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2020年6月20日 土曜曜日 自宅に、高橋均様からご自身の著書「競争か連帯か 協同組合と労働組合の歴史と可能性」旬報社刊が送られてきました。帯には「分断と孤立を蔓延された市場万能経済を創りかえるために!」「社会のありようを一変させたコロナ禍は、四半世紀にわたって過度に強調されてきた自己責任者会から人間どうしが支え合う連帯社会へ、大きく転換させるチャンスでもある。労働組合と協同組合の果たすべき役割はますます重くなってくる」協同組合の歴史や労働金庫、信用金庫、全労済、県民共済、農協や生協まで、創立から今日までの軌跡をこれだけ公平公正に書かれている著書は珍しい。どうしてもイデオロギーが歴史を広く捉えることなく、セクト主義で描きがちな世界だからである。山形県米沢市出身者の平田東助は、明治に国務大臣として協同組合を法制化してきた。同じ出身者の河上清は、数少ない日本の社会主義協会の設立に関わっているジャーナリストだった。早稲田大学生協から労働金庫へ移籍した杉本時哉は、大学生協を核に民青を利用して市民生協を共産党の活動拠点化を図った。晩年はよく米沢に来られたものだ。戦前の消費組合は木村武雄元帥の弟が米沢で、農民運動から関誠一が福島消費組合を創設した。米沢はある意味では、そのような協同組合や革新運動の巨人を生み出した土壌の地でもある。高橋均様の著書は、協同組合運動の歴史を学び、SDGsをどう生活に根ざすかを学ぶ上で貴重な教科書になると期待できる。楽しみだ。https://www.amazon.co.jp/%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%81%8B%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%81%8B%E2%80%95%E2%80%95%E5%8D%94%E5%90%8C%E7%B5%84%E5%90%88%E3%81%A8%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7-%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%9D%87/dp/484511643X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%81%8B%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%81%8B+%E5%8D%94%E5%90%8C%E7%B5%84%E5%90%88%E3%81%A8&qid=1592658219&sr=8-1
2020年06月20日
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東日本大震災明日のNHK「クローズアップ現代」に結いのきが?3月28日月曜日午後8時からNHK「クローズアップ現代」で米沢市や結いのきを背景に災害ボランティア吉椿さんを紹介。ぜひご覧ください。意外にしられていない「被災地災害援助」を目的としたNGOやNPO、そして石けん派生活協同組合同士の連帯。この東日本大震災ではいち早く神戸のNPO2団体が動きました。そして多くの災害援助ボランティアが山形県米沢市のグループホーム結いのきを本部に活動を展開しまた。その一端を被災地NGO協働センター 吉椿雅道さんの行動を追って、災害援助ボランティアのあり方を紹介する番組です。米沢市民も多く登場します。ボランティアとは何かを考える番組になることを期待しています。ぜひ、ごらんください。
2011年03月27日
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~心暖まるおせち料理を食べてみました~●安全な食材と調理を吟味第1004回 2008年1月2日~心暖まるおせち料理を食べてみました~●安全な食材と調理を吟味 喪中につき年始のご挨拶をご遠慮申し上げます。 祖母がなくなってからは本格的なおせち料理が食べられなくなりました。 いつものように年末も高木ママ(私の親代わり)から数点頂戴してきましたが。 今年はおせち料理が生活クラブやまがたから届きました。 三段重ねの本格的なおせちです。 食べてみるとクセのない味で市販品とはぜんぜん違い美味しいかったです。 説明を読むと遺伝子組み換えの原料は使っていないし添加物もない。 色は派手ではないが海老や自然な食材の色がはなやかに見える。数の子も本物だ。 祖母の味より少し薄いのは都会の味だからろう。 なんだか心が暖かくなるおせち料理との出合いでした。■(文中の敬称を略させていただきました)~心暖まるおせち料理を食べてみました~ ●安全な食材と調理を吟味つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第54回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2008年01月02日
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~厳しさを増す介護業界~●研修交流会に参加第994回 2007年12月12日~厳しさを増す介護業界~●研修交流会に参加 今日は朝から山形市のウェルサンピア山形に出掛けました。 介護労働安定センター山形支部主催による「賛助会員交流会」に参加するためです。 県内各地から約50名の参加者でした。 グループ討議では「厳しさを増す介護業界に求められる将来像」のテーマで参加者が5グループに分かれて話し合いを行いました。 特定非営利活動法人、社会福祉法人、医療法事、有限会社、生活協同組合の法人の違いはあっても、経営者や人事管理職のメンバーなので問題点や悩みは共有できることが多かったです。 どの事業所も人員確保が間に合わないために、多少人事計画とは違う人物であっても受け入れていこと。 介護保険事業であるために資格優先になり、実力がなかったり、機嫌が悪い人でも目をつぶって採用していることなどの悩みは多々ありました。 その割には事業がたいへんで、福祉事業が儲かると思ったら大間違い。 利益がでているのは非営利の社会福祉法人という変な業界であることなどが話されました。 私は、職員採用時には、いままでいたところの悪口を言う人は採用しないことを述べました。 するとみなさんはそんなことを言っていたら人員が確保できない。例え雑巾が絞れなくても、掃除機がかけられなくても採用していると言われて、ビックリしました。 みなさんは「地域に根ざした事業を目指す」と言われましたが、私は「人に根ざした福祉を目指す」と言いました。 また、素人の感覚を持っているプロ集団と、素人だけれど専門家のような実力を持ったボランティア集団を作りたいと申し上げました。 いろんな事業者が集まり、それぞれの個性が光って見えた交流会でした。 2007年12月12日 水曜 記 ■~厳しさを増す介護業界~ ●研修交流会に参加つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第51回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 07年12月12日 水曜第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年12月12日
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~結いのき物語~●山形新書で発売第993回 2007年12月10日~結いのき物語~●山形新書で発売 私が地元の月刊誌で3年間連載をしていた「『結いのき』物語」が新書版で発売されました。 自分たちの入りたいホームを作ろうと立ち上がった市民たちの軌跡を劇作家相澤嘉久治さんのインタビューによるお話しました。 毎月、米沢市のグループホーム結いのきや東京第一ホテル米沢、山形市のホテルキャッスルで行われた対談でした。 高齢者福祉をとおして、自治体とは、家族とは、そして専門家とは何かを問う3年間の対談でした。 小島八郎さんと今野敏子さんや鈴木チヨ子さんら多くのの勇気ある市民参加型の街づくりを試みる生活クラブやまがた生活協同組合の組合員活動の記録でもあります。 自治体、福祉、生協、NPOに関心のある方やない方にもお薦めいたします。 ひとりでも多くのみなさんにお読みいただければうれしいです。 注文は全国の書店にどうぞ! 書名:「結いのき」物語 著書:井上 肇 発売元:(株)いちい書房 定価:1000円(本体952円+税) ISBN978-4-900424-65-4 お急ぎの方は いちい書房 電話03-3585-9888 ファックス03-3560-2047 ■~結いのき物語~ ●山形新書で発売つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第51回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年12月10日
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結いのきの2周年記念日第823回 2月1日 今日はグループホーム「結いのき」開所2周年の記念すべき日です。 この2周年に先立ち昨日の1月31日に「グループホーム結いのきを支える会 ボランティア意見交換会」が開かれました。 当日参加した22名のボランティアは、結いのきに対して多種多様の関わりあい方をしています。 料理の補助や行事に学習など入居者のお役に立つようにと、それぞれの得意分野での関わり合いをされています。 ボランティアの経験が豊富になるほど、「入居者にとっての行事や学習のあり方」を研究工夫しいるご苦労がお話の中からうかがえました。 市民参加型福祉活動の拠点としての結いのきは入居者の方々と共に、福祉の枠を超えた生涯教育の分野になっています。生きた社会教育が模索できる場になっているようです。そう、このグループホームのそれぞれのユニットが隣組になっており、地域になっている、そんな感じがします。「老夫婦が入れる施設やアパートを建設して欲しい」「ボケなくても利用できる施設を作れないか」 などの意見も出されました。特にいまの班会や地区での話し合いの中で要望が出されているそうです。この大雪にうんざりしているからでしょうね。 介護保険制度の変更の学習も行い、次の活動と事業展開を話し合う準備に入る中で検討しようということになりました。 この日は支える会から2周年記念のお饅頭が入居者と職員に配られました。いつまでも元気で落ち着いた日々がおくられることを願って、また3年目に入るところです。 2006年2月7日記グループホーム結いのきのホームページhttp://www.yuinoki.com/index.html
