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・市場の変化 FIO Winesは毎年3月中旬にデュッセルドルフで開催される業界向け試飲会ProWeinに出展しているが、近年は顧客の反応が変わってきたという。「以前は、昨年収穫されたブドウのワインが無い、と聞くと立ち去る人が多かったが、最近はそうでもなくなった。熟成したヴィンテージのワインが受け入れられている感触がある」とリンダさん。「高品質なワインの醸造には、時間が必要だと理解されてきたからだと思う。最初の頃は耐えねばならなかった。場所代、電気代、水道料金は必要だし、新しい収穫をいれる樽も必要。だから多くの醸造所は何年も樽で寝かせることをしないし、できない。4、 5年やって軌道にのれば良いが、それには品質が伴わなければならない。 長期的な視点をもって計画を立てねばならないが、私たちは上手くいっていると思う。昔からのやり方に固執してはならない。気候変動の影響もある。変えていかなければならないことはここ数年明らかになっている。昔の世代はいつも同じやり方で醸造していたが、今の若手はより多くの知識や経験を積んで、色々なことを試している。それが多様性をもたらし、リースリングをより興味深くしている」とリンダさん。 とても興味深いワインなのだが、現在日本では、少なくとも個人的な印象では、本腰を入れて紹介されているようには見えない。(参考:テッポ リースリング モーゼル 2020年 ドイツ - ワインリンク (wine-link.net))ポルトガルの有名生産者がモーゼルで手掛けるナチュラルワイン、という印象しかのこらず、フィリップ達が何を目指して取り組んでいるのか、見えてこない。いささか残念なことだ。 参考:29. Livestream "Das Fio Riesling-Paket von Niepoort und Kettern" (youtube.com)Fio Wines Piesporter Riesling Trocken Fio (Mosel | Germany) (moselfinewines.com)Dirk van der Niepoort: Portugal's greatest winemaker? (worldoffinewine.com)
2024/01/07
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・FIO Winesとケッテルンのラインナップ FIO Winesはケッテルン家とニーポート家とのコラボレーションで、2012年から始まったプロジェクトだ。ナチュラル寄りのワインで、低アルコール濃度と醸造に極力介入しないミニマル・インターヴェンション、最長5年間におよぶ長期の澱の上での熟成と、瓶詰前まで亜硫酸無添加もしくは微量添加が本筋のワイン。醸造過程で瓶詰前の一回だけ亜硫酸を添加するという生産者は、ドイツでは例外的だ。 FIOのほかにRätselhaft, Socalcos, Ururabo, Teppo (Tempoのポルトガル語で、Tempoはドイツではポケットティッシュの商標登録済のため), CabiSEHRnett, Falkenberg, Godtröpchenがある。この他にもペットナットのPiu piu、赤ワインのように果皮と一緒に発酵するオレンジワイン(JojoとGlou Glou)、ステンレスタンクと木樽で9カ月と比較的短い熟成期間で仕上げたFabelhaftや、そのノンアルコール版もあってヴァリエーションが豊富で、いささかややこしい。個人的には畑名入りのフラッグシップ2種以外は、3種類程度に絞っても良いように思う。 FIO Winesの影になっている感があるが、フィリップが5代目として継いだローター・ケッテルン醸造所も健在だ。生産量は年にもよるけれど、若干FIO Winesが上回っているという。畑面積はピースポート村の6.5ha(Goldtröpchen, Günterslay, Falkenberg)とライヴェン村のJosefsberg (Leiwener Laurentiuslayの区画名)を近年5.5ha購入した。 ピースポートのブドウ畑地図(Deutsches Weininstitut Deutsches Weininstitut: Regionenkarte des Deutschen Weininstituts (deutscheweine.de))ケッテルンのワインの味わいは、FIO Winesとそれほど違わない。昔からのモーゼルファン向けだと言うけれども、FIOもケッテルンもミネラル感が前に出ていて、ボディにやや厚みがあるがアルコール濃度は低く、乳酸発酵と熟成を経て柔らかくなった酸味が果実味を下支えしている。瓶詰まで亜硫酸を添加せずに澱の上で長期間熟成するため酵母のトーンが若干感じられ、様々な要素がまとまっている。 個人的に最も印象的だったのはUruraboという、産膜酵母とともに2年間樽熟成して瓶詰したワインで、軽く繊細でとりわけ精緻で、ほっそりとして美しかった。同名のワインをドウロのニーポートが地場品種ゴーヴェイオで醸造している。(つづく)
2024/01/07
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・伝統の後継者 フィリップ・ケッテルン。 2011年にフィリップは父ローターから正式に醸造所を継いだが、フィリップがドウロから戻ってきて、平地と斜面の畑を交換したいと言い出しても特に反対することなく、息子のやりたいようにやらせたという。 それからフィリップはモーゼルの昔のワインを飲んで経験を積むことで、伝統的なモーゼルとはどんなワインなのかを学んだ。2011年から伝統的なフーダー樽のセラーを造り、農薬は有機栽培用の薬剤を、ごく微量こまめに散布しブドウ樹の抵抗力を強めている。 「100年前と同じように栽培している。当時ペロノスポラはモーゼルになかったし、オイディウムもごくわずかだった。現在対策しないとすぐ病気になる。ひんぱんすぎる農薬散布でブドウ樹は病害虫に対して弱くなっている」とフィリップ。 醸造でも極力介入せず、野生酵母のみで発酵。酵母と一緒に1年~5年という時間をかけて熟成し、必要に応じて瓶詰前の一回だけ、微量の亜硫酸を添加する。「亜硫酸は添加しないことが多いが、添加するにしても必要最低限。 我々のブドウは収穫時点からすでに亜硫酸の含有量が高い。ブドウは自分で自分を守るために亜硫酸を生成する。それが30~35mgで、無添加でも総亜硫酸量40mgに達することもある。だから2~3年樽熟成しても亜硫酸は添加する必要がないことが多い。とはいえ、ワインが必要とするなら使う」とフィリップ。 (つづく)
2024/01/07
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・ドウロとモーゼル ドウロ川とブドウ畑 (File:Rio Douro - Portugal (32615481975) Wikipedia) ドウロもモーゼルと同様に急斜面のブドウ畑が川沿いの渓谷に広がっているが、その標高はモーゼルの200~300mに対し約800mに達する。モーゼルは一本ずつ立てた杭に添わせて栽培する棒仕立てか、斜面の上下方向に縦に畝を仕立てることが多いが、ドウロでは段々畑のように造成されたテラスに、等高線に沿って水平に畝が形成されている。 段々畑をポルトガル語ではSocalcosといい、FIOのリースリング・ソカルコスSocalcosもドウロと同じように、水平に畝を仕立てた畑のワインだ。モーゼル川支流の標高の高い場所にあるライヴェナー・ヨゼフスベルクの5.5haの畑の収穫で、澱引きせずに1年間熟成した。アルコール濃度11.5%の繊細な酸味--私にはFIOのリースリングは全体的に、モーゼルのリースリングにしては酸味の主張が控えめすぎると感じたが、乳酸発酵して長期熟成すると、こうなるのかもしれない--とハーブのニュアンスが印象的な辛口。 2008年、フィリップがディルクの招待を受けてドウロで三か月間の研修からモーゼルに戻ってまず取り掛かったことは、平地の畑と斜面にある畑を交換することだった。フィリップはケッテルン家の5代目で、当時は父ローターが当主だった。ローターは先見の明のある醸造家で、ピースポートで耕地整理---トラクターが通れる農道を斜面に敷設して農作業の効率化をはかるため、第二次大戦後から現在に至るまで続くモーゼル全体の大規模な改修プロジェクト---が行われた時も、目先のことしか考えない生産者は、どのみち30年たつと植え替えるのだから、とことごとくブドウ樹を抜いて更地にしてしまった。しかしローターは古木を残して耕地整理を乗り切ったという。だからケッテルンとFIO Winesのフラッグシップ、ゴルトトレプヒェンには樹齢50~60年の古木の収穫が用いられている。 私が訪問した2023年7月時点で、ゴルトトレプヒェンの最新ヴィンテージは2018年産だった。試飲したのはFIOのGoldtröpchen 2016で、フーダー樽で澱引きせずに5年間熟成したという。「昔は2~3年樽で寝かせてから瓶詰するのが当たり前だった」とリンダさん。「昔のスタイルを復活させたかったのと、時間をかけることで達成される味わいを確かめたかったの」。 長期間澱と接触していたことは、酵母のアロマが感じられるが邪魔にはならず果実味と調和している。南向きの斜面らしい明るさのある味わいで、広がりとミネラル感が前に出て、やわらかくニュアンスに富んだ飲み心地のよいリースリングだった。ナチュラルワインの最上のものはファインワインに近づくというが、これもその一例のように思われた。 (つづく)
2024/01/07
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・FIOの醸造哲学 時間は前後するが、2002年にディルク・ニーポートはオーストリアのPRエージェント、ドルリ・ムーアと二度目の結婚をし(最初の妻はスイス人でダニエルの母)、二人でオーストリアのカルヌントゥムにある醸造所ドルリ・ファン・デア・ニーポートDorli van der Niepoortを運営していた。しかし2012年に離婚。翌2013年にディルクはモーゼルのケッテルン醸造所を訪れ、ケッテルンとのコラボレーションに取り掛かった。ディルクの長男ダニエル-母はスイス人でドイツ語は堪能-がドウロからモーゼルに来て4年余り滞在し、ワイン産地モーゼルを学んだ。こうしてディルク、フィリップ、ダニエルの3人によるプロジェクト、FIO Winesがスタートしたのである。(参考:Muhr-van der Niepoort wird zu Weingut Dorli Muhr - Falstaff) ディルクはまず、ケッテルンの2012年産の中で特に気に入った一樽を購入した。そしてジュラのナチュラルワインの先駆者のひとりジャン=フィリップ・ガヌヴァにインスピレーションを受けて、長期間樽で寝かせることにした。瓶詰まで亜硫酸を添加せず、澱引きもせずにそのまま2年半フーダー樽で寝かせてから、ごく微量の亜硫酸を添加して瓶詰。それが醸造所名となるFIO-ポルトガル語で「糸」を意味する-のファーストヴィンテージとなった。翌2013年産は2016年10月に瓶詰したので、丸3年樽熟成したことになる。 フィリップ・ケッテルンの奥さんのリンダさん。 私が訪問した時はフィリップの奥さんのリンダさんが相手をしてくれたので、少しだけ顔を出したフィリップ氏からも直接じっくり話を聞くことはできなかった。ただ、2017年2月にドイツの有名ソムリエ、ヘンリック・トーマのYouTubeで、ディルク、ダニエル、フィリップの3人を迎えてのトークセッションがあったので、その時の内容を織り交ぜて紹介する。(29. Livestream "Das Fio Riesling-Paket von Niepoort und Kettern" (youtube.com)) フィリップは言う。「発酵中の果汁を信頼することが大事。樽に長期間入れておくのはリスクを負うことではある。醸造期間中何度も試飲するが、変な臭いがすることもある。俺たちは何か間違っているだろうか、と不安になる。腐った卵のような臭いがすると、醸造学校ではポンプを使って樽を移して空気にふれさせよと教えるが、それはドイツ的な心配性の表れだ。失敗することへの不安から樽を移すなどいろいろ操作して、結局だめにしてしまう。そうではなくて、ワインと真摯に向き合い、信頼することから美しさは生まれる」と。 ドイツの常識はポルトガルのそれとは異なることを、ディルクは指摘する。「モーゼルでは一つの区画を5回にわけて収穫することもある。収穫期に入るとブドウは次第に色を変える。熟し始めの緑色を帯びている状態のブドウでカビネットを収穫し、次に金色に熟した房をシュペートレーゼ、過熟して貴腐が混じるとアウスレーゼというふうにスタイル別に収穫する。これはドイツ人らしい完璧主義のあらわれともいえる。 しかしポルトガルでは全部一度に、正しいタイミングで収穫する。この場合の正しいというのは科学的なものではなく感覚的なものだ。貴腐のついた房はえり分けるが、それ以外はいろいろな状態のブドウが一緒になっている。完璧を目指しているのではない。緑色のブドウや過熟したブドウはそれぞれに異なる要素をワインにもたらす。それが興味深いワインを生むのであり、ポルトガルのやり方だ」。 「ディルクはブドウ畑を一度に収穫するといったが」と、ドウロで収穫作業に加わったことのあるフィリップは言う。「ポルトガルで35種類のブドウを前に選別作業台に立ったときはすばらしかった。私はブドウを食べるのが好きで、その多様性に感動したし、これが一つのワインになると、また違う味わいになることに感銘をうけた。美しさは多様性から生まれるのだと学んだ。樹齢、品種、土壌、標高…」。 (つづく)
2024/01/07
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・ポルトガルワインの現在 FIO Winesはローター・ケッテルン醸造所と、ポルトガル北部のワイン生産地域ドウロにあるニーポート家(Niepoort (niepoort-vinhos.com))が共同で運営するナチュラルワインのブランドである。ポルトガルは酒精強化したポートワインの印象が強いが、これもまたドイツワインは甘口という先入観と同様に、時代遅れの認識と言って良い。 もっとも、ポルトガルのテーブルワインが注目を集め始めたのは比較的最近のことだ。1990年代まではポートワインと軽く夏向きの白ワインとして知られるヴィーニョヴェルデや、フルーティな甘口スパークリングのマテウス・ロゼが国際的に認知されていたが、それ以外のほとんどは大規模な醸造所や醸造協同組合による日常消費用のワインで、小規模で高品質なワインを造る生産者は皆無だった。 しかしニーポート家の当主ディルク・ニーポートは、早くからテーブルワインの産地としてのドウロのポテンシャルを確信していた。ドウロがポートワインの産地として成功したのは1700年代以降のことで、もともと赤ワインの産地として知られていたのだ、という。 ディルク・ニーポートは創業1842年のポートワイン醸造所ニーポート家の長男として、1987年に23歳で父のもとで働き始めた。そして1990年に赤ワインの「ロブストゥス」Robustusを醸造。当時高品質な赤ワインはドウロではほかに誰も造っていなかった。地場品種の古木の収穫で醸造したそれは濃厚でパワフルなワインで、おそらく当時もてはやされていたロバート・パーカーの好みそうなスタイルだったのだろうが、友人や近隣の生産者たちからは笑いものにされたという。 そして実際、ロブストゥスが評判を呼ぶことはなかった。というのも、醸造した4樽のうち3樽を、ディルクがオーストラリアに研修に行っている間に、父ロルフが使用人に飲ませてしまったからだ。親子の間に相当な諍いがあったことは想像に難くない。 しかしディルクはめげることなく、1991年に赤ワイン「レドマ」Redomaを醸造。これが注目されて話題となり、テーブルワインの生産者として知られるようになる。ポートワインの醸造こそ稼業と信じて疑わなかった父の跡を1997年に正式に継いでからは、ディルクは一層テーブルワインの生産に力を入れるようになった。ロブストゥスも2004年産から復活している。(参考:The Radical Reinvention of Great Portuguese Wine (foodandwine.com)) 高品質な赤ワイン造りの伝統を復活させようと、ディルクが発起人となって5人の醸造家たちがドウロ・ボーイズを結成したのが2003年。私が初めてProWein-毎年3月にドイツのデュッセルドルフで開催される、世界最大規模の業界向けワイン試飲会-を訪れた2006年、ポルトガルは高品質なスティルワインの生産国として熱心にアピールしていた。そしてオレンジワイン・レボリューションの著者として知られるサイモン・J・ウールフSimon J. Woolfとライアン・オパズRyan Opazがポルトガルワインの現在を伝える単行本”Foot trodden. Portugal and the wines that time forgot”(「足踏みされたブドウ 時が忘れたポルトガルとワイン」未邦訳Foot Trodden – Portugal and the Wines That Time Forgot (foot-trodden.com))を出版したのが2021年。この著作でポルトガル各地の高品質なスティルワインの生産者が紹介されたことで世界のワイン業界の関心を集め、近年次第に存在感を増してきている。(つづく)
2024/01/07
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FIO Wines/ ローター・ケッテルン醸造所(ピースポート) 7月中旬の朝、友人の車でトリーアからピースポート村へ向かった。この村はゴルトトレプヒェンのブドウ畑で知られている。ローマの円形劇場の観客席のように、弧を描いてせりあがった斜面にブドウ畑が広がり、そのふもとをモーゼル川がゆったりと流れている。 その斜面の頂上には小さな祠がある。昔、疫病が流行ったとき、時の為政者は村と外部の行き来を遮断し、急斜面のふもとの川沿いの集落を隔離した。そして定期的に、斜面の上にある祠に食料が届けられた。村人たちは麓の集落から祠まで、急斜面を登って取りに行ったという昔の記録が、コロナ禍の際に話題になったそうだ。 ピースポーター・ゴルトトレプヒェンの畑。 今回訪問した生産者のひとつFIO Wines/ローター・ケッテルン醸造所(醸造所のサイト:FIO およびWeingut Lothar Kettern in Piesport an der Mosel – Riesling-Winzer aus Leidenschaft (kettern-riesling.de))は、モーゼル川の対岸の平地の広がる区域にある。醸造所の近くまで来た時、トラクターに乗ってブドウ畑へ向かう、現オーナー醸造家のフィリップ・ケッテルンとすれ違った。長髪の大柄な体格で、年のころは30過ぎくらいだろうか。ハンドルを握る友人が手を振ると、トラクターの運転席に座ったまま「これから瓶詰をやらなくちゃいけないんだ。試飲所で妻が君たちを待っているよ」と言って去っていった。 ドイツのワイン生産地域地図(Deutsches Weininstitut)。モーゼルは赤い星印のある場所。(つづく)
2024/01/07
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・ドイツのナチュラルワイン ドイツワインといえば甘口、というイメージが日本では数年前までは根強かったが、ここ数年、辛口も認知されるようになってきた。一方、ドイツ産のナチュラルワインの存在感はまだ薄い。もともと1990年代にフランスのボージョレやジュラ、ロワールから台頭した、有機栽培のブドウを使い、一切の化学合成物質を添加せずに(瓶詰前のごく微量の亜硫酸の使用のみ容認されている)ブドウ果汁のみで醸造するナチュラルワインは、その柔らかで親しみやすい飲み口が日本人の嗜好にもあい、現在では世界的に見ても日本が重要な消費市場になっている。 欧米では10年くらい前までは、一般的な亜硫酸を添加したワインは不安定で往々にして欠陥臭があり、産地の個性が表現されないキワモノワインといった批判にさらされることが多かった。しかし近年では、評価の高いファインワインの生産者の作り方は、栽培には農薬や化学合成肥料を使わず、醸造にも化学合成物質を使わない点で、ナチュラルワインとほとんど変わらないではないか、という指摘も出てきている。 ドイツでナチュラルワインが一部で認知されるようになったのは2018年頃のことだ。2009年にモーゼルで、1970年代末からバイオダイナミック農法を実践していたルドルフ・トロッセンが、顧客に依頼されて亜硫酸無添加で試験醸造したのが、そもそものはじまりだった。(醸造所のサイト:Weingut Rita & Rudolf Trossen (trossenwein.de)) 2015年になるとケルンでナチュラルワイン専門店「ラ・ヴァンカイラリー」La Vincaillarie(ショップのサイト:Naturweinladen und onlineshop seit 2009 in Köln | La Vincaillerie (la-vincaillerie.de))を営むスルッキ・シュラーデが—もう専門店まであるじゃないか、と思われるかもしれないが、彼女の店は例外中の例外で、ドイツでナチュラルワインはどこにも売っていないし知られてもいないから、スルッキが自分で輸入することにして2009年にオープンした店である—毎年3月にデュッセルドルフで開かれる大規模なワイン見本市プロヴァインProWeinにあわせて、第一回のナチュラルワイン見本市「ヴァインサロン・ナチュレル」を開催(2024年は3月9・10日。イベントのサイト:Deutschlands größte Messe für Naturwein, in Köln (weinsalonnaturel.com)。同年11月にはベルリンで、ロンドンが発祥の世界的なナチュラルワイン見本市RAW Wine Fairが開催された(2023年12月開催時のサイト:Berlin 2023 | RAW WINE)。もっとも当時の反響は芳しいものばかりではなく、半分以上が飲めた代物じゃない、こんなワインが注目されるなんてどうかしている、という意見がどちらかといえば目立ったが、ともあれ、これらのイベントはドイツでもナチュラルワインが存在感を高める契機にはなったし、自分でも醸造してみよう、という気になった生産者もいたことだろう。 2018年になるとナチュラルワインに手を染める生産者や、それを扱うショップやレストランが少しずつ増えていき、シュラーデによればナチュラルワインはドイツ国内で「ブームになった」という(参照: Surkki Schrade, Natürlich Wein. Ungefiltert, ungeklaert, ungeschoent - alles über Naturwein, Pet Nat und Co., 2021 Christian Verlag)。もっとも、生産されるワイン全体からみれば1%にも満たないニッチで特殊なワインではあるが、その存在はわずかだが定着しつつある。とりわけフランケンとファルツ、ラインヘッセンでナチュラルワインに本腰を入れて取り組んでいる生産者の存在感があるが、近年はモーゼルでも増えてきている。まだほんの数えるほどではあるが。(つづく)
2024/01/07
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2023年7月、コロナの渡航規制が3年ぶりに解除され、久々にモーゼルを訪れた。2019年4月以来だ。成田から台北経由で早朝フランクフルトに着陸した。台北では乗り継ぎ待ちが5時間あったため、フランクフルトに到着してからiPhoneでネットに入れるよう—列車の時刻表やGoogle map、Lineで連絡を取り合いながらコブレンツで落ち合う予定もあった—モバイルバッテリーを持参したのだが、飛行機の座席にUSBコンセントがあり、そこにつないでおいたので心配することはなかった。桃園空港で乗り継いだ。さらに3年前はなかった、海外渡航用のeSIMなるサービス(airalo等旅行者向けの現地と各地域のeSIM (airalo.com))が登場していた。以前は事前にアマゾンでモバイルルーター用のSIMを購入していたが、eSIMをiPhoneなりスマホにダウンロードするだけでよくなったので、今回ルーターはほとんど出番がなかった。各通信事業者の海外でのネット利用料金も低価格化が進んでいるようで、わずか3年だが時代は変わった、と感じた。フランクフルト空港でスーツケースを受け取り、鉄道駅に近いターミナルへ移動するバスに乗ると、誰もマスクをしていなかった。軽い違和感を覚えたが、郷に入れば郷に従えのことわざを思い出し、私もマスクを外した。呼吸が少し楽になった。 ドイツに来ると、旅先であるが故の緊張感は常につきまとうが、同時に開放感にも満たされる。日本にいる時の日常の息苦しさは遠のき、その時その時の課題—チケットを買い、ホームを探して正しい列車に乗るなど—を切り抜けて目的地にたどり着き、私の場合は醸造所を訪問して話を聞いて写真を撮るといった、大げさに言えばミッションを果たそうという使命感に支配される。気分転換とか、息抜きとかいった気楽さはあまりない。しかしそのミッションは、誰に言われたものでもなく自分で勝手に決めたものだから、楽しい。13年間を過ごしたモーゼルへの郷愁と望郷の念を、束の間ではあるが充足させ、仕事ではおそらく訪れる機会を得られないであろう醸造所を訪れてみることが、今回の旅の目的でありミッションだった。 トリーアに入る前に最後にわたる鉄橋からのながめ。ここを渡ると、いよいよ帰ってきた、という気分になる。ラインラント・ファルツ州の州都マインツで乗り換え、ライン川沿いを走る列車の車窓から渓谷の斜面に広がるブドウ畑の景色を堪能し、モーゼル川が合流するコブレンツで、トリーアへ向かうローカル線に乗り換える。モーゼル川沿いの風景は相変わらずだ。ライン川よりも川幅はせまく、ブドウ畑の急斜面は線路の間近まで迫ってくる。時々モーターボートが列車と並走し、河岸のキャンプ場にキャンピングカーが並び、駅に停まると自転車と一緒に乗り込んでくる人々がいる。都会の喧騒を離れ、アイフェルとフンスリュックの二つの山地の間を蛇行しながら流れるモーゼル川周辺の自然と歴史や文化、そしてワインを満喫しようという観光客たちで、夏のモーゼルは相変わらずにぎわっていた。(つづく)
2024/01/07
