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9.24の11:10PMからの「世界の車窓から」では、列車はプラハを北上し、カルロヴィ・ヴァリに着いていた。ところで同番組では、カルロヴィ・ヴァリはドイツ語で「カールスバード」と言っていたが、これは間違い。ドイツ語では語尾のdは濁らないから、Badはバートとなる。「カールスバート」が正しいドイツ語読みだ。「マリエンバート」もマリエンバードではない。往年の名作「去年マリエンバートで」はDVDにもなっているが、決してこれも「バード」ではない。さて、Mizumizuはプラハから南下する。途中チェスケー・ブディヨヴィツェで2泊して、うち1日はチェスケー・ブディヨヴィツェからバスでチェスキー・クルムロフの日帰り観光をした。そのあとオーストリアのグムンデンに行ったのだが、プラハで鉄道の切符を買うとき、「2等車両で、グムンデンへ。途中でブディヨヴィツェで降りて2泊するんだけど」と英語で伝えたら、プラハ―グムンデン行きの切符でいいと言われた。2等で938コルナ(当時)。たったの4232円! これでオーストリアまで行けるの? うそぉ。途中下車で2泊もOKなの? うそぉ。と、どうにも信じられず、インフォメーション(つまり別の人間に)で買った切符を見せて、「これでブディヨヴィツェでいったん降りて、2泊して、そのあとオーストリアのグムンデンまで行けるの?」と確認した(誰かが何か言っても、ほとんどそのまま信じないのがMizumizu流ヨーロッパ個人旅行だ)ら、「あったりまえだよ」みたいな顔で「問題ない」と言われた。チェコの公共交通機関ってホント安いな~と思いつつ、ブディヨヴィツェへ。それからクルムロフへ。ブディヨヴィツェ―クルムロフ間のバスもメチャ安だった(往復で470円!)が、バスは目をむくほどボロかった。「こ、これで走るの?」と思ったくらい。日本だったら間違いなく廃車になっている。これはクルムロフで買った鉄製の燭台。シンプルながら力強い造形が気に入って買った。チェコの工芸品のレベルは、その値段に対して、かなり高い。お値段は445チェココルナ(2000円ちょっと)。そのあと、ブディヨヴィツェを出発し、オーストリアのグムンデンまで行ったのだが、その列車がまたメチャクチャぼろい。「世界の車窓から」でも映っていたが、車内の窓は、上下2つに分かれていて、上のガラスを下げて窓を半分開ける仕組みになっている。ところが、その「下げた窓」が列車が揺れるたびに「がっちゃん」といって跳ね上がるのだ。下にさがったまま止まっているということをしてくれない。仕方なくもっていた紐で窓を車内の出っ張りにくくりつけた。列車の揺れもひどく、酔いそうになった。つら~い旅だった(おそらく日本も昔はこんなものだったんだろうと思う。今の日本の快適な鉄道やバスに慣れてしまった身の堕落ぶりをつくづく感じた)。ところが、オーストリアに入ったとたん、すべてが変わった。列車は滑るように(と、チェコから来ると感じた)スムーズに動き、とても車内は静か(と、チェコから来ると感じた)で、窓の向こうの景色はよく手入れされた田園になった。グムンデンで一泊したあと、「世界で一番美しい湖畔の村」というのが謳い文句のハルシュタットへ向かった。
2007.09.25
プラハ観光の2大スポット、カレル橋とプラハ城を両方一緒にカメラにおさめるには、カレル橋から少し南にくだったトラム駅でいえば「カルロヴィ・ラーズニェ」あたりに行くといい。そこから撮った写真が、これ。ブルタヴァ河のゆったりとした流れもいい。ところで、この写真を撮るときに、ある「事件」に遭遇した。旧市街広場から、ヴルタヴァ河方面に続く道はいくつかあるが、「パジーシュカ通り」というのが、ブランド店が立ち並び、パリの雰囲気がある道だというので歩いてみた。結果からいうと、ブランド店は銀座やそれぞれの有名ブランドの本国での本店を見ている人間からすれば、あまりに貧弱な品揃えで、プラハでの購買力の低さがわかっただけだった。道自体は確かに高級感のある建物が建ち並んでいて、それなりなのだが、ブルタヴァ河までの道のりが結構長くて、疲れた。