2006年02月01日
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大雪と共同購入第821回 1月30日 都市生活コミュニティセンターの事務局のお二人は最後のボランティアと視察です。 今日は生活クラブやまがた生活協同組合の共同購入のトラックに同乗してもらい、雪国の共同購入を体験してもらいながら、組合員の雪の生活を見ていただきました。 生活クラブやまがた米沢支部の組合員の半分以上は働いていない「年金生活者」です。その予備軍を入れればゆうに70%近いのではないかと思われます。そのような状況下にこの大雪です。組合員の生活はたいへんな苦しみにもがいています。特に高齢者の一人や二人暮しの雪の中の生活はたいへんです。掃いても、掃いても積もる雪に家は埋もれてしまいます。悲痛な叫びで「助けてください」と叫びたい気持ちではないかと想像しています。 灯油を貯蔵しているホームタンクとプロパンガスも雪の中に埋もれて危険な状態です。人力ではどうしようもないので、建設業者に依頼して重機によって雪を退かすしかないです。 池田さんたちが米沢にいる間は晴天だったので、吹雪や雪の降る中の作業はありませんでしたが、私たちは悪天候の中でも積雪量に応じて屋根に上り雪を下ろし、道や家の周辺の雪片付けをしなければ、この地には住めないのです。 このような状態でも、共同購入は配達をします。組合員はそれを待っています。私が配達している時は道路条件が悪かったのでスノーボートをトラックに載せていました。そして路地や雪の多いところはスノーボートに配達物を移して運んでいました。 特に班長や当番のところは自宅に届くので便利です。 今日も朝から雪が降っています。いつ止むともわからないこの大雪に今日も共同購入のトラックは走っています。生協都市生活の職員のみなさんにも、この雪の配達を経験していただきたいものです。都市生活コミュニティセンターのご協力に感謝申し上げ、ぜひ「除雪隊」の組織をツアーでお願いしたいものです。 2006年2月4日記
2006年01月30日
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今日の出来事第817回 1月26日 午前中から理事会がありました。それが終るとお世話になっている出版社の事務所移転祝賀会に参加するために上京に。しかし、打ち合わせの時間が長引き、予定の新幹線を1本遅らせての上京となりました。 その祝賀会のあったかいこと……くわしくは次回で報告します。 2006年1月31日記
2006年01月26日
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利用する側の発想第814回 1月23日 今日は尾花沢市から10名の民生委員がグループホーム「結いのき」を見学にいらっしゃいました。 設立の主旨やたくろう所からグループホームを立ち上げるまでの話の中で、質疑が繰り返されました。 民生委員の経験者らしい専門的な質問が多く、答える方も緊張しました。 民生委員のみなさんは「設立も運営も発想が(一般の施設と)逆なんだね」と感想がありました。 たくろう所の介護に携わった人や、福祉委員会の皆さんの方針がとても大切なものだと、説明していて思いました。それは利用する側の発想ですね。 2006年1月28日記
2006年01月23日
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元理事長の死第809回 1月18日 旧米沢生活協同組合元理事長梅津成憲さんが亡くなられました。享年63歳でした。 梅津さんは20代後半で非常勤理事になりました。そして昭和51年には33歳の若さで理事長に就任され、そのバイタリティーは周囲を驚かせました。前専務理事の湖山さんとの絶妙なコンビネーションで米沢生協の基礎を作られました。平成3年には理事を辞められました。 梅津さんの本業はNTTの職員でした。8年前に早期退職し、その後は地元有線テレビでスポーツキャスターを務めるなど幅広い活躍をされました。 湖山さんたちと一緒に蕎麦仲間を組織して、蕎麦畑を作り蕎麦打ちをすることが唯一の楽しみだったようです。 梅津さんのご冥福をお祈りいたします。 合掌。 2006年1月20日記
2006年01月18日
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Eさんの笑顔第796回 1月5日 元旦にお世話になったE夫人がお亡くなりになりました。今日はその葬儀です。 新オープンしたセレモニーホールにはEさんの名前が掲げてありました。会場に入るとEさんの上品な笑顔の写真が飾られていました。 Eさんの死は現実なのだと思うと、三十年近い初めてお会いした頃からこの十数年前までのEさんの思い出がよみがえってきました。 私が仕事で配達に行くと、Eさんは最初は愛想がなく苦手な感じでしたが、お付き合いが重なるたびに労いの言葉を掛けてくれるようになりました。そして地域の役員をお願いすると、何事にも積極的で協力を惜しまない方でした。 会議が長くなり難解な話になっても、笑顔で周りの雰囲気を和らげてくださるのはいつもEさんでした。 からだが少しご不自由だといっても、なんでもこなされていたようです。 私が担当からはずれてからは、ついついお会いする回数も減ってしまいました。それでも、今頃どうなされているだろうなと、時々は思い出していました。存在感があるEさんでした。 現在、Eさんの担当者のSくんにEさんの死去を伝えると、「ええ!」と驚き、入院されていたのに……と絶句しました。 Eさんのお孫さんの弔辞では、華やかだったEさんの一生が凝縮されて表現されていました。その生き方には誰もが感動して聴いていました。 そして病気から解放されたことを「よかったね」と言われました。その一言がEさんの長年の闘病生活のたいへんさを物語っているようでした。Eさんのことだから病気のたいへんさも笑顔で覆っていたことでしょう。 Eさん、いままでお世話いただきありがとうございました。安らかにお眠りください。Eさんの上品な笑顔は忘れません。 2006年1月6日記
2006年01月05日
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対談の裏側第772回 今日は朝から「対談」でした。 地元月刊誌で行なっている対談も22回を迎えました。相手は月刊誌の発行人の相澤嘉久治さんです。テーマに基づき、ざっくばらんに話をしていきます。そして突っ込んだ部分が見えてくると、話も細やかになっていきます。 相澤さんのもとには読者からのハガキやファックスが届いており、評判はよいようです。 でも、話も同じことが行ったり来たりしますが、これは月刊誌なので仕方がないことではないかと思います。 対談をしていると、次々に電話が来ます。 購読希望の電話、励ましの電話、取次店への手配の質問など様々です。そのたびに対談は休みます。すると、「え~どこまで話をしたっけ?」となり、また、やり直しです。 今度は編集スタッフが現れました。相澤さん自身の原稿が仕上がらないので、締め切りを守るようにと催促のようです。さらに編集についての打ち合わせに変化していきます。ここでまたやり直しです。 対談が終わると、今度は原稿起しです。B5判2ページですが、話し合いは約2時間分をまとめるのです。これに約2時間かかり、それを対談をしたふたりでそれぞれ赤ペンを入れて、校正と訂正、そして加筆などをします。これが約1時間です。 今日は朝からの寒さが緩まないので、会場の山形から早く米沢に帰ろうとしましたが、なかなか最後の調整に時間がかかり、結局は夕方までの仕事になりました。 私たちの対談の裏側はこのようになっています。 2005年12月13日記
2005年12月13日
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感性と知性第746回 今日も学習の一日でした。学習と行っても経営と事業計画についてです。多くの方々と学習できました。「経営や事業には感性が大事である」 と、講師は言いました。「デザインや機能性が悪くても理屈という知性ではモノを選択はしません。これが消費者の本音です」「好きか嫌いかで結婚相手を選ぶでしょう?」 これを感性といいます。「最近は頭でっかちの知性という最低の能力だけがはびこっている」 と、現代社会の大きな過ちを指摘もしていました。 講師の話を訊いて、我が同志のタカちゃんの徹底したリアリズムはまさに感性であり、人間を大切にした使命感であると思いました。 2005年11月17日記
2005年11月17日
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タカちゃんはパイオニア 我が陣営に「タカちゃん」という鷹のようなダイナミックな動きで「仕事を片付けていく男」がいます。彼は専務補佐という役割もあり、毎日多忙な日々をおくっています。 その彼は職員から理事になり、「仕事を片付けていく男」から「仕事を企画して組み立てていく男」に変りました。 この2年間の彼の働きは素晴らしく、組合員の考えていることを生産者にも的確に伝えながら改善を要求しています。 ついつい机上の話になりそうな生活協同組合の常勤者の中で、彼は地に脚を付けて踏ん張って歩いている「実践派」です。それだけに風当りも強いというか、机上の考えだけでの人にはなかなか理解してもらえないようです。 時々歯がゆさから苦渋の表情をみせることもしばしばです。 そんな彼も組合員の意識や感情をたいせつにしながら、共同購入の利用結集を呼び掛けています。 各自治体では地産地消や生産者と生産工程を明らかにする政策が進められている一方で、消費者側では意外にそのことが雰囲気程度の関心で終始しているのが現状です。 その中でタカちゃんは、山形県の中で運動と事業にリアリズムを持ち込み、それ展開をしているパイオニアかもしれません。 そうタカちゃんはパイオニアです。 2005年10月26日記