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備忘録その7. ラインヘッセンの格付け ファルツの醸造所を訪問した翌日は、マインツでラインヘッセンのグラン・クリュ試飲会だった。VDPではグラン・クリュのことをグローセ・ラーゲGroße Lage、そこからの辛口をグローセス・ゲヴェクスGroßes Gewächsと称するが、ラインヘッセンではVDP以外の醸造所有志が、VDPのガイドラインに沿って醸造したグラン・クリュの辛口をラーゲンヴァインLagenweinと称している。ただ、ラーゲンヴァインはあくまでも個々の醸造所の自主的な取り組みで、特に審査などはしていない。VDPの場合はグローセ・ラーゲの認定は各生産地域のVDPが行うが、それ以外の醸造所は醸造所の自己判断に任されている。つまり、その醸造所がグラン・クリュにふさわしいと思えば、その畑がグラン・クリュになってしまうという、けっこうユルい基準なのだ。いかに品種をリースリングとシュペートブルグンダーに限定して、VDPのグローセ・ラーゲの基準、つまりヘクタールあたりの収穫量を50hl/ha以下に絞り込んで、手作業で収穫を行い、伝統的な製法で醸造(これ自体曖昧な規定なのだが)したとしても、その品質を客観的に保証するものがないのが現状だ。 というわけで、その日のライン川沿いの選帝侯の館のホールの試飲会に参加した40の醸造所のうち15がVDP加盟醸造所で、彼らのグローセ・ラーゲは畑と生産年の個性を明瞭に反映したものが多く、官能審査を経ているだけのことはあった。一方でその他の生産者のワインにはばらつきがあり、ヴェクスラーWechsler、シェッツェルSchätzel、サンダーSander、クネーヴィッツKnewitz、ドライスィヒアッカーDreissigackerはVDPと十分互角に渡り合っていると感じたが、それ以外は(40醸造所のうち3軒は時間切れで試飲出来なかった)やや物足りないと感じることが多かった。2014は確かに夏場に雨が多く収穫期に気温が上がった難しい生産年だった。それにもかかわらず説得力のあるワインを出してきたところと、それが出来なかったところとあって、そのあたりに実力というか、気持ちの差というか、葡萄畑、あるいは栽培の違いが出ているような気がした。ラインヘッセンではこの他にオルツヴァインという村名ワインの規格があって、これもVDPの規格に倣っている。この試飲会は毎年4月下旬にあるのだけれど、こちらの方がラーゲンヴァインよりも楽しいのはなぜだろう。以前、VDPラインヘッセン代表のフィリップ・ヴィットマンは、ラインヘッセンでは他の産地よりもオルツヴァインの基準を高く設定して力を入れている、と言っていた。実際オルツヴァインは楽しめる。ラーゲンヴァインよりも安定していて、ラインヘッセンという産地のポテンシャルを感じることが出来る。 単一畑の方が必ずしも優れているとは限らず、複数の畑をブレンドした方が欠点を補ってよいワインが出来ることがある、と田中克幸氏がセミナーで指摘して、なるほど、と思ったことがある。ラインヘッセンにはそれがよくあてはまるのかもしれない。(つづく)
2021/01/14
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コロナで海外に行けなくなり、昨年は結局一度もパスポートを使わなかった。新しく書くこともなく、昔ここに書いた記録を整理しているうちに、フェイスブックに書いたからいいや、と放置している旅行記がいくつかあることを思い出した。ところが、読み返そうにも、書き込みがなかなか見つからない。検索をかけても見当たらず、何千万人、もしかすると数億人の書き込みが毎日あるのだから、どこかに埋もれて消えてしまっても仕方ないのかもしれないが、少なくとも自分にとっては、備忘録として書いた意味がないじゃないか、と憤りながら何度も探し回っていたら、なんとか見つかったので、ここにアップしておくことにした。ここなら、あとから見つけやすい。以下は、2015年8月下旬の記録である。 ドイツ行きの備忘録 その1。初日、出発の朝。日曜早朝で駅までのバスが出ていなかったし、足の裏の怪我を悪化させたくなかったのでタクシーを予約し、朝5時に駅に向かう。一番安い京成スカイアクセス線経由で成田空港第一ターミナルには8時前に到着。搭乗予定は9時55分発のルフトハンザFH711便だった。チェックインカウンターは既に長蛇の列だったが、何かおかしい。やがてその日には飛ばず、翌朝の8時40分に変更になったと知る。使用予定の機材がフランクフルトから飛んでこなかったそうだ。フランクフルト空港であった事故に巻き込まれたという説明だったが、後から調べてもそれらしい情報はみつからなかったので、真偽の程は定かではない。FH711の乗客は全て振り替えか一日遅れで出発することになり、代替チケットの手配をカウンターでやっていたので行列は遅々として進まない。一日遅れを受け入れた人にはミールクーポンと宿泊チケットは出ていたようだが、私はその日着の便か、翌日早朝着の便でなければ、元々ドイツ行きを決めた理由であるVDPドイツ高品質ワイン醸造所連盟のグローセス・ゲヴェクス試飲会に間に合わない。これは招待制の着席形式の試飲会で、VDPによればとても長いウェイティングリストがあるそうだ。そこに2日間の会期のうち、1日だけなら参加出来ると連絡があったのが約3週間前だった。もっと早ければ9万円台から航空券があったのだが、その時点で直行便の往復航空券は最低13万円以上。ちなみに、中東系の航空会社を利用しても11万円以上だったし、一日早い便はさらに高価なチケットしかなかった。いわば、最後の一枚、ラストチャンスと思って買った航空券だったのだが、それで私にとっては未だかつて無い、不測の事態に遭遇した訳である。不測の事態といえば、昨年一度ルフトハンザのチェックインカウンターで「予約がありません」と言われたことがある。この時はDWIドイツワイン基金のプレスツアーで、先方が手配していてEチケットもあったのでそんな筈はない、と主張。結局共同運航便の全日空のカウンターでチェックイン出来たので、事なきを得た。さて、FH711に話を戻すと、御用聞きのように回ってきた係員によれば、その日の便はもう既に満席だという。それはそうだろう。チケットを購入した点から予想出来た。数時間の遅れなら、到着日の夜に予定されていたVDPナーエのウェルカムイヴェントを諦めるだけですむかもしれないが、翌日発となると話は違う。午前10時にはヴィースバーデンで予定があるので、なんとかそれに間に合わせたい、と伝えると、空席はないと思いますが一応探してみますのでそのままお待ち下さい、と言う。もちろん、私の前には既に少なく見積もって100人-ジャンボジェットの乗客だ-が既にカウンターで交渉しており、彼らは皆、本当は予定通りドイツへ行き、なるべく早く目的地に着きたいと願っているのだ。約3時間以上遅々として進まない行列の中で待ち続け、ようやく私の順番が回ってきた。先程と同じことを繰り返すと、「探してみますのでお待ち下さい」と係員の女性は言った。これがドイツなら恐らく「申し訳ありませんEs tut mir Leid」の一言でとりつく島も無かっただろうと思う。やがて彼女は戻ってくると、日曜日なので中東系の便も全部埋まっている、と申し訳なさそうに言う。いよいよだめかと諦めかけた時「香港経由の全日空深夜便で、現地早朝5時台着ならとれるかもしれません」という。一縷の望み、希望の光が差してきた。深夜便なら前回ドイツに行った時も使った。「そ、それでお願いします!」とすがりつくように頼むと、わかりました、とうなづき、10人近い同僚達が端末を叩いているカウンターの一画に向かった。そして戻ってくるなり「午後2時台羽田発の直行便に空席が出たそうです」と言うではないか。真に奇跡としか言いようがない。「チケットを振り替えましたので、このままリムジンバスで大急ぎで羽田に行って下さい」と指示された。その時既に11時45分頃。チェックイン締め切りまで約1時間半強。羽田まで道が混んでいると1時間半くらいかかることもありますから急いで下さい、とバスのクーポンを握らされ、大急ぎで予約してあったWifiを借り受けて、3時間以上耐えたトイレを済ませて、これまた足の裏の痛みに耐えながらスーツケースを引きずって、リムジンバス乗り場に行くと羽田の国際線ターミナル行きはあと20分出ないという。ヤバい。しかし、不思議と乗り遅れることはないだろうという気がした。ここまで来たらなんとかなるだろう。幸い道は空いていた。羽田の駐車場付近で少し渋滞したが、約1時間強で国際線ターミナルに到着。バスを降りる直前に羽田のチェックインカウンターから「いまどちらですか」と電話があり「今行きます、大急ぎで行きます!」と答えながら、やっぱり待っていてくれたんだ、流石全日空ありがとう!と心の中でうれし涙を流した。カウンターは既にクローズされていたが、電話の件を伝えるとすぐ通じて、スーツケースを係員が手持ちでどこかへ持っていった。しかし、私の名前はどうやらウェイティングリストに載っているだけの状態だったらしい。しばらくして「空席がないので今回だけ特別です」と、プレミアムエコノミーにアップグレードしてくれた。ありがたい。出発便の遅れは最小限に出来た上に、なんという幸運。時間がないのでご案内します、と係員にエスコートされてゲートに到着したのは午後2時少し前、丁度搭乗が始まった頃だった。うれしさのあまり間違えてビジネスクラスの列に並び、係員にエコノミーの列に並んで下さいと追い出され、プレミアムでもエコノミーはエコノミーなんだと改めて知る。しかし、ゲートでもう一度不測の事態が起こった。渡されたばかりの搭乗券をスキャナに通すと赤いバツ印が現れ、そばにいた係員が「座席イシューです」と緊張した面持ちで同僚に告げたのだ。だめなのか、やっぱりだめなのか…?少し青ざめながら話を聞くと「プレミアム・エコノミーも満席ですので、ビジネスクラスにアップグレードします」と言うではないか。うわぁ、なんて一日だ!地獄から天国へ昇った気分だった。ビジネスクラスなんて10年、いや20年振りか。昔会社に勤めていた頃、一度だけロンドンからの帰国便がビジネスクラスだった。しかし、あの頃に比べると今は格段に進歩しているようだ。座席はフルリクライニングしても後ろの人を気にする必要がなく、しかも細かに姿勢を調整出来た。モニターも15インチのPC並みに大きいし、ヘッドホンもボーズ製で持参したノイズキャンセリング付きのを使う必要もなかった。着席するなりシャンパーニュのウェルカムドリンク(Jacquart Brut)で、食事もちゃんとした白磁の食器で前菜と主菜、デザートが別々に運ばれてくるし、ワインも白はファルツのDr. ベッカーの2014 ヴァイスブルグンダー „Blanc de Blanc“とアルトアディジェのホーフシュテッターのDe Vite 2013だった。赤も真っ当な赤が2種類(2009 Château Leboscq, Cru Bourgeois, Medoc/ 2012 Aconcagua Syrah, Arboleda, Chile)。飛行機の中で食器のたてるカチカチという音が物珍しく、離陸して間もなく出て来た昼食で、朝からパン一切れとお握り2個で耐えた空腹を満たし、ワインで心も満たしてフルリクライニングして熟睡した。なんという幸せ。足の裏の痛みも少し和らいだ気がした。正直なところ、これまでプレミアム・エコノミーやビジネスクラスなど必要なければ縁もない、と思っていたが、今後は少し考えるかもしれない。この快適さはクセになりそうだ。もっとも、お金がないのでマイレージでも貯まらなければ乗らないだろうけれど。ドイツには夕方6時頃に着いて、少しばかり痛む足を引きずりながら-靴の中に小石が入ったような痛み-電車でヴィースバーデンに向かう。夕暮れのドイツは涼しく、垂れ込めた雲からいつしか雨粒が落ちてきた。駅に着いた頃には本降りになっていたので、タクシーでホテルに向かう。歩けば20分くらいで行けるらしかったが、この状態で無理はしたくなかった。ホテルで靴下を脱いで包帯をほどくと、足の裏の傷は少し化膿していたが思っていたほどではなく、水で洗浄して消毒して化膿止めを塗り、滅菌ガーゼをあてて包帯を巻いた。そして翌日からの試飲の日々に備え、早めに寝た。(つづく)
2021/01/11
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もう2年以上前のことになるが、バーデン南部のツィアライゼン醸造所に行ったことがある。しばらく時間が経ってしまったけれど報告します。ご参考になれば幸いです。ツィアライゼン醸造所は大学都市フライブルクの南約50kmのエフリンゲン・キルヒェンの町にある。駅から歩いて5分ほどで到着すると、道に面して中庭のある立派な農家で、農産物の直売所とワインの試飲所があり、前者には朝堀のホワイトアスパラガスが並んでいた。それは5月上旬のことだった。IMG_7603m posted by (C)Yutaka醸造所の中庭で談笑するハンス=ペーター・ツィアライゼンと顧客。・バーデン最南部の栽培条件(1) 気候醸造所が位置しているのはバーデン最南部のベライヒ・マルクグレーフラーラントだ。スイス国境に近く、晴れた日には葡萄畑からバーゼルの町並みが見える。また、ライン川を渡ればそこはフランスのアルザスだ。スイスアルプスが南から流れてくる雨雲を遮り、ヴォージュ山脈が太平洋からの雨雲を防ぎ、アルプスとヴォージュ山脈に挟まれた渓谷を雲や風が吹き渡る。エフリンゲン・キルヒェンの村と葡萄畑は、日本語で黒い森という意味のシュヴァルツヴァルトとライン川に挟まれた標高270~380mに位置している。シュヴァルツヴァルトは森といっても実質山岳で、最高峰は1493m。ドナウ川やネッカー川の水源もここにある。昼間はブルゴーニュから暖かい風が吹き込み、夜はシュヴァルツヴァルトの山から冷気が降りてくる。山々に雨雲は遮られても、この2つの風がぶつかって雲が出来て雨が降りやすいので、年間降水量は約1000mm前後に達する。IMG_7615m posted by (C)Yutakaツィアライゼンの葡萄畑。(2) 土壌バーデン南部の石灰質土壌は大抵三畳紀の貝殻石灰質土壌だが、ツィアライゼンの畑の土壌はジュラ紀の石灰岩質土壌で、ドイツの葡萄畑では珍しい。貝殻石灰質は微細な孔が開いていて黄色みを帯びているが、ジュラ紀の石灰岩はとても白い。「バーデン南部、ジュラ地方、そしてブルゴーニュと背骨のように同質の石灰質土壌が繋がっている。だからブルゴーニュはこのバーデンの南端から始まっているのだ」と醸造所オーナーのハンス=ペーター・ツィアライゼンは言う。大理石の層もあり、近郊の城の建築に使われていたそうだ。(3) 品種醸造所のあるマルクグレーフラーラント地区の伝統品種グートエーデルとシュペートブルグンダーが主要な葡萄品種だが、とりわけ後者は果粒が小粒でばらけた房になるクローンが向いている、とハンス=ペーターは言う。ドイツクローンとフレンチクローン、それにスイスクローンを栽培している。特にスイスで交配されたヴェーデンスヴィルWädenswil 242は房が小さく、果粒の間隔もあいていて傷みにくく、気に入っているそうだ。エフリンゲン・キルヒェン村の葡萄畑はライン川に向かって下る斜面とその上の高台に広がっており、とある一角にアンフォラが埋めてある。容量500ℓのイタリア製のものだ。マンホールの下にあり、開口部のまわりにステンレスの枠をはめて蓋を取り付け、4つのネジで密閉出来るようになっている。埋めたのは2014年のことで、品種はグートエーデルだ。2016年に瓶詰めされたと聞いたが、市場にはまだ出していないようだ。IMG_7708m posted by (C)Yutakaアンフォラから試飲用のワインを取り出す。・家具職人だった醸造家1991年に24歳の時に醸造所を設立したハンス=ぺーターは、もともと家具職人だった。実家は農家で、1734年から今の醸造所となっている家と畑を持っていたのだが、収穫した葡萄は醸造協同組合に納めていた。なぜ醸造と販売を始めたのかを聞いても、あまりはっきりした答えは返ってこなかった。「必要な時に必要な人に出会って、自然にそうなったのさ」と笑う。「他の醸造所で実習したこともない。いつも自分で試してみてワイン造りを学んだ。最高の料理人は人から教わってなるものではない。意思があれば道が開けるんだよ。孔子も言っているだろう。『好きなことを仕事にすれば、一生働かなくてすむ』とね」。それにしても、どうやって醸造技術を学んだのかと聞くとこう答えた。「実践だよ。そして沢山飲んだ。気に入ったワインを見つけたら、これはどんな畑で育った葡萄なのか、どうやって醸造したのかといつも考える。収穫のタイミング、果梗の使い方、温度など色々なことをよく考えて試して見るんだ。良い同僚と話しあうことも大切だ。例えばベルンハルト・フーバー。2014年に他界した彼は偉大なヴィンツァーだった。あれほどの人物は、なかなかいない。思い出すだけで鳥肌ものだ」と語る。ルフレーヴのようなワインを目指していて、コシュ・デュリも大好きな生産者だという彼の16haの畑の45%をシュペートブルグンダーが占める。25%がスイスでシャスラあるいはフォンダンと呼ばれるグートエーデルだ。ほかにヴァイスブルグンダ-、グラウブルグンダー、シャルドネ、シラー、ゲヴュルツトラミーナーも栽培しているが、いずれも品種の個性がとてもはっきり出ている。IMG_7730m posted by (C)Yutakaハンス=ペーター・ツィアライゼン。ワイン造りを語る時は少年のように嬉々としている。・野生酵母と長期熟成マルクグレーフラーラントの伝統品種であるグートエーデルは、普通は日常酒として醸造される。手頃な値段で手に入る肩肘のはらないシンプルなワインのことが多いが、この醸造所のグートエーデルは上質だ。最もベーシックな「ホイグンバー」Heugumberは木樽(生産年によってはステンレスタンクも使う)を使って野生酵母で発酵後、約半年間熟成してからフィルターをかけて瓶詰めする。日常消費用のワインとしては申し分ない辛口白だ。その上級キュベ「ヴィヴィサー」Viviserはバスケットプレスで圧搾してから容量1200ℓの木樽で発酵して1年間熟成し、「シュタイングリューブレ」Steingrübleは2年間熟成する。いずれも清澄剤を用いずに浮遊物が沈殿するのを待ち、上澄みを木樽かステンレスタンクに移して自然に発酵が始まるのを待ち、亜硫酸を添加せずに熟成する。「酵母はワインの活力だ。だからフィルターをかけずに澱が少し入った状態で熟成する。もしフィルターで滅菌されると、ワインは3、4年後には終わってしまう」と言う。亜硫酸塩は瓶詰めの前の一回だけ必要最低限の量を加え、ホイグンバー以外はノンフィルターで瓶詰めする。グートエーデルのフラッグシップは古木からの収穫を22ヵ月熟成した「ヤスピス・ツェン・ホッホ・フィア」Jaspis 104で、小売価格なんと一本125Euro(約16500円)。誇り高き価格である。このほかにも2007年産のグートエーデルを1200ℓの大樽2つで熟成中で、50年後に瓶詰めする予定だという。「昔の本には、第一次大戦前は良年のグートエーデルは50~100年樽で熟成したと書いてある。その復刻版をつくろうと思った。1872年のミュルハイムのワイン市で一番高値をつけたのは1802年ものだった。つまり70年熟成させたワインだ。昔は良い年のグートエーデルは50~100年熟成したんだよ!」。・DRCを目指すシュペートブルグンダー一方、シュペートブルグンダーはベーシックな「シュペートブルグンダー」から「チュッペン」Tschuppen、「シューレン」Schulen、「ヤスピス」Jaspisと格が上がり、フラッグシップは「リニ」Riniと称する。ハンス=ペーターによれば「ヤスピス」の土壌はジュヴレイ・シャンベルタンに似ている。石灰質主体で粘土が少しと鉄分がわずかに混じり、土壌の要素がより多く感じられる「リニ」はヴォーヌ・ロマネに似た土壌だという。2013年から房をまるごと何パーセントか混ぜるようにしたところ、複雑さを増したそうだ。また、2000年から2006年まではシャプタリゼーションを行いアルコール濃度を13~14%にしていた。すると品評会で賞をとるようになったものの熟成しても重すぎて楽しめなかったので、2007年からは葡萄が自然に蓄えた糖分だけで発酵している。アルコール濃度は12~12.5%。彼のシュペートブルグンダーは最初は大人しく、時間が経つにつれて次第に深みを増して複雑になっていく。そう伝えると、ハンス=ペーターは頷いてこう言った。「ここはバーゼルに近いが、バーゼルはカルヴァン派の本拠だ。厳格なプロテスタントのカルヴァン主義者は内面をすぐにはさらけださない。人もワインも」。特に「リニ」は開くまで時間が必要だ。逆にベーシックな「シュペートブルグンダー」「チュッペン」は最初から美味しい。2011年にロンドンでドイツ産と世界のピノ・ノワールのブラインド品評会があった。20種類をドイツ、20種類を世界各地から集めて、ジャンシス・ロビンソンをはじめとする著名テイスターに評価してもらおうという企画で、その予選にはドイツ各地から約300本が集まった。その際、ツィアライゼンのワインは予選で3本が1, 4, 5位に入賞。ロンドンでも4位(2007 Jaspis Alte Reben)と6位(2008 Schulen)に入っている(参照:http://www.timatkin.com/articles?250)。ツィアライゼンのワインがドイツのトップクラスであることは間違いない。だだ、彼はVDPに加盟していないのでグローセス・ゲヴェクスでもなく、クヴァリテーツヴァインでもない。全てラントヴァインとしてリリースしている。2004年に野生酵母のみで発酵するようにしたところ、公的審査に「典型的なバーデンのシュペートブルグンダーではない」として落とされた。そこで審査の不要な、一番下のカテゴリーであるターフェルヴァインとしてリリースした。だが2009年にEUの地理的呼称制度のワインへの導入でターフェルヴァインが廃止されたため、ラントヴァインにした。「私はシャプタリゼーションもしないし醸造添加物も使わないし、造りたいワインを造っている。審査委員会は画一化されたワインがいいのさ。ひどいもんさ。画一化されたワインなんてありえないよ」と言う。ハンス=ペーターのモットーは「水源に至るには流れに逆らわなければならない」と「死んだ魚だけが流れに流される」である。優れた生産者の一人であることに間違いはない。IMG_7705m posted by (C)Yutaka
2017/12/03
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「ほら、これを見て下さい」と、ヨッヘン・ラッツェンバーガー氏はカバンの中からおもむろにこぶし大の石を取り出し、テーブルの上にゴトリと置いた。「ブラウシーファーです」それは手に取るとずっしりと重かった。ミッテルラインにあるシュティーガー・ザンクト・ヨーストの畑から持ってきたのだという。ヨッヘン・ラッツェンベルガー氏。ラッツェンベルガー醸造所はライン川沿いの小さな古都、バハラッハにある。ローマ人に征服される以前はケルト人集落があり、町の名前もケルト語に由来するという説と、ラテン語の『Bacchi(バッカスの)ara(祭壇)』に由来するという説がある。その祭壇は人が25人ほど乗ることができた大きな一枚岩で、葡萄が熟す暑い年にライン川の水嵩が下がると水面の上に現れ、人々はそこに供物をささげた。だが、19世紀に行われた船舶が安全に航行するようにするための浚渫作業で爆破されてしまったという。ローレライといい、バッカスの祭壇といい、ミッテルラインは伝説に満ちている。19世紀にイギリスからの旅行者を魅了したラインロマンティックの趣は、21世紀の今も色濃く漂う。リューデスハイムの対岸にあるビンゲンからコブレンツまで約60の古城が点在する65Kmあまりの美しい渓谷は、2002年にユネスコ世界文化遺産に登録された。バハラッハはそのメッカである。1356年に完成した市壁の中に、教会を取り囲むようにして木組みの家々が立ち並ぶ。町の背後の山の上には11世紀に遡る城塞が聳え、城塞のある山と町を挟んで反対側の山の斜面に、ラッツェンベルガー氏が所有する葡萄畑『バハラッハー・ヴォルフスヘーレ』と『シュティーガー・ザンクト・ヨースト』がある。ライン川沿いではなく、ライン渓谷の脇にある谷の斜面に広がる13.5ha余りの葡萄畑だ。南南東から南向きの斜度40~60%に達する急斜面で、日の出から日没までずっと太陽に照らされ、夏は40℃を超える暑さとなる。ラッツェンベルガー氏は下草を植えて土壌流出を防ぎ、土壌の養分を整えているがビオではない。葡萄畑が急すぎるのと、あまりにもスレート粘板岩が多くてクワが入らず、雑草を抜くため土壌を耕すことができないからだという。「この石が深くまで堆積しているんだ」と、ラッツェンベルガー氏は冒頭のブラウシーファーを再び握りしめて言った。バハラッハからすこし奥まった谷間にあるシュテーガー・ザンクト・ヨーストのシーファーは黒味を帯びて硬く、それが葡萄畑一面を覆っている。黒味を帯びているので太陽熱を吸収しやすく、また、石と石の間に隙間があり水はけも良い。ワインはエレガントで繊細で、ミネラル感がとても強いものになる。一方、ヴォルフスヘーレの畑のシーファーは少し明るい色をして、細かく砕けやすく保水性に勝り、ワインからは桃やライチなどのフルーティなアロマが香り立つ。ミッテルラインはモーゼルとラインガウの間にある。そしてワインのスタイルもまた、フルーティで繊細なモーゼルと、力強く、時として土くささを感じるラインガウのミネラル感の両方の個性を兼ね備えたものとなるという。平均収穫量を50h?/haに絞り込み、グローセス・ゲヴェクスはグリーンハーヴェストを8月上旬に行って、実った房の半分を切り捨て、新梢一本につきひと房だけ残し味わいを凝縮する。収穫前には房の周りの葉を取り除き日に当てて完熟させ、金色に熟したところで手作業で収穫する。マセレーションせずにそのまま圧搾し、ステンレスタンクで野生酵母により発酵するが、長いもので9ヵ月に渡る。野生酵母は葡萄畑の個性を表現し、ステンレスタンクは醸造所の個性を明確にするという。17世紀から続く醸造所だが、醸造主任をしていた祖父が1959年に醸造所を継いで、現当主のヨッヘン・ラッツエンベルガー氏で3代目である。ラインガウのシュロス・フォルラーツとモーゼルのケッセルシュタット醸造所で研修後、バート・クロイツナハの醸造学校で醸造技師の資格をとり、1992年に父のもとで醸造をはじめ、2003年に跡を継いだ。両親と妻と二人の娘と一緒に暮らす、家族思いの父である。ワインの味もまた、どこか誠実で優しい。Weingut RatzenbergerBl?cherstr. 16755422 Bachrach/ Germanyhttp://www.weingut-ratzenberger.de/
2012/03/20
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新宿の都庁45階にある北展望台からの眺めは、小雨の中で灰色にくすんでいた。土曜日の午後であったが人影もまばらで、副都心を象徴する高層ビル群が間近に、街路に咲く梅が遠くに小さく見えた。カフェの同じテーブルを囲んでいたのは、ラインガウのゲオルグ・ブロイヤー醸造所のテレザ・ブロイヤーさんと、ミッテルラインのラッツェンベルガー醸造所のヨッヘン・ラッツェンベルガー氏だった。ドイツワインのインポーター、ヘレンベルガーホーフの創立30周年記念に合わせて来日したのだ。「東急本店でプロモーションをしてきたところなの」とブロイヤーさんは軽く興奮気味だった。けっこうな人気だったらしい。昨年7月に醸造所の経営責任者に就任し、33haの葡萄畑を所有する従業員12人の醸造所の女将さんである。身ぶり手ぶりを交えて生き生きと話す彼女を見てたとき、左手首の近くに『BB』の文字のタトゥーが目に留まった。テレザ・ブロイヤーさん。「『ベルンハルト・ブロイヤー』のイニシャル。私、墓地に行くのは嫌いなの。こうすれば、父がいつもそばにいてくれる気がして」テレザの父、ベルンハルトが2004年5月に何の前触れもなく急逝したことは、ドイツワイン界に大きな衝撃を与えた。まだ50代の若さだった。それまでテレザは醸造所を継ぐことを、父と具体的に話したことはなかったという。「好きなことをすればいい。ただ、私達家族がいることを忘れないで」と言っていたそうだ。高校を卒業したテレザは、すぐには醸造所に入らなかった。将来何になるか迷っていたのだ。とりあえずヴィースバーデンで観光関係の事務所で働いたが、興味が持てずに辞めて実家に戻った。父が急逝したのは、その翌日のことだった。「信じられなかった。私20歳だったのよ。ワイン造りなんて全然わからなかったから、その年の10月から隣町のガイゼンハイム大学に通いながら、叔父のハインリヒと醸造長のヘアマン・シュモーランツと一緒に醸造所で仕事をはじめたの。それから5年くらいは毎日が学校だった。大学だけじゃなくて、醸造所も私には学校だった」という。2007年にガイゼンハイム大学を卒業し、昨年まで一緒に働いていた叔父のハインリヒは、ホテル経営に専念するため醸造所を辞めた。醸造長のヘアマン・シュモーランツは、父が健在だったころから変わっていない。タトゥーを入れたのは3年ほど前のことだ。個人的なきっかけがあったというが、それが何かは聞けなかった。テレザは若々しく活気に満ち、女の細腕で醸造所を支えながら、世界を飛び回っている。それ以上詮索するのは、無粋に思えた。ブロイヤー醸造所の33haの葡萄畑の60%は急斜面にある。最上の畑はリューデスハイマー・ベルク・シュロスベルク、同ベルク・ロットランド、同ベルク・ローゼネック、ラウエンターラー・ノンネンベルクである。平均収穫量を35h?/ha以下に抑えたグラン・クリュに相応しい見事な辛口リースリングなのだが、ブロイヤー醸造所はVDPドイツ高品質ワイン生産者連盟から脱退しており、ラインガウワイン生産者連盟が主導するエアステス・ゲヴェクスもリリースしていない。1984年にカルタ同盟発起人の一人であった彼女の父が、そもそもドイツの畑の格付け運動の火付け役だった。だが、ブロイヤーがVDPラインガウ代表として推進してきた格付けの試みを、半ば横取りするような形で1999年にラインガウワイン生産者連盟がエアステス・ゲヴェクスとして法制化してしまった。ラインガウの葡萄畑の35%が格付け畑となった一方で、ブロイヤー醸造所が単独所有する急斜面のノンネンベルクやシュロスベルクの一部が格付け畑に認められなかった。政治的な思惑があったと思われるが、テレザは気に掛ける様子もない。「VDPともラインガウ生産者団体とも歩調をあわせないけど、何の問題もないわ」と明るい。ただ、VDPの醸造所とは親交があるので、今後の成り行き次第ではVDPには再加盟するかもしれないという。ちなみにノンネンベルクは2年前の見直しで、ロバート・ヴァイルのトゥルムベルクとともに格付け畑に認められた。「今にして思えば、父の死は私が醸造所を継ぐ決断を助けてくれたのかもしれない」とテレザ。日本から帰国した週末にはベルギーとベルリンの試飲会に出席し、3週間後にはスイスにプロモーションへ赴くという忙しさだ。でも、世界中どこに行っても、父がいつもそばにいる。タトゥーに込められた父への思いが、彼女を強くしているのかもしれない。ゲオルグ・ブロイヤー醸造所Weingut Georg BreuerGeisenheimer Str. 9 (事務所)Grabenstr. 8 (直売所)65385 R?desheim am Rhein/ Germanyhttp://www.georg-breuer.com/
2012/03/20
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モーゼル川はなぜ蛇行を繰り返すのかご存知だろうか。右へ左へと向きを変えて寄り道をしながら、時に円を描くように大きくうねりつつ、次第に父なるラインへと近づいてゆく。その様子は、まるでこの地を去るのを惜しんでいるかの様ではないか。それほどモーゼルを取り巻く渓谷は美しく、ラインに辿り着くことを拒むかのごとく蛇行を繰り返すのだと、地元の人は誇らしげに言う。しかし、列車は蛇行に沿ってのんびりと走り続けることなく、障害となる岸壁をトンネルでまっすぐに突き抜けて、最短距離で目的地へとひた走る。コブレンツからトリーアに向かう途中にブライの駅がある。ここを過ぎるとトリーア行きの列車は間もなくトンネルに入り、モーゼル川に別れを告げる。ブライからはまた、蛇行に付き合うようにして走るローカル線が発着している。15分あまりの短い区間だが、急斜面の葡萄畑が車窓に広がる中を渓谷の奥地へと乗客をいざなう。終着駅はトラーベン・トラーバッハだ。19世紀半ば頃、モーゼル随一のワイン商業で栄えた栄華の面影が町のそこかしこに残るその町には、森林と葡萄畑に囲まれた隠れ里のような趣が漂っている。キャンピングカーと自転車が行き交うプロムナードでは、醸造所や居酒屋の看板が満ち行く人々をワインへと誘う。とあるホテルの外壁で「マーティン・ミュレン醸造所 の20年」という横断幕が、川辺から吹く風に揺れていた。そこが今回の訪れた試飲会の会場である。トラーベン・トラーバッハの風景。トラーベン・トラーバッハのマーティン・ミュレン醸造所が設立されたのは今から丁度20年前の1991年、醸造所と同名のオーナーが26歳の時のことだ。父ヘアマンも醸造家で、マーティンが生まれた翌1966年に醸造会社を辞めて独立し、自家醸造と瓶詰め販売を始めた。マーティンは一人息子で、3人の姉妹がいる。「跡を継げとは一言も言わなかったが、醸造家になるのが息子の小さい頃からの希望だった」と父は言う。しかしマーティンは父の醸造所を継がず、独立する道を選んだ。なぜか。「僕は父のやり方よりヘクタールあたりの収穫量を落としたかったんだ。圧搾手法も変えたかったんだが、認めてもらえなかった。だから無理して一緒に続けるよりも、独立した方がお互いのためだと思ったんだ」とマーティンは振り返る。「収穫量を落としても、思い通りの値段で売るのは難しい。相場というものがあるからね」と父は肩をすくめる。こんなエピソードがある。1976年、マーティンが11歳の時のことだ。葡萄は完熟して貴腐葡萄が多く出来たのを見たマーティンは、「貴腐葡萄を選りすぐって、ベーレンアウスレーゼにしようよ」と父に提案したそうだ。しかしヘアマンは粒選りをせず、アウスレーゼに仕立てた。なぜせっかくの貴腐葡萄を活用しないのか。それがマーティンには、いつまでも納得できなかった。理想のワイン造りを一途に追求しようとする若者に、生産量を確保して経営を考えたワイン造りをさせようとした父。1990年頃から試験的に収穫量を落としてその成果に自信を得たマーティンは、1991年にクレーフ村周辺の0.9haの葡萄畑を賃貸して自家醸造を始めた。マーティン・ミュレン醸造所のオーナー醸造家、マーティン・ミュレン。1965年2月8日生まれの46歳。独立の翌1992年の葡萄は完熟し、100エクスレを越えた。しかし仕上がったワインにマーティンは納得がいかなかった。「悪くはなかったが、まだ葡萄畑のポテンシャルを出し切っていない」と感じたという。どうしたらもっと良いワインが出来るのか。その答えはシャンパーニュにあった。昔ながらのバスケットプレスの利用である。木製の桶に収穫を入れて垂直にプレスする装置で、時々道端で花壇として使われているのを見かけるが、水平式のニューマチックプレスが主流のドイツで現在も使用している醸造所は皆無だ。その上一回の圧搾作業に約20時間もかかり、夜中に時々起きて様子を見なければならない。「しかし得られる果汁はとても澄んでいて、ワインもニュアンスに満ちたものになる。他の圧搾機とは比べ物にならない」と大時代な圧搾手法にすっかり惚れ込んだマーティンは、1994年から収穫の全てをこのバスケットプレスで圧搾している。そして発酵もまた、伝統的な約1000リットル入りの木製フーダー樽で、葡萄畑に生息する野生酵母で行う。発酵期間は大体4~6ヶ月、長い時で11ヶ月に及ぶ。そのこだわりぶりは、効率とマーケティングを重視する近代的醸造に対する反抗のようにすら見える。「まるで100年前のワイン造りですね」と私。「うん、そう言えるかもしれない」とマーティン。続けて彼は「ワイン造りは本来簡単なものなんだけど、だから逆に難しいこともある」と、私にはよくわからないことを言った。「例えばかい?そうだな、清澄作業なら、きつめに行うか、それとも若干濁りを残すべきかを果汁の味を見て判断するところとかかな」と言う。分析値や教科書ではなく、経験と勘を重視する職人気質の現われと見た。そして「醸造は父から教わったんだ。彼の腕は確かだし、感謝している」と続けた。1991年に独立して以来、マーティンは1998年にトラーベン・トラーバッハにある廃業した醸造所を購入し、畑も少しずつ買い足して行った。やがて2003年に、父から2haの畑を譲り受けた。「そうして、わしは引退したんじゃ」と父ヘアマンは誇らしげに言った。一度は父と袂を分かった息子は、こうして結果的に醸造所の跡を継いだのだ。マーティン・ミュレン醸造所は現在4.6haあまりの葡萄畑を所有している。いずれも急斜面の優れた葡萄畑である。試飲会会場の様子。その日は1991年から2009年にかけての辛口からファインヘルブのリースリングを中心に、15種類ほど試飲した。いずれのワインも調和がとれて、酸の表現に生産年の特徴が感じられる。とりわけ個性的と感じたのはミネラル感で、アクセントを添えるよりもボリュームに寄与している印象を受けた。かといって石灰質の土壌に由来するぼってりとした厚みとはまた違う、軽さと透明感のある果実味に溶け込んだ繊細なミネラル感だ。葡萄畑のポテンシャルと丁寧に扱われた収穫を思わせる白い花の精妙な香りが漂い、100年前、ドイツワインが世界各地で名声を博していた頃のリースリングに思いを馳せた。折りしも1893年にベルリンで刊行されたブドウ栽培と醸造に関する書物には、当時のリースリングの香味について以下のように書いている。「リースリングワインの品質に関して言えば、最高かつ非常に高貴なワインに数えられねばならないが、さらに言えばその美点は評判の良いその他のワインのように果汁の凝縮感にあるのではなく、それよりもむしろ、自然な花のような芳しい繊細さであることは周知の通りだ。リースリングワインは、例えサラリと流れるように軽くても、味わい深いものなのである」(August Wilhelm von Babo/ Edmund Mach (Hrsg.), Handbuch des Weinbaus und der Kellerwirtschaft, Berlin 1893、引用: Stuart Pigott, Die gro?en deutschen Rieslingweine, Econ 1994, S. 23f.) まるでファン・フォルクセン、マルクス・モリトール、ペーター・ラウアーのワインを彷彿とさせる記述ではないか。そしてマーティン・ミュレンのワインもまた、これらと同列に語りうる。だが、マーティンが所有する畑はいわば忘れられた銘醸畑だ。クレーファー・パラディース、クレーファー・レッターライ、クレーファー・キルヒライ、クレーファー・ステッフェンスベルク、トラーベナー・ケーニヒスベルク、トラーベナー・ヴュルツガルテンとトラーベナー・ヒューナーベルクと聞いても、知る人は皆無だろう。しかし1897年のプロイセン政府による葡萄畑の格付けでは、トラーベナー・ヒューナーベルクはヴェーレナー・ゾンネンウーアやシャルツホーフベルクをはじめとするグラン・クリュと同格なのである。2010年産から採用された醸造所のエチケット。1897年の格付け地図に、ボトルの中身が収穫された葡萄畑が金色で表示され、緯度経緯が記されている。マーティンは2000年からヒューナーベルクを少しずつ買い取っている。長年放置されて荒れ果てた畑を覆っていた茨を取り除き、崩れかけた段々畑の石垣を積みなおし、昔ながらの棒仕立てで剪定した枝をハート型にして柳の若枝で結わえている。棒仕立ては近年針金に枝を這わせる手法に次第に取って代わられつつあるのだが。人当たりの良い、おっとりとした話ぶりのマーティンだが、伝統的なワイン造りへのこだわりは人一倍だ。リースリング・ルネッサンスと言われて久しいが、マーティンもまた、トラーベン・トラーバッハにルネッサンスを興しつつある。そして彼のしていることは文字通り、かつてモーゼルに名声をもたらした古き良き伝統の復興と言うべきかも知れない。Weingut Martin M?llen Alte Marktstrasse 256841 Traben-Trabach/ Germanywww.muellen.de
2011/07/27
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カールスミューレ醸造所に向かう途中の光景。遠くに見えるのはカーゼラー・ニッシェンのある葡萄畑。このところルーヴァーに行く機会が多い。6月中旬には、二軒の醸造所で新酒試飲会があった。フォン・ボイルヴィッツ醸造所とカールスミューレ醸造所である。トリーアの駅前から86番のバスに乗って、大体20分位でメルテスドルフの村はずれのバス停に着く。そこからフォン・ボイルヴィッツは歩いて1分、カールスミューレは10分ほどだ。帰りのバスが毎時6分に出ることを確認して、エルベン・フォン・ボイルヴィッツ醸造所に向かう。フォン・ボイルヴィッツ醸造所は葡萄畑の麓にあるホテル・ヴァイスを兼業している。なだらかな緑の丘を背景に聳える白い四角い建物だ。もうすこし概観をフォン・シューベルト醸造所のように趣をもたせたらどうかと思わないではないが、レストランはこの僻地にしては上々だし、最近はサウナなどウェルネス設備も開設したらしい。フォン・ボイルヴィッツ醸造所の新酒試飲会の様子。ホテルのレセプションで受付をすませ、試飲会会場の広間へ向かう。壁にそって並んだテーブルにボトルがワインクーラーに入って並び、自由に手酌で試飲出来るのは相変わらずだ。「2010年は10月25日ごろに収穫を始めたんだが、一端中止して11月10日に再開した。酸度は例年とあまり変わらないし、減酸もしていない」とオーナーのヘルベルト・ヴァイス氏は言う。確かに酸は穏やかで、例年とそれほど変わった印象はない。異例なほど遅くに始めた収穫は、カビネット辛口からすでにアプリコットを思わせる熟した果物の香りが出ていることからも伺えるように思われた。ファインヘルブはカビネットもシュペートレーゼもまろやかな舌触りで軽いボリューム感があり、グローセス・ゲヴェクス辛口の「イム・タウベンベルク」辛口からは軽めの酒躯に澄んだ柑橘とパッションフルーツのアロマにミネラル感、もう一つのグローセス・ゲヴェクス「アウフ・デン・マウエルン」はたっぷりとした舌触りに桃が香る。アウスレーゼ・アルテ・レーベンのロング・ゴールドカプセルからは蜂蜜、ダージリン、パイナップルのヒントがあり濃厚で華やか、ベーレンアウスレーゼはアイスヴァインと見まごうばかりの強烈な酸味とアイスキャンディのアロマがあり、非常に余韻も長く強烈。オーナーで醸造家のヘルベルト・ヴァイス氏。困難な課題であったはずの酸をなだめすかして、熟した果物のアロマと調和させているのは一昨年フォン・シューベルト醸造所から引き抜いてきた醸造主任の手腕があるのではと思ったが、試飲会会場に姿がない。聞けば、昨年辞めたという。「ウチの醸造所にはあわなかった。2010年はまた私が一人で醸造した」とヴァイス氏。不運な醸造主任は今はトリーアの大手ゼクト製造会社で働いているというが、結局彼の手がけたのは2009年産だけになってしまった訳だ。これからの活躍を期待していただけに残念だが、オーナーが強烈な意思の持ち主だけに、優しそうな彼には少し厳しすぎたのかもしれない。勝手な想像ではあるが。2008年の新酒試飲会報告はこちら。カールスミューレ醸造所入り口で犬が寝そべっていた。猟犬としての腕は確からしい。その翌週、カールスミューレ醸造所で新酒試飲会があった。雨が降ったり晴れたりする変わりやすい天候であったが、十分な水分を得て葡萄は急速に膨らみつつあった。通常、葡萄は開花から100日で収穫期を迎えるが、冷涼なモーゼルでは120日前後かかる。それでも5月下旬から6月上旬に開花したので、これからの天候にもよるが、9月下旬から10月上旬が収穫の最盛期を迎える可能性が高い。ドルンフェルダーなど早熟系品種では8月下旬収穫を迎えるかもしれないという。醸造所オーナーで醸造家のペーター・ガイベン氏。醸造所地下にある試飲所には例年通り3列のテーブルが並び、それぞれ辛口、ファンヘルブ、甘口のボトルが並んでいたが、訪問客は昨年よりもまばらで静かな試飲会となった。フォン・ボイルヴィッツ醸造所と異なり、この醸造所では10月上旬から収穫を開始し、10月30日に終えた。ボトリティス黴が蔓延したため、収穫を伸ばすことが出来なかったのだが、この月のおおむね安定した天候が幸いし、最悪の事態を免れたという。収穫は健全な房とボトリティスのついた房とを手作業で選別しながら行った。健全な房は辛口に用い、発酵が始まる前に果汁と果皮や果肉を漬け込むマイシェスタンドツァイトを行ってアロマを引き出し、ボトリティスのついた収穫はファインヘルブか甘口にした。酸度が高かったので、状態を観察しながら3段階の減酸を行った。すなわち、まず果汁を単純除酸かドッペルザルツで減酸し、次にアルコール発酵後に乳酸発酵でリンゴ酸を乳酸に変えてまろやかにし、最後に瓶詰め前に単純除酸で1~0.5g/Liter落とした。最後のほんのわずかな減酸についてそこまでする必要があるのかと聞くと、ある、という。わずか0.5g/Literでも人にはわかるそうだ。減酸処理の結果、酸度は例年とほぼ同じか若干高めの5.7~8.6g/Literで、最高はアウスレーゼの11.5g/Literとなった。辛口のカビネット以上は澄んで軽やかな果実味に、やや控えめながら存在感のある丸い酸味があって、飲み心地は良い。ローレンツヘーファー・リースリング、セレクション・フォン・アルテン・レーベンは熟した柑橘の香りが口の中で広がる感じ、繊細な複雑さとミネラル感。これにはマイシェスタンドツァイトを約12時間行っている。ファインヘルブは辛口よりも酸を生かす余地があり、わずかに高めの酸が果実味に精彩を与えている。カビネット・ファインヘルブとティンパート・シュペートレーゼ・ファインヘルブはカシスの甘みと香り、後者は余韻も長く凝縮感がある。甘口ではシュペートレーゼの上品な桃の香りと甘みと酸味のバランスが素晴らしく、アウスレーゼは気品ある蜂蜜と凝縮した柑橘の甘み。11.5g/Literの酸がほどよく効いていた。昨年よりも上出来とは言えないまでも、難しい状況の中でほぼ満足の行く仕上がりとなった。この出来栄えは昨年からガイベン氏の下で修行中の若手醸造家の手腕もかかわっているのかと思ったが、彼の姿が見当たらない。「あいつは辞めたよ」とガイベン氏はあっさりと言う。今はトリーアの大手ゼクト醸造会社で働いているそうだ。代わりに今年はガイベン氏の息子、ジモンがいた。15歳位だろうか。今年の秋からバート・クロイツナハの醸造学校で醸造を学ぶ予定という。今でこそ風向きが少し変わったが、数年前までは醸造所の仕事は「きつい、きたない、儲からない」仕事で跡を継ぎたがらない後継者が多かった。「本当は別の職業に就きたくないの」と聞いてみると、ジモンは「とんでもない。ワイン造りほど素敵な仕事は世界にないよ。晴れた日は葡萄畑で外の空気が吸えるし、雨の日はセラーで雨風をしのげる。農耕機械の機械いじりもできるし」と言う。「じゃあ、将来はガイゼンハイム大学に行くのかな」「それは考えてない」と小声でジモン。「でも、他の国の醸造所を見て見聞を広げるのも悪くないと思うけど?」「ガイゼンハイムで教えていることは理屈ばかりで実用にならん」と父ガイベン氏が横から答えた。「あそこの卒業生は苗木さえ満足に植えられないんだ。トラクターを運転させてみたら、倒れている葡萄の枝を踏みつけてそのまま走るんだぞ。そんなのを見つけたら、一度降りて枝を結わえ付けてから先に進むだろ、普通!なっとらんよ。斬新なアイディアで新風を吹きこんでくるかと思ったんだが」と、ガイベン氏の憤懣を聞いているうちに、誰のことだか容易に察しがついた。家族の肖像。中央が後継者のジモン。一昨年崩した健康状態もすっかり快復した様で、ガイベン氏は息子を後継者として本腰を入れて仕込むつもりのようだ。長年一緒にワインを造っている、やはり醸造家のシルヴィア・ウェルスとの間に生まれた子供だけに、醸造家としての素質は十分に受け継いでいるはずだ。それにしても、フォン・ボイルヴィッツ醸造所もカールスミューレ醸造所も、近年の新人起用で世代交代かと思ったら、どうやらそうではなかったようだ。若手がチャンスをつかんでも、新しい活躍の場で仕事を認めてもらい定着するのは、それだけ難しいということか。本人の実力だけでなく、上司や同僚との相性もあるだろう。醸造家という仕事も他の仕事と同様で、楽な仕事ではなさそうだ。
2011/06/23
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試飲の様子。手前に並んでいるのがDr.ヘアマンのボトル。Dr.ヘアマンに続いてカール・エルベスの印象。Weingut Karl Erbes1. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Sp?tlese trocken2. 2009 Erdener Treppchen Riesling Sp?tlese halbtrocken3. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Sp?tlese feinherb4. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Kabinett5. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Sp?tlese (11ヶ月澱の上で熟成)6. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Sp?tlese7. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Sp?tlese ?Kranklay“8. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Auslese9. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Auslese*10. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Auslese** ?Kranklay“11. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Auslese***12. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Eiswein13. 2009 Erdener Treppchen Riesling Beerenausleseカール・エルベス醸造所もやはり辛口より甘口に魅力を感じ、とりわけアウスレーゼの星の数が増えるごとに凝縮感と緻密さが増していく様子には迫力があった。1.~3.は谷の時期なのか大人しく酸も控えめ。スパイシーなミネラルのアクセント、3.のファインヘルブにはほのかに桃の香り。4.のカビネットはDr.ヘアマンのそれよりも好印象。軽めでも熟したリンゴにほのかに蜂蜜のヒント、ミネラル感、良好なバランスで楽しめる。5.~7.のシュペートレーゼでは、澱の上で11ヶ月熟した5.は熟したリンゴにフェノール系の軽い苦味を伴う酸味。骨格がしっかりしているのは感じられたが、機会を改めて試飲したい。6.はみずみずしい熟したリンゴ、余韻もフルーティで快適な飲み心地。7.は香草のニュアンスが加わりほっそりとして上品。エルデナー・プレラートに近いすり鉢状になった急斜面の上部に位置するこの区画「クランクライ」Kranklayは1971年にヴュルツガルテンに併合されるまで単一畑だった。Krankと言っても病気ではなく、大きな、偉大な(Grande)に由来するという(出典はこちら)。いずれにしても、ヴュルツガルテンとは一味違う個性とポテンシャルを感じる区画。8.~11.のアウスレーゼは、星が増えるごとに天国への階段を上るような感じで素晴らしくなっていく。8.のアウスレーゼにも軽い苦味を感じたが、繊細で一体感のある甘みと酸味は綺麗。9.のアウスレーゼ*はほっそりとしつつ凝縮した甘み、10.のアウスレーゼ**クランクライはさらにシーファーのミネラル感が明瞭になり、11.のアウスレーゼ***は軽くクリーミィな舌触りに凝縮感のある甘み、白桃、アプリコットのヒント、非常に長い余韻。そして12.のアイスヴァインは独特のアイスキャンディーのアロマ、舌触りは軽くクリーミィ、白桃のヒント、長い余韻。13.のベーレンアウスレーゼは見事な凝縮感で、力強く繊細な甘み、非常に長い余韻。○まとめ両醸造所とも辛口からファインヘルブにかけてはいまひとつ、と感じたが、とりわけシュペートレーゼ以上の甘口は文句無く素晴らしい。アロマティックなDr.ヘアマンと澄んだフルーツ感のカール・エルベスと、近隣の畑でも醸造家でワインの性格も違うところも面白い。しかしいずれも、モーゼル中流の土壌と気候でしか出来ない、繊細さと凝縮感、軽さと濃厚さなど、多様で美しいリースリング甘口の魅力があった。試飲はこの後、場所を移してさらに古酒へと続いた。
2011/01/17
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Dr.ヘアマンでの試飲の後、とある民家へ。もともとホテルだった建物を、エアデン村出身の弁護士夫妻が2,3年前に購入・改装した、昔はホテルだった邸宅だ。窓の正面に見えるのはユルツィガー・ヴュルツガルテン。テーブルの上にはDr.ヘアマン醸造所とカール・エルベス醸造所の2009年産が、それぞれ一列に並ぶ。ユルツィヒとエアデンに畑を所有するDr.ヘアマンとカールエルベスの両醸造所の設立は、実は1967年と期を同じくしている。そしてほぼ10年前にクリスチャン・ヘアマンとシュテファン・エルベスがそれぞれ父から醸造所を継いだところも同じなら、甘口が生産の大半を占め、北米を中心とする輸出に力を入れている点でも共通する。いわば兄弟のような醸造所だ。まず、Dr.ヘアマン醸造所から。Weingut Dr. Hermann1. 2009 Erdener Treppchen Riesling QbA trocken2. 2009 Erdener Treppchen Riesling QbA trocken Goldkapsel3. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Sp?tlese feinherb4. 2009 Dr. Hermann ?H“ Riesling QbA5. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Kabinett6. 2009 Erdener Treppchen Riesling Kabinett7. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Sp?tlese8. 2009 Erdener Treppchen Riesling Sp?tlese9. 2009 Erdener Treppchen Riesling Sp?tlese ?Hitzlay“ Goldkapsel10. 2009 Erdener Pr?lat Riesling Sp?tlese Goldkapsel11. 2009 Erdener Treppchen Riesling Auslese12. 2009 Erdener Pr?lat Riesling Auslese Goldkapsel13. 2009 Erdener Herrenberg Riesling Eiswein14. 2009 Erdener Treppchen Riesling Trockenbeerenauslese15. 2009 ?rziger W?rzgarten Riesling Trockenbeerenauslese16. 2003 Erdener Treppchen Riesling Trockenbeerenauslese正直なところ、辛口にはピンとこなかった。丁度谷の時期に入っているのかもしれない。2.のQbA辛口GKは香水のような白桃の甘い香りが若干鼻につく。好みにもよるかもしれないが。4.の“H“は好印象。フローラルで白桃系の甘い香りがする他のワインとややスタイルが異なり、熟した柑橘のヒント、まとまり感のあるボディで軽くクリーミィ、ファインヘルブぎみの甘みはほどほどで、アフタがやや短いとはいえ、一本5Euro前後でコストパフォーマンスは非常に良好。5., 6.のカビネットはとても軽く繊細。クリスチャンの父ルーディは「カビネット飲みは1本空けて、続けて2本目が開けたくなるようなワインを求めている」と言うが、確かにそんな感じ。7.のシュペートレーゼから次第に本領発揮、アウスレーゼにかけて甘み、香りだけでなく力強さを増す。9.のヒッツライはエアデナー・トレプヒェンの中でもプレラートに隣接した区画(参考までに、プレラートとその近隣の葡萄畑の歴史から地質などに関する詳細な情報を掲載したMosel Fine Winesのニュースレターはこちら)。温暖な局所気候を感じさせる熟したリンゴ、アプリコット、パイナップルのヒント、香りい高く非常に長い余韻。10.のプレラートのシュペートレーゼGKは熟したフルーツの甘みだけでなく凝縮感を増し、アプリコットに蜂蜜のヒント、余韻も長い。11.のトレプヒェンのアウスレーゼはほっそりとしてエレガント、完熟したグレープフルーツのヒント、ミネラル感に富む。12.のプレラートのアウスレーゼGKは緻密な香りに熟したアプリコット、南国のフルーツに気品が漂う。凝縮して非常に長い余韻。13.のアイスヴァインは蜂蜜入りミルクティーのような香味、アイスヴァインとしてはどちらかといえば優しい味。14.のトレプヒェンTBAは乾燥した葡萄のヒント、濃縮した甘みにアプリコット、蜂蜜、カラメルのヒント、非常に長い余韻。15.も乾燥した葡萄のヒントはあるが、こちらは非常に濃厚で柔らかな舌触りが印象的。16.は2003年産。グラスに注いだ瞬間から「なんだこれは!」と驚く。褐色のトロリとした液体はほとんどメープルシロップ。乾煎りしたアーモンドのヒント、クリーミィで果てしなく濃厚。これはワインを越えて何か別の、異次元の飲み物のような気さえした。(つづく)
