メキシコ・ベリーズ・グァテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・コスタリカ・パナマ 31
タヒチ・パラオ・バヌアツ・パプアニューギニア・ニューカレドニア 31
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次の日から学会のため休診らしく待合室は座るところもないほどの混雑っぷり1時間半待ってしまった ようやく名前を呼ばれて診察室へ主治医は難しい顔して、カルテ見てる… 難しい顔というより疲れた顔だな突端から「お酒飲みます」と聞かれた あれ~そんなの前にも聞かれた気がするし、「飲みます」って言ったと思うんだけどなぁ何か問題なんだろうか…何だか話が見えず先を待つMCV? MCH? どっちだったか… 忘れた…この値が高いのはお酒のせいだと言われた… ほえ確かにどちらも基準値以上の数値がこの1年半ほど続いているでも、それが何か 全然話が見えないそれが高いのはどうして悪いのかは言わずに「テグレトール(てんかんの薬)飲んでる人には酒なNGなんだよな…」と主治医もうめんどくさい ってのが正直でして「でも止めないですよ」とキッパリ即答笑ってたけど、主治医「ま、ドクターストップとは言わないけど…」ってさなんだろ、何で今さら言われるんだろでも会話はそこで終了… なんかもやもやだぞ ま、お酒止めないからどっちでもいいか…楽しみ減るのやだもんねちょびモヤモヤな診察日診察代:5,690円薬代:1,290円今日もポチッと応援よろしくお願いします にほんブログ村メッセージはこちらからお願いします バックナンバー ◇◆海外旅行記◆◇
May 16, 2013
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雪かぁと、通院日だが、このお天気で予約を変更するかどうか悩むそれでも電話をするのが面倒で ま、雪も積もりそうにはないな… と出かけたしかし寒いわ こんな天気でキャンセルも多いかな… ってことは空いてるかな… と期待してドアを開けるとマスクのおじさま おばさまがごっそり彼らにとってこんな雪なんてなんのそのってことらしい…1時間待ちで診察室に呼ばれる…このところのてんかんの数値の落ち着きで薬を止めるかどうか、先生も悩んでいたが本日開口一番「薬止めません」ときっぱり…なんでそんなにキッパリ言うのか… もしやして数値悪くなってるって不安になるくらいでも訳を聞くと…「副作用がないこの薬を止めて、万が一運転中に発作を起こしたら処方しなかった病院も悪いってことになりそうだから」って…なんだかねまあ、いいです、飲みますそんなこんなで、2分診療は終了処方箋受け取って、会社の近所で処方してもらったんだよねその時気がついた…バセドーの薬が倍でていることに先生、薬増やすなんて言ってなかったよなぁ~~面倒なので、薬は受け取ったけれど、さっき先生に電話した「え~~倍でてる?? なんでだろ~~」 「ちょっと待って… あれ~~~ 前回から倍出してるなぁ~~~」「なんか僕、薬増やすようなこと言った???」「増やすような数値じゃないよね~~~」「やっぱり薬半分でいいよ、次回から薬の処方量を調整しよう」って これマジで先生の言った言葉前回から倍量になっていたことに気がつかない自分も自分だけど…処方箋の数量って患者が確認すべきことなんだろうかと思った次第 20年も同じ先生とこに通っていると、緊張感がなくていかんな… 今日もポチッと応援よろしくお願いします にほんブログ村メッセージはこちらからお願いします バックナンバー ◇◆海外旅行記◆◇
February 6, 2013
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前回診察後に行った処方箋薬局何年も通っているというのに、誰も教えてくれずたまたま気づいて、「もしかしてジェネリックあります?」って聞いたら、ありますって言われたんだよね甲状腺機能亢進症 & 外傷性てんかんの診察日 …長い長い愚痴ですその時も「今から変更もできますよ…」って言われたけどもうお会計も終わった後だから、面倒で次回から変えますって答えたら国庫のためには、ジェネリックを選んでもらった方が助かるとか… 言われて…だったら、最初っからジェネリックがありますって言えよってかなり感じ悪かったんだよね でもさ、ま、そんなことをおくびにも出さず…忘れずに、「ジェネリックにしてください」って感じよく言ったら何も言われず、難なく変更 ・・・・2か月分で180円安くなった ん~この微々たる金額をありがたいと思わなきゃならんのか税金の無駄遣いをさせなかったと満足しなきゃならんのかいな あ~~このところぼやきが多いな ちなみにそのジェネリック、外傷性てんかんの薬ですが…カルバマゼピン錠100mg「アメル」の注意事項に◆セイヨウオトギリソウを含む食品摂取不可◆アルコール摂取避ける◆グレープフルーツジュース飲用不可◆眠気を催したり注意力・集中力・反射運動能力等が低下することがあるので…等々…ほー、このやる気の無さ、忘れっぽさはこいつのせいかそれともタモか