2005年10月25日
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巨星逝く 生活クラブふくしま生活協同組合の理事長伊藤文博さんがお亡くなりになりました。 それは10月11日の午前5時過ぎのことでした。いびきがして、あっという間に逝ってしまいました。享年70歳でした。 伊藤さんは福島県中央生活協同組合の設立に立ち上げに参加し専務理事として基礎を作り、その後、生活クラブ生活協同組合を福島に作るために奔走してこられました。 この7月に生活協同組合として生活クラブふくしまが発足しました。そして初代理事長となられました。 温和で笑顔が絶えない伊藤さんはその人柄で多くの仲間に親しまれました。 お酒が好きで、ひとが大好きの伊藤さんは労働運動から地域活動の重要性を認識して、生活協同組合運動に身を投じられました。その功績は多大なるものです。 あらためて敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。 2005年10月12日記生活クラブふくしま生協のホームページ http://www15.ocn.ne.jp/~sc-fuku/
2005年10月11日
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浅野知事引退発表!浅野さん知事に立候補! 2 1993年に新党ブームが起きました。 日本新党、新党さきがけなどは私たちの希望の党として、官僚政治を本気で潰すことができるのではないか、市民に政治が帰ってくるのではないかという期待が込められていました。 私の知り合いも当然のようにこの新党から目をつけられて、議員候補やリストに名を連ねる者も出てきたのです。政治がこんなに身近に感じた時期はありませんでした。 一方では宮城県内での政治腐敗や談合、賄賂事件が発覚し、現職の知事の逮捕などが大きく報じられ、戦後の日本の政治と経済界の黒い癒着に終止符を打つのではないかと思われました。 そして宮城県知事選挙に立候補したのが浅野史郎さんでした。 厚生官僚の浅野さんはこのとき45歳という若さでの立候補でした。 あれは10月下旬か11月上旬の夕暮れも近いときでした。会議室で文書を整理していた私に電話が入りました。 ある生協の理事長からでした。「お久しぶりだね。お願いがあって電話した。宮城県知事選に立候補する厚生省の浅野史郎って知っているよね?ほらコープ共済なんかで一生懸命になってくれた生協担当課長だった方だよ。彼を知事に担ぎこんだんだがね、ところが地元の生協関係者Y理事長やOさんに応援協力をお願いしたんだが、どうせ官僚出身でしょうとか、政治スタンスが違うなんていわれてさ、応援はむずかしい状態なんだ。でもね、もし当選したら他の候補者と違って浅野さんは福祉活動や環境と食の安全などで生協との連携しやすくなる人物だ。生協からも激励文ぐらい送っておかないと」 彼の名前は障害者福祉などで見たことはありましたが、あの日本生活協同組合連合会で挨拶に立った福祉課長だったとわかったのはこの電話からでした。 つづく 2005年8月24日記
2005年08月24日
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浅野知事引退発表! 宮城県知事浅野史郎さんが今3期で引退を発表しました。 浅野さんは厚生省の福祉課長でした。 当時昭和61、62年頃だったでしょうか、日本生活協同組合連合会総会に担当課として挨拶されました。「生協の中にはどこかの政党と一緒に政治活動、選挙活動に一生懸命なところがあり、いかがなものかと思っております。地域での『班』活動は今後の高齢化社会を支える重要な地域活動に発展すると拝見しております」 その挨拶が突拍子もないことで会場を沸かせました。 背丈がけっして大きくはなく、まだ三十代後半にしか見えない若い課長が歯に衣を着せず、はっきり言う姿に笑いと「オーッ」という声があがりました。 当時は生協は共産党や社会党の大衆運動、資金源集め、党員の就職先という印象が強く、現に私なども保守党のかたから何回もその点を指摘をうけたものでした。それを浅野さんは指摘をされたのでした。 つづく 2005年8月23日記
2005年08月23日
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花詞(はなことば) 昨夜はホテルつたやで物流室職員Kさんの送別会がありました。 Kさんは自宅の庭から花を摘んで事務所やトイレなどに花を立ててくれていました。 Kさんの仕事はけっして楽な仕事ではなく、生活協同組合の事業を支えている共同購入の仕分け作業でした。正確で丁寧な内容を追求されています。また、広い作業場と冷凍庫への出入り、温度管理が一定の冷蔵室での作業は年間通しての体力も必要になります。 Kさんはその中で、一輪の花のように目立たない中でもしっかりと咲いていました。 Kさんの定年退職はそんな中でやってきました。 送別会でのKさんのご挨拶は言葉少ない中で、こころからの言葉を私たちに向けてくださいました。 Kさんの花詞です。 長年にわたりKさんにはお世話になりました。こころから感謝を申し上げます。 2005年8月20日記
2005年08月19日
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訃報と朗報 今日は大学のスクーリングのために上京しました。歩くと汗が滴り落ちてきます。 東京に着いて携帯電話の「着信アリ」に気付いて、事務所に電話すると美雪さんから「職員の伊藤くんのおじいさんが亡くなられた」訃報の知らせでした。 私はお茶の水聖橋に向かって合掌をしました。 夜になるとメイちゃんから「共済キャンペーン全地区目標達成!」との朗報が入りました。「すごいなあ……うちの役職員のコンビネーションと粘りは半端じゃない」とあらためて感動をしました。 ラブちゃん、スミレちゃんからも次々に歓喜のメールがありました。 明日からのスクーリングに拍車がかかりそうです。 2005年7月29日記
2005年07月29日
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わいわい夏まつりinよねざわ 7月23日(土)は米沢で生活クラブの独自の生産者と組合員が集まって「わいわい夏まつり」が行なわれます。 先週の土曜日には山形市で開かれ800人近い組合員と市民の参加がありました。今度は米沢の愛宕多目的センターで行なわれます。 実行委員も生産者も張り切りようは山形会場をしのぐ迫力になりそうです。 無料で試食が出来ます。実際に食べてみてください。生産者に会って、生産の特長や料理のポイントなどを楽しく学べます。 ただしタッパーでの持ち帰りはご遠慮ください。わいわい夏まつり米沢会場7月23日(土)10:30~13:30愛宕多目的センター参加生産者乳製品:ミルクファーム蔵王、豚肉:トキワ養鶏、牛肉:ミートセンタータケダ、鶏肉:米沢郷牧場、鶏卵:野地養鶏場ほかにたくさんの生産者が集合します。 詳しいお問い合わせは 0238-23-7232 生活クラブやまがた生活協同組合 2005年7月21日記 写真はすべて7月16日の山形会場のものです。
2005年07月21日
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わいわいおいおい 明日は山形市で「わいわい夏まつり」です。その準備で組合員も理事も事務局も大忙しです。 そんな中を私は大学通信制のスクーリングのために上京しています。みんなと一緒にわいわいしたかったのに、スクーリングでおいおい泣いています。 東京は蒸し暑く、外にいるだけで大汗をかいています。 生活クラブやまがたのみなさん、ごめんなさい!! わいわい夏まつり山形会場7月16日(土)10:30~13:30平清水ハウジングプラザ(駐車場に山形ナショナルさんをお借りしました)米沢会場7月23日(土)10:30~13:30愛宕多目的センター参加生産者乳製品:ミルクファーム蔵王、豚肉:トキワ養鶏、牛肉:ミートセンタータケダ、鶏肉:米沢郷牧場、鶏卵:野地養鶏場ほかにたくさんの生産者が集合します。 詳しいお問い合わせは 0238-23-7232 生活クラブやまがた生活協同組合 2005年7月15日記
2005年07月15日
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わいわい夏まつり 生活クラブやまがたの独自の生産者と組合員が集まって「わいわい夏まつり」が二会場で行なわれます。 無料で試食が出来ます。実際に食べてみてください。生産者に会って、生産の特長や料理のポイントなどを楽しく学べます。 タッパーでの持ち帰りはご遠慮ください。わいわい夏まつり山形会場7月16日(土)10:30~13:30平清水ハウジングプラザ(駐車場に山形ナショナルさんをお借りしました)米沢会場7月23日(土)10:30~13:30愛宕多目的センター参加生産者乳製品:ミルクファーム蔵王、豚肉:トキワ養鶏、牛肉:ミートセンタータケダ、鶏肉:米沢郷牧場、鶏卵:野地養鶏場ほかにたくさんの生産者が集合します。 詳しいお問い合わせは 0238-23-7232 生活クラブやまがた生活協同組合 2005年7月12日記
2005年07月12日
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基礎を作ったひと グループホーム職員のふたりが7月8日付けで退職します。 そのひとはAちゃんとHちゃんです。 Aちゃんは栄養士として活躍し、入居者みんなの献立の立案や共同購入の発注などを科学的に計画的に行なっていました。若いAちゃんはけなげに静かにおばあちゃんたちと接していました。 Hちゃんはこのグループホームを作るうえでは「貢献者」でした。たくろう所にボランティアで参加していました。その後グループホームを作るにあたり、開所時の管理者条件(三年以上を痴呆性高齢者の介護に従事した経験を有する者)を彼女が生活クラブやまがたに転職してくださったお陰でグループホームの開所が実現する運びとなりました。(結果的には別なひとが管理者になり、彼女はユニット長でしたが) いつもにぎやかに笑いをとる彼女には口ではかないませんでした。 グループホーム結いのきは彼女たちがこの1年4ヶ月間でその基礎を作りました。まじめでとても素敵な彼女たちの今後に幸多かれと祈るのでした。 Aちゃんは海外へ、Hちゃんは専業主婦になります。 2005年6月30日記
