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先に読ませていただいていたピースボート乗船ブログには、チェンマイへ遊びに行くと言う方は多数おられますが、本当に来る人がいるのかなー? もし来られたら、どこを案内したら良いのでしょう?と、記されていました。105日目の7月26日に横浜で下船した後、ブログ主は7月末に移住地のチェンマイに戻られたようです。訪問1か月前の8月上旬には、来訪者に備えて象が絵を描くのが見られるツアーの下見です。筏に乗ったり、カレン族の部落訪問もあり、ランチ付きで1日8000円です。ずいぶん力が入っていますね。9月上旬にゲストさんがチェンマイ到着です。1時間10分かけて徒歩で空港までお出迎えです。チェックインのあとSCでウィンドーショッピングやおしゃれなお店でティータイムです。お昼はカオソーイ、夜は現地の友人が加わって食事です。お代はひとり1100円ほどなので、貧乏生活のブログ主にとってはいつもの倍以上の出費だったようです。翌日は金曜朝市やワロロット市場、寺院にも行ったようです。ゲストさんが調べてきたこじゃれたお店で、かき氷を食べたら1000円もしてブログ主はぶったまげたようです。これまでこのブログでは見たことのないお店で、これが1000円なら安いでしょう。当地でも1500円、東京なら2000円くらいでしょう。1000円にも満たない夕食の前後にSCめぐりで、午前様でした。当地のお店のかき氷です。3日目は象のツアーでした。ゲストさんは、6000円で象が描いた絵をお買い求めです。その後SCめぐりで、またまた午前様です。「事件」は4日目に起こりました。例によってSCめぐり、食事のあと、ゲストさんがマッサージに行きたいと言い出して、ブログ主は「チェンマイは9時でおしまいなのでNG、SCめぐりを減らしたら行けたのに」と言い返し、双方のこれまでの不満が爆発です。ブログ主は、自分が立てたスケジュールがたびたび変更され、ホテルに戻るのもいつも深夜との不満です。一生懸命準備してきたことが台無しになったと、ゲストさんに怒りをぶちまけてしまったようです。結局、この帰国前日で喧嘩別れとなりました。気も使い、金も使い、時間も使ったのに怒られてしまいましたよ。と、ブログに記しています。案内したところやお金のことは、毎日ブログアップされていましたが、3日目までは振り回されているけど耐えられるというニュアンスでしたが。4日目のものは、相手を悪しざまに記しています。これに対して、「行きたいところがあれば、自分で調べて行け、若者を甘やかすな」といったようなコメントも投稿されていました。続けます。
2024.09.30
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第3回目の例会では、後半のスウェーデン旅行のスピーチです。コペンハーゲンから以前働いていたマルメまでは電車で20分くらいだそうです。マルメはスウェーデン第3位の都市で人口は30万人。以前働いていた病院のラボは細胞学研究所になっていて、マルメ総合病院はスコーネ州立大学病院になっていたそうです。自分が住んでいたアパートは、学生寮に。当時の上司が住んでいたプール付きの大邸宅にも行ってみたが、空き家だったそうです。昔現地で知り合った同郷で高校も同じという女性とも再会できたそうです。父親に勘当されてスウェーデンに来たので帰国せず、ずっと同地で暮らし、今は年金生活だそうです。普通に働いて真っ当な年金、福祉国家ですね。発表者は年金に入れなかったが、その分給料から保険料を徴収されなかったので手取りがよかったと以前話していました。コペンハーゲンは当時何度も行ったことがあるということなので、人魚姫像やチボリ公園についてお聞きしました。*小ささが有名な像です。ドイツは25度と快適でしたが、スウェーデンは14~18度と寒いくらいだったそうです。コートを持参せず、しんどかったようです。食事は日本食がずいぶんポピュラーとなっていて、鶏丼と海鮮丼を食べたそうです。ただ、食堂はベトナム人がやっていて、ごはんが長粒米でぱさぱさ、少し酸っぱかったとも。イタリア料理も食べたが、そちらはgoodだったとも。レストランで6回食事したが、現金払いは1回だけ。かなりのキャッシュレス社会と話していました。ドイツで相当疲れたようで、ご主人はほとんどホテルで静養していたようです。帰りは、コペンハーゲンからフランクフルトへ、そこからルフトハンザで東京へ戻ったそうです。フライトの快適さを強調していました。ビジネスクラスなら、ほぼフラットのシートでしょう。いろいろとトラブルがあったが、結婚披露宴の参加と旧友との再会が果たせてよかったと話していました。ご主人は脱水症状のこわさを認識し、自分は体力の衰えを感じたので現在筋トレに励んでいるとのことです。母をヨーロッパ(オーストリア・ドイツ・フランス)に連れて行った時、個人旅行なので、旅行前に毎日歩いて体力づくりをしていたことを思い出しました。写真を見せていただいたりの長い長いspeechで、次の人の分は一部発表で来月にずれ込みです。
2024.09.23
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船内のイベントは毎日、色々と沢山あります。ブログ主は、ウクレレ、社交ダンス、サルサは、欠かさず、参加しています。その他、凄い沢山のイベントがあるのですよ。リストアップしますと、水彩画教室、合気道、バレエ、小倉祇園太鼓、トランプマジック、パドルテニス、阿波踊り、ベリーダンス、南京玉すだれ、般若心経、毛筆、ラジオ体操、太極拳、卓球、ヨガ、空手、将棋、バレーボール、切り絵、折り紙、合唱、琴、古武道言葉も、英語、日本語、中国語、スペイン語、ベトナム語、韓国語とクラスがあります。楽器は、ギター、ウクレレ、フルート、横笛、オカリナ、尺八、草笛などがあります。その他、講演や映画も毎日ありますし、サウナやジャグジー、ジムもあります。レベルに合わせて設定されているようで、中間の発表会のあと最後の寄港地から日本までの間は発表会の最終仕上げです。練習は、和気あいあいかというと、そうでもないようです。舞台に上がってリハーサルです。しかしながら、その後ろのくそ婆、早く上がって来いと言いやがりました。嫌なババアですなー、まだ、皆並んでいて、上がれないのですよ。いつも、ごちゃごちゃ言っているくそ婆なんです。優しいお婆さんもいれば、こう言うくそ婆もいますなー、世の中は、面白いです。ブログ主のグループは、「ほっしーと美男美女たち」、です。白いブランコを唄いました。意外と声も出て上手く唄えたと思います。しかしながら、くそ婆がいたのです。一番前の席で大きな声で唄っていたのです。発表会ですから、一緒に唄って下さいと、言われない限り聞くでしょう? なのにどでかい声で唄って、ソロのアジアの星一番の邪魔をしました。信じ難い、バカくそ婆ですね。いつもそうなんです。でしゃばりです。最終発表会の時もそのくそ婆の声のみマイクから出て、ウクレレが聞こえなかったと言う苦情が後で来たそうです。こう言う言いたい事を言って出しゃばりのくそ婆とは付き合いたくないですね。出来るだけ距離をおきたいです。むかっ腹が立ちました。ウクレレメンバーで5階のロビーで記念集合写真です。ブログ主は、一番後ろの方にいます。でしゃばりのくそ婆は、最前列にいますぞ。必ず良い位置を確保するでしゃばりです。と、「でしゃばりのくそ婆」のことが、終盤のブログに何度も出てきて、ご本人の名前や写真もブログアップされていました。これには、こんなコメント(99日目 ウクレレ 発表会 サルサ打上)が、書き込まれていました。以前から気になってましたが、人の悪口をブログに書くなどやめませんか?しかも、写真付きで。読んでいて非常に気分が悪いです。船旅に興味があって読んでましたが、人間関係が煩わしそうで、私には向かないことが旅に出る前に分かったのは良かったですけど。 (2024.07.22 09:44:09) by ひまじんさん私も同感で、ブログ主に指摘しても聴く耳を持たずです。気に入らない人を自分のブログで貶して、写真までアップというのは、いかがなものでしょうか。何か病的なものを感じます。習い事以外に、相部屋ではこんな事件もあるようです。部屋締め出し事件実は、メキシコのマンサニージョに連れて行って貰った方が、深刻な表情で、エレベーター前で話しかけて来ました。な、なんと、同室の人に泥棒扱いされて、部屋を閉め出されたと言うのです。まさか、そんな事をする方ではありませんから、濡れ衣は晴れたのです。しかしながら同室です。問題は残りますわな。内側から鍵を掛けられて、部屋へ入れなかったそうです。ピースボートに相談しても埒が明かず、結局、毛布を借りてソファで寝たそうです。相部屋の問題は沢山聞きます。部屋を替わって100万円、二人で負担したとか、我慢仕切れず、下船して帰国したとか。我が友、梅ちゃんも、同室の人と全く言葉は交わさないそうです。問題は多いですねー! その辺りを懸念して、お金は高いですが、一人部屋を選びました。一泊2泊ならば我慢すればいいですが、3ヶ月半も一緒だと、我慢しきれませんよね。合わない人が、同室になった場合ですが。一人部屋は、気楽です。何しろ、毎日ブログを書きます。ですので、机と椅子は必須なのです。ですが、相部屋ですと机は一つらしいのです。相部屋は無理です。100万円ほど相部屋より高かったですが、一人部屋にして正解でした。朝早くからソファで寝ている人がいたり、6階や7階の机でパソコンを広げて作業している人たちがいますが、相部屋の人なんでしょうね。部屋に居られないのですよ。 大変ですな、相部屋は。*一人部屋だと若い女の子がやってくるようです。ブログ主は、船旅で出会った人にチェンマイ在住を吹聴していたようです。挙句の果てに、こんな悩みも抱えました。チェンマイへ遊びに行くと言う方は多数おられますが、本当に来る人がいるのかなー? もし来られたら、どこを案内したら良いのでしょう?案内するところ、あんまりないですよね。お寺廻りも面白くないでしょうし、夜にならないと繁華街も人が少ないし、困りますなー。チェンマイの皆さんに聞いて見ましょう。本当にチェンマイに行った人がいたようですが、その話は後日ブログアップするとして、ひとまずこのシリーズはおしまいです。食事といい、寄港地での観光といい、この船旅は自分には合わないと感じました。船旅も2日くらいが限度でした。ブログアップされる毎日豪華な食事というのもダメです。世界の貧困や食糧危機もピースボートのテーマだと思うのですが、どうなのでしょう。世界一周は3度やったことがありますが、いずれも飛行機利用のBusiness Tripです。期間も2週間くらいでした。やっぱり、気に行ったところをゆっくり回る旅をしてみたいです。長くて1か月くらいでしょうか。
2024.09.22
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以前断続的にブログアップしていました(直近は7月8日アップの#18)が、思うところあって再開です。80日目 7月1日(月) マンサニージョ(メキシコ)に続く寄港地は、87日目 7月10日 バンクーバー(カナダ)、89日目 7月11日 ケチカン(米国)、95日目 7月16日 スワード(米国),105日目 7月26日 横浜 下船です。ピースボートの公式YouTubeでは、毎回観光の様子がアップされています。お天気の良い日ばかりで、名所を巡り、現地のレストランでおいしいものを食べてショッピング。とても楽しそうです。でも、これはピースボート主催の「高い」現地ツアーの光景のようです。旅は夢を売る商品ですね。件のブログでは、自力で移動して名所は入場料が高いのでスルーです。食事も現地では高いので、船の食堂の余り物を持参して公園のベンチなどでランチです。夕食は船で食べれば余分なお金がかからないので、早めに帰船です。ナイトライフを楽しむこともありません。1日ツアーというよりも半日ツアーです。ブログ主も旅の終わりに次のように記しています。バックパッカーとして旅が出来る内は、船でなく、そう言う旅をしたいです。行きたい町、地域で、良かったら何泊もする、そう言う旅が好きです。船の上陸はほとんど1日しかないし、それも大した街ではないです。その楽しみは少ないですよ。船の中の生活が充実していないと、楽しみは少なくなりますね。今回の船旅の寄港地は、横浜 / 神戸、深圳(中国)、シンガポール、クアラルンプール[ポートクラン](マレーシア)、ポートビクトリア(セイシェル)、ポートエリザベス(南アフリカ)、ケープタウン(南アフリカ)、ウォルビスベイ(ナミビア)、ラスパルマス[カナリア諸島](スペイン)、リスボン(ポルトガル)、ル・アーブル(フランス)、ロンドン[ティルベリー](イギリス)、ベルゲン(ノルウェー)、レイキャビク(アイスランド)、ニューヨーク(米国)、カルタヘナ(コロンビア)、クリストバル(パナマ)、プンタレナス(コスタリカ)、マンサニージョ(メキシコ)、バンクーバー(カナダ)、ケチカン(米国)、スワード(米国)ですが、大した街でないそうです。この辺は、価値観の違いでしょうか。LDNとNY以外は1泊の寄港というのは、確かに物足りないですね。テレビで見かける顔としては、高橋和夫教授(最後まで乗船して何回かウクライナ戦争やガザ問題などの講演会を行ったようです。)と、たまにサンモニに出ている共同代表の畠山澄子さんのことが記されていました。(あるイベントで)一番受けたのは、司会をやっている畠山澄子さんの失恋話です。この方は、テレビにも出ている有名な方なんです。しかし、話しましたぞ。19歳から7年間付き合った彼氏から、ニューヨークで別れ話をされたそうです。遠距離恋愛だったと言う事です。サンモニ出演の時の状況などを話していました。畠山澄子さん綺麗な方ですね。7月28日のサンモニに出演するそうです。35歳位なんですね。19歳で初船に乗ってから16年と言っていましたから。同じテーブルで夕食をとる機会があって、写真がアップされていました。
2024.09.21
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メキシコへは2回行きました。いずれも出張で、行きはともにNYから、帰りはLA経由とSF経由でした。LAはトランジットの免税店で、野茂のサイン入りボールを息子のお土産で買いました。メキシコのお土産は、鮮やかな鳥が描かれたTシャツです。SFはストップオーバーしてアルカトラズ刑務所などを観光しました。いい町で、全米人気NO.1というのがわかります。訪問地は、メキシコシティのみです。客先のビジネスアワーは午前中だけで、午後からはフリータイム=観光でした。もちろんホワイトカラーだけで、工場は午後もやっているそうです。市内ではフォルクスワーゲンがたくさん走っていたのが、印象的でした。郊外のティオテワカンのピラミッド、太陽と月にも上りました。現地の食事は、牛肉料理が多かったです。量は多く、駐在員が余った分を家族用に包ませていました。給料は円建て、ペソ安で生活が楽だと言っていました。最初から脱線しましたが、件のブログで気になるところがありました。78日目 6月29日(土) この会食(Sさんの誕生日会)で、気になる事がありました。Kさんは、このブログを読んで下さっています。そしてルーシーの事を書いているので、怪しい関係と言われたのです。しかしながら、ここで明確に言っておきますが、全く怪しい関係ではありませぬ。極親しい、仲の良い友人なんです。怪しい関係なんて、ルーシーに失礼です。なんせ、45歳差なんですよ。そんな歳の差で、恋する事なんてあり得ません。分かりましたか? 読者の皆さん、決して怪しい関係ではありませぬ。1記事あたり300PV台のブログです。ピースボート船内でも読まれているのですね。でもこのブログ、文中にはニックネームもありますが実名もあります。更に、写真もアップされているので大丈夫かなと思っていましたが、やはり心配する人がいるのですね。夫婦で参加なら不在が一目瞭然ですから、留守宅が心配ですね。もっとも、その後のブログも79日目 6月30日(日)15時から、トロピカルビアガーデンが開きます。ルーシーに誘われました。12階に行きますと、炭火で、カニやイカなどを焼いています。ルーシーに誘われたのですが、単なるスポンサーとして、呼ばれただけですな。カクテルとつまみで、4100円でした。安くはないですが、まぁ、良いでしょう。と、本人も金づるであることは自覚しているようです。82日目 7月3日ホィールハウスバーへ行き、生バンドの音楽を聞きながら飲みました。そうそう、ルーシーも来ていました。どこかの爺さんと二人で親しそうに話しながら飲んでいましたぞ。まぁ、若いのだから、楽しくやって下さい。嫉妬しているところが、おかしいですね。この記述以前にも、約束をすっぽかされて煮え湯を飲まされていても、声をかけらるとおねだりに応じるあたりは、どこかの政党と同じで踏まれても踏まれても離れずついてくる下駄の雪ですね。遡ると、こんな意味深な記述もあります。64日目 6月15日 本日、もう誘わないと思っているルーシーから何度か電話がありました。ここには書けないですが、私にとって理不尽な要望があるのです。困りますなー! 出来ればあまりお付き合いしたくなくなりました。 それにしても、このルーシーという女性は、何人かの老人男性を手玉にとってだだ酒、ただ飯にありついているようです。4人部屋で落ち着けないからという理由で、ひとり部屋の老人男性ねらいです。ピースボートが、ピンクボートなんて言われるのも、こんなところからでしょうか。とはいえ将来ある若い女性ですから、ブログの彼女の顔写真は削除かマスキングしてあげたらいいですね。それとも御同類たちへの警告?まあ、夢中になっているようなのでそれはないでしょう。むしろ、自慢ですね。参考: 【船内生活】100日を超える世界一周の船旅。船内では一体何が行われているのか!? - YouTube ⛴この船は本当に豪華客船か!? ⛴この船が他と違うところって? ⛴この船がピンクボートだって? ⛴この船の噂がなぜ絶えないか ⛴乗らないほうがいい人とは? ◆Timetable◆ 1:20 ピースボートは貧乏人の船か?7:00 貧乏人の船のゆえん12:30 ピンクボートの実態とは16:10 結局、ピースボートはどんな船か
