さるのちえ

さるのちえ

2010年01月12日
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カテゴリ: 徒然のままに
この春、受験を控える、わが孫に贈ることば。

私の自慢の一つに、日記がある。13歳から日記をつけ続けている。13歳といえば中学受験の年である。その受験の寸前に大空襲に遭い、結局は「無試験」で入学した。しかし、中学生渇は、あの戦時中だった。来る日も来る日も戦災の焼け跡整理、軍需工場での作業などが続き、ろくに勉強らしいことしなかった。厳しい「教練」という授業があった。あの雨霰と降ってくる焼夷弾に立ち向かうために、連日のように竹やりをもって戦う稽古をしていた。いま、考えてみると、滑稽に思うが、当時は軍国少年として「誇りをもって」竹やりの稽古をした。
そして、一年生の夏休み(実際は休みはなかったも同然だった)中に、あの雑音だらけの「玉音放送」を聞いた。「一億火の玉」「撃ちてし止まん」「神州不滅」「神風が吹く」などということばに洗脳されていた軍国少年は、「無条件降伏」ということを受け止めるには時間がかかった。
私を待ち受けていたのは「闇市」「復員兵」「進駐軍」「エログロ・ナンセンス」「アプレ」(戦後派)などで、「何を信じていいのか」が分からず、混迷と混乱の渦にまき込まれ、食べるに食なく、働くに職なく、住むに家なく、人々は迷っていた。
その時、私の学校の先生が「日記をつける」ことを教えてくれた。毎日「書くこと」は同じだった。「腹減った」ということばが並んでいた。以来、65年間、私は日記を書き続けた。初めのころは、ざら半紙、広告の紙の裏などに書いたが、書くのも鉛筆さえ貴重なものだった。
しかし、昭和30年ごろには、ちゃんとした日記帳が売られていたので、宝物のような万年筆で書いた。
私は君と同年輩(19歳)のころの日記を探した。すると、ある人からの手紙がページの間に挟んであった。その人は中学の先輩で、すでに大学を出て社会人になっていた。その手紙は、私の手紙への返事だった。どんなことを書いたのかは覚えていないが、多分、受験勉強の苦しさに負けそうになっていたのであろう‥。
その先輩は「自反而縮 雖千萬人 吾往矣」という孟子のことばを引用して、私を激励してくれた。いまはなくなったかも知れないが、私の育ったころには「漢文」の授業があった。これは孟子のことばである。「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん 」と読み下す。意味は「自分の心を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当ろう。」である。私は、この先輩の手紙に奮起して、志望の大学への入試に合格した。この手紙を日記に挟んで残したのは、私の人生観を大きく変えたからである。
わが孫よ、いまの君にこの孟子のことばを、そのまま贈りたい。「自反而縮 雖千萬人 吾往矣」。いざ、進め、迷わず、惑わされず、受験という難関へ向かって進め!





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最終更新日  2010年01月12日 10時54分50秒
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