さて、ブルタヴァ河近くまで行って、トラムでカレル橋まで戻ることにした。トラムで2駅。カレル橋まで600メートルぐらいだから、歩いてもたいしたことはないのだが、ちょっと疲れていた。インターコンチネンタルホテルにも近い「プラーヴェツカ」駅でトラムを待つ。トラムの駅は小さくて券売機はなく、周囲にも切符を売っていそうなタバコ屋(いわゆる「タバコ屋」で市内交通機関の切符を売る国は少なくない)もない。こうしたことは予想していたので、あらかじめ地下鉄駅でついでに1区間分の切符を余分に買ってある。トラムはなかなか来ない。かなり待ったような気がする。「歩いたほうが早いかな~」とちょっと迷うが、そのうちにトラムが来て、乗り込んだ。さて、トラムがカレル橋に近づいてきたとき、前後の入り口から乗客を挟み撃ちにするように検査官が乗り込んできた。目の前に座っていた若い金髪の旅行者と思しき女の子が「あっ」という感じで、逃げようとした。が、検査官は前後から来るので、逃げようはない。次の駅のカルロヴィ・ラーズニェで検査官とともに降りた(降ろされた)女の子は猛然と抗議を始めた。Mizumizuが写真を撮り、ゆったり景色を見ている間もずっと抗議している。その気持ちはわかる。ほんの数百メートルの距離、しかも観光客が使いそうな路線、さらにトラム駅に券売機がない。とくれば、これはほとんど、「引っ掛け」ではないのか? 賢明なる日本人旅行者のMizumizuには「地球の歩き方」「ネット上での口コミ」による豊富な情報があった。これらの情報源には、プラハのトラムや地下鉄では頻繁に検査が行われ、切符がたとえ買いにくい場所であってもいったん無賃乗車が見つかったら容赦なく罰金を取られ、ときには当局に連行されてしまうと書いてあった。事前にこうした情報を入手していなかったら、うまく「引っ掛け」られていたかもしれない。もちろん無賃乗車はいけない。だが、そうした不正を摘発するなら、あらゆる駅で切符を売るかあるいはトラムの中で切符が買えるようにしておくのが当たり前ではないだろうか? だが、実はイタリアのバスにもこうした制度(?)はある。バスの停留所では切符は売っていない。バスの中では買えない(もちろん、買えるバスもある。フィレンツェのような観光都市では買える)。ではどこで買うかというと、「タバコ屋」だ。たいてい停留所のそばにあるが、ないこともある。イタリアでバスに乗るために、切符は「あっちで売ってる」「こっちで売ってる」といい加減なことを教えられウロウロしたのは一度や二度ではない。イタリアの田舎町ならともかく、ここは天下のプラハだ。観光でなりたっている街だといってもいい。それにトラムを利用する観光客なんて、たいがいが自由旅行の若者だろう。団体客はトラムになんて乗らないし、金持ちならタクシーをチャーターするだろう。地元民は事情を知っているから、わざわざ捕まりそうな場所で切符をもたずにトラムに乗ることなんてない。切符も買いにくく、いかにも無賃乗車をしてしまいそうな場所を狙い撃ちにして、たいしておカネももっていない、街のこともよく知らない自由旅行者からバカ高い罰金をせしめるなんて、これはもう合法的なタカリだとしかいいようがない。しかもいったん捕まえたら、強権的な態度で、なんなら当局に連行だなんて、まるで、チェコを長年弾圧してきたソ連のやり方じゃないか。自分たちが大嫌いだったかつての親分のやり方をマネして、恥ずかしくはないのか。若い女の子は延々と30分以上抗議している。こうした理不尽には女性のほうが「許せない」と感じるようだ。あれが男の子だったら、他人に見られて恥ずかしいし、面倒だからとさっさと払ってしまうだろう。Mizumizuがその場を離れるときも、女の子はまだ抗議していた。検査官も譲るつもりはないようだった。そういう規則なのだろう。その後彼女がどうなったのかは知る由もないが、見ていて実に不快だった。プラハ当局がやるべきは、事情を知らない人間から合法的なカツアゲすることではなく、たとえばフィレンツェのバスのように、車内に券売機を設置することだと思う。これは多少古い話だ。今のプラハではトラムの切符はもっと買いやすくなっているかもしれない。そう願いたいが、もし事情が変わっていないようなら、プラハの街を個人で歩く日には、地下鉄の駅でトラム分の切符をちょっと余分に買っておくことをオススメする。