はたまた加齢か きっとコレって分かるのがヤダが それよりセイヨウオトギリソウって何なんだきっと今まで飲んでいた薬の注意事項にも書いていたはずだけど何年も飲み続けてたから、読んだことなかったな アルコール摂取もいかんのかいな…グレープフルーツジュース… 飲んでたな…とまあ、明らかにやっちゃいかんことやってた12年 それでも発作が起こるわけでもないし、ま、いっかそれより、良いことも書いてある…◆神経痛の薬◆不安や緊張を和らげる主治医に、足が攣ることを訴えたら「てんかんの薬は神経緩和剤だから、攣らないようにする成分ありなんだけどな」って言ってたんだよねこのことだね、きっと…一応、電解質調べるって言ってたで、結果次第で漢方使うかも… らしいです 今日もポチッと応援よろしくお願いします にほんブログ村メッセージはこちらからお願いします バックナンバー ◇◆海外旅行記◆◇
November 9, 2012
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暑い中2か月ぶりの診察 自覚症状のない病気の通院って疲れる…なんて言ったら、乳がんももうその域だけどさ バセドーはもう20年以上… 外傷性のてんかん既に12年… どっちも完治ってのはないのかもしれんな と半分あきらめモード 乳がんも含めて、人生後半戦もどうも持病と付き合うようだな さてと1時間ほど待ってから診察室へ前回の採血結果発表~なんと 白血球数が2500先生は、相変わらず低いね~ って言うが乳腺の病院で採血するときの結果よりいつも500くらい高いんだよね これってどういうことなんだろ 違っていいもんなだろか… って、どっちを信じるべきなのかしらね~~ま、一つ言えることは、どっちにしても低いってことかもう20年以上飲み続けているバセドーの薬メルカゾールはいつの間にか、ストックが溜まりまくり 現在処方停止状態… あと120日分ある… って最後に処方されたのが2011年の11月だから1年以上在庫が過多だったのね いい加減な処方だ何故かきちんとストックが管理されてるチラヂンSとテグレトールの処方箋をもらって薬局へ持って行ったんだけど今日初めてテグレトールにジェネリックがあること知ったジェネリックはカルバマゼピン錠100mg「アメル」というらしいでもさ、薬を渡されるときに薬剤師が持っていた紙にチラッと書いてあったのをたまたま見つけたんだけど薬剤師さんはこういう情報教えてくれないもんなのでしょうか患者が自分で調べなきゃならんもの薬価はテグレトールは7.9円、ジェネリックだと5.6円だって 「これ、ジェネリックにできますか」って聞いてみると在庫があれば切り替えられるらしいけど、いったん打ち込みを終えているのでちょっと時間かかりますって言われたちなみにこの薬価の差額で、3割負担の場合支払差額は60日分で80円くらいって聞いちゃうと、時間がもったいなくて今回は結構ですって言ったんだよねそしたら薬剤師は保険医療の現状を考えると、ジェネリックに切り替えてもらう方が国庫負担が減るんですよだってさま、そうですな… けどさ 乳がんになる前から、バカ高い医療費や健康保険代も払ってきてるわけじゃん乳がんになってからなんて、もうそれどころじゃない金額払ってんじゃん今ここで82円で小言言わないでよ まあ国負担分は7割だから193円だけど…何だか医療費高い… と嘆くのは反対からみると税金を使ってる奴と思われているのだろうか 何だか急にブルーになってしまった 2か月に一度の血液検査、診察、処方箋で6740円也今年もすでに軽く医療費控除の対象だあな長い長い愚痴にお付き合いいただきありがとうございました…暑いせいか、余計に愚痴が多くなってる気が… 今日もポチッと応援よろしくお願いします にほんブログ村メッセージはこちらからお願いします バックナンバー ◇◆海外旅行記◆◇
August 9, 2012
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いつものように診察室に呼ばれると「どう、元気」と聞かれた足の付け根が痛いこと、2年経過の検診を受けたこと…を報告足の付け根のこと、なんて言われるかなって思ったけど「なんだろ~ね~」 って ・・・あれ専門外は興味無しかそれじゃあんまり冷たいと思ったのか(どーかはわからんが)「運動不足じゃない」と言われた 確かにそれは言えてるんだけどさ 「そうですね、年に数回ゴルフするだけだし…」 って言ってみたら「ゴルフって医学的に見たら、一番不健康なスポーツなんだよね」ってさ「最初っから、ブンブン振り回して、最後にチマチマ入れるでしょ…」はいはい、確かにドライバーで思いっきりショットしますわなでもって、最後のグリーンではチマチマボールを突いて、ホールに入れますわな で、続くのは「それでいて、お昼にカツ丼とか、カツカレーとかガッツリ食べて、ビールでしょ歩いてるっていっても、カートに乗ってるだけだし、カロリー消費してないよ」ともう笑うしかないけど、確かに一理あるわ でもセンセ、それめっさ偏見てんこ盛りでないかいきっとセンセ、何だか知らないけど嫌な経験があるんだな… そっとしておこう と、大人なは、黙ってうなずくことに話題変えなきゃ… なんて思ってたら、この日はセンセが語りたかったみたいで医者は大変だ… 大変だと思われて、志望者が減ってるこのままじゃ、医者になる人がいなくなる… とぼやき始め…病院が減る… そしたら、やっている病院がもっと大変になって… この後話は、イギリスやらスウェーデンの医療事情にまでおよび・・・・ハイ、はっきり申し上げまして ・・・疲れた センセのクリニック… 大丈夫かな… 廃業とか考えてたら困るぅ今日もポチッとクリックよろしくお願いしますにほんブログ村メッセージ&ペタはこちらから 最新の旅行記をアップしましたバックナンバーは↑のHOMEボタンをクリックすると、右サイドにリストがあります2012年GW:マルセイユ~ニース~ミラノ~モデナ~ヴェローナの旅
June 18, 2012
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今日は朝から結構激しく降ってました・・・ なのにこんな日に診察日かぁ足回りがビチョビチョになるくらいの中、エッチラホイと出かけてきました 相変わらず先生は:どう、元気と、まるでこれが普通のあいさつであるかのごと聞く: はい元気ですここで、うっかりぽっかり「すっごい元気」とでも言おうものならまたしても「躁鬱」の気があるとか言われちゃうので気をつけて「元気」だけにするバセドーもてんかんも治療なんて何もしてないので・・・ 薬の調整だけだよん 直ぐに世間話になるんだよねシリコン入れ替えがうまくいかずに、修正のため再手術になることを伝えると失敗することあるんだ・・・って驚いていた何でも、先日「形成」の学会?で、いろんな症例を見る機会があったらしく先生曰く、最近の形成ってすごいね~~何でも作っちゃうんだよね~~・・・・ でも、そうやって失敗することもあるんだ って・・・: ・・・・・ いや、失敗とまでは ・・・・しかしそんなことお構いなしに先生は、そうかぁ~成功例だけ見せられてたのか~そりゃ中には失敗例もあるはずだよねと、なんだか「失敗」の烙印が押されてしまったようで複雑 まあ、他意はないにしても、やっぱりデリカシー無いね先生の話の中で、一つホエ~~って思ったことは、欧米では皮膚も生体移植の対象だということです顔面の痣などに生体移植は一般的になっているそうです・・・内臓だけじゃないんだ… ドナーの体はどこまで使われるのだろう・・・日本ではそれが不可能なため、代替技術として再生や形成が発達してきているとのことふ~~ん、なるほどね・・・オムネはさすがに生体移植ってないんだろうけどさ もしかしてあるの????なんとも生身の人間の話というより、フランケンシュタインを想像してしまったともあれ、またいつ修正手術が可能になるか分からないため全身麻酔前のバセドーの数値を出せというリクエストに備えていっぱい血を提供してきやした にほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
February 23, 2012
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飲み忘れているわけではないが 乳がんになってから、持病の甲状腺機能亢進症と外傷性てんかんの主治医は「もし、具合が悪くなって、これない時があると困るでしょ」と気をかけてくださり、毎回多目に薬を処方してくれるしかも、今までは3か月毎の診察だったのが、乳がん発覚後は2か月毎東日本大震災で、薬の工場が被災し、1か月分しか処方できない時も少しだけ多くだしてくれていた たんまり処方されているにも関わらず、血液検査の結果によっては電話で減薬を指示されたりそんなこんなで、薬がどんどんと溜まってしまった外傷性てんかんのお薬、テグレトール は105日分バセドーに至っては、チラヂンS は130日分メルカゾールはなんと350日分あることに気が付いた今日は診察日…このところ、バセドーの数値が悪く、再発か… と、主治医も経過観察で、と言いつつ薬の量を細かく変更指示それでも、ようやく落ち着いた模様 再発も大丈夫そう、よかったよかった 主治医:「薬は、現在のままで… 」と、言われたので、いえいえ、いっぱいあるんですよ…主治医:「でもまた工場がやられるかもよ…」いやいや、100日分あれば、しばらくは大丈夫かと…主治医:「そんなにあるの 飲んでる」飲んでますとも、飲んでてもこんなに残ってるんです20年先生のところに通っているけど、薬の処方なしは初めてかも じゃ、また2か月後 にほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
December 15, 2011
