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最初の頃の通院は3週間から4週間に一度の間隔。兄の仕事はちょっと特殊で24時間勤務の後、丸2日休みで曜日も関係のない仕事。基本的に担当の先生の勤務する曜日で「次の診療は○日はどうですか?」と聞かれるのだが、私が自営業なので一番都合を合わせる形になっている。田舎で一人で暮らしていて、常々「ブラック(会社)だ」と言いながらも、決まった収入を簡単には手放すわけにはいかない。私も金銭面で頼られても何もできないので、できるだけ兄に仕事は続けて欲しいと思っている。しかし、いつでも私が合わせるのが当たり前と思っているようで、「○○(私)の都合はどうだ?」とか、「仕事は大丈夫か?」などと気に掛ける様子が1ミリもないのが腑に落ちない。兄がシフト表を見せながら、診察前に次回の予定を軽く相談する。「違う、そこは休みじゃないっ!」と待合室で声を荒げる場面もあったが、不思議と私の気持ちは穏やかだった。態度の大きな兄でも、視力が落ちてしまった現実や失望感を思うと、不思議と寛大な気持ちでいることができる。実は兄は若い頃、総合失調症を患ったことがある。幻覚・幻聴に悩まされ仕事もできなくなり、家に閉じこもっていた。精神疾患と思うと両親達は「自殺でもしたら・・・」と毎日不安だったと思う。結果、兄に対しては何も言えず、歳を取って足腰が思うように動かなくなった母を顎で使うような「俺様」な人間が出来上がったのだ。
2023.11.01
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病気になると体も大変だかお金もかかる。初診の今回は診察・検査代で2万円近く。薬代も6000円くらい。会計の前に来ると兄は会計書?を「ほらっ」という感じで私に差し出してきた。兄はこういうことを平気でする。100%冗談だと判断できない顔でやる。誰かが払ってくれたらラッキーと思うのだろう。私は今回付きそうにあたって、援助はしないと決めてきた。私は細々とやっている自営業で、自分の生活で手一杯。兄は多少ブラック気味の会社とはいえ、社員で働いている。とても田舎なこと、年齢的な事もあり、仕事があるだけで恵まれていると思う。実家で家賃がかかることなく生活しているのだから、私より数段余裕があるはず。そこを都市部に住んでるだけで、私に「収入がある」と勘違いしているのか、前々から「金を出してくれ」という態度がちょいちょい見れる。「実は・・こういう状況でお金がない」と相談されればだが、兄は車を2台持っているし、ずっと独身で好きなことをしてきた兄に援助する理由はない。薬局も終えると帰り道はもう3時半だった。「ラーメン食ってくか」と兄。私は耳を疑う。「栄養相談」で「塩分は控えてください。ラーメンなんて一番多いですよ。」とあれだけ言われたのにだ。店によっては時間的にやってない店もあるし、何か買って帰ろうと言い、私は何度か「冗談だよね?」と確認したのだが、折れない。そこまでして食べたいのだろうか。すったもんだの末、私が折れてしまいラーメン屋に行った。いつもは外食も一人だから、誰かと入りたいということなのだろうか。
2023.07.10
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腎臓内科の先生には、「このままでは一年くらいで透析になりますよ。」と言われる。とにかく血圧を毎日測ってと血圧手帳も渡される。腎臓の本来の働きを表す数値が悪く、生活が改善されても数値が良くなることはない、透析の始まりを遅くするしかないとのこと。兄は少々慌てて「一方通行なんですか?」と聞く。先生は「そうです」と淡々と答えた。私も「透析は最終段階、どうすることも出来ない状況」と、思っていたし、透析は週3回だと聞いてショックだった。このまま視力も落ちたままで、さらに透析もあれば、仕事も今のままとはいかない、そうなれば収入も途絶える・・・何度か病院に付き添う程度に考えていた私は、いつまで続くか判らない援助することになるのだと気づいた。これって「介護?」と。眼科では診察室に入った方がいいのかどうか兄に確認しないうちに呼ばれたので入らなかった。付き添いはするけれど、病状・検査数値について逐一私に、知られることに対して兄はどうなのか?を前もって確認していなかった。そこが夫婦でもなく、兄妹の関係の難しいところかな、と思う。今まで、できるだけ関わりは少なくていいと思っていた関係だから。初診で二つの科にかかるから時間がかかるだろうとは思っていた。3時近くに診療が終わり病院から処方箋をFAXで送ってもらい、近くのK薬局へ。FAXを送っているのだから早めにできるかと思ったが、結構待たされる。これは・・・・肉・魚等は無いものの大概の物を扱っている店舗でできるだけ買い物をさせようということなのか・・・
2023.06.16
