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夏になると、海水浴が何よりの楽しみだった小学生の頃。海…といっても、泳ぐわけではなくて。ただ浮き輪を持ってプカプカ浮いているだけ。日本海は夏でも、ところどころ冷たい海水が入り込んでいて。突然足元が冷たくなって、びっくりすることが。ある日のこと。いつものように、浮き輪でプカプカ浮いていると。少し離れたところで、親子がキャーキャー言ってる。とんでもなく楽しそうだと思って見ていたらば。「助けて…。」ん?かすかだけど、そう聞こえたような。「ふざけてるんじゃないんだ。助けてくれえ。」はい?まさか、溺れてるんじゃ…。おおう。じゃれているのかと思ったら、違うんだ。慌てて、近くにいた大人の人に声を掛けて。何人かの人が集まってきた。浮き輪を投げて…手を繋ぎ合って長い列を作って…。必死でその親子を助けたのです。はあああ、びっくりした。経験のある方は、よくお分かりになると思いますが。海水浴場などでは、溺れている人が分からない。一見、遊んでいるように見えてしまうのですから…ちょっと怖いですね。それからというもの。海へ行く時は必ず浮き輪…というのが決まりになってしまったのです。
2009.07.17
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小学生の頃のお話。当時習っていたピアノの音楽教室では、年に一度大きなコンクールがあって。県大会・地区大会…と進んでいけば、全国大会に出場できるのです。そういうことには全く無欲だった私。なぜか運よく、県大会で入賞をいたしました。次なるは地区大会。近隣の県の方々が集まるわけですね。季節は冬。北国のことですから、寒いったら。指なんて動きゃあしないのよ。「どうすんのよ。」寒いうえに極度の緊張で、もう体はガタガタ震えだし。「無理無理。絶対無理。こんなんじゃ弾けないって。」そう思いながら、舞台袖で順番を待っていた私。無様な姿を見せるくらいなら、帰ってしまおうかとも思っていたその時。聴き慣れた曲が…。コンクールですから、同じ曲を何人も弾くわけですね。私が弾く予定の課題曲が流れてきて。不思議ですね。その曲を聴いた途端、体の震えがピタッと止まっちゃったんです。もう震えるどころか、スーッと落ち着いちゃって。結局、自分の番になった時には、すっかり自分のペース。緊張を解くきっかけって、どんなところに転がっているか分からない。じゃあもしかしたら、受験生は勉強をすると落ち着くのでしょうか。いやいやいやいや。そんな単純なことにはならないでしょう、いくらなんでも。結局、地区代表にはなれませんでしたが、入賞することはできました。でも、当の私ってば。すっかり諦めて、さっさと帰っちゃったものだから。代理の方がステージに上がって、賞状を貰ってくださったのだとか。まったく、いったいどこまで…。
2009.02.04
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小学生の頃。近所に住んでいた、ひとつ年上の女の子。家族ぐるみのお付き合いで、よく一緒に遊んだりしていたのですが…。ある日、お引越しをすることになってしまいました。何日も前から、ご近所の子供たちが集まって、お別れ会をしたり、お泊り会をしたり。これでもか、これでもか…というくらいに、別れを惜しんでおりました。別れを惜しんでいる間は、まだ楽しい。普段とは違って、かえって一緒にいる時間が長くなるのですから。それでも、お別れの日はやってくるのです。とうとう最後になった日。ご近所の子供たち、母親はみな、駅のホームまで見送りに。「またね。」「元気でね。」「手紙書くから。」「電話してね。」思い思いに、いろんなことを言って。いよいよ時間がなくなってきた頃。駅のホームの階段を、息を切らしながら駆けてくる人影が…。背中に小さな子供を背負って、髪を振り乱して、階段をダダダダダンと。ひとりの女性でした。よく見ると、引っ越していく友達の担任の先生。「よ、よかった。間に合って。」えーっ。