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Danjoseの花歳時記早春と晩春が入り混じる水辺角ぐむ葦昨日の東京の気温は20度を超えまさに初夏の陽気東京近郊の住宅街の公園の水辺に、(青々と芽ぐむ葦の角)泥土から鋭く頭をもたげて青く芽吹く葦(ヨシ)早春に角ぐむ芦(アシ)この新芽はぐんぐん伸びて晩春には若葉となって茂る葦。(アシと白鷺)日本の原風景葦原(アシハラ)葦が豊かに茂り、稲の穂がたわわに稔る国「豊葦原水穂国」と古事記にあるように。葦は泥土の中に、茎を縦横に伸ばし、網の目のように絡み合ってヘドロのような場所にも生い茂り浸蝕を防ぎ、水質を浄化し、さまざまな生き物の棲家となる万葉集には、葦原に鳴く鶴を詠った歌が十一首もある。その他、葦に鴨、雁、洲鳥、カニなどが葦とともに詠まれている。(五十三首)まさに古代の葦原国のアシ原は「生き物のゆりかご」であった。(葦の芽ぐむ池を飛び立つ川鵜)そして、葦は、葦垣として、庶民の垣根となり、ある時は、貧しい庶民の薪となり、日よけの葦簾(ヨシズ)となって人々の暮らしとともに生きてきた。太古の日本列島は川が自由奔放に流れていた。その洪水の氾濫の後に繁茂してきた葦、葦原の国、日本。その氾濫を河川として閉じ込めてきた治水の歴史そして、今、コンクリートで土手は固められ河は閉じ込められた。広大な葦原は、今はもう見られない。(アシの若葉の茂る池で泳ぐ鴨)今年の春は、葦の角芽ぐむ早春と若葉茂る晩春が同居する春2007年に日本の春住宅街の公園の水辺には白鷺や鴨と葦の太古の昔と変らぬ風景が在るれど。
2007.03.30
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Danjoseの花歳時記 桜の季節めぐり来て今年も千葉県・市川市にある日蓮宗本山・真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)の古木の枝垂桜(伏姫桜)が爛漫と咲き誇っています。400年の時空をこえて今を咲ききっている桜その華やぎのなかに、時の重みを枝垂れ咲く淡い紅に溶かして人の心を深い思いへ誘い込む。枝垂れて咲き乱れる桜の重さにその時間の膨大な長さを感じて深く心奪われる長い時間を耐え生き抜いてきたいのち。今、爛漫と咲き誇る。(今回は、ミセス・ダンホセが撮影した写真です。いかがでしょうか。)
2007.03.26
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少子化と日本の医療の現実について。 日本は現在、産婦人科の医師の減少、地方の公立、私立病院の産婦人科の消滅、ないしは激減という状態が社会問題化している。地方ではお産をすることすら困難を極めている。 私達が生まれる頃は、まだ村に1~2人いるお産婆さんが、村の赤ちゃんの出産をすべて取り仕切り、自宅でほぼ全ての赤ちゃんが生まれていた。勿論、この婆さんもそうであるし、私の弟もそうであった。 赤ちゃんが生まれてくる日には、家中が、右往左往のおおわらわ、あわただしく皆が駈けずり回っている。そんな騒動のなかで、「おぎゃー、おぎゃー」と大声で赤ちゃんが泣き始める。(この時代は、専業主婦などというものはなかった。ほとんどの女が厳しい農作業の担い手だ。働く女たちだ。鍛えられた体と精神があった)この赤ちゃんの産声に驚き、幼いながらじーっと遠くからその光景を眺めていたのを、今も忘れていない。赤ちゃんが生まれ事は、ごく自然な日常の風景だったのである。人の生と死は絶えず子どもの生活の日常のなかにあった。しかし、現在は自宅で産婆に取り上げてもらう赤ちゃんなど皆無といっていい。 5月末日に我が娘(ことねのママ)が、第2子を出産する予定である。これはこの少子化の世の中にあって、めでたい事、喜ばしい事であるのだが、働く1児のママあるある娘は2月半ばより、切迫早産の可能性を指摘されドクターストプがかかり、仕事を休み、自宅で安静療養となった。