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1時間ほど運転して病院に到着。まずは受付、個人受付票(正式名は違うかも)に必要項目を書いて2通の紹介状とともに提出。このような書類の氏名などの大きな欄は自分で書いた方がいいのでは?と思うのだが、諦めているのか最初から顎で「ほら書け!」という感じ・・・この辺は少し「俺様」である。今日の診療の流れを書いてある紙を受け取り2階へ。正面にはど〜んとエスカレーターがある。私自身、しばらく大きな病院に行くことがなかったので、「大病院」という感じで圧倒されたのと、兄はエスカレーターに乗れるのかと思い私も少し緊張。エスカレーターは問題なく乗れた。視力が落ちた兄が、現状何が見えて、何が判りにくいのか私も一つひとつ確認する状態。最初に採血と採尿をするのだが、この受け付けは機械で、そして全てはバーコードで管理されているらしい。まだ9時くらいの時間帯だがどの診療科もたくさんの人。採血は5本抜かれる。最初にレントゲン撮影。これは5分ほど待ってすぐ終わり。そして眼科診療。何も処置はなく現状確認のみ。「眼科は結構待ちます。」と言われていたせいか、30分以上待ったとしても対して気にならなかった。採血・採尿・レントゲンの結果が出たところで腎臓内科診療。診療室は7つ(全部使っているわけではかいかも)もあるのに、掲示板の番号を見るとまだまだ回って来ない様子。軽く1時間は待ってやっと診療。腎臓の機能が低下しているので、肺にも心臓にも水が溜まっているそう。足のむくみもある。確かに息が上がりやすくなっている。血圧も高いという意識はあるのだが、特に定期的には測っていない。先生から「いつから糖尿と診断されていますか?」と聞かれると「5年くらい前から」と平気で答えていたが、私の方がよく知っている。15年くらい前にたしか2泊3日で「指導入院」したことを。詳しい検査と食事・生活指導のために入院したのだ。その時、母が実家に一人でいることになるので、自分の住まいに連れて来たのでよく覚えている。わざとなのか、後ろめたさなのか兄の受け答えは「のらりくらり」である。こんな状態でもタバコを辞めていない兄に若い先生も少々呆れた様子。
2023.06.08
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視力が低下したため一度は退職を申し出たようですが、ちょっと特殊な勤務形態なため替わりを見つけるのが難しいので社長?には「無理だな」と言われたそうです。今となればそれは幸いでした。年金間近ではあるけれどそれほど期待できない年金額だし、貯金もいくらもないだろうからやはり定職があることは大きいです。貯金はあっても数十万くらいだろうなと想像します。運転が心配なのはもちろんですが、田舎での隣町なので注意して通っています。診察待ちの長い長い一ヶ月がやっと過ぎました。朝早い受診なので、私は前日から行って泊まりました。兄との長いドライブも、30年ぶりくらいです。愚痴愚痴と小言を言われる苦痛なドライブとなりそうでしたが違いました。驚きは「悪いけど」とか「ありがとう」の感謝の言葉が自然に出てくることです。私も兄ももともと口数の多い方ではないのですが、「母のこと」「私の知らない家の歴史」「料理の話」などしました。家のことは洗濯以外は何もしてこなかった兄は、たぶん料理は「誰でもできるもの」と思っていたのでしょう。それとそれなりの年齢になったことの「あるある」ですが、自分が昔から食べてきた物が一番美味しいのかなと思うことです。母も特別料理が上手だったわけではないのですが、農家で新鮮な野菜がいつも食べられていたことを実感します。上手でも上手でなくても「母の味」って偉大なんですよね。兄はとにかくご飯の味にこだわっているようで、親戚から貰った米もあるけれど、他にも買ったりして試しているようですが、「昔食べてた方が美味しいな」と言います。感謝することなく食べていたことへの「申し訳なさ」が作用して最近のは何も美味しくない、昔の方が美味しかったとなっているのでしょうね。
2023.06.03
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はっきり言って、もともと古くボロ屋な実家でした。あちこち痛んで、雨漏りもし始め、風が強ければ砂埃も入ってきます。戦時中に育った母は物が捨てられない人で、あまり片付いていませんでした。(これは私も兄も受け継いでしまってるようです。)祖母の代?その前から?の物も残ったままで、背も低くかった母が70歳になったあたりから腰も曲がったりして、冷蔵庫の上の部分にはよく判らない物がいつまでも入っていたり、箒で掃いたりするのも、手早く掃けるところぐらいという感じでした。それでも「家事は女がするもの」と刷り込まれている兄は私が見る限り何もしない人です。