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ちゃと・まっし~ぐ~ら~!
バンコクのペッコーさん
ペッコーさんに会ったのは、3度目にバンコクに行った時だったはずだ。
1度目は思いもかけずバンコクに経由することになって、かの地に足を踏み入れた。
2度目はその時のインパクトをもう一度確かめるために、嫌がる弟に旅費まではずんでやってボディガード代わりに連れて行った。
3度目に初めて一人でバンコクを訪れた時、日本に帰る日に乗ったホテルリムジンの運転手がペッコーさんだった。
浅黒い顔に目立つ傷があり、一見するとこわもてのペッコーさんは当時で45歳くらいだったのだろうか。
独学したという英語もわかりやすく、ホテルから空港までの間も話がはずみ、時折、二人ともが知っている英語の歌を車の中で歌うなど、かなり盛り上がった帰り道になった。
(まだこの時の私は、とてもサムロや流しのタクシーを交渉して乗るようなことはできず、ホテルから空港も、英語の通じるホテルリムジンに乗るしかなかった。)
なんとなく意気投合してしまい、ペッコーさんは空港での別れ際に「もしも、またちゃとやちゃとの友達が来るなら、電話してくれれば迎えにくるから。」と言ってくれた。
いわゆる、ヘンな下心のない彼が気に入った私は堰を切ったようにバンコクの話を会社で始めると、なぜか一緒のチームで仕事をしていた後輩4人が2人ずつ連続でバンコクに行ってみることになった。
私は本当にペッコーさんに電話し、2組の送迎を頼んだが、帰ってきた2組とも残念ながら英語があまり話せなかったので、私が思っていたほどはペッコーさんと仲良くもなれなかったようだ。
その翌年、また休みが取れてバンコクに行くことにしたが、やはりホテルリムジンは高いし、毎日の観光でペッコーさんの車を使う気はなく、少し慣れてきたバンコクでバスにも乗ってみたかったから、日本からは彼には連絡しなかった。
空港からホテルはもう少し安い普通のタクシーに乗り、帰りの車だけを向こうに行ってからペッコーさんにお願いするつもりだったから、帰る前日の朝に「ペッコーさんの車を頼みたい。」とホテルに頼んだ時、ペッコーさんがホテルを辞めたと聞かされた。
きっと彼は同じ仕事で他のホテルに変わったに違いないと思ったが、バンコクにはピンからキリまでホテルがあるし、ホテルリムジンを扱っている中~上~特上のホテルでさえ数え切れない。
前にバンコクに行った後輩のうちの一人から、ペッコーさんと撮った写真を渡してきてほしいと言われてことづかっていたが、それも渡せない結果となってしまった。
それから半年くらい経ったと思うが、突然、会社にペッコーさんから手紙が届いて驚いた。
切手は日本のものだったから、以前に教えた会社の住所宛に封書をしたためて、恐らく誰か日本人に頼んで日本から投函してもらったに違いない。
中を開けると、あまりきれいとは言えないアルファベットで近況が書かれていたが、なんと私が彼を見つけられなかったあの時、泊まっていたホテルから200mほど先のホテルの運転手になっていたのだった。
毎日そこの前を通りながら、まさかそんなところに彼がいるだろうとは思いもしなかった。
彼は自分の自宅の住所と電話番号を書いていたので、今度はそこに連絡すればいいことがわかって、とりあえずほっとした。
最後にバンコクを訪れたのは1996年だったと思う。
その時は、私はタイのツアーを企画しようとしていて、その頃はまだ誰でもが行き先にはしなかった東北部・イサーンを組み入れたツアーをやろうとしていた時だった。
会社からお金を出してもらうのもおもしろくないので、休みを取って、一人どうしてもタイに行ってみたいという後輩のMちゃんと一緒にまずバンコクに着き、そのまま乗り継いでナコン・ラチャシマまで直行した。
この時の話はまた別に書きたいが、バンコクとはまるで文化の違う遺跡群を眺め、一通り頭の中で企画の草案が出来上がった頃、ペッコーさんに電話し、ナコン・ラチャシマからバンコク入りすることを伝えた。