しかし更に先週からは、強制入院となり、残されたコトネとそのパパは、生活の劇変にまいっているところである。特に、3歳に成ろうとしているコトネにとっては、人生初めての試練、かなりの精神的な打撃を受けており、健気に耐えている。ここで、この婆さんも出番となり、今まで無責任に育児支援などと言いつつ手助けしていた子守が、にわかに責任重大となり、毎日仕事で遅いパパに代わって、育児を担当するはめになっている。こんなあんなで、この婆さんもこのところ幼い子育てにかかわり、色々考えること多いのである。(後日、落ち着いたら、これらについても記事にしていきたい。) 今日は、コトネのママが入院中にもかかわらず、自分のブログに携帯から投稿して書いている記事を転載して、産婦人科の医療の一端を紹介してみたい。(若い人たちは、携帯からPCに繋げて日常的にネットの中で生活している。この婆さんには信じられないこと)この医療の現状は、現代のお産に高額の医療費が必用であり、その事が、少子化に拍車をかけている原因の一つではないかと思わずにはおれない。(市場原理主義の導入により、医療保険も自由化されそうであるが、そうなったらもっと深刻な実態になる。)いずれにしても、人としてこの世に生まれでて、いのちを育てていくことがどんなに大変なことか、そのいのち大切にしない現代の風潮は、次の世代に何をもたらすか、男ももっと深刻に考えるべきだ。社会の根本の仕組みのところで、抜本的な変革をしないと大変なことになるのではないか。深刻に考えざるを得ない今日この頃なのである。 以下の記事は、コトネのママのブログ:Petory Melody より転載(原文のまま) 2007.03.20 Tuesday author : Aya 医療費 いつ退院できるか看護師さんに聞いてみたら「お腹もはってないし、赤ちゃんが育ってこれば帰れると思うよ。まあ前も赤ちゃん小さいし、中毒症とかもないから、大きくならないお腹なんだわ。あとは先生がなんていうかだけどね」と。毎日NSTして心拍も測り、1週間に一度の診察。1ヵ月ここにいると私達が払う分だけで20万円を超えるらしいです。実際の医療費なんてすごいですよね。ここまで医療費をかける必要が本当にあるのかどうか、削れることはないのか??職業柄、ついついそんなことを真剣に考えちゃいます。なにかあることは許されないから、医療者側は考えられること全ての手をうつ。それで救われる人もいるけど、ほぼ大部分の人にとっては過剰医療となる。必要のないストレスをかけることになる。でも患者も、確実に安心できるような医療を求めるから、結局医療費は高騰し、社会全体にのしかかる。しょうがないのかしら?日々少しでも医療費削減しようと奮闘している私達だけど、根本的なこういう部分が変わっていかないかぎり、日本の医療費なんて減らないのではないかと感じます。ここの病院はハイリスクの妊婦さんが多いので、圧倒的に帝王切開が多いです。でも自然分娩の人も、ある期間までは、はりどめの薬を飲み早産を予防し、ある期間がくると今度は、がんがん誘発させて産ませます。まさに管理されたお産で、本来の人の産む力ってどこにいっちゃったんだろうと寂しくなりますね。母子別室で決められた時間しか会えないので、母乳のみを軌道にのせることはなかなか困難で、最初からミルク併用。今まではお産って、人間って動物なんだなってリアルに感じるほど、理屈とか理論じゃない自然なものだと、体験として感じたので、ここで見て聞くことは、ちょっとショックです。でもリスクのある妊婦さんが最低限の医療を受けながら、より自然に近い形でお産できるようにするのは、まさに看護職が力を発揮できる(すべき)分野だと思います。こういうところが看護の創造性で無限の可能性があって、おもしろい部分でもありますね。現実は困難が多いのだろうけど・・・。ここにいると、患者側から看護職側からといろいろ感じることがあります。こういう経験も必要かもしれません。| 仕事(保健師) | 15:19 |