さすがに必要な物が洗ってなかったり、乾いてなかったりすると困るので洗濯だけは自分でしていたようです。私もマメに行って母の手伝いをすれば良かったのですが、母を助けることは嫌いな兄が何もしないままになるので気が進みませんでした。母が亡くなってからは、茶の間にも物が積み上げられますます荒れ放題です。誰かが来たら見えてしまう、せめて茶の間くらいは何とかしたら?と思うのですが、構わないようでした。その状態に視力が落ちてきたのだから、意地の悪い言い方をすれば片付けなくていい理由ができたようなものです。もう本人には片付ける意欲はないでしょう。当然、台所も片付いてなく、夜になると細かいところが見えないので懐中電灯も使っていました。嫌いな兄でしたが、私にそっぽを向かれるとどうしようもないと思ったのでしょうか、「迷惑かけるけど・・」とか「ありがとう」とか今まで聞いたこともないような事を言うようになりました。私しか頼る相手がいないということは事実で、放って置くわけにもいかないので実家通いと病院の付き添いが始まりました。
2023.06.02
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兄はいわゆる「田舎の長男」で、祖母からみたら初孫で大事に育てられました。夫を戦争で失った後、女ひとり家を守っていた祖母からみたら、長男に来た嫁は(私の母)外で働いたこともないし、家事も満足にできないダメな嫁だったのでしょう。実際母はたくさんいる兄弟の中の末っ子だったのでのんびりしたところがありました。そこは昔ながらの嫁と姑で、毎日毎日母は祖母や父から小言を言われ続けていました。そんな光景を当たり前にみていたので、兄も母を見下していた行動がよくありました。大人になっても、座れば勝手にご飯が出てくるものだと思い、食べ終われは「ほれ、片付けろっ!」と、母が年を取ってきて、体が思うように動かなくなっても顎で母を使う態度は変わりませんでした。逆にお金に関しては、男らしいところがなく嫌いでした。私が何かしら手土産を持って実家に行き、どこかで外食して会計になると、冗談なのか本気なのか判らない感じで「〇〇のおごりかぁ〜」と、何となく私がお金を払うように仕向けます。母に「〇〇は遠くから来たんだから」とたしなめられて渋々会計をする感じでした。別に「長男だから払ってよ」とは思わないけれど、最初は兄が払ったら、その次は「じゃあ、私が」となるし、5万円の年金だけの母にもあわよくば払わせようとしたり、普段は偉ぶっているのに、そんな風に母に余計な気を使わせる兄が大嫌いでした。
2023.05.28
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視力が急に悪くなった焦りと、その病院はとても大きな病院で完全予約制とのことで、まずは私に電話をして予約を入れて欲しいとのことでした。兄の電話だけではよく解らないし、半年以上も連絡していなかった少々の後ろめたさもあり、私は週末には実家に向かいました。兄らしいというのか・・「紹介状」があるのだから直ぐ受診できると(もちろん視力がどんどん悪くなる不安があるからですが)思ったらしく「今日来いって言われたらすぐ行くからと言ってくれ」と言われましたが。そう都合よくはいかないだろうとは思ったものの、眼科も腎臓内科も予約できたのはほぼ一ヶ月後という何とも納得できないものになりました。さすがに兄もがっくりきた様子でした。地域の病院では難しい高度な専門医療を行うという名目ではあるがこの病院のシステムはどうなのだろう・・・地域の病院で「手に負えない」という判断をされた患者なのに、一ヶ月放置されて何が専門医療なのかと思わずにはいられません。
2023.05.25
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その電話は昨年の秋、兄からの半年振りの電話でした。私には兄がいて、母が亡くなってから5年、兄は実家で一人暮らしです。正直兄のことは大キライで母が亡くなったら「付き合わなくてもいいや」と思っていたほどです。実際、母が居る時は2、3か月に一度は帰っていたのが、母の葬儀・片付け等が落ち着くと、お墓参り以外に帰る理由がなくて帰る頻度は落ちていきました。しばらく春・秋のお彼岸、お盆のお墓参りは欠かさず行っていたのが、昨年のお盆は何か気が進まず、兄に電話もせずに秋を迎えていました。そして秋のある日、兄から電話が来ました。「糖尿病が進んで、目から出血し視力が落ちた」と。慌てて地元の病院に行ったところ、もっと大きな病院に行くように腎臓内科と眼科の紹介状を持たされたのです。その病院へは車で1時間かかり、車の運転が不安な状態、またとても大きな病院のため一緒に行って欲しいとの電話でした。
2023.05.23
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