土曜日の書斎 別室

土曜日の書斎 別室

January 25, 2008
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  901 (昌泰4) 年1月25日。
  京都 ・ 御所内。
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宇多天皇 の絶大な信頼を得て、 重用され、 国政の枢要に在った 右大臣 ・ 菅原道真 は、 藤原一門の陰謀によって、 役職を解任され、 太宰府権帥への配転を命じられる。

菅公左遷 として、 往古から語継がれている一幕である。

  比類のない学識を謳われ、 一文章生から文章博士を経て、 国政の柱石として重用され、 右大臣の地位にまで登り詰めた道真であったが、 その破格の栄達を不服とする者、 改革に反感を抱く者達も増大していた。
  就中、 天皇家の外戚としての地歩を固め、 国政壟断の機を伺っていた 藤原一門 にとって、 道真は・・・どんな卑劣な手段を用いてでも、 排除しなくてはならない存在であった。
左大臣 ・ 藤原時平 を中心とする勢力は、 道真が醍醐天皇廃位を企んでいると云う、 嫌疑を捏造したのである。

  なんら謂れのない罪科を蒙った道真は、 自らの悲境を一首の和歌に託し、 宇多上皇へ哀訴する。


流れ行く  われは水屑 (みくづ) と  なりはてぬ

君  柵 (しがらみ) と  なりてとどめよ


  思わぬ事態に宇多上皇は驚愕し、 急遽・・・参内の手筈を整える。
  醍醐天皇を説諭し、 道真に対する処分を撤回させる意向であった。
  然し、 警護の士に通行を阻まれ、 帝への謁見は叶わなかった。

  二年後・・・。
  道真は、 配流の地にて病没する。

  菅原氏追放をもって、 藤原氏が多年に渡って推し進めて来た、 他氏族排撃の陰謀は略・・・完了する。
  最早、 藤原氏の専横に異を唱える勢力は、 廟堂に全く存在しなかった。
  平安文化は、 やがて爛熟期を迎え、 藤原一門の栄華の幕が開く。

  同時に、 古代律令制国家は精神的背骨を失い、 急速に崩壊へと向かうのである。





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Last updated  July 17, 2010 01:00:02 AM
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