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2010年明けましておめでとうございます 当地方は今粉雪が深々と降っています。久しぶりに雪のお正月となりました 教えることは希望を語ること学ぶとは真実(まこと)を胸に刻むこと(ルイ・アラゴン) 昨年は歴史が確実に転換していることを目の当たりにすることが出来た年。今年も更なる激動の歴史が展開される予感がみなぎっています。半生紀を越えて生きることのこれは醍醐味です。 しかし若者たちには、とても厳しい時代になっている。重苦しい暗雲がたちこめている。 社会の奥深くで、大きな変革のうねりがあり、そのうねりが必ずや表舞台にあらわれる。そのとき若者たちが社会の担い手として活躍できるはず。数十年先を見通す「学び」と確かな能力を蓄える今は時期闇のなかでこそ、身につくものもある。 だが、今の日本の社会の学校教育の主流の「学び」は相変わらず、皮相な暗記学習、テスト点数主義 このような学校教育の中からは将来を見通す力、今社会に何が起こっているかを考える力は育たない。社会を自らが主体者となって切り拓く市民は育たない。 マニュアル通りに動くロボットのごとくまさに機械の手足となって働く労働にはこのような教育はもってこい。 戦後の日本の教育が作り出してきた人間は順調に高度経済が成長しているときは問題なさそうにみえた。 しかし、技術革新やグローバル化でそのような人力は不必要になりつつある 今、若者に起きている失業や就職の機会が少ないのは、その彼らのしていた労働のあり方そのものが不要だという証明ではないのか単なる不況などという生半可なものではないもっと、構造的なもの 未来を見据えた学力を形成していないところにこそ今の若者たちの就職難の問題があるのではないか それでもなお物言わぬ、本当の学力が、からっきしない子供たちを育て続けている学校教育や家庭 さらに最底辺にいる子供たちはどんな意味でも労働力には成り得ない驚くべき子どもたちが出現しつつある その従来の能力さえ身に付けず学校からドロップアウトしている。 知力は勿論のこと体力、気力、ともに育っていない 社会にでても働けない働く意欲あっても、働く力ない麻薬の売人か、万引か、詐欺かでしか命をつなげない そんな子どもたちが育っている彼らはモラルが低いからではない 人としての、社会的な「人間」としての人格を幼い時から、その年齢にふさわしく大人たちから養育を受けてこなかっただけ。 金儲け第一の文化の餌食となって幼い時から生活してきただけ 学校でも彼らはお荷物扱い こんな子どもたちが層となつて社会の底辺によどむ国其れが21世紀の日本 貧困と格差 この克服なしに未来の展望は語れない若者のこの状態は大人自身の問題でもある 子どもの「貧困」とは何か。昨年はこの問題を深く自己にひきつけて考えざるをえない子どもに出会い格闘してきた。勿論、生計もなりたたない貧困のなかで育っている子どももいる。しかし、親世代は「貧困」とはいえない状態であるが、その子どもは確実に「貧困」層に転落せざるをえないだろうと予測できる子どもたちの出現である。幼い時から、生活習慣の基本をトレーニングしておらず、人としての体力さえ育っていない若者である。「モノを消費」することだけが肥大している。テレビ漬け、ゲーム漬けの幼い日々知能が低いわけではないが、「学力」は何もついていず、人と交わることさえ面倒でできない。幼い時から遊びなどを通して人と交わる術も身に付けたことがない。恐らく社会に出てもどんな意味でも役立たない。そういう子どもが出現している。ゆるやかに一からやろうとしても、それもできないほどの幼さなのである。 こどもの教育や子育てについて、根底のところで対策たてて実行していかないと、少子化のその質のところでも、とても危ういものがある。それが、変革のうねりのなかに内包する日本の今である
2009.12.31