2024.07.08
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マンサニージョ(メキシコ)の旅ブログは、これまでとは違っていました。80日目 7月1日(月) 本日のマンサニージョ見学は、Fさんに誘われています。どこへ行くのか分かっていません。付いて行くだけです。 暑くて日射病になりそうです。外出は、Tシャツに着替える事にしました。 11時30分に、カジキマグロのモニュメントの所で待ち合わせと言う事です。20分前に船を出ました。ここは、何の審査もなく、すんなり入国出来ました。 タクシーに4名づつ分乗し、ホテルに向かいます。そして、本日の予定も何ら聞いていません。ランチに行きその後は観光するのか否かさえ分かっていません。いい加減ですよね。タクシー代の交渉もしていないようで、言いなりの値段です。こんなので良いのかい? と思ってしまいます。 13時です。レストランが開きました。海辺にあるレストランです。 料理を頼むのに困りました。Fさん、以前来ていて、とっても美味しかったと言うので、何か頼んでくれるのかと思いきや、何もしません。ボーイが、スペイン語のメニューを持って来ます。さっぱり分かりません。英語のメニューを持って来い、と言っても、ないと言います。仕方ないので、英語の分かる、人を連れて来い、と依頼しました。若い男性が来ました。「代表的なメキシコ料理を食べたいので、何が良いか選んでくれ」と言いました。前菜は訳の分からぬものが良いと言います。メニューを眺めながら、しばし考えましたが、タコスと言う文字が目に入りました。それで、前菜はタコスにしました。フルコースで頼むかどうか迷いました。量がどの位か分かりません。しかしながら、船で毎日、フルコースは食べているし、全部頼むと、1万円近くになってしまいます。それでメインをもう一皿頼むだけにしました。メインも代表的なメキシコの料理を選んで貰いました。シーフードと言う事です。来ました。タコスです。割と美味しいです。大きなエビが入っています。3個食べたら結構、お腹が膨れました。フルコースを頼まないで良かったです。メインも同じく、タコスのような料理です。これって、タコスでしょう?中身が違うだけのような気がします。食べ切れない程、ありますが、何とか食べ切りました。お一人様、ほぼ4000円でした。それほど高くはなかったですね。 ホテルの名前ですが、LAS HADAS と言います。この辺りでは、1、2位を争う、高級ホテルと聞きました。1泊、3万円位するとの事です。 食事の後の事は何も考えてなかったようなので、我々は、市場までタクシーで帰りました。もう一組の4名は、イグアナを抱きに行くとの事で、別れました。市場に来たのが、3時20分頃だったでしょうか? もう店の大半は、閉まっています。生姜を買おうとしましたが、萎びた売り物にならないような物しか売っていません。買うのは諦めました。 船に戻りました。16時過ぎです。まだ全く腹が減りません。タコス食べ過ぎです。いつもは「ツアーコンダクター」としてアテンドする役回りのブログ主が、今回はアテンドされる側であたふたするという旅ブログです。私としては、とても興味深かったです。Fさんとは面識がなく、Tさんを通して間接的に誘われたようです。Fさんは、以前この地に来たことがあるのでしょう。そして、マンサニージョは大して見所のない港町なので、気晴らしで以前行ったことがあるホテルでランチしようということだったようです。毎日船での代わり映えしない食事では飽きてしまいますし、寄港地でのその土地ならではの食事は旅の楽しみでしょう。でも、結果は悲惨だったようです。Fさんにすれば、中南米横断旅のプロのブログ主を連れて行けば安心と思ったのでしょうが、ケチってタコスを2種類食べる羽目になりました。お腹の好き具合と好き嫌い、そして予算を言って、まかせればよかったのではないでしょうか。高級ホテルとは無縁のブログ主にとっても、言い値のタクシーや4000円のランチは散財だったようです。まさに、知らない人にはついて行かない、知らない人の誘いには乗らないという教訓の典型例です。街の屋台などで売っているタコスです。メキシコのソウルフードでしょう。NYで食べたことがあります。写真は、ネット検索見つけた他のピースボート乗船記からです。徒歩観光 ラテンの港町? マンサニージョ(メキシコ)~23個目の寄港地~ - 地球一周ピースボート乗船記 (world-journey.blog)他にも、こんなアドバイスが載っていました。マンサニージョはリゾート地として知られているため、時間や資金に余裕がある人は、ホテルでラグジュアリーにのんびり過ごすも良し!(でも意外とビーチはそこまでキレイではないみたい…)【メキシコ】マンサニージョのモデルコース | Trip Route (trip-route.com)Fさんたちは、ラグジュアリー派だったというわけですね。5月5日市場とイグアナ公園(イグアナを抱けるところですね。)です。
2024.07.08
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カルタヘナ(コロンビア)のあとは、クリストバル(パナマ)とプンタレナス(コスタリカ)に寄港ですが、どちらも首都のパナマシティやサンホセまでは距離があり時間がかかる=お金もかかるようで、港近くのスーパーでビールなどを買い求めたようです。コスタリカは世界で一番幸せな国、軍隊のない国、再生エネルギーの国などといわれているので、旅ブログを期待していましたが、相変わらず船から残り物持参の昼食という、ケチケチ旅行でした。ジュラシックパークのモデルとしても、知られていますね。この間のハイライトは、なんといってもパナマ運河の通過です。件のブログからです。74日目 6月25日 そして、閘門へ出かけます。もう閘門はしまって、水位を上げています。ゆっくりですね。時間がかかりそうです。壁と船の隙間は、ほんの数十センチ、ぎりぎりで通過です。もう閘門は閉まり、水位を上昇させています。ゆっくりゆっくりなので、水面が上昇しているかは、目視では分かりません。この状況を炎天下で見学していた為、3~4名が倒れて診察室に運ばれたそうです。倒れるほど、真剣に見るべき事柄なんでしょうか?写真を撮ったら、船内へ引き上げたのですが・・・。気温は30度以上で熱中症ですね。倒れるまで真剣に見学とは、魅力的なのですね。パナマ運河通過は、船旅ならでは体験です。世界一周クルーズに行くなら、スエズ運河も合わせて通るものか、逆にどちらも通らない大航海時代のようなものも一興ですね。
2024.07.07
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さて、中南米の寄港地です。67日目 6月18日船はニューヨークを出発し、コロンビアのカルタヘナを目指して航行中です。途中、バミューダトライアングルを通り、キューバの南を通るようです。5日間かかります。*結局何もなかったようです。何も良いイベントがないので、「コロンビアは危険な国なのか?」を聞きに行って来ました。あんまり面白くないので、ほとんど居眠りです。良いイベントがないので、暇つぶしに、「麻薬戦争」を聞きに行きました。あんなに昼寝したのに、ここでもほとんど居眠りです。69日目 6月20日中南米を縦断しましたが、その時、コロンビアは、外務省から危険度が、いくつか忘れましたが、行かないようにとあったので、飛行機で、パナマから、エクアドルまで飛んでしまったのです。ですので、コロンビアには足を踏み入れていません。カルタヘナの観光名所の説明もありましたが、見どころは3つしかなかったです。ほとんど何もありませんね。プラプラ、街歩きだけになりそうです。コロンビア=麻薬戦争で危険な国とのイメージですが、危険度が下がり観光でまわる分には問題ないようですね。72日目 6月23日(日)いよいよ上陸ですが、結果的には本日は、122ヶ国目のコロンビアに上陸しました。10ドルの安いツアーも見つけられ、その後の会食、カラオケ、夕食と充実した1日を過ごしました。ということだったようです。相変わらず白タクならぬ、白ミニバスに引っかかって、たった3時間のランチをたべる暇もないような忙しい「ツアー」だったようです。初めに美しい港へ連れていってくれて、次に、名前は分かりませんが、砦へ連れて行ってくれました。 サントドミンゴ教会カフェでコロンビアコーヒー 1杯 3ドル宝石屋へ連れて行かれました。旧市街を歩きます。アレキサンドリアカシードロ(教会?)ヒストリカルミュージアム公園で10分位、見学してくれとガイドに言われました。ここで、凄いダンスのパッフォーマンスを行っていました。チップ目当ての大道芸人一座ですね。有名な砦にやって来ました。10分間で見学してくれと言われます。チケットを買う為に、列に並びましたが、残り5分しかありません。それで、入場は諦めました。8ドル=1300円位の入場料でした。チョコレートビール 7ドル=1100円です。 13時、予定通り、船に戻りました。船の講演会での3つの見所はどれだったのだろうと思うブログでした。有名な砦は、サンフェリペ要塞のことですね。世界遺産の街ですから、たった3時間というのはもったいないですね。しかも、しっかりバックマージンねらいの宝石屋に連れて行かれています。新たに6名客引きをして総勢13人で、自分の分がタダになる約束でしたが、10ドルを無料にすると言われた件、全額は返してくれず5ドル返してくれました。800円で3時間の観光をして来た事になります。超安いですね。安かったので、皆さんに感謝されました。 カルタヘナは、夕暮れや夜もきれいだそうです。訪問国数自慢のブログ主にとっては、訪れたという事実が重要で旅の中身は関係ないようです。
2024.07.06
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パークハイアットカールトンタワー以外でも、ミッションやセールスプロモーションでロンドンのいくつかのホテルに泊まったことがあります。インターコンチネンタルホテル パークレーンInterContinental London Park Lane - Hotels in London City Centre普通の高級ホテルという感じです。大きなホテルでひとも多く、ざわついた感じでした。当時はホテル内にプールがありました。10mほどの大きさで、何に使うのかと思ったものです。ホテルの絵葉書です。ザ モントカーム ロンドン マーブル アーチ Montcalm Marble Archその名の通り、マーブルアーチ付近のホテルでハイドパークも近いです。マーブル・アーチ(Marble Arch)は、ロンドンのハイド・パークの北東角にある大理石の門である[1]。1828年に宮廷建築家ジョン・ナッシュ がローマのコンスタンティヌスの凱旋門を基に設計した。当初はバッキンガム宮殿の儀式用の門で宮殿の正面に建っていたが、1855年の宮殿増築のときに現在の場所に移転した。(ウィキ)当時は、JALのホテルでした。部屋はそう広くはなかったですが、当時珍しかったウォシュレットが備え付けられていました。新装開店に際して、リノベーションしたのできれいな落ち着いた感じの部屋でした。日本語を話すスタッフもいて、ホテルの案内書も日本語併記でした。小さなホテルなので、セキュリティーに安心感がありました。当時世界展開していたJALホテルズでしたが、お試しで泊ったのは、NY、パリ、ロンドン、ハノイ、バンコク、メキシコシティなどでした。パリやメキシコシティは日本料理店の弁慶が開業し、現地では高級店として知られていました。横浜は無料宿泊券をいただいたので、高層階に泊まらせていただきました。セルフリッジ Thisle Selfridgesセルフリッジデパートに隣接して建つホテルです。**** ホテル THISTLE SELFRIDGE, ロンドン **** (hotels-of-london.com)セルフリッジズ (Selfridges) はイギリスの高級百貨店チェーン。創業者はハリー・ゴードン・セルフリッジ。ロンドンのオックスフォード・ストリートにある旗艦店は1909年3月15日に開業し、ハロッズに次いで英国で2番目に大きな店舗である[4]。某商社が予約してくれたホテルで、タクシーで行ってみたらなんとデパートでびっくりしました。ビルの一角が入り口で、デパート内のホテルという感じでした。泊まった部屋はシングルルームで、狭かったです。その分お値段も1万円くらいでお安かったです。滞在は1泊だけでした。寝るだけなら、立地も良いのでお買い物ツアーにはよいかもしれません。それにしてもこの商社が予約してくれたホテルは、ミラノでは盗難にあうなどハズレが多かったです。ジョリーホテルというイタリアの中級ホテルチェーンです。ストークオントレントなど、ロンドンから日帰りできる客先だったので地方に泊まることは少なかったです。ロンドンはもともとホテル代が高い都市ですが、円安と相まってますます高くなっています。再開発で高層ホテルも登場していますが、やっぱりレガシーホテルに泊まってみたいですね。ロンドンで最も高いビルに入る高級ホテル、シャングリラ ホテル アット ザ シャード ロンドンタワーブリッジが写っているので、平壌ではないですね。こちらは、某国です。
2024.07.06
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7月16,17日 65,66日目のニューヨーク以降の寄港地です。6月24日 72日目 カルタヘナ(コロンビア)6月25日 73日目 クリストバル(パナマ)6月27日 76日目 プンタレナス(コスタリカ)7月2日 80日目 マンサニージョ(メキシコ)メキシコは2度行ったことがありますが、いずれも首都のメキシコシティだけです。経済が崩壊して治安の悪い時期でしたが、駐在員はペソ安をエンジョイしていました。他は、カルタヘナは映画の舞台になったことがありますが、あとはマイナーな町ではないでしょうか。航海中は、ウクレレ、社交ダンス、サルサの習い事、講演会に行くものの途中で居眠りという生活パターンのようです。年をとると30分くらいの講演が限度?ブログ主の社交ダンスの女性パートナーは、NYで離脱してイグアスの滝見物です。このように途中で離脱して合流というケースはけっこうあるようです。もちろん別料金です。暇な日もあれば、こんなに忙しい日もあります。70日目 2024年6月21日(金) 本日のイベントは目白押し、沢山あります。忙しいです。7時 ~ ウクレレ初級8時 ~ ウクレレ中級10時半~ ウクレレ発表会11時30分 ~ 昼食12時30分 ~ クリストバルの説明13時 ~ 社交ダンス タンゴ14時10分 ~ 韓国語ドラマで韓国文化を学ぼう15時 ~ ジルバ練習16時 ~ コスタリカの民主主義17時 ~ 会食(梅ちゃん、さとみん)19時 ~ ラテンアメリカンナイト翌71日目(日本時間6月23日)は沖縄デーで、それに関するいくつかの日本の政治家や、政治の批判ばかりでした。最後までそのような基調なので、途中退席しました。沖縄デーです。沖縄慰霊の日ってなぁに? と言う演題です。暇なので参加しました。30歳以下の沖縄出身の若者二人をゲストに迎え、話していました。第二次世界大戦の終盤、沖縄は激戦区になりました。20万人が亡くなったようです。一般市民も沖縄の4名に1名が死んだそうです。悲惨ですなー。戦争反対です。辺野古移設問題とか、現地では7割が反対のようです。それでも建設を進めねばならない政府もジレンマに陥っているのではないかと推測されます。沖縄は、日本の犠牲になっていますね。 次も沖縄デーです。「何と素敵な八重山諸島」です。ピースボートの鈴木ディレクターが講師です。6月23日は沖縄慰霊の日に合わせた催し物なのでしょう。この辺は、ピースボートらしいですね。悲惨ですなー。戦争反対です。沖縄は、日本の犠牲になっていますね。少しは、学習の効果があったようです。ピースボートの旅は、まなびの旅でもあるのですね。ただ、老人よりも若い人に知ってもらいたい沖縄戦ですが、その辺の参加者はどうなのでしょう。無関心だとこわいです。 昭和は遠くになりにけりです。
2024.07.05