2005年06月29日
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感動!市民参加型福祉 今日はグループホーム結いのきを支える会の総会に出席して来ました。 とても活発な会ですが、総会議案書を見てその活動の多様さとボリュームにあらためて敬服しました。 グループホーム結いのきの行事や入居者へのフォロー、お料理手伝いなどを通して、入居者との交流をしています。その活動が一年間をまとめて書かれると素晴らしい内容です。 支える会は223人の会員です。これだけ多くの市民が関わっている福祉活動は珍しいでしょうか。 おかげさまでグループホーム結いのきは順調に運営されています。新任の職員たちも助けてもらったり、いい刺激と緊張感があり、たくろう所と生活クラブやまがたの姿勢と方針を学ぶことが多いようです。 支える会のようなまじめな組織が公益事業の中に存在すると、公益事業本来の姿勢を見失わず、利用者や市民のための事業になると確信しています。「支える会の会員には国の制度や仕組みを変えるだけの市民の立場で提言ができるとおもう」という顧問の湖山寛一さんの発言が印象的でした。グループホーム結いのきのホームページhttp://www.yuinoki.com/index.html 2005年6月26日記
2005年06月26日
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暑いみちのく 6月21日の米沢は34.4度と例年の6月平均気温を10.3度も上回る暑い一日でした。 そんな中で朗報です。 生活クラブふくしま生活協同組合が昨日正式に発足しました。法務局の登記も受理されて、生活クラブ連合会の理事会日と重なり、生活クラブ連合会にも加盟が認められるなど、6月21日は忘れられない日となりました。この間ご苦労された福島や会津のみなさんには頭が下がる思いです。さあ、これからが本番です。 2005年6月22日記
2005年06月21日
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新しい息吹 昨日は生産者のIさんとかなり突っ込んだ話し合いをしました。 遺伝子組み換え作物の問題から経営の話まで幅広く、しかも重要な案件ばかりでした。 Iさんの問題的や新たな悩みを伺っているうちに、経営者は孤独だなあとつくづく考え込んでしまいました。特にIさんは普段は飄々(ひょうひょう)としていらっしゃるので、こんなにいろんなことを真剣に考えておられたとは意外でもありました。 長時間に渡りホテルの一室で話し込んだ私たちは再会を約束して別れました。帰りの込み合う電車でIさんの言葉を思い出しながら、まじめな生産者と出会えたことに改めて感謝しました。 さて、本日18日は職員のケンタロウくんとほんの木の柴田敬三さんを訪ねました。 私たちにとっては高齢者介護と同じくらい大事な子どもの学習活動を、今後どのような形で進めていくべきかをケンタロウくんに研究してもらおうというわけです。 ケンタロウくんが関心のある不登校の子どもの社会復帰や学習をどうしていくのか、生活クラブやまがたとしての学習活動の研究などの課題を背負って、彼の頭はいろいろなことが駆け巡ってします。 柴田さんからシュタイナーの話や北海道のひびきの村のことを訊いて、とても刺激的だったようです。柴田さんは世界的な視野にたってこの日本を見ています。当然、教育問題だけに止まらず、有機農業や生活協同組合の基本原則にもふれて活動を組み立てるように問題提起がありました。 ふたりの話のやり取りを傍で聞いていて、たくろう所で成功したように、多くの組合員が関わることで、子どもを取り巻く諸問題を解決していける活動と事業に成長していけばいいんなあと思いました。 この二日間の東京出張はとても有意義なものになりました。 上野駅にて 2005年5月18日記
2005年05月18日
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夢いっぱいの職員たち 毎日毎日忙しい日々が続いています。 生活クラブやまがた生活協同組合では若い職員たちの頑張りが際立ってきています。組合員が主体的に活動しているだけに事務局もウカウカしていられません。 4月23日、仙台であった協同組合石けん運動連絡協議会の集会へも石けん委員会、理事らと一緒に職員も何人か出席して勉強をしてきました。「組合員のまじめさ、一生懸命さに学ばなければ……」という思いが職員にはあるようです。 また、ある職員からは「フリースクールをしたい」と相談されました。同様の声が組合員からも寄せられています。児童養護施設の元職員も「生活クラブやまがたで児童養護施設を運営できたら、きっと今と違った生活の場を子どもたちと作ることができるかもしれない!!」と言っています。「学校給食もしたいね」とわくわくしている職員もいます。 平成12年の厚生労働省の「消費生活協同組合法」(生協法)の改正によって、生協は医療事業から福祉全般を営むとこができるようになりました。 そのことは今後の市民参加型自治体をつかさどる上でたいへんな影響を持つことになると考えます。 「共同購入がきちんとできる組合員や職員は、助け合い活動にも向いている」と名言をはく事務局もいます。私も同感です。そして共同購入の一流の地区担当職員は介護にむいているなあと思います。相手の力を信じ、力の引き出す役に徹するからです。 夢いっぱいの職員たち。きっと組合員の多様な活動の事務局として今後が楽しみです。 2005年4月26日記
2005年04月25日
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福祉って何だろう? 最近目立って、福祉関係者からの相談やコメントを求められる機会が多くなってきました。 大半の話は福祉事業のあり方についてです。 いまや高齢者福祉事業は「サービス産業化」し「マクドナル化」して来ています。社会福祉法人であろうと民間であろうとその差はあまりないようです。 それらに疑問を持っている職員たちが存在しています。彼らは一同に「福祉ってなんだろう?」と嘆いています。 彼らの疑問にどうこたえていいのかわかりませんが、私たちの行っている福祉は「助け合い」が基本になっています。産業とかマニュアル重視とはほど遠い、「素朴な助け合い活動の事業化」です。 私たち生活クラブやまがたは、業界の方向性と正反対の路線を走っているようです。 サービスというより、ひととひとの関係性を重視しています。マニュアル重視よりも話し合いに重きをおき、公の席で約束事をひとつひとつ作っては実行しているようです。 入居者の方に対する接し方も家族に近い関係性を求めようとしています。「お客様」扱いはご法度です。 職員の性格によって3ユニットの雰囲気も違います。それはそれでいいのではないかと思います。次第に入居者によって雰囲気が作れればいいでしょう。 福祉の専門家のみなさんにお話をすることも恥ずかしいのですが、私たちはつねに利用者の立場で考えているから相談やコメントを求められるのでしょうね。 2005年4月22日記
2005年04月22日
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風のようなひと H夫さんのお葬式はたくさんの組合員と職員によって厳かに進められました。東源寺ご住職様からも院号の立派な戒名をいただきました。 メイちゃんの弔辞では、4年前にご夫婦でたくろう所に住まれたことから始まり、グループホーム結いのきの建設とH夫さんとの関わりなどの想い出に触れました。その想い出は参列者の想い出と重なり、参列者の涙を誘いました。 ご住職様の読経もこころに沁みてきます。特別な読経に伝わってくるのです。 忌中法要も終わり、檀払いを兼ねて「H夫さんを送る会」を開催しました。29名の皆さんでH夫さんを偲びました。「H夫さんは風のような方でした。フウ~ッといつの間にか(存在されて)おられるのが印象的でした。H夫さんはグループホーム結いのきで過ごされ、皆さまにお世話いただきほんとうにしあわせだったと思います」 と、ご住職様からも、ご挨拶がありました。戒名にも「風」の文字が入っていました。「たくろう所助け合いの会」、「グループホーム結いのきを支える会」、職員の皆さんにもねぎらいのお言葉をいただきました。H夫さんにとっても私たちにとってもありがたいお言葉でした。 会が終わり、それから私はひとりで結いのきに向かいました。西の山並みに大きな夕日が燃えていました。その夕日が揺らいでいました。 今ごろ愛妻家のH夫さんは天国で待つ妻Hさんの傍で、1年9ヶ月ぶりに手をつないでいることと思います。 私も風のひとH夫さんの喪主を務めさせていただき光栄でした。安らかにお眠りください。 晴れやかな春の風 あたたかな日差しの中で華が咲く 合掌 2005年4月17日記
2005年04月16日
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白い夜 昨日はH夫さんを偲ぶのにふさわしい通夜でした。 たくろう所とグループホーム結いのきを過ごされたH夫さんにはたくさんの組合員と職員が関わってきました。思い出もたくさんありますから、入棺では職員らは涙を流しながらH夫さんの顔や手足を拭くのでした。 職員たちは「最後まで紳士だったH夫さん」のグループホーム結いのきでの生活を親戚の方々に語りました。 親戚の方々が帰れた後には、たくろう所の代表幹事の敏子さん、チヨ子さんが駆けつけてくれました。仕事を終えた職員も焼香に来てくれました。そしてみんなで故人の思い出をたくさん、たくさん語り合いました。 ヤッちゃん、ノン太ちゃんのふたりは酒盛りをはじめました。それからがたいへんでした。「H夫さんの通夜だからぼくは起きて線香を絶やさないんだ!!」というノン太ちゃん。「ノン太当たり前だろう!!お前はH夫さんの息子に間違えられるほど似ているんだからなあ!?」とヤッちゃんが大声で返します。 ふたりで一升をあけたあたりから、ふたりは行動を変えてきました。 ヤッちゃんはH夫さんの祭壇の前に布団を敷き寝てしまいました。 ノン太ちゃんとメイちゃんの会話は2時間を越しています。H夫さんの思い出や生き方の話題からノン太ちゃん自身の人生相談は続きました。その光景は石田純一さんと田中真紀子さんのようです。 ヤッちゃんは突然起きて、祭壇に向かって何かを言いはじめました。そして、鐘と木魚をたたき始めました。線香を絶やしてはいけないという使命感がそうさせるのでしょうか。 私は夜の空気を吸いに外に出ました。ひんやりとした空気が私を覆いました。夜空を見上げると雲が夜空に浮かんでいて、白い夜になっていました。 通夜は長い時間を刻んで私たちのこころにひんやりと染込むのでした。H夫さんを思い出しながら……。 2005年4月15日記