2007.03.23
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結婚おめでとう今日は春分の日。(東京近郊の青い空に伸びて咲くこぶし)東京のまだ浅き春色の空にコブシの白がまぶしく輝く朝にコブシは一億年前の白亜紀から今日にいのちを紡ぎつづけて東京の真っ青な天空に向かってのびやかにその白い花びらを開く。あなた達の出会いから今日までの歳月はまだわずか六年。狂気のように働き混沌と狂乱が沸き立つ東京で虚栄や欲望が渦巻く街若者たちの心をひきつけて離さぬ膨大なエネルギーの満ちる街、東京で、若い二人が歩み始める忘れてはいけない、この街は狂気の街だという事を。忘れてはいけない、東京の空にも乳白色に輝くコブシが咲きぬける青空が灰色に淀んだ空気を突きぬけると在ることを(一億年のいのちをバトンタッチしてきたコブシの花)仕事に狂奔するだけのすりきれた心になるな。自分たちの置かれている位置を時には一億年の時間の流れに置いて見よ。これからが人として真に試される時いのちを育み続けることがどんなに偉大か、どんなに難事業であるかを知るはずだ。自らの命の尊厳を守り生きよ。東京の街はいのちを紡ぎ育て次に続けることの最も困難な都市。その街に生活しようとする若い2人よ、コブシの花咲く今日、東京で結婚した。ここにたどり着けた感激を生きていく力に変えよ。その力を強靭なものに二人の協働の作業で紡ぎ続けよ。さぁ、始まる君達の新しい門出が。東京のまだ浅き早春の空にコブシの花が陽光に煌いている。
2007.03.21
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絶滅寸前の野生のシデコブシ(宅地造成地の人口の貯水池の丘陵にに咲くシデコブシ)私の散歩道は昨年の秋から冬にかけて冬らしい沁みるように痛い北風の日は数える程しかなくだらだらと秋から春の気象状態で早春にさく花々はことごとくだらだらと咲き続けていた。痛いようなカラカラに乾いた春の風の中に春の息ぶきをかすかに感じるあの繊細な日本の早春の感動が消失していたしかし、この一週間ばかりはまさに冬が到来し肌を刺す風が痛く肌に刺す。日本海側の地域に雪を降らしからからになった冷たい風が中央高地を越えて吹き降りてくる。暖かさにつられて早めに咲き始めていたシデコブシはその花びらを寒さに震わす。野生のシデコブシは愛知・岐阜・三重の3県の丘陵地にある湿地のみに自生する春を告げる花数百万年前、現在の伊勢湾からこの地域に存在していた「東海湖」と呼ばれる湖底に堆積した砂礫層の湿地に「コブシ」から分化した「シデコブシ」こんなにも長く生きながらえてきた野生シデコブシは今は息き絶え絶えに絶滅の危機にある湿地と太陽の陽がよくあたる所を好むシデコブシは樹高が低いために手入れされなくなった里山の高い木の増大で枯れてしまったり山ごと根こそぎに破壊する宅地開発でその自生地が消滅したり、残った自生地も個体数の減少で近親交配の影響が、繁殖力や子孫の生存率を低下させて、現在は、シデコブシは絶滅危惧種に指定されている。(花びらは寒さで縮んで震えている)この私の散歩道のシデコブシは巨大な宅地開発で、三つのため池はすべて消滅しその代わりに一つの貯水池が作られたその貯水池の丘陵の湿地に植えられたもの何本か植えられたがこれ一本が生育している。この春は、花を咲かせ始めた頃に冬将軍に見舞われて花びらは開ききれずに縮こまっている。あの伸びやかで繊細なうすピンク色の花びらは、この春はない。(東京近郊・市川市に天空に伸びて咲くコブシ。その昔、シデコブシはコブシから分化した写真:By Danjose)東京近郊のコブシがこのように高木のため太陽をいっぱい受けて咲き誇り子孫を生存させ続けているけれど低木のシデコブシの花は廃れ行く里山の人々の暮らしと共に手入れされず荒れるままの里山の高木の下で消え行くしかない。2007年春、このシデコブシの風景はまさに日本の今の社会の姿だ.