最初は国内線の飛行機を使うつもりで、ペッコーさんに空港に来てもらうつもりだったのだが、途中で予定が突然変わってしまい、他のところに寄りながら陸路でほぼまる一日かけて車でバンコクに戻ることになってしまった。
慌ててペッコーさんがその時に勤めていたホテルに電話し、ペッコーさんの空港迎えを取り止めるよう頼み、車でナコン・ラチャシマからバンコクに戻った。
バンコクのホテルに着いたのは夜の8時半頃。
あちこち寄りながら10時間以上も走っていたので、私もMちゃんも疲れていて、簡単に夕食を済ませて寝入ってしまった頃、部屋の電話がなった。
完全にねぼけていた私は電話に出ると、相手はペッコーさんだった。
時間を見るともう11時半ではないか。
いくらなんでもこんな時間になんなんだ、という気持ちと眠いのがかなり先に立っていたがよく聞いていると「空港で待っていた。」と彼は言う。
私は眠気が一瞬だけ飛び去り「予定が変わったことをホテルに朝のうちに電話しておいたのに。」と言うと、彼は私が来るからホテルを休んで迎えに行ったのだと言う。
とにかく、もう夜中だからと言って、翌日の4時にホテルのティールームで会うことにした。
翌日の4時半頃、約束にティールームでペッコーさんと久しぶりに会った。
彼が、私をあちこち案内するためにホテルを休んだというのは申し訳ないと思う半面、そんなつもりはなかったのに、という不満は若干あったが、久しぶりに会ったということでそれなりに話がはずんだのもうそではなかった。
じゃ、夜にどこかシーフードでも食べに行こうということになる。
8時になり、ペッコーさんは当然、ホテルの車ではなく、自家用車で私とMちゃんを迎えに来た。
ペッコーさんが連れて行ってくれたシーフードレストランは、距離からするとかなり市内から離れていたかも知れない。
あまりお客は多くなさそうで、そのへんを見渡してもとても盛況とは程遠い。
料理自体はおいしかったのだが、出てきた勘定書きを見ると・・・高い。
3人で食べて6000円くらいもする。
バンコクで1人が2000円食べようと思うと、かなりなところへ行かないとあり得ないパターンだということは私はこの時までにはだいたいわかっていた。
食べたのだから仕方がないと思って払おうとする。
しかし、ふと様子を見ていると、ペッコーさんが支払う素振りがないのを見て、私はおや?と思う。
まあ仕方がない。
わざわざ休んでここへ連れて来てくれたのなら、これもしょうがない。
私とMちゃんで毎日同額を補充し、食事や喫茶代、切符代などを払う共通のお財布からとにかくそれを支払った。
何はともあれ、腹ごしらえができたところでペッコーさんがきく。
「これから、どこに行きたい?」
はっきり言ってバンコクで一晩6000円の夕食は予算外もいいところだったので、ホテルに帰ろうかなというと、バンコクにはいろいろおもしろいところもあるよと彼が誘う。
ま、いっかと思い、Mちゃんと相談してゲイ・キャバレーの「カリプソ」に連れて行ってくれと言ってみた。
日本のガイドブックに出ているくらいだから、たいしたことないのかも知れないが話のタネに一回行ってみてもいいだろうと思ったのだ。
ペッコーさんは私たちを「カリプソ」に連れて行った。
玄関をはいり、ペッコーさんが受付の人と二言三言話した時、私はおかしいなと思った。
ペッコーさんは私のほうを振り向いて「満席なんだって。」と言ったのだ。
そんなによくわかるわけではないが、その頃、タイ語にはまっていた私はペッコーさんと受付の人の会話は値段をきいていただけだということがわかっていたので驚いた。
しかし「あなた、ウソ言ってるんじゃないの?」とも言えなかった私は「じゃ、仕方がないからホテルに帰る。」と言ったところ、ペッコーさんは驚いたことに「ライブショー」に行ってみようと言ったのだった。
「ライブショー」だ。
いや、話には聞いていたことはある。
ほんとに行くのか、おい?!である。
Mちゃんと、思わず顔を見合わせる・・・。
そして、我々はとんでもないことに「行く」ことに決めたのだった。
怖いもの見たさという気持ちもあったし、ペッコーさんが必ずホテルまでは送ってくれることはわかっていた。