2005年04月15日
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紳士H夫さんの死 早朝、H夫さんが息を引き取りました。やすらかな顔で。 たくろう所にご夫婦で住み、グループホーム結いのきの開所と共に移られました。この間、奥さんを亡くされ悲しみにくれることもありました。新しい家を購入する夢を最後まで見ていたH夫さんでした。 子どもさんがおられませんから、私が喪主をつとめることになりました。 H夫さんと親しい助け合いの会、結いのきを支える会のメンバーや結いのきの職員が朝から先ほど夜遅くまで、H夫さんの焼香と入棺、通夜に立ち会いました。お身内はなくとも、H夫さんはたくさんの方々と仲良くされ、最後まで紳士に振舞われました。H夫さんが好きだった職員が朝から晩まで今日はお世話をしていました。 H夫さんは愛妻家でもあり、一昨年お亡くなりになった奥さんがきっと迎えに来たのでしょう。 今晩は私とH夫さんの孫といわれたノン太さん、新関さんがH夫さんの傍に寝ることにしました。明日は火葬で、明後日がお葬式です。 H夫さんは紳士の寝顔になっています。 合掌 2005年4月14日記
2005年04月14日
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一年経った生活クラブやまがた 新年度が始まりました。 そして生活クラブやまがた生活協同組合が誕生して1年経ちました。 私も本部に復帰して、今度は4事務所を飛んで歩くことになります。 今朝は各部署毎の朝礼で新年度の挨拶をしました。「あまりがんばらないで、着実な地に足を着いた運動と事業を展開しましょう」と控えめな内容になりました。 一年間以上グループホーム結いのきにたずさわり、この間いろいろなおじいさんやおばあさんたちに学び感じたことは「ゆっくりと着実に……」でした。 仕事をやったふりはできても、着実な前進ほどむずかしいものはありません。生活クラブやまがた生協となって1年に経った今日は、特に「組合員主体の生活協同組合」を全国に作りたいなあと、あらためて思うのでした。 その理由は食品であり、福祉であり、専門家に任せていては危ないからです。利用者は専門家を過信しています。利用者の立場から食品も福祉もそして行政も組み立てなおしていかないと、誰のためにそのものや機構が存在するかがわからなくなっているのです。 しかも、利用者はもっともっと関心を持って、声を出していくこと、利用していくことが極めて重要です。そのことで食品や福祉を本来のあるべき姿に変えていくことでしょう。その潜在的力が生活クラブ生協には存在するからです。 組合員主体の数少ない生活協同組合の中で、生活クラブの思想を全国に広げていき、地域をもっと住みよく変えていきましょう。 2005年4月1日記
2005年04月01日
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生産者の嘆き 生活クラブやまがたでは年度の活動を反省し、次年度の方針案を作るための「地区会・ブロック会」という組合員会議を開催中です。 先日もこの会のことで理事や生産者とお話しをしました。私がつくづく感じたことがありました。 それは、生産者は生活クラブや組合員を過大評価していること、組合員は自分たちの活動や実績に対して過小評価していることです。 ある生産者は「やまがたなりのオリジナル商品をつくりませんか?」といって下さる、ありがたいお話です。しかし、企画から生産、再生産を繰り返しできるまでの「利用結集」が私たちにあるだろうか?と思ってしまいます。「生産数量をすべて引き取ることを組合員に要求できますか?」という問いに対しては、「むむむ……」でした。「ほしいものをほしい分だけつくります」というようなある意味では無責任な行為を組合員に言うのはいかがなものか、と疑問を投げ掛けました。 お互いの責任行為はあるはずです。「最低ロットは○○ケースです。これの量を仕入れていただけるならばつくります」と宣言してもらいたいものです。 とかく簡単に心地よい言葉を吐く生産者に共通するもうひとつのコメントは「生協は生協でなくなった。スーパーのバイヤーとかわりない。でもここの生活クラブは違う」という嘆きとおほめです。 でも、私はそうは思いません。所詮、どこの生協も一品当りの利用結集が少ないために、なんでもかんでもスーパーと同じような品揃えにして、一人当たりの利用金額を確保しようとしてしまうのです。 ひとつの例ですが、私たちの生活クラブだって、「生活クラブブランド志向」になっている組合員も多く、そのモノがもつ生活での本来の役割や機能を追及したり評価したりする組合員が少なくなっているように感じます。「生活クラブはこうなんです!!」と言い切るけどほんとうかなあ?と疑ってみることから始めないと、生活クラブではないように思います。 数年前に生活クラブ連合会では「インスタントコーヒー」を開発しました。私はこれを歓迎しました。でも、名示が「インスタントコーヒー」とあり、そのモノの性格や機能性を表すものではありませんでした。これに危機感を感じました。本来ならば「フリーズドライ森のコーヒー」と名付けるのではなかったでしょうか? 生産者の嘆きから、学習や疑問のない生活では生活協同組合運動は成り立たないと改めて感じたしだいです。 2005年3月12日記
2005年03月11日
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武田純子さんがやってくる 昨年11月19日の日記に書いた札幌のグループホームを経営している武田純子さんの講演会を企画しました。 「痴呆ってなんだろう?」3月12日(土)午後6時30分から8時30分まで米沢市西大通 アクティー米沢 会議室です。 入場は無料です。 ご家族の方で痴呆性(認知症)のお年寄りがおられる方や施設の理事や職員の方には特に勉強になると思います。ぜひ、おいで下さい。2004年11月19日の日記より 痴呆性ってなんだろう 武田純子さんに学ぶ 「介護・看護・喪失(1381)」 今日は久々に上京して研修を受けました。「小規模多機能ケア施設」という介護保険事業としては新しい試みが実施されようとしています。それに先駆けての勉強会です。 私たちのように既に「たくろう所」を運営している者たちには、「今頃、小規模多機能ケア施設かい」とせせら笑う人も少なくありません。 日本の介護の遅れは著しく、これまでは建設会社のための大きな施設建設が主流でした。80%近い補助金で建物が建ち、地元の権力者による利益誘導型理事会が行ってきた「大型ほどこし福祉」も、国、県、市のそれぞれの財政が苦しくなり、ようやく地域密着の小規模住居型福祉が実現しようとしています。 さて、今日の講師のおひとりで、札幌でグループホームを2つ運営している武田純子さんのお話にたいへん感動をして来ました。 彼女は看護士出身で平成8年に医療法人のグループホーム開所にかかわり、おじいさんやおばあさんがグループホームに入居したとたんに(よくない)変化がおきたことにびっくりしました。「どうして……」と戸惑う武田さんだったようです。 機会があってスウェーデンに行くことで「高齢者福祉と痴呆老人のあり方」が根底からくつがえされたといいます。「日本は20年遅れている……」と。 まず、介護が職員のペースですすめられていること。例をあげれば老人ホームでの深夜のオシメ取り替えや柵に縛り付けることなどです。 二つ目は介護や看護技術が先行して、人間扱いを無視した介護現場であること。 三つ目には職員のプロとしての感性と専門性の欠落などをあげておられました。 武田さんはスウェーデンに行くことで、自分たちが今まで疑問もなく行ってきたことが間違っていたと気付き医療法人を辞めました。そして介護保険が導入されると平成13年に自ら会社を立ち上げて「福寿荘」というグループホームを開所したのでした。 「小規模多機能ケア施設」が重視されてくれば、民家のような小規模の中で通所を中心とした介護を行い、時々宿泊もでき、訪問サービスも行うことでトータルケアを実現していこうとすることになります。 武田さんは、「これはとても質が問われる介護である」ことを強調されました。 小規模になればなるほど介護される側が職員を観察することができ、職員はしっかり勉強して、知識と技術と感性をもってマネジメント力を養っていかないと通用しない制度であるといわれました。それだけトータルケアは職員や介護する側の質が問われるということです。 高齢者の多くは痴呆を抱えていますが、今の福祉にはこの痴呆をしっかりと捉えていない点も指摘されました。高齢者福祉なのに「痴呆専門家」が少ないことです。この点は避けて通れませんから、しっかりと勉強をすることをすすめられました。 ケアプラン(介護計画)に対しても、グループホーム用の様式がなく痴呆性の居宅介護なのに、身体介護中心のケアプランになりがちであると厳しく指摘されました。関係者は痴呆性高齢者を置き去りにしているケアプランのあり方をようやく検討している最中だそうです。 私は生活協同組合から福祉を見ています。この社会福祉業界の研修はスローガン的な処理の仕方で、ずいぶん甘い業界だという印象がありました。しかし、今日ほどシビアで(スローガンではない)普段私たちが問題視している点をビシビシいわれた武田純子さんのお話に感動しました。 痴呆性ってなんだろうと改めて考えました。もっともっと勉強しなければなりません。 そして我がグループホーム結いのきやたくろう所のように「自分たちが受けたい介護、家庭の延長の介護実現」の重要性を再認識しました。「お年寄りが私たちを受け入れてくれるか?職員は人間性が問われています。家庭生活で人を大切にすることがわかっている人を職員として採用することが大切です。知識や技術はその後のことです」と武田さんの声がこころに響いています。 山形新幹線つばさ127号15号車1番C席より 2004年11月19日記 「武田さんから一度見学に来てください」とお誘いを受けました。行ってみましょうか!?グループホーム福寿荘 ホームページへhttp://www.hokkaido-gh.jp/ghc/fukujusou/index.html 2005年3月10日記