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私のロンドンでの定宿とも言うべきホテルは、パークハイアットカールトンタワーでした。Jumeirah Carlton Tower | 5 Star Hotel London | Jumeirahカールトンタワージュメイラは、イギリスのロンドンにある17階建て、186室の88室のスイートラグジュアリーホテルです。エミラティのホテル運営会社ジュメイラが運営しています ホテルはスローンストリートの隣のカドガンプレイスにあり、ハイドパーク、ハロッズ、ハーヴェイニコルズ、ナイツブリッジ中心部の近くにあります。最寄りのロンドン地下鉄駅はナイツブリッジ地下鉄駅です。ホテルの最上階には、15,000平方フィートのヘルスクラブであるピークフィットネスクラブ&スパがあり[6]、設備、フィットネスクラス、20mのスイミングプールを提供しています。[7] ピーク フィットネス クラブ & スパは、2023 年に AA ベスト UK スパのステータスを受賞しました。[8] ホテルに2つのテニスコートがある。(注9) ホテルは1961年1月5日にカールトンタワーとしてオープンし、ホテル・コーポレーション・オブ・アメリカが管理しています。1970年、そのチェーンはソネスタホテルズと改名され、ホテルは短期間ソネスタタワーホテルでした。1971年に英国を拠点とするレックスホテルズが経営を引き継ぎ、ホテルは元の名前を取り戻しました。1977年、ホテルの所有者であるプルデンシャル・アシュアランスは、プロテウス・ホテルズに売却しました。(注10)ハイアットホテルズは1982年に経営を引き継ぎ、ホテルはハイアットカールトンタワーに改名されました。ハイアットの20年契約が切れると、2001年12月にジュメイラが経営を引き継ぎ、ジュメイラ・カールトン・タワーと改名された。[11] 2011年、50周年を祝うために、ホテルはクライブ・アスレットによる歴史「All That Life Can Afford」を出版しました。[12]2019年9月、ホテルは1億ポンドの改装のために閉鎖されました。2021年7月にリニューアルオープンし、カールトン・タワー・ジュメイラ(The Carlton Tower Jumeirah)としてわずかにブランド名を変更しました。(注13)The Carlton Tower Jumeirah - Wikipedia 今はアラブ首長国連邦資本のホテルになってしまいましたが、ハイアット時代に利用しました。ナイツブリッジにあるホテルで、ハロッズが近くでよくお土産の紅茶を買いました。落ち着いた感じのホテルで欧米人の客が多く日本人を見かけることはなく、いかにもイギリスに来たという感じのホテルでした。隠れ家的な感じもしました。ホテル正面の部屋からは、芝生と花壇、ベンチのある小さな公園が見えます。地元の人が良く利用していました。最上階にフィットネスルームからは、ロンドンのビルやお空が見えます。気分転換ができて、心地よかったです。出張中は昼夜と接待が続くので、なるべく当時サウナはありましたが、プールはありませんでした。成田で台風直撃によりロンドン到着がかなり遅れ、チェックインした時にはスィートルームしかないと言われてやむなく泊まったことも、今ではなつかしい思い出です。通常の倍額(1泊6万円くらい?)でしたが、会社は何も言わずに決済してくれました。アラブ系のホテルになった今は、ネスクタイス-ツ姿のビジネスマンよりも白い服の方々が目立つのではないでしょうか。そういえば、滞在中にワンフロアを借り切り客室のドアを開けっぱなしにして、少しうるさかった一団がいたこともありました。
2024.07.05
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天皇訪英でロンドンのホテルを調べていたら、当時のことを思い出しました。ロンドンへは、30代後半から数回出張しました。最初に泊まったホテルは、ロンドン事務所が手配してくれたランガム・ヒルトンでした。1865年オープンの歴史あるホテルです。1867年、アメリカの元北軍将校ジェームズ・サンダーソンが総支配人に任命され、マーク・トウェインや金融家のヘティ・グリーンなど、多くのアメリカ人顧客を獲得しました。[2] また、ナポレオン3世、オスカー・ワイルド、ドヴォルザーク、トスカニーニ、シベリウスも愛用していました。1879年初頭に玄関と中庭に電灯が設置され、アーサー・コナン・ドイルはシャーロック・ホームズの小説『ボヘミアの醜聞』と『四つの星座』の一部をランガムで舞台にした。ランガムは20世紀を通じて、ダイアナ妃、プリンセス・オブ・ウェールズなどの王室メンバーや、ウィンストン・チャーチルやシャルル・ド・ゴールなどの政治家に愛され続けました。その他のゲストには、ノエル・カワード、ウォリス・シンプソン、ドン・ブラッドマン、エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝、浜崎あゆみなどが名を連ねました。第2次大戦では爆撃を受けて一時閉鎖されましたが、その後紆余曲折を経て1991年にランガム・ヒルトンとして再オープンです。ランガム ホテル, ロンドン - Wikipedia*1965年当時宿泊したのはこの再オープンした頃でした。今ではクラリッジスと変らないくらいのお値段ですが、その頃は円高で2万円くらいだったと思います。ロンドン事務所は、セントポール大聖堂近く、シティにありましたが、ホテルは最寄り駅がオックスフォードサーカスで観光名所に近い位置にありました。6月でしたが10時近くまで明るく、事務所のスタッフは寝不足気味とこぼしていました。ホテルでの思い出は、宿泊中に非常ベルが鳴ったことです。廊下をのぞくと、みんな避難していました。結局、誤作動だったようです。この件があったからではありませんが、以後宿泊することはありませんでした。今は、香港の不動産会社が所有しています。
2024.07.04
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件のブログからです。8時半ですが、昼食を安くあげる為、お粥を食べました。しかも2杯も。腹一杯ですな。昼食を抜いても良い位です。9時に集合、そして予定通り出発しました。本日は、イミグレとか関係ないので、すんなりすぐに出発出来ましたぞ。*今日は、一人減って5人で行動です。 ワールドトレードセンターと手前の変わった建物です。911のグランドゼロにやって来ました。*ワールドトレードセンター駅舎=オキュラスですね。 ブルックリン橋に向かって歩いていたら、床屋がありました。お値段を聞くと、16ドル=2500円なのです。船内の半額です。ロンドンは、1.5万円でした。安いのでカットして貰う事にしました。丁寧にカットしてくれます。首の後ろや耳の前も、剃ってくれました。最後は熱いおしぼりで頭や首を拭いてくれました。サービスも良いです。16ドルですが、チップを含めて、20ドル=3200円、支払いました。Kさんもカットして貰いましたが、チップを払っていません。日本人の格を落としましたな。チップは払わねばなりません、アメリカでは。 ブルックリン橋を徒歩で渡って記念写真です。ホットドッグを食べます。5ドル=800円です。これでは少ないですが、朝食をたっぷり食べたので、問題ありません。と、ショートランチです。前日の学習効果?その後ハドソンヤーズに行き、コーヒーを飲んで、近くのスーパーをのぞき解散です。(その後)我々(ふたり)は、16ストリートでハイラインから降りて、チェルシーマーケットへ向かいます。沢山のレストランやバーが入っています。日本食もありました。オイスターバーや、タイ料理屋もありましたぞ。安ければビールでも飲みたい所ですが、つまみを頼んでビールを飲んだら、3000円位しそうなので、諦めました。一通り、チェルシーマーケットを見て船に戻る事にしました。帰りは、ハドソン川沿いを歩きます。良い散歩道ですね。川から涼しい風も通り、気持ち良いです。本日は、2.8万歩、歩きました。17時に船に戻りました。 昨日と本日、ニューヨークのマンハッタンを歩きまわりました。さすが世界の大都市、見どころはありますね。ロンドンに続いて、ニューヨークは今回のハイライトでしょうか?ニューヨーク、好きになりました。1ヶ月か、2ヶ月、滞在しても良いですね。物価が高いですから、食事は、いつもの旅のように、パンと、トマト、バナナにゆで卵位で済ませば、そんなに高額にならないでしょう。いつか来たいなー。NYでしか見られない芸術作品がある美術館にもよらず、いくつかある高層ビルの展望台にも上らず、グルメとも無縁の地下鉄と不要な格闘をし、ひたすら歩くNYの旅でした。もちろんミュージカルも観ずです。本人が満足しているようですからそれでいいのでしょうが、何とももったいないですね。わずかなお金を惜しんで、残念な旅になったように思います。2日間あるのですから、1日目は網羅的なガイドツアー、2日目は自分の趣味で好きな所というのがセオリーかと思います。お上りさんツアーの一例です。
2024.06.26
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航海65日目にして、NY到着です。たった2日間の滞在のブログです。行先は先日、話し合って決めてあります。入港時に船から見た自由の女神アップで撮って見ました。もうこれで、遊覧船に乗って自由の女神を見に来る必要はないですね。ここで十分です。 11時15分に、入国の対面審査です。一旦入国すると、全員の審査が完了しないと、船に戻れません。予定よりかなり早いですが、イミグレに向かいます。10時45分です。 イミグレを通過するのにかなり時間がかかりました。1時間以上かかったと思います。そして、1時間遅いHさんを待ちます。そんなこんなで、出発は12時半頃になりました。総勢6名で一緒に行きます。自由の女神は中も見れるし、下からその威容を拝むのもよいです。せっかくNYに来たのですから、見に行った方がよいですね。それにしても船での入国は、時間がかかりますね。しかも、ばらばらとで1時間のロスです。こんな記述も目を引きました。10時には(船内で)昼食にしました。ニューヨークも物価は高いので、おにぎりなどを作ってゆで卵やバナナも持ち、セントラルパークのベンチで食べようとしました。しかしながら、食料の持ち込みは禁止です。残念ですねー。それで早飯です。レイキャビクで味をしめたのでしょうが、残念ながらNGでしたね。ホットドック程度なら、それほど高くはないでしょう。ブログでも5ドルだったと記されています。ピースボートが貧乏人の船なんて言われているのは、こんなところからでしょうか。NYで働いていた?時、お昼はデリバリーの5ドルのお弁当でした。とんかつ弁当などの日本食です。キッチン付きのホテルだったので、会食の無い日は近くのデリカテッセンで総菜を買って食べたこともあります。朝は、会社の食堂が開いていました。パン種類や具、コーヒーの砂糖ミルク有り無しなど、最初は注文するのが煩わしかったです。北野ホテルが、朝食で和定食が食べられることを売り物にしていました。その後、JALがエセックスハウスを買収して、和食を提供です。出張でホテルはエセックスハウスと話したら、愛方が訝しがっていました。セックスハウスと聞こえたようです。さて、脱線しましたが、ようやく NY上陸です。最初は5番街、NYの銀座ですね。70thストリートを東進です。フェラガモ、カルチェなどはスルーですが、ユニクロへは立ち寄ったみたいです。いま話題の場所にも、入ったようです。トランプタワーです。ここは無料で上に登れると聞いたので、入って見る事にしました。喉が渇いたので、2階のイタリアンカフェで一休みです。アメリカーノです。5ドル=800円位です。無茶苦茶高くはありません。 無料で上に登れる?展望室もなく、そこはトランプ邸です。おかしいと思わなかったところがこわいです。年寄りは詐欺にあいやすいわけです。5番街に行ったらティファニーとブルックスブラザーズに立ち寄ってみたいです。あとは、セントパトリック教会ですね。レキシントン街にあったコーチは男性用のカバンやベルトの革製品のお店でした。靴はフローシャイムですね。靴底に鋲が打ってあるウィングチップを買って帰りました。当時日本では売っていなかった木製のシューズキーパーも2つ買いました。(この後)タイムズスクェアを後にしてチャイナタウンに向かいます。16時です。上海21に着いたのは、18時です。何と、タイムズスクェアから、2時間もかかってしまいました。30分位では着くはずなんですけどね。回鍋肉定食を頼むと、皆さんもそれに同意です。お値段は、11.5ドルですが、税金やら、チップやらが付いて、お一人15ドル=2400円位でした。尚チップは、清算書に自動的に記載されています。20%でした。マンハッタンの地下鉄は分かり難いです。N線に乗れと言われてN線へ向かうのですが、ホームに着くと、N線がないのです。不親切ですねー! アメリカ人、頭悪いです。安い飯を求めてチャイナタウンに向ったようですが、地下鉄で迷ったようですね。しかも2時間近くもです。「地下鉄使って2時間ですか!歩いても1時間ですよね??」このブログの読者からのコメントです。私も同感です。お年より6人が地下鉄構内をさまよう姿は、哀れを通り越しておかしいです。歩いて行けばよかったですね。私は日曜日に、セントラルパークから、5番街、ブロードウェーを通って、SOHOあたりまで歩いたことがあります。愛方が来た時は、メイン道路を南北に走るバスで移動しました。地下鉄よりも時間がかかりますが、外の景色が見えるのがいいです。バスは何本も来るので、途中下車して美術館などを観光です。 本日は、2.4万歩ほど歩きました。5番街からセントラルパーク、そしてタイムズスクェアまでは、歩いて順調でした。しかし、分かり難い地下鉄で、何度も乗り換えて疲れました。カナルストリート駅で降りてからも、迷いに迷い、疲れました。しかし、物価の高いマンハッタンで、コーヒーと地下鉄料金、そして回鍋肉定食で、36ドル=5700円で済みました。船のツアーに乗れば、6~7万円はするので、安く見学する事が出来ました。迷ったのも、いい思い出になるでしょう。地下鉄で迷い、疲れに疲れたNYめぐりだったようです。お疲れさまでした。2日目はどこに?翌日のブログも楽しみです。
2024.06.25
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次は、レイキャビク(アイスランド)です。白い壁の大きな屋根の建物の右側に、街までの送り迎え無料のバスがやって来ます。無料と言うのは有難いですね。本日は。6名の団体で街を見学します。9時半前に全員集合しました。少し早いですが、下船します。ハルパ・コンサート・ホールです。傾いているのは、設計なんでしょうね。あちこちで聞きながら、観光インフォメーションにやって来ました。ここで市内の見所を教えて貰いました。大した所はないですね。Hallgrims Church が見えて来ました。しかし教会は我々が丁度着いた10時半から日曜日のミサが行われます。その間、入場禁止です。ランチはレストランで食べたら、最低3000円はするとの事。我々は、船から持参しました。○○夫妻は、おにぎりを作って来たそうです。Hさんや、Tさんは、パンとかバナナ、そしてゆで卵などを持参しました。自分は、パンとゆで卵を持参しました。バナナも1本、Hさんから貰いました。湖畔のベンチで昼食です。ポカポカ天気も良くて気持ち良いです。ピクニック気分ですね。午前中に来た教会ですが、日曜日のミサが行われる時間で中に入れなかったので、もう一度やって来ました。この街、観光と言えば、ここしかないですよ。ほぼ観光は完了したので、一休みしようとカフェに来ました。 (コンサートホールの)2階では、合唱を行っていました。暫く聞いていましたが、美しい声でした。 「大した所はないですね。」 ブログ主のレイキャビク観光はこれにつきるようですね。お船の朝食の残り?をもって、下船です。なんかわびしいというか、いじましいです。コロナ前中国人がホテルの朝食バイキングをタッパーに詰めて、昼食や夕食にしてひんしゅくを買っていたのを思い出しました。今回の旅では初めての記述ですが、それだけ旅慣れてきたということでしょうか。温泉好きのブログ主ですから、火山国アイスランドの雄大な露天風呂ツアーでも記されるのかと期待しましたが、それはなかったです。偶然ですが、現地の合唱を聴けたのはよかったですね。レイキャビクは、米ソ核ミサイル削減条約交渉の地でもあります。出港した59日目のブログには、こんな記述がありました。 ジャズと野球と国際関係、高橋和夫さんの講演です。あんまり面白くなかったです。高橋さん、昨日、レイキャビクの教会で会いましたが、小柄ですね。アジアの星一番より、背が低いです。でも話術は素晴らしいです。ジャズも野球も米国のソフトパワーという話のようです。日本のソフトパワーは何?アニメ、ゲーム、日本食・・・、天皇も?高橋さんは、ロンドンで下船しなかったのですね。天候不良で北極圏にはゆけなかったようです。それは、オーロラを見る機会が失われたということですね。残念!次の寄港地NYまではちょっと長い1週間弱の航海ですが、この間に習い事の発表会です。たった3分の発表なのに、準備に沢山の時間がかかります。出場するのが面倒になりましたよ。練習や準備で大忙し?ピースボート、乗船客を飽きさせませんね。
2024.06.24