そういう、いかにも下世話で猥雑な経験はひょっとすると一生のうちでこれが最初で最後になるだろうと二人して思ってしまったのだ。
くだんの「ライブショー」の会場に着く。
それが地図ならどのあたりになるのかということは、もう私にはまったくわからなかった。
薄暗い通路の奥に風呂屋の番台みたいな受付があり、値段を言われた。
特別びっくりするような値段ではなかったように覚えている。
当然、ペッコーさんは財布を出そうともしないが、かといって、ペッコーさんだけ顔パスというのでもないようだ。
またもや仕方なく、バカな私は三人分をそこで払った。
中にはいると、なんとなくプロレスやボクシングのリングのような舞台の作りで、周りのどこからも舞台が見えるようになっている。
それこそかぶりつきで見ている人たちもいるが、結構女性も多かったことにまず驚いた。
登場してくる踊り子たち・・・それぞれ「芸風」の違う演技を見せてくれるのだが、それはとてもここでは書けない。
ああいうものを初めて目の当たりにした私とMちゃんは二人お互いにいったいどういう顔をしたものか考えあぐねていた。
しばらくぼけーっと見ていると、なんとなく気配がわかってきた。
「芸風」の違う演技が一巡したらしく、また同じ芸風が戻ってきて、お客の中にも席を立つ人が増え出した。
ああ、ここから先はまたさっきの繰り返しになるんだなと思っていたら、なんとなく帰る雰囲気になった。
帰りの車の中では、それまでのインパクトというか毒気にあてられて、話が結構ちぐはぐになっていた。
私は、しつこいがまだ食事の時の値段のことや、さっき見たライブショーのことがいろいろ交錯して、とてもまともな受け答えをしているとは言えなかっただろう。
泊まっているホテルの前に来て「ありがとう」と言って車を降りようとするとペッコーさんが言いにくそうに切り出した。
ペ 「あのー、僕さ、ちゃとが来るんで会社を休んだって言ったよね。
ち 「うん、聞いたけど。」
ペ 「実はね、会社休んだだけじゃなくて、友達にお金払ってこの車、借りたんだ。」
ち 「ええーっ、でもね、私、会社を休んでくれなんて言ってないじゃない。」
ぺ 「そうだけどさ、やっぱりせっかく久しぶりに来るからあちこち案内したかったし。」
ち 「・・・」
ぺ 「それでね、この車の代金なんだけど、300ドル、貸してくれない?」
正確に言うなら、驚き、という気持ちではなかったかも知れない。
がっくり、でもあっただろうし、そういうことか、だったとも思う。
私はあれこれを一瞬で考えたけど、ちょっと待って、と言って一旦ホテルの部屋に戻った。
あまり英語がわからないMちゃんには後で説明しようと思い、10000円持ってペッコーさんのところに戻った。
ち 「あのね、私は300ドルも持ってないの。今、あるのはこれだけ。」
ペ 「助かったよ。」
ち 「でもね、このお金は絶対返してほしいの。あげるんじゃないの。
友達だから返してもらいたいの。」
ペ 「次に来た時に必ず返すよ。わかってる。」
そうして私たちは車を降り、彼の車は道の向こうに消えて行った。
部屋に戻った私をMちゃんがじっと見つめる。
「大丈夫ですか?私、なんとなくそういう話かなって思ってはいたんですけど・・・」
「ごめんね、心配かけちゃって。」と私。
私はああ言ったけど、あのお金ははっきり言ってあげてしまったものだと思っていた。
もしかして、次に来た時に本当に請求すれば返してくれることも万に一つはあったかも知れないけれども、たぶん次にバンコクに来ることがあってももうペッコーさんに電話することはないだろうということはわかっていた。
あれからもう7年が過ぎ、生活の本拠がロンドンに移っていることもあり、バンコクが遠くなってしまった。
ペッコーさんは今頃どうしているだろう。
あの時の10000円のことを覚えているかな、と思ってしまうのは私がひとえにあの時も今も間抜けだからなのだろうか。
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