子供を背負って、この先生走ってきたんだ。私が驚いたのには、理由がありました。ひとつ上の学年の担任だったその先生。学校では滅多に笑わなくて、とっても厳しくて、近寄りがたい、いわゆる“怖い先生”だったのです。その先生が、今まさに目の前で、泣きじゃくりながら、友達の手をとってお別れの言葉を。それまでは平気だった彼女も、涙をポロポロ流して、先生の言葉にただただ頷いて。私はただ呆然と、その様子を眺めていました。翌々日。学校はいつものようにあって、先生もいつものように厳しくて。でももう、私の中ではその先生、“怖い先生”ではなかった。相変わらず笑わないけどね、厳しいけどね、でももう…。
2008.09.19
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私が通っていた小学校は、徒歩で30分のところにありました。…といっても、人里離れたところにあったわけではなく。ただ単に私の家が、隣町との境界線に近いところにあった…というだけの事なのですが。なので、隣の町の小学校までは徒歩で10分という、おかしな環境に。夏休みになると、小学校のプールは生徒に開放され、誰でも自由にプールを使うことができます。プール大好きな私。当然毎日、学校へ通います。片道30分歩いて…。…なわけは、ありません。本当は禁止されていた自転車に乗って。だって炎天下、30分も歩いていたら、熱中症になってしまいますわよ。朝行って、お昼帰ってきて、ご飯食べてる間に水着を乾かして、そしてまた午後行く。…という生活を、夏休みの間、毎日繰り返していたのです。そして夏休みが終わると、小学校では毎年、日焼けコンクールが行われ。「はい、あなたが優勝です。」ええ、ええ。そうでしょうとも。毎年私が、学年の優勝者になるのです。なんだか嬉しいような、嬉しくないような。それって、よくぞ毎日遊んでくれました…みたいな賞ですよね。うーん。幼心に、ちょっと複雑な思い。でも、当時はそうやって褒められる対象になっていた日焼け。最近では、とっても良くないことになってます。先日、脳外科(なぜ脳外科?)のお医者様に聞いたお話。「私は2月以外は、毎日日焼け止めを塗ってます。」「え、冬もですか…。」「そうです。紫外線はよくないです。」ああ、そうなのですか。そういえば、肌の美しさは、20歳までにどれだけ紫外線を浴びたかで決まる…という話も聞きました。が、がーん。完全にアウトです。もうちょっと大人しい小学生だったら良かった…。賞状よりも、美肌が欲しい。
2008.07.21
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まだ小学生だったある日のこと。家族プラス親戚数名で、ドライブがてら、丘陵の上にある展望台へと行きました。よく覚えていませんが、紅葉の頃だったかもしれません。展望台から見える遠くの景色を楽しんで、さあ帰ろうと思ったその時。「あ…。」「あ…???」振り返ると、ひとりのおじさんが…。手には一台のテレビカメラ。よくよく見ると、カメラには「NH○」という文字が。「なんでしょう。」「あの…もう一度今の感じで景色を見てもらえませんか。」「は?」よくよく聞くと、そのおじさん、ニュースに使えそうな映像を撮っているらしく。丁度私たちが、わいわいやっているところを、ビデオに収めようとした時に、帰り支度をされてしまったと…。「しょうがないわねえ。」「えっ。」なに言ってんの、この人。もう恥ずかしいから、帰りましょうよ。そんな私の気持ちが、届くわけもなく…。母の号令で、皆しぶしぶ元の位置に。「こう、さっきのように、指差してもらえますか。」「は?…それって、偽造…。」バコって、母に頭を叩かれて、仕方なく遠くを指差す私。これって、かなり恥ずかしいことのように思えるんですけど…。なんかみんな、固まってるし。不自然だって、不自然。「はい、ありがとうございました。」頭を下げて帰ろうとするおじさんを、慌てて捕まえた母。「あの、何時のニュースに出るんでしょう。」ぎゃー、止めて。何ちゅうこと聞くの、あなたは。「多分、夕方になると思います。」当然夕方は、全員テレビの前に座ることに。ニュースが始まって…しばらく経ったころ。「あ、映ってるし。」うーん。さすが、プロです。映像が美しい。それなのに…。それなのに私たちときたら、まるで写真撮影のように、微動だにしませんこと。きっと他に、いい映像が見付からなかったのね。満足げにニュースを見ている母を横目に、そう思ってしまった私なのでした。
