ネオリアヤの言葉

ネオリアヤの言葉

ニューヨークから




「気になって電話してみました」

第一声が届いたのは、夜中の一時半。
打ち合わせが終わった後に寄ったカフェバーは、
忘年会帰りの男女で混み合っていた。
薄暗いフロアに淡いダウンライトの明りを帯びたサテンやアクセサリーが、
あちこちで光を放っている。
十二時を回っても営業しているカフェの少ない札幌では、
ススキノの電車通りに程近いことも手伝って、
ここはオープン以来客足が絶えない。
店内の喧騒を遠ざけるようにして、話し口に右手をかざした。

「中根です。中根豪なんですが…」

着信と同時に携帯の画面上で明滅していた名前が、
音声になって訊こえてくる。

「わかりますか?」
「はい、わかります」

驚きと緊張で声が少しうわずる。

「時間も考えないですみません。今、日本て何時ですか?」
「夜の一時半、です。…どちらにいらっしゃるんですか?」
「ニューヨークです」

明快な声が返ってきた。
灰色の街と、高層ビルの上のほうに見える、
一滴の青い絵の具を、溢れるほどの水で薄めたように透き通る空。
そして、冬の太陽を浴びて歩くスーツ姿の中根さんが、眼に浮かぶ。
ひどく遠い記憶を辿るような沈黙が、一瞬の呼吸の間に流れた。

「…賑やかですね」
「店にいるものですから」
「あ、じゃあ、迷惑かな」

私の笑い声に、彼の言葉が砕ける。

「いえ、大丈夫です。今移動します。少し待って戴けますか」

丸いカウンターテーブルには、気心の知れた仕事仲間が六人、
輪を作っている。

「ちょっと外に出てくるね」
と手で合図しながら、席を立った。
「誰から?」
と、同僚が唇を動かしているのが眼に入る。
その質問には応えずに、目配せだけで謝りながら、店の扉を押し開けた。

「訊こえますか?」
「うん、大丈夫」
「良かった」

軽やかな笑い声が響く。
彼も、ロビーかどこかの、広い場所にいるらしかった。
弱いスポットライトを浴びている自分の姿を、扉のガラスで確認する。
でも、電話の向こう側には見えないのだと気づいて、一人苦笑した。

「ニューヨークへはお仕事ですか?」
「コンペがあってね。さっき着いたばっかりなんだ」
「晴れてますか、冬のニューヨークは」

そうだね、寒さが街の景色を綺麗にしてるよ、と彼は呟く。
私は、うつむいてジーンズの膝を意味もなく掃うと、
一メートル四方の狭いスペースにしゃがみ込んだ。
初めて名刺交換して、話をしてから、半年ぶりの声。
半年前の東京での会話が、昨日のことのように甦る。
アポなしで訪れた、運がよかっただけの初対面。

どうしても中根さんに会いたい。
それだけの勢いで行った東京の中根さんの事務所。
時間も人も待ってはくれないし、まして手を差し伸べてはくれない。
それなら、と忙しいシーズンの最中、上司や同僚に睨まれつつ休暇を取った。
彼に会うために。
と云っても、会社名はきちんと利用しつつ、
ビジネスとして会話の糸口をつかんだのではあるけれど。

「驚かせてすみません。ずっと、連絡しようと思ってはいたんだけど」
「いえ、とんでもないです。でも、びっくりしてます」
「そうだよね」

電話の向こうで、乾いた、響きのある声が再び笑う。

「どうですか。仕事、まだ続けてるの?」
「…はい。結局、あの後で大きなプロジェクトを任されまして、それが終わってからと考えていたら、半年も経ってました」
「そんなもんだよ、仕事って」
「そうでしょうか…」

訳知り顔の軽いあしらいに、悔しくて反抗的な反応をしてしまう。

「そうでないなら、あの時のパワーを維持しなくちゃ」

躊躇いのない、当然のことを云われて一瞬言葉をなくす。
おそらく、こちらの心情はストレートに伝わってしまったはず。
一体、彼にどんな言葉を期待していたのだろう。
悔しさが、恥ずかしさに変わる。

そう。
本当に何かをしようと思ったら、もの凄いパワーが必要なのだ。
私の悪いところは、瞬発力にだけ任せて、
モチベーションを上げて実現へと繋げる努力をしないことだ。
それを、タイミングのせいにして半年を過ごしてきた姿を見破られた気がして、
情けなくなった。
夢を見ているだけの、どこにでもいる人間だと思われたろうか。
人の眼を気にしてばかりの思考回路で、それも厭になる。
溜め息がこぼれそうになり、話題をそれとなく逸らす。