2011/01/17
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2010年は最悪の生産年 ----リリース前からそんな評もある生産年だが、それはやがて良い方向で裏切られることになるかもしれない。少なくとも甘口に関しては。土曜日に訪れたモーゼル中流のエルデン村にあるDr.ヘアマン醸造所。我々を出迎えた猫のミーツ。人懐こくセラーまでついてきて、とある樽の上に飛び乗ると毛を逆立てて牙をむいた…なんてことはなかったが、ツェラー・シュヴァルツカッツの伝説を思い出した。二代目主人で醸造責任者のクリスチャン・ヘアマンがガラス管でステンレスタンクからワインを吸出し、我々のグラスに注いだ。ユルツィガー・ヴュルツガルテンのリースリング・カビネットから野生酵母の香りが立ち上った。研磨される前の原石のようだ。収穫時の酸度は13.5g/Liter以上。リンゴ酸のみを減らす単純除酸を行い、発酵で自然に2g/Literほど減少し、9g/Liter前後に落ち着いた。熟したグレープフルーツの甘みに酸味は溶け込んでいて、舌の上に心地よい重みがあった。シュペートレーゼ、アウスレーゼ、ベーレンアウスレーゼと、クリスチャンは次々に注いでまわった。いずれも酸は出しゃばることなく甘みを下から支えるようにして全体に調和し、澄んだフルーツ感にリンゴやアプリコットの魅力的なアロマに満ちて、シーファーのミネラル感が深みをそえていた。最悪の生産年という評価は少なくとも、この醸造所の甘口にはあてはまらない。他の醸造所でも3月以降のリリースで驚かされるワインも多いのではないか。我々は期待に満たされつつセラーを後にした。しかし、辛口に力を入れる生産者には、確かに難しい生産年だったという。適切に除酸を行った醸造所はともかく、自然のもたらしたものを、出来る限り損なわずにワインに込めたいと思う生産者の中には除酸を拒んだところもあり、その結果は意見の分かれるところらしいが、リリースされるまでは確かなことはわからない。その後、クリストッフェルJr.醸造所の2010ユルツィガー・ヴュルツガルテン・アウスレーゼ三ツ星を試飲した。しっかりした骨格と長い余韻に綺麗な白桃とカラントの甘みが広がり、125エクスレに完熟した収穫の、高い酸度が恩恵となって現れていた。それは2010年のモーゼル中流の甘口の仕上がりに、一層の期待を抱かせるものだった。
2011/01/13
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世界の果てと言うのが大げさなら、その醸造所はザールの果てにあった。モーゼルにザールが流れ込むコンツの町から、カンツェム、ヴィルティンゲン、オックフェンと、蛇行する川沿いの渓谷の斜面に広がる葡萄畑の中を走り、小観光都市ザールブルクを過ぎたあたりで風景は急に物寂しさを帯びてくる。鬱蒼とした森林の中を、果たして流れているのかどうか分からないほどゆったりとして、鏡のように穏やかな水面のザール川の様子は、人里はなれた山奥の気配を漂わせている。やがてゼーリヒの村に入ると、そこはせわしない現代から隔絶され、数十年前から時の歩みが止まったような異世界である。細く曲がりくねった街道沿いに無秩序に立ち並ぶ、割れた窓ガラスが住む人のいないことを物語る農家の脇を、のどかな響きを立ててトラクターがゆっくりと走る。人気の無い広場に立つと、どこからから見られているような気がして不安になる。ゼーリヒの村を早足に通り過ぎ、民家が途切れて醸造所の住所が間違っているのではないか思い始めた頃、一本道の一番奥まった先にDr.ジーメンス醸造所がある。かつてのヘレンベルク醸造所で、2005年末に元ジャーナリストのヨッヘン・ジーメンスが、元オーナーのベルト・ジモンの引退を期に、醸造所とその周囲に広がる12haあまりの葡萄畑を購入したのだ。Dr.ジーメンス醸造所のオーナー、ヨッヘン・ジーメンス。ジャーナリストから醸造家へ。57歳で文字通り全く畑違いの業種への転身は、思い切った決断であったに違いない。25年あまり全国紙フランクフルター・ルントシャウに勤務し、2002年まで編集長であったが、経営陣との意見の相違から新聞社を去り、ワイン専門誌「アレス・ユーバー・ヴァイン」の編集長に就任。しかし雑誌は折からの活字不況で2004年にライバル誌「ヴィヌム」に吸収合併され、発展的解消を遂げた。ザールの醸造所を購入しないかという話が持ち込まれたのは、そんな時だった。醸造家になるのではなく、フリーのジャーナリストとして独立するほうが簡単だったのではないか? そう問うとジーメンスは肩をすくめた。「ワイン雑誌の編集に携わるうちに、いつしか実際にワイン造りとはどんなものなのか、醸造家の立場に立ってみたくなったんだよ」と言う。栄養コンサルタントとして活躍するカレン夫人の収入と、醸造所が購入出来るほどの資産があるならば、早期引退は考えなかったのだろうか。「私には二人の息子達がいる。まだ学校に通っているんだ。彼らに一日中何もせずにのらくらしている姿を見せるわけにはいかないよ」と、とんでもない、と言うように軽く口調を荒げた。醸造所を背負って立ち、デスクから離れて葡萄畑で働く姿を息子達に見せてやりたい。締め切りに追われ続けていたジャーナリストの生活から、いつも家族と一緒にいられる生活を、はからずも迎えた転機に選んだのかもしれない。それは、残りの人生をどう過ごすのかという、生き方の選択でもあったはずだ。(つづく)
2011/01/04
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仕事場のヨッヘン・ジーメンス。窓から眼下に葡萄畑とザール川が見える。だが、年末に家族とゼーリヒに引越して来て気がついたのは、予想以上の設備の老朽化だった。電気配線に絶縁材料として使われていた古紙を広げてみたら戦時中の新聞だったり、屋根からは雨漏りがするし、窓からは氷点下の寒気が容赦なく入り込み、オーブンのスイッチを入れたとたんにブレーカーが飛んだ。醸造施設も同様で、剥き出しの電線にぶら下がる裸電球の弱々しい光の下に並ぶ合成樹脂のタンクは使い物にならず、解体して廃棄する他なかった。畑も合成肥料のやりすぎで葡萄樹は弱り、購入したトラクターは葡萄の畝の幅が狭すぎて畑に入れることが出来なかったという。さらに、前オーナーは醸造したワインの在庫を全て持っていってしまったから、売ることの出来るワインすらなかった。何から何まで使えるもののない、ゼロからの出発であった。2006年の秋。コンサルタントの指導を仰ぎつつ手探りで始めた農作業の成果が実を結び、期待に胸をふくらませながらの収穫を目前に控えた9月25日から、大雨が降った。その後、夏が戻ったかのような暑さが続いた。水分を吸い上げ、はちきれんばかりに膨らんだ葡萄の房は、瞬く間に繁殖した黴やバクテリアにやられ、灰色に黒ずんでミイラのようにしぼみ、わずか数日で約7割の葡萄が使い物にならなくなった。「あれはまったく、手の施しようがなかった。あらかたの葡萄が『ボン!』と一度に蒸発したような感じだったなぁ」と、ジーメンスは苦い思い出を噛み締めるように笑った。「あの醸造所には手を出さない方がいい。不動産だけでなく、設備にも多額の金をつぎこまなきゃならんから絶対割に合わない。悪いことは言わんから、やめときなさい」と忠告する、知り合いの醸造家に耳を貸さなかったことが、いまさら悔やまれた。「見通しが甘すぎたのよ。これからどうなるのかしらね」と夫人にも嘆かれたが、痛い目にあってみないと、本当のことは分からない。収穫をセラーに持ち込むまでは、何があってもおかしくない。それがワイン造りなのだと、新米オーナーは身をもって悟ったという。(つづく)
2011/01/04
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醸造設備。選果台と破砕装置。モーゼルで手作業の収穫した上、さらに圧搾前に選果作業をする醸造所はあまりない。ヨッヘン・ジーメンスが醸造所を購入してから5年の歳月が過ぎた。2006年の仕打ちを償うようにして、自然は2007, 2008, 2009と3年続けて良年をもたらした。その間、醸造設備も約160万ユーロ(約2億800万円)をかけて刷新された。醸造棟に一歩足を踏み入れると、目の高さの壁に空調装置がでんと据えてあり、地上にあるホールから既に温度管理が行き届いていることを示している。一角には収穫を冷却する冷蔵室もある。醸造所のあるザール川沿いに広がる13haあまりの急斜面から持ち込まれた収穫は、ここでまず手作業で選果され、果梗を取り除き、冷却しながらの圧搾が可能な最新式マシンで圧搾する。得られた果汁はポンプを用いることなく、重力を利用して地下一階のタンクに流れ込み、清澄後に再び重力を利用して地下二階に流れ込む。礼拝堂の様なアーチ型をした天井のセラーは年間を通じて約10℃に保たれ、容量1000~2400Literの木樽とステンレスタンクが通路を挟んで向かいあわせに整列し、木樽で発酵後ステンレスンクで熟成したり、あるいはステンレスタンクで発酵後木樽で熟成と、目指すワインのスタイルに応じて使い分けているという。発酵は野生酵母で行い、畑の個性を生かす。おそらく先代オーナーがうらやまずにはおれないほど完璧に整った醸造施設に、ケッセルシュタット醸造所などで働いていた経験豊かなケラーマイスター、フリッツ・レンツを醸造責任者に据えた。醸造設備は完璧だ。おそらくファン・フォルクセン醸造所にもひけをとらないだろう。これで高品質なワインが出来なかったらどうかしている…。醸造所のセラー、地下2階。(つづく)
2011/01/04
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● 試飲単独所有するゼーリガー・ヘレンベルクとゼーリガー・ヴュルツベルクの葡萄畑がある斜面の標高差は200m。ザール川の流れに沿って斜面はゆるやかに弧を描き、斜面の上下や区画によって熟し具合に明らかな差があるという。品種はリースリング65%、ピノ・ブラン(ヴァイスブルグンダー)25%、オクセロワ5%、シュペートブルグンダーが5%。平均収穫量は白が50~60hl/ha、赤が40-50hl/ha。2009 オクセロワAuxerroisは仄かにマスカット系の香りがする、軽く綺麗な夏向きの辛口、シトラスのヒント、ややアッサリしているが、無駄がなくスッキリとして、そこが魅力的。アフタに軽いミネラル感が残る。2009 ピノ・ブランPinot Blancは直線的なスタイル、透明感のある果実味にシトラスのヒント、ほのかな甘みがフルーティなアロマを引き立てている。2009スキヴァロScivaroはリースリングのやや辛口(残糖10g/Liter)。スキヴァロScivaroは古高ドイツ語でシーファーを意味するという。やや甘みが目立ち、アロマティックで芳醇な果実味、繊細な香草、リンゴ、アプリコット、白桃のヒント、ミネラル感もしっかり、余韻の長さは普通。2009 ヘレンベルクHerrenberg Riesling Sp?tlese Tはぎっしり詰まったミネラルを包み込む果実味に熟したグレープフルーツのヒント、力強いが同時に軽やかで、余韻に塩気を伴うミネラル感が残る。Tは辛口だが、ワイン法の基準である9g/Literを若干超えることもあるので、あえてTrockenとは記さずTとしている。2009 ヴュルツベルクW?rzberg Riesling Sp?tlese T は深みのある果実味にしなやかなミネラル感、アプリコット、パイナップルのヒント。Herrenbergとの違いがはっきりとしている。2009 ヴュルツベルクW?rzberg Riesling Kabinett feinherbは軽やかで透明感のあるフルーツに熟したリンゴのヒント、クリーンで繊細。2009 ヴュルツベルクW?rzberg Ausleseはミント、タイム、にわとこの実などの香草入りボンボンのアロマ、クリーミィな舌触りの酒躯に白桃のコンポート、リンゴなどのヒント、長い余韻。白はいずれもザールらしい繊細な軽さを備えつつ、しっかりとしたミネラル感にフルーティなアロマが香り立つ。一方、赤の2009 ピノ・ノワールPinot Noirは、しっかりとして充実感のあるラズベリーの果実味、ほのかにヴァニラが漂い、冷涼なザール産とは思えないほどの見事な仕上がりに驚いた。「高品質なワインを造ること。それ以外に成功する道はない」とヨッヘン・ジーメンスは言い切る。試飲したワインは彼のいわば経営哲学を裏付けていたが、これだけの高品質でありながらほとんど無名の状態に留まっているのは不思議に思われた。「天候に恵まれなかった2006年はごく少量しか出来なかったし、2007年産のリリースは2008年だから、市場に参入してからまだ2年あまりしか経っていない。これからだよ」と言う。ジーメンスは1948年生まれの62歳。醸造家としての彼の人生はしかし、まだ始まったばかりだ。*************************醸造所を訪問した9月半ばから2週間あまりしたころ、ザール川沿いを走る列車の車窓からDr.ジーメンス醸造所の畑を見る機会があった。ブルグンダー系品種の収穫を始めたのだろうか、収穫作業者が5, 6人、明るい日差しに照らされた斜面で働いていた。 「ここはザールの一番奥にある醸造所だ。私の畑から先に葡萄畑はない」とジーメンスが言っていたことを思い出した。「でも、見方を変えれば、ザール最初の醸造所でもある。なぜなら、私の畑から下流にむけてザールの葡萄畑は始まるからだ。『ダス・エアステ・ヴァイングート・アン・デア・ザールDas erste Weingut an der Saar』なんだ!」 ザールの果てにある醸造所は、そこが始まりでもあるという逆転の発想が、私は気に入った。終わりとは同時に始まりなのだ…。そう考えることが、勇気と希望を与えてくれる気がした。 Dr.ジーメンス醸造所Weingut Dr. SiemensR?merstr. 6354455 Serrigwww.dr-siemens.de
2011/01/04
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ザールのワイン職人、マンフレッド・ロッホ。「それじゃ、次のワインにしよう」とマンフレッドはカウンターの向こうに行き、自分のグラスに少し注いで口に含み、虚空を睨んだ。一体、この人は同じワインを何度試飲したことだろう。その度に、自らの作品の出来栄えをいちいち手にとって確かめるように試飲してから、お客に供する。ボトルは2004年産から厚手のステンレスで出来た王冠で封をしてあるから、ブショネや漏出による酸化の気遣いは全くない。それでもいちいち試飲するのが習慣になっているようだった。「だから言っただろう。私は自分の飲みたいワインを造っているんだ。旅行して帰ってくると、自分のワインが無性に飲みたくなる。力強い酸が舌を心地よく刺激して、どんどんグラスが進む。そして気がつくと一本空になっている。そんなワインを造りたいし、そうでなければ以前の仕事を辞めた意味がない」数年前、マンフレッドは掛け持ちで働いていたドイツ軍の整備工を辞め、専業農家になった。ビオで栽培は1992年に0.12haの畑で醸造所を立ち上げた頃から変わっていない。自分の飲みたいワインを造る。だから葡萄畑に農薬・化学合成肥料は用いない。剪定も一房あたりの葉の数が最大になるよう配慮し、収穫直前は畑を鳥とイノシシ除けのネットで覆う。周辺の野生動物は彼の葡萄を好んで食べに来るそうだ。そういえば、片隅のテーブルにはイノシシのサラミがご自由にどうぞ、と置かれていた。あれもマンフレッドが仕留めた獲物だったのかもしれない。区画名をつけたワインの他にも、特に高品質なワインをアサンブラージュしたワンランク上のリースリングがある。辛口の『サーティア』Saartyr、中辛口の『クワーサー』QuaSaar、甘口の『コンテッサー』Contessaarだ。ミネラルの強い自己主張は影をひそめ、エレガントな調和と深み、複雑なニュアンスはそれまでのリースリングと一味違うが、その差はそれほど大きくはない。ベーシックな『ホーフ・キュベ』からきちんと手を抜かずに醸造している上に、3.3haの畑は全て急斜面にあり、個性の差に比べると質の差は少ない。「どんな仕事でも、きちんとやることだね。そうすれば結果は後からついてくる」とマンフレッドから以前聞いたことがある。ワインには醸造家の人柄が表れる。マンフレッドの誠実で情熱を持った人柄が、ワインから伝わってくる。「フラムクーヘン焼いたけど、如何ですか」奥さんのクラウディアが薄手の生地に生クリーム、たまねぎ、それにイノシシのサラミを載せて焼いたアルザス風のピザを持ってきてくれた。試飲会のお客に出すつもりで材料を買い込んだようだが、試飲をはじめてから2時間あまり、我々の他に夫婦が一組いるだけだった。我々は礼を言ってフラムクーヘンに手を伸ばし、醸造所のリースリングを楽しむ幸運を味わいながら、降り続く雪が車の轍の跡を静かに覆っていくのを眺めていた。ヴァインホーフ・ヘレンベルク醸造所Weinhof HerrenbergD54441 Schoden/Saarhttp://www.lochriesling.de/1-startseite.htm
2010/12/23
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この醸造所を隠れた名醸造所にしているのは規模の小ささもさることながら、所有する葡萄畑が無名なことも影響しているのは間違いない。ショーデナー・ヘレンベルクではなく、シャルツホーフベルガー、ヴェーレナー・ゾンネンウアー、ベルンカステラー・ドクトールあるいはピースポーター・ゴルトトロップヒェンといった有名な畑なら、醸造所の注目度も違っていたはずだ。ショーデナー・ヘレンベルクは観光地にも遠く、辺鄙な目立たない一角にある。しかしそのあふれんばかりに充実したシーファーのミネラル感や、『クルーフ』『スティア』『ストヴェラー』と、0.2~0.5haの区画ごとに収穫し、ステンレスタンクで発酵したリースリングの個性-ミネラル感の強弱、オレンジ、シトラス、白桃、アプリコットなど様々な果実味のニュアンス、凝縮感の相違と、自然に発酵が停止して残った10~26g/Literの糖度による甘酸の調和-が、マンフレッドの醸造手腕とともに葡萄畑の優れたポテンシャルを十分に示している。にもかかわらず、現在全部で5haあまりの斜面には、いくつか放置された区画がある。マンフレッドが所有する区画の隣にも葡萄樹が抜かれ、雑草の生い茂る区画があるのは残念なことだ。勿体無いことである。● 2010年の収穫・減酸のノウハウ2010年は10月下旬に収穫を始めたが、例年だと約14万本35hl/haの収穫量がその約半分に留まり、糖度も酸度も高い収穫になったという。減酸処理が話題になることが多い年だったが、マンフレッドは「モストの総酸度は12.5~13g/Literで、ドッペルザルツは使わなかった。総酸度15~18g/Literという醸造所もあったけど、その場合減酸処理は必要不可欠だ。一口に減酸と言ってもそう単純ではない。酸には酒石酸とリンゴ酸がある。ドッペルザルツを使うとリンゴ酸と酒石酸を同時に減少させることが出来るが、リンゴ酸は計算通り減らないことがある。ドッペルザルツ、つまりカルシウムカルボナートや、酒石酸だけを減酸するカリウムハイドロカルボナートなどを利用するが、減酸しすぎると湿ったボール紙の匂いがするうすっぺらなワインになってしまう。来年はそんなワインも少なからず市場に出ると思うよ。気をつけないとなぁ」と自ら言い聞かせるように頷いた。「ウチの場合、総酸量約13g/Literのうち、酒石酸が約7g/Literに対してリンゴ酸が約6g/Liter。酒石酸は醸造過程で3g/Liter前後が酒石になって析出して自然に減酸したけど、リンゴ酸はアルコール発酵後にバクテリアを使った乳酸発酵(BSA)で3g/Liter前後落とすんだ。2002年産でも使ったから、要領はわかっている。BSAで生成することのある不自然なバターっぽい匂いは、アルコール発酵をBSAと並行して行うことで炭酸ガスと一緒に飛ばすという手もある。でも、ここで問題になるのがpH値なんだ。酸が1g/Liter減少するとpH値が0.1高くなる。そして3.2を超えると、望ましくないバクテリアが繁殖するリスクも高まるんだ。酢酸菌とかね。単純減酸、ドッペルザルツとBSAはいずれも減酸処置だけれど、果汁の分析値と目指すワインによって使い方は違ってくる。だから一口に減酸処理と言っても単純じゃないんだ。酸だけじゃなく、毎年対応しなければならない条件は違うし、それに臨機応変かつ適切に対応しなければならない。そして最善の対応は教科書には書いていないんだ。醸造家やコンサルタントによっても考えが違う。だから、何をしなければならないのか自分で分析し、判断しなければならない。ワイン造りにマニュアルはない。どんなワインを造りたいかなんだ」と、心底楽しそうに話すマンフレッドを見ていると、ワイン造りはこの人の天職なのだと思わずにはいられなかった。(つづく)
2010/12/23
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マンフレッドとクラウディア・ロッホ夫妻。この二人でヴァインホーフ・ヘレンベルク醸造所を切り盛りしている。「すごいな、この雪は!トリーアに長いこと住んでいるけど、こんなに雪が積もったのは見たことが無いよ」と、車を運転する友人は言った。一週間前から降り続く雪は今日も降り、あたりの景色を白く染めていた。普段は黒ずんだ葡萄畑の地面も真っ白な雪に覆われ、細い枯れ枝のような葡萄樹が斜面に並んでいる。どんよりとした鉛色の空から絶え間なく落ちて来る雪片がフロントガラスにぶつかっては、ワイパーに消されていた。ザール川に沿って走る除雪された国道を降りてショーデンの村に入ると、走行は一層困難になった。雪に刻まれた車の轍にそってそろそろと走り、ヴァインホフ・ヘレンベルク醸造所の裏庭にある駐車スペースにようやく停めた。その日は醸造所の試飲会があったのだが、増築された試飲所に我々3人のほかに人影はなく、冷たく静まり返っていた。しかし扉の鍵は開いていて、入り口近くのカウンターに2009年産のボトルが一列に並んでいる様子をみると、どうやら会を中止にはしなかったらしい。こんな大雪になるとは、案内状を出した頃には予想しなかったことだろう。しばらくして、奥からクラウディア・ロッホが現れた。「雪の中をわざわざようこそ」と、笑顔を見せる。ご主人のマンフレッドとともに3.3haあまりの葡萄畑を栽培する小規模なビオワインの生産者で、彼女は畑仕事・経理・接客を担当している。栽培と醸造を行うマンフレッドの姿はなく、この雪の中をどこかに出かけている様だった。クラウディアは14種類ほど並んだワインリストを手渡すと、さっそく最初のワイン2009 ホーフ・キュベから我々のグラスに注いで回った。ミュラートゥルガウとリースリングのブレンドで、醸造所の最もベーシックなワインだというホーフ・キュベは素晴らしく高品質だった。透明感のある力強い果実味にたっぷりと溶け込んだミネラル感。真っ直ぐで素直で、軽くクリーミィな舌触りのボディで飲み応えがある。職人が妥協を許さず、納得のいくように作った一品と感じた。醸造所の規模の小ささといい、しょっぱなから見事な仕上がり具合といい、醸造したマンフレッドを隠れた名匠と呼びたくなった。狩猟から帰ってきたマンフレッド。すると、当の本人が猟銃を肩から提げて外から戻ってきた。「いやぁ、この雪!」と嘆声をあげ、マットの上で両足をドスン、ドスンと踏み鳴らしてブーツから雪を払い落とす。葡萄畑のあたりを見回って来たが、獲物はなかったそうだ。マンフレッドは言う。「規模が小さいから、自分の造りたいように仕上げることが出来る。もし仮に大量の本数を売らなければならないとしたら、市場のメインストリームを意識して、誰にでも美味しいと思えるような味筋に仕立てる必要が出てくるだろう。でも、幸運なことにウチは違う」と。(つづく)
2010/12/23
