かえりみち

かえりみち

四日目


塩狩駅

北出羽の国から 2005・厳冬
~最果てから見た日本・四日目~

北出羽の国から・初日 に戻る。

★稚内
この日の朝は南稚内駅のあたりで目が覚めた。
一気に朝起きると興奮した。
「最果ての地にいよいよ行くのか・・・」
稚内駅に降りると、そこはもう北緯45度を越えていた。
寒さが違う。日本という感じではない。
早速、恒例の下車印を押してもらい記念入場券を購入。

最北端の駅
↑日本最北端の駅「稚内駅」(北海道稚内市)

早朝の稚内
↑夜行を降りてもまだ暗い(北海道稚内市)

朝の稚内へと繰り出した。セイコーマートで朝食を購入。
宗谷バスの営業所で「宗谷岬」までの往復乗車券を購入。
実のことをいうと往復で買ったほうが安い。(多少だが・・・)

最北端のレール
↑暇だったのでちょっくら散策(最北端のレール)

8時30分。宗谷岬へ向けてバスは出発。
稚内市街を抜け、サロベツ地方の台地を抜け、50分もかけて宗谷岬についた。

★宗谷岬
風が非常に強い。北風だ。
突然、暗かった天気が明るくなり遠く島影が見えた。
サハリンである。
日本名で言うと樺太。第二次大戦末期までは多くの日本人がいた。

最北端
↑旅人たちは一路にここを目指す(北海道宗谷岬)

最北端の公衆電話
↑正真正銘、最北端の公衆電話(北海道宗谷岬)

旅行から帰ったあと、一番感動した場所は?と聞かれた。
勿論。この宗谷岬が一番心に残っているのだが、あまりにも光景に酔いしれ、
なんと言っていいか分からない複雑な気持ちである。

遠く樺太
↑宗谷海峡を眺めて・・・・(北海道宗谷岬突端より)

したがって、ここでも書くことはほとんどない。

★最北端の駅「稚内」??
稚内に戻り、普通列車で名寄に向かうことにした。
ところで。稚内駅は前項でも述べたように最北端の駅である。
しかし、稚内駅の駅名票を見ると・・・・。

コルサコフ

至・コルサコフとなっている。
稚内にとって旭川市まで400キロもあるが、樺太までは42キロしかない。
しかも、利尻島や礼文島へも船が出ている。

私が思うに「稚内」というのは旅の終着駅であるような気がするが、
実は旅の終わりではなく旅の始まりであると思う。
この最果ての地よりも先には人がいて、文化がある。
そう。「稚内」からは何万通りもの旅が待っているのだ・・・。

★宗谷本線を南下
さて。宗谷本線を南下しよう。
車窓右手に日本海を眺める。昨日とはうってかわり黒々しい。

日本海遠望
↑日本海を遠望(北海道幌延町)

豊富。幌延と上って音威子府に着くと雪深かった。
稚内駅を出発してから4時間。
やっと名寄に到着した。

★名寄にて。
「ご乗車お疲れ様でした。名寄です・・・」
名寄(なよろ)は道北の拠点である。稚内と旭川のほぼ間。
かつては深名線。名寄本線が宗谷本線と交差し繁栄したという。

名寄駅
↑名寄駅内(北海道名寄市)

北海道の中でもかなりの豪雪地帯で寒い。
さっそく街中を散策。

名寄の木
↑名よせの木(北海道名寄市内)

メインストーリート「名よせ通り」を歩いて、いろいろ買い物。
駅に戻る途中「名よせの木」を発見した。
しばらくしてから旭川行き普通列車に乗って名寄を後にした。

★塩狩峠
三浦綾子の小説「塩狩峠」でもお馴染の「塩狩駅」を訪れることにした。
塩狩とは「天塩」と「石狩」の国境という意味である。
峠は天塩側の和寒町にある。
駅に降り立つとなんともいえない気持ちになった。
「ここが塩狩か・・・・。」

とりあえず塩狩温泉に浸かることにした。
塩気の多い温泉だと思った。
かの三浦綾子さんも「塩狩峠」の編纂にあたるためここの40日も滞在したという。
風呂から上がって駅に戻った。

塩狩路
↑塩狩峠山頂部(北海道和寒町塩狩駅)

そう。まさしくこの現場で永野政雄さんは殉職した。
暴走した汽車を止めるために・・・・。
駅には永野さんに思いを馳せる詩が掲載されていた。
私も小説に思いを馳せつつ目を瞑った。

★宗谷本線ミステリー
いったん、コインロッカーの荷物を持ち帰るため名寄に戻ることにした。
これより先は画像でお楽しみください。

塩狩峠

剣淵駅

士別駅

★札幌へ
道北は思っていたより、いいところだった。
きっと私は一生忘れない。宗谷岬。塩狩峠。
明日はきっと北見にいるだろう。
夜行オホーツクでいざ・・・。

北出羽の国から・五日目 に続く。



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