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#2で、日本を出港してからスペイン領カナリア諸島までの寄港地を記しました。それ以降です。5月28日 46日目 リスボン(ポルトガル)5月31日 49日目 ル・アーブル(フランス)6月1~2日 50日目 ロンドン[ティルベリー](イギリス)6月5日 54日目 ベルゲン(ノルウェー)6月9日 58日目 レイキャビク(アイスランド)6月16~17日 65日目 ニューヨーク(米国)ベルゲンとレイキャビクに行ったことがないので、期待したいです。私は、出張でロンドンからストックホルムに行ったことがあります。1泊しかしなかったので観光はありませんでしたが、宿泊先のシェラトンホテルの周辺の散策やトナカイのステーキをいただきました。お酒は、ジャガイモの蒸留酒アクアビットです。その時、商社のオスロ駐在所長からノルウェーの冬も静かでいいという話を聞かされました。さて、ピースボート乗船ブログからです。ベルゲン(ノルウェー)8時半より少し前に全員6名が揃い出発しました。マウント・フローエンに登ろうとと登山口を探します。綺麗なお姉さんに聞いたら、反対方向を教えて貰い、えらい遠回りになってしまいました。ここにはロープウェイがあります。10分程で頂上に着くようですが、お値段が片道2500円と言います。それで歩いて登る事にした次第です。登りは1時間半かかりましたが、下りは45分でした。早いですね。フィッシュマーケットへ行きます。昼食の為です。せっかくノルウェーに上陸したので、サーモンサンドを食べる事にしました。2200円止む無し、です。ブリゲン 建物群 トロール美術館に来ました。しかし、入場料が高いので、入りません。セント・マリーズ・教会に来ました。ここも入場料が必要なので入りませんでした。数千円が必要なのです。要塞跡は無料なので散策して来ました。14時、ピースボートに帰りました。2.3万歩、歩きましたので、いささか疲れました。あいも変わらぬケチケチ旅行ですね。山登りは自然にふれることができてよいと思いますが、往復というのはどうでしょう。途中雨に降られて大変だったようです。時間があるのですから、ハンザ同盟の博物館でものぞいてみたらよかったのにと思います。同行者全員が無関心というのも?です。個人旅行のできなかった時代に行った中国パックツアーでは、退職した農業高校の先生がいて植物についていろいろと教えてくれました。三人寄れば文殊の知恵ではありませんが、ひとりくらい特定の分野に詳しそうな人がいるものですが、そうではなかったようです。 翌日、船はフィヨルドを航行したようです。ソグネフィヨルド小雨が降っていますが、景色は見られます。前回もここには来ました。その時も思いました。中国の桂林の方が良いのでは? と。深い切込みと言っても水の中は見えませんしね。ブログに添付された写真も、しょぼいものでした。私が知っているフィヨルド観光に行ってきた人の印象とはだいぶ違うようです。季節や天候の違いでしょうか。続きます。
2024.06.23
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楽天のブログシステムが回復したようです。記憶をたどって、記しましょう。「記憶にございません。」は、ありません。船内の講演会の続きです。20日目NATOの拡大と、ロシア・ウクライナ戦争、と言う演題で、高橋和夫先生の講演です。NATOが勢力を広げているのは良くないと言う高橋先生のご意見です。長い歴史からすれば、NATOが勢力を広げると、ロシアは心配になり紛争を起こすと言う説です。あまり受け入れられない考えですね。如何なる理由があろうが戦争を仕掛けるのは良くないです。*NATOの勢力拡大は、今ではテレビでは話せない内容ですね。 ロシアの侵略の前に、マイダン革命=クーデター、ロシア語系住民の虐殺、ゼレンスキーのミンスク合意破棄などは、今ではスルーです。「アフリカ旅体験談」と言う自主活動の集まりです。最初にツアーで南アフリカを旅した人がその映像を見せてくれました。南アフリカは危険である事を強調していました。そしたら、企画者の方から、アフリカの旅について話て欲しいと依頼がありました。それで、エチオピア、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、さらにザンジバル島、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、レソト、の3ヶ月のアフリカ縦断の話をさせて頂きました。先に話した人とは全く事なる旅なので、皆さん、良く聞いてくれました。23日目芸達者祭24日目高橋和夫先生の講演、南アフリカとパレスチナ、そしてナミビアです。途中、寝不足で眠くて居眠りをしてしまいました。それでナミビア辺りは聞けませんでしたが、南アフリカは、イスラエルのパレスチナ攻撃を従来のアパルトヘイトと重ね合わせて見て、イスラエルを非難しているとの事です。アパルトヘイトの終焉は、まだわずか30数年まえなのですね。長い間の白人支配の結果、未だに貧しい黒人は沢山いるようです。貧しいゆえに、犯罪も多いようです。ダンスパーティーを行っています。上手な方は、着飾って踊っていますな。反対側では、あまり上手でない方々が、細々と踊っていました。アラビアンナイト 踊りと音の夜、と言うクルージングパーティを行っています。ウクレレ仲間の、サヤちゃんがメインで踊ると言うので、やって来ました。仲々、色っぽいですね。 踊りもセクシーです。腰をくねらせて踊っていました。 30日目昼食を食べ、昼寝して、高橋和夫先生の「イランとイスラエル」と言う演題の講演を聞きに行きました。政府間の緊張感と異なり、民衆同士は意外と拘りがなく良い感じであると言っていました。 42日目仏教の教え 浄土真宗について、を聴きに行きました。あまり面白くないので、途中退席しました。旅の裏話、19年ぶりのコソボ再訪、を聴きに行きました。とーみんさんの話は面白いのです。その次は、知っておきたいイムジン河です。北朝鮮労連かどこかがクレームを出したのです。祖国を分断したのは誰?と言うような歌詞がよろしくなかったそうです。 都はるみも朝鮮人なんですね。インタビューに答えていました。まぁ、人種問題は色々ありますな。NHKの映像、悪くなかったです。 44日目 とーみんさんの旅の裏話、今回はルワンダについてです。 ルワンダの一般事情もあるものと、期待して出かけました。 しかしながら、初めから最後まで、フツ族とツチ族の争い、虐殺についての話でした。寝不足もあり、話の内容も内容なので、眠くて半分位居眠りしてしまいました。18時30分から、食後ですが、講演を聞きに行きました。海を渡った日本人です。ラテンアメリカへ渡った日本人とその子孫の話です。講演者も日系3世でメキシコ人と言う事でした。好きなパラグアイの、日本人村、イグアス居住区の話もあると言うので、楽しみに出かけました。55日目10時45分からは、茨城県人会です。2回目ですね。1回目は30名余りの方々が参加しましたが、今回は10数名です。 船の旅も、半分が過ぎ去りました。メモ手帳を2冊にしましたが、もう1冊は、本日で完了、明日から2冊目になります。後、半分ですね。まぁ、毎日イベントはあるし、飽きはしないです。若干、マンネリかなーとは思いますが、後、半分も言あっとう間に過ぎ去るでしょう。以上ブログからです。高橋和夫さんはテレビでお見かけする方ですが、元大学教授プロの講演者ですね。乗船して講演活動をしているようですから、船内で顔をあわせることもあるでしょう。突っ込んで聞いてみたいですね。乗船者による自主企画も多いですね。玉石混交?聴く方の能力もありそうです。朝鮮半島で人種問題はないでしょう。アラビアンナイトは人気の企画だそうです。 南アフリカの治安については、ブログにこんな記事がありました。29日目の出来事です。2024年5月11日(土)やられました。カメラを盗られました。(たぶん)ケープタウンのロングストリートのスポーツバーで、大瓶一本400円と言う、船のビールの値段からすれば、格安のビールを飲んでいたのです。そこでは、ビールや、お店の写真を撮ったのです。ですから、その時は間違いなくカメラは、バッグの中にありました。そして、良い気分で繁華街のロングストリートを歩いていたのです。そうしたら、簡易バックパックを売っている若者が、しつっこく、付いて来て、買わないか? と言います。勿論、しっしっ、と追い払いました。ですが、しつっこく、バックパックを広げて買えと言うのです。勿論ながら、ノー! と言って追い払いました。その時、たぶん、数秒だったと思います。盗られたとしたら、その時しか考えられないのです。そうだとしたら、まるで手品師のようです。 猿も木から落ちるですね。船内の講演会で、何度か危険を強調されていたにも関わらずです。また、24日目には、こんな出来事も記されています。今夜は盛りだくさんのイベントがあり、早めにブログの下書きをせねばなりません。夕食前の下書きは夕食前に完了させました。 最悪な事に、朝も昼も一緒だったおしゃべり爺が又、来たのです。な、なんと、朝、昼、晩と、嫌な爺と3回も食事です。しかも隣です。話しかけられても生返事しかしません。自分の事をしゃべるに決まっているからです。別の夫婦と話し始めました。やはり、朝も昼もしゃべっていた事と同じことを繰り返しています。人の話は聞きません。最悪です。
2024.06.19
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講演会の続きです。あれ?これだけ?予約投稿したはずなのに、消えています。他の方もブログも似たような不具合が発生です。・下書き日記が表示されない・見たまま編集を切り替えると入力中のものが消えてしまう・ブログを投稿できない(エラーが表示される等)等上記のような事象が発生した場合は、一度ブラウザのキャッシュをクリアいただくか、時間を空けて再度アクセスをお試しください。 現在、事象については調査を進めております。状況は当ブログにてご案内いたしますので、本現象に関するお問い合わせについては本お知らせをもって回答とさせていただきます。なお、個別の回答は控えさせていただく場合がございます。何卒ご了承ください。 お客様にはご不便をおかけしていること誠に申し訳ございません。引き続き楽天ブログをどうぞよろしくお願いいたします。【お知らせ】ブログ投稿機能の不具合について | 楽天ブログ StaffBlog - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) なおったら、記憶を呼び戻して再度投稿してみましょう。一瞬にして消える?デジタルですね。PS:いつも楽天ブログをご利用いただき、誠にありがとうございます。 現在ブログ投稿機能において以下の状態が、一部のお客様の環境にて発生しております。 この部分も投稿不能です。
2024.06.19
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長い船旅です。乗船客を退屈させないように、いろいろなプログラムが設定されているようです。ブログ主の場合は、ウクレレ演奏と社交ダンス、そしてサルサです。ウクレレは若い人もいるようですが、ダンスは年配者だけのようです。100日間練習すれば、それなりのものが身につくことでしょう。こうした習い事は、他の乗客と知り合うチャンスでもあります。ラジオ体操、太極拳、ティラピス、ピタゴなどにも、試しに参加したようです。やって見なければわかりませんからトライすることは、いいことですね。社交ダンスでは、練習パートナーが決まっているようです。ただ、お相手の老女を下手くそとこき下ろすのは、よくないですね。男性は女性をリードをしなければいけませんから、女性の3倍は練習する必要がありますが、件のブログ主はそんな感じがしません。ピースボートは、もともとは平和を語り合い追求するという運動の側面があったはずですが、現地の人との交流はないようです。ただ、世界情勢や時事問題に関する講演会は、けっこう開催されていて、ブログ主も顔を出しているようです。件のブログからです。5日目どうして私が「サンモニ」に(講師は)ピースボートの共同代表の、畠山澄子さんと言う方です。サンデーモーニングのコメンテーターとして出演して1年以上との事です。テレビ業界の裏話なども多数あって、面白い講演でした。コメンテーターには、本番2日前から、どんな放送かが送られて来てそれに対してどんなコメントをするか考えて行くようです。12日目あなたの人生updownを聴かせて!主催:傾聴ボランティアグループこれは自主活動ですが、責任者が全く考えのない人で、運営が上手く行きません。男性の人生の成功体験、そして女性のこれまた人生の成功体験、これらが話されました。全く面白くないイベントでしたね。日本一周自転車放浪記 このチャリで日本一周したとの事、今回は第1回、10回位に分けて講演をしてくれるようです。*こちらは好意的なコメントで、次も参加です。15日目残留孤児 映画とトーク*フィリピンの残留孤児問題ですね。 ピースボートらしい企画? YOUは何しに世界一周に若い人、3人へのインタビューです。保育士さんですが、いじめにあって最終的に退職して、船に乗ったそうです。大酒のみであると本人は言っていました。男性は、ネギを売って儲けて船に乗ったと言っていました。もう一人の女性は学生さんです。軽音楽部の、副部長をやっているそうです。1年間休学し、船の旅をして、アイルランドに留学するとの事でした。若い人の体験は聞いても役に立ちませんが、まぁ聞いてる分には面白いです。 *自主活動、自主講演は、玉石混交のようですが、それもまた良しです。続きます。
2024.06.18
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6月2日(日) 51日目のブログの表題は、ロンドン一人旅です。(ブログ主は昔)7月頃から半年間で8回ロンドンへ飛んだ事があります。1回1週間から15日滞在します。と、ありますからロンドンは旅慣れたところなのでしょうね。朝5時に食事して、6時半出発です。この日も船からティルベリーの駅までは、3ポンド(600円)の乗り合いタクシーに乗らず徒歩です。早朝散歩健康的でいいですね。ロンドンまでは50km、電車で1時間ほどです。リバプールストリート駅で乗り換えて、お目当てのロンドンアイ近くのウォータールー駅到着です。ロンドン・アイに乗るチケットは買いました。45ポンド=9000円です。ひぇ~、どビックリするほど高いですね。でも気張って買いましたぞ。と、あります。ロンドンアイは、ロンドンの新名所ですが、30分の乗車で9000円だそうです。旅行代理店経由ならもっと安くなりそうですが、当日の窓口では仕方ありません。乗車時間が指定されていて、それまではビッグベンの周辺を散策です。ウエストミンスター寺院など見所の多い地域ですから退屈しないでしょう。昔私は行列について行ったら、期せずして国会議場に入りました。簡単なセキュリティチェックがありましたが、無料でした。この後向かったのはトラファルガー広場です。近くには、ナショナルギャラリーがあるのでのぞいてみたいです。美術好きでなくてもおすすめのスポットですね。ここは無料ですが、寄付代わりにガイドブックを買いました。ロンドンは大都市ですから、野外コンサートなど無料で楽しめるところがけっこうあります。お昼は、さすがに船ではなくてレスタースクエア近くのチャイナタウンでいただいたようです。一軒の中華レストランに入りました。揚州炒飯を頼みました。量が多いですねー! 3人前位ありそうです。ですが、かなり食べましたぞ。三分の二は食べました。2人前位でしょうか?腹一杯です。味はまぁまぁですね。絶賛は出来ないです。 お代は、不明です。高級なお店なら日本風の少量のコース料理もあるでしょうが、ロンドンでは無理でしょう。やはり、何人かで連れだって入るのが、中国料理の流儀です。中国料理店は、陶磁器の町ストークオントレントでお客さんに連れて行ってもらったことがありますが、4種類くらいの料理がひとりづつワンプレートでサービスされ、驚きました。味は英国人向けですから、・・・。東洋人なので気を使ってくれたのでしょう。食後は、地下鉄でセントポール大聖堂へ。しかし、入場料が25ポンド=5000円位するので、入場しません。ロンドン塔です。ここも入場料が、35ポンド=7000円位します。勿論、貧乏旅人は入場しません。とスルーして、結局タワーブリッジを歩いて渡って(無料!)、ロンドン・リバプール駅発、16時29分、ティルベリー駅に17時12分、43分で着きました。列車の中にも無料WiFiがあったので、全く退屈はしませんでした。昨日と本日のイギリス観光、合計で、1.7万円かかりました。主なものは、乗り物1日フリーパス券、4300円、ロンドン・アイの入場チケットが、9000円です。他には入場しませんでしたが、ロンドンは高いです。早めに帰って、夕食はまたお船です。私は、ビッグベンのあたりから遊覧船(5か国語で説明です。)に乗って、ロンドン塔に行きました。もちろん、入場してあの大きなダイヤモンドも見ました。タワーブリッジ周辺は、川沿いにしゃれたカフェがたくさんあったのを覚えています。ロンドンへは、5~6回出張で行きました。ロンドン塔では、ジンでお馴染みのこの方にもご対面です。ロンドン通ならではのもっとディープな散策かと思いましたが、ありきたりでちょっとがっかりです。翌日は28000歩も歩いたので、ロンドン痛でしょうか。他のお仲間のロンドンめぐりが気になりますが、ブログでは言及なしです。たもとを分かった?