2007.03.20
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Danjoseの花歳時記辛夷(コブシ)の花咲く浅き春(今年の東京近郊では、3月8日にもうコブシの花が満開。コブシは関東、北海道地方に自生。コブシに類似した別種「タムシバ」が関東地区以外の本州、四国、九州に自生。タムシバをコブシと呼んでいる地方が多い。早春に咲き農作業の目安となってきた)コブシの花は冬枯れしたままの木々の間に凛と張り詰めた青い天空に大樹の枝を四方に伸ばして真っ白な花びらを天空に向かって群れなして咲く。まだ浅き春の天空に寒風に晒されて山肌を真っ白に埋め尽くす。(コブシ花弁は6枚で、3を基数とした単子葉類の植物と特徴が一致。雄しべ雌しべのつき方も独特で、裸子植物の原始的なものである。1億年前の白亜紀の化石の中に多数見られる花のつくりと共通する特徴を持っている。)雄しべ雌しべが螺旋階段となって並びパラボラアンテナ型の花びらは早春のきらめき始めた陽光を反射させて雌雄のずいの螺旋階段を温める寒い時期で、まだ少ない昆虫たちが密を求めて飛んでくる陽光を集めた螺旋階段は暖炉となって昆虫たちが次々にやって来て暖をとる。(ガクの下から若葉が1枚、これはコブシの特徴)コブシはまだ浅き春に花々がうごめき始める前にそのいのちの証を艶やかな白と絶妙な雌雄のずいのつくりのなかに静かに主張している。(photo:季節の花300より)(冬のコブシ;つぼみ)蕾を覆う苞葉は毛で覆われて冬を越す。一枚の緑の若葉春のかすかなざわめきを伝えている。その昔、農耕の民であった我々の祖先はコブシの花が咲き始め山肌が白く染まる頃に田作りの農作業を始めたので「田打ち桜」と呼ばれて、人々の暮らしとともに何千年も生き続けて来た辛夷。(農家の庭に菜の花と共演して咲くこぶしの花)今年は関東地方は3月初めに辛夷の花が満開となった。そしてこの1週間、日本列島は真冬の寒気団に次々に見舞われているやっと冬が来た。3月の半ばにやっと冬が来た。東京は3月に入ってやっと初雪を観測した。こんなにも、気候異変であっても農作業の標準木としての役目は、お払い箱になっても負けずに、凛と、めぐり来た三月の空に伸び、変らず咲く。そのいのちを華やかせて寒風に咲く。(暖冬で早く咲いたコブシ、最近の真冬の寒さの霜害で、花弁が凍傷をおこして赤茶けた)
2007.03.18
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当地域は、今週は公立の入学試験である。 高校の入学試験から見えてくる現在の学校の姿とは。 当県の公立入学試験のシステムは複雑で、簡単には説明出来ないが、我が地域(尾張地方)を2つの地域群に分け、その地域内の公立(県立&市立)を更にAグループ、Bグループと分けて、受験生はA 日程、B日程と2回(2つの高校)受験することが可能である。今週の前半12日がB日程の学力試験日であった。後半A日程は、明日15日である。すでに終了したB日程の試験問題について、今日は感想を書いてみたい。 学力試験は、英語、数学、国語、理科、社会の5教科、それぞれ20点満点(20問づつ)合計100点である。点数は20点満点と低いように見えるが、どの教科も中々骨太なしっかりとした基礎学力と加えて原理原則を運用する力が要求される問題が多い。しかも1年から3年までの全ての領域が満遍なく出題され、盛りだくさんなのである。 今回のB日程の問題は、数学と理科がかなり高度な能力が要求される問題が多く、難しい。 とりわけ理科は、昨年度までの傾向から、一歩踏み出して、問題文を読む国語力、実験結果から、表やグラフのデータを使って、問題の意味を読み解く力や、一つの現象を視点を変えて考え答を導きだす柔軟性など、とても高い学力が要求される問題となっている。しかも問題文が、だらだらと長く、込み入っているように見せかけている。解答の選択肢も6個と多く、その差異を見分けて、選択するには、かなりの国語力が要る。 数学も、一つの問題の中に、幾つもの定理や性質を使って、論理的に思考を組み立てて問題を解きほぐし解答する能力が要求されている。関数の性質と図形の性質を結びつけて考察する能力などなどである。しかも、今回は、それらの問題を解答していく過程で、高度な計算力が要求されている。正確に解答するためには、高い計算力がいるのである。これらの問題の傾向は、中学生がどんな学力をつけるべきかという観点から見れば、おおむね好ましいことである。