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冬将軍がやって来た 我が地方にも先週の金曜日の夜には初雪となり、数センチの積雪となったそれ以来、猛烈な寒波に見舞われている Merry Christmas シナヒイラギ(チャイニーズホーリー) 長方形の固い革質の葉っぱ濃い緑、厳しい寒さをしのぐマントのよう赤い実いっそう赤く熟して初雪の白さと鮮やかなコントラスト 厳しい寒さにさらされて甘味増す冬野菜たち 畑から掘ってきたばかりのネギ根毛からほこほこした泥がこぼれ落ちネギのプーンとした臭いがあたりに強くただよう ほんのりと甘いネギ 冬にこそおいしいホウレンソウ 寒風にさらされてこそホウレンソウの味は深みをます ホウレンソウの強い灰汁はホウレンソウのえぐみとなって甘味を引き立てる 冬野菜の王さま小松菜 ビタミンAに富み鉄分などのミネラルも豊富カルシュウムの含有量も高い この小松菜葉は虫に食われているけれど葉っぱは甘く、ちょっぴり苦い濃厚な味 ニンジンこの迫力を見よ 生で食べても天ぷらにしても鍋にいれても 甘くておいしいよ ニンジンの皮は白っぽくとても薄いスーパーのニンジンは、機械で洗うので、出荷地で既にはがされている その皮はがされたニンジンを皮と錯覚して、家庭では更に表皮を剥いて調理している。皮と思ってはがしている表面にグルタミン酸やカロチンの栄養豊富ということ知っているか この絵のニンジンは、もちろん薄い白い皮はついたまま。 冬のダイコンもおいしいね おでんに鍋に細くきざんで生でサラダにと活躍する冬のダイコン かぶら ロシヤ民話の「大きなかぶ」のようよいこらしょ、どっこらしょ長い根っこ、地中深く根を張ってかぶに栄養貯えていたんだね サツマイモ でっかいおいもふかしたら、ほくほくおいしいよ。お正月にはきんとんになって活躍する予定 この野菜たちは、無農薬で、しかも、できるだけ自然の営みをいかして野菜を育てる欝蒼農園を営んでいる青年がつくっているもの。我が家の食卓を賑わしている冬野菜たちである。 冬には冬の野菜しか栽培していないので、その野菜の特徴が最大限いかされた味がする。幼い時はこんな野菜ばかり食べていたのだが。こどものころ嫌いだった味も今ではとてもおいしく感じられる。とりわけ野菜の灰汁からでる、えぐみや渋み現代の工場生産の野菜からは消滅しようとしている味が今なおしっかりと保持された野菜たちである。 子ども時、嫌いだったこれらの味。でも、味覚は、苦さ、酸っぱさ、甘さ、しょっぱさのハーモーニーのなかから完成されるのではないか。人は長い時間かけて、おいしいと思う味覚を育てるのではないか。濃い味付け、ソースやマヨネーズやドレッシングなどでごてごてと味付けしなくては食べられないのが現代の野菜たち。野菜自体が、人工的に人間の好む味だけに作りかえられている。ほんのり薄い塩味とオリーブ油をふりかけただけの野菜サラダそれぞれの野菜が個性を主張しながらも溶け合ってハーモーニーを奏でるサラダ スーパーで売られるあの間の抜けた野菜ではとうてい食べれないこれは調理法 野菜の味を無くするのが今の品種生きたものとしてではなく、いかに効率よく生産し、コストダウンできるかこの観点を重要視してつくられたモノまさに商品としての野菜たち 味覚は舌にある味蕾(みらい)によって、感じられるという。現代の子供たちは、苦味を感じる味蕾が未発達、退化しつつあるという。これらの味覚が発達しない食生活。自分の好みの味だけを食べている子供たち。 自然の恵みから遠く離れた食のありよう この食生活が子どものこころや体にどんな影響をあたえるか。 現代人は自分のからだでその事を実験している世界規模で人体実験している。 欝蒼農園だより 2009/9/15「散歩道は秋色」の絵手紙の後半部分にこの農園を営農している青年の文があります。
2009.12.23