2024.06.15
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イギリスの寄港地は、ロンドン郊外のテムズ川の河口ティルベリーです。サザンプトンやリバプールあたりが面白そうですが、北欧へも行くようなのでオーソドックスなロンドンということなのでしょうか。今回のツアーでは初めて2日間停泊します。スタッフの骨休め?ロンドンのホテルで1泊して、ミュージカルやコンサートを楽しむことも可能な旅程です。そんなツアーも用意されているかもしれません。さて、件のブログ主は?接岸して暫くしてから、イギリスへの入国手続きです。12階から順番に手続きを行います。腹の立つのは、ピースボートのツアー客を優先する事であります。15時半頃でしょうか? 船から出発しました。ティルベリーの街と言われる所に着きました。しかし何もありません。見事に何もありません。ここが唯一、お店がある所です。信じ難い田舎町です。1軒あるカフェに入ったら、17時過ぎなのに、もう閉店と言います。何じゃ? この町は?この田舎町、ティルベリーはイギリスと思えない町なんです。18時半、ピースボートに帰って来ました。船内の情報誌には、ティルベリー・タウンまで1.8キロ、歩いて30分と書いてありました。初日は、ロンドンには行かずティルベリーの町だけを歩いた?ようです。下船は、14:45からで上の階の乗客やツアー客優先です。船倉近くの階は、16:45~からと掲示されていました。高い料金のお客優先です。1500人も乗っていると大変ですが、それにしても飛行機に比べるとのんびりしているように思います。開いているカフェを見つけて英語が「堪能な」少年と会話したというのは、この旅初めてのふれあいエピソードです。それにしても、町までは草ぼうぼうの田舎道です。雨なら最悪ですね。クィーンエリザベス2世橋です。ティルベリーの街、超ど田舎でした。行く必要はないですね。しかしながら、カフェもあったし、無料WiFiもあったし、良しとしましょう。明日は、ロンドン一人歩き、です。一緒に連れて行って欲しいと、言われていたのですが、断りもなしに別の人と行くと言う事です。一言、言って欲しいですね。この日のブログの最後は、こう綴られています。ツアーコンダクターを自認していたブログ主にとっては、ショックな出来事だったのでしょう。貧乏旅につきあうことに辟易したのか、それとも自慢話にあきたのか、ロンドンは大都市ですから楽しみ方は色々です。さて、どんなロンドン旅でしょうか?
2024.06.15
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ポートエリザベスの上陸では自慢話ばかりする嫌な婆さんのことが記されていましたが、件のブログでは他にも嫌な人たちのことが、たくさん記されています。4日目前に座っている爺さん二人、どでかい声でしゃべっています。もう少し静かにして欲しいですよ。そしてウェイターさんや、ウェイトレスを呼んで、ポットの中のお湯を捨てて氷水を入れてくれと頼んでいます。日本語も分からない人達に日本語で説明しているのです。伝わってないよなー、と思って聞いていましたが、案の定、ポットの中のお湯に氷を入れて来ました。アホやなー、ウェイターさん達、可哀そうだなー、と思って見ていました。*レストランのスタッフはインドネシア人です。 ひと昔前に、台湾や中国で見た光景です。 中国やアジアの人たちに対して、威張りくさった日本人を見るのは嫌なものです。 他の日の食事では、 6名のテーブルに5名の女性です。女3人寄れば姦しいと言いますが、5名さんです。出る幕は全くありません。まぁそれは姦しいです。お話が途切れる事はありません、81歳の船の旅6回目と言う方が中心になり、まぁ、それは速射砲の如く話し続けます。極たまに、質問があった時、はい、いいえ、と答えるのみです。*大奥やハレムのようにはいかないようです。更に続きます。12日目(食事の)同席者は、おばあさん3名、おじいさん1名、シンガポール人1名の合計、6名です。お婆さん二人が自分の経験をペラペラしゃべり他の人の話は聞きません。お前に話は聞きたくない、と言いたいですが、黙って聞いていました。シンガポール人は日本語は分からないし、ツマラナそうです。それで話しかけてあげました。しかしながら、ババア二人の話は永遠に続きそうです。13日目昼食です。一人の爺さんがペラペラ自分の事をしゃべっていました。しかし途中から、チェンマイに住んでいると言ったら、皆さんの関心は自分に集中しました。ペラペラお爺さんが話していても、質問は自分に来ます。名刺をくれと言われました。チェンマイに行きたいというご夫妻です。この日の夕食時は、若い女性と二人っきりだったようです。デートと称していました。彼女のニックネームはルーシーと言います。本名は教えて貰っていません。長野出身ですが、今は横浜に住んでいるとの事です。蒲田から近いですよ。日本でも会えそうですね。彼女は聞き上手なので、自分がペラペラ色んな事をしゃべってしまいました。人生の大半を話しましたよ。気分よく会話を楽しんでいたら、80歳の爺が同じテーブルに座りました。ルーシーと同じ長野県と言う事で知り合いらしいです。邪魔ものですな、この爺、良い雰囲気で話していたのに、勝手に座って勝手に自分の事をしゃべりまくります。中卒で金属加工の仕事を60年間やって来たとかなんとか言って、南極に行ったとかペラペラしゃべり捲っていまし。こんな奴の話を聞く為に、ここにいるんじゃーない、とルーシーには申し訳なかったですが、途中退席しました。*初デートも台無しだったようですが、ルーシーさんは聞き上手なのでしょう。 ストレスがたまっていなければよいですが。 彼女は、この後も何回かこのブログ主に誘われますが、・・・。14日目 2024年4月26日(金)何故かぐっすり眠れず、睡眠不足です。ですが、ウクレレを始めたので、7時に行かねばなりません。それで、6時過ぎには朝食を採る必要があります。レストランへ行くと、順番にテーブルへ案内してくれます。自分の前を真っ黒に日焼けした髭のおじいちゃんが歩いています。この人はペラペラとしゃべり捲ります。苦手なタイプなので、ここで時間をずらす為に座っていました。その爺さんとは同じテーブルにならなかったですが、苦手な別の爺さんがやって来ました。やだなー、と思うものの仕方ありません。 しかしながら、車椅子10年生活からリハビリで立ち直ったと言う別の爺さんの方が良くしゃべり、苦手な爺さんの口封じをしました。どっちがしゃべっても、聞き流すだけですから関係ないですが、どうして和気藹々と、しゃべって聞いてと言うバランスを取れないのでしょうか?時間なので早めに席を立ちました。ウクレレの練習時間です。*苦手な爺さんがふたり、そして伏兵です。 これは最高に笑ってしまいました。 似たような話がこの後も、たびたび続きます。 自慢話は老人のさがなのでしょうが、ピースボートの乗客には度を越した人が多いようです。 この後もブログでは自慢老人話が続きます(たぶん下船まで)が、この辺で十分でしょう。普段の生活ではできないような自慢話、ホラ話が、クルーズではできるということがメリット?ということでしょうか。老人ホームでも似たような話があるようです。1500人の乗船客がほとんど日本人ということも、起因しているのではないでしょうか。外国人相手に外国語で自慢話は、少ないかもしれません。日本の老人社会の縮図?それにしても難儀なことですね。参考:名称は○○吉祥寺ですが、三鷹下連雀にある施設です。プールは高級老人ホームの証し?こちらは別の老人ホームの併設のスポーツクラブの大きなプールで、三鷹のアパートに住んでいた頃よく利用しました。ジャグジーや低温サウナ、圧力プール、歩くプールもあります。
2024.06.11
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リスボンまでの45日間で上陸したのはたったの8回だけですので、37日間は船内での生活です。上陸しても日帰りで停泊地のホテルに泊まることもなく、朝夕場合によってはお昼も船内食です。先日テレビ朝日の「ざわつく金曜日」で、この船の様子が放送されていました。撮影は、横浜で乗船10日ほど前のようです。件のブログでは、ざわつく金曜日の皆さんもテーブルについています。船の中のほとんど全てを映像で見せてくれましたが、やはりプロの撮影は上手ですね。ほぼ残す所なく、放映されていました。スィートルームも見せてくれましたが、二人部屋の一人価格が866万円と言う事でした。まぁ手が出ませんが、お金持ちには安いかも知れません。それから、ポスターを張ると値引きしてくれると言う放送もありました。3枚張ると、1000円相当、3500枚張った人は、110万円位になるので、ほぼ無料で世界一周が出来ると言う事になりますね。私もこの番組を半分くらい見ましたが、船内はきれいに、料理はおいしそうに映っていました。シアターも豪華ショーが連日行われているような印象でした。マンションのモデルルームと同じで、お客が乗っていないのでゆったりと見えます。スィートルームは、500万円くらいかと思いましたが、はずれました。勤務していた会社の会長は、退任記念に1500万円のクルーズに行ったそうです。会社からは3人が見送りに行ったとか。当地のような田舎町でも、ピースボートのポスターを見かけますが値引きがあるからなのですね。テレビでは上手く映されていましたが、実際のところはどうなのでしょう。ピースボートのリアルは?その一端を見せてくれる件のブログは貴重です。街でこのポスターを、けっこう見かけます。
2024.06.09
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ピースボート乗船ブログによれば、2024年4月13日(土)に横浜港を出港して、翌日神戸港に立ち寄り更に乗客を受け入れて、46日目の5月28日 ポルトガルリスボン上陸です。道中カメラを盗まれて思うように写真をアップできない日もありますが、毎日ブログ更新です。素晴らしいです。マラッカ海峡を渡って、スエズ運河が航行不能なのでアフリカ南端のケープタウンまわりでリスボン到着です。その後フランスルアーブルによって、2024年6月1日(土) イギリスのティルベリー寄港です。英国まで50日間、ずいぶんゆったりした航海です。英国の倉庫から日本までの貨物輸送は、スエズ経由で2週間くらいでした。アフリカまわりなら、プラス1週間?ティルベリー=テムズ川の河口ですね。さぞ、世界各地たくさん寄港したのかと思ったら、そうでもないようです。寄港地をブログからひろってみると、2024年4月18日(木) 6日目 深圳上陸 海上世界2024年4月22日(月)10日目 シンガポール チャイナタウン、マーライオン、アラブストリート、オーチャード通り2024年4月23日(火)11日目 マレーシア ポートクラン リトルインディア2024年5月 1日(水)19日目 セイシェル ポートビクトリア ヒンズー寺院とビーチ2024年5月 8日(水)26日目 南アフリカ ポートエリザベス ボードウォークモール 黒砂ビーチ2024年5月 9日(木)27日目 南アフリカ ポートエリザベス 2日目 ケープタウン ドンキン保護区2024年5月14日(火)32日目 ナミビア ウォルビスベイ フラミンゴの生息地 Dunes Mall2024年5月25日(土)43日目 スペイン領カナリア諸島、ラスパルマス ベゲタとあります。リスボンまでの45日間で、上陸したのはたったの8回だけです。観光できそうなところは、カナリア諸島くらいでしょうか。2日間滞在はポートエリザベスだけです。午後着岸なんて言うケースもあります。夕食はいつも船で食べているようですから、帰船の門限も早いのでしょう。ピースボートで観光ツアーを用意しているようですが、料金が高いのでもっぱら自力です。港の高いシャトルバスを敬遠して、徒歩や白タク利用のようです。白タクに関しては、こんな記述が目を引きました。(ポートエリザベスの出来事です。)下船しました。9時半です。歩いて時計塔まで行きました。ここで、若者たちが屯している所で、声を掛け、車で目的地まで行って貰う事にしました。白タクですね。 このおっさんが、白タクの運転手です。120ランドで行って貰いましたが、一緒に行ったバックパッカーを自称している婆さんが、120ランドは高いと言いやがりました。そんなら、一緒に行きたいと言わず、自分で一人で行け、と言いたいです。自慢話ばかりする嫌な婆さんなんですよ。(中略)帰りは、白タクと交渉の末、100ランド=1000円で帰って来ました。乗船し、一緒に行った4名でコーヒータイムです。ここでも又、バックパッカーを自称する婆さんが、自慢話です。嫌な婆なんですよ。 私の事を、ほっしーくん、とくん付けなんです。無茶苦茶怒ってやりました。くん付けは、目下の者に言う呼び方ですよね。失礼極まりない婆なんです。しかもタクシー代を支払わないのです。もう一人の方は、清算しました。この婆は、払う意思がないのかな?この婆とは、二度と行動を共にしません。*ブログには、白タクの運転手との写真がアップされていて、件の「自慢話ばかりする嫌な婆さん」も写っています。どうも、ぶらり一人旅や世界ふれあい街歩きといった具合の旅でなないようです。
2024.06.09
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4月からピースボートで世界をまわっている人の乗船ブログを読ませていただいています。愛方が好きで、BSのクルーズ旅行番組を見ています。私もたまに付き合いますが、豪華でいかにも楽しそうです。スポンサーがJTBなので当然ですね。クルーズ旅行に行きたくなるように作られています。ピースボートの旅は、100日間で世界一周だそうです。世界一周は、旅好きには魅力的な響きですね。実は、世界一周旅行に3回行ったことがあります。体にやさしい西回りが2回、つらい東回りが1回です。船ではなくて飛行機で、期間は1回2週間ほどで、出張というタイトルが付きます。仕事ではなくて、豪華客船でのんびり世界一周観光旅行、いいですね。ところで、こちらのブログは、クルーズ旅行というものを考えさせられます。船旅というとのんびりゆっくりした旅というイメージでしたが、読ませていただくとどうもそうではないようです。まずは観光です。いくつかの港に寄港してその地を観光するのですが、ブログを読ませていただいている限りでは、とてもがっかりな内容です。5月28日 46日目 ポルトガルリスボン上陸市内のアルファマ地区に着岸とあるので、中心部までのアクセスはとてもよいです。徒歩15分とあります。コメルシオ広場、フアグスタ通り、世界最古のエレベーター、ロシオ広場からベレンの塔、発見のモニュメントに行くもジェロニモ修道院は入らずです。朝8時に上陸して帰船の門限は18時にしても、たったこれだけというのはどうしたことでしょう。王宮やアズレージョ博物館を見る時間は十分あります。名物のトラムにも乗らずです。以前ポルトガル旅行を経験した身からすると、世界遺産が豊富でファドレストランやバーが充実している観光地リスボンで、夕食までに船に戻って、いつもの代わり映えしない食事というのはいかにももったいないです。昼食も簡単なパン食では、味気ないです。二日ほど停泊すれば、シントラやユーラシア大陸最西端のロカ岬にも行けたことでしょう。空の旅のトランジットで訪れたようなという印象の観光でした。
2024.06.08
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前回の映画の題名当てよりはやさしいと思いましたが、やはり予想通りとは行きませんでした。スピーチの方は、37年前の為替レートが240円で、ハワイのホテル代が日本円で1泊6万円だったと話したら驚いていました。ホテルの朝食も$15で3600円ほどでした。NYではトヨタのカローラが1万ドルで、日本円で240万円と驚くような価格でした。会社の車はキャデラックでしたが、バッテリーの性能が悪く、感謝祭でNJに行く時にエンストしました。レモンでしたね。難しい単語を使わずにゆっくりと話したつもりですが、どの程度理解してもらえたかは?です。外国人も日本人に話すとどのくらい理解しているのか不安だそうですが、まさにそんな感じです。会社でも、米国人コンサルタントにどのくらい理解しているのかきかれたことがあります。答えは、「だいたいわかっている」ですね。クイズの方は、前回から参加の飛び入りさんが、フランスが一番とこちらが振る前に答えてくれました。全員にあてるように心がけましたが、彼の声が大きかったです。彼は前々回の参加者で、タイにチキン加工場を持っているがコロナで行けず暇なので参加したとのことです。観光客の受入れが多い国としては、フランスやUSAはみんなの予想通りだったようです。スペインの2位や中国の4位、トルコの6位には驚いていました。オーストラリアも多いと予想する人が多かったですが、9.5百万人40位の答えに驚いていました。イギリスがUnited Kingdomというのを知らない人もいましたが、ロシア(Russian Federation)やオランダ(Netherland)、UAE(United Arab Emirates)なども難しいかもしれません。訪問したことがある人からは、観光名所の名前もあがりました。参加者から海外の治安状況の話がでたのが意外でした。イタリアでスリにあった話や、東欧でニセ警官に騙されそうになった話が披露されました。私は、ミラノのジョリーホテルのフロントでアタッシュケースを盗まれた話を披露しました。足元に置いてあったのですが、気づいたらやられていました。客先へのお土産の紙袋は無事でした。盗まれたアタッシュケースは、翌日ホテル内で発見され、こじ開けられてカメラだけが抜かれていました。私にとっては、契約書などのビジネス関係の書類が戻ってきて事なきを得ました。内部犯行と見ました。現地の商社の人が予約してくれたホテルで、恐縮していました。
2020.10.23