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醸造所にとって、世代交代は避けることのできない過程である。それは無数の醸造所で幾世代にも渡り繰り返されてきたドラマであり、世代交代が醸造所を隆盛に導くこともあれば、その逆もある。見方によっては、ごくありふれた出来事であるとも言える。しかし世代交代が醸造所のみならず、生産地域のイメージすら変えてしまった例もある。ラインヘッセンの若手醸造家団体メッセージ・イン・ア・ボトルMessage in a Bottleがそれだ。従来はリープフラウミルヒをはじめとする量産ワインの産地というネガティブなイメージがあったが、クラウス・ケラー、フィリップ・ヴィットマン、ハンス=オリヴァー・シュパニアーをはじめとする若手醸造家達が、ラインヘッセンのポテンシャルを見せつけるようなワインをリリースしてから、高品質なワイン産地として認知されるようになった。一方、モーゼルの若手醸造家団体と言えばモーゼルユンガーMosel J?ngerがあるが、メッセージ・イン・ア・ボトルほどの勢いはない。すでに高品質なリースリングの産地としての地位が確立していることもあって、若手醸造家団体の活躍が目立たないのはラインガウやファルツ北部と似ているが、それでも静かな変革が進みつつある。その一例がザールのファン・フォルクセン醸造所Weingut Van Volxemだろう。この場合、親から子へとバトンタッチがなされるのではなく、醸造所の出身ではないローマン・ニエヴォドニツァンスキーが醸造コンサルタントのゲルノート・コルマンと組んで、この地域で定評のある甘口ではなく、ドライからオフドライなリースリングでテロワールの個性を追求し、成功を収めた。現在ではザールはもとよりモーゼル最大の醸造所のひとつであり、年を追う毎にその評価を高めている。ファン・フォルクセンの他にヴァイザー・キュンストラーWeingut Weiser-K?nstler、フォレンヴァイダーWeingut Vollenweider、ヴァインホーフ・ヘレンベルクWeinhof Herrenberg、A. J. アダムWeingut A.J. Adamも、異業種から参入した新参者にもかかわらず―あるいはだからこそ―成功している醸造所として挙げられる。反面、親から子へと引き継がれることで頭角を現す醸造所は、考えてみるとモーゼルでは例が少ない。フリッツ・ハーグ醸造所Weingut Fritz Haagも数年前に世代交代があったが、もともと高かった評価を堅実に維持しているにすぎない。近年後継者が醸造所の経営なり醸造に携わるようになった例は、ツィリケンWeingut Geltz Zilliken、Dr.ヴァーグナーWeingut Dr. Wagner、ラインホールト・ハールトWeingut Reinhold Haart、クネーベルWeingut Knebelをはじめ枚挙に暇がないが、格段に評価を上げたという醸造所は思い浮かばない。1980年代後半からを視野に入れればDr. ローゼンWeingut Dr. Loosen、ザンクト・ウルバンスホーフWeingut St. Urbanshofがその範疇に入るだろうか。もともと定評のあった醸造所を、世代交代でさらに盛り上げた数少ない例といえるかもしれない。確かに、先代の築いた名声や資産を維持するのはそれだけでも容易なことではない。もともと名醸造家として定評のある父は、すでに自分のやり方を確立しそれを確信しているから、大抵は猛烈な頑固者である。そこに経験の浅い新参者である後継者が新しいやり方を持ち込もうとすると、親子の衝突は避けられない。それに屈せず意思を貫くには相当な意思の力と、従来のやり方を変える必要があることを説得できるだけの、しっかりとした知識と信念が必要であるとともに、実際にワインで成果を示さなければならない。それが出来た若手醸造家の一人は、ザールのペーター・ラウアー醸造所Weingut Peter Lauerのフロリアン・ラウアーだろう。彼の父はもともとそれなりに高品質な生産者だったが、客を客とも思わない頑固者である。南仏モンペリエ大学でブドウ栽培を学んだフロリアンが実家に戻ってから、葡萄の仕立てと収穫手法が改善され、ワインは一層奥深く、繊細に、そして複雑になった。ペーター・ラウアー醸造所の若手醸造家、フロリアン・ラウアー。ブラウネベルクのギュンター・シュタインメッツ醸造所Weingut G?nther Steinmetzの後継者、シュテファン・シュタインメッツも最近注目されつつある若手醸造家だ。地元醸造学校を出てから本当はガイゼンハイムに行きたかったが、1998年に父ギュンターの心臓発作でそのまま家業を継ぐことを余儀なくされた。発作前は独裁者だったという父は、快復後すっかり物分りが良くなったという。栽培・醸造は基本的に父の手法を踏襲して、在来農法で栽培し、フーダー樽で野生酵母により発酵している。だが、彼のワインからは伝統的であると同時に現代的な印象を受ける。2003 ブラウネベルがー・ユッファー、リースリング・アウスレーゼ* ファインヘルブBrauneberger Juffer Riesling Auslese* feinherbのクリーミィで味わい深い果実味には、7年の熟成を経ても少しもへたれた様子が無く、猛暑による酸不足で既にひねたワインも少なくない中で精彩を放っている。2009 ヴィントリッヒャー・ゲイヤースライ、リースリング・シュペートレーゼ、シュール・リー Wintlicher Geierslay Riesling Sp?tlese Sur lieは花の様に広がる香り、ミネラルと酸の直線的な構造に、繊細で純粋なカラント系の香味が調和し、バランスよく飲み心地がとても良い。2009 ブラウネベルガー・ユッファー、リースリング・シュペートレーゼ、デヴォン Brauneberger Juffer Riesling Sp?tlese Devonはやや濃い目で力強く、熟したアプリコットのアロマが魅了する。ギュンター・シュタインメッツ醸造所の若手醸造家、ステファン・シュタインメッツ。祖父の代から90年以上使い続け、これからも使い続けるという板が厚くがっしりとしたフーダー樽とともに、2003年には低圧で圧搾し質の良いマストを得ることが出来るガス圧式圧搾機を導入、昨年は圧搾前に収穫を通す破砕装置を新型に換えた。畑には除草剤を年に一回だけ撒き、農薬の使用も出来るだけ抑え、有機肥料を使う。「原則的に禁止、というやり方には賛成できないんだ」とシュテファンは言う。「必要な処置を原則に反するから使えないというのは、品質の向上にならない。宗教の原理主義者みたいじゃないか」と笑う。古木の育つ区画を買い足し、収穫量を50~35hl/haに抑え、厳しく選果する。J.J.プリュム、マルクス・モリトール、マキシミン・グリュンハウス、ラインホールト・ハールトからインスピレーションを受け、醸造家仲間とワインを交換し、互いに率直な意見を述べあう。心を外に向かって開きコミュニケーションに積極的なのは、モーゼルに限らず今どきの若い醸造家の特徴なのかもしれない。また、素晴らしいワインを造るのに学歴は不要であることは、シュテファン・シュタインメッツや、やはり父の病気で大学へ行く前に醸造所を継がねばならなかったファルツのフィリップ・クーンが証明している。世代交代とは少し違うが、数年前に倒産したイミッヒ・バッテリーベルク醸造所Weingut Immich Batteriebergを、かつてファン・フォルクセン醸造所を立ち上げたゲルノート・コルマンが昨年から引き継ぎ、9月3日と4日に新酒試飲会を開催する。親から子へと、あるいは新参者へとワイン造りの伝統は引き継がれ、その度に新たな息吹が吹き込まれる。過去数百年に渡って繰り返されてきた営みは、今も絶えることがない。
2010/08/08
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ヨーロッパで最も急な葡萄畑、モーゼルのブレマー・カルモントに情熱をかけてきた醸造家ウルリッヒ・フランツェン(フランツェン醸造所Weingut Franzen)が去る6月22日に急逝した。葡萄の開花を目前に控え、モーゼルが大きく湾曲するカルモントの対岸にある比較的平坦な畑の畝の間をトラクターで農薬散布中、横転した場所にあった葡萄畑の杭が致命傷を与えたという。享年54歳の若さであった。フランツェンはカルモント復興の立役者である。斜度70%を超え、農作業も困難な急斜面にうち捨てられ雑草の生い茂っていた葡萄畑1.5haあまりを整備し、新たに6900本のリースリングを植えた。さらに小型モノレールを敷設し、ハイキングコースを整備した。「こんなとんでもない場所に葡萄畑なんて、気が狂ってるよね。大変だけど、その苦労を補ってあまりあるワインが出来るんだ」と、ルポルタージュで語っていたフランツェンが記憶に残っている。いつか彼の醸造所を訪問したいと思っていたのだが、機会を失ってしまった。残されたイリス夫人と子供達は悲しみに打ちひしがれながらも、ウリルッヒの遺志を継いで醸造所を継続するという。人望の厚かった人だけに支援の申し出も多いそうだ。冥福を祈りたい。醸造所のサイトでは画像や映像も色々提供されている。どんな畑を、どんな思いで世話していたのか考えながら、少し眺めてみるといい。Weingut Franzenhttp://www.weingut-franzen.de/
2010/07/09
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今年からカールスミューレ醸造所で働くことになった若手醸造家、カイ・ハウゼン。今年の新酒試飲会は、彼の顔見世興行でもあった。前回報告したフォン・シューベルト醸造所から国道をはさんで徒歩5分ほどのところに、カールスミューレ醸造所がある。ここのオーナーのペーター・ガイベンはざっくばらんで野性的だ。「原始人みたいな男」と地元事情通は評したが、シーズン中週に二回はイノシシ狩りに出ているくらいだから、あながち的外れな表現ではない。しかし時々、外見とは違って実はフォン・シューベルト氏と同じかそれ以上に切れ者なのではないか、と思わされることがある。質問すると大抵最初ははぐらかすような答えで「わっはっは」と大笑いする。それも外人相手に手加減なしの早口のモーゼルフランケン訛りなので、こちらはどこが面白いのかよく分からないままに調子をあわせて笑うと、その後で興味深い話が詳細に続く。これもまた醸造の素人相手に手加減なしに込み入った内容だから、理解するのも容易ではない。今度来るときはヴォイスレコーダーを持ってこようと思いつつ、いつも忘れている。先日、ここの新酒試飲会に行ってきた。「野生酵母で発酵すると」とガイベンは言う。「アルコール濃度は約1%位低くなる代わりに、複製産物が増えるんだ。それがワインを個性的にする。とくにグリセリンを多く生成するから、クリーミィなテクスチャが生まれる」なるほど、と思った。醸造所の辛口のフラッグシップである2009ローレンツホーファー・アルテ・レーベンや同クアルツィットは、ミネラルと酸が繊細かつ明瞭で、どちらかといえば直線的で軽めなのに、確かにクリーミィな感触があり、アロマティックで熟した柑橘やリンゴに、ベリーのエッセンスのような、ほのかで上品な甘みが備わっている。「でもな」とガイベンは続けた。「野生酵母独特の臭いを嫌う人も多いんだ」と言うなり、近くにいた旧知の間柄らしい顧客を呼び寄せ、野生酵母に由来する臭いをどう思うか、と尋ねた。「味はともかく、臭いは抵抗があるね。出来れば鼻をつまんで飲みたいくらいだ」という答えが間髪おかずに返ってきた。「あの硫黄みたいな臭いには食欲を失うよ」ワインから温泉の臭いがする感じらしい。「君はそう思わないか」と聞くので、正直なところそれほど気にならない、野生酵母で独特な個性が出るのは興味深い、と答えた。「たとえば、今試飲した2009カーゼラー・ニースヒェンのシュペートレーゼ・ファインヘルブ。柔らかなボディに複雑さ、深みがあって、とらえどころのない、一筋縄ではいかないワインと思いました。これは野生酵母で発酵したワインですよね」と私。「ほめて貰ってうれしいが」とガイベンはにやりと笑った。「野生酵母と培養酵母と、それぞれ別のタンクで発酵したワインをブレンドしている」「え!どうしてですか。ガイベンさんみたいな野性的な人に野生酵母というのはイメージピッタリじゃないですか。もったいない」動揺した私は意味不明な反論を試みた。「だって、こいつら一緒になりたがってたからな。男と女みたいなもんだ。わっはっは!」あ~、出たなガイベン節と思いつつ、神妙に笑顔を作り、続きを待った。「野生酵母臭を嫌う消費者が多いのはさっき話した通りだ。フォン・シューベルトも野生酵母にこだわりはじめて以来、顧客がかなり減っている」おっと。そうでしたか。「培養酵母を使うと、透明感のある綺麗なワインに仕上がる。そこに魅力を感じる消費者が大半だ。そこで必要に応じて野生酵母臭(いわゆるベクサー)を目立たなくする処理をするわけだが、空気を送り込んでやるとか、早めに酵母をワインから引き離すとか、あるいはこのワインみたいに、全部を野生酵母で発酵せずに、同じ畑の収穫を別のタンクで培養酵母を使って発酵して、あとでアサンブラージュしてやるなど、色々やり方はあるんだ」と、早口かつ詳細に解説してくれた。聞きながら、やっぱりヴォイスレコーダーを買おうかな、と思った。一方、甘口は野性酵母のみで醸造したという。2009ローレンツヘーファー・マウアーヒェンのカビネットは確かに軽く温泉卵の臭いが漂っていたが、味わいは澄んで繊細な果実味に、非常に長く綺麗なアフタ。対照的にカーゼラー・ニースヒェンのカビネット甘口に硫黄臭はなく、培養酵母ではと思うほど透明感のあるストレートで澄んだ甘み、フレッシュな香草、熟した赤いリンゴの酸味が印象的だった。甘みが増すと雑味が包まれて、甘さの中にある複雑さと奥行きが際立つようだ。ニースヒェンとローレンツヘーファーのアウスレーゼはどちらも文句なしに素晴らしい。極楽の花畑に迷い込んだ蝶のような気分にさせられる。最後はまだ発酵中のアイスヴァイン。フィルター前でやや埃っぽいが、蜂蜜入りミルクティーの濃厚な甘みにひたすら長い余韻が続く。12月19日、朝7時から氷点下18度で約2時間半かけて収穫。果汁糖度は180エクスレに達した。アイスヴァインを収穫して数日後、1年半前に受けた心臓手術後の定期健診で、肝臓に影がみつかった。ガンであった。「発見が早かったのが不幸中の幸いだな」とガイベンはサラリと言った。それから間もない1月7日に手術して、肝臓の半分を切除した。「そんな体でワインを飲んでも大丈夫なんですか」と聞くと、「これまでの倍飲めと医者に言われている。ワインは体にいいからな!わっはっは!」と破顔一笑し、グラスのワインを一息にあおった。カールスミューレ醸造所のオーナー醸造家、ペーター・ガイベン。今年、ガイベンが右腕のジルヴィア・ウェルスに加えてもう一人若手醸造家を採用したのは、そんなこともあってのことだ。カイ・ハウゼン、29歳。地元ルーヴァー出身でガイゼンハイムで醸造学を修め、オーストリアのシュロス・ゴベルスベルクやイタリアで研修・就職後、地元カルトホイザーホフとモーゼルのマルクスモリトールで働いていたところを、顔なじみのガイベンにスカウトされた。ハウゼンは野生酵母による発酵にこだわりがあるそうだが、今後親方から学ぶことも少なくないだろう。試飲を終えて外に出ると、併設のレストランで結婚の祝宴が開かれていた。華やかにクラクションを鳴らしながら入ってきた車の一団があったが、これだったのか。人生の節目を迎えた人々を目にして、次世代を育てることと、やがて継承される醸造所の伝統を思った。Weingut Karlsm?hlewww.weingut-karlsm?hle.de
2010/06/11
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フォン・シューベルト醸造所の新酒試飲会。ケラーマイスターのシュテファン・クラムル(右)と話し込む醸造所後継者マキシミリアン・フォン・シューベルト。ヨーロッパには階級社会が現代も根強く残っているのではないか。目に見えない意識の壁に、時々ぶつかることがある。それは、フォン・シューベルトの新酒試飲会であった。つつじの花が咲き乱れる庭園から館のエントランスに入ると、オーナーのカール・フォン・シューベルトが顧客と談笑していた。「ああ、きみか」フォン・シューベルトは私を見て軽く笑顔を浮かべ頷くと、会話に戻った。相手は医者か薬局経営者だろうか。頭痛薬の話題で盛り上がっていた。新酒試飲会は毎年5月下旬の日曜と翌月曜に行われ、日曜は一般顧客、月曜は業者向けとなっている。その日曜の来訪者は、ざっと見たところ3つのグループに分けることができた。一つは個人のお得意様。フォン・シューベルト氏もメンバーに名を連ねるロータリークラブ会員など社会的地位のある人々で、オーナーとは旧知の間柄である。彼らはワイン目当てというよりも、フォン・シューベルト氏に会う為に来ているようだ。二つ目はワイン商やレストラン関係者。彼らも醸造所にとっては大事な顧客なので、奥さんかオーナーが丁寧に対応している。そして三番目目が私の様なワイン好きだ。大抵は2~4人連れで訪れ、仕上がりについて議論し、納得がいくまで繰り返し比較試飲にいそしんでいる。フォン・シューベルト氏は彼らと短い挨拶は交わすものの、あまりかかわらない。代わりにケラーマイスターのシュテファン・クラムル氏が話し相手となる。この会場の雰囲気は、他の醸造所の新酒試飲会と少し違う。私的な印象だが、社交の場としての性格がその根本にあるような気がする。本来はオーナーと個人的に親交がある顧客のみ参加が許される機会に、その他のワイン愛好家の参加が寛大にも許されている、という感じだ。つまり、著名醸造所の新酒試飲会である以前に、フォン・シューベルト家の年中行事のひとつなのである。しかしながら、新酒試飲会は醸造所のサイトで告知され、事前に連絡すれば誰でも参加できる。そこにフォン・シューベルト氏の懐の深さを読み取ることもできるかもしれない。いずれにせよ、2007年、2008年を交えた27種類の試飲は興味深いものであった。2009のフォン・シューベルトは、中身の詰まった充実した生産年である。繊細さが目立つ2008よりも、2009の辛口は、ミネラルとエキストラクトと酸味、それにルーヴァー独特の青草のような香草のヒント交じり合い、メタリックな、まるで青銅をなめているような味わいがあり、とても力強い。天然酵母による発酵と、瓶詰め間もない新酒故に酵母臭も明瞭で、閉じ気味の果実香を覆っている。複数の樽をアサンブラージュして残糖を8g/Liter前後に調整しているとはいえ、酵母を一切添加せず、果汁が樽の中で自然に発酵するに任せた味は、まさにテロワールのもたらした独特の個性に満ちている。先日、酵母を自家培養して添加していると書いたが、この機会にクラムル氏に確認したところ間違いであったので訂正する。「自家培養でも酵母を添加したら、それは天然酵母による発酵とは言えない」という。天然酵母による発酵は、いわゆるサッカロミセス・セルヴィシエ(アルコール発酵を司り、醸造用に培養される酵母)以外の酵母でスタートするが、やがて毎年12月末にはちゃんとワインに仕上がる。「天然酵母による発酵は個性的なワインが出来るし、それが僕には面白いんだ」という。ファインヘルブ以上ではフルーティな甘みが他の要素を中和し、辛口よりもやや素直な味と感じた。ミネラル感は明瞭だが、果実味にピュアな感じがあり直線的で、辛口ほど自己主張が強くない。そしてさらに甘口は熟したリンゴ、シトラスのアロマが膨らみ、ほっそりとして繊細なスタイル。辛口にあった意固地なまでのミネラルと酸味の力強さは、甘みを増すほどに澄んで熟したフルーツのエレガントさに圧倒され、目立たなくなるようだ。甘口の中ではとりわけ、2005年に植樹したブリューダーベルクの初収穫で醸造したアウスレーゼ 2009 Br?derberg Jungfernwein Ausleseは、非常に繊細かつしなやかでピュアな甘み、精妙な酸味と非常に長い余韻が素晴らしい。シュペートレーゼはやや中途半端だったが、アウスレーゼはAbtsberg Nr.149より番号なしの単なるAbtsberg方が、現時点ではアロマティックで熟したリンゴ果実味も深く、調和がとれて余韻も長く、魅力的であった。一方Abtsberg Nr.93は蜂蜜、香草、パイナップル、エッセンス的な澄んだ甘みで、熟したリンゴが主体のノーマルなアウスレーゼとは一味違う。そして昨年幸運にも収穫を見学出来た2009 Herrenberg Eisweinは、予想以上に見事な仕上がりであった。クリーミィで濃厚なネクターの甘みは気品に満ちて、余韻は口に含んだときよりも力強く長く続いた。「アスパラガスのクリームスープは如何ですか」コーヒーカップに入ったスープをトレイに載せて歩く女性に勧められ、一通り試飲を終えてほっとしていた私はありがたく頂戴した。重厚な家具調度にかこまれた会場には、オーナー自ら仕留めたというイノシシのサラミや美味しそうなテリーヌなどがご自由にどうぞ、と置いてあった。もっとも、私は遠慮して口にしなかったが。「君、このような非公開の場で写真を撮るのは主催者の許可を得てからにしたまえ」幸せの余韻に浸っていると、年配の男から唐突に注意された。私が首から提げていた一眼レフが気に障ったらしい。ロータリークラブ会員で、フォン・シューベルト氏とは旧知の仲であるという。私は毎年この試飲会で写真を撮っていこともあり、いまさら許可を取るまでもないかと思っていたのだが、それではとオーナーを探すと、相変わらず得意客と話し込んでいた。それはいつまで待っても終わる気配がなく、少し距離をおいて機会を伺う私を気にする様子もなく、延々と話は続いた。あえて割り込んでも却って機嫌を損ねるだけかもしれないし、以前実際に損ねかけたことがあった。いまさらあえて撮影許可を得て撮ることもないか。私はとりあえずカメラをしまいこみ、醸造所を後にした。その後味はグリュンハウスのリースリングのように、ほろ苦かった。C. von Schubert'sche Gutsverwaltung Gr?nhauswww.vonSchubert.com昨年の新酒試飲会の様子はこちら昨年のアイスヴァイン収穫の様子はこちらとこちら
2010/06/08
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精霊降誕祭の週末、ここ一ヶ月ほど続いた肌寒い曇り空は去り、ようやく青空が広がった。気温は25℃を超え、肌を刺すように強烈な陽光が夏の訪れを感じさせた。ザールブルクの駅を見下ろす様に聳えている洋館が、その日新酒試飲会のあったDr.ヴァーグナー醸造所だ。広々とした敷地に緑陰を落とす大木と風格を湛えた建造物は、1880年の創業当時のゼクト生産による繁栄を偲ばせる一方で、130年の歳月が、そこかしこに滲んでいる。万物がやがて朽ちて行くのは世の習いである。それを乗り越えるには成果を次世代へと引継いだ上で、新たな息吹が吹き込まねばなればならない。Dr.ヴァーグナー醸造所は今、その只中にあった。昨年7月、醸造所では30年以上オーナーとケラーマイスターを続けてきたハインツ・ヴァーグナーから、一人娘のクリスティアーネに経営が引き継がれた。クリスティアーネは5年位前からVDPのプレゼンテーションではよく両親に付き添うようにして立っていたが、華奢で物静かで、どちらかと言えば引っ込み思案な少女であった。「いつか醸造所を継ぐの?」と尋ねたことがある。「さあ。どうなるか、まだわかりません」とはにかむように笑い、小さな声で彼女は答えた。きっと婿入りした醸造家が継ぐのだろうな、とその時思ったのだが、一昨年ガイゼンハイム大学醸造学科を卒業し、醸造所の5代目のオーナーとなった彼女はその日、見違えるようにはつらつとして、おおらかな自信に満ちていた。Dr.ヴァーグナー醸造所5代目オーナー、クリスティアーネ・ヴァーグナー。手に持っているのは彼女のお気に入り、「Generation V」。クリスティアーネの5代目就任とともに、新型圧搾機が導入された。ガス圧を利用しており、従来使っていた機械的圧力による圧搾機に比べ収穫へのダメージが少なく、茎や種からの苦味が出にくいのだという。「私が造りたいのは、ほっそりとして綺麗に澄んだ果実味のリースリングなの」と新オーナーのクリスティアーネ。とはいえ、醸造面では父が、販売面では母のウルリケがサポートしている。「ワイン造りは一人じゃできないし」とあっけらかんと笑う。2009年の収穫は10月12日に開始され、29日まで続いた。6月10日の開花のあと、花震いで収穫量は平年を若干下回る60hl/haとなったが、お陰で葡萄は健全に完熟し、果汁糖度は85~99エクスレ。ボトリティスが少なかったため、ベーレンアウスレーゼの生産はごく少量に留まった。試飲してみると、先週のホスピティエン醸造所とのスタイルの違いに気がつく。端麗で線の細いホスピティエンのリースリングに対し、クリーンな果実のアロマが明瞭でとても魅力的だ。Saar Riesling QbA trockenとSaarburger Rausch Kabinett trockenは熟したリンゴにシトラスの香りが口いっぱいに広がり、辛口とは思えないほど甘みが目立つ。どちらもアルコール濃度は12.5%、残糖は辛口の上限である9g/Literというが、感覚的にはほとんど中辛口。一方でSaarburger Kupp Sp?tlese trocken Alte Rebenはほっそりとしてミネラル感があり繊細で上品。Saarburger Kupp Kabinett feinherbはエレガントですっきりとしたフルーツ感と、肌理の細かいたっぷりとしたミネラルのバランスがとても良い。QbA辛口とカビネット辛口がグラビア系美女とすれば、こちらは清楚な素顔美人。Ockfener Bockstein Kabinett甘口はほっそりとして繊細、直線的なフルーツに上品なリンゴのヒント、アフタに繊細な甘酸の余韻。Saarburger Rausch Sp?tlese甘口は非常にエレガントで澄んだ甘み、白桃、アプリコットのエッセンス、フレッシュなリンゴの長い余韻、薫り高く素晴らしい。Ockfener BocksteinのSp?tlese甘口はフルーティで熟したリンゴの甘みにくっきりとしたミネラルのアクセント。Ockfener Bockstein Ausleseはしっかりとしたリンゴの酸味がピュアな甘みを引き締め、とても充実している。非常に長い余韻。熟成ポテンシャルは高そうだ。ほかに、エチケットの中央に「V」と書かれたワインが人目を引いた。と言っても、優勝記念とか戦勝記念ではない。第五世代を意味する「Generation V」のVである。発酵が残糖12g/Literで自然に止まった、やや辛口ぎみの中辛口。昨年醸造した樽の中で、彼女が最も気に入った樽を特別に瓶詰めしたのだそうだ。落ち着いた果実のアロマにリンゴ、白桃、ほのかにパイナップルのヒント。魅惑的な甘みの底に、控えめながらしっかりした酸味とミネラルが存在を主張し、エレガントで力強い印象を残す。もしかすると、彼女の人柄もこのワインのように、一見控えめなようでいて、実はしっかりした芯のある意志の強い女性なのかもしれない。Generation Vで世代交代を印象付けたとはいえ、まだ両親から完全に独立した訳ではない。彼女の今後の活躍に期待したい。Weingut Dr. Wagner (Saarburg/Saar, Germany)www.weingutdrwagner.de昨年の新酒試飲会レポートはこちら。
2010/05/26
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ホスピティエン醸造所の新酒試飲会の様子。33種類各自手酌であるが、グラスになみなみと注ぐ人はあまりいない。トリーアの街外れ、モーゼル河の畔にあるホスピティエン醸造所の新酒試飲会があった。養老院と病院を含む敷地に裏口から入ると、広大な緑の芝生と藤の花を愛でるお年寄りの姿があちらこちらにあった。醸造所の収益は、養老院と病院の運営資金となる。陽光に満ちた屋外から地下セラーの薄暗がりに降りると、目が慣れるまで少し時間がかかるが、やがて壁に沿って並ぶフーダー樽が浮かび上がる。黒ずんだ木樽は現在では使われていない。数多くの樽を清掃することは腰を痛める重労働であったというから、ステンレスタンクへの移行は理解できる。2009年仕上がりはクリーンで繊細で、よく言えば北国の産地らしい透明感のある軽さが魅力だが、若干物足りなさを感じる。アルコール濃度は高くて12.5%、辛口でも10~11.5%と控えめなことも、この醸造所の特徴だ。飲み応えのあるワインはアルコール濃度がそれなりに高い(12.5~13.5%)ことが多い。10%前後の辛口は脱脂肪乳のようにあっさりとして、ややそっけない。アルコールは脂肪と同様の役割を果たすと聞いたことがある。甘みがあればそれも救われるが、甘みを抑えた辛口だと、誤魔化しようがなく条件は厳しい。酸が苦手という人も少なくないので顧客のニーズを意識してあえて酸を抑えた造りにすると、水っぽいワインとほとんど紙一重の辛口になる。ピュアで端麗、すいすい飲めるワインという言い方もできるが、魅力的な本物の辛口ワインを醸造することは容易ではない。土壌、葡萄の品質、収穫量、細心の注意を払った収穫作業と醸造が必要となり、醸造家のセンスが問われる。ホスピティエンのワインは私見では、辛口では酸味の存在感がやや弱い。クリーンで繊細で高品質なのだが、辛口は物足りない。中辛口から甘口にかけては上々で、とりわけ2009 Piesporter Riesling Kabinett 甘口は完熟したリンゴに白い花の蜂蜜のヒントがあり、軽めながら薫り高く素直に美味しい。一方2009シャルツホーフベルガーはエレガントなシトラスのフルーツ感に優れた畑の条件を見ることはできるが、ほっそりとして直線的で、グラン・クリュとしてはやや物足りなかった。2008 Riesling Sekt extra Brutはその点、直線的で透明感のある果実味と、酸とミネラルのアクセントが効いており申し分なかった。中世初期以来のセラーで行われる恒例の古酒の試飲は以下の通り。1987 ?rziger W?rzgarten Riesling Sp?tlese1982 Serriger Schloss Saarfelser Schlossberg Riesling Auslese1986 Bernkasteler Alte Badstube am Doktorberg Riesling Auslese1987シュペートレーゼは枯れはじめており、軽やかで甘みは控えめ。1982 アウスレーゼもまだ生きているが軽めで、繊細な甘みのアプリコット、熟成香、アフタはやや短め。1986 アウスレーゼはまだ熟成可能、複雑、ナッツの熟成のヒントがあるもののしっかりした果実味にアプリコットのヒント、繊細で充実した酸味。1990 Erdener Pr?lat Riesling Auslese, 1990 Graacher Domprobst, 1990 Serriger Schloss Saarfelser Schlossbergのうち、Graacherは飲み損ねた。1990 Riesling Ausleseはまだまだ魅力的な甘みを湛え、アプリコット、白い花の蜂蜜、充実したミネラル感。とりたてて凄い、というほどでもないが、しみじみと美味しい。1994 Scharzhofberger Riesling Beerenauslese, 1995 Wiltinger H?lle Riesling Eiswein, 1993 Trierer Burgberg Riesling Eiswein。シャルツホーフベルクのBAはさすが。褐色を帯びたあめ色、なめらかで凝縮感のある甘み、カラメル、蜂蜜、非常に長い印象的なアフタ、吐息に複雑な甘み。まさにエリクシール。1995 Eisweinは15年の熟成を経てもまだ若々しさを残し、生き生きとしてクリアで繊細な酸味。ガラス細工のような透明感と繊細さ。1993 Eisweinは無名の畑ながら驚くべきポテンシャル、ピンと張り詰めた直線的でキレの良い酸味を伴うほっそりとして凝縮した甘みがアタックからアフタまで一貫して継続、驚くべきアフタの長さ。非常に印象的。これらの古酒は先代のケラーマイスター、エーレン氏が醸造したものだ。当時はフーダー樽を主体に醸造に用いていた。現在のシュナイダー氏がステンレスタンクで醸造したワインがここまで熟成するかは不明だが、2005のグローセス・ゲヴェクスは昨年飲んでその素晴らしさに驚いたことがあるので、意外にいけるかもしれない。ホスピティエン醸造所Vereinigte Hospitienwww.vereinigtehospitien.de