2007.09.24
カレル橋には30体の聖者像が並んでいる。そのうちの1人があたかも「プラハ城へ行け」と指差しているように見えるのが面白くて撮ってみた。カレル橋とプラハ城はやはり、プラハ観光の2大スポットだ。ところで、城下からプラハ城まで行くには、地下鉄だとマロストランスカ(Malostranska)が最寄なのだが、ここからだと徒歩10分… というとラクそうだが、実はかなり上り坂がキツイ。だから、マロストランスカからトラム(22か23)に乗り換えて、ヴェルヴェデーレ宮殿の横をとおり、プラシュスキー・フラド(Prazsky hrad)まで行くといい。ここからなら徒歩で3分ぐらいで、ラクに着ける。ということはよく知られていて、マロストランスカからのトラムには観光客がいっぱい乗り込んでくる。トラムは切符が買いにくいので、なんなら地下鉄の切符売り場で、ついでに買っておくといいかもしれない。日本のようにA駅からB駅という切符ではなく、区間制で、かつものすごく安いから、少しまとめて買っておくと、トラムに乗るときに便利。街中のトラム駅には切符を売っていないところも多い。トラムの中では(たしか)基本的に買えないから、うっかり無賃乗車をして、検査官につかまると(ふつうの料金に比べて)法外な罰金を容赦なく取られる。トラムにも地下鉄にも乗れる1日券もあるのだか、これは観光客相手で、実は案外割高。区間切符をちょっと余分に買う… ほうが絶対に無駄がない。さて、マロストランスカでトラムに乗ったところ、Mizumizuの前になぜか中年の女性が立っている。右へよけようとすると向こうも右に寄ってくる。左から通ろうとするとなぜかまた左に… 「へっ?」と思っているところに、連れが「スリ!」と声を出す。と、同時にMizumizuもバッグにこっそり伸びてきていた手に気づく。当然、「何してんのよ!」と英語で叫び、突き飛ばした。バレたと悟った女は転ぶようにしてトラムの外へ。実はもうひとり男がグルだったらしく、こっちも慌てて外に逃げ、勢いあまってマジでコケていた。スリとしてはたいしたテクニシャンではなかったから事なきを得たが、ここまであわやとなったのは初めてだった。他にも大勢観光客(ほとんど白人)がいたのに、なんだって目を付けられたのだろう。東洋人だからおとなしいと思ったのかもしれない。ということは、日本人は狙われているのかも。確かに日本人はいいカモが多いだろう。一般的に欧米人よりはるかに警戒心が薄い。それに小柄で非力に見えるし、何かあっても瞬時に相手を怒鳴ったりできない。(フィレンツェでは、寄ってくるジプシーに、「ソーリー、ソーリー」と謝罪してる日本人がいたっけ。日本風にいえば、「ごめんね、何もあげられないから向こうに行ってよ」というようなつもりで言っているのだろうが、ハッキリ言って、完璧にセリフを間違えている)。何にしろ、スリと遭遇すると、被害はなくても大変にイヤな気分になる。突き飛ばしたあとに、2~3発… はムリでも、1発ぐらいは殴っておけばよかったなあ、とちょっと後悔(笑)した。こうした不逞の輩に対しては実力行使あるのみ。それに瞬時にもっと大声を出さなくては(ちなみに、ジプシーを追い払うときのイタリア人の大声と態度はすごい)。次からはすみやかに反撃に出よう、と心に決めたのだが、残念ながら… いや、幸か不幸か… いや幸運にも、その後はどこでもスリにはお目にかかってない。
2007.09.23