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こどもの詩・二題 (鳥笛:森のなかの枝をくりぬいて作った笛。澄んだ鳥の鳴く音がでる。これはサクラの枝からつくったもの。) たいせつな鳥笛 まゆ たいせつな鳥笛 鳥のなき声のする鳥笛 たいせつな木の命をもらって作った鳥笛 木の命をもらい 人の手で作られた鳥笛 その鳥笛が売られてる その鳥笛をわたしはおじいちゃんに買ってもらった。 お母さんに「買って」とたのむ。 お母さん、「妹とふたりで使って」 でも、どうしても妹とわたし、ひとつづつ欲しかった。 するとおじいちゃん ひとつづつ買っていい、 ひとつづつ買っていいよと言ってくれた。 おじいちゃんにお手紙書こう おばあちゃんにもお手紙書こう 感謝の気持ち伝わるようにお手紙書こう どう書いたらつたわるか どう書いたらわかってもらえるか たいせつな鳥笛さん そして、おじいちゃん ありがと まゆちゃんが鳥笛に出あったときの驚きやうれしい気持ちがそのまま言葉になってほとばしっている。その思いが「たいせつな鳥笛」という言葉のなかにこめられた。そしておじいちゃんへの「ありがとう」の気持ちへと自然に繋がっていく。 言葉の豊かさが「こどもの心」を育てる。この詩は、その良き実例である。 秋の王さま まゆ あきの王様 あかいいろ してる あかいろしている王様いるか 呼んでみよ あかいろの王様 どこにいる 返事こない はっぱがしゅるしゅるり さらさらさ もみじの王様さらさら わたしをよんだの だあれ あら あかいろしている王様 もみじさんだったの あきの王様 みどりいろ している みどりいろの王様いるか よんでみよう みどりいろの王様 どこにいる 返事 くるか はっぱしゅるしゅる さらさらさら くるりんさら あおあおしているもみじの王様 こんにちは わたしをおよび あらこんにちはみどりのもみじさん あおあおしているもみじさんだったの あきの王様 オレンジいろ している オレンジいろしている王様いるか よんでみよ オレンジいろの王様 どこにいる 返事おそい はっぱがしゅるしゅるる さらんさらんさらん くるりんくる オレンジしているさくらの王様 こんにちは わたしをおよび オレンジいろしている王様 さくらさんだったの あきの王様 きいろ している きいろしている王様いるか よんでみよ きいろの王様 どこにいる 返事 くるのか はっぱがさらさらり くるりんぱ わたし よんだ きいろをしている王様 いちょうさんだったの あきの王様 みんなそろった そろったおいわい おいわいだ はっぱ ぱらぱらぱらら わい わい わい わい ざわ ざわざわ みんな たのしそう わたしもなかまに わい わい ざわざざわ ぱらぱらら まゆちゃんは、この私と同じ美しく紅葉する、まだまだ自然林が残る住宅地にすんでいる。この詩・2編は、この地方の紅葉の名所、香嵐渓に紅葉を見に行ったときのものである。その移り行く秋のすがたをこのように心から溢れるにまかせて言葉にしている。冨士子婆やダンホセが紅葉を切り取って表現したのとは、ある意味で全く反対の面から「秋の紅葉」を感じ取っている。初々しい息ぶきがそこにはある。 まゆちゃんは小学校4年生の女の子。私のところに勉強を習いに来ている子。大人の視点から添削して、もっと整った詩にすることもできるが、ほぼ原文のまま載せた。 意識的にひらがなで書いたり(もっと4年生のまゆちゃんは漢字が書ける)、段を変えたりしているわけでないのに、まゆちゃんのこころのリズムが素直に言葉となって溢れてくる。リズミカルな言葉のつながりとなっている。これがこどもの素晴らしさ。子どもは生まれながらの詩人なのである。 世のお母さんたちにお願いしたい。 あれこれいじりまわさないで、書くものが溢れた時、そのまま言葉にする習慣をこどもたちにつけさせてほしいと。そうすると文を書くことに抵抗を感じない、文が書ける子どもに育っていく。(習った漢字は使いなさいとか、この文章には句点がないとかなどなど、大人の勉強という視点で口うるさく注意しないでくださいね。文を書く能力を身につけることは、大変なエネルギーや粘り強い反復がいる。言葉があふれでる日常の生活体験の豊かさが一番肝心、必要なことであると思いますよ)
2009.12.18
