| 不安恐怖症とは |
急激におこりくる不安発作と予期不安から起こります。 発作中は心悸亢進、呼吸困難、めまい、ふるえとてつもない恐怖感。 電車に乗れない乗物恐怖や、広場恐怖等もあります。 不安発作、心臓神経症、乗物恐怖、外出恐怖、めまい恐怖、発狂恐怖、適応不安、予期恐怖、卒倒恐怖、呼吸困難、動悸不安など、さまざまです。 |
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| 恐怖のはじまり |
何が原因なのか、どうしてそうなったのか、私自身もよくわかりません。 ワタシが28~9歳でした、上の子が3歳、下の子が1歳の時。 とにかく子育てに忙しかったこと、旦那が喘息の発作を年中起こし、入退院が重なっていたことなど、今思えばストレスが溜まっていたのかもしれない。 でも、私は原因を特定しようとは思ってないし、小さい頃のトラウマを掘り起こそうとも思っていない。 ある日突然、子供と3人で居られなくなった。 隣に住む母が出かけてしまうことに恐怖をおぼえ、胸がドキドキして苦しかったのを覚えています。 その数日後、車で10分くらいのボーリング場へ家族で出かけたときも、ドキドキ苦しいのと、妙に手のひらがムズムズし景色が遠く見えて、居てもたってもいられない妙な気分になって、頭がぼんやりしていました。 |
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| 今までの道のり |
それから外に出るのが怖くなった。 歩いて3分のコンビニへも行けなくなってしまった。 子供の検診も注射もすべて母に頼み、留守番していることが私に出来る精一杯のことでした。 当時「心療内科」へ通っていた母は私の理解者になってくれ、同じ病院へ付き添い、連れて行ってくれた。 私の病名は「不安恐怖症」。 のちにパニック傾向の強い不安恐怖症」に変わったけど。 それまではパニック発作を起こしたことはなくて、症状としては 「広場恐怖」「外出恐怖」「予期不安」「外食不能」などです。 ちょうど上の子(圭)の幼稚園入園が重なりプレッシャーで押しつぶされそうでした。 初めての診察の時に担当の医師に泣きながら「来月幼稚園の願書が・・・・」って、それ以上は言葉にならなかったし、医師も私が何を言っているのか聞き取れなかったかもしれない・・・。 幼稚園には入れずにおこうかと真剣に悩みました。 幸い家から歩いて10分以内に小さな幼稚園を見つけ、園長先生に私の病気を説明して入園を決めました。 家から5分、私には気合を入れないと毎日の送り迎えが苦しくて、辛くて、何度も自分の都合で幼稚園を休ませた。 一番辛かったのは遠足に1度も付いていってあげられなかったこと・・・・・。 まだ幼稚園の子供に「ママは病気で行けないけど園長先生がママの代わりをしてくれるからね。」そう言い聞かせた。 下の子も同じ幼稚園に入れて5年間の在籍中1度も私は遠足に行っていない。 ただ2度ほど、本当に子供が病気になり行けなかったこともあったけど、心のどこかでホッとしている自分がいた。 幼稚園に入園させてからの私はずいぶん変わったように思えた。 誰もが私の不安恐怖症を信じなかったし、理解してもらえなかった、それくらい入園前より元気ではあった。 当時は薬の副作用が怖くて出された精神安定剤(ソラナックス)を飲めないでいました。 今になって思えば、病院へも行き、医師の診察も受けていたのに、なぜきちんと治療しなかったんだろう。 幼稚園の役員をこなし、精力的に動いている自分を許していたのかもしれない、このまま行けば治るかも・・・・ でも、子供と一緒に友達の家へ遊びに行くことも、一緒に食事をすることも出来なかった。 もちろんバスにも、電車にも乗れない生活だったから通院が怖かったのかもしれない。 そのうち私は自分をごまかす方法を覚えてしまった。 お金がないから出かけてもつまらない!遊園地なんて子供の身長制限で何も乗れないし!欲しいものは何でも通販で買えるし! もともと旅行とかが苦手だった私はことごとく出かけられない理由を探しては自分と周りをごまかしていった。 下の子(恭)は動物園へ行ったことがない・・・・・やっぱり問題だ。 ごまかしながらも小学校の役員を引き受け、自分の出来る範囲の仕事を引き受けた。 幸い小学校は家から歩いて5分の距離、出来るだけ子供の生活にとかかわっていたかったし、それで安心していた。 「自分も頑張っている」家族に対するアピールだったんだと思います。 親しい友人には私が「不安恐怖症で外出が困難」であることを話しておいた、これも自分が楽に過ごすために。 普段の生活に支障がなく、買い物も銀行も、学校関係も・・・・・ 小さな不安感を感じた時、出かける前、頓服にソラナックスを飲みながら生活を送っていました。 だんだん、ただごまかすのではなく、治療してきちんと治そうと思い始めた。。 病院へ行き新しい薬「パキシル」を飲みだして1週間、2002年、8月中旬。 今までに感じたことのない猛烈な不安感に襲われた!頭の中にはどうしよう、助けて」それしかなかった。 パキシルの副作用である眩暈と吐き気を発作と勘違いして不安感を助長させてしまったのかもしれない。 じつは私、吐くことが一番怖いので、本当におかしくなるのかと思ってパニクってしまっていた。 案の定それから1ヶ月、鬱々と暮らすことになった。 「また吐くかもしれない」外で吐いちゃったらどうしよう」「倒れちゃったらどうしよう」おきまりの予期不安の嵐。 何も食べれなくなり、4日後、母に付き添われて主治医のいる病院へ行きました。 点滴をして、薬を変えてもらい、その後のパキシル断薬症状と1ヶ月戦いました。 今は「メイラックス」と頓服に「ソラナックス」を飲んでいます。 去年の11月からは「催眠療法」を受け、「自己催眠」の練習もしています。 インターネットや学校関係で知り合った同じ病の仲間に会えて勇気をもらい、目標をたてて前に進もう思い始めました。 最大の目標は「ジブリの森美術館」へ行くこと!!! そのためには前を向いて生きていかなければ・・・・・・。 私は原因を特定しようとは思ってないし、小さい頃のトラウマを掘り起こそうとも思っていない、そう思っていた。 しかし、最近原因なるものをきちんと確認して、自分を癒そうと思い始めています。トラウマがあるのなら、原因があるのなら、それを取り除くのではなく、最決心することで楽になりたいと、「ワタシはもうあの頃の子供ではない」「外出に恐怖を感じたワタシではない」と・・・。 私の病気を理解してくれている、私の主人ちゃ太郎、子供の圭と恭、主人の両親とお姉さん、私の両親と弟、助けてくれる友達すべてに感謝し、心よりお礼申し上げます。 また変化があった時に更新したいと思っています。 出来れば快方に向かった時がいいな~~と・・・ 2005年・1月 スクーターに乗って近所なら一人で買い物に行かれるようになっています(笑) 2006年・9月 2月から仕事に出ています 現在は週に3~4日10時から5時過ぎまで仕事が出来るようになりました |