明治の町家   姫路の春霜堂  

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昭和プロレスの残像




■ 豊登道春

青空バザールで昭和二十九年頃の大相撲の番付表を見つける。

幕内に朝潮太郎、鶴ヶ嶺や北ノ洋に混じって豊登道春の名前が。。
この頃まだ23歳だったようで、このまま相撲界にいれば三役は間違いなしだったようにも思う。
ちなみに実家は福岡の大地主だったそうで、これまたいかにもと思わせるところ。。

同じ番付表の十両に芳の里の名前が。。
やはりジュニア・ヘビー級だったのだと妙に納得。


■ ディック・ハットン

昔はフレッド・ブラッシーにしても噛み付き攻撃だけでなく、ジョージ・トラゴスにコーチを受けるなど、それなりの基礎がしっかりあったものですから、崩してもそれなりの存在感を感じさしたものでした。

長いプロレス観戦歴を通じて、私なりの最高のレスラーはディック・ハットンにとどめをさします。

小学5年生頃の話ですが、元柔道選手で外交航路の船員だった父からアメリカの当時のレスリング等を聞き、ぼんやりとプロレスの概要も解っていましたが、やはりあの頃のNWA等が目指していた方向性こそ、正しい路線だったように思うのです。

しかもK・ゴッチのように何が何でも自分流でなくてはいけないといったスタイルでもありませんでした。
ハットンは自分のスタイルに自信を持ちつつも、ブラッシー等のスタイルのレスラーに対してもリスペクトを払っていました。
しかも、ハットンのプロレスは、リングサイドで見ていた当時のアマチュアのトップクラスも一目を置かざるを得ないものでした。

惜しむらくは地味すぎること、ハードな試合の連続で膝を痛めていたこと、良いマネージャーに恵まれなかった為に早くしてリングを降りましたが、
あの頃、ハットンの長期政権がもう少し続いていたら、今日のプロレスの混乱や衰退も免れたのではないかと思うのです。

しかし歴史は振り子のように繰り返します。
必ずや第二、第三のハットン、日本のハットンといわれる選手も現れてくると思っています。
その時にプロレスの復興の萌芽も芽生えるかもしれませんね。


■ 姫路厚生会館

姫路の厚生会館も今や無くなってしまいましたが、
数々の名試合やテレビマッチが行われたことで私の記憶に残っています。

ちなみに、その厚生会館建設前後から、姫路での試合記録を馬塲・猪木を中心に時系列で紐解くと、
当時の格の様子が解って、実に興味深いものがあります。

1960年 馬塲正平 対 ユスフ・トルコ
1961年 馬塲正平 対 大坪飛車角
      猪木寛至 対 平井

1962年 ゴリラ・マコニー 対 猪木寛至 (馬塲は米国武者修行中)
1963年 G・馬塲 対 キラー・X
      遠藤幸吉 対 猪木寛至   (猪木が遠藤のかませ犬だった)
1964年 G・馬塲 対 ジン・ラーベル (当時屈指のポリスマンであったラーベル)
      G・馬塲 対 ビル・ドロモ  (確か馬塲の嫌いなレスラーの代表格だった)
1965年 G・馬塲 対 アル・グリーン
1966年 W・スナイダー、D・ルーイン組 対 G・馬塲、上田馬之助組

            * 馬塲・ドロモ戦はドロー以外は左側が勝者。

■ 初代若乃花の優勝の日

先日、堂で五十年ほど前の昔の相撲雑誌を見つけました。

そこに優勝した初代若乃花を支度部屋に激励する力道山の姿を発見。
そのすぐ隣に、若乃花の化粧回しをつけてはしゃぐグレート・東郷の姿が。。
いやはや、時代なんですね、
今では千秋楽の支度部屋でそんなことは到底考えられないことですね。

そこには元同門の若前田をアドバイス、激励するプロレスラー東富士、
やはり元同門のボクサー、前溝隆男選手に約束のガウンを贈る、横綱栃錦の話題が。。

前溝隆男の話については、私の先輩でもある作家の沢木耕太郎さんが「王の闇」で書かれていますが、
それらの記事を目にするとき、実に昭和は遠くなりにけりを実感いたしました。

■ プロレスの神様、カール・ゴッチ逝去

ゴッチは初来日の子供の時から見ています。
その頃、反則をする味方の外人を懲らしめるのはとても愉快でフレッシュな感じがしました吉村道明選手との技の攻防は特に印象深いものがありました。

二度目の来日の、馬場とのタッグの試合は記憶では回転エビ固めでゴッチが馬場をフォールしたように思っていますが、少し太めになったゴッチの印象とあまりスイングした試合でなかったことを記憶しています。

やはり、当時のプロレスにおけるショーマン派とストロングスタイルの間には大きな壁があったように思います。

カマタが馬場ならば、ゴッチは猪木に向いた対戦者であったような感じがしています。
あれもプロレスならば、これもプロレスだと思っています。

ゴッチはベルギー人説が多く語られていますが、私もベルギー系の学校を卒業したせいか
恩師の顔を彷彿とさせる横顔にとても親しみを覚えたものです。
恩師連中もゴッチ同様とても頑固な方が多かったのも、今となっては懐かしい思い出です。

しかし、ル・-テーズの時よりもゴッチの逝去により、本当に昭和のプロレスが去りゆくように感ずるのは私だけでしょうか。。


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