今、「世界の車窓から」でチェコを特集している。9/21の夜の放送はプラハからポーランド方面に向かう車窓を紹介していた。バックミージックはなんと、「I like Chopin(日本では小林麻美の”雨音はショパンの調べ”でもヒットした)」のチェコ語バージョン。80年代の懐かしい曲が全然違った歌詞で歌われて、かなり新鮮だった。さて、チェコはガーネットで有名だ。他にもボヘミアガラス、旧東欧圏からの琥珀のアクセサリーもよく見かけた。プラハではアンティークの陶磁器でも素晴しいものがあったのだが、ガラスや陶磁器は、チェコのあとオーストリアをまわる個人旅行という都合もあって諦めた。今から考えたら買っておけばよかったなあ、と思うが後の祭り。だが、ガーネットのアクセサリーはかさばらないので1つ買おうと思っていた。観光客が歩く場所には、ガーネットを売るお店が無数にあった。手頃な価格のものは土台が金メッキ製なので、あまり長持ちしないかもしれないという気がした。それにデザインもクラシカルな定番モデルしかない。買うんなら18金にしたいと思いながらお土産屋を覗くが、なかなかピンとくるものがない。プラハ滞在の後半ではパレスホテルに泊まっていた。ここはよいホテルでお奨めできる。実は、その近くのエスプラナーデで宿泊していたのだが、設備が悪くて居心地が悪かったため急遽「引っ越した」のだ。で、パレスホテルからすぐのところにヴァーツラフ広場がある。ヴァーツラフ広場に沿った大通りにはそれなりの宝飾店も多く、プラハ滞在最後の朝ぶらぶらウィンドウを見ていたら、スクエアタイプのモダンなデザインのガーネットに目が留まった。ガーネット2石を少し端をずらして留め、18金で2方からしっかり直線的な縁取りをし、そこに小さなダイヤがあしらわれている。ペンダントヘッドはピアスとお揃いになっていた。ピアスはNGだというと、店の地下の工房で数時間あればイヤリングに替えてくれるという。なのでセットで買ってしまった。数時間後に取りに行くとちゃんと出来ていた。イヤリングのクリップもそれほどキツくもなく、ゆるくもなく、うまく付け替えてくれた。しっかりした職人がいることは間違いない。スクエアカットのガーネットは照明によって、茶色っぽくもみえ、黒っぽくも見える。それほど派手な宝石ではないので、普段使いにも役立つアイテムだ。「楽天市場」でガーネットを検索してみたが、案外安い(笑)し、デザインもわりといろいろある。チェコで買うのは旅の想い出になるが、楽天でしっかり相場感(?)をやしなってから行くほうがいいかもしれない。結構似たのもあったりして…(苦笑)こんなお手頃価格のセットも…これはカタチはスクエアながら、カボションカットでややアンティーク風。上品な大人の雰囲気で、お値段もやはりそれなり。ここまでデザイン性が高くなると、プライスダグも当然ながら…ダイヤやパールと組み合わせるととたんに価格はハネ上がる。でもやはり値段相応に凝っている。うう~む、楽天恐るべし! チェコで買う必要は、あるのだろうか!?追伸:Googleで「雨音はショパンの調べ」と入れて検索してみたら、YouTubeの古いプロモーションビデオがヒットしてきた。ソノ最初の画像、何に似てるって、あのホラー映画の傑作「リング」のワンシーン、「鏡に映る貞子」なんだけれど… ウソだと思う方はGoogleでお試しあれ。で、思わず見てしまう(笑)。昔の小林麻美がセクシーな(??)ポーズを連発している。小林麻美ってスンゲー痩せていたのね。今何をしているのだろうか? 今夜はあのビデオ、かなりヒット数が伸びるんじゃないかな。
2007.09.22
旧市街広場はすごい数の観光客で賑わっていた。喧騒から逃れるようにして、市民会館裏のホテル・パジージュへお茶をしに行く。パジージュとはパリの意味だという。ホテルの1Fにあるカフェ・パジージュは、お皿や椅子のクッションの模様までアールヌーボーで統一されていた。内装の一部にはネオ・ゴシック風の装飾も見える。このうえなく豪勢な雰囲気で、トイレまでカーペット張り。まさしく古きよき時代のヨーロッパのカフェだ。そして、ここで食べたケーキが最高だった。写真でいうと奥に見える昔風ケーキ。生地がざっくり粗いのだが、バサついているわけではなく、非常に風味が高い。小麦粉の美味しさがダイレクトに味わえる。しっとり柔らかでキメ細かな生地ばかりの日本では最近ちょっとお目にかかれない。ただし、チェコでは生クリームがダメだった。このカフェ、雰囲気も味も素晴しいのだが、あまり賑わっていなかった。静かでいいといえばいいのだが、ここでくつろぐには、地元の人には値段が高過ぎるのかとも思う。カフェは本来ジモッティが憩うための場所のはず。だがプラハは、飛びぬけて美しい場所は観光客御用達みたいになっている。旧市街広場もそうだ。広場は本来人々が集い、おしゃべりをしたり、本を読んだり、子供たちが遊んだりするための場所だ。たとえばイタリアでは、広場はそうした役割を今もしっかり果たしている。そうした役割を担うことで、歴史的な建造物をもつ広場に「今」という味が付加され、広場はさらに魅力的な空間になるのだ。だが、プラハの中心街はあまりに観光客に占領され、博物館化してしまい、地元民と街とが生み出す生活のにおいや活力というものがほとんど感じられないのだった。