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今回のお題は、世界観光旅行ランキングです。国連の関係機関 World Tourism Organization、略称:UNWTO が発表しているWorld Tourism Barometerのデータから、国際観光客到着数のランキングを当ててもらうクイズです。足元はコロナの影響でどこも大幅減ですが、その数字はまだ発表されていません。2019年の結果です。単位:million1.France ― 84.9(2018年)2.Spain 83.73.United States 79.34.China 65.75.Italy 64.56.Turkey 51.27.Mexico 45.08.Thailand 39.89.Germany 39.610.United Kingdom 39.611.Japan 32.212.Austria 31.913.Greece 31.314.Malaysia 26.115.Portugal 24.616.Russian Fedration 24.417.Hong Kong 23.818.Canada 22.119.Poland 21.220.Netherlands 20.2*50位まで発表されています。トップテンでは、7位までは前年と同じですが、タイが10位から8位とランクアップです。日本政府の目標は、2020年までに4000万人、2030年までに6000万人です。イタリアに次ぐ6位ねらいでしょうか。行ったことがない国は、ギリシアとロシア(モスクワは乗り継ぎのみ)、ポーランドです。とりあえずトップテンまで答えてもらい、主要な観光地やもしくは行きたい都市をたずねてみようかと思います。もし必要ならば、ヒントは、国名なので最初の一文字でよいでしょう。21位以下でアジアの国は、21.Macao22.Vietnam23.India24.Korea27.United Arab Emirates28.Indonesia29.Singapore32.Saudi Arabia35.Taiwan44.Philippines47.Iran48.Kyrgystan49.Uzbekistan50.CambodiaAustraliaは、9.5million で40位です。https://www.e-unwto.org/doi/epdf/10.18111/wtobarometereng.2020.18.1.5
2020.10.21
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前回のスピーチから1か月たってまた順番が回ってきました。お題は自由で何を話してもよいのですが、やはりメンバーのことを考えてしまいます。前回の映画タイトルクイズは意外と難しかったようです。最近のお題はとんちクイズや性格判定テスト、2020年米国人の人気お名前でした。後者はクイズ形式で難しかったですね。正答率は3割ほどでした。正答は1位から順に、女性は、Olivia,Emma,Ava,Isabella,Mia、男性はNoah,Liam,Elijah,Oliver,Jamesでした。ちょっとキラキラネームっぽいですが、やはりキリスト教に関連したものが多いですね。オリビアで浮かぶのは、このふたりです。今回は、海外旅行を取り上げてみようかと思います。私が初めて海外旅行に行ったのはハネムーンで、ハワイに行きました。7泊9日で、オアフ島とガーデンアイランドのカウアイ島です。当時は為替が、1ドル240円くらいでした。カハラヒルトンホテルは代金が1泊250ドル、日本円で6万円です。一生に一回?なので、張りこみました。愛方の方は、それまでにグアムやロンドン・パリに行っていました。初めての家族旅行は、タイに行きました。バンコクとパタヤです。30年以上前で、当時はシンガポール以外の東南アジアは汚い国というイメージでした。愛方は子どもを連れて行くのを嫌がりましたが、強行しました。行ってみたら、料理はおいしく海も楽しめて、お買い物もできてタイ満足、いえ大満足でした。その後、マレーシア、シンガポール、、フィリピン、インドネシア、オーストラリアなどに出かけました。1週間程度ですから、時差の小さい近間です。中学生になると休めなくなるので、子どもが小学生のころまでですね。初めての海外出張は、台湾でした。支度金として会社から10万円が支給されました。いい時代でしたね。中国や北米やヨーロッパにも出かけました。メキシコには2回行きましたが、残念ながら仕事でもプライベートでも南米やアフリカに行く機会はありませんでした。子どもが大きくなると夫婦で出かけることが可能になりました。愛方の希望で、行き先の大半はヨーロッパです。夫婦でヨーロッパ、フランスやドイツ、イタリア、スイス、ベルギー、オランダなどです。勤続30年の記念に会社がお金と休暇を支給してくれて、ポルトガルに行ってきました。日本となじみ深い国で、料理もおいしく歴史的な建物や美しい景色が見られてとてもいい旅行でした。愛方の希望はスペインでしたが、いい国ですが私は2度行ったことがありますので気が進みませんでした。やはり、せっかくですから行ったことがない国、なかなか行けない国がいいです。それに当時はまだ働いていたので10日間しか休めず、コンパクトに回れるポルトガルにしました。続きます。
2020.10.20
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インドの次はインド洋の真珠スリランカです。島なのでインドよりも南ですが、風もあって過ごしやすかったです。キャンディのように高地もあります。このツアーは、これまでいろいろなところに行って、スリランカという人が多かったですね。元学校の先生で今は選挙管理委員をしているご婦人は、パック旅行自慢でした。フランスに行った、ニューヨークに行った・・・とよく話していましたが、良かったところや悪かったところをたずねるとさっぱりです。航空券と搭乗券の区別もつかないありさまでした。夫婦で公務員だったので年金もたっぷりと語っていました。福岡を経由するツアーで、伊丹市に勤めている方は帰りに辛子明太子をなどを買っていました。職場には九州に行ったことになっているそうです。こちらも公務員、職場に気をつかうのでしょう。海外旅行は届け出制なんていう企業もありました。日本留学経験がある現地ガイドの計らいで、キャンディでは私たちのツアーだけ仏歯を見ることができました。無許可だったのか、あとで警備員に小言を言われていたようです。1日100kmほどの移動で、楽なツアーでした。カレーもそんなに辛くなかったです。大阪ヒルトンがオープンした時、スリランカ料理店ができて食べに行ったら、インドとは違うと言われました。香辛料が違う?新宿中村屋のレトルトカレーにも、スリランカカレーというのがあります。パックツアー最後はトルコです。日本から添乗員がつき、現地のガイドが同行しました。機上から見るイスタンブールはきれいな街ですね。到着したら、すぐ市内のレストランでランチでした。できるだけ気が合いそうな人と思って席に着きましたが、青梅から来た親族グループが隣りになりました。小瓶の水か大びんかでもめてにぎやかでした。おまけにレストランに忘れたと言って取りに戻る始末です。3分の一は若者グループで、早稲田大学のゼミの学生さんでゼミ旅行ですね。グループでかたまり、バスも広報を占め彼らはとは接触ゼロでした。見た感じおとなしかったですね。今回のツアー客はお酒を飲む人が少なく、バイキングなどは30分ほどでそそくさと食べて退散という人がほとんどでした。絨毯屋、トルコ石の宝飾店、革製品のお店の三つが、トルコツアーのお土産物屋まわりの定番です。どれもけっこうなお値段ですが、どこでも何人かがお買い上げでした。誰も何も買わないと、気まずい雰囲気になるものですが、よかったです。思い過ごしかもしれませんが、何も買わないと出してもらえない、そんな感じのところもありました。ヨーロッパブランドの革製品はトルコで作っているというのが、きいたのかもしれません。トルコで作って仕上げはメイドインイタリーです。ガイドさんはクルド人でした。大卒ですがトルコでは2等国民、それ故にガイドをせざるを得ないのかもしれません。そんなガイドさんが旅の終わりにイスタンブールに向かう道すがら、聴かせてくれたのが江利チエミのウスクダラでした。飛んでイスタンブール 庄野真代https://www.youtube.com/watch?v=sWNmaua0nDYモンテカルロで乾杯 庄野真代https://www.youtube.com/watch?v=RHCOGHA17Zsイスタンブールもモンテカルロも夢のまた夢の時代でした。いい加減な歌詞の昭和の歌謡曲です。以上ですが、まだスーツケースを引っ張って旅に出られるので、当分パック旅行のお世話にならなくても大丈夫なようです。PS:こうしてブログを書いていると、次々と思い出すものですね。
2020.08.07
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周遊型パックツアーは参加メンバーも旅の良しあしに影響しますね。豪華パンフレットのヨーロッパ旅行なんかは、お金持ちの初老の夫婦が参加するというイメージです。逆に紙切れ一枚のツアーは、価格重視の人や若者が参加しそうです。客層と人数は、空港に到着してから判明ですね。それでもどんな素性の人かはまだ不明です。一週間や10日同じバスに揺られて、くさい飯?を食べてだんだんわかってくるというのがパックツアーの面白いところですね。添乗員やガイドの良しあしも大切ですね。母と行った中国旅行は、高齢者ツアーでした。50歳代の母が一番若く、70歳代のご夫婦もいました。当時30歳代の私から見れば、みんな無事に帰ってこれるのかと思ったくらいです。伊丹から行ったので参加者は西日本の人たちばかりでした。総勢10人ちょっとでしたでしょうか。さいわいこてこての大阪人はいなかったので助かりました。北京から西安までの列車で席が一緒になった、鳥取の元農業高校の先生は車窓の農作物の解説を熱心にしてくれて興味深かったです。普段の生活圏では会う事のない人との交流もパックツアーの楽しみです。日本人の添乗員と上海から中国人のガイド、さらに西安などでは現地のガイドがつきました。上海のガイドは風采があがらない頼りなさそうな人でしたが、添乗員が日本から持参したマールボロひと箱で車掌を買収して発車時間を遅らせたり、食堂車を開かせたりです。食後は、食堂スタッフと日中歌合戦で、最後はみんなで「北国の春」を歌いました。両国国民が歌える唯一の歌でした。いまなら「昴」?後年企業グループのミッションで上海を訪れた時、通訳を雇ったら彼でした。市場経済を、「いちばけいざい」と訳したのはご愛敬でしたが。ガイドは中国国際旅行社の社員で公務員みたいなものでしたが、「お金の持ち」の外国人相手で、両替(1元20円の公定レートの時代です)や土産物屋からのバックマージンで役得があるみたいです。たいていの日本人は現金をたくさん持って行きますから。上海のガイドと西安のガイドが、両替をめぐって口論になる場面もありました。西安に着いた時には、みんな両替済みで西安のガイドの出る幕がなかった、すなわち上海のガイドが先んじて儲けを独占していたと言う事でしょう。ツアー客の中には、ガイドがバックマージンを受け取るところを見て憤慨するご婦人もいました。お年を召している割には、世間知らずですね。たしか、元高校教師の奥様だったと記憶しています。ひとりで参加の紳士もいました。スキンヘッドでがっしりした体つきです。彼の旅の目的は、成都で兵馬俑の実物大のレプリカを買う事でした。何でも奈良で美術館を開くのでその目玉にすると言う事です。件の西安の美人ガイドを通訳としてホテルに呼んで、夜遅くまで売買交渉をしていました。一体10数万円?昼間に制作現場をちらりとのぞきましたが、失敗作がごろごろしていました。偽物作りの工房?ですね。兵馬俑はともかく、当時はみんな骨董や書画の類をお土産に買って帰りました。中には本物の唐三彩だと言われて、高値で買った人も。うちの母も父が馬年生まれと言う事で馬の掛け軸を買っていました。鑑定団なら1000円くらいでしょうか。街角では、梅の絵を即興で描いて売るというのもありました。モンマルトルの似顔絵同様、旅心をくすぐられます。続きます。なんでユーミン?このビデオを聴きながらブログを書いていました。内容とは無関係です。軽井沢は、会社の若手社員の旅行や街のテニスクラブJSS西荻の合宿でこのころ何度か行きました。コロナですいているかと思ったら、軽井沢銀座はにぎわっていますね。この夏は、母が買ったミカドのアイスコーヒーをいただいています。ネスカフェのアイスコーヒーとあまり変わらないように思いますが、とてもおいしいと言っていただいています。ここはソフトクリームが名物で、行列が出来ていますね。
2020.08.04
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前回は家族旅行のブログでしたが、もちろんひとり旅にも出かけました。ただ、勤め人ですから出勤予定日までには帰国して、ちゃんと出勤しなければなりません。不安定なアフリカとか南米とかなどは無理ですね。その点パックは帰国日保証?ですから、いいですね。ヨーロッパへはひとりでもあまり問題ないです。ゲーテ街道をメインにドイツ・チェコ・オーストリアアルハンブラ宮殿を見に行ったスペインに行きました。やはり、出張で行くのとは大違いですね。パックツアーで行ったのは、インド デリー、アグラ、ジャイプールのゴールデントライアングルですね。スリランカ 北部は内戦中でしたが、バスで一周です。 トルコ フェリーに乗ったり高速道路を利用した大型のバスツアーでした。中国 これは母といっしょで、日本人の添乗員が同行する大名ツアーでした。 飛行機と列車、そしてバスでした。です。いずれも発展途上国で、公共交通機関の利用は言葉の問題もあって大変なところです。観光地を効率的に回るにはよかったです。インドはエアコン付きバスでしたが、連日40度以上でエアコンはきかず、汗をかいたら適宜窓を開けて気化熱で「冷房」です。スリランカは、インドより南ですが島で高地もありそこそこ快適でした。トルコに行ったのは11月。大型バスで乗員は半分くらいで、2席ひとりでもまだ余裕がありました。旅行会社はタビックスジャパン。私のツアーとHISとJTBが同じコース、同じホテルで回ります。ホテルのチェックインは競争状態?お客さんが多いバスは大変そうでした。中国は、まだ友誼飯店や商店があった時代で列車、飛行機を利用しましたが、とにかく遅れが目立ちました。通信手段が未発達な時代で、目的地で待つ方も忍耐です。北京から洛陽へは定刻通り出発したのですが半日遅れでした。この中国旅行については、以前ブログアップしました。順調にいかないときは、添乗員や現地ガイドが奮闘していました。少しのトラブル=猫ブルは印象深く旅の思い出です。こうしたパックツアーは、全食事付きというのが多いです。衛生面もあるのかホテルのレストランで食べることが多いです。 インドは、カレーのオンパレードでしたね。内陸なので肉中心です。スリランカもそれに近かったです。日本に留学した人がガイドでしたが、日本に行って肉や魚の素材の味がわかったと語っていたのが印象的でした。肉のカレー、魚のカレー、野菜のカレーとそれぞれ違うのですが、基本はカレー味です。トルコは、ベリーダンスショーの食事がひどかったですが、後はおおむねよかったです。夏場にはヨーロッパからの観光客が大挙してくるので、それなりに洗練されていました。何てったって世界4大料理、かつての世界帝国でしたから。中国は、グルメツアーとうたっていない限りは、フカひれやツバメの巣などの高級食材にはありつけません。最初に行った時はまだ貧しくそんなものはありません。海鮮もなく肉類だけでした。上海の国際ホテルでメニューを見たら、大皿で100~200円ほどでした。Fさんのブログのヨーロッパ旅行の食事を見せていただきましたが、確かにがっかりなメニューでしたね。食事がまずいのはドイツとオランダですが、それにしてもという感じでした。旅行社の人によれば、やはり全食事付きでないとお客からクレームが来るそうです。旅行社もやむなしと言う事なのでしょうか。うちは愛方が肉がNGなので、全食事付きツアーはNGです。毎日豪華フルコースでは、財布もさることながら、胃腸が持ちません。スーツケースにはたいてい一人2個カップ麺を入れて出かけます。デリカテッセンで総菜を見つくろって、ワインを買ってホテルでというのもいいです。フィレンツェのエクセルシオールでは、メインだけ名物のTボーンステーキをルームサービスで注文し、前菜やワインは街で調達しました。ホテルのコンシェルジェに聞けば適当なお店を紹介してくれるし、予約もしてくれます。そういえば、最初の頃は各主要都市にJCBデスクというのがあって、JCBのスペシャルメニューなんてのもありました。パックツアーの場合は、たいてい自分たちのツアー客でかたまったり、別室で食事をすることが多いです。現地やほかの国からの観光客とのふれあいはあまりないですね。外国に旅行に来ているけれども、日本人村です。お酒が入れば、外人さんとの垣根が低くなる。ドイツリューデスハイムのつぐみ横丁で、近くのテーブルのドイツ人夫婦との語らいはとても楽しかったです。向こうも日本人には親近感を感じるようです。同じ侵略戦争を行い敗戦国だからでしょうか。清潔な国で愛方が気に入っている国でもあります。
2020.08.03