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現代に継承される日本の文化 11月23日にダンホセ夫妻は天皇陛下ご即位20年特別展を見に皇居東御苑を訪れました。 そのとき珍しいと撮影した旙(バン) 晩秋の皇居の森を背にはためく旗 旙 日本の経済の心臓とも言うべき背後のビジネス街の高層ビル群と幡の林立のアンバランスが面白い。モダンと古代が奇妙に溶け合っている 私は1昨年(2007年)奈良国立博物館の正倉院展で飛鳥・奈良時代の旙が展示されているのを見た。そのときは、飛鳥・奈良時代の織物の織りのひとつとしてこんなものが、延々と生き延び今に残っているのだと感動したが、その旙が、現代によみがえりビジネス街を背にしてはためいているとは。このように華やかな色合いではためいているとは。 旙(ばん)とは何か。調べてみると、仏・菩薩の威徳を示す荘厳具。梵語のパターカー(pataka) に由来し、古代インドの軍旗が源流。初めは、仏教教団の標章として用いられたが、後に、法会や説法のとき堂内や境内にかける荘厳具となった。材質的には、布製の斬幡(キレハタ)が多く、他に、金銅幡や玉幡などもある。 用途により、 内・外(げ)陣幡、灌頂(かんじょう)幡、命過(みょうか)幡、葬送幡など。色や模様によって、青幡、五色幡、仏像幡、菩薩幡、種子(しゅじ)幡、などなど多種多様な旗・旙(バン)。 日本では、飛鳥・奈良時代に優れた品が多く、正倉院には、聖武天皇1周忌法要が東大寺で営まれた時使われた数百旒(リュウ)の錦・羅の幡のほか金銅幡4旒など多数残っている。 私が正倉院展で見たのは、この聖武天皇時代の幾つかであったのだろう。 古代からの文化が保存され、現代に継承されてきたことはある意味で、皇室という特殊な立場、環境があったからといえる。 皇居の森昨年のお正月のNHKのドキュメンタリー番組で皇居の森の奥深くまで初めてカメラが入ることが出来たとかで皇居の森を紹介した。都心にありながら生物の多様性がしっかりと根付いた森がそこにはあった。これは驚きであり、感動であった。皇居という特殊性が、経済効率だけを優先する開発から森を守った。 これも又、良き事かな。
2009.12.02
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美しすぎて 今日本の山や野はモミジやカエデが錦綾成す この深い赤 晩秋の柔らかな陽光をあびて輝く紅 黄葉したモミジ モミジの簾 黄葉の落ち葉と緑の葉っぱ 見事にハーモーニーして 見上げれば 赤のシャワー 足元見下ろせば 落ち葉を散りばめた絨毯 その色の深さ 見事さ 日本の着物の裾模様のよう 柏葉紫陽花の紅葉も モミジの紅と溶け合って 秋色華やか 本土寺の庭はひらひらと散る落ち葉の海 落ち葉に埋まる 本土寺の華やいだ参道 まさに暮れようとする秋 葉っぱたちは 華やいで穏やかに 大地へと還る 紅葉は落葉につながる植物の生理現象である。葉を切り捨てようと葉柄の基部に離層が出来るため、葉で作られた栄養分が行き所をなくして蓄積され、アントシアン類の赤い色素ができる。紅葉するのは夜間低温にあい、昼間との気温差が激しいと、蛋白質が分解され、アミノ酸にかわり、上述のアントシアンと作用しあって、葉緑素が分解され、緑色が消失するためである。アントシアンができない種類では、葉緑素の分解により、カロチノイド系の色素が目立ち黄色に染まる。日本の秋は 日本の気象条件により、日本特有の赤の強い紅葉となる。微妙な深い赤となる。モミジとカエデの紅葉はその代表的なもの。 葉にとってはまさに死への旅路その直前の華やぎが紅葉といっていい。 12月1日Mr&Mrs Danjoseは再度松戸・本土寺を散策しました。前回(11月20日)よりも一層モミジの紅葉は深さを増し、まさに紅葉真っ盛り、且つ落葉の見事さ。その晩秋の美しさをカメラに収めました。冨士子婆は(11/27に)、絵手紙で晩秋の葉っぱたちを描いたものをアップしましたが、モミジの葉っぱ美しすぎて描けませんでした。私の散歩道は、今クヌギやナラのドングリの木々が見事に黄葉しています。朝日に輝くとオレンジ色に燃えています。モミジの木もその所々で赤く燃えています。深い赤です。とても絵に描けない美しさです。 ダンホセの本土寺のモミジはその美しさを存分に伝えています。お楽しみください。
2009.12.01
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