NO23 ゆうの 25年間の記録



毎月検査に行く事と、近くの内科に 週3回の丸山ワクチンを注射しに通いう事が、当面の私の仕事に なっていました。

寒くなっていましたので、痛みは強くなっていましたが じっと我慢の子でした(o・_・)/”(ノ_<。)ヨシヨシ

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久留米の、聖マリアに預かって頂いていた ゆうも退院して来て、久し振りの一家だんらんの、幸せを ゆっくりとかみ締めていました(∩.∩)

母からは
「あんたは、生きていてくれるだけで良いから・・・」と、言われて心から感謝し 親よりは先に死ぬ様な、親不孝だけは絶対にしないと 誓っていました。

ゆうも、私の病気で 大きな不安と 精神的にきつかったと思っていましたが、そんな事を何も言わず 私が痛みで苦しんでいる時には、気功で(ゆうには、気を使える事が出来ていましたので)背中に手を当て、懸命に、気を送ってくれて 痛みを和らげてくれていました。

(本当に、痛みが治まるから・・・とても、不思議でしたよ~うんうん!(^-^) ポカポカしてきて 気持ちよかった事!)

長男も、県外から頻繁に帰って来てくれて・・・その度に、癌に効くと言う ありと、あらゆるお薬を 買って来てくれていました。

元夫はと言うと・・・
「ママが死んだら、生きていけない・・・」と、私が死ぬ事ばかりをいつも言っていました。
(子供の事は何も言わないで・・・ 結局は、自分の事ばかりなんだよな~~~!だって、その後の検診の時に、一度も付いて来ては くれなかったから・・・  (´Д⊂ モウダメポ)

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新年を、迎え・・・

ゆうも、春には高等部を卒業して・・・4月から、T作業所に通う事が決まっていました。

養護学校の卒業式には、母と父親が行ってくれました。

高等部の3年間は、お休みが多かったから 思い出は少なかったけど、とても良い先生に御指導を頂き、 その後のゆうの人生に 大きく関わって頂く N先生との出会いもあり・・・有意義な高校生活でした。(∩.∩)


4月になり、新しい生活がゆうを 待っています。ワクワク((o(゚▽゚○)(○゚▽゚)o))ドキドキ

T作業所の、入所式・・・とても楽しみにしていた ゆうには、待ち長い春休みだったようでした。

作業所の仕事は、カレンダー作りや木工製品作成、などのデスクワークが多く、また 伝票の整理など、ゆうには苦手な事が多く 段々と 苦痛に成って来ていたようでした。

そして、夏には いつもの入院で3ヶ月のお休みをして・・・(夏に具合が悪くなるから)

9月から、また 作業所に通い始めていました・・・・が


この年の、11月11日・・・ゆうにとって、思いもよらない出来事が起こってしまいました。



明日へとつづく



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