2010/05/20
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その朝も景色は雪で白く染まっていた。アイフェルの高原を抜けてモーゼルに向かいリーザー村が近づくころ、対岸に聳える葡萄畑の小山が視界に現れ次第に迫ってくる様子は、いつ見てもどこか神々しい。モーゼルにかかる橋を渡らず左折すると、まもなくリーザーの村に入る。川べりには洪水に備えて防波堤が聳え、立ち並ぶ家々の入り口もまた道路から1mほど高い位置にあるから、階段を上がってから呼び鈴を押さねばならない。そのうちの一軒がその日の訪問先、ジビレ・クンツ醸造所であった。ジビレ・クンツはモーゼルでは-いや、世界的にもそうかもしれないが-少数派の女性醸造家だ。私の印象では、なかなかタフな女性である。1983年に両親から継いだ0.4haの畑を現在約10haまで広げ、甘口で定評のある中部モーゼルにあって、辛口から中辛口が生産の95%を占める。古木を重視し平均収穫量を40hl/haまで切り詰め、しばしばアルザスやヴァッハウのスマラークトに例えられる力強いリースリングを造る。モーゼルの女性醸造家ジビレ・クンツとご主人のマルクス・クンツ=リードリン。「最初は醸造家になんてなるつもりはなかったのよ」とジビレは笑う。「子供のころから両親の葡萄畑を手伝わされていたから、夏休みも帰ってこなくてすむような遠くの大学に入学したかったのだけれど、経営学を学ぶことになったのは、デュッセルドルフに近いヴッパータールにある大学だった。そこからだと2時間ばかりで帰ってこれちゃうのよね。思ったより近くて当てが外れたわ」そして1981年、まだ学生だったジビレは学費を稼ぐのと大学で学ぶ理論を実地に試すためにワインショップをオープンし、ワインコミッショナーだった祖父の扱うワインや実家のワインを販売。その関係でいろいろなワインを飲むうちに「私なら、もっとうまくやれる」と思うようになったのだという。「市場の嗜好にあわせてワインを造っているわけじゃない。私は自分で飲みたいワインを造っているの。好きになるかどうかは、飲み手にお任せするわ」というジビレ。ワインのマーケティングをテーマにした論文で経済学の学位を取得した彼女を醸造面でサポートするのは、ガイゼンハイムで醸造学を修め、北米ニューヨーク州のウッドベリー・ヴィンヤードで3年間働いていたご主人のマルクス・クンツ=リードリンだ。彼の実家はバーデンの醸造所だが「僕もジビレと同様、実家から離れたいと思っていたから、卒業してすぐにアメリカに渡った。その後ドイツに戻ってモーゼルのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ギムナジウム醸造所で働いていたころ、ジビレに出会ったんだ。忘れもしない1993年のVDP競売会さ。たまたま隣にジビレがいて、仕事は何か聞いたら『醸造家です』って言うんだ。え、こんな綺麗な女性が醸造家なんて似合わないよ、と思ったのが僕たちのなれそめだね」と少し照れたように笑う。ジビレ・クンツ醸造所のワインのラインナップは明確だ。ベーシックなワイン『KUNTZ-RIESRING』(trocken)は収穫時の果汁糖度80~90°エクスレ。樹齢40~60歳の古木である。その一段上『GOLD-QUADRAT』(trocken)は90~100°エクスレ、樹齢60~80歳で一部は接木なしの自根。さらにワンランクあがると『DREISTERN』(三つ星、trocken)、100~115°エクスレで樹齢80歳以上、その大半が自根。そしてフラッグシップはVDPがエアステ・ラーゲに認定しているリーザー・ニーダーベルク・ヘルデンの中の区画『SCHARZ』(feinherb)『HELDEN』(甘口)。115°エクスレ以上で前者は樹齢60~90歳、後者は樹齢90歳前後。この他に甘口のAuslese No.8、WEHLEN Sonnenuhr feinherbもしくは甘口、そしてベーレンアウスレーゼ、トロッケンベーレンアウスレーゼがある。ジビレ・クンツ醸造所のエチケット。デザインが生産年によって少しずつ違っているが、エチケット中央の四角(Qadrat)がポイント。肩書きそれぞれに辛口、中辛口、甘口がある醸造所に比べると、思い切って絞り込んだ品揃えだ。そして、生産年の気候条件によっては全てのワインがリリースできる訳ではない。糖度の上がらなかった2008年にリリースされたのはKUNTZ-RIESLINGとGOLD-QUADRATの2種類のみ。2008 KUNTZ-RIESLINGはほっそりしたボディにフレッシュなレモン、グレープフルーツのヒント、繊細な酸味とミネラルが軸となりしっかりとしたストラクチャ、繊細なミネラルの余韻。2008 GOLD-QUADRATは品の良い女性的な出方の香り、みずみずしくフレッシュなフルーツ感に熟したグレープフルーツのヒントが口いっぱいに広がる。磨きこまれたような、張り詰めた印象のある酒躯、繊細なミネラルのアクセント。2007 SCHARZは文句無く素晴らしかった。香りには何かを秘めたような奥ゆかしさと深みがあり、口に含むとフルーツのシンフォニーがコンサートホール一杯に木霊するような広がりと複雑さがある。熟れたアプリコット、黄桃、パイナップルのヒントとたっぷりとしたミネラル感、非常に長いアフタ。2007 HELDENはエレガント。クリーミィで複雑、エレガントな甘みにパイナップル、完熟したリンゴ、蜂蜜、粒子の明瞭なミネラル感。2005 Auslese No.8は繊細で上品、ほっそりとしてエッセンスのような甘み。やや大人しい。2005 Beerenausleseは収穫時の糖度180°エクスレ。凝縮しつつ繊細さのある極甘口、繊細な蜂蜜にレモンのような酸味が銀の糸のように編みこまれている。2009年は気候に恵まれ、220°エクスレのTBAまで収穫できたという。今年はニーダーベルク・ヘルデンに新たに二つの区画を購入することに成功、さらにご主人の実家がバーデンで栽培しているシュペートブルグンダーから、やはり収穫量を切り詰めて高品質な赤の醸造をはじめる予定だ。2009年産のリリースと今後が楽しみな醸造所である。Weingut Sybille KuntzMoselstrasse 2554470 Lieserwww.sybillekuntz.de
2010/03/20
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A.J.アダム醸造所を後にした我々は、ノイマーゲンのスーパーの一角にあったパン屋で少し腹にものを入れることにした。一軒目が長引いたので、昼食を食べそこなっていたからだ。立食コーナーでハムと菜っ葉をはさんだパンをほおばりコーヒーをすすっていると、メニューに葡萄畑がずらりとならんでいるのに気がついた。ただのパン屋なのにこのワインの品揃えは凄い!と目を剥いたが、実は各種コーヒーに畑の名前をつけただけとわかり、ほっとした。ノイマーゲンのパン屋にあったメニュー。試しに「ユッファー・ゾンネンウアー(実はカプチーノ)下さい」と注文したが通じなかった(苦笑)。ライヴェンの変遷午後4時、薄暗くなりつつある雪景色の中をライヴェンに入る。人口1800人あまりの村にベルンカステルのようなロマンチックな木組みの家屋は少なく、普通の一戸建て住宅が多い。村を囲むようにして広がる200haあまりの葡萄畑ライヴェナー・クロスターベルクは、なだらかな斜面にある。川沿いにはモーゼル有数の醸造会社カール・レー(現在はブラック・タワーで有名なレー・ケンダーマンの傘下)があり、1960年代から70年代にかけての村の発展は、地元出身のレー一族の貢献によるところが大きかったという。安定した品質のワインを大量に、競争力のある価格で生産すること。それは一般に大規模醸造所の得意とする分野であり、ライヴェンの大半の栽培農家もまたそうしたワインにする葡萄で生計を立てていた。1980年代までは量産ワインの村という不名誉な評判をかこっていたのだが、オーストリアに端を発した不凍液スキャンダルでドイツワインへの信頼が崩壊した1985年、ひとつの転機を迎える。若手醸造家集団「ユングヴィンツァー・ライヴェン」の結成である。失われた信頼を取り戻し、生き残るには高品質化しかなかった。ユングヴィンツァーのメンバーは互いのワインを率直に批判し、栽培醸造上の疑問や問題をオープンに話し合い、知識や経験を出し合い助け合った。こうした場が出来たことが、醸造家同士の信頼関係を築き、不遇な状況の責任を政治や他人になすりつけるような雰囲気を180°ポジティブな方向へと変えた。ブラインド試飲による品評会で優れたワインを村祭りで表彰することも、メンバーの高品質なワイン醸造への意欲をかきたて、量から質への意識改革がすすんだ。やがて1990年頃からヨゼフ・ロッシ、グランス・ファシアン、ザンクト・ウルバンスホーフらが頭角を現し、現在は隣村トリッテンハイム、ピースポートに並ぶ高品質なワインを産する村として知られる。クローンと古木このライヴェナー・ユングヴィンツァーの創立メンバーのひとりが、その日三軒目に訪問したカール・レーヴェン醸造所のカール・ヨゼフ・レーヴェンだ。1956年生まれの54歳で、ユングヴィンツァー結成当時は29歳だった。「あの当時、村の周囲で栽培されていたのは、高い収穫量と糖度を追及したクローンだったんだよ」とカール・ヨゼフは言う。改築して間もない試飲室は広い庭に面しており、夏にはまぶしく見えるだろう緑の芝生が、今はうっすらと雪に覆われて夕闇の中に沈んでいる。しかしカール・ヨゼフの張りのある声が響くと、活気が部屋の中で静かに広がった。「そんなクローンではよいワインは出来ない。グリーンハーヴェストで収量を落とそうとしても、葡萄樹は自分が傷つけられたと思って、残っている房にエネルギーを集中して損失を挽回しようとするんだ。つまり果粒が膨張して果皮が薄くなる。剪定の際に房の数を極端に減らしても同じことだ。収穫量は思ったほど落ちないし、黴や腐敗に冒されやすくなる。じゃあ一体、どうしたらいいと思う?」カール・ヨゼフは笑顔で聞いた。「樹勢の弱い台木を使うとか」と私。「それもある」とうなずく彼。「古木…かな。やはり樹勢が弱いし、自然に粒の小さい実が成ります」と友人。「その通り!古木は生産効率の向上を追及したクローンができる以前の、リースリング本来の遺伝的素質を持っている葡萄樹なんだ!100年前、モーゼルが世界的な名声を誇っていたころの平均収穫量が40hl/ha以下だったことは知っているよね。それは農薬や化学肥料が無かったというだけじゃない。葡萄樹の遺伝的素質だったんだよ」「でも、古木の残っている畑は限られていますよね。モーゼルのほとんどの葡萄樹は1970年代以降の耕地整理の際に植え替えられていますし」「そう。だから私は古木を新たに植えたんだよ」とニヤリ。「1994年、ピースポーター・ゴルトトロプヒェンの畑が大規模に耕地整理されることになった時、収穫直前にこれは、と思える葡萄樹を探して回ったんだ。粒の小さな、完熟すると金色に染まる房をつけている樹をね。数百本に目印の黄色いマジックテープを巻いて歩いて、それからとった500本ほどの苗木をライヴェナー・クロスターガルテンの畑に植えた。様々な区画の葡萄樹を集めているから、遺伝的素質も色々だ。それが同一の遺伝的素質を持つクローンの畑にはない、香味の複雑さになって現れている」という。そのリースリング辛口2008 Varidorは、生産年の特徴であるくっきりとした酸味とミネラルが、完熟した柑橘にスパイシーなアクセントを添えており、飲み手に媚びることなくわが道を行くような感があった。カール・ヨゼフはこの他、急斜面の葡萄畑ライヴェナー・ラウレンティウスライLeiwener Laurentiuslay、トーニッヒャー・リッチThoernicher Ritsch、デッツェマー・マキシミーナー・クロスターライDetzemer Maximiner Klosterlayとロングイッヒャー・マキシミーナー・ヘレンベルクLonguicher Maximiner Herrenbergを所有している。そこに育つ葡萄の大半は樹齢40歳以上の古木だ。カール・レーヴェン醸造所のエチケット。1868年にプロイセン政府のもとで行われた格付けに基づき、醸造所が所有する優れた畑を「エアステ・ラーゲ」としている。ワイン造りの喜びリースリングの発酵にはステンレスタンクとフーダー樽の両方を用いるが、やはり培養酵母は用いずに、天然酵母で約3ヶ月かけて行う。訪問した2月上旬も、いくつかのタンクからは我々がセラーに入ったのを察知したかのように、ゴボリ、ゴボリとくぐもった音をたてて炭酸ガスが管から抜け、発酵が続いていることを示していた。「葡萄畑で出来た品質をセラーでは向上させることは出来ないが、劣化させてしまうことはありうる。だからタンクの中で何がおきているか、醸造家は理解しなければならない。それには化学の知識が不可欠だ」とカール・ヨゼフ。クローン以前の遺伝的素質を持つ苗木を植えて、天然酵母で発酵するというカール・ヨゼフのワイン造りは、一見すると伝統回帰をかかげた理想主義にも見える。しかし現実を踏まえた上で見極めた方向性であり、地に足のついたリアリストでもある。「私はガイゼンハイム出身じゃない。地元の醸造学校を出てから、父親のもとでずっと働いてきた。だから醸造学を本格的に学んでいたら何の苦労もなく解決できたような問題でも、失敗を繰り返しながら学ばなきゃならなかったんだよ…」カール・ヨゼフは蛍光灯のあかりに鈍く輝く醸造タンクを無意識になでつつ言った。「ま、それはともかく、試飲してみるかい」小さな蛇口をひねると、軽く乳白色ににごった液体が迸った。瓶詰め後のワインをディティールまで克明に表現された彫像とすれば、発酵と熟成の続くワインはおぼろげな輪郭しか見えない。その試飲は霧の中に浮かび上がる何かを見定めようとするかのようだ。酵母の香味が漂う液体に、ごつごつとして無骨な、荒削りな構成は感じ取ることができても、それがタンクでの熟成を終えて酵母から引き離され、瓶詰めされた後にどんな味わいになるのか、想像することは私には難しかった。それでもカール・ヨゼフは嬉々として次々とタンクの蛇口をひねっては、我々とともに試飲しては満足そうな笑顔をうかべた。「ここが私の仕事場なんだけど、こうして試飲していると、ワイン造りに携わる幸せを感じるね」という。カール・レーヴェン醸造所のオーナー醸造家、カール・ヨゼフ・レーヴェン。やがて2009 Longuicher Maximiner Herrenbergのタンクの前でカール・ヨゼフは声をあげた。「これほどのワインを醸造したのははじめてだよ」2年前に10Kmほど離れた川上にある、ロングイッヒのカール・シュミット・ヴァーグナー醸造所から引き継いだ畑のワインだ。「葡萄樹は全部接木なしの自根なんだ!自根だと樹勢が弱いから、自然に収穫量が低くなる。しかも樹齢100年の古木だよ。4haのうち1.4haは1896年に植えられているから、樹齢114歳だ!」まさにカール・ヨゼフ理想の葡萄畑である。1804年に設立されたカール・シュミット・ヴァーグナー醸造所のオーナーだったブルーノ・ヴァーグナーは、70歳を過ぎても自らタンクを背負って斜面に入り農薬散布をしていたというから、その葡萄樹への愛着のほどが伺える。しかしブルーノは後継者に恵まれなかった。二人いた息子の一人は自動車整備工に、もう一人は音楽家になってアメリカに移住してしまった。「2008年はブルーノが世話した最後の年。しっかり施肥をして房も多めに残してあった」という。それでも2008 Longuicher Maximiner Herrenberg Alte Reben 1896 Riesling trockenは印象的なワインだ。幽玄ともいうべき奥行きを備え、桃、アプリコット、マンゴーのヒント、繊細なミネラル感。余韻に残るわずかな苦味が若干気になったが、葡萄畑のポテンシャルは確かに感じられた。そして2年目、剪定から収穫までカール・ヨゼフが自分の思い通りに仕立てた2009は、未完成ながらスケール感があり、期待できそうだ。そして2009 Thornicher Ritsch Riesling Auslese Goldkapselは、すでに素晴らしく美味しかった。濃厚で香り高く、蜂蜜、熟したりんご、アプリコットのヒントが酵母のミルキーなアロマと交じり合い、緻密で非常に長い余韻。Exzellent!! 最後に樽試飲したアイスヴァインも濃厚な甘みに貴腐ワインのような複雑さがあったが、アウスレーゼ・ゴルトカプセルには及ばなかった。古木、自根、クローン以前の遺伝的素質による自然な収穫量の抑制、急斜面の葡萄畑、天然酵母による時間をかけた発酵。そのいずれの要素もが、大量生産ワインとは逆の方向を目指している。カール・ヨゼフはそこにワイン造りの本質と、醸造家としての生きがいを見出したようだ。Weingut Carl LoewenMatthiasstrasse 3054340 Leiweinwww.weingut-loewen.de
2010/03/14
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少年はバスの車窓に広がるモーゼルの葡萄畑をじっと眺めていた。ノイマーゲンにある両親の家からトリアーのギムナジウムまで1時間半あまりかけて通う間、路線バスから見える様々な葡萄畑の眺めは少年を魅了して止まなかった。蛇行するモーゼルの川沿いには平坦な畑があれば、絶壁のような急斜面の、一体どうやってあそこまで辿り着くのかと思わせるような位置にさえ、葡萄畑があった。「なんでだろう…?」それは少年の素朴な疑問だった。平坦な畑なら、トラクターに乗ったまま作業できるから楽だし合理的だ。でも、急斜面をよじ登るようにして作業するのは手間がかかるし、大変なことだ。一体なぜ、そこまでしても急斜面でワインを造るのだろうか?「あの頃の疑問が、そもそもの始まりだったんだ」と、アンドレアス・アダムは軽く笑った。そのまなざしのどこかには、今も少年の心が漂っているような気がした。「人はなぜ急斜面で葡萄を栽培するのか。どうしてだか知りたくて、16歳の頃からフリッツ・ハーグやラインホールト・ハールトのワインを小遣いで買って飲み比べていたんだ。ませた子供だよね」ちなみにドイツでは、16歳から飲酒が許される。1979年生まれで現在30歳のアンドレアスはA.J.アダム醸造所のオーナー醸造家で、モーゼルでもっとも注目されている若手醸造家のひとりだ。A.J.アダム醸造所の醸造家、アンドレアス・アダム。アンドレアスの実家は醸造所ではない。父は農業機械のセールスマンで母は専業主婦だったが、母の父、つまりアンドレアスの祖父はノイマーゲンのはずれにあるドーロン渓谷に1haあまりの葡萄畑を所有するワイン生産者だった。しかし収穫期に1ヵ月近く雨にたたられた1982年の翌年、後継者のいなかった祖父は葡萄畑を他人に貸して、醸造所を廃業してしまう。「いいか、アンドレアス。この畑はな、ベネディクト派修道院トーライの坊さんたちが何百年も自慢にしてきた畑なんだ。19世紀にはモーゼル最高の畑にも数えられていたんだぞ」祖父から幾度となく聞かされた話は一体なんだったのか。祖父の廃業に、もしかしたら、いずれ自分が醸造所を継ぐことになるのではないかという幼心に抱いた朧気な予感を、アンドレアスは裏切られたような気がしたかもしれない。1999年にギムナジウムを卒業し大学入学資格を取得したものの、醸造家になることにアンドレアスの心は決まっていた。近年でこそラインヘッセンのメッセージ・イン・ア・ボトルをはじめとする若手醸造家団体の成功で醸造家にあこがれる若者も増えているが、1990年代は現在とは様相が異なり、きつい、汚い、儲からないの三拍子そろった不人気職種であったから、醸造所の子供達ですら家業を継ぎたがらないのが普通だった。それでも「そうか、醸造家か…。ま、おまえの進路としては間違っちゃいないだろう」と、やはりワイン好きであった父は快く認めてくれたという。そうしてモーゼルのVDP加盟醸造所ザンクト・ウルバンスホーフとヘイマン・レーヴェンシュタイン醸造所で修行をはじめた翌2000年、早々に祖父の畑を取り戻し、17年あまり埃をかぶっていた機材で最初のワインを醸造する。21歳の時のことだ。2001年にガイゼンハイム専門大学の醸造学科に進学、2006年まで大学に通いながら葡萄畑の世話をし、ワインを醸造していた。その間もヘイマン・レーヴェンシュタインでの仕事は続け、ニュイ・サン・ジョルジュのドメーヌ・レシュノーで研修し、卒業後もレーヴェンシュタイン醸造所で働きながら、自分のワインを造っていた。在学中の2003年にはアメリカのワイン商テリー・ティーズに見出され、2004年産でゴー・ミヨに初出品で房ひとつを獲得。当初1haだった面積を現在約3haに増やしているが、需要に供給が追いつかないという。「1900年頃にモーゼルのワインが世界で名声を博していたことは知っているよね」とアンドレアス。当時のワインリストを見ると、モーゼルのリースリングはボルドーの一級シャトーと同格に扱われていたことがわかる。「それには理由があったんだ。一つは40hl/ha以下という平均収穫量の低さ。効果的な農薬や合成肥料も無かったから、収穫量は自然に低く抑えられていた」ちなみに、現行のドイツワイン法ではモーゼルの収穫量は120hl/haまで許容されている。「それに培養酵母や酵素などの発酵補助物質を使わない、天然酵母による自然な発酵だ」19世紀から現在に至る栽培醸造技術の進歩は、主として収穫量の増加と安定、農作業の効率化、醸造上の失敗リスクを減らし、生産者に確実な収入をもたらすことを目指してきた。アンドレアスのワイン造りの基本姿勢は、こうした技術の進歩でかえって失われたものを取り戻すことにある。収穫は当然手作業だ。容量30リットルの箱に入れた収穫を、トラクターの荷台に積んでそのまま醸造所に持ち込む。「葡萄を食べてみれば、どういう醸造をしたらいいかわかる」というアンドレアスは、その味次第で6~12時間ほど果汁に果皮と果肉を漬け込む。果汁の清澄には酵素や清澄剤を一切用いず、約24時間静置して不純物を沈殿させ、上澄みを発酵タンクに移して天然酵母で発酵する。収穫を丁寧に扱うから、清澄の際の沈殿物は自然に少なくなるという。逆に傷んだ収穫を手荒に扱っても、現代の醸造技術なら活性炭やベントナイト、酵素とフィルターで雑味を除去し、培養酵母と酵素で発酵をコントロールすればそれなりのワインに仕立てることはできるが、そこから偉大なワインは生まれない。発酵には伝統的なフーダー樽とともにステンレスタンクの両方を用いる。フィルターをかけるのは瓶詰め前の1回だけだ。議論の分かれる天然酵母による発酵だが、アンドレアスによれば生産地域によって酵母の特性が異なるという。彼の醸造所の酵母は果汁温度16℃でも発酵するが、ナーエの醸造家でガイゼンハイムの同期生だったエムリッヒ・シェーンレーバー醸造所のフランク・シェーンレーバーは「信じられないな。ウチのは18℃以上じゃないと仕事をしないよ」と驚いていたという。「モーゼルの冷涼な気候に適応したんだろうね」とアンドレアス。また、モーゼルの果汁の酸度の高さとPH値の低さが、ファルツなど温暖な産地に比べ、雑菌類による発酵失敗のリスクを少なくしているという。1871年のエチケットの意匠を復刻したA.J.アダム醸造所のエチケット。アンドレアスのワインは、ドーロン渓谷のホーフベルクの葡萄畑が持つポテンシャルを見事に示している。ホーフベルクは南西を向いた30~60%の斜度を持つ斜面で、渓谷を流れるモーゼルの支流ドーロン川の上流から下流に向けて吹き抜ける風がボトリティスをつきにくくする一方、葡萄を乾燥させ糖度を上げるという。最上の区画はブーメランのようにカーブした斜面の中央付近にある約20ha。1971年のワイン法で周辺の畑を含む80ha以上に拡張されるまでは、そこだけがホーフベルクと呼ばれていた。青色スレート粘板岩が主体の土壌には珪岩と酸化鉄の層が混じり、ワインに独特な個性を与えている。しっかりとしたストラクチャーでありつつも常に繊細なミネラル感を備え、透明感と深みと上品さを併せ持つ。これはアンドレアスの表現だが、試飲した2008 Dhroner Hofberg Riesling Spaetlese feinherbはまさにその通りの味わい。樹齢80歳の古木からのリースリングは繊細なミネラルを備えつつ全ての要素が調和し、透明で品のある果実味に熟したリンゴのヒント、磨き込まれたような輝きと深みがある。2008 Dhroner Hofberg Riesling KabinettとSpaetleseは甘口だが甘みが目立たない。グラン・クリュの品格を感じさせる上品な甘さと繊細なミネラル感と奥行きに、絶妙なバランスで綺麗な酸味がアクセントを添えている。どちらも素晴らしいが、シュペートレーゼは約10%ほど貴腐が含まれるぶん複雑で余韻が長い。「酸と甘みの戯れるようなバランスはワインのエスプリだ。ベタつく甘みの退屈なワインじゃなくて、軽やかな緊張感を持つワインが造りたいんだ」というアンドレアスの言葉がよくわかる。2008 Dhroner Hofberg Ausleseはクリーミーで複雑、凝縮した甘みに干したあんず、蜂蜜のヒント、極めて長い余韻。高貴な甘口と辛口系のフラッグシップの圧搾には、祖父が使っていた木製バスケットの圧搾機をレストアして使っている。それはいわば、アンドレアスが一貫して追及するモーゼルのワイン造りの原点回帰とともに、2007年に他界した祖父へのオマージュなのかもしれない。ホーフベルクの畑に立つアンドレアス。それにしても、アンドレアスがザールのファン・フォルクセン醸造所と同じ2000年に醸造所を立ち上げたのは奇遇なことだ。ファン・フォルクセンのオーナー、ローマン・ニエヴォドニツァンスキーもまた、ワイン造りとは縁のない家系からワイン造りを始め、テロワールを表現することを目指して2008年は平均収穫量を34hl/haまで絞り、天然酵母で主に木樽で発酵している。そしてどちらの醸造所も村名、一級畑、グラン・クリュというブルゴーニュ型のヒエラルキーを導入している。そしてまた、忘れられた銘醸畑ヴォルファー・ゴルドグルーベのポテンシャルを発掘した、スイス出身のダニエル・フォレンヴァイダーが、モーゼルで醸造を始めたのも2000年だ。まるで何か目に見えない力が、彼らを呼び寄せたのかのようではないか。あるいは大きな潮流があって、醸造業界の因習や常識にとらわれない若者達がチャンスを掴み、成功しうる時期であったのかもしれない。A.J.アダム醸造所Weingut A.J. AdamBrueckenstr. 5154347 Neumagen-DhronGermanywww.aj-adam.com
2010/03/03
