日々草

日々草

2005.06.29
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カテゴリ: 我が家の子供たち

「読む力は生きる力」 の続き、我が家版である。

第1回目は娘(一児の働くママ)の幼い時からの本との出合いと成長である。
第2回目は息子(この7月からやっと社会人、体育系の読書嫌い)の読書遍歴について。
第3回目は孫の詩音(ことね)1歳、のブックスタートについてと3回に分けて書いてみたい。

我が家の場合―読み聞かせの効果は?

 我が家の子供たち(娘と息子)が小さかった頃、子供たちには本好きの母親、私の影響でかなりヘビーな読み聞かせをしていた。

とりわけ娘はその影響をかなり強くうけ、本好き、書くことが好きな少女に成長した。
彼女は、幼い時から文章を書くことにおいて、同年齢の子供たちに比べ格段上のレベルに達していた。小学校の時など担任に「○○ちゃんの文は小学校の評価基準では評価できないレベル」といわれながらも冴えない普通の点数をいただいていた。(なぜ?小中は個性のない普通の文が評価対象なのか?)

さてこの娘、高校ぐらいから若者らしい知性の光る文が書けなくなった。
本も余り読まなくなった。

もっぱら新しい高校生活の友人たちとのミーハー的なな世界にどっぷり浸り、高校生活を楽しんでいるように見えた。
大学生活も似たり寄ったりの生活だったと思う。さらに世界が広がった分、友人たちとの関係を築き楽しむのに多忙であった。

高校以後、親の考える、予想していた世界から大きくずれ、親の手の届かぬ別の価値観の世界へと行ってしまったように私たちには思えた。
この娘の子育てはどうもうまく行っていない、親の考えるイメージと大きくかけ離れていると私たち親は思う時期があった。

しかし、今から思えばこれは思春期から青年期への移行を順調に行っていたというべきか。親から自立しようとしていたというべきか。
人としてのコミュニケーション能力を年齢にふさわしく育てていたということか。

親が世俗にまみれた人付き合いが苦手で、お宅っぽいコミュニケーション能力未熟なのに反発して、たくましい生きる力を身につけていたというべきか。

そして、現在は一児のママであり、保健師として地域のかなり厳しい現実問題を解決する事を、日常的に要求されるハードな仕事で日々に鍛えられ、働く女としてかなり成長してきた。
とりわけ一児のママとして働くようになってからは、かなり人として目覚め、子育てに仕事に以前とは質的に異なる新しい発展を遂げようとしているようにも見える。

母親の私が時代の制約を受けながら困難な中で色々できなかった事を、娘は若い新しい感覚で乗り越えようとしているかに見える。

さて、「本を読む」という点に話をもどそう。
この娘の場合、小学校までは親の整えた読書環境にどっぷり浸かって生活していた。
幼年期にはテレビやマンガなどほとんど見ていない、ゲームはまだなかった時代なのでゲーム漬けということはなかった。
俗世界からかなりかけ離れた幼児期というべきか。

絵本や本の世界で遊んでいた穏やかスローな日々であった。

確かにこの幼年期に獲得された力は彼女の現在の土台になっており、今もその力が大きな役割を果たしているのは実感できる。

まさに、脇明子氏がいっておられる「想像力」、イメージして全体を見通す力、文字を通して情感をイメージして、その世界を理解する力の基本をこの時代に獲得していたのかも入れない。

しかし、中学時代の読書は全く親の手の届かぬところとなった。

安っぽいオトメチックな少女小説(何百冊と読んだ)やトレンディとかと世間が騒ぐテレビドラマにどっぷり浸かっていた。

高校時代はほとんど読書などしていなかった。別に受験勉強で忙しく本を読まなかったわけではない。友人との交友の嵐のなかにいた。

大学も高校時代に続き、友人との交友関係の嵐のなかにいたはずだ。
看護大学であったので、勉強はかなりハードにやっており、その関係の本はそれなりに読んだかもしれないが、他の本はほとんど読んでいないのである。

即ち、本格的な読書とは程遠い大学時代ではなかったかと思う。

要するに彼女は、大江健三郎氏や脇明子氏が提唱されている、本格的な古典を読み続ける読書生活へと移行することなく現在に至っている。

なぜこのようになっているか。

彼女は職業柄、ひろく世界に社会に目を向け、広い視野で人間を見ることを要求されているはずだ。
高い専門性が求められているはずだ。
そのためには、経験だけに頼るようになってはだめだ。

彼女の人生はまだまだ長い、先がある。

その途上で、いつか読書によって新たな自分を築き展望の糸口をみつけなければ成らない日があるかもしれない。
壁にぶつかる日があるかもしれない。

その時に彼女は、再び本の世界に立ち止まり戻っていけるだろうか。

幼い日に築いた読書への入り口が、更に本格的な読書へと発展するような人生を、実践的に歩んで行くことができるだろうか。

一人の人間の成長や歩みは、かくも長い気が遠くなるような時間なのかもしれないと親としては自らに言い聞かせている今日この頃である。










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最終更新日  2009.07.05 11:50:06
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