しかし、現実の中学生の多くはどんな学力を身に付けているか?この要求されている方向とは、かなり差のある、反対の方向の学力しかない。定期テストのとき、指示された範囲を、暗記してなんとか切り抜けて、試験が終ればハイさようならと忘れてしまうような知識の暗記に終っている学力では、これらの問題を解く能力は形成されにくい。さらに、実生活の貧弱がそれに拍車をかけている。例えば、理科など、今回、天体の問題で、春分の日、夏至、冬至の日の影の長さを使って、太陽の動きを地表から見たり、宇宙空間から見たりと視点を変えて考える問題が出された。この問題を考える時、生徒の側が影の問題を自らの生活実感のなかで捉えてみることが出来れば、理解しやすい。例えば、子供たちは、影は冬が長いのか、夏が長いのかに関心がなく、影の長短についての生活体験が乏しい。影が朝や夕方が正午に比べ長いことにも実体験的な関心がなく、知らないのである。自分の生活とは関係のない暗記した知識として、影の問題があるので、視点を変え、あれこれ文章化して書かれると、何が書いてあるのかさえ理解不能となってしまう。これが、多くの中学生の学力の現実である。では、なぜこのような高度な問題を出題するのか。この公立高校の学力選抜の意味は、学力上位の進学校(全体の1割ぐらい)の生徒を選抜するための問題であるといっていい。愛知県の今年の全日制公立高校の入試の実質競争率は1.08倍である。定員割れしている高校さえ幾つかある。要するに大半の高校では、競争倍率は、ほぼゼロといっていい。学力選抜をする必要はないのである。必要ないのにしているのである。だから、各高校は新学期が始まったらすぐに独自の学力テストを行って、現状を把握せざるを得ないので、どの高校も新学期早々にテストを実施している。確かに進学上位高は競争倍率が高く、志願者数の半数から3分の1ぐらいは不合格になっている。しかし、この上位者も真の意味での柔軟な思考力や高度の論理性を身につけた勉強をして得点しているかどうかは疑わしい。テレビで大手塾の解答速報なるものを見てみたが、解くテクニックを懸命に強調しているのが多かった。このようなことばかりで勉強していると、いずれつまずく時がある。要するに成績上位者も、今の中学校の学習の仕方では、公立上位高に入学する為の能力を身につけることができない。学校だけでは、対応しきれていないというのが現実の姿なのである。増して、成績中位以下の子どもは、自己の能力とは、かけ離れた暗記学習を強いられている。このような公立高校の入学試験の現実は、中学は公教育としてどうあるべきかの数々の問題提起をしていないだろうか。教科学習の内容自体をどう構築し直すことが、中学の教育を実りあるものにするかの方向を暗示してはいないだろうか。これは、中学だけの問題ではなくなってきている。成績中位で入学してきた高校でも同じことが起きている。普通科高校は、あいも変らず国立や有名私立の大学受験を意識したカリキュラムで、行おうとしているが、空回りだけして、子供たちは益々勉強から遠ざかっていく。大部分の子どもはもう入試とうい学力試験を必要としていない。上位の大学進学者だけが入試を必要としている。このような現実から考えるなら、今こそ、真の学力とは何かを考えた授業を、高校は展開して欲しい。そのような授業を展開する為の発想の転換をぜひして欲しい。高校は今とても大変な状態に陥っている。少なくとも授業を成立させるという点で。その対策に追われて教師自身が病気になってしまっている。 学ぶことで、世界が拓け、生きる力が獲得できる能力をつけさせることの出来るのは、学校がやるべき独自の行為であるはずだ。それをしない学校なら存在する意味がない。公教育の意義もここにあるはずだ。今、子供たちの多くが質的に大きく変化している。勿論、これは、子供たちの生きている家庭やその家庭が拠って立っている社会に劇的な変化、変質が起きている事からきている。だからこそ、学校は、敏感にその変化に対応した教育、子供達が学校で学ぶことに意味を、やりがいを感じることの出来るものに作りかえる事をしなくてはいけないのではないだろうか。現在、教育再生会議なるものが出している教育に関する数々の方向は、この現実認識において、現場のそれと大きくかけ離れている。うわべの現象だけを高みから捉えている。過去への復古では、子供たちは学びの場へは帰ってこない。勉強しない学校、すぐ剥げ落ちる学力だけを、しりを叩いてやらせる学校。それは、ストレスでイジメが蔓延する学校になるだけだ。学校が地域から消えてなくなる時さえ来そうである。
2007.03.14