2008.07.12
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小学生の頃、私はご近所の方に茶道を習っていました。きっかけは、5歳年上の姉。彼女のお稽古に付いて行ってて、そのまま居座ってしまったのです。ある日のこと。そろばん塾から、お腹を空かせて帰ると、母が言いました。「ただいま。お腹空いたあ。」「あ、お帰り。待ってたのよ。」「は?」「すぐ、お茶の先生のところへ行って。」「はい?」なんでも人数が足りないから、すぐ来て欲しいと電話があったらしく…。「へ?…ご飯は、ご飯。」「そんな暇ないから。帰ってからにして。」「うそ…。」茶道には、いろんな形のお点前がありますが、その中に『花月』というゲームのようなお点前があります。これはある一定の人数が揃わないと出来ないので、人数が足りないときは、近くに住んでる私が呼び出されることになるのです。諦めるってことはないのでしょうか、彼女たちには。何も小学生の私を呼び出すことはないでしょうに。ブチブチ言いながらも、結局行ってしまうのね、私ったら…。「こんばんは。」「まあ、待ってたわ。早く、早く。」はいはい。待っていたのは、かなり年上のお姉さま方。それにしても、随分楽しそうですこと。「あなたのお陰で、今日は楽しかったわ。またお願いね。」「は、はい。」また…ですか。できれば、私の都合のいい日に。…なんてこと、通用しそうもありません。「また、ご連絡ください。」にっこり笑って、思わずそう言ってしまいました。よろしいんですよ。みなさまに罪はございませんわ。問題は、勝手に私のマネージメントをする、あの母親のほうなのですから…。
2008.06.27
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小学生の頃。男の子のように活発だった私。階段なんて、2段、3段飛ばしで下りていくのは当たり前。幸い、通っていた小学校の階段は幅が広くて、あまり危ない目に会ったことはありませんでした。ある日の放課後。何かの用事で帰りが遅くなって…。誰もいなくなった階段を、ひょいひょい調子に乗って下りていきます。手には書道の道具。背中には、当然ランドセル。…と、つい足を踏み外してしまいました。ズドドドド…。ちょうど真ん中あたりから、1番下まで落ちてしまった私。お尻から落ちればよかったのです…たぶん。運悪く頭から落ちて、思いっきり顎を打ってしまいました。「いったーい。」落ちてすぐは、どこが痛いのか分からない状態。でも、体のどこかが痛い。しばらくボーッとしていると、先生が通りかかります。「あら、危ないわよ。気をつけなさい。」「はーい。」ひとことそう言って、行ってしまわれたということは、きっと外傷などないのでしょう。でも…どこかが痛いんだけど。なんだかよく分からないまま、どっこいしょと腰を上げます。ん?この鉄臭い感じは…。舌でそっと触ってみると。「痛っ。」あーあ、唇が切れてるし。そう思いながら、踊り場にかけてある鏡を覗き込みました。「ええっ。嘘でしょ…。」驚きました。犬歯が、ポッキリ折れているのです。なんとなく自分のチャームポイントにしていた、八重歯が…。見事に半分でなくなっていました。……。言葉もなく、鏡の中を見つめる私。「ところで、なくなった歯はどこ?」あたりを見回しましたが、どこにもなく…。はっ。そういえば、さっき何か飲み込んだよね。小さな塊を、ゴクって…。ええーっ。あまりにもショックです。自分の歯を、飲み込んでしまうなんて。それ以来、私の犬歯は半分のまま。にっこり笑っても、全然可愛くない人を見かけたら、それはきっと私です。
2008.06.17