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乳がんになったことを旧友に話した彼とは小学校から高校まで12年も一緒だった小中は学年に3クラスしかないような小さい学校だったのもあるし一緒に生徒会なんかもやってたから、常に近くにいた高校は部活が一緒だったから、これまたしょっちゅうつるんでたけど、一度も恋愛感情を持ったことはない けど、大切な友達 乳がんのことは春に話していて、会おうかと言っていたのだけどなかなか予定が合わずでズルズルとのびのびに… そもそも彼は名古屋在住だし久しぶりの東京出張にあわせて、超久しぶりに会ったもう一人、やはり小中と一緒だった男子と3人で居酒屋へこのところ、外へ飲みにいってもほとんど飲めないいや、飲まないというか… でも、やっぱ夜は居酒屋でしょ… そんなもんだよねでまあそういう旧友…というか幼なじみなので、奴等も忌憚なく質問攻め 乳がんだけじゃなく、脳挫傷だの、津波のPTSDだのいろいろあったわけで…そんな話をしてると…しかしなぁ山あり谷ありの人生やなぁ… しかもめっちゃ高低さ激しいなぁよう生きとるよなぁ(あ、全部関西弁です)と、あきれられる 乳がんの話は彼らにとっても興味深いらしい年齢的にも奥さんのこと… やっぱり心配だろうしねそろそろ自分達もがん年齢だということを自覚しているみたいでね、聞かれた脳挫傷で死にかけた… というか、ワタクシ的にはあの時一度死んでいるプーケットで津波にあって、死にかけた… というかギリギリ偶然生きていた乳がんになって、死ぬのかと思ったと、3度の災難にあってどれが一番辛いか… ってなんじゃそれ どーなんよ、それ 脳挫傷のときには、そのままそのまま死んでいたら、というか死にたかっただってさ、倒れたときから記憶ないんだよ当時、辛かったしさ… あのまま目が覚めなければ、本人は幸せだった(かも)… と当時は思っていたそれでも時間の経過とともに、後遺症は残ったにせよ「命」に別状無し…津波は嫌だ、全部記憶にあるから…目の前に広がる光景は… 思い出したくないものでもPTSDはどうだろ、そんなに辛くなかった今回の震災で、フラッシュバックしてしまったけど、始末のつく範囲 それで乳がんは…そりゃコレが一番やっかいでしょ…だって、完治って言葉がない この先何年… て考えるとさ聞くほうも聞くほうだけど、何故か…って分析してるのもなんだかねにほんブログ村
November 5, 2011
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どうしたんだろ、バセドー前回の検査で、ホルモン値が上がっていて、バセドー再発かな…と、先生もちょっと心配げだったんだけど…今日も診察で、先生は浮かない顔なんで20年おとなしかったバセドーの数値が悪くなるんだろって言ってた最近変わったことない?と言われても、乳がんのホ剤、タスオミンを飲み始めたことくらいそれは関係ないなぁ~ と先生他にないよ、変わったことなんて 来週また検査かも なんせお財布に優しくない検査なんで…それにしても、体感的には何も変化なしバセドー?? って感じなんだけどねまあ、いいや、元気だからいいのか? ま、いいってことで…にほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
October 25, 2011
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先週の休暇中に、再建のクリニックからが…何々、何やら悪い予感悪いお知らせではなかったのだけど、甲状腺機能亢進症の数値が必要とのことんなもん、旅行中にどうしようもないので、今日クリニックに詳細を聞くためで、そのまま甲状腺の先生にして伝えたところ「あ~、ちょうど数字が悪いんだよね~」は 『ちょうど』ってどうゆう意味っすか「どうしようかな~、良い時の数字だそうか」は せんせ、そんな嘘つきしちゃっていいんすか「もう一度、血液検査してから提出した方がいいね」とのことで、急きょへ診察室でセンセがおっしゃるには、乳がんの治療がホルモン療法に変わってから少しずつ甲状腺の数値がばらつく傾向にあるらしい大したことではないけれど、マーカーの数値的には、甲状腺の再発が考えられる… ってえ せんせ、それアカンですにわかに先生、本気だして診察モードか、超音波しますとえ なんか、乳がんのこと思い出しちゃって思わず、Tシャツ脱ぎそうになったわ「nanaさん、首の超音波ですから、そのままで大丈夫です」って言われちゃったさ超音波って、やっぱり乳がんの告知の時を思い出しちゃったぐりぐりされながら、「あ~これがガンですね」なんて言われるんじゃないかとドキドキ結果は、大きな問題はないけれど、薬の量を調整する必要があるとのことま、それくらいならいいや手術に関しては、このことで手術を延期してくれという理由にはならないとのことは~ よかった…なんせ半年待ちの手術、ここでコケたら、この先の計画がまた大きく変わるところだった血液検査の結果は週末にしかわからないけど、とにかく大きな問題が起きませんよーに祈るしかない… ですにほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