2005年03月09日
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生活クラブふくしま設立総会 今日3月5日は長年の夢だった「生活クラブふくしま生活協同組合」の設立総会でした。多くの女性たちが食、環境、生き方を解決するために、生活クラブを作り始めて8年の歳月でした。この間の伊藤代表はじめ、準備会会員のみなさんのご苦労に敬意を表します。 生活クラブは市民生協とも違い、組合員自らが自分たちで問題解決に向けて動かなければなりません。それだけにストレスも大きくなります。でも社会の矛盾や問題をたくさん解決していく「自治能力」が育まれる組織だと思います。 国や地方財政がだいへんになっていく時代に、この生活クラブの「市民参加型」の自立した運営組織と人こそが、この街とこの国に必要です。 これから共に頑張りましょう。 2005年3月6日記
2005年03月05日
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毎日が研修 グループホーム結いのきに居ると毎日の変化に驚くばかりです。その変化とは入居されているおじいさんとおばあさんの心身の変化であり、スタッフの力量更新でもあり、行政やその周辺とのやり取りから見えてくる社会福祉のあるべき姿と実態に対する認識です。 私なりの社会福祉論があります。助け合いに対する概念などが、この一年間でことごとく打ち壊されています。しかも、よくない方向にでした。 しかし、新しい社会福祉に挑む生活クラブやまがた組合員とスタッフは、毎日の実践の中で研修をしています。それは小島理事長が唱える「自分たちがうけたい介護を目指して」です。きっとこの努力はいずれ実を結び、他からも評価されてくると自負しています。 2005年2月24日記
2005年02月24日
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緊急事態発生!! 日記を書こうとしたときにグループホーム結いのきから呼び出しがありました。「Tさんの具合がよくないからすぐ来て!!」と夜勤をしていたハルミさんからの一報でした。 そして私はお手伝いに出かけ、Tさんは眠りに就きました。これで一安心です。 今帰ってきました。そんなわけで今日の日記はこれでおしまいです。みなさんごめんなさい。 2005年2月8日記
2005年02月07日
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結いのき 1周年 グループホーム結いのきが開所して1周年です。雪の多い中でAユニットを開所したのが1年前でした。 あっという間の一年間でした。おもうようにいかないことばかりでした。でも、常に利用者の家族や組合員のみなさんが励まし、協力をしてくれました。 介助と作業に時間とられ、肝心の介護力がなおざりになることもしばしばでした。そんな中で、結いのきを支える会のみなさんの援助は職員にとってはとてもありがたく、助けられています。 今日は1周年を記念して、みんなで米沢名産「岩倉まんじゅう」を頬張りました。とても美味しかったです。さあ、2年目の始まりです。気を一層引き締めて、入居者や市民に喜ばれるグループホームにしていきたいと思います。たくろう所憲章 (結いのきの理念です)1、たくろう所は、そこに集う人が、楽しくゆったりと共に過ごす場です。2、たくろう所は、どんな人でも、その人らしく輝ける場です。3、たくろう所は、いろいろな人が、互いにかかわり合い、助け合う場です。4、たくろう所は、自然に親しみ、地域に根ざした生活の場です。 2005年2月1日記「結いのき」のトップページへ
2005年02月01日
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もうひとつのユニット グループホーム結いのきには会議室と娯楽室があります。ここは普段は相談室として活用しています。 ここには朝から夕方まで来客が絶えません。 組合員や職員のほかにも地域の方や生産者の方、そしてなんといっても入居者のおじいさんやおばあさんが気軽にやって来ます。そしてお茶やコーヒーを飲みながら語らうのです。 雪が降り始めてからは散歩も控えめになりましたから、この相談室はコミュニティーの場として繁盛しています。 職員の中には「ここは喫茶店だね」、「ホットステーションだ」という人も現れました。マスターの私としては、コーヒーやお茶の入れ具合を研究しなければと思いながらも、腕は上がらないのです。 今日の最後のお客さんは7時ごろに入らしたKさんでした。 Kさんはストレートのコーヒーがお好きのようで、時間を掛けてじっくりとお召し上がりいただきました。 ところで、私は4月頃から本部に戻る予定でいるのですが、すっかりこの場がもうひとつのユニットになってきたので、帰れるかどうかが不安になってきました。 だれかマスターの代わりはいませんか? 2005年1月6日記 追記 結いのきでは介護職員を募集しています。静かな方で気配り、目配りが利く方がグループホームには向くようです。資格者や経験は問いません。保母さん経験者も歓迎します。ただしお給料は安いです。
2005年01月06日
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問われている 今日も監査がありました。今日の監査は組合員の代表の3人によるものです。一昨日に行われた公認会計士と税理士による監査とは違う緊張感がありました。 監事のお一人は生活クラブやまがたの前身「米沢生活協同組合」の倒産から再建に多大なる尽力をされた方です。歴史の生き証人です。 他のお二人は山形市で生活協同組合ナチュラルコープやまがたの元理事で、再建と組合員活動の基礎づくりをされた建設的な方々です。 平成12年から消費生活協同組合法が改正されたことで、監事の権限と責務が大きくなりました。社会的にも経営の健全もさることながら組織運営の健全性を追究する監事会が求められています。それにふさわしい3人であることが今日の監査でわかりました。 理事会の内容もよくわかる経験者だけに質問も鋭く、公認会計士や県や市の行なった実態調査や指導の指摘事項についてもしっかりと受け止められておられるようでした。 生活協同組合のように公益性の強い組織は、組合員のお金や意見がどのように扱われているのかが極めて重要です。情報開示と同時に組合員の声が集まり、問題化、課題化しているかその点が組合員生活の多様化の中で問われていくようです。 今日の監事の意見や質問から、私たちの活動がもっと地に足を着けた活動にして、生産者と一帯となって地域をよくしていくことを要求されていると改めて思いました。 生活協同組合は今あらゆる面で問われています。 2004年12月18日記
2004年12月18日
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今日は公認会計士による監査がありました。そのために本部に行きました。会議室に並んだ会計処理と関連書類の数々に会計士と税理士のおふたりの先生が詳細まで目を通されています。調査にはさすがに慣れていることもあり的確な質問と注意が促されました。 そうこうしているうちに私に電話が掛かってきました。「グループホーム◎◎◎◎さんがお見えになっています」 監査中を抜け出して、グループホーム結いのきに行きました。すると顔なじみのSさんと一緒にもうおふたかたもご一緒でした。 挨拶もそこそこに私は先日行われた県の指導と市の調査についての指導内容について感想とその後の対策を述べました。 悩み多きグループホームみちのくはじめの気ままな日記 2004年12月16日記 グループホームにはケアプラン(介護計画)の書式が確立されてないことや、痴呆性についての理解をどう深めてケアプランに反映させていくのか、ケアマネージャーの能力アップをどうのようにしたらよいか、などについて意見交換をさせていただきました。 さすがに先輩のグループホーム◎◎◎◎さんだけあって参考になるコメントをいただきました。また、問題点の多くは職員側にあり、職員のセンスをどう高めていくのかが課題であることを話されていました。私たちも同感であり、10人の入居者がいれば10人のケアの違いあること、管理型ではなく、自由でゆったりとした雰囲気がながれいるような介護をつくらなければならないなどの意見交換をしました。 職員同士の交流なども提案いただきました。ぜひ、実現をしてお互いの介護力を高めていきたいなあと思います。グループホーム結いのきのホームページもどうぞ「結いのき」のトップページへhttp://www.yuinoki.com/index.html
2004年12月16日