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海外への家族旅行はやはり子どもたちが小学生くらいまでですね。中学に入るとクラブ活動や受験勉強で行けません。バンコク・パタヤの大家族旅行のあとは、フィリピン・プエルトアズールシンガポール・ペナンバリ島バンコク・パタヤバンコク・ホアヒン香港・マカオ香港・深圳などに出かけました。海辺のリゾート地が多いですね。1990年代に入るとJALやANAでもマイレージを始めてパックツアーから無料航空券+ネットなどでのホテル予約に変わって行きました。最後にみんなで行ったのは、娘たちが高校に入る前のシドニー旅行でした。その時の彼女たちの決め台詞は、「やっとアジア脱出」でした。単身赴任だったので私は大阪から大韓航空でソウル経由、家族は東京からJALの直行便でシドニー現地集合・現地解散でした。それもあって、大学入学時にはロンドン・パリ旅行(航空券+ホテルの自由旅行)をプレゼントしました。卒業時には、「手切れ金」として100万円渡しましたが、各々イタリアへの卒業旅行やマルタ島での語学旅行に消えたようです。愛方はお土産を期待していたようですが、そんなものはありませんでした。社会人になる前の幸せなひと時ですね。パックツアーの市内旅行では、うちの家族だけでミニバンで回るというケースが多く現地のガイドさんやドライバーが子どもたちの面倒を見てくれるなんてのもありました。子どもが大きくなると公共交通機関も利用できるので、パックでなくても大丈夫です。ホテルで現地のツアーにも参加しました。こちらへもローカル電車で行きました。シドニー郊外のFOXスタジオに行った時は、息子がホテルの部屋で過ごしたいと言い張り、やむなく4人で出かけました。「ホームアローン」みたいです。お掃除の人が来た時は、隠れていたと言っていましたが真相は不明です。
2020.08.02
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1965年18歳の時のNYでの録音です。YuTubeにこんなコメントが載っていました。この曲は1965年にミコちゃん(当時18歳)が日本人で最初にニューポートジャズフェスティバルに出演参加したその時、彼女が1ヶ月くらい滞在したNewYorkで録音されて1966年に発売されたLPアルバム「ミューヨークのミコ」に収録されている曲です。私はこのLPを聴いてこの曲や「I wish I know」等を聴いて、あ!天才がここに居る! と、瞬間的にファンに成ってしまった一人です。当時高校生だった私は、主にクラシックを聴くだけでしたが、JAZZがこんなに素晴らしいことを初めて教えてくれました。それから50年近く、ずーとミコファンです。 確か、SUNNYはミコさんが世界で初めて録音発表することになった曲ですよね。 ミコさんの述懐では新幹線で偶然米国の音楽関係の方とお会いしてそれからニューポートジャズフェスティバルに出演参加に進展されたとか、彼女の実力分かる人は分かるんですね。 更にこの時エラフィッツ・ジェラルドさんが本気でミコちゃんを養女に欲しいって云ったそうです。ミコちゃんの才能をご自分で更に磨き上げたかったのでしょうね。 この参加がきっかけで、日本の優れたJAZZ Men達が評価されて、日野皓正さんや渡辺貞夫さんが出演されるようになったのです。ミコさん、本当は国民栄誉賞その時に貰っても良いくらいですよね。本題に戻ると、NYのパック旅行も利用しました。私でなく愛方姉妹です。当時NYに長期出張中でしたので、クリスマス休暇の時に来てもらいました。安いパックツアーを探したら、国際ロータリーのパックが目にとまりました。当時就航したばかりのANA便でワシントン経由です。ホテルは、ヒルトンミッドタウン。全米の駐在員などを集めたパーティーで利用していましたね。私は、GE本社近くのホテルビバリー。キッチン付きのジュニアスィートでした。国際ロータリーで申し込んだのですが、ツアーはなんと全日空ハローツアーでした。たぶん自社では売り切れなくて、他社を通じて集客したのでしょうね。おかげさまで、ハローツアーよりは5万円ほど安かったです。NY観光がついていて一通り観光名所を回ったそうです。愛方によれば、不倫と思われるカップルも参加していて20人くらいの集合写真におさまっています。新婚カップルよりも目立っていました。しかも証拠写真におさまるなんて。平日は仕事だったので、ナイトライフをセッティングして楽しみました。オペラはやめて、メトロポリタン劇場で「くるみ割り人形」、ミュージカルは「42th Street」。今はない貿易センタービル最上階のレストラン「ウィンドー・オブ・ザ・ワールド」にも行きました。休日はメトロポリタン美術館でブランチしたり、セントラルパークを散策したりと楽しかったですが、自由の女神へはフェリーがでなくて行けませんでした。クリスマス明けはバーゲンセールなのでお買い物にもお付き合いです。子どもたちへのお土産に、国連ビルの売店でスェーデン製の木工玩具を買いました。ここの売店は穴場で、女子社員にはお土産にガラスの鳩(ペーパーウェイト?)を買いました。1都市滞在型のパックツアーは、割安ですね。ホテルを選べるものもありますが、航空会社は出発近くにならないと決まらないようです。安いツアーは意外なところを経由しますね。イスタンブールに行った時は、成田→関空→タシュケント→イスタンブールでした。ウズベキスタン航空便で、ホカホカ弁当のような容器ひとつの機内食と不思議な味の赤ワインが印象的でした。イスタンブール空港で疲れた様子の老人にお会いしましたが、彼は近ツリのツアーでロシアのアエロフロートで帰国すると言っていました。モスクワ経由ですね。アエロフロートといえば、ソ連時代は搭乗すると直後に毛布の争奪戦が始まると言われていましたが、今はサービスが向上したのでしょうか。あっと驚く航空会社というのも、パックツアーの醍醐味なのかもしれません。Fさんのヨーロッパの旅はルフトハンザ航空でしたね。パックではないですが、シドニーに行った時、関空から大韓航空を利用しました。移転時期で、行きは金浦空港、帰りは仁川空港経由です。機内食でキムチやコリアンバーベキューを出すので、ここはいつもにおいます。なぜか韓国にも旅したような気分になりました。いろいろな航空会社を利用しましたが、それはまた別の機会にブログアップしたいと思います。
2020.08.01
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海外旅行は乗り気ではなかったのですが、ハワイで味をしめて翌年はグアムに行きました。当時は財テクばやりで会社がワラント債を発行し、従業員も希望すれば買えました。株価に変動する金融商品ですからリスクがあります。1口50万円くらいだったでしょうか。数か月して愛方が社宅に住む財務部の家は売ったと教えてくれたので、さっそく売りました。当時はまだアナログの時代で、株価を手軽に知ることは難しかったです。出入りの証券マンが社内のお客(部課長クラス)に株価を書いた紙を配っていました。15万円ほどもうかったので、グアム旅行です。もちろんパックツアーひとり分で、残りは夏のボーナスからです。当時はヒルトンが一番いいホテルでしたが1週間の滞在で20万円以上でした。15万円のパックでは無理で、第一ホテルに泊まりました。ココス島へのツアーがついていました。私は初めてでしたが、愛方は修学旅行で訪れたことがありました。泊りはリーフホテル。英語の研修旅行で、ビジネスクラス(チャーター便なのでせきだけです。)だったそうです。その後のバブルの頃は、欧州旅行にグレードアップです。ハワイに比べるとやはり雲泥の差でした。海はきれいでしたが、場末の観光地といったところでした。赤や黄色のペンキで書かれた日本語の看板に興ざめです。もちろん観光客は日本人だけで、プールサイドでは関西弁や名古屋弁が飛び交ってげんなりでした。グアムへはその後、マイレージ消化でもう一度行きました。日本人殺人事件の前あたりですね。パックでなくてネットでホテルを予約しました。韓国系の安いホテルとニッコーホテルに泊まりました。レンタカーを借りて島内ドライブです。恋人岬もきれいに整備されていました。軍事基地もありますね。ランチでウェスティンホテルに立ち寄ったら、旦那が基地勤めと思われるご婦人方がいらっしゃいました。いずこも同じですね。その後娘たちが生まれて、しばらく海外旅行はNGでした。2歳になる前に、双方の母親を誘ってタイに出かけました。バンコク・パタヤへグッドラックツアーで出かけました。キャセイパシフィック航空の系列で往復香港経由です。往復香港で乗り換えですが、子どもがカイタック空港で遊べてよかったです。街の上をすれすれに飛ぶ危険な着陸もなつかしいですね。2歳未満だと正規航空券の1割でひとり2.7万円払いました。大人はパック料金でした。20数万円?シンガポール行きを希望する愛方を説得してのタイ行きです。この頃、東南アジアは不衛生とのイメジーがありました。バンコクはオープンしたばかりのロイヤルオーキッドシェラトン、パタヤはメルリンでした。水上マーケットツアーや市内観光がついていました。オプショナルツアーは、母たち二人でタイダンスショーです。子どもの面倒を見てくれたのでお礼です。このころタイへの家族旅行は珍しく、観光地で見かけるのは農協や東急観光の買春ツアーの面々ばかりでした。おじさんツアーですね。やるパックなんて揶揄されていた時代です。パック旅行の市内観光につきものなのがお土産物屋まわりです。愛方は数万円のブルーサファイアの指輪を買いましたが、???です。まあ、授業料でしたね。タイといえばシルクですが、ジムトンプソンには絶対に連れて行ってくれませんでした。ただ、なんでも安いのでお買い物天国ではあります。買い物は女性の旅の目的ですから、いちおうは尊重しないと後が大変です。その後も何度かパックツアーで土産物屋まわりをしましたが、無料休憩所と心得てサービスのジュースやお茶などをありがたくいただいています。バンコクへは出張で何度も行きましたが、家族でも2度ほど行ったでしょうか。*パタヤのロイヤルクリフリゾートです。近年は、タイで仕事をした娘が、帰国後休暇を取って愛方姉妹を連れて行ってくれました。私はお留守番でしたが、バンコク女子旅というタイトルでブログアップしました。
2020.07.31
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私が最初に行った外国は、ハワイでした。ハネムーンです。私は近間の伊豆あたりでと思っていたのですが、愛方に強く反対され海外ハネムーンとなりました。勤務していた会社の結婚休暇は5日で、1週間休むのが大変な時代でした。よくデートしていた数寄屋橋の朝日ツアーでバリューツアーのパック旅行を見つけました。ホテルと日程が選べるツアーでした。エアラインがパンナムというのも決め手でした。飛行機に乗り込んだ時からアメリカですね。エコノミー席でしたが、後ろの二人掛けの席を用意してくれました。ワイキキ到着後ハワイアン航空でカウアイ島に向かいココパームスホテルで3泊した後、オワフ島のカハラヒルトンに2泊、最後はお土産を買うのに便利なようにワイキキのハイアットリージェンシーに2泊しました。リムジンで回る半日観光がついて、後は現地のホテルでツアーを申し込みました。シダの洞窟とワイメア渓谷とか、シーライフパークとハナウマ湾、サンセットディナークルーズとかですね。現地の旅行社主催の英語ツアーで、余計なマージンを取られなくて安上がりでした。1ドルが240円の時代でしたから、250ドルのホテル代が6万円です。ハワイの旅でよかったのはやはりゆっくり過ごせたことですね。特にカウアイ島のココパームスはゆっくり時間が流れていました。お客さんはほとんどが中高年の外人さんで、リゾートをエンジョイしているという感じでした。ご主人が定年退職したFさんのハワイの旅ブログは、休みなしのスケジュールでちょっとせわしないかなという印象を受けました。でも、ダイヤモンドヘッドに上ったり、ハワイ島では溶岩流を見たりしてハワイをエンジョイされたようですね。ココパームス:カウアイ島を有名にした、島でもっとも知られるホテルhttps://www.kauai100.com/see/coco-palms-hotel/ 当時カハラヒルトンを予約できるツアーは、バリューツアーだけで海側は確約されませんでしたが、運よく中層階のオーシャンビューの部屋を用意していただきました。山側は青木が優勝したハワイアンオープンのゴルフ場で、こちらも自然あふれるきれいな眺めでした。宿泊者はメンバーでなくともプレーできます。広いテラスがついていて、朝食はここでとっていました。https://jp.kahalaresort.com/Our-Resort/resort-history ツインタワーのホテルは、当時のワイキキのランドマークです。ハネムーンだったので、高めのパックツアーを利用しました。食事は、到着した夜だけツアーの現地担当者がホテルのレストラン「シーシェル」を予約してくれていました。日本人は私たちだけで、まさに外国に来たという感じでした。ゆったりしたつくりで、トレーダービックののような雰囲気と記憶しています。食事のあとダンスを誘いましたが、・・・。お金はかかりましたが、最高の旅でした。ワイキキでなかったのが良かったかもしれません。パックツアーでの曲者は、オプショナルツアーですね。NYに出張していた時、日曜日にナイアガラ日帰り観光に行きました。JTBのNY支店で申し込みましたが、140ドル、2万円くらいだったと思います。空港で渡された航空券には、110ドルとあり、残り30ドルがバッファローからナイアガラまでのミニバス代とミノルタタワーでのサーモンステーキの昼食代プラス利益ですね。バッファロー空港で、他の方たちと合流しました。日本からの新婚さんもいました。JTBなのでお客は日本人ばかりですが、代金はバラバラでした。一番高い人は、日本で申し込んだ方で私の倍くらいでした。随分差があるものだと驚いたものです。後年、旅行代理店の人が書いた「自分で行くオプショナルツアー」?という本を買いました。公共交通機関を利用して安く行くガイド本です。今は、比較サイトでしょうか。https://www.tour.ne.jp/w_optional/list/?kwd=%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%BB%9Dハワイのショーといえばこの人でした。Danny Kaleikini Live at the Kahala Hilton Hotel - Side 1https://www.youtube.com/watch?v=50yRXoByTUw Danny Kaleikini Live at the Kahala Hilton Hotel Side 2https://www.youtube.com/watch?v=7DowdWZ4cag&t=18s
2020.07.30
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世界は日の出を待っているパックツアーに求めるものは何でしょうか。旅行会社まかせでお手軽。なんにもしなくてよい。エアーとホテルがパックになっていて割安。観光施設も団体割引。旅行会社が日程を保証してくれるし、安全も保証してくれる。日本語が話せるガイドがいる。バスで見所を効率的に回れる。毎回食事がついているので、何を食べるか考える必要がない。旅仲間がいる。お土産の心配がいらない。といったところでしょうか。一回行ってもう嫌、中には海外旅行そのものがNGになる人もいます。逆に、はまる人もいます。勤務していた会社の一階が保険会社のショールームで、よく旅行社がプレゼンをやっていました。二三回冷やかしで参加したことがあります。参加者は中高年が多かったですね。旅という形のない商品、夢を売るようなものですから、紹介ビデオは良くできていますね。これを見たらわざわざ数十万円も払って行く必要はないのではと思ってしまいます。でもいつも晴れの良いお天気とは限らないし、食事が口に合うとも限りません。そして、中高年にきつい時差もあります。ヨーロッパはまだしも北米や中南米はきついですね。世界一周の出張を3回やったことがありますが、日本→米国→ヨーロッパはきつかったですね。月に3回もNYに出張した上司の顔色は、どす黒かったです。続きます。
2020.07.29
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昨日は大雨警報が出ましたが、少し強めの雨といった程度でした。村上から山形にかけてかなり降ったようで、今朝は最上川氾濫のニュースがトップでした。それでも一日中降っていたので外出せず、ネットサーフィンなどをしながら過ごしました。コロナのせいで旅、特に海外旅行のブログは少ないです。そんな中、次の方の旅ブログを読ませていただきました。良かったら、読んで見て下さいね。~2005.7.27 グアム https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/200507270000/2013.8.4~11 フランス https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201308050000/ 2015.8.1~8 ドイツ・スイス https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201508010000/ 2017.11.19~24 カンボジア・ベトナム https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201711200000/ 2017.1.2~7 ハワイ https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201701020001/ 私のコメントとリプライです。 ご紹介ありがとうございました。 この二日ほどで読ませていただきました。 モンサンミッシェルやロマンチック街道、そしてハワイ島など訪れたことがないところも興味深く読ませていただきました。 すべてパック旅行とは少し意外でした。 ヨーロッパは遅くホテルに着いて朝早く出発、おまけに全食事付きで大変だったでしょう。 食事も口に合わなかったようで、確かにひどいと思って読ませていただきました。 でもまあ、ご主人と仲良く、同行者もよい人たちだったようで良かったですね。 女性には珍しく買い物好きでないのもいいです。 旅に求めるものは人それぞれなので、いい悪いはいちがいに言えませんが、うちは愛方が肉が食べれないのでパックツアーは難しいですね。 移動が面倒な、中国、インド、トルコ、スリランカは、パック旅行でしたが、中国以外はひとりで参加しました。 動画も入っていてよかったですが、同じ記事が繰り返されていて閉口しました。 早くスペインに行けるとよいですね。 maki5417さんへ 読んでいただきありがとうございました。 二人共英語など語学が苦手で、あまり海外に慣れていないので、添乗員付きパックツアーが主ですww テーマ別にブログを分けてるので、同じ記事が繰り返されてしまい、申し訳ありませんでした。 maki5417さんは、いろんなところに行かれてて、お一人でも旅行されるのはいいですね。夫は旅行好きなのですが、ひとり旅は行かないのです。 うちは私達より子どもたちの方が海外に行ってますね。次女は旦那とバックパッカー世界旅行に1年半ほど行ってました。 お互いまた海外旅行に行ける日が来るといいですね。まずは国内旅行したいですがww
