明治の町家   姫路の春霜堂  

明治の町家   姫路の春霜堂  

橋本関雪 日本画家 1882-1945 5700ht



儒学者の家に生まれた関雪は、幼い頃より漢学・儒学に基づく環境の中で育ちました。これは、終生関雪に大きな影響を与え続けます。

7才で漢詩、10歳で書の門を叩き、12歳の頃に教養としての絵画を嗜み始めた関雪は、その才を伸ばしていきます。

10歳の頃より詩壇でその名を知られるようになり、12歳の頃には京都岡崎で開催された万国博覧会での席上揮毫、17歳の頃には御前揮毫で陛下の前での揮毫を行ったというエピソードも伝えられています。

そして15歳の頃、父の隠棲を機に画家を志すことになり、20歳の頃には、京都で当代随一との呼び名の高かった竹内栖鳳の門下へと入り、鋭気あふれる若手画家達と共に研鑚を積み、大正2年からの文展・帝展上における6連続入選を機に大舞台へと登っていきます。

その後、新南画、新古典主義などの大きな牽引力となり古典の復興を志し ながら、近代の画壇の在り様に対して痛烈な批判を続け、やがて画壇から距離を置くようになり、新たな時代が求める日本画の姿を模索するため、洋の東西を問わない美術探索に力を注ぎ続けます。

そして終戦間近の昭和20年2月。独往の画家はその激しくも短い生涯を、折りしも雪の降りしきる白沙村荘で終えることとなります。

春霜堂には、その関雪、海関による日露戦争従軍絵画帳があり、
希望者には閲覧していただいております。

http://www.yamatane-museum.or.jp/html-database/ha-gyo/hashimoto-kansetsu.html


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