NO2  ゆうの25年間の記録

天使


ゆうが、久留米の聖マリア病院に送られて、不安を抱えながら退院までの日を過ごす中、

ちょっと切る物があったので、はさみを探していたら どうしてもみつから無い・・・

よく見ると、果物ナイフも無い・・・(・・?))アレ((?・・)アレレ・・・
(確かに入院道具の中に入れたのに~~~どこいっちゃたのかな~)

と、暫く探し・・・アッ!・・・(私に分からない様に持って帰ってる~~)

(・∩・)ムムッ と、言う事は(私が自殺でもすると思っての事か・・・・なぜ 自殺せねばならぬのか、えっ!・・・もしかして、もう ゆうが 生きていないのかな・・・それとも 自殺せねばならぬほどの、障害があるのかな・・・足が無いのかな、手が無いのかな???)

などと、その時の知識の中で思いつく限りの障害を考えていた。

その不安の中、その年の3月に初めての男の子を出産した妹が見舞いに来たので、そ~~~っと聞いてみた。

「あの~~~ゆうは、何か障害があったと?教えてよ~」

「何言いーよーとーなーも無かよ。ただね。小さかっただけ、心配せんでも良いよー」

と ポーカーフェイスですまして答える妹・・・

その顔を見て、(あ~~良かった!私の思い過ごしだったんだ~ ん!待てよ・・・でも・・・刃物が無い!)

と、心で思いながら・・・どう考えたら良いのだろ~~頭の中はワケワカメ状態でした。

家族は毎日見舞いに来てくれていましたが・・・背中から
「何も聞くな!」オーラが出ていますし、顔色最悪し・・・


私は、ただ毎日、張って来る胸を氷で直に冷やしながら、真っ赤に成った胸が、しもやけに成るんじゃないかな~などと、変な心配をしていました。


ゆうが生まれて5日目の朝 突然息を切らした主治医が来られ

「今から、久留米に行ってきます、ちょっと赤ちゃんの様子を見てきますからね。あそこは、良い先生が多いから何も心配は無いですよ~じゃ行ってきます~」

私は、ポカ~ンと口を空けたまま・・・
「ハァ~~はい。」

頭の中が・・・シーンとなって(ゆうに何かあったな・・・そう言えば いつも日曜しか家に来ない兄達が 土曜日の今日家に来るって言ってたな・・・もしかして、葬式・・・)

そう思った瞬間、血の気が引いていくのが自分でもはっきり分かるほど動揺していました。


実は、その日はゆうの手術の日で 生後まだ5日目の体にメスが入り、頭のコブを切除して 頭とお腹の中に管を入れる為にゆうは一人で6時間もの長い間 手術に耐えていたそうです。

【コブは、脳髄膜溜といって、コブの中に脳が飛び出している状態で その病気の子は 髄液が流れる道が無く、水頭症に成っているから・・・もしくは成るから、脳が髄液に押されて脳圧が上がるのを防ぐ為にVPシャント術と言って、
細い管を頭の中から首の皮膚の下を通して、腹腔内に入れる手術】

兄達が来ていたのは、その手術の時に輸血が必要だから ゆうと同じ血液型の兄が呼ばれたそうです。

妹も母も ゆうと同じ血液型でしたが、母は歳で 妹は産後だから輸血が出来ず・・・残念!でした。

私の主治医も ゆうの手術が終わるまで、家族と一緒に見守って頂いたようでした。

家族みんなは、聖マリアの脳外科の先生から

「多分手術には耐えられないかも・・・やってみないと分かりません」と、言われていたそうです。

そして、手術に耐えても暫くは、急変するかも知れない・・・とも 言われていたそうです。

そんな事に成っているとは全く知らされないまま・・・

ラジオから流れる谷村新二の『昴』を聞きながら、流れる涙を拭うのも忘れ 

ただ ただ まだ見ぬ ゆうの事を神様に祈っていました。

「早く、会わせてください」と・・・

                    明日へつづく 


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