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今日は中学の卒業式。中学生たちは、どんな学力を身に付けて巣立っていこうとしているか。この2年間ばかりの高校生、中学生の進学状況は、大きく質的に変化している。いわゆる偏差値上位の大学や高校に行ける3割ぐらいの成績上位層は、従来の受験勉強的な「基礎学力」を一応見につけて進学していく。しかし、成績中位以下の子供たちは、受験勉強をほとんどしなくとも大学や高校へ進級できる。受験勉強的な「基礎学力」は必要ないのである。よって、あまり勉強をしていないし、することに意味を見出していない。高校進学にについてみてみよう。我が地域は「公立優位」といわれて久しい県であるが、この数年は、必ずしもそうではない。私立の高校が生徒を早い時期に獲得しておきたいので、推薦入学者を大量に出し、公立までもが推薦入試で、一定の率で合格者を早い時期に決めている。その合格基準も極めてあいまいで、子供たちの何を見ようとしているのかはっきりしない。簡単に安易に進学が決まる半数近い子どもがおり、卒業式の段階まで進学先が決まらないのは、成績上位の公立高志願者とその他の少しである。これなら、入試などやる必要なく、全員を振り分けて入学させればいいのでは。このような状態で、どんな勉強をすべきか、はっきり定まらぬまま、ざわざわと3学期は過ぎる。要するに日本の今までの学校が学力として、追求してきた事は、進学のための「知識の暗記」「公式の適用」「計算の習熟」などである。7割の子供達が高校や大学への進学に際して、このような「基礎学力」を必要とされていないのだから、勉強などする必要性を感じないのは当然の帰結である。これでいいのか。 安倍内閣の進めている「教育再生会議第1次報告」では、「ゆとり教育」を見直し、「学力向上」のため授業時間を1割増やし、読み書き計算など基礎・基本を反復・徹底するという報告をした。「教育再生会議」が基礎学力というのは、知識の暗記、抽象的な記号操作の早さの力である。分けが分からなくてもとにかくやれ、子供たちを競争させて尻を叩く勉強のさせ方を復古させるということである。子供たちは、ゆとり教育でラクをしているのでもっと締め付けろというものである。その親たちが受けた「教育内容」、その結果達成が成績や学歴を決め、それがその後の社会的地位を決めた「基礎能力」を子供たちに押し付けようとしている。親達が受けてきた教育内容が、本当に「基礎学力」を身につけた教育といえるのだろうか。子供たちは知っている。自分の親達の「学力」の低さを。自分たちの親の学力が中学のレベルの問題さえ解けないものだということを。そして、進学をしてしまえば、その「暗記された知識は」すかり忘れ去られてしまうもので、生きるのに役立たないことを。子供たちは、親の身につけている学力の「嘘っぽさ」を直感的に見抜いている。そして、自分たちが大人となったとき、その学力では生きていけないことを直感している。 社会は消費化、情報化して、働く質や構造が質的に変化している。その社会の中で生きていくとき、自立した人間としてどんな知識や技能が必要か。「学びの基礎」が、そのような生きる事と結びつくような学力であるためには、どんな学びが必要か。 自分の生きる世界と深く関る学び、学ぶ意欲や、創造性や、対人関係を切り結ぶ社会性などを身につけて成長できる学びを公教育が担わなければ、益々公教育は荒廃するばかりではないだろうか。 このようなことが実践できる公教育は、安倍政権が進めようとしている、子どもを競争させて点取りのための過去の問題を反復させて暗記させる教育では出来ない。「市場原理」を教育の場に持ち込んで、競争と淘汰で学校を競争させることでは実現できない。そのような方向の改革は、教育再生ではなく、益々教育を荒廃させるばかりだ。 公教育が地元で高い質を獲得してくれることが、親としてもっとも望ましいし、社会としても必要なこと。でも、現実は中々厳しい状態である。 子どもを持つ親達は、自分の子どもにどのような「基礎学力」や技能を身につけさせべきか、今こそ深く考える時だ。国家と同じ価値観の「子育て」は、その子どもが、20年後どんな大人に育つか想像力を働かせ、よくよく考える必要がある。
2007.03.07