September 27, 2011
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10年ほど前に罹ったヘルペス1年に数回チラッと痛みが出るそれがなぜか抗がん剤以降全く音沙汰なく忘れかけていたが突然再発してしまった、痛っ今まで通院していた病院に行くのもねぇまた、1から乳がんの説明するの嫌だなぁと、ウジウジしていても痛いのが治るわけもなく、とっとと薬をもらいに行かねば嫌だなぁ・・・というのは、知られるのが嫌なのではなく説明するのがめんどくさくて嫌というものぐさそうだ 近所のお医者さんに行こう去年のGW前、胸が痛くて駆け込んだ医院乳腺症でしょう、けど、乳がんじゃないことを調べた方が安心でしょと、大学病院に紹介状を書いてくれたドクターあそこなら、気が楽かもということで、行った医院けど、当然だけど初診扱いで、問診票に全部記入が必要だった婦人科の問診票に絶対ある項目・・・最終生理はいつですかってやつ「忘れました」って書いたら、看護師に呼び出されちった結局、一から説明する羽目に・・・ 楽しようって考えは甘かった診察室に入ったら「乳がんだったの 乳腺症だと思ったんだけどねー僕は専門医じゃないから、乳腺の紹介状は結構書くんだけど、乳がんって診察された人は初めてだよーー」ってのんびりおっしゃる専門医じゃない のね、たしかに婦人科ですもんね・・・じゃ、専門医じゃないのに、乳腺症って断定したの怪しいと思ったから、紹介状書いたのそれとも、とりあえず専門外だから紹介状書いたなんだかが頭の中に充満すること、すること「乳腺症だと思ったんだけどね~~」 まだゆうよ、このドクターま、いいですけど先生が紹介状を書いてくれたから、乳がんの発見に至ったのは確かだから先生のおかげで、早期(かどうか・・・・)発見された乳がん結果から見ると、そーだよねー「先生のおかげで乳がんがわかりました・・・、ありがとうございました」って、なぜかお礼を言って、深々と頭を下げて帰ってきたもちろんヘルペスの薬もゲット・・・これでしばらく安心安心乳がんの検診は、乳腺科で受診しましょうねにほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
September 15, 2011
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バセドー&てんかんの通院日この先生は20年来のお付き合いでもあるから、気が楽毎回この言葉で始まる診察…挨拶とも言うが、病人に向かって言う言葉かどうかは…「元気」「すんごい元気です」「・・・・・・」「元気ですけど…」「『すんごい』っていうのが気になるね」「・・・・・・」 (心の声:あかんのかい)「病気の人が、すごく元気って言うのは、躁鬱の気があるんだよ」「はぁ」 (心の声:なんのこっちゃい)「どうなの」(心の声:どうって言われても どーよ)「化療はしんどかったし、手術も痛かったけど治療してるって実感してたから必死だった気がします。それに比べると、今ホ剤でホトフラがあるとか、だるいとか言ってるけど治療してるっていう実感はないから、忘れてることもあるし身体も前に比べると全然元気だから、すっごい元気なんです」しばし沈黙… 何か「落ち込んだりしないの」「そりゃします、完治しないなら、とっとと再発して死にたいって思うことありますよ」「やっぱり今は躁鬱のソウかな」「なぜそうなるんですか」「ハイになったり、ウツになったりするのは躁鬱なんだよ」「だから、なぜそうなるんですか」なんかドラマの刑事が誘導尋問してる感じまったくそんな気ないのに、なんだかその気になっちゃうぜこれでウツなら、世の中みんなウツだよそりゃ、こんなですもの 凹むこともあるし キーって自暴自棄みたくなるときもあるしでもそれって、そんな異常じゃないと思いますがなんだか、躁鬱ですと診察されてしまいそうな気がして怖かったよ至って健康なマインドを持ち続けていると信じてんのにさ病気にすんな あ、病気かにほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
August 24, 2011
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震災の影響で、甲状腺の薬チラヂンSを日本で唯一製造していた福島の工場が被災し薬の処方が、max3か月だったところ、1か月に短縮されていたそれが、ようやく、ようやく5月末に復旧したとのことよかった…もちろん、その間緊急輸入でかなり補っていたとのことだが、処方箋は1か月がmax甲状腺は治療方法が確立している病気なのだが、薬の調整がどうも難しいらしい甲状腺機能亢進症のワタクシは、本来機能を抑える薬メルカゾールが主体しかしメルカゾールを2日に1錠でも多すぎ…甲状腺機能低下症のお薬チラヂンSを毎日服用で調整している…なんだかそれなら、薬やめてもいいんじゃない???な感じなのだが、それも難しい(らしい)そもそも発病したのは、20年前… そしてこの薬の配合にしてすでに17年一生このままか… ふぅ なかなか繊細な器官のようですな…とりあえず、1か月毎の通院は2か月毎に戻った先生も患者さんが増えちゃってて、大変だったみたい(みんな1か月毎に来ちゃうんもんね)そんな大忙しの先生、ワタクシの顔を見るなり「元気そうだね~」ってはい、元気ですけど…元気に見えますよね、やっぱり…先生の方がよっぽどお疲れで病人みたいだったよそんな先生… 最後にポツンと言ってた甲状腺がんが増えるよ… って恐ろしいね…にほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
