ほの.かな.日々~Glueckliche Tage mit Honorin&Kanapon~

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妊娠発覚~妊娠初期



自分の人生設計において、
「結婚」という二文字が、ボコッと抜けていた。
片親だったからというのが最大の理由。
夫が居なくても別段悲愴感の無い母を見ていたせい。

子供の頃から、私は結婚しない、出来ない人だと思い込んでいた。
‥というのは、普通の結婚生活というものが、どうにも想像出来なかったし、
結婚しなくても母の様に明るく生きられると思っていたのだ。
未来予想図が全く描けない、オーバーだが漂流しながら生きてる感じだった。

でも、思わぬ結婚をしてしまった。それはとても幸せなものだった。
するとパーッと、未来予想図、というか願望図が浮かび上がった。
子どもが欲しい!と思った。すぐに授かる気がしていた。

【妊娠発覚:2002年10月】

しかしすぐには授からず、生理が来る度にがっかりする日々だった。
この頃、学生時代からずっと受け続けていたピアノのオーディションに
向けて、夏から猛練習をしていた。年齢制限で最後のチャンスだった。

そしていざ、申込みの時期になった時、検査薬が陽性を示した。
主人と二人、抱き合って喜んだ。
これでピアノももっと頑張れる!そう思っていた。

しかし妊娠したはずなのに出血が続いていた。
不安に駆られ、受診予定日を待たず産科へ駆込んだ。
「切迫流産の疑いがあります」との事‥
「流産」の言葉に涙が止まらなかった。

入院まではいいが、とにかく安静に、と仰せ付けられ、
発表会間近のピアノ教室も休み、オーディションも
ピアノの恩師の「もう1人の体ではない、オーディションはまた機会が来る」
との説得に断念を決意した。

この時感じた事は、オーディション断念の無念さではなく、
やっと授かった小さな命が危ないことへの不安と悲しみだった。

1週間、とにかく寝ていた。家事は全て主人が引受けてくれた。
「いくら安静にしていても、赤ちゃんの遺伝子によるものなので、
 だめな時はだめなんです」という医師の言葉が余計不安にさせる。
がんばって、わが子!と祈るしか無かった。

そしてだんだん出血も治まり、次の受診で無事、赤ちゃんの心音が
確認出来、やっと「おめでとうございます」の言葉をかけてもらえた。
嬉しくて涙が出た。よくがんばったね、赤ちゃん!


【妊娠初期:2002年11月~2003年1月】

安静解除でホッとしたのも束の間、ピアノ教室の発表会が目前に
迫っていた。自分で開いている教室なので、私がやるしかなく、
何も準備が進んでいなかった。

が、さすがに前の様に動き回れるはずも無く、生徒のお母様方が
大変協力して下さった。私の実家、友人も当日手伝いに来てくれ、
生徒達も、つわりで気持ち悪がる先生を気遣いながら
がんばってくれ、盛況の内に終える事が出来た。

その発表会で、最後に私が講師演奏をした。
モーツァルトの「きらきら星変奏曲」‥お腹の子に聴かせるべく
心を込めて弾いた。少しだけ、子供と交信?した様な気がした。
ママを応援してくれたのかな。

そして年末。気が抜けたと同時にダルさが押し寄せてきた。
主人と二人で過ごす年末年始も当分無いんだな~
‥って、これからのイベント?は全部そうじゃん!
と思うと、ちょっと複雑だった。(^^;

つわりはあまりひどくなく、お腹が空くと気持ち悪くなる程度。
あとはひたすら眠かった。胸がどんどん大きくなり、
左の股関節痛、瀕尿、便秘はこの頃からもうあった。

1ヶ月に1度、検診で撮ってもらう超音波写真が楽しみだった。
この頃まるで「クリオネ」みたいで、本当に可愛かった。
「豆太」と名付け、眺めていた。

生徒達のレッスンは、変わらぬペース(月4回、週3日)でやっていたが、
体がきつくなってきたので、隔週(月2回、週3日)に半減させてもらった。
余裕が出たのと安定期に入ったので、気分が軽くなった。


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