「中根さんはお忙しいんですか?」
「そうだね。仕事とらなきゃなんないし。でも、けっこう遊んでるよ。会社にあんまりいないのはそのせいかもしれない」

声を訊きながら、自分の中で遠くなりかけていた東京が、
ふつふつと胸に湧き上がる。

「実は、来月札幌に行くんですよ。仕事じゃないんだけどね」
「来月のいつですか?」

出かかった言葉があまりに幼稚すぎて、私は口をつぐんだ。

「初旬。日程はまだ決まっていないけど、八日に予定が入ってるから、その前後。…八日前後は忙しいかな?」
「え…」

呑み込んだはずの言葉が、中根さんの口から出てきた。

「もし都合よければ、せっかくだからどうかなと思って。それもあって今日電話してみたんですよ」

ホテルのロビーで待つのは悪くない。
頻繁に人が出入りするので、ホテルマン以外にはあまり眼につくこともない。
約束の時間よりも少し早めに着き、ゆったりとしたソファに腰かける。
根が暗めな私は、そうやって人を観察することが多い。
午後六時間際のホテル一階は、企業の新年会参加者や待ち合わせの人々で、
文字通り、ごった返していた。
この日は、景気がひどく低迷中の北海道にあっても、
右肩上がりの成長を見せている道内企業と外資企業が、
新年会を行なっていた。
仕事で知った顔が数人、落ち着いた表情で談笑している。

濃い色のコートに身を包んだ男女が、
次から次へと正面エントランスから入ってくる。
その中に、頭ひとつ背の高い中根さんを発見した。
立ち上がった私を見つけた彼は、左手を上げる。
そして、後ろから追い越しを掛けられた女性にぶつかり、
「すみません」
と頭を下げて謝る。
その一連の動作があまりにかわいらしくて、思わず、微笑んでしまった。

「お久しぶりです」
「どうも。やっぱり混んでますね」
「今日は特別ですから」

中根さんと一緒にいると、周囲からの視線が気になる。
背の高さ、仕立ての良いスーツ、そしてこのルックス。
半ば気後れしながら、姿勢を正す。
洒落た男性が多い東京でさえ、彼は目立つのだから、
まして札幌で振り返らない女性はいない。
ニューヨークの話をしながら、タクシーで店まで移動する。
私が指名した店だった。

「で、調子はどうでしたっけ? この前は電話だったから、あんまり話もできなかったけど」

緊張をしている私をよそに、中根さんは正面の席に掛けながら、
眼を細めて訊いた。

「そうですね…お電話戴いてから、いろいろ考えました。私は今のままで楽しめているだろうかって。そうしたら、仕事をこなしてるだけの自分に気づいたんです」
「こなすことも大事じゃない? 数をこなさないと見えてこないことって、結構あるものですよ」
「そうかもしれません。でも、自分が「こなしてるだけ」としか思えないことをしていることが問題なんです。本気で楽しんで仕事をしていれば、こなす経験も善しと考えることができる気がするんです…」

自信と不安の交じり合った声で、中根さんを視界に捉えながら話す。
内容に、確信も根拠もなかった。感じてるだけの真実を口にしていた。

「それで、私、今の会社を辞めることにしたんです」
「え?」

彼の眼が、落としかけたメニューから戻ってくる。

「そうなるの? すごいね」
「ちょうどいいんです。会社での人事異動もあって…今の部署から外れることになったんです。私はいらないということです」
「そう云われたの?」
「いえ。でも異動がそれを物語っています。今のイベントプロモーション部は、私のたっての願いで配属してもらいました。もともと、企業情報部という社外契約業務に携わる辞令が出ていたんですけど、イベントチームでなければ、この会社を選んだ意味がなかったんです」

三年やって成果が出ないと判断したら、異動してもらって構わない。
それが上司と人事担当者と交わした約束だった。
結局、三年と経たない、二年と半年で異動辞令が下されたのだ。
けれど、私はある意味それを当然として受け止めている。
実際のところ、自分の仕事と会社の方針に限界を感じていた。
外資系ホテルであっても、
ボスや総支配人のジャッジで物事が進行していくのは同じ。
だが、その決断の全てがあまりに偏りすぎていた。

「でももう決めたんだ」

中根さんは、眩しそうに眼を細めてから笑うように優しく云った。

「はい」
「決めたことは必ず実現しますよ」
「…?」
「次のものが見えている人は強い。夢がかなってから出会う人たちは、一様に結果だけをみるけど、本当は決めるまでが大変だから」
「…」

彼の微笑みは、かすかに過去を辿りながら私を包み込んだ。

「中根さん」
「?」
「また今度会っていただけますか?」
「…いいですよ。もちろん」
「今度会うときには、私、夢を叶えていますから」

私の言葉に、中根さんは十分すぎるほどの優しさを込めて頷いた。

「じゃあ未来に乾杯」

ちょっとクサいかな、と苦笑して中根さんはグラスの淵を合わせる。
小気味よい音が二人のテーブルに響いた。




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