2007.09.21
アールヌーボーな壁画に埋め尽くされたロット商会の建物。もともとは鉄鋼を扱う商社だったらしい。今はロットクリスタルというお土産屋になっている。ティーン聖母教会が見えてきた。ゴシックの尖塔に小尖塔が突き出した独特な屋根のスタイル。小尖塔の先には金色のオーナメントが明るく輝いている。もうすぐ旧市街広場だ。旧市街広場の旧市庁舎にある天文時計。12使徒像で有名だが、正直、あまりよく見えない。それよりも、路面の石畳が天文時計と呼応したデザインになっているのが面白く思えた。ヤン・フス像。プロテスタントの宗教指導者、というぐらいのことしか知らなかったが、チェコでは大きな存在のようだ。ホントはこの像を見て、「えっ、フスってドイツ人じゃなくてチェコ人だったの?」と思ったのだが、それは内緒にしておこうっと。ついでに内緒だが、Mizumizuはフランツ・カフカもずっとドイツ人だと思っていだのだ。カフカはチェコで生まれたユダヤ人、そして母語はドイツ語… ううむ、島国の日本人には想像つかない環境だなあ。カフカの小説もまったく理解不能だし… 昔、高校の先生や大学の先生には、カフカフリークみたいな人がわりと珍しくなく存在していた。たいていはサルトルあたりとセットで、ときにはカントなんかに飛び火しつつ、ウザい哲学論を繰り広げていた… というか、うら若い生徒に彼ら自身の「存在に対する思索」なるものを押し付けていた。今の世の中で哲学は影響力を失ったようにみえる。だが、かつての日本は、哲学が学問として、あるいは人生を生きるうえにおいても、重要な位置を占めている、あるいは少なくとも重要な位置を占めるべきだと考えられている時代が確かにあったのだ。その潮流に乗って――かどうかは知らないが――ドイツ哲学の世界に「逝」ってしまった高校時代の伝説の優等生の先輩もいる。彼はいまごろ何をしているのだろうか。ってたぶん大学の先生だろう。ドイツ哲学の行き場が他にあるとは思えない。
2007.09.20
プラハ城から出て、城下の街まで散策する。まずは、城から出てすぐのところにある、シュバルツェンベルク宮殿。宮殿自体の建築様式はルネサンスだった。ここでは城壁のスグラフィート技法によるだまし絵に惹かれて、わざと距離感をなくして撮ってみた。スグラフィートとは、まず土台となる色を塗り、それから石灰を上塗りする。表面の石灰を引っ掻いて剥がすことで、土台の色を出し、それによって模様を描いていく技法だ。スイスの山奥、ウンターエンガディン地方の村がこのスグラフィート装飾で有名だ。言ってみれば貧者の装飾。実際に石やレンガを組んだり、象嵌で細工できないときに、もともとそこにない凹凸をあたかもあるように見せるために考え出された。この技法は、一種イタリア芸術への憧憬が生んだような気がする。こうした「だまし絵」による壁面装飾は、アルプス以北で、かつイタリアからそれほど遠くない場所――イタリアのように華やかで高価な大理石をふんだんに使った壁面装飾が資金的な面で不可能であっただろう土地――で多く見られるからだ。そして、こちらは城から街へ下る道の途中にある現イタリア大使館。うう~む、これはなんともバロックな扉ではないか! バロックとは「ゆがんだ真珠」の意味。世俗的なコケ脅しを好む様式だ。首をよじる猛禽類の彫刻、上部にはマニエリスム風に、かなりムリヤリで身体的にキツそうなポーズを取るたくましい男性像。明らかに上部の意匠が「重く」、不均衡で不安定な装飾になっている。黒い地に銀のプレートと鋲が無数に埋め込まれた扉もカッコいい。この銀は装飾以外に何か意味があるのだろうか。「ドン・ジョバンニ」を作曲中のモーツァルトが、ここプラハでカサノバと遭ったというエピソードがある。