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新潟県中越地震と阪神大震災との違い 復活 ボランティア山形 その11 明日11月23日で新潟県中越地震から1ヶ月です。ボランティア山形が現地を調査して感じたことを紹介します。火災が少ない住民が落ち着いている十分ではないが手当が早い 阪神大震災の教訓が生きているのか? 住民の表情が意外に落ち着いていることに驚きました。自宅が倒壊した家主も冷静に現実を受け止めていました。また、約10日ぶりに現地入りした当団体事務局長は街全体の復興の早さに驚いていました。住民にとってはけっして十分ではないにしろ、阪神大震災の比ではない手当の速さを感じました。 もうひとつは人や社会環境が新潟という兵庫とは違うのでしょうか。住民がお互い助け合っていることがうかがえます。他人のことを気遣っている方の多いことか……。それでも地震があった約1週間経ったあたりから、「お互い好き勝手なことを言い合うようになってきた」ということです。疲れが見え始めていました。 ライフラインにも地域性がある 小千谷市に行ってどうして火災が少なかったかがわかりました。 この一帯は都市ガスが普及しており、阪神大震災がきっかけとなって、地震時にガスの供給パイプが自動に閉じられるそうです。 雪国だけに困ったのは消雪道路です。 道路の真ん中から井戸水を出して道路の雪を消します。この道路が仇になっていました。あちこちの消雪道路は真ん中の井戸水が出るところを除いて、道路が沈んでいました。沈み方も波を打っています。これでは自動車も走るにはたいへんです。 ボランティアのあり方 ボランティアが余っているという話が当初から聞こえてきました。現地に行ってみてなるほどそのとおりであることがわかりました。被災者の方々とお話をする機会に恵まれて感じたことは、倒壊した家の後片付けにしても余震が続いていた為に、家の中にはボランティアは入れないことです。また、家主も他人に入ってもらいたくないということもあるようです。 一過性のボランティアでは信頼が得られないのではないかと感じました。ハートネットの吉田さんに電話で感想を申し上げましたが、各町内か2、3の町内にひとりをボランティアコーディネートとして置いてはどうでしょうか。 ボランティアという人的資源を活用することに経験のない人たちが多く、意識の中にはない方が多いようです。しかし、復旧まで長期的になることは間違いありませんから、住民のエネルギーは温存させておくことを優先して考える必要があります。 それだけにボランティアの活用が必要です。しかし、「ボランティアの活用がわからない住民」と、「ボランティア行動を知らないボランティア希望者たち」をコーディネーターの存在が急務です。 町内に自動車を置きそこに住み込んでもいいですから、町内会長さんや隣組長さんと日常的に親しくなって「信頼を得たコーディネーター」こそが、ボランティア依頼とボランティア活動を調整できるのだと思いました。 ニーズの掘り起こしができ、必要なときにすぐに飛んで来てもらうように、ボランティアたちはボランティアセンターに24時間待機していることです。 あいにく余震が続き住宅には入れないという障害がありました。これを克服する方法は考えつきませんが……。大雪対策はどうするか? 新潟県中越地方は大雪です。小千谷市もかなりの雪が降るそうです。倒壊した状態の住宅を見ながら家主は「雪が降ればこの家は完全に潰れるな」と淋しそうに眺めて言いました。 雪の怖さと辛さを知っている私たちは言葉を失いました。 最後にボランティアのみなさんも中越を通過するみなさん、地元のお店から品物を購入してください。おコメもお味噌もできるだけ現物持込よりも、お金を持って行き現地のお店から購入することが経済復興のお手伝いです。 2004年11月22日記ボランティア山形ホームページへ
2004年11月22日
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タフになった人たち グループホーム結いのき開所されたのが今年の2月です。丸9ヶ月を経過しようとしています。みなさんのお陰ですぐに3ユニット計27室すべて満室になりました。今でも問い合わせが後を絶たず、その数は8月9月の2ヶ月間で40件を超しました。そして今の待機者は13名です。 この間いろいろなことがありました。特に担当理事、管理者、ユニット長たちの苦労は並大抵ではありませんでした。 私たちは10年間近く「たくろう所」を運営してきました。このたくろう所はすべて組合員のボランティアによって介護や介助を行ってきました。介護としては質も高く、自治体や専門機関からの介護依頼も多いのが特長でもあり、自慢でした。 今回のグループホームは介護保険事業なので、介護を行う条件は資格を持った専門職が中心になりました。しかし、専門職であっても「痴呆性」と「介護」が理解できているわけではありません。「介助技術」が「介護の質」と勘違いしているのが現状です。 たくろう所よりは介護の質は下がりました。何しろ思い入れが「自主的で強い」組合員たちと「就職の労働である」職員とでは、「介護力」では差が出てきて当たり前です。 当然、組合員も理事も職員もイライラのしどおしでした。「専門家ほど危ない」という言葉が頭を過ぎりました。話し合いで問題解決することに慣れていない職員も多く、私たち「生活協同組合」の職員としては異例なことが続きました。「食品業界でも福祉業界でも同じだなあ……だから生活クラブが出番なのだ」とうぬぼれたことを考えては自分を慰めていました。 それでも各人が壁にぶつかりながら努力しては立ち上がりました。気が付いた者が、気が付いたところから少しずつ歩き始めました。 センスのよい職員は方針に対しても飲み込みが早く、民主運営と利用者の立場をちゃんと維持しようとしています。そのような職員は原則を守りいい意味で頑固になってきました。うれしいことです。 生活クラブ職員として、結いのきの職員として自尊心も芽生えてきました。「おじいさんやおばあさんのことが理解できない職員は職員ではない」と言えるまでになってきました。 グループホーム結いのきを通して、結果的には日本の福祉をよい方向へ進めようとしているタフな職員が育ってきたことをうれしく思う今日この頃です。 2004年11月20日記追伸 「グループホーム結いのきを支える会」と「助け合いの会」のこころざしの高さが職員たちを育てていることを忘れてはなりません。感謝です。 そろそろたくろう所も本格的再始動を考えているところです。
2004年11月20日
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ボランティアはいらない!? 復活 ボランティア山形 その10 さて、今回の活動でいろいろ学んだことがあります。 ボランティアが供給過剰になっています。これは阪神大震災と決定的に違う点です。しかし、ほんとうでしょうか?実態を見るとちょっと違うようです。 私たちのメンバーもボランティア活動をしようとしましたが仕事がありません。私は街に出て直接住民の方々に話を訊く機会に恵まれました。その結果、私なりにこの新潟の実態を考えて必要なボランティアのあり方を考えました。1. 長期のボランティアがほしい。2. 専門性のボランティアを要求している。例・施設職員、重労働経験者など。3. 2、3町内に張り付いて地元民との信頼をつくるコーディネーターが必要である。そしてニーズが発生したときにすぐにボランティアセンターに連絡して駆けつける仕組みが必要である。4. 3には中年のおじさんがよい。24時間待機して地元のみなさんとお茶のみや会話が出来る人。そして自然にニーズを掘り起こせる人。5. 雲仙普賢岳や阪神大震災時の教訓が住民にも伝わっており、現実を冷静に見ているが自分たちで出来るだけ完結しようとしているために、これから心身共に極度の疲労が予想される。それを予防するためにもボランティア活用が必要だ。6. 中小企業へのボランティアが必要。無報酬労働者として関わる。商店街の整備などすることはたくさんあった。7. 障害者や高齢者に対するボランティアは職員レベルの技量が必要である。 新潟は阪神と違って「群れること」でお互いの自治を守っています。これがよい方向にだけはたらけばいいのですが、長期になった場合のことを考えて外人部隊の活用を試みる必要があります。そのときには「痒いところに手が届くこと」が最低条件です。「ボランティアに頼んだがすぐ来てくれない」、「夕方から夜に助けが必要なのに人がいない」などボランティアセンターでは訊けない声がありました。ボランティアをする方にコーディネートする人を増やす必要を感じました。 2004年11月14日記ボランティア山形のホームページへhttp://www16.ocn.ne.jp/~yuinoki/追記 「米沢芋煮ボランティア」が大活躍しています代表の斎藤さんの発想は実にユニークで「暖かいこころを届けたい」の一点に集約されます。寒くなってきた新潟に山形県の各種団体からたくさんの芋煮が届けられたのも「斎藤さんの発案が社会化された」のです。また、ボランティアする側も単純明快な作業に「暖かいこころを入れる」という大役があります。する方も受ける方もお互いに気持ちのよいボランティアです。斉藤さんご苦労様です。
2004年11月14日
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現地から 川口町付近にて 復活 ボランティア山形 その9 私たちは少し遅れた昼食をコンビニのおにぎりで済ませると、川口町方面に車を飛ばしました。川口町が近くなるにしたがって家の倒壊が目立ってきます。 あちこちで家財道具を外に運んでいますが、危険の印の赤い張り紙の家も多く、そこには当然ながら人の気配が感じられません。屋根もトタン屋根の被害が少ないのか、瓦屋根の破損が目立ちました。 川口町に入ると急に活気付いている感じです。 ボランティア用の駐車場も満車のようです。路上駐車も目立ちます。自衛隊が提供したテントの数も他の町とは比較にならない数です。町の中には東京からのテントもあります。「テント村」も村の中が見えないように配慮してか、ブルーシートなどで壁を作って工夫をしていました。 しかし街の様子は小千谷市よりも被害はひどく感じました。倒壊の姿も半端ではありません。道路のひび割れも落ち込みも激しいです。 私たちは町の中を歩いて調査をはじめるとすれ違う人々が挨拶をしてくれます。地元の方、自衛隊、警察、鉄道関係者、ボランティアなどいろいろな方々と「こんにちは」と挨拶を交わしました。 新潟県は私たちの住む山形県米沢市と同じ雪国なので、注目したのが消雪道路の被害です。消雪道路とは道路の真ん中に一定間隔で噴水が上がり、井戸水の水温で雪をとかすのです。この消雪道路が災いしていました。消雪の部分を残して道路が陥没しているからです。 鉄道の線路もグニャ~とカーブを作り、道路上の鉄橋から1.5メートル位地盤が下がってしまったのか線路が落ちていました。 墓石も飛んで倒れています。道路に転がっている墓石もありました。お堂の骨組みはしっかりしていても支えがないと倒れそうになっているお寺がありました。 こんな街並みであっても住民の方々は落ち着いておられ、黙々と片付けをされていました。表情も殺気だっておられません。住民同士の助け合いが成り立っておられるのではないでしょうか? 阪神大震災とはまったく違った印象でした。 ここでもボランティアの仕事は間に合っていました。 2004年11月12日記ボランティア山形のホームページへhttp://www16.ocn.ne.jp/~yuinoki/
2004年11月12日