June 23, 2011
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気分 なままなんだけど実は昨日追い打ちをかけるように、会社でこけた紫色の膝小僧をまたしたたか打ち付け、紫の上に赤のグラデーションな状態あまりに痛くて泣きそうだし、手を洗おうと洗面所に行って顔をみたらもう切れたなんだよ、このブス顔自業自得だけど、腫れてるし、変それでなくても、最近太って顔が丸いのにだいたい体重も管理できてないってあかんやろ努力もしてねーしなんだよ、その変な髪の毛なんだよ、そのクルクル頭好きでやってんじゃねーよー白髪ぐらい染めろよみっともねーんだよーって、鏡の自分に悪態ついたなんかね、もうなあああああんにもやる気が失せたのよ乳がん2年生進級したばっかりなのに、いきなり躓いたわうつに入ろうとしてる自分がいる感じそんなことをちょっと今日カツラ屋さんと話していたら、あっさり言われた「わかってる人はうつに入んないんじゃない?」そかな… じゃあもうすぐ復活するかな…とりあえず、顔の腫れは半分くらいになった噛むことはまだ半分くらいの治り方食べられるようになってきたから、復活する気もするし… ってそれか?にほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
June 1, 2011
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2か月ぶりの甲状腺機能亢進症と外傷性てんかんの診察日待つこと2時間だよざざざっと手術日から、病理検査の結果を伝えて、良かったよかった と先生も言ってくれて、気を良くしていたところ「実はね…」と始まった何、何、何… なんかこっちの結果でなんかまずいのと冷や汗状態で続きを待つ「今回の震災で、チラヂンの工場が被災して、薬が作れないんです」なんと、チラヂンはいわきの工場で100%生産されているとのこともちろん徐々に復旧しているのと、海外からの輸入も入ってきだしているらしいがそれでも処方箋で30日分がマックスとのこと(通常時だと90日分まで)まあこんなところにも震災の影響がもちろんこんなこと軽微なことではあるのだけど、このお薬が無いと困る人って結構いると思う早く復旧してくれればって心より思っちゃいましたちなみに、この影響でまた来月通院しなきゃならないんだけど、診察代バカにならないだよねにほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
April 12, 2011
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昨日に引き続き今日も花粉が飛びまくってます乾燥注意報が出ているせいもあるのか、とにかく鼻水が花粉症に「べにふうき茶」が良いと言われて、今年飲んでいたそれが先週まで先週まではかなり調子が良かったということは、べにふうき茶のおかげ花粉症に良いものって、メディアでも口コミでもめいっぱいあるけど、ホントはどうなんだろねそれだけで治るなら、薬はいらないし、花粉症の人もいなくなるはずだしだけど、つらいときにはつい「○○が良い」と聞くと、手が伸びたりあ、がんも同じね、でもがんの場合は絶対その手に乗らないなんでだろ ね昨日タイトル変更しながら、ごちゃごちゃ触っていたらなぜか記事の日付が昨日付けになる… ことに気がついた変なの… にほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
March 28, 2011
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昨日は2か月ぶりの甲状腺機能亢進症と外傷性てんかんの診察日このところ仕事が忙しい割に、仕事をしていないのでどんどん溜まっていくお仕事達しかもお子ちゃまのインフル(の疑い)で社員が一人いない…あらら~ 零細企業なんでこれは痛っ しかも混じりのの中ご苦労なことだけど社長は接待ゴルフでいないし…っていう社内事情の中出かけた 結局中止になったと帰ってきたヨ、雪降ってたって… 行く前に分からなかったんかな… お疲れ様でした…昨日の午前中って都内でも出かけるのが嫌になるような日でもせっかくだからどっかでランチしようかななどと目論んでしまうとにかく 食欲が衰えない… 体重が止まらない… 告知前より3kg増…こんなに食べることばかり考えていて良いのだろうか…一昨日は地元でご飯、あまりに地元なので店名はxxああ、立派な胃をもっていると実感本題忘れた甲状腺の数値は12月に悪くなってきていると脅かされていたけど、今回はクリアホッとしたものの、「今日の数値が悪かったら、するからね」いつもはそんなこと言われないのに… ホントはちょっと気になる数値なの センセ、隠し事はしないでねにほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