2020.07.29
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カオサン通りです。確かに、若者向けの衣料品が多いですが、原宿とは違いますね。カワイイはありません。両側は、ホテルです。黄色い紙の飾りは国王の誕生日のお祝いだそうです。お昼ごはんです。このお店は、けっこう混み合っていました。60バーツでこの味なら納得です。こちらは、刺青屋さんですね。欧米の人はこの辺で入れるのでしょうか。こちらは、各種証明書作成のお店です。もちろん偽物でしょうが、堂々と店開きです。撮影禁止のマークも見えます。今問題の中国人のニセ国際運転免許証はフィリピンですが、ここも似たようなものがありそうですね。偽造パスポートにならないように、紛失盗難注意です。後ろのボードはサンプルですが、日本のものもいくつかありました。会員証や市民カードもあり、笑ってしまいます。手前は、ジュース屋さんです。生絞りで25バーツ。アンケートを頼まれたので応じたら、これが分量が多く炎天下で大変でした。ひと通り見て、水上ボートで終点まで乗って、オリエンタルまで戻ります。リバーシティに建つロイヤルオーキッドシェラトンホテルです。初めてバンコクに来た時、家族で泊まった思い出のホテルです。できたばかりのホテルでした。オリエンタルホテルに到着です。午後4時にチェックアウトし、まだ時間があるのでホテル近くで足マッサージです。300バーツ。バンコク発 22:25、羽田着翌朝6時のJL034便で帰国です。機内販売でロクシタンの限定セットがあったので、お土産に買い求めました。3つ買って12000円でした。アンコールワットとバンコク11日間(機内2泊)の費用は、15万円ほどでした。無料航空券利用でしたが、3万円ほどのオイルサーチャージはちゃんと徴収されました。バンコクは、この後クリスマス休暇で欧米人が押し寄せることでしょう。そのあとは、年末休暇ですね。軍政で連日タクシン、反タクシンが日本のテレビで報じられていた頃でしたからバンコクは人気のない観光地で、ねらい目でした。おしまいです。
2018.07.02
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船着場からカオサン通りまでの地図です。寄り道しなければ10分ぐらいです。バックパッカー向けのレストランやホテルです。欧米人が目につきます。ハッピーハウスなんて、日本じゃこんな名前はつけない?スマイルホテルなんてのもありますから、どっこいどっこいですね。扇風機だけです。ワット・チャナソンクラームというお寺をのぞいてみました。タイでは有名な寺院の中の一つで年末年始には大勢が参拝に訪れるそうです。チャナ「勝つ」、ソンクラーム「戦争」という意味であり『戦勝寺』といいます。「どのような困難も勝つ」とされ、勝負事を行う際にお参りに訪れると勝利を掴めるといわれています。アユタヤ時代からある歴史のあるお寺です。やせた仏さまは、日本では見ないタイプです。ふっくらとしたのが多いですね。日本の場合は、葬式仏教ですから、葬式法事と坊主に酒は欠かせません。結果、だいたい丸まる太っています。こちらにも、エメラルド仏がありました。このお寺を出たところが、カオサン通りです。
2018.07.02
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12月22日(日)バンコク観光3日目。今夜の深夜便で帰国します。サンドイッチ、ヨーグルト、ジュースは、朝散歩がてらコンビニで買い求めました。マンゴーは在庫処分、コーヒーはホテルのインスタントです。安上がりな朝食です。今日は、カオサンの散策です。昔はバックパッカーの聖地、安宿街でしたが、最近はバンコクの原宿なんて言われているそうです。水上バスで行きます。まずは、オリエンタルホテルへ行き、そこから乗船です。ホテルをのぞくと、立派なクリスマスツリーです。何と、蘭の花でおおわれています。タイですね。オリエンタルの対岸にそびえるのは、ペニンシュラです。遅れてのバンコク進出で、新しいです。しばしのチャオプラヤー川クルーズです。ラーマ8世橋です。 チャオプラヤー・ボート、N13プラ・アーティット(Phra Arthit)埠頭に到着です。船を降りると近くに公園があります。1999年にラーマ9世(プミポン国王)の72歳(6周期)を記念して作られたサンティチャイプラカーン公園です。プラスメン砦は、18世紀、ラーマ1世の時代にビルマの攻撃に備えて建造された 砦の一つです。カンボジアVSベトナム、タイVSビルマ、地続きで互いに戦争を繰り返していたのですね。傾いているわけではありません。念のため。橋の上に見える人波は、タクシン派の反政府デモです。日本では衝突などの映像が流され、家内はずいぶん心配したそうです。カオサンが終点で、みんなデモを楽しんでいるような感じで危険度はゼロでした。それにしても、いまだに軍政です。治安が良くなったとの声もあるようですが、露天が撤去されたりして変わりつつあるようです。
2018.07.01
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続きです。1kmくらい歩いてパッポンに到着です。ベトナム戦争の際に、アメリカ軍兵士が休暇を楽しむために始まったことを起源とする。現在でも外国人観光客や外国人駐在員を主な対象とした、半裸の女性が踊っているゴーゴーバーが密集することでも名高い。夜には路面一面に衣服や装飾品を販売する屋台が並び、海外から多数の観光客が集まっている。隣接するタニヤ通りには日本人駐在員が多く利用する邦人向け高級クラブが立ち並び、ほとんどの店で日本語がある程度は通じる。(ウィキ)こちらは、タニヤのサンタさんです。サンタがいれば、僧侶も。リアルです。でも、誰が買うのでしょう。でもやっぱりパッポンのメインは、これですね。世界中に広がる日本のキャラクターです。偽物もゴーゴーバーも興味ありません。お目当てはこちらです。バンコクで古くからやっているというミズキッチンという洋食屋さんです。ベトナム戦争時には世界各地からやってくるジャーナリストのたまり場だったというお店です。注文したのは、名物のサリカステーキとハイネッケンです。醤油がほしいです。先客の外人さんがレアー、私はミディアムを注文しましたが、店員が間違えてお叱りを受けていました。お代は、385バーツ。スーパーでお土産のチョコレートを買って、マッサージ店によってホテルに戻りました。
2018.07.01
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ノボテルフェニックスホテルは、中級のホテルですがプールとフィットネス施設があります。小さなプールですね。泳いでみましたが、12月なのでプールからあがると寒いです。軽く泳いで退散です。台北あたりだと温水プールですが、バンコクではそれはありません。(画像はHPより)ひと休みして、夕方シーロム通りをパッポン、タニヤに向けてお散歩です。古くからあるショッピング街のディスプレーです。路地を入ると市場があります。こちらは果物屋さん。マンゴーがおいしくて、安いです。シーロム通りに戻り進むと、タイらしいモニュメントがありました。何度も来ていますが、この辺は歩いたことがないので一度も見たことがありません。続きます。
2018.06.30
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わがままな欧米カップルのせいで出発が遅れたので、帰りはノンストップかと思いましたが、トイレ休憩で一か所立ち寄りました。そこは、象さんがいっぱいです。かなりリアルです。アフリカ象でしょうか。こちらは切り株を利用しています。少し気味が悪いかな。象だけでなくライオンもありました。これだけあるということは、買う人がいるということなのでしょうね。とりあえず写真に撮って、早々にバスに戻りました。渋滞に巻き込まれず、明るいうちにホテルに戻ることができました。
2018.06.30
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陸上の施設は広いですが、買いたいものはありません。現地の人向けでしょうか。たこ焼きみたいな?器具でつくっていました。タイでは甘いお茶が売れるそうでが、こちらの甘さはどのくらいでしょう。お昼ごはんに、ボート・ヌードルをひとついただきました。あっさりしたスープで、50バーツです。おお、やっていますね。蛇は冷たくて気持ちがよいと言われても、けっこうです。ポリケースが何とも言えません。簡単に脱走したりして。水10バーツ、コーラ20バーツ、コーヒー40バーツ、ビール50バーツ、・・・。時間を見て集合場所であるバスの駐車場に向かいましたが、ここで事件です。集合時間に戻らなかった欧米人のカップル発生です。ツアー会社の人が市場の中を探し回りましたが、見つからずです。その間、他の客はバスで待機させられ、40分ほど遅れて出発しました。リタイアするなら、ひと言いえばいいものを迷惑な客です。まさか事故ということはないでしょう。夕方のラッシュにかからないか心配です。それなりに面白かったですが、以前に比べて日本人は少なくなったというよりほとんど見かけませんでした。最近は、夕方出かけてホタルを見るツアーもあるそうです。
2018.06.29
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ダムヌンサドゥアク水上マーケットは、ラマ4世時代に造られた運河で毎朝開催されている歴史ある市場です。こちらは、手漕ぎボートですね。家族でお越しのようです。こちらの船には、マンゴスチン、マンゴー、ライチ、ドリアンなどが積まれています。手前は、ココナツジュースですね、やはり食べ物が多いですね。マンゴーを買ってみました。70バーツです。ここで陸上にあがって、1時間ほど自由見学です。この間各自で昼食をとります。こちらは普通のお土産屋さんです。こちらは、タイお得意の品物が堂々と売られていました。あまり感心しませんね。やはり偽物は買わないことでしょう。こちらは、伝統的な商売です。見るだけで十分です。真ん中の船では、バナナを焼いています。続きます。
2018.06.29
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水上マーケットツアーの続きです。バナナやヤシの木と、南国ですね。清流とは言い難いですが、臭くないです。こちらは観光用でなく、地元の人のボートですね。川べりからやさいいお顔の大仏様が見えます。日本と違ってカラフルです。時折、住居が見えます。こちらのお宅はお花がいっぱいです。このあたりから、すれ違うボートが多くなります。サングラスが似合いますね。人が乗っていないと、舳先が大きく上がります。こちらは日本人?このボートは、太めの外人さんにはきついようです。お店が見えてきてそろそろ、到着です。続きます。
2018.06.28
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12月21日(土)バンコク3日目です。今日は、水上マーケットツアーに参加です。前日ホテルのツアーデスクで申し込みました。お代は1200バーツ、4200円ほどです。バンコクからのツアーだとアユタヤ観光や戦場にかける橋のカンチャナブリ観光などがあります。昔はローズガーデンという象のテーマパークみたいなのがありましたが、クローズです。水上マーケットは、最初に訪問した時に行きました。ロイヤルオーキッドシェラトンホテルからボートで行ったミニツアーです。当時は、大小何か所かありましたが、今は観光地に特化した ダムヌン・サドゥアク くらいです。8時半ごろホテルにピックアップの車が来て、ワールドツアー社の事務所に連れて行かれます。そこから、ツアーごとに出発です。日本人も何人かいましたが、ほとんどよその国の個人客です。6割くらいの乗車率で、所要時間は2時間くらいです。途中で、休憩です。蘭が栽培されていました。こちらはやし畑です。点心?砂糖を作っているところです。こんなものも売っていました。お子様向けですが、こちらはどうでしょう。とどめはこちらですが、通関、検疫は大丈夫?よその団体さんには、こんなサービスも。いくらかは聞きませんでした。20分ほどして出発です。マーケット手前の殺風景な船着場から乗船です。怪しいおじさん?いえ写真サービスの人ですね。破れた日傘がなんとも。水上マーケットに向けて出発です。続きます。
2018.06.28
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ワットアルンの続きです。大塔の中腹まで登れますが、かなり急です。この時は、先代の国王が存命でした。王宮付近は、高いビルがありません。小塔が、傾いているように見えます。大仏塔の周りにある4基の小塔も、大仏塔のミニチュアで同じ造りです。色とりどりの飾りの正体は、砕いて嵌め込まれた陶器です。右手の金のドームがのっているビルが、家内たちが4月に泊まったホテルルブアです。舟で戻ると4時をまわっていたので、散策はここで終了です。タクシーを拾いますが、なかなかメーターではOKしません。300バーツとふっかけてきます。結局3台目で150バーツの車に乗ることにしました。運転手になぜ高いのかと聞くとトラフィックジャムと答えます。途中3か所ほど混雑していましたが、おおむね順調でした。一言「ノー トラフィックジャム」と言って、下車しました。ホテルに着いたら4時半になっていました。翌日の水上マーケットツアーを申し込んで、部屋に戻ってシャワー&ビールでひと休みです。ホテル前のマッサージ屋さんでオイルマッサージ(900バーツ)を受けて、ローカルの庶民的な食堂で夕食をとりました。お代は64バーツでした。そこそこ歩いたので、ぐっすり眠れました。
2018.06.27
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ワットポーのマッサージはNGだったので、その時間を対岸のワットアルン見学に当てました。船着場から渡し船で向かいます。渡し船の上からです。アルンとは「暁」という意味で、三島由紀夫の小説「暁の寺」に描かれた寺院です。アユタヤ時代に建立され、当時はワット・マコークという小さな寺院でしたが、1779年、トンブリ王朝のタクシン王がエメラルド仏を祀りワット・アルンと名付け、第一級王室寺院としました。トンブリ王朝からチャクリー王朝となってからはワット・プラ・ケオが第一級王室寺院となり、エメラルド仏も移されました。大仏塔の右にある本堂はラーマ2世の建立で、台座には王の遺骨が納められています。*中段まで登れます。5基の仏塔のうち、大仏塔の高さは75メートル、台座の周りは234メートルです。他のタイ仏教寺院とは趣を異にしたつくりですが、ヒンドゥー教の聖地カイサーラ山をイメージして造られたものだそうです。最初に訪れた時は一番上まで登れましたが、今は危険なので途中までです。それでもかなり急です。上から見るとこんな感じです。塔の中腹で記念撮影です。続きます。おまけ:最近では、ライトアップされた暁の寺院を見ながらのディナーもあります。バンコク女子旅から。
2018.06.27
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ワットポー(涅槃寺院)、ワットプラケオ(王宮・エメラルド寺院)、ワットアルン(暁の寺院)はタイの三大寺院ですが、そのうちのひとつワットポーを訪れました。ラーマ3世によって造立された涅槃仏は、全長46m、高さ15mと大きなものです。目を開いて横たわっている場合は、最後の説法をしている様子目を閉じて横たわっている場合は、全てを終えて入滅する様子だそうです。こちらは前者ですね。 足の裏には仏教の世界観を現した108の図が、美しい螺鈿細工によって描かれています。頭の後ろ側です。こちらはお背中です。建屋も大きく、多くの人が訪れていました。涅槃仏以外にも仏さまがいっぱいです。東洋医学に基づくタイマッサージの総本山となっており、敷地内ではタイ古式マッサージを受けることができますが、40分待ちと言われてあきらめました。料金:タイマッサージ30分 260バーツ タイマッサージ1時間 420バーツ 足マッサージ30分 280バーツ 足マッサージ1時間 420バーツ以前に比べるとずいぶんお高いです。しかし、街のマッサージ屋さんに比べれば、お安いです。入場券の半券で、ボトルの水をくれるサービスがありました。
2018.06.26
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