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現地から 小千谷市西由谷水口付近にて 復活 ボランティア山形 その8 新潟県中越地震復興ボランティア第2陣の向かった先は長岡にあるボランティアセンターでした。ボランティアセンターは社会福祉協議会に設置されていました。 ここに来た目的はNPOハートネットふくしまの吉田公男さんからご指導をうけるためです。 吉田さんは今回の地震にいち早くボランティアセンターを立ち上げるべく、福島県郡山市から新潟に入り社協中心のボランティアセンター立上に尽力されたプロデューサーです。 吉田さんを知ったのは9年前のことでした。NHKテレビに出演されていた吉田さんを初めて知りました。阪神淡路大震災のときに私どもと 同じ支援ボランティアセンターに行き、そこでノウハウを学んだ私たちと同じ「同窓生」でした。当時も現場やボランティアセンターでお会いしていたかもしれませんが、あの修羅場の中ではそんなことわかりません。私が役員をしている西宮市のNPO都市生活コミニティセンタ ーからの情報で、吉田さんと連絡を取り合うようになったのでした。 さて、吉田さんにこの間の被災地状況とボランティア活動の実態を知ることができました。 私たち一行は3つのグループに分かれて活動をすることにしました。 自閉症を子に持つ家族を中心に障害者のケアの対応がどのようにされているのかを小千谷市に調査しに向かったのは、森印刷社長さんと施設職員の石澤さんです。 また、小千谷市にボランティアとして向かったのがグループホーム結いのき地権者の田村さんとご子息大輔さんと私の息子の治と息子の友人の山崎さんです。 私と事務局長の新関寧さん、柴田敬三さん(株 ほんの木・代表)の三人は吉田さんの話を聞いた後は、小千谷市のボランティアセンターに向かいました。長岡とは違いボランティアの人数も相当数集まっている光景でした。しかし、ブラブラしているように見えるのはなぜか?と思いました。 そうこうしているうちに聞き覚えのある声がしました。あの第1陣にご一緒した「米沢芋煮ボランティア隊」の代表斎藤浩さんら5人が到着したのでした。私は斎藤さんと握手をしてから斎藤さんのお話を伺い、ここから小千谷市から自動車で10分ぐらいの西由谷水口までご一緒することにしました。 この間、田村さんに電話をすると「ボランティアの仕事がない」ということです。小千谷小学校や体育館に行ってゴミ運びを手伝ったそうですが、それもすぐ完了したということでした。 息子の治からも同様の電話が掛かってきました。「????」 そこで私は障害者の調査に向かっている森さんと連絡を取り、田村さん一行も森さんたちと行動を共にするようにお願いしました。 私たち3人は斎藤さん一行と別れ、西由谷水口付近を探索しました。 ここは建物の破損もひどく、地面も割れていました。どういうわけか西側に建物が傾いたり、落っこちているのが印象的でした。 後片付けをしていたMさんのご主人にお話を聞くことが出来ました。この集落は38軒で構成されていますが、1回の衝撃で住宅が破壊したことを強調されておられたのが印象的でした。雪の多い地帯だけに破壊された住宅をどのようにしたらよいかお迷いのようでした。 近くの神社は小高い丘にありましたが、長い石段を登って神社が近くなるたびに山の地面が割れているのでした。石段や鳥居も壊れていました。 高齢者同居世帯が多いのかおじいさんとおばあさんがあちこちで片付けをしていました。「ボランティアを今要請しますか?」と訊ねると「明日だとありがたいね~」という答えでした。 ボランティアを要請する連絡先も既に知っておられました。 つづく 2004年11月11日記
2004年11月11日
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中越地震復興ボランティア第2陣 復活 ボランティア山形 その7ボランティア山形第2陣出発 投稿者:事務局 投稿日:11月 9日(火)20時25分47秒 新潟県中越地震被災地に学ぶボランティア山形第2陣出発ボランティア山形の第2陣9人が11月10日に出発します。9人は長岡市で3班に別れて活動をします。活動予定11月10日午前4時にグループホーム結いのきを出発します。A班 現地ボランティア活動B班 障害者団体を訪問して今後のボランティア活動の調整C班 NPOハートネット福島の吉田代表と今後のボランティア活動の調整 今回は長引きそうな被災地の復興活動に定期的にボランティアが入るように現地で調整を行ってきます。なお、同日午後11時頃に米沢に帰る予定です。 第1報 投稿者:事務局 投稿日:11月10日(水)07時52分7秒 本日4時に米沢市グループホーム結いのきを出発した9人一行は7時に長岡市に到着しました。これからボランティアセンターで打ち合わせをします。 第2報 投稿者:第2陣 投稿日:11月10日(水)08時54分42秒 6人はボランティアで小千谷に向かいました。障害者施設を中心に活動予定。 第3報 投稿者:第2陣 投稿日:11月10日(水)09時44分24秒 3人は調査に入り関係者に話を聞き、これから小千谷に向います。 第4報 投稿者:第2陣 投稿日:11月10日(水)10時21分11秒 小千谷では瓦屋根の破損が目立ちます。道路がボコボコで波打っています。 第5報 投稿者:第2陣 投稿日:11月10日(水)11時08分12秒 小千谷ボランティアセンターは活気にあふれています。団体からのニーズやスタッフ募集が目立ちます。 第6報 投稿者:第2陣 投稿日:11月10日(水)12時57分14秒 小千谷吉谷に来ました。家が西側に倒れています。これから片付けが大変でしょう。 第7報 投稿者:第2陣 投稿日:11月10日(水)13時58分50秒 川口町に来ました。道路がそのまま落ちた状態です。お寺も墓石も転げ落ちています。 第8報 投稿者:第2陣 投稿日:11月10日(水)15時04分16秒 川口町の福祉施設を訪問しました。 第9報 投稿者:第2陣 投稿日:11月10日(水)15時32分7秒 川口町を後にして帰路につくところです。 2004年11月10日記
2004年11月10日
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ボランティア心得 復活 ボランティア山形 その6 新潟県中越地震へのボランティア組織が増えているようです。ここで私たちの経験からボランティアの留意点を書いてみます。~ボランティア心得~1.「奉仕をして上げる」ではなく「お手伝いをさせて頂く」。2.「舞い上がらない」で「落ち着いて」。3.「主役を奪わないであくまでもスタッフとして働く」。4.「日々心理と環境が変わる」ので「作業の内容も変わることを察する」。5.「社会正義感」よりも「お互い様の気軽さを」。6.「行政」を怒らない。7.自分の引き際を常に考える。8.気が付いたらコーディネーターになっている人がいたら、その人のもとにスタッフ6人を置こう。9.個人志願です。団体の動員にならないように。10.喧嘩や口論は絶対しない。 もちろん自己完結型ですよ。 他にも心得があったら掲示板に書き込みしてください。 2004年11月6日記ボランティア山形のホームページへhttp://www16.ocn.ne.jp/~yuinoki/
2004年11月06日
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ボランティア山形のホームページを作る 復活 ボランティア山形 その5 新潟県中越地震や西日本一帯に大きな被害を与えた台風23号などの復旧のお手伝いに全国各地から心温まる市民たちがボランティア活動を展開しています。 私たちがつくる「ボランティア山形」では11月9日(火)に第2弾が行く準備に取りかかっているところです。 情報交換などができるように急遽ホームページをつくりました。制作は生活クラブやまがた生活協同組合職員の曽野部勝啓さんです。また、指導には市議会議員の我妻徳雄さんも半日応援してくださいました。 ときどきアクセスをしてみてください。また、掲示板には書き込みもお願いします。ボランティア山形のホームページへhttp://www16.ocn.ne.jp/~yuinoki/ 2004年11月5日記
2004年11月05日
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ボランティア第1弾出発!! 復活 ボランティア山形 その3今朝7時にボランティア第1弾14名が出発いました。米沢市長安部三十郎さんはじめ米沢市職員、生活クラブやまがた組合員、斎藤浩さんの仲間らが壮行にかけつけました。芋煮1000人分の材料を積み込んだトラックには「米沢生活協同組合緊急物資」のマスクが掛けられています。 (2004年10月28日 07時30分) 今回の私たちの目的は3点です。1.現地の状況把握 今後のボランティアに向けて2.避難所の紹介とお誘い 米沢へのお誘い3.芋煮1000食の配食 アッタカイ芋煮で米沢のアッタカイこころを伝える現在関川村を走行中です。8:49 発信:釜田現在中條です。これから高速道路を走行します。9:34 発信:釜田長岡市に入りました。緊急車両と出会うのが多くなりました。しかしまだ家屋の倒壊などの被害が見当たりません。10:41 発信:釜田小千谷まで18kmまで来ました。家屋の被害がでています。11:22 発信:釜田小千谷市内に入った。道路は少し歪んでいるために波打っている。家は思ったほど壊れていない。新しい家が多いからか。 新関 12:00小千谷小学校に向かっている。そこで芋煮を行う。ハートネットの吉田さんとも連絡がついたので後で今後の対策を話し合う。 新関 12:30東小千谷体育センターで芋煮を100食作っている。 新関 14:19家にはレッドカードよりイエローカードが多い。避難者が多いのはそのためか?自動車の運転も落ち着いている。神戸とはだいぶ違って落ち着いている。田舎だからかもしれない。市の社会福祉センターに来た。この市の福祉施設は大丈夫だが、周囲の町の施設から避難してきた入居者でごった返しているようだ。ハートネットの吉田さんとも話し合った。避難者に米沢での受け入れを呼び掛けるのはゲリラで行うことが賢明と思う。 新関 15:53小千谷小学校で900食作るためにこれから向かう。 新関 15:30今、芋煮の配食が終わりました。これから帰る(準備をして)ところです。みなさんによろしく。 新関 19:12 2004年10月28日記
2004年10月28日
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