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秋のサンティアゴ巡礼街道(9)巡礼街道(17)で、この回で扱った「秋咲きクロッカス」について、再度訂正加筆記事を書きました。その後の調べでこの花がユリ科メレンデラ属のメレンデラ・モンタナ(Merendera montana)と判明。(17)と併せてご覧下さい。朝の陽光を浴びていのち輝かす秋に咲くクロッカス(その2)寂しい荒涼とした山道をてくてく、てくてくと果てしなく歩く。黙々と歩く。登りり詰めた所、イラゴ山頂近くクルス・デ・フェロ峠海抜1505mに、天にまっすぐに伸びて立つ鉄の十字架(イラゴ山頂に立つ鉄の十字架)この日は超快晴、木柱のてっぺんに立つ鉄の十字架は抜けるような空の青に溶け込んでしまいそう。眼下には、レンズ雲が白くたなびく。 千年の昔も巡礼者たちは、この峠を鉄の十字架に励まされ、慰められて黙々と山道を歩いて、峠超えをしていたに違いない。木柱の周りに積み重ねられた小石、その小石の一つ一つに巡礼者たちの込められた怨念や願いがある。千年の時を越えてもなお、巡礼者たちはその風化して土になってしまった小石の上に似た思いを重ねて小石を積み続けている。その十字架の側にある小さな教会 教会の周りには薄紫色のクロッカスが点々とまばらに咲いていた。いつも鄙びた教会の周辺に咲いている秋咲きクロッカスこの輝きを見よ。朝の陽光をあびて、群れなして咲くクロッカスの花々を、 鉄の十字架ををはさんで反対側の道端に陽光にいのち輝かせて咲ききるいのち夜明けとともに咲き日没とともにしぼむ花花咲く時期も短い。秋に咲くクロッカスはジリジリと焼けつく夏の強い陽射しと乾いた夏の気候のもとで秋の降雨で土中から目をさまして花を咲かせるこの巡礼街道の夏の焼けつく日照りと乾いた夏の空気の中で何千年ものいのちを紡ぎつづけて巡礼者の心を癒し、巡礼者の病や傷を癒してきた花今日も何千年前と変らずそのいのちを輝かせ巡礼街道の旅人に深い感動を生きるエネルギーを与え続けてている。《花の名一口メモ》サフラン(Saffron)サフランには次の2つの意味がある。 1)植物の名前。学名:Crocus sativus ネパールを産地とするアヤメ科の多年草。クロッカス属。高価な香辛料がとれ、多くの薬効があるハーブ。 2)クロッカス種の花の花柱から採れる、香料(spice)のことをサフランという。 サフランクロッカスの花(長い花柱が、数々の人間とのドラマを作り出してきた) 秋咲きのクロッカス属のなかに学名:Crocus sativusがあり、サフランクロッカス(saffron crocus)と呼ばれる。これが日本で俗にサフランと呼んでいるものである。このサフランクロッカスは東地中海沿岸に自生する秋咲きクロッカス:Crocus cartwrighianus の種子の出来ない3倍体の突然変異体であり、栽培種で自生していない。これがいわゆるサフランと呼んでいるクロッカスのことである。しかし、驚くことに、このサフランの栽培の歴史は、何と3000年以上前に遡るというのである。人類がはじめて野生種類を育てようとした植物であるというのである。クロッカスの3本の長い花柱を求めて、厳しい選別を野生種のなかで繰り返し行なった結果が、サフランの長い栽培の歴史であるという。地中海の地域の古代文明(紀元前1500~1600)の壁画のなかに、すでにサフランが治療薬として使われていたのが描かれているというから驚きである。花柱上部の濃赤褐色の部分だけを集めてサフランと称して、薬、染料に用いる。香辛料として使用されるのは、赤色の雌しべで、手で摘み取り、低温で乾燥させて密封貯蔵する。およそ1万5000個の花から約100グラムしか採れない。(手作業のサフラン工場・フランス)花の摘み取りも、花期は1~2週間と短く、1日花で、朝に開花し夕にはしぼむので、短時間に短期間に大量の収穫をしなければならない。全て手作業の大変な重労働なのである。香辛料のなかでは最も高価なものであるのも肯ける。香味は独特な刺激がある香りと快いほろ苦味がある。水に溶けると延びのよい黄金色となり、料理の着色料として使われる。(ブイヤベース、スペインのパエーリャなど)Saffron(サフラン)の語源はアラビヤ語のzafaranに由来。アラビアの香辛料の名前で黄色を意味する。古代には女性の眉染めやマニュキュアにも使われた。古代ギリシャでは、クロコス(Krokos)と呼び、内服液、練り薬として使われた。クロコスは「紐」の意味で柱頭の状態を指していた。クロッカスはこれからの派生した語。古代ギリシャ、ローマでは衣料の染料としても使われた。高貴な色として、富みや権力の象徴でもある。ギリシャ、没落後はアラビヤ人がヨーロッパと広く交易したために、サフランがクロカッスの名に取って代わり広まった。現代においては、イラン、スペイン、イタリア、南フランスなどがその栽培地として有名である。強い陽射し、乾いた暑い夏、春先の適度な降雨などクロッカスの生育条件は厳しく制限されており、その地域でのみ良質なサフランが採取できる。 人類の歴史と共に、人間の暮らしと深く関って、行き続けてきたクロッカス。巡礼街道のクロッカスも、栽培種のサフランクロッカスではないけれど、サフランの代用として、中世には、巡礼者の病や傷を治す薬草として、人々に大切にされてたのではないだろうか。
