波のマニマニ

波のマニマニ

出産を決めるまで



まだ法的に 処置の出来る時期でした

夫 義母 波一 全員出産には 反対でした

(ブログ 2007年2月16日~)



処置をするのか 産むのか 迷いました。

「産んだら 離婚する!」

という夫の言葉に

「離婚してでも 産む」

と思ったり


目も見えず 耳も聞こえず

自分では 何ひとつできず

でも痛いのだけは わかるんだろうか

この子は 生まれてきてよかったって 思ってくれるんだろうか

と 弱気になったり・・・



最大の不安は

「私は 生まれてきた子を 丸ごと受けとめてあげることが できるだろうか・・・」

という事でした

「自分の子だから 絶対できる」

とは 言われたけれど

そうじゃないケースを 今までに見てきたし

今まで 出会ったことのないほど

色んな病気を抱えたわが子

特に 他の人と違う顔立ちを 受け入れることが出来るのか?

家に連れて帰った時 他の人に 堂々と紹介できるのか?

自身がない・・・というよりも

自分が どう思い どういう行動をとるのか

全く 想像も つきませんでした



そんな気持ちの揺れの 繰り返し

本当に 最後の最後まで

どっちの道をとるのか 決めていませんでした。

でも まだ妊娠を続けたい・・・

今 やめたくない

そんな気持ちは 心の底に ずっとかわらずありました。



そんな私の気持ちの後押しをしてくれたのは

胎児検診をしてくれたY先生と 産婦人科・小児病棟のM婦長でした

(M婦長も 波次の発病時から お世話になっている看護婦さん(当時)です)

Y先生は 今まで診てきた症例から

「なみぞう君は 1才のお誕生日は迎えれるだろうと思う」

と言ってくれました

そして どんな重い病気のお子さんでも 家に帰してあげれるようにする方針だとも 言ってくれました。

そのうえ Y先生もM婦長も 精一杯 私と家族のバックアップをすると 言ってくれました

家では 孤立無援の状態になっていた私には とても嬉しかった・・・



夫は 私に

「苦しませるためだけに産むのは 鬼親のエゴや」

と 言いました。

そのことを M婦長に言うと

「そうや 子供を欲しいと思うのから もう親のエゴやろ? エゴでいいやん エゴで悪い?」

と言われました。

そうだよね

妊娠も出産も すべて始まりは 親の一方的な思い

そう考えると 気持ちが軽くなり 

夫の言った言葉の傷も 癒されました




最終的に 私は 産むというエゴを 押し通しました

処置したくない まだ妊娠し続けていたい

ただ それだけ



それは 一般的には素晴らしいことかもしれませんが

このことが原因で 家族がダメになってしまうかもしれない

そんな思いも どこかにありました











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