明治の町家   姫路の春霜堂  

明治の町家   姫路の春霜堂  

長三州 書家、儒者 1833-1895


 長梅外の長男として日田郡馬原村の母の義兄矢幡家で生れた。弘化2年長谷主馬の名で広瀬淡窓の威宜園に入り、神童といわれる。20歳の時大坂で塾を開いていた広瀬旭荘の都講となり、勤王の士と交わり、文久3年長州の高杉晋作が奇兵隊を結成するとこれに応じ、中隊長として元冶元年四国連合艦隊の下関攻撃に参加、前田砲台を守って負傷した。のち帰国して同士を募り、代官窪田鎮勝の追跡を受け、弟春堂は獄死し、高橋重煕らも捕えられたが、榮は浜脇の妓楼に隠れ、佐伯の秋月橘門に頼り、ついで長州征伐には長軍に投じた。
 慶応4年正月鳥羽伏見の戦いから参謀として奥羽征討に従軍し、会津攻略後長州に帰った。木戸孝允に重んぜられ、明治3年新政府の権大史に任ぜられ、江藤新平と共に働いた。明治5年2月文部少丞に任ぜられ、学制取調掛を命ぜられ、「学制五篇の案」を作った。のち大学少丞・文部大丞兼教部大丞、文部省学務局長兼侍書・東宮侍書等を歴任した。書画を能くした。


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