2007.03.05
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コトちゃんの雛祭り2歳10ヶ月、元気いっぱい、賢く、すくすくと伸びやかに成長しているコトちゃん。言葉達者、遊び上手、保育園では遊びのリーダーとなって、小さなお友達のなかでめざましい成長を遂げつつあるコトちゃん。三たび、雛の節句がめぐり来ました。(バアバが作った雛祭りのごちそう:ちらし寿司・三色ご飯・あさりとわけぎの味噌和え・あさりとミツバの吸い物)具がいっぱいの「田舎ちらし寿司」(写真右上)すし飯には人参、椎茸、レンコン、高野豆腐、チクワを食べやすい大きさにして、醤油味で煮しめ、混ぜてあります。その上に、錦糸卵とのりを刻み、ゆでエビと茹でたフキをささがいて散らした春らしいお寿司です。 (三色ご飯とおこしもの)三色ひなご飯(写真上)梅干の種を除いて、果肉を細かく刻んでご飯にまぜる(赤)細かい入り卵をご飯にまぜる(黄)青海苔とフキをご飯にまぜる(青)この三色のご飯を空の牛乳パックを高さ4センチに切り、菱形の型にして順番に赤、黄、青と三段に詰める。最後ゆでたさやインゲンと塩漬けのさくらの花びらを飾る。菱餅に似せたお雛祭りに華やかな一品。おこしもの(写真中央)この地方の農家には古くから各家庭が「押しものの木型」を揃えており「桃の花」「めおとびな」「たい」などの木型に米の粉を練って詰め、型を抜いた後「せいろ」で蒸す。蒸しあがったものに赤や黄や緑の食紅をぬる。昔は、近所の気心の知れた人々が集まり、一日かかって押しものを作り、それぞれ家に持ち帰りおひなさまにお供えした。 (写真左:コトネのママが作ったイチゴ大福・甘さ控えめさっぱりとした可愛らしいお饅頭。写真右:菱形の三色ご飯アップ・梅干はミーシャさんから以前に頂いたもの)陶びな コトネのパパの実家は陶器製造(吾山窯)を生業としている。そのおばあちゃんから頂いた陶製の素朴な可愛らしいお雛さま。コトネの住んでいる地域は、旧暦3月の最初の巳(上巳)の日に雛祭りを行う。今では4月3日に固定し、その日が雛祭り。例年なら、ちょうどその頃が、厳しい冬の寒さから開放され春を告げる華やいだお祭りとなるけれど、今年は、新暦の3月4日でさえ、気温が日中は22度にも上り冬服がやけに重く感じる初夏の陽気となった。雛祭りの春を待つ華やいだ気分からは遠い日となっている。伊豆稲取の「雛のつるし飾り」伊豆の河津のさくらが、爛漫と咲き誇る2月27日、その近くの稲取温泉では雛祭りが行われていた。その時Mr.Danjose撮影した「稲取の雛のつるし飾り」ひな壇の両脇に、手作りの雛飾りを飾る風習が江戸時代からあるとのこと。江戸時代においては、お雛さまを購入できない庶民がせめてその代わりにと手作りの雛飾りで、初節句を祝おうという庶民の願から生まれた「稲取の雛のつるし飾り」。(つるし飾りには、這い子人形・座布団・おかたごろ・三番そう・もも・猿っ子・などなどがある)昨年、紹介した我が家の「昭和のおひなさま」は私の叔母が数年かけて作ったものであるけれど、この「雛のつるし飾り」も女達が布の端切れを集めて、ひと針、ひと針、一心に縫い物をして作っていたのでしょうね。その女たちの哀しみや、苦しみや、願いが、ひと針、ひと針に込められていたに違いない「つるし飾りもの」その当時の「つるし飾り」が見たい気がする。女の子がある年齢に達すると燃やす風習があり過去のものは残っていないという。我が地方の「おこしもの」を作る楽しみも農作業の忙しくなる前の続く重労働の日々つかのまの休息であったに違いない。かっての日本の雛祭りには働く女達の粘り強い、地に這いつくばって生きる生活があった。わたしのおばあさんやひいおばあさんたちのそれは時代だ。ことねよ、そんなオババたちの女の時代があったことを心にとめよ。
2007.03.04
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