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一面の雪景色の中、前を走る車のたてる雪煙が地表を這うように風に流れていた。2月上旬、かれこれ2ヵ月以上寒気の中で雪は積もっては融けを繰り返し、これほど冬らしい冬は久しぶりのことだった。その日最初の訪問先ベッカー・シュタインハウアー醸造所は、モーゼル中流の観光名所ベルンカステルから車で5分ほどのミュルハイムにある。醸造所とすぐには分からない石造りの洋館の前で車を降りると、村は雪景色の中でしんと静まりかえっていた。「呼び鈴はこちら」の標識に従い足跡のない雪を踏みしめ、中庭に入る。圧搾機から果汁のしたたる音や発酵の匂いの余韻が、そこには漂っているような気がした。呼び鈴を押す。建物の中にベルの響く音が木霊し、しばらくして少し強面な男が扉を開けた。現オーナーで醸造家のカーステン・ベッカーであった。1969年生まれの40歳だが、深い皺が刻み込まれた顔立ちに貫禄があり、もう少し年上に見える。ベッカー・シュタインハウアー醸造所の醸造家、カーステン・ベッカー。カーステンが1758年から続く醸造所を父から継いだのは、今から6年ほど前の2004年のことだ。その年に醸造したワインで早速ゴー・ミヨのドイツワインガイドの房を一つ獲得。やがて2006年産で二つ、2008年産で三つに房に増やし、着実に評価を上げてきている。「それは生産年に恵まれたからだよ」と7代目の醸造家は謙遜する。「天然酵母による発酵も、父がやっていたことを受け継いだだけだ。新たに取り組んだのはマーケティング。両親は栽培と醸造、それに民宿の経営で手一杯でそこまで手が回らなかったからね」とハイルブロン専門大学でワイン経済学を学んだカーステン。彼は大学卒業後1995年から2年間アフリカのケニアでワイン生産プロジェクトに携わり、その後3年間モーゼルの醸造所団体ベルンカステラー・リングでの広報マネジメントを担当した。この5年間をカーステンは職人に例えて『遍歴修行期間』と呼んだ。そしてさらに父の元での修行が3年続き、ようやく一人前の醸造親方として家業を継いだ。窓の外では音もなく雪が降り続いていた。1890年に建てられた底冷えのする洋館の試飲室にワイン用のスクリューキャップをひねる軽い音が木霊し、グラスにリースリングが注がれる。香りを嗅ぐと、明らかに天然酵母による発酵の匂いがした。「天然酵母を使うと角や縁の(Ecken und Kanten)ある個性的なワインに仕上がる。葡萄の果皮やセラーに住む酵母など、様々な種類の酵母が作用するからね。発酵温度を調整することもしない。セラーは年間を通じて8℃前後で冷却の必要がないんだ。そして発酵が自然に止まるのを待つ。タンクによっては辛口に仕上がるものもあるし、中辛口で止まるものもあるが、それでいい。自然に到達した調和が最上の結果と思うから」という。1970年代まで一般的だった天然酵母による発酵だが、今はほとんどの醸造所で培養酵母が用いられている。天然酵母はいわば野生児で、醸造家はその気まぐれな成り行きに任せるよりほかはない。一方、培養酵母は特性が把握されているので安全かつ確実に発酵が進み、香味の出方もある程度左右出来る。安定した品質を確保できるが、香味を画一化する傾向があるともいわれる。カーステンは天然酵母を使ってステンレスタンクで発酵する。それは伝統と現代の醸造技術の融合とみることもできるが、1995年頃から10年近く試行錯誤を重ねた末の結論でもある。確かに父も天然酵母で発酵していたが、それを単に引き継いだだけではない。「Wein mit Ecken und Kanten」とカーステンが表現した天然酵母によるワインの特徴を、机の角(Ecke)と縁(Kante)のように明瞭な輪郭を持つワインと理解したものか、あるいはごつごつとして固いワインと解釈したものか。いずれにしても、2008 Riesling trocken 1890は鋭角で繊細な酸とミネラルのアクセントが効いて、軽めの酒躯ながら力強い。モーゼルから離れた渓谷に位置するファルデンツの畑Valdenzer Kirchbergの収穫で、ここの地所のワインはルーヴァーの様な酸味に野菜や香草を思わせるヒントがある。同畑の樹齢74年の2008 Alte Rebenは複雑さの中に気品のある力強い酸味がピシリと効いて、エレガントで非常に長い余韻が印象的。一方2008 Steinmauer Rieslingは完熟した柑橘やリンゴの蜜のアロマがたっぷりと詰まった濃いめの果実味に、エキストラクトとミネラルがぶつかり合っている感じがした。シュタインマウアーはツェルティンガー・シュロスベルクの一画で、石がちな急斜面は水はけがよく熟しやすいが、暑く乾燥した年は葡萄樹に厳しいストレスがかかるという。2008 Muelheimer Sonnenlay Riesling Kabinett feinherbは天然酵母特有の酵母と硫黄に似た匂いが軽く漂い、繊細で軽快、ミネラル感に富む。綺麗な伸びの良い酸味が気持ち良く甘みとバランスして、ワイン全体にまとまりがある。夏までゆっくりと発酵したワインだという。「最近は瓶詰め時期も早まっている。以前は収穫翌年3月までは法律で発売が禁止されていたのだが。2、30年前までは発酵が終わってから樽で2年位寝かせて、飲み頃になってから発売していたものだ。最近は4~5月の復活祭にリリースを間に合わせる醸造所が多いね。アメリカのワイン商はもっと早くしてくれとせっつくけど、ワインには良くない傾向だよ」と肩をすくめる。2008 Valdenzer Carlsberg Riesling Spaetlese feinherbは熟した黄色い柑橘に白桃のアロマ、まとまり、調和、みずみずしい果実味。0.38haあまりのドイツで最も小さい単一畑の一つで、ブルゴーニュの葡萄畑のように低い石壁で囲まれている。そのお陰で冷たい風が遮られ、葡萄がよく熟すのだそうだ。2008 Brauneberger Juffer Riesling Spaetleseは華やかで懐が深く、熟した柑橘、リンゴのヒントが詰まった上品な甘口。同畑の2008 Riesling Auslese**は澄み切った甘い香りの光芒、完熟した柑橘、ほのかにパイナップル、品の良い酸味、ミネラル感、くっきりしたストラクチャー。いずれのリースリングも明確な個性を備えており、畑の違いが見事に表現されていた。「ファルデンツでは特に」とカーステンはグラスを揺らしながら言った。彼も醸造所オーナーの通例で、訪問者の前でワインを吐かない。少し口に含んでは飲み込んでいたせいか、酔いとともに少し舌がなめらかになっていた。「葡萄を早めに収穫しすぎるね。完璧に熟した葡萄を収穫することが高品質なワイン造りには欠かせないのに。2008は葡萄がなかなか完熟しなかったから2週間待ったが、私が収穫を始めた頃は他の畑は全部収穫が終わっていた。あの年は収穫がことごとく過熟していた2003や2005よりも醸造の腕の振るい甲斐のある生産年だった。除酸?やってないよ。うちの醸造所が除酸を最後にしたのは1987年、その前は1984年だ」長男として生まれたカーステンは、子供の頃から家業を継ぐつもりでいたという。醸造所が所有するのは現在8ha、平均収穫量は64hl/ha。将来的には12ha前後まで増やしたいと考えているが、それが割に合うかどうかは別の話だね、と慎重だ。彼はそれぞれの畑の個性をきっちりと表現するワイン職人である。グラン・クリュに値する地所をもう1,2区画入手できれば、モーゼルのトップクラスに数えられる日も遠くないだろう。Weingut Becker-SteinhauerHauptstrasse 7254486 Muelheim/Moselwww.becker-steinhauer.de
2010/02/24
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その醸造所はザールブルクの駅のすぐ近くにある。1880年に創業し、ゼクト製造で栄華を誇っていたころから、洋館の佇まいはほとんど変わっていない。鉄門扉をくぐり敷地に入ると、広壮な庭に鬱蒼と生い茂る木立が夏の陽射しに緑陰をつくり、テーブルにおかれたボトルとグラスが冷たい汗を浮かべている。鹿鳴館に集う様な紳士淑女がどこからともなく現れても、きっと不自然ではなかっただろう。『主人ノ許可ナク立入ルベカラズ』古びた手書きの看板を横目にケラーに向かう急な階段を下りると、気温が急に10℃下がった。汗ばむ陽気の戸外とは別世界だ。暗闇に絶え間なく流れる水音が木霊し、点々と灯る裸電球の明かりに吐く息が白くゆらめく。黒ずんだ黴が覆う壁の一画には井戸があり、70あまりの木樽を清掃する際にはそこからくみ上げた地下水を暖め樽に入れ、樽の並ぶ通路を端から端まで転がし、1時間ほどゆすり続ける。熱すぎると樽を傷める。冷たいと木肌の気孔が開かないから汚れが落ちない。70℃前後が適温だ。薄暗がりの地下で、数十年使い込まれた樽との体力勝負が延々と続く。ステンレスタンクなら清掃は高圧水流で比較的簡単にすますことができる。しかし木樽はザールの酸の角を取り、丸くするために欠かせないのだという。繊細でほっそりとした酒躯から清冽な青リンゴと摘みたてのハーブが香り立ち、肌理細やかなミネラルとともに健やかに熟した果実の澄んだ甘みが、気品ある趣を醸し出している。まさにザールのリースリングの典型といえるそのスタイルは、生産年の個性を反映しつつ一貫している。2007は2008よりも端麗でミネラル感がある。2008は2007よりアロマテックで酸が明瞭である。そしてどちらも、まるで兄弟のように似通っている。73歳のケラーマイスター兼オーナーは、父の跡を継いでから30年以上、頑固一徹に同じ作業を続けている。葡萄樹は勿論、一本の杭に枝をハート型に結わえた棒仕立てである。針金を張り渡して枝を結わえた方が作業効率はもとより、光合成の効率も良くなり果汁糖度は3~4エクスレ高くなる。しかし、繊細で軽く上品なスタイルに余計な果汁糖度は蛇足でしかない。そしていかに木樽の世話に手間がかかろうとも、ステンレスタンクに切り替える予定はない。後継者で一人娘のクリスティアーネは昨年ガイゼンハイムを卒業したばかりだ。ほっそりとして華奢な体格で木樽を相手に出来るのだろうかとは、いらぬ心配であった。彼女の傍らにはガイゼンハイムで出会った彼氏が控え、少しずつ醸造所で働き始めている。また、庭の一角に新しく試飲直売所が出来た。開店時間は未定だが、今後訪れやすくなることだろう。ここにもすこしずつ、新世代による新しい風が吹き始めているようだった。醸造所後継者のクリスティアーネ・ヴァーグナーとモリッツ・ニコラウス・リューケ。Weingut Dr. Heinz Wagner (Saarburg/Saar)www.weingutdrwagner.de
2009/07/04
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ホスピティエン慈善協会のボトルと今は使われていない木樽。先代ケラーマイスターのエルンスト・エーレン氏は今もよくトリアー近辺の試飲会でおみかけする。真っ青に晴れ上がった5月半ばのとある週末の午後、トリアー市街地の外れ、モーゼル川沿いにあるホスピティエン慈善協会醸造所の新酒試飲会へ行って来た。屋外には初夏の陽射しが満ちていたが、かつて防空壕にも使われた試飲会場の地下セラーは薄暗く、奥に行くほど肌寒かった。今は用いられていない木樽の列に挟まれた通路で、リッター瓶のグーツヴァインから試飲を始める。辛口・ファインヘルブとも軽くシンプル、柑橘のアロマが快適。アフタはやや短めだが一本5.80Euro、デイリーワインとして安心して飲める。この様子なら2008も期待できそうだ、と思った。2008ヤコブスQbA辛口。ヴァイスブルグンダー、グラウブルグンダー、リースリングをブレンドした醸造所のオリジナルキュベ。マイルドな酸味に典型的なブルグンダーのナッツ系のアロマに柑橘のヒント、健全な収穫から丁寧に仕込まれた印象。2008ヴァイスブルグンダー、グラウブルグンダーはしかし、その日の私にはあまりにマイルドすぎると感じた。分析値を見ると酸はそれぞれ6.7g/L, 7.5g/Lあるはずなのだが、存在感がない。ヴァイスブルグンダーはややシンプルな青リンゴのヒント、グラウブルグンダーはイチジクのヒント、ボトリティスでやや傷んだ収穫を用いたかと推測させた。醸造所の経営責任者ヨアヒム・アルンス氏の話しでは2008の収穫は健全で、仕上がりにも満足しているという。いずれにしてもヴァイスブルグンダー、グラウブルグンダーは雑味が少なく酸味控え目で小さくまとまり、個人的には不満が残る。2008ブラウアー・シュペートブルグンダー、ブラン・ド・ノアールはフレッシュなイチゴのアロマがあり、しなやかで軽やか、これは楽しめる。しかし同ロゼは味が薄くアフタがあっさりとしすぎて、少し首をひねった。夏の午後にキリリと冷やして、フレッシュなイチゴなど浮かべて炭酸水かゼクトを混ぜて飲めば美味しいかもしれない。試飲しているうちに、いつしかセラーは訪問者でごったがえしてきた。毎年ここの新酒試飲会は地元の愛好家達で大いに賑わう。2008年と2007年産あわせて36種類がトンネルの奥にむかってずらりと並び、3人のスタッフ達は訪問客達との談笑に余念が無く、ボトルから手酌で注ぐ量は個人の良識に委ねられているし、多少のことは大目に見られている。私はテーブルを囲む人々の背後から手をのばし2008 Saar-Riesling,Seeriger Schloss Saarfelser Sclossberg, Riesling QbA trockenのボトルを掴み、二口ぶんほどグラスに注いで元に戻した。1リットル瓶だ。軽い黄りんごのアロマ、シンプルでやや素朴な酸味、10年以上昔飲んだクラシックなモーゼル辛口を思い出す。2008 Serriger Schloss Saarfelser Schlossberg, R. K. trocken durchgegorenは完全発酵しており、残糖1.5g/Literの極辛口。繊細な白桃のアロマ、ミネラリティ、火打ち石のヒント、透明感のあるボディにフレッシュなシトラスのアクセント、ほどよい綺麗な酸味。スタイル的に最近よく飲むロワールの辛口白に似ている気がした。完全に発酵したことを意味する“durchgegoren“にはもう一つ2008 Wiltinger Hoelle, Riesling Sp. trockenがあり、火打ち石のヒント、青リンゴのアロマ、ほんのりクリーミィなボディにスパイシーなミネラル感。こちらも食中酒として良い感じ。どちらもアルコール濃度11%、酸度は7.9g/Lと7.4g/L。その他カビネット辛口はTrierer Augenscheiner, Seeriger Schloss Saarfelser Schlossberg, Scharzhofberger、シュペートレーゼ辛口はScharzhofberger, Kanzemer Altenbergがある。アルコール濃度は10.5~11%、酸度は6.6~8.3g/Liter、残糖度は4.7~8.6g/Liter。シャルツホーフベルクとカンツェマー・アルテンベルクは恐らく収穫は遅い時期だったのだろう、アロマがやや明瞭で奥行きがあり、前者は白桃に柑橘、後者はオレンジと柑橘が香る。アウゲンシャイナーとゼーリガーは軽くややシンプル、そのぶんミネラルのスパイス感が目立った。悪くはないが、完全発酵ワインに比べると「このワインならでは」という魅力にやや欠ける。中辛口は3品目。Seeriger Schloss Saarfelser Schlossberg, R. QbA halbtrockenとKanzemer Altenberg, R. QbA feinherb、そしてWiltinger Hoelle, Kabinett feinherb。最初の2つは物足りない。ゼーリガーは小さくまとまってあっさり、カンツェマーはそれより少しアロマが明瞭だが締まりに欠け不満を感じたが、ヴィルティンガー・ヘレはほのかにパイナップルのヒント、柑橘の香りがアフタまで持続し楽しめた。私の悪い癖で、何故こうなのだろうとあれこれ考えてしまう。何故物足りないのか、小さくまとまってあっさりしているのかと、試飲しながら考えていた。ワインは自然が与えた条件と醸造過程での人為操作の結果だと思うのだが、醸造過程の中で、畑から得たポテンシャルを減衰させている所があるのではないかという気がする。気がするだけで確認出来た訳ではない。聞いても醸造責任者は肩をすくめるだけで、25haの畑から毎年36種類15万本も醸造する大変さが素人に分かるかと問われたなら、私には返す言葉が無い。あるいは、あと数ヶ月寝かせて落ち着くとまた印象も変わるかもしれない。ようやく甘口に辿り着く。あえて除酸を行わなかったというカビネット以上の甘口の酸度は7.8~9.5g/Literだが、いずれのリースリングも酸味が力強さと長いアフタをもたらしていた。自然な酸味で果実味の稜線はすっきりと全貌を現し、表情に生彩がある。ザールの白桃、青や赤リンゴ、スモモ、シトラスは香り高く、ピースポーター・ゴルドトレプヒェン・カビネットは熟した桃の甘みがクリーミィで軽く繊細なボディに漂う。醸造所が所有する唯一の中部モーゼルの畑からのカビネット甘口が、今回の試飲で一番良かった。最奥部にある中世初期の礼拝堂であったセラーでの有料試飲。モーゼル川に最も近い位置にあり、年間を通じて低温と湿度が保たれている。解説をするマーク・ノイマンは私の知る限りモーゼルに最も通じている愛好家の一人。新酒の試飲からトンネルの最奥部、中世初期の遺跡でもあるセラーへ向かう。暗闇の中、ろうそくの灯りに照らされたグラスの中で赤い液体が妖しく輝く。33年前は黄金色であっただろう1976 Trierer Augenscheiner Rulaender Trockenbeerenausleseである。こんこんと湧き上がる繊細な香りは甘くなまめかしい。なめらかな舌触りの甘みは複雑な要素が一体となって調和し、力強く、重く、香ばしい焼き栗の匂いに晩秋の冷気と暖炉の暖かさがある。名残を惜しむかのように舌に残る甘美な味わい、見事な古酒。1975 Trierer Augenscheiner Rulaender Beerenausleseは琥珀色、蜂蜜、カラメル、華やかで明瞭かつ濃厚な甘みにアーモンド、艶やかに磨かれた甘みの塊、非常に長い余韻。まだ熟成可能。1983 Trierer Augenscheiner Rulaender Ausleseは軽く、甘みはやや枯れ始め、干したリンゴ、蜂蜜、アーモンド。これは頂点を過ぎ、静かに滅びていく過程にある。熟成ルーレンダー比較試飲の他に2001, 2002, 2005のリースリング・シュペートレーゼ及びアウスレーゼのマグナムボトル比較と1989のリースリング・アイスヴァインとTBAが試飲に供されていた。2002 Piesporter Goldtroepchen, R. Sp. (Magnum)は熟成香のヴェールをかぶった繊細でフレッシュな甘み、りんごにカラントのヒント。2001 同畑のR. Aus.は一本綺麗に通った極上の酸味、熟成感は控え目でまだ新鮮、非常に長いアフタ。2005 Scharzhofberger R. Aus. GKはほっそりとしてエレガント、高貴な甘み、カラント、白い花の蜂蜜、青リンゴ、素晴らしい調和と充実感、長いアフタ。1989 Serriger Schloss Saarfelser Schlossberg R. Eis はアイスヴァインとしては控え目な酸のアタックで繊細、様々な要素が揮発性香料のようなタッチで複雑かつ上品に香り立つ。緑の香草、白い花の蜂蜜、エッセンス的な甘み、非常に長いアフタ、後味に残る甘みは上品に口中いっぱいに広がる。1989 Scharzhofberger R. TBAは濃厚、熟成、ナッツ、蜂蜜、力強くミネラリティに富むが、その日はアイスヴァインの方が印象に残った。それにしても、1976 TBAと1975 BAは素晴らしかった。リリース当時はどんな味だったのだろうか。そして現在のステンレスタンクによる還元的に醸造したワインも、やがてこれほど見事な古酒となるのだろうか。その答えは、今の私には見えなかった。Vereinigte HospitienKrahnenufer 19, 54290 Trierwww.vereinigtehospitien.de
2009/05/29
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バス停からマキシミン・グリュンホイザー醸造所に向かう山道の途中から、谷の向こう側に見える葡萄畑はいつ見ても壮大で、どこか神々しく思えてしまう。初夏の葡萄畑はきんぽうげの花で黄色く彩られ、リースリングの新梢が勢いよく空に向かって伸びつつあった。試飲会の様子。フォン・シューベルトが輸入しているフランス、イタリアなどのワインを試飲する参加者。その日は2008年産新酒試飲会であった。蔦のからまる洋館の一室の窓際にテーブルの上にいくつか過去の生産年を交えつつ新酒が並んでいた。最初の一本は2007のグーツヴァインQbAトロッケン。ごくほんのりとナッツの香りに熟成のはじまりを感じるが、調和のとれた内容でしっかりとした飲み口、品の良い酸味がアフタに長く続く。今が飲み頃だろう。その隣に2008グーツヴァインのQbAトロッケンは、口に含んだ途端に軽いな、と思った。線の細い酸味が明瞭で、ミネラルの刺激もはっきりしている。2007が優良年であったことを相対的に示しているように感じた。3本目は2008 Herrenberg Kabniett trocken。これも軽い。控え目な香味に熟した柑橘のヒントがおぼろに見え、秋の余韻を思わせる寂寥感が漂う。冷たい小雨が降っては止み続けた昨年10月の肌寒さを思い出した。醸造所のホームページにある収穫情報によれば、10月17日に始まった収穫は11月13日まで続いたという。4番目の2008 Abtsberg Kabniett trockenは軽さと流麗さを備え、酸とミネラルの調和があり、Herrenbergよりも一歩上出来。アルコール濃度はヘレンベルクもアプツベルクも10.5%。しかし聞くところによれば、シューベルトのワインはリリース直後は軽く感じる傾向があるという。だから、ここで書いているのは私が当日感じた個人的な印象である。他の人が時を改めて飲んだら、また違う印象を持つかもしれないし、私にはそれをどうすることもできない。5番目,6番目は今年初リリースのアルテ・レーベンであった。樹齢50歳から80歳の古木からの収穫を、1000リットルの伝統的フーダー樽で野生酵母で発酵したという。最初にヘレンベルク・アルテ・レーベンを口にした瞬間、「濃い」と感じた。きっちりとまとまった中身の詰まった酒躯で、ほどよい飲み応えがある。黄色い果実はりんご、かりんなど、今は奥ゆかしいけれど繊細なニュアンスがあり、アフタにごつごつとした、まるで表面のざらざらとした石をなめているようなミネラル感が長く残る。アプツベルクは野生酵母の硫黄系の匂いが漂い、ヴォリューム感のある口いっぱいに広がる澄んだ果実味に、繊細な、銀の糸のように細い酸味がしっかりと編み込まれており、力強さとともに上品さを兼ね備えている。ミネラルはヘレンベルクよりも肌理が細かく果実味と調和していた。しかしどちらのアルテ・レーベンにも古木のもたらす奥行きとミネラル感が感じられ、私の好みだ。同時に試飲に供されていた2007 Abtsberg Spaetlese trockenは繊細、しなやかでエレガント、非常に長いアフタで果実味の美しさに魅力を感じる。アルテ・レーベンはテロワールの表現に惹かれる。「アイディアとしては、以前から考えていた」とフォン・シューベルト氏は言う。今後シュペートレーゼ・トロッケンは無くなり、アルテ・レーベンが辛口のフラッグシップになるが、今の価格はカビネット辛口と1, 2ユーロしか違わないし、14,5樽はあるという。「醸造手法は以前と同じだ。フーダー樽に野生酵母に違いはない」、とオーナーはそっけなく言う。だから私が新しいスタイル、と感じたのは単なる思い込みかもしれない。2008年産はもうひとつ新しいワインをリリースした。『シュロス・グリュンハウス・ヴァイスブルグンダー』である。4年前に植えて今年が初収穫のヴァイスブルグンダー(ピノ・ブラン)を、シューベルト家が所有する森の樫で造った1000リットル入りフーダー樽の新樽で野生酵母によりアルコール発酵後、マロを行った。ほんのりヴァニラ、しなやかなでたっぷりとしたフルーツ感が魅力的なヴァイスブルグンダーだが、私の好みとは少し違う。フーダー樽2樽のみの生産。2007年に植樹したシュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)用のバリックも、自家所有する森の樫で造る予定だというが、アルテ・レーベン、ヴァイスブルグンダー、そしてシュペートブルグンダーと、フォン・シューベルト氏の舵取りは市場の動向に機敏に対応しており、それは1981年に醸造所を継いでからモーゼルで一早く辛口に力を入れた頃から変わっていないようだ。彼と話をしたことのある人は知っていると思うけれど、醸造所の歴史から畑の土壌まで熟知しており、中身の濃い話を聞かせてくれる。もっとも、それは彼の気が向いた時に限られるが。試飲はやがて醸造所の甘口以外のフラッグシップ、スペリオールに至った。修道院長の同義語である「ブリューダー・スペリオール」にちなんだ名を持つこのワインは2006年産が初リリース。古木には限らず、最上の区画からとにかく健全で完熟したリースリングをセレクションし、フーダー樽で野生酵母により発酵しているが、一貫して残糖分を残したファインヘルブである。2008ヘレンベルク・スペリオールは2007によく出会ったパイナップルのアロマがほんのり漂い、繊細な白い花の香り、フルーティで飲み手をそそる。熟した柑橘類がみずみずしく、エレガントで柔らかく、今飲んでもとても美味しく楽しめる。2008アプツベルク・スペリオールも繊細なニュアンス感があるが、ヘレンベルクよりもいくらか重心が低く、ミネラル感を伴う力強さがある。どちらかといえば男性的ではあるが、やはりみずみずしく、丸く調和がとれており、今から飲んで楽しく美味しい。同時に試飲に供されていた2007のアプツベルク・スペリオールはミネラルが透明感と調和の中により明瞭に現れ、上品な酸味が味わいの底部を支えている。そして2006アプツベルク・スペリオールは華やかで完熟した果実のアロマ、完熟からやや過熟したリンゴにほんのりナッツのヒントが熟成感を添えて、メタリックな印象を受けるミネラル感が面白い。アフタも長く、これもまた素直に美味しく、どんどん飲めてしまいそうだ。ドイツ語で言うTrinkspassを具現化したようなワインらではあるが、一本17~19Euroなのでおいそれとは開けられないところが残念ではある。試飲はさらに続く。2008グーツヴァインQbA feinherb。スペリオールの後だからか、直線的に感じられる。明瞭なミネラル。2008Herrenberg Kabinett feinherbもややあっさりとしているが、みずみずしさと上品さ、繊細なミネラル感に好印象。相対的に同2006の華やかなアロマが魅力的に感じられる。2008 Bruderberg QbAは安心の一本。典型的なシューベルトのQbA甘口。2008Herrenberg Kabinettはほんのり白桃、軽く繊細、白い花の蜂蜜、上品でかよわい印象。2008 Abtsberg Kabinettは少し重みのある柑橘、スパイシーなミネラル感。一方、同2007は申し分なしのカビネット。エレガント、白い花の蜂蜜、品の良いアフタが長く続く。2008Herrenberg Spaetleseは、シュペートレーゼの内容に相応しいかどうか?品の良さはあるもののやや弱い印象を受けたが、上記の通り、この醸造所のワインは、リリース直後は軽く感じることがあるという。1, 2年の熟成を経ることで真価を発揮するのだろう。2008Abtsberg SpaetleseはHerrenbergよりは白桃の漂うエレガントな甘み。3年前に収穫された2006 Herrenberg Ausleseは今飲んで素晴らしく美味しい。繊細で複雑な完熟した甘み、蜂蜜、白い花、非常に長くエレガントな甘い余韻。一方2008 Abtsberg Ausleseはフレッシュ感のある甘口、非常に香り高く高貴なリンゴだが、今はやや物足りなさが残る。残念ながら2008はNr.付きアウスレーゼは出来なかったが、2006 Herrenberg Auslese Nr. 49はExcellent!!!の一言。クリーミィ、複雑、ニュアンスに富み、申し分ない。試飲のトリは2008 Herrenberg Eiswein。12月30日の早朝5時から2時間半あまり、16人の収穫作業員が氷点下9度で収穫。1200Kgから得られた果汁はわずかに270リットル、糖度は160エクスレに達した。力強い蜂蜜、パイナップル、甘みのエッセンス、熟した酸味、偉大。なかなか葡萄が熟さなかった難しい生産年でも、きっちりとアイスヴァインまで収穫した醸造所の意地を見た思いがする。恐らく少なくともあと20年は余裕で熟成するだろう。164Euro(0.75Liter)と値段も偉大だが、ここまで来ると妥当な値段のつけようもないような気がする。ひととおり試飲した印象では、飲みごろに入った2007の良さが、2008にやや影を落としていた。2006も熟した果実の華やかさが魅力的であったし、もしも2008を買うならコストパフォーマンスからもAlte Rebenか。スペリオールを6本ずつ買って熟成を見るのも面白いかもしれない。もっとも、私には先立つ物が欠けるのだが、試飲させてもらえただけでも幸せなことであった。C. von Schubert’sche Gutverwaltung Gruenhaus (Ruwer/Germany)醸造所HP http://www.vonschubert.com/ (オンラインショップ有り)