February 10, 2011
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昨日の午後急にお腹Pになってしまった…あれれれれ~~毎日マスクで通勤手洗いうがいは欠かさなかったのに…ノロ だ ノロ~~どれだけ予防しても罹るときは罹っちゃうのだろうがワタクシの場合、どうも拾う癖があるらしく…近所のかかりつけの内科に駆け込んだ「ノロウィルスによる胃腸炎ですね~ちょうど1年前にもかかってますね~」あぁ、そうだった 去年はひどかったお腹Pどころじゃなく、まったく食べ物受け付けず、Ge-Ge-だったもん1年ぶりにお会いした先生だったけど、乳がんのことを話すと ◆ 家族にがんに罹った人がいない ◆ 太っていない ◆ 胸が小さい 大きなお世話だと思うのですがと、がんに罹る要因は限りなく少ないのに、運が悪いというか、拾っちゃいましたねですと言いますかこれで2人目だよ先生、だから好きで拾ってませんってばそれでもお薬を出してもらって、飲んだら今日は良い感じ仕事してますが、さすがにランチ外出する気になれずデスクで冷凍タンメン というかチャンポンって感じあら美味しい治りかけてる気がする我ながら 早っにほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
February 4, 2011
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病院に行くのを忘れそうになるくらい、ただ行くだけの診察日しかし遠い この時期ノロウィルスにもインフルエンザにも気をつけろオンパレードしっかりマスクでガードして朝から出かけた駅に着くと「人身事故で電車が遅れています」とのことで、まずまずつまずく病院には20分遅刻で到着待つこと、待つこと 師走は病院も混雑極まっている感じそして ようやく呼ばれたと思ったら、隣のおじーちゃんが「ハイハイ、よこっらしょ」って入って行った なんでそのおじーちゃんがまた出てこない30分以上経ってようやく出てきた… そしてその後は誰も呼ばれず15分今度こそ呼ばれた… 「先生、さっきの患者さんと私って同姓ですか?」と聞いてみた「あ~ 一文字違いね、さっきの患者さん間違えて入ってきたみたいなんですよ、ホントはあなたが先だったんだけど」そーゆーときはおじーさんに間違いを指摘して、順番に呼んでください って 言いたかったけど、言えなかった白血球が下がっている検査結果を持って行って見せたら、やはり問題だと前回から甲状腺の数値がふらついているので、今風邪とかひいちゃうと、一気に悪くなる可能性があるから、絶対風邪をうつされないように…と言われちったてんかんは、可もなく不可もなくでとにかく、このままがんが落ち着くまで、現状維持頼みますぜ、甲状腺&脳波なんだかどっと疲れて、また寄り道をしてしまった抗がん剤で散々お金かかっているってのに、またフラフラとお買いもの行っちゃうと、やっぱり買ってしまう 諭吉っつぁんは本日もお財布にとどまらず、羽が生えていたらしく飛び立ったそれでも気分転換して、さ、帰るか、仕事するか… と思い駅へ向かうとまただよ「人身事故の影響でダイヤが乱れています」ってなんだかかんだと、一日仕事の通院となってしまったにほんブログ村一日1回クリックしていただけると嬉しいです
December 7, 2010
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Wikipediaによる定義 心的外傷後ストレス障害、または PTSD (Post-traumatic stress disorder)とは、 危うく死ぬまたは重症を負うような出来事の後に起こる、心に加えられた衝撃的な傷が 元となる、様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである 心的外傷後ストレス障害は、地震、洪水、火事のような災害、または事故、戦争といった 人災や、テロ、監禁、虐待などの犯罪など、多様な原因によって生じうる うつ病 とは、気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・ 焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などを特徴とする精神疾患である2004年12月26日という日は忘れられない早めの仕事納め後、12月25日にタイのプーケットへバケーションへと旅立ったプーケットに到着したのは夜9時を過ぎていたが常夏の観光地にとって、夜9時はまだまだ夜も序の口の様子とにかく暑いし疲れたしで、前のビーチ通りで乾杯 …何はともあれ今年もお疲れさまでしたてな具合すっかり仕事からの解放感でぐっすりと休み、26日の朝は気分良く目覚める8時ですでに太陽はギラギラと眩しげとにかく朝食だ との一言で用意を始める これだけの日差し、ホテル内にしても顔にだけは多少はUVケアを とそんなとき、ベッドで夫が胸を押さえている どした 「俺も歳かな、なんか揺れてる…」「はぁ」周りを見る… 確かに揺れてる、夫じゃなく部屋が「地震だよ、コレ」「ほんとに揺れてるって」 その時は軽くそんな会話をしていた気を取り直し、朝食をたっぷりといただき、をゆっくり飲む「ちょっとビーチまで行ってみよ」と言われ目の前のビーチへ キ・レ・イ but 日差しが「ダメだわ いったん部屋に戻って支度しよ」とまだそこに居たそうな夫の手をとって、部屋に戻ったおそらく これが 生死の分かれ目あと20分この場所を去るのが遅ければ今ここにはいない部屋に戻るとちょっと休憩したくなりベッドにごろんすると 聞こえてきたのだ ゴーとジェット音のような…「繁忙期だから飛行機が多いのかなぁ~」「え 空港遠かった…」おかしいと思い、窓から外を見るビーチとホテルの間にはヤシの木が並んでいたのだが、そのヤシの木から(という表現しかできない…)水があふれてる水が持ち上がり、押し寄せている感じ 何が起こったのか見当がつかなかった呆然と見ていると、どんどん水かさが増してきた目の前のプールは、もうプールなのかわからなくなったプールに面している1階部分のガラスが割れていき、電気系統がショートして火花が散るそのあたりからだろうか、いたるところで悲鳴があがる「津波だ」夫がようやく声を出したそしてそれまで呆然としていた私達だったが、すぐ行動にでた部屋を出て、高いところを目指す 目指すは屋上ホテルの従業員が誘導するなんてことは無かった一目散に逃げたのが彼等 そして取り残される宿泊客 そのホテルはヨーロッパ系の人が多かった従業員がいないものだから、アジア系の私に寄ってくる「どうすればいいんだ」「俺はすぐにギリシャに帰りたい」,etc.しらんがな と心の中で呟きつつ、これは津波だから、高いところへ避難しろと教える屋上から見た海、沖合にいたヨットが岸まできていて、この後転覆プールのあったところはこのありさまこれは大変なことになったなという思いはあったしかし現実問題 何もできなかった電気も水道もやられたが、部屋は無事だったし、しょうがないので、寝た夕方になりそれでもホテルからも何も言ってこない腹も減ったフロントに行くと、水とキャンドルは用意されていたただし飯はないホテルからの正面玄関は海に面しているので使用不可反対側の塀を壊して、出入りするようになっていたとりあえず探索するか とホテルから山側をみると電気がついているしばらく歩くと、1軒のスーパーが営業していた奇跡的ただ皆考えることは同じか すでにほぼ全ての食料は空それでもビール、ツナ缶&マヨネーズをゲット ホテルに戻り、キャンドルをバルコニーの手すりに20個くらい灯しビールとツナ缶のディナーと相成る次第実はこの日は夫のお誕生日 ちょっとロマンチック次の日からが大変だったまずホテルが閉鎖 何とか開いているホテルを探し移動このあたりからだろうか、街中が死臭なのだそれと土埃で煙っているのだやることも無いので、毎日散歩していたもののとにかく匂いでやられたある日、また歩いていると「日本の方ですか」と声をかけれられたTV取材だった 「そうですが…」「ではぜひインタビューを」となったが「私は撮らないでください」とお断り 何故って「あ、ばれたらまずい関係ですか」って聞かれた、聞くか「いえ、すっぴんなんで、TVに映るのは嫌です」です という理由回線も全てやられていたので、家族にも知らせられなかったしかし彼らが携帯を貸してくれ、連絡が取れた それだけはThank you very much私の実家は留守電ではあったが、メッセージを残せたのでまずはしかし夫の実家は電波が届かないのかそれでもまあなんかこれで日本とつながった感じはした3日後の道路一見何事もなかったように静まる海毎日BBCを観ていたヨーロッパの国はほとんど救援機が来ていたしかし日本は音沙汰なし 冷たいもんだ…そんな時日本大使館から夫の身元行方確認だった 実家に電話がかからなかったので、身元不明者扱いだったらしいそのころ実家では、遺体確認のためプーケットへ行く手配まで外務省から指示があったらしい帰りの日が待ち遠しかったしかし10日間の予定で行っており、救援機も無かったため予定通り10日後にようやく…JALは嫌いと常々言っていたが、バンコクからJALに乗った時は涙が出そうだった結局10日間、死臭を嗅ぎ、まともな食事もしていなかったため、ボロボロだったそれでもとにかく日本に帰ってきた次の日