おちくぼのあかね姫 2


 あこきの藤姫の元に、恋文が届いた。
「あなたを一目見て、お逢いしたくなりました。今宵。」
 三の君のご用もなく、藤姫が部屋で休んでいるところへ、恋文の主が忍んできた。
「あなたは頼久殿!」
「藤姫様。私は帯刀の役のようです。失礼ながら、姫様の恋人の役を割り振られました。お許しを。」
「ということは、神子様を救い出す男君を、あなたが知っている?」
「物語の上ではそうなりますが……。右近の少将様に、私の母が乳母としてお仕えしている、という設定でしたね。」
「どなたが少将様か、なんとなく予想はつきますが……。お伝えしてください。神子様は、おいたわしいお暮らしぶりです。ご不自由しておいでです。一刻も早く物語をおすすめいただいて、神子様をお救いくださるようにと。」
「かしこまりました。」

 頼久は、右近の少将の屋敷に向かった。
「友雅の少将殿。」
 帳台の中から、眠そうな声が聞こえてきた。
「あぁ~、頼久殿だね? どうだい、わかったかな?」
「……こちらの世界の女性も捨てがたいとばかりに夜歩きに励んでおいでのご様子……」
「しかたないだろう、君の母上に、私が好色者でなかなか妻をめとらないと思っていただかなければならないのだからね。神子姫をさがすと言って、急にまじめになったら、物語が進まないだろう?」
「それはそうですが……」
 何となく釈然としない様子の頼久の前に、友雅が姿を現した。文机の前に座って、文をしたためはじめる。後朝の文なのだろう、紙を選び、香をたきしめ、付ける花を思案顔である。
「中納言殿の屋敷に、神子殿がおいでです。」
「やはりそうか。どの姫におなりだ? たしか、4つたりおいでと、乳母から聞いているよ。」
「5人目の姫君で……おちくぼの君、と。」
「変わった名前をつけられているねえ……どうしているの?」
「寝殿の放ち出の、落ちくぼんだ一間におすごし、と。」
 友雅の顔がぴくりと動いた。文を書く手がぴたりと止まった。
「虐げられているのか……。でも、忍ぶにはもってこいの部屋のようだな。神子姫と親しくする絶好の機会だ。頼久、案内してくれまいか。」
「だめです! あこきが……藤姫が、ぴったりついています。」
「藤姫が……。それはむずかしいねえ……」
 友雅が決まった恋人を持たず、あちらこちらと渡り歩いていることを藤姫はよくとがめていた。物語を進めるためとはいえ、無体なまねを許す姫ではない。
「では、文を差し上げよう。頼久、文使いをよろしく頼むよ。」
 友雅は、先ほどの後朝の文を後回しにして、さらに念入りに紙を選び、文をしたためはじめた……。 

「だめです! やっぱり友雅殿なんですね!」
 あこきの藤姫はきっぱりと断った。
「大事な神子様と友雅殿なんて……、もっとまじめなお方と恋をしていただきたいのに。」
「でも、ここはお許しをいただかなければ、物語が進みません。」
 頼久も必死である。物語を進めて外の世界に戻らなければ、龍神の神子に与えられた使命を果たせず、京は鬼の一族のものになってしまう。龍神の神子を守る八葉としては、それは絶対に避けたいところだった。
 星の一族の姫である藤姫にも、それはわかりすぎるほどわかっていた。でも、姉とも慕うあかねが、好色者の友雅に遊ばれて捨てられる姿が目に浮かび、それが星のお告げではないかと気が気でない。内心、心の杖である友雅をあかねにとられる不安がないでもないが、あかねがそれを望むならば、藤姫はきっぱりとあきらめようと思っていた。
「神子様のお気持ちをうかがって参ります。」
 藤姫は、文を持ってあかねの部屋へ行った。
「神子様、友雅殿からお文が参りましたわ。」
「友雅さんから……!」
 あかねの顔が首まで真っ赤になった。
「お返事を、と、私の部屋で、頼久が待っておりますわ。いかがなさいますか?」
 あかねは文を手に取った。あかねの大好きな桜襲の料紙に、友雅の好きな侍従の香が香る。が、あかねはあけて読むことをためらった。友雅のことは嫌いではない。嫌いどころか、八葉の中で最も気になる存在である。ここで、恋人になってもいいのだろうか。元の世界に帰れなくなるのではないだろうか……。
「……お返事は書けないわ。」
「神子様……。」
「だって、ほら、あんなに縫い物もあるし……ね。お返事を書いてる暇はないの。それに、どうやって書くのかわからないし……。」
 確かに今夜も、あかねの部屋には山のように縫い物が積まれていた。縫い物の腕前を聞いた大君や中の君の婿達までが、おちくぼ姫に縫ってもらいたいと言ってよこしたのである。
「わかりました。頼久に伝えますわ。」
 藤姫は部屋に戻った。

 あかねは考えていた。
 『落窪物語』では、おちくぼ姫は右近の少将に助けられ、彼の妻となって幸せになることになっている。物語を進めなければ、ここから出られない。
「たとえばここで、友雅さんのお嫁さんになってしまったら……これって、鬼の陰謀ではないかしら……私の力を弱めてしまおうとか……」
「……問題ない。」
「泰明さん?」
 姿はなく、泰明の声が聞こえた。
「神子殿は、鬼どもがつくった陰体の中にいる。仮想の世界にすぎない。」
「バーチャルってわけね。」
「その世界で起こったことが、こちらの世界に影響することはない。神子殿の力は弱められない。物語を進め、最後まで行き着くことで、かえって神子殿の力は増し、鬼どもに対抗する力が生まれる。」
 勇気がわくのを感じた。
「泰明さんの力で、陰体を壊すことはできないの?」
「残念ながら難しい。お師匠様にもお伺いしたが、神子殿を危険にさらす。神子殿を守る八葉として、危険な目には遭わせたくない。」
「わかったわ。」
 あかねは、今度友雅から手紙が来たら、返事を書いてみようと思った。

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