につかえるおしんだったが、2年後、娘を死産して心身ともに傷つくと、夫を残し、長男を連れて東京へ帰り、さらに山形の実家に戻る。

 しかし、実家にも、もはやおしんの居場所はなく、酒田で一膳飯屋を出す。おしん25歳、大正14年のことである。

「しあわせなんて、ひとがくれるものじゃない。自分で見つけるものなんだ」

 その後、おしんは初恋の人・浩太の取り計らいで、三重県の伊勢に移り、魚の行商を始める。おしんの後を追ってきた竜三との関係も修復し、次男、次女も生まれて幸せな時期を過ごすが、それも戦争が踏み潰してしまう。

 昭和20年、津で大規模な空襲に襲われた翌日に長男・雄の戦死の報が届く。そして、軍の納入業者として羽振りの良かった夫の竜三も、敗戦のショックから「私の人生で一番素晴らしかったことは、おしんに巡り合えたことだ」と言い残し、8月15日、自ら命を絶ってしまう。おしんは、またもやゼロからやり直すことになってしまう。

   おしん 乙羽信子         

第39週(1月9日)~第50週(3月31日)

 おしん、激動の戦後が始まる。


 おしん(乙羽信子)は、裸一貫から魚の行商として再出発。戦後の混乱から高度経済成長の時代、おしんは必死に働き、生鮮食料品の店を出し、それを大きくする。

 そして、昭和42年の春。67歳になったおしんは20人の従業員を抱えるスーパー「たのくら」の経営者となっていた。実質的な経営は、次男の仁(高橋悦史)に任せていたが、仁は堅実な商売を続けようとするおしんの反対を押し切り、積極的なチェーン展開を行う。やがて、三重県下に16の店を持つ中堅スーパーに拡大。昭和58年、17店目が開店するその朝、83歳になったおしんは独りひそかに旅に出る。

「今まで夢中で生きてきた途中に、大事なものをたくさん忘れてきてしまった」

 故郷の山の中で静かにつぶやいたおしんは、生きた足跡を振り返えるように酒田、東京、佐賀、伊勢と歩き続ける。


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