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小学生の頃の友人に、バニラアイスが好きな子がいました。○ー○○○ッ○のような、高級バニラアイスではありません。どこにでも売っている、カップに入った普通のバニラアイスです。そうそう、あの木の平べったいスプーンで食べるアイス。でもね、少ーし食べ方が変わっていたんですよ。「蓋に付いたアイスって、食べる?」「うん。もったいないから食べる。」「よねー。」なんて言いながら、彼女とバニラアイスを食べていたある日。「あれ…アイス食べないの?」「うん。もうちょっと待っとく。」「ふーん。」アイスが好きだと言っていた彼女。すぐ食べちゃうのかと思っていたら、なかなか食べようとしません。「溶けちゃうよ。」「いいの。」夏の暑い日。カップアイスなんて、あっという間に柔らかくなってしまいそうで、私は少し心配になりました。「もうそろそろ、いいかな。」「…え?」驚きました。彼女、いきなりスプーンを手に持ったかと思うと、すごい勢いでカップの中のアイスを、かき混ぜ始めたのです。当然アイスは、ゆるゆる状態に。ソフトクリームより少し柔らかいぐらいでしょうか。「美味しい。これくらいの柔らかさが、一番美味しいのよねぇ。」「ふーん…。」あっけにとられながらも、彼女の満足げな顔に見とれてしまった私。確かに私も、アイスのガチガチに固まった部分よりも、その周りの少し溶け出した部分の方が、好きではありますが…。そういう部分を、人工的に作り出そうとは、思いもしませんでした。バニラアイスを見る度に、その時の彼女のことを思い出していた頃。“ス○バ”で、すごいものを見つけてしまいました。その名も「バニラクリームフラペチーノ」。ソフトクリームを少し柔らかくして、カップに入れたような飲み物。まさしく、彼女が作っていたバニラアイスそのものです。ひとくち飲んで、懐かしい昔を思い出してしまったのは、私だけなのでしょうか…。
2008.03.19
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小学生のころ…私には忘れられない思い出があります。あれは小学校5年生のとき。掃除の時間。私の当番になっていたのは、教室の廊下。モップを使って、つるつるの廊下掃除をしていました。隣のクラスは、6年生。担任の先生は、以前私の姉の担任をされていた男性教師。まんざら、知らない先生ではありません。普段はやさしいのですが、怒るとちょっと怖い。その先生が、6年生の教室から顔を出して、何故か私がモップがけしているのを、じっとご覧になっていたのです。緊張する私。モップがけが終わって、教室に入ろうとしたとき、後ろから声をかけられました。「おいおい。」「はい。」「おまえのモップがけは、なんか変だな。」「へ?」いきなり言われて、驚いてしまいました。私はきちんと、それこそきちんときちんと、隣のクラスとの境目を綺麗に直線で分けて、隅から隅までモップがけをしたつもり。…どうもそれが、先生には気になられたご様子。私の持っていたモップを手にとって、こうおっしゃいました。「廊下の掃除をするときはなあ…。」「ふむふむ。」「こうやって、こうやってするんだよ。」そう言いながら、隣のクラスまで大きくはみ出して、モップがけをなさる先生。「あ…。」先生がおっしゃったことは当たり前のことだと思われるかもしれませんが、当時の私には目から鱗でした。隣のクラスに介入してはいけないのではないかと、相当気を使って掃除をしていた私。根本から間違っていたのですね。何気ない出来事でしたが、まだ幼かった私には衝撃的な出来事でした。教えてくださった先生は、一瞬にして私の中で、“尊敬する先生”になってしまいました。…ですが残念なことに、その先生、それから何年か経って、亡くなられてしまったのです。癌でした。たくさんの生徒に慕われていた先生でした。一生の中で、心に残る先生に出会うことって、いったいどれくらいあるのでしょう…。忘れられない思い出です。
2008.03.13
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