2009/05/18
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クリスマス直前の週末、プレゼント探しで賑わう市街地を抜け出して、ザールのヴァインホーフ・ヘレンベルクへ行って来た。2007年産ゼクトの御披露目試飲会とのことであった。醸造所はザール川沿いの小さな集落ショーデンの中程にあり、見た目は普通の民家である。そこが醸造所であることを示す看板は一切無い。人目を避けるように裏庭に面した小さな試飲所が、かろうじて醸造所であることを示している。マンフレッドとクラウディア・ロッホ夫妻は1992年に猫の額ほどの畑で趣味としてささやかに始めたワイン造は、のめりこむうちに評判が評判を呼び、やがて副業となり、現在は本業であった自動車整備工を辞め専業農家となった。所有する葡萄畑は約3haだが、来年はもう一区画増えるかもしれないという。葡萄品種は98%がリースリング、残りはミュラートゥルガウだが、後々リースリングに植え替えていくそうだ。平均収穫量は30~35hl/ha、2007年産は33hl/ha。ちなみにVDP加盟醸造所のエアステ・ラーゲの上限は50hl/haである。ザールの醸造家マンフレッド・ロッホ。「本当は、もっと長期間瓶熟させたほうがいいんだけどね」と言いながら、マンフレッドは9ヶ月の瓶熟を経てリリースされたばかりの2007 リースリング・ゼクト・ブリュットをグラスに注いだ。原酒の持ち味がストレートに出ている、力強くクリアな酸味にミネラルのまっすぐなアクセントが効いた、マスキュランな発泡ワインであった。ちなみに、今回デゴルジュマンしたのは一部で、熟成を続けている残りは追々リリースしていくという。それにしても、マンフレッドのワインは恐ろしくパワフルだ。ビオロジックで栽培した葡萄樹の生命力に、一房あたりの葉の数を出来るだけ増やすことで太陽のエネルギーが葡萄に思い切り凝縮して蓄積されたようなワインである。葡萄の果皮についてきた自然酵母を培養し、スターターとして接種し発酵するが、破砕した果粒を数時間放置してアロマと成分を抽出することはしない。果皮に含まれる苦みを嫌うのと「繊細に構築された澄んだ果実味と、ザールらしい酸味を持つスッキリとしたスタイル」を目指しているからだという。ステンレスタンクでゆっくりと低温発酵、生産年によるが約8割は辛口に仕上げる。ショーデナー・ヘレンベルクのシーファーのストレートなミネラル感と明瞭な酸味の織りなす構造と力強さ、樹齢100歳というヴィルティンガー・シュランゲングラーベンの深みと滋味。素直で奥行きのあるアロマを持つ濃厚な果実味が見事なマンフレッドのワインを試飲するうちに、先日偶然収穫完了を祝っている所に出くわしたゴグレーヴェのワインを思い出した。二人ともワイン造りに魅せられて醸造家になり、どちらも自然酵母による発酵を行っている。ゴグレーヴェは伝統的な木樽で発酵する違いはあるが、それ以上に仕上がりには歴然とした差が存在し、マンフレッドの方が格段に素晴らしい。なぜだろうか。「例えば、夜中にケラーでやり忘れたことを思い出したとする」と、マンフレッドは言う。「ベッドの中でちょっと考えて、まぁ明日やればいい、と思って寝てしまうのが普通だろう。一方、思い出したら片づけるまで眠れなくなってしまう醸造家もいるわけだ。私みたいにね。木樽を洗うにしても、洗い方でワインに差がでる。熱湯でなくちゃだめだ。そうしないと木肌の気孔が開かないから汚れが奥まで落ちない。それに少なくとも30分はゆすり続けてやらなくちゃだめだ。大変な重労働なんだけど、それを手を抜かないで徹底して出来るかどうかは人によりけりだね」ワイン造りは畑から醸造に至る一年の作業の積み重ねであり、その一つ一つがワインの仕上がりに関わってくる。問題は最新のテクノロジーでも伝統でもなく、極めて平凡な日常の作業を徹底してやりぬくことが出来るかどうか。それが、優れたワインと凡庸なワインの差となって現れるのだと、私はマンフレッドの話を理解した。彼のワインはそうやって造られたワインだ。職人気質のワインと言ってもいい。万人に好かれる味ではないかもしれないが、それで良いのである。ワインも人も、個性があるからこそ面白いのだから。Weinhof HerrenbergHauptstrasse 80-8254441 Schoden/ Saarwww.lochriesling.de
2008/12/29
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カビネット・ケラーから小川を隔て、かつての施療院がある。内部は闇に閉ざされ、ひとつだけ開いた窓からの光が樽を照らす。あたかもワインを祀る神殿のようであった。
2008/12/19
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元は修道士達の仕事部屋であった。写本も出来るほど明るい光が窓から降り注いでいたという。1501年、この部屋の上に修道士の寝室が増築され、壁を補強するために窓が閉ざされ、酒庫となった。1730年に一画が「カビネット・ケラー」と呼ばれ、19世紀には州政府の貴酒蔵となる。ドイツワインの肩書き「カビネット」の由来である。
2008/12/18
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圧搾機が鎮座する部屋。1801年に最後の一基が制作されて以来、その数は変わらない。9基の沈黙が続く。
2008/12/17
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修道院を囲む森を抜けた先に、その斜面はあった。シュタインベルク。ここでは約800年前から葡萄栽培が続いている。
2008/12/16
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心が静かになる空間。教会の窓から夏の光。
2008/12/15
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ドイツのとある修道院の一室。かつて修道士達が寝起きした部屋という。人里離れた森の中、鳥の声と木立のざわめきが聞こえる。さて、どこの修道院でしょうか。
2008/12/14
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そこで収穫の完了を祝っていたのはオーバーエンメル村のモリッツ・ゴグレーヴェ醸造所の人たちだった。2004年に設立されたばかりの、まだ新しい醸造所である。所有面積はわずかに1.8ha。ヴィルティンゲンとオーバーエンメルのあちこちに少しずつ畑を持っている。モリッツはもともと調理人だった。アールのレストランに就職し、小さな渓谷を埋め尽くす葡萄畑を目したとき「本当に自分のやりたこと」を見つけたのだという。いくつもの醸造所に研修できないか聞いて周り、ことごとく断られた最後にJ.J.アデノイアー醸造所からOKをもらい、醸造家としての一歩を踏み出した。やがてザールのファン・フォルクセン醸造所の畑の管理を任されていたとき、オーバーエンメル村で借り手を探している葡萄畑があることを知り、即座に引き受けることにしたのだそうだ。「今年は難しい年だった」とモリッツ。「腐敗でまったく収穫出来なかった区画もある。夏からの低温で酸が分解しなかったうえ、紅葉してからは光合成が出来ずに糖度も上がらなかった。大体80エクスレ止まり。10月中旬からリースリングの収穫を始めた醸造所もあったけど、その頃酸度は16g/Literもあったんだよ!とんでもないよね。今は9g/Literくらいに落ち着いているし、今日は最高の収穫日和だった!今年の収穫量は全部で5000リットルくらい。でも、満足しているよ」5000リットルというと伝統的なフーダー樽で醸造している彼のセラーでは5樽がやっとだ。樽売りした場合一リットルあたり今の相場だと85セント(約100円)にしかならない。単純計算すると見込まれる年収は、わずかに50万円。だからモリッツは全て瓶詰めしてレストランと個人顧客を中心に販売している。一本あたりの単価は4.50~12Euro。順調に売れたとして専業農家としてなんとか凌げるほどの収入であろうか。「今年は難しい年だった」と言いながらも笑顔のモリッツ・ゴグレーヴェ。「自然を相手にした仕事だし、それがしたかったわけだから」とモリッツは笑う。収量を40hl/haに抑え、天然酵母で発酵し、酵素などの醸造用補助物質は用いない。畑のミネラルとザールの酸が素直に表現されたワインであった。スウェーデンやベネズエラから収穫手伝いに来たという彼らと一緒にワインを飲みながら、私は同じザールのショーデン村にあるヴァインホフ・ヘレンベルクのマンフレッド・ロッホを思い出していた。マンフレッドも最初は1haに満たない畑から自動車整備工のかたわら副業としてワイン造りを始めたが、現在は3haの畑を持つ専業農家となり、ロバート・パーカーのワインバイヤーズガイドでもExcellent Producerの評価を受けている。19世紀に行われた格付けではグラン・クリュに指定されたという畑のポテンシャルからすれば、モリッツにもそれは不可能なことではない。恐らく設備投資が必要かもしれないが....。気がつくと帰りの列車の時刻が近づいていた。私は礼を言ってその場を辞した。振り返るとすっかり傾いた太陽に代わり、葡萄畑のむこうから白く光る月が昇りつつあった。Weingut Moritz GogreweAgritiusstr. 4D54329 Konz-Oberemmelhttp://www.weingut-moritz-gogrewe.de/
2008/12/04
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ワイン好きにも色々あるが、飲んでいるだけでは飽きたらずに産地に足を運んで醸造所で造り手と話をしているうちに、いつしか、葡萄畑で収穫作業を手伝っていたりする。ラルス・カールベルクもそんな若者の一人だった。2005年の秋のことだ。モーゼルとラインの合流点に近いヴィニンゲンのR&B クネーベル醸造所の収穫作業を手伝っている時、セラーマスターのゲルノート・コルマンから「ちょっと、話があるんだ」と葡萄畑に呼び出されて段々畑に行くと、彼の知り合いだという企業経営者に引き合わされた。「どうだろう。君はアメリカ出身でドイツ語も英語も出来るし、ワインにも造詣が深い。ひとつ、モーゼルのワインをアメリカに輸出してみないか。資金は私が出そう。アイテムのセレクトは君に任せる」レストランやワインショップのバイトを点々としていたラルスにとって、願ってもない申し出だったに違いない。こうして、『モーゼル・ワイン・マーチャント』Mosel Wine Marchantが設立されることになった。トリアーの街中にある屋根裏部屋を改装したアパートがラルスの事務所兼住居だ。通りに面したイタリア料理屋の脇にある扉をくぐり階段を上る。エレベーターは無い。がらんとした居間にワイン本の並んだ本棚とテーブルが一つ、椅子が3つ、壁のそばにソファーがひとつ。「もともと、フランスワインが好きなんだ。とりわけローヌ。モーゼルとローヌは似ているよ。特にモーゼル下流の段々畑の景観なんか、ローヌにそっくりなんだ。それとブルゴーニュにも似ている。ブルゴーニュは赤ならピノ・ノワール、白ならシャルドネ。モーゼルはリースリング。いずれも一種類の葡萄から造ったワインでテロワールが表現されるところは、同じくらい面白いよね」ラルス・カールベルク。1973年生まれのドイツ人の母を持つアメリカ人。1994年に母の故郷トリアーに語学留学したのがドイツワインに触れるきっかけとなる。大学では経済学を専攻。そういうラルスが選んだのはR&Bクネーベル、クレメンス・ブッシュなど現在8醸造所。この2カ所は有名だが、ギュンター・シュタインメッツ、シュタインなどはほとんど知られていない。知名度ではなく、クラフトマン・シップと伝統を感じられる醸造所を選んでいるそうだ。ほとんどの醸造所は輸出しようにもノウハウが無い。代わりにラルスがコンテナを仕立て、税関用の書類手続きを作成し、輸出している。「それだけじゃないよ。顧客も開拓しなければならなかった」2007年4月、1万ユーロ分のワインを買い付けて輸出し、ニューヨークの倉庫に着けたはいいが、引き取ってくれるワイン商を探した。「でも、買ってくれれば誰でもいい、という訳にはいかなんだ。信頼あるワイン商をパートナーに選ぶことが大事。そこからエキスポーターとしての信用も生まれてくるから」それはドイツの醸造所にとっても言えることで、パートナー選びは醸造所のマーケティングに重要な意味を持つ。また、インポーターがその市場に与える影響も大きい。北米市場でのドイツワインの成功を考える時、ふたりのインポーターの存在が指摘される。一人はルーディ・ヴィーストRudi Wiest。ドイツワインを扱い始めた当初からVDP加盟醸造所に的を絞り、高品質なドイツワインを紹介してきた。もう一人がテリー・タイスTerry Theise。長年に渡り現地で熱心にセレクトしたワインを輸入している。また、ドイツのエキスポーターも海外市場に重要な役割を果たしている。ケスペルヘアKespelherは小規模無名でも優れたワインを造る醸造所の発掘に定評があり、ワインコンサルWineconsaleは最新動向に通じ、モーゼルのゼルバッハは醸造所としても有名だが、大手醸造会社兼エキスポーターでもある。マドンナで有名なファルケンベルクもVDPと親交の深い有力エキスポーターだ。日本へ輸入されるドイツワインの大半は彼らを通じたものである。「大手と競合したくないし、僕はニッチ市場を目指す」と、ラルスは小規模醸造所のリースリング辛口に力を入れている。「伝統的なモーゼルは辛口だったんだ。昔は酵母の活動が自然に止まるまで発酵を続けていたし、大抵はセラーにあった暖炉で部屋を暖めて、発酵を促していたんだよ。シュタイン醸造所のおじいさんから聞いた話だけどね」一人でワイン選びから輸出手続き、そして販売と試飲会のオーガナイズまですべてをこなしているラルスは「本当は内気なほうなんだ」と言いながらも延々としゃべり続け、気がついたら夜中の1時を過ぎていた。「僕の最大のメリットは、現地に住んでいるということ。海外から見えないことも、ここならすぐに確かめることが出来る」そうして得た情報はブログやホームページで発信しているし、ワイン選びにも反映されている。特にクネーベルとクレメンス・ブッシュは僕も好きな醸造所だし、今年からザールのペーター・ラウアーをラインナップに加えたそうだ。ここは最近急速に評価を高めている醸造所だ。彼のマーケットである北米に限らず世界的に経済状況は難しいが、丁寧に選んだモーゼルのワインをほぼ手作業で輸出するラルスの仕事が、今後伸びていくことを期待したい。現地エージェントを探している日本のインポーターさんがいれば、彼に一度コンタクトしてみるのも一案ではないかと思う。
2008/10/28
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一時間に一本だけ停まる列車がヴィルティンゲンの駅を去ると、あたりには田舎らしい静けさが残った。学校帰りの子供達の談笑と鳥の声、スクーターが長閑なエンジン音を響かせながら、ゴシック様式の村の教会の尖塔を目指して歩く僕の傍らを追い越していく。毎年8月最後の週末に開催されるファン・フォルクセン醸造所の新酒試飲会も今年で7回目だ。その度に、初めて会った時のローマン・ニエヴォドニツァンスキーの様子を思い出す。顧客達が座るテーブルの前で、緊張にうわずった声を時々かすれさせながらプレゼンテーションしていたローマンは誠実で、そしてナイーブな青年だった。車がやっとすれ違える程度の村道を思い出に浸りながら歩いていると、後ろから低い唸りをたててポルシェ・ケイマンが近づいてきた。新酒試飲会のある週末は、醸造所の前の教会の周囲が一流ホテルの駐車場さながらに高級車でいっぱいになる。近年は人混みをかき分けながら試飲しなければならないほど賑うので、今回比較的空いていそうな月曜午後に行ったのだが、あまり意味はなかった。金曜から日曜までの三日間で1400人あまりが訪れ、その日も200人は来ていただろうか。新酒試飲会場であるかつてのイエズス会修道士達の食堂。さて、2007年産の出来映えは、素晴らしいの一言に尽きる。繊細で緻密、クリーミィな舌触り、ニュアンス感に富むエレガントな果実味にグレープフルーツ、完熟したリンゴ、ほのかにパイナップルが見え隠れしつつ、肌理の細かいシーファーのミネラル感とアロマティックな柑橘が長い余韻を残す。畑毎に微妙に果実味やミネラルのトーンが異なり、濃厚でありながら非常にエレガントで、熟成のポテンシャルも十分だ。理想的な天候がこの完成度の高さに寄与していることは確かである。例年より一ヶ月あまり早い5月下旬の開花により最長155日に及んだ成熟、十分な降雨量、そして生産者が口をそろえて「夢のようだった」と言う10月の安定した晴天続きの天候のもと、50人あまりの収穫作業者を動員し、贅沢にタイミングを選んで徹底的な選果を行い、畑によっては3回に分けて完熟した房を選りすぐった。平均収穫量は47hl/ha。従来よりも増えているが、これは密植栽培(樹間90cm)にした結果であるという。また、夏場に房を半分に切り詰め、果汁の凝縮度をあげている。2004年産からケラーマイスターを努めるドミニク・フェルク。醸造面では最長36時間に渡る低温下でのマセレーションの後、昨年導入した伝統的かご型圧搾機を原型としたスイス製最新式プレスマシンで搾汁、100%自然酵母で発酵。培養酵母、酵素、清澄剤など合成物質を一切用いず、極力発酵中のモストへの操作介入を控え、テロワールが葡萄にもたらした味を最大限にワインに表現することを目指したという。パーフェクト。優れた畑から理想的な収穫を、可能な限り最善を尽くして醸造されており、これ以上のザール産リースリング辛口はおそらくありえないだろう。オーナーのローマン・ニエヴォドニツァンスキー。「僕は最高の品質を目指している。最高の品質は、最上のテロワール、最上の遺伝的素質を持つ葡萄樹、ビオロジックな土壌の世話、優秀な従業員の熱心な仕事、リスクを恐れないこと、そしてきつい仕事のみが可能にする」とローマンは確信を持って言った。そしてまた、「偉大なワインを造る事は、正確な手作業による仕事とともに、なにより『信仰』が必要なんだ」とも言った。「『信仰』ですか?なんだか宗教みたいですね」「そうだよ。美しいもの、真実なもの、善なるものが存在することへの確信だよ。これがなくては、最高の品質を目指してリスクを負いながら、必死に働くことは不可能だ」私は彼のこの7年での成長ぶりに目を見張らざるを得なかった。その野心と情熱は最初から変わっていないのだが、語る言葉から伝わる重みと説得力は、以前とは比べものにならなかった。「最高のワインを造ることは、決して到達することの出来ない永遠の目標だ。トップ醸造所を目指すことは、絶え間なく、そして際限なく全力を尽くし続けることでもある」「しんどいですね。疲れませんか」「疲れるよ。すごく。登山と同じで、頂上に近づけば近づくほど、空気は薄く息苦しくなる。だけど、私の醸造所はザールで最高の畑を持っている。シャルツホーフベルク、カンツェマー・アルテンベルク、ヴィルティンガー・ゴッテスフースにヴァヴェルナー・ゴールドベルクなど。これらの畑を所有することは、偉大なワインを醸造するチャンスを得たことでもあるが、そこから最高のワインを造るという責任を負っていることでもある」ヴァーヴェルナー・ゴールドベルクWawerner Goldbergは彼が2004年に購入し、2007年産が初リリースの新たなVDPエアステ・ラーゲ(グラン・クリュ)だ。1868年の租税調査の際にはカンツェマー・アルテンベルク等と同格に評価され、1908年の競売ではエゴン・ミュラー、Dr. ターニッシュと並び最高価格で落札されていた。だが、所有者であったヤコブ・リンツ醸造所Jacob Lintzはいつしか消滅し、ヴァーヴェルン村の葡萄畑が持つポテンシャルも忘れ去られていた。ローマンは購入した12haのうち、古木があった約4haを除く7.5haに19種類約10万本に及ぶリースリングのクローンを密植。それもマルクス・モリトール、カール・シュミット・ワーグナー、マルセル・ダイスから取り寄せた、セレクション・マッサールによる優れた遺伝的素質を持つ自根の苗木である。最高のワインを目指すためには妥協を許さない。一見わかりきったことであっても、それを実行し成果をあげるのは、容易なことではない。1999年の購入当時は13haだった醸造所が所有する畑は現在約40haに達し、さらに約8haを委託栽培している。「もうこれ以上畑は買わないって、妻に約束したんだ」とローマンはいたずらっぽく笑った。「醸造所の立ち上げはゴールドベルクの整備で完了したし、来年1月には子供が生まれる。そうしたら少し落ち着いて家にいるつもり」ローマン・ニエヴォドニツァンスキー。ドイツのビール業界最大手ビットブルガーの御曹司の彼が33歳ではじめた挑戦は、40歳で見事に実を結んだ。ローマンのもとでザールのリースリングは、100年前に称えられていた品質と名声を再び取り戻したと言って良いだろう。豊富な資金に強靱な意志と統率力。彼のような人材は、滅多にないに違いない。「ザールがあなたを見いだしたのは大変な幸運でしたね」と言って、僕は主語と目的語を取り違えたことに気がついた。「いや、あなたがザールを見いだしたのか」ローマンはくしゃりと笑顔をつくり、顧客達で賑わう新酒試飲会場へと去っていった。ザールがローマンを見いだしたのか、ローマンがザールを見いだしたのか。いずれにせよ、ザールのポテンシャルを世に示すことは、彼に与えられた召命Berufungであったに違いない。そして彼を慕う若手醸造家達、たとえばアイルのフロリアン・ラウアー(Weingut Peter Lauer)も、やはりテロワールを重視した醸造哲学で頭角を現しつつある。ザールの未来は明るい。『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである』(ヘブル人への手紙11.1)これから30年、力の限り最高のワインを目指し続けるというローマンに、とこしえに主の加護と導きのあらんことを。Weingut Van VolxemDehenstr. 254459 Wiltingen/ Saarwww.vanvolxem.com以前のVan Volxem関連記事:Feb. 2002/ Feb. 2003/ Aug. 2003/ Okt. 2003/ Okt. 2004/ Aug. 2005/ Okt. 2005/ Aug. 2006/ Okt. 2006/ Aug. 2007/ Dez. 2007
2008/09/04
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フォン・オテグラーフェン醸造所。樹齢70~150年の大木が囲む醸造所の起源は16世紀まで遡る。邸宅の背後に見えるのがカンツェマー・アルテンベルク。ザール河沿いを走る各駅停車からカンツェムの駅で降り、アルテンベルクの急斜面を左手に眺めながら私道を少し歩くと、フォン・オテグラーフェン醸造所Weingut von Othegravenがある。エゴン・ミュラー、フォン・ヘーフェル等とともにVDPに加盟しているザールを代表する醸造所のひとつだ。鬱蒼とした木立に囲まれた邸宅の敷地に入ると、刈りたての芝生の匂いが立ちこめる広大な庭が広がっていた。その一角の臨時に設営された天幕の下で訪れた人々の相手をしていたのは、ケラーマイスターのアンドレアス・バートであった。アンドレアスはモーゼル下流ニーダーフェル村にあるルベンティウスホフ醸造所Weingut Lubentiushofのオーナー兼醸造家でもある。2004年にフォン・シューベルトに移籍したシュテファン・クラムルの後任として、2005年からフォン・オテーグラーフェンの醸造を任されている。収穫量を絞り込み、ステンレスタンクで天然酵母により発酵する。弁護士の卵から醸造家に転身したアンドレアスは、醸造家の『常識』にとらわれずに、自らの経験に基づく直感を大切にする主義だ。2007年の平均収穫量は49hl/haと前年の28hl/haに比べて多く、「質・量ともに理想的な、言うことなしの生産年」だったという。「今年のカビネットは本当にカビネットらしく軽やか。果汁糖度は83~84エクスレ前後。ここ数年はカビネットと言いつつシュペートレーゼまがいのしっかりしたワインが多かった」「マセレーションはほとんど行わなかった。圧搾後にモストを試飲した際、その必要を感じなかったから」とアンドレアス。QbA辛口からアイスヴァインまで15種類を試飲したが、一貫して繊細で上品。カンツェマー・アルテンベルクの他に、ヴィルティンガー・クップとオックフェナー・ボックシュタインを所有している。ボックシュタインのたっぷりとして明瞭な完熟したリンゴに白桃のアロマに対し、カンツェマー・アルテンベルクはシーファーのミネラルとやや地味な柑橘の果実味が、いぶし銀の様な落ち着いた印象を与える。中でも樹齢80~90歳のリースリングによる2007 Kanzemer Altenberg, Riesling Spätlese -Alte Reben- Erste Lageの繊細な深みと広がりは、この畑のグラン・クリュとしてのポテンシャルを十分に示していた。フォン・オテグラーフェンのボトル。生産地域名『Mosel』は裏ラベルに記載、写真の表ラベルには『Kanzem an der Saar』と表記してある。ちなみに、上記の三つの葡萄畑はいずれもVDPがエアステ・ラーゲErste Lageに認定しているが、フォン・オテグラーフェンでは『カンツェマー・アルテンベルク』のみをエアステ・ラーゲとしてリリースしている。オックフェナー・ボックシュタインも勝るとも劣らず素晴らしいですね、と言うと、オーナーのDr. ハイディ・ケーゲル-1995年に醸造所を叔母から相続するまでケルンの病院で麻酔科部長をしていた-によれば、エアステ・ラーゲとしてリリースする為には、畑の他の所有者と合意の上でなければならないのだという。例えばオックフェナー・ボックシュタインはVDP加盟醸造所ではツィリケンとザンクトウルバンスホーフも同畑に区画を所有しているが、足並みをそろえることは難しいらしい。めんどうなんですね、と言うと、「そこがV-D-Pなのよね」と、今年で設立100周年を迎える著名醸造所団体の略称を一文字ずつ区切って発音し、苦笑を浮かべた。しかしいずれにしても、2000年産から醸造所の評価を高めてきた前任のケラーマイスター、シュテファン・クラムルの後任をアンドレアス・バートが引き受けたことは、幸運な出会いだったようである。Weingut von OthegravenWeinstrasse 1D54441 Kanzem醸造所HP: www.von-othegraven.deフォン・オテグラーフェン醸造所訪問 2003年10月http://homepage3.nifty.com/mosel2002/page031.htmlルベンティウス醸造所訪問2007年7月http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/diary/200707280000/
2008/08/17
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