稀代の色事師と音楽史上最高の才能の会談は、こんな過剰な装飾をまとった、重々しい扉の向こうで行われたのかもしれない。そして、市民会館。優美な曲線のアールヌーボー建築。正面のドームにはムハ(ミュシャ)の装飾画。この一級の建築芸術が市民会館とは…。プラハのハコものは本当にすごい。だが、ここでウロウロしていたモーツァルト風の仮装(カツラに赤いジャケットを装着・笑)をしたコンサートチケット売り(まあ、ひらたくいえば、ダブ屋だろうか)はいただけない。あれでは道化以外の何者でもない。「歴史的ハコもの」があまりに洗練され、素晴しいだけに、プラハでは、それを利用して観光客相手に商売しようとする市民の発想の貧弱さには時にひどく驚き、ガッカリさせられることも多かった。
2007.09.19
プラハ城内にある旧王宮。建物自体は18世紀にロココ風に改築されているが、内部はそれより古い時代の様式を留めている。その王宮の3Fにある有名な大広間、それが「ヴラディスラフ・ホール」だ。ヴラディスラフ・ホールの白眉は天井のリブだ。リブとは建築用語で「肋(ろく)」のこと。丸天井を肋骨のように補強・支持する部材だと考えるといい。ゴシック建築は、紛れもなく天を目指す。空間も縦に長く伸びている。大聖堂の中を想像してもらうとわかると思う。それに対して空間が横へ伸びていったのがルネサンス建築だ。この大広間も、室内馬術競技などが行われていたというくらい、広々とした柱のない空間を見せる。ここのリブ天井自体は、後期ゴシックに分類される。だが、その下の空間は非常にルネサンス的だといえるだろう。ブドウの房のように下がっているのがシャンデリア。ここに火をともして、さんざめく舞踏会が催されたのだろう。ヴラディスラフ・ホールに立って目を閉じると、着飾って踊る貴族たちの息づかいや声が聞えてくるような気がする。そしてそうした人々を包み込むようにして広がる天井のリブは、まさしく「花開く肋骨」だ。フレスコ画があるわけでもない、リブだけが目立つ天井だが、リブの織りなす、その機能を超えた美しいラインに、ほとんどフェティッシュな愛情を感じた。というワケで、フェティッシュにも3枚連続の天井の写真(笑)。これを見た友人が、思わず言った「レリーフ?」という感想。我が意を得たりといったところだ。もちろんこれは浮き彫り装飾ではない。これはあくまでもリブだ。だが、ヴラディスラフ・ホールのリブは、レリーフ装飾に勝るとも劣らない視覚的な魅力を備えている。
2007.09.18
百塔の都、プラハ。噂にたがわず、すごい街だった。まさに建築の野外博物館。二度の世界大戦でほとんど被害がなかったという幸運な歴史、その後東陣営に組み込まれ、たとえばウィーンが受けたような近代的な開発の洗礼から免れたという皮肉な歴史が、この街の景観を大規模な範囲で守った。プラハ城の塔にのぼって見渡した街の全景。ブルタヴァ(モルダウ)河にかかったカレル橋も見える。ここはいつも人でいっぱいだ。「ナポリを見て、死ね」とはよく聞く台詞だ。たしかにナポリもすごい。喧騒と静寂、とんでもない豪奢な贅沢と明日をもしれない貧困が背中合わせになっている。さまざまな国による支配の歴史、そしてそれがもたらした富の不均衡の帰結として存在する「あらゆる階層の人々」の生活。そういったものをすべて呑みこんで、ペスビオ山の麓に這いつくばるようにして広がる港町、ナポリ。だが、ナポリの魅力を寸時に理解するのは、難しいかもしれない。ナポリはある意味、「通の町」だ。だが、プラハのすごさはほとんどの人に簡単に理解できるはず。ロマネスクからアール・ヌーボーまで、多彩な建築様式を一挙に目の当たりにできる幸運はプラハ散策の特権だ。その意味で、Mizumizuならばごく一般の人に対しては、ナポリよりもプラハを奨めるだろう。「プラハを見ずして死ぬなかれ」。そのぐらいプラハというところは、「街」そのものに対する感動が大きい。もちろん、建築史の知識が多少あれば、楽しみはより深くなる。行く前にヨーロッパの建築史を多少なりとも勉強していくといい。楽しむためには知識も必要だ。こちらはプラハ城内にある聖ヴィート大聖堂。ゴシック様式。内部にはアールヌーボーの旗手ミュシャ(ムハ)のステンドグラスがある。個人的にはこのステンドグラスはあまり好みではなかったけれど。むしろ、聖堂外部のきらびやかな黄金のモザイクに心惹かれた。モザイクにはビザンチンの風を感じる。ビザンチン文化の本拠地であったはずのイスタンブールで、偶像破壊運動が起こり、ほとんどのモザイクの宗教画が失われてしまったことを考えると、なおさらヨーロッパに残されたモザイクが貴重に思えてくる。ヴィート大聖堂の南壁のこの「最後の審判」は、すべてがモザイク画ではないから、ラベンナやシチリアに残るモザイク作品とは質の面では比べようがないが、それでもモザイクの放つ複雑なキラメキの美しさは、直接日光に照らされることで、より強く見る者に訴えかけてくる。屹立するゴシックの尖塔。すべてのディテールが天を目指すゴシック。だが、プラハ城の王宮内には、また違った志向の美が控えている。
2007.09.16
緑豊かなボヘミア平原に眠る古都、チェスキー・クルムロフ。世界遺産にも登録されている。実はオーストリア国境からたったの25キロしか離れていない。チェコの首都プラハより隣国のが近いのだ。ブルタヴァ河に初夏の陽光がまぶしく輝いていた。この河はプラハまで続いている。チェスキー・クルムロフはブルタヴァ河に「孕まれた」ような街だ。大水害に襲われたときは、河が街をショートカットするように流れ込んできてしまい、軒下まで浸かってしまった建物もあった。クルムロフを訪れたのはその大水害の翌年だが、きれいに修復されていた。ブルタヴァ河はドイツ語で「モルダウ」。そう、スメタナの「わが祖国」に歌われている河だ。チェコの国民的作曲家の作品であることを考えると、日本でもあの曲は「モルダウ」ではなく「ブルタヴァ」に変更すべきだろう。英語圏では、すでに「ブルタヴァ」になっている。問題は歌詞かな。「ボヘミアの川よ モルダウよ 過ぎし日のごと 今もなお水清く青き モルダウよ」という訳詞があまりに流麗で美しく、定着しきってしまっているので、これが、「ボヘミアの川よ ブルタヴァよ 過ぎし日のごと 今もなお水清く青き ブルタヴァよ」になると、なんだか日本語では語感が悪い気がする。チェコの地名は、ほんっとに憶えにくい。「去年マリエンバートで」という往年の名作があるが、マリエンバートはドイツ語で、チェコ語ではマリアンスケー・ラーズニエだ。全然憶えられないって!(笑)
2007.09.09
チェコもまたビール王国だ。たとえば、「ピルスナー」という醸造法はチェコの街プルゼニ(ドイツ語名:ピルゼン)に由来する。そして、アメリカのビール「バドワイザー」も実はチェコのある街の名前から取ったものなのだ。それが、チェスケー・ブディヨヴィツェ。そういわれてもピンとこないだろうが、チェスケー・ブディヨヴィツェのドイツ語名はBudweiser。これを英語読みにしたのがバドワイザーなのだ。といっても、あの薄い、水みたいなアメリカ製「バドワイザー」とチェスケー・ブディヨヴィツェのビールとは直接的には何の関係もない。アメリカのメーカーがビールのおいしいこの街の名前(英語名)を拝借したというだけの話だ街の中心オタカル2世広場には、夏の間ビールを出す店のパラソルがずらりと並ぶ。端整なボヘミアルネッサンス様式がぐるりを取り囲む正方形の美しい広場で供されるのは、格安ながら、「あの」バドワイザーとは似ても似つかない美味しいビールだ。ドイツ人もチョコにビールを飲みに来るらしい。味を考えると、その安さは魅力だ。グラスの底から無数に湧きあがってくる泡を眺めていると時のたつのを忘れてしまう。青い空が目に痛いぐらいだが、夏のチェコは、これですでに夜8時をまわっている。オタカル2世広場に面したホテルに泊まった。夜10時になってやっと黄昏に…旅先で写真を撮ると、旅から帰った直後は、記憶の中の風景のほうが写真より素晴しかったと思う。だが、時間がたってあらためて美しい場所の写真を見直すと、自分がこんなところに行ったのかと信じられない気分になることがある。チェスケー・ブディヨヴィツェのオタカル2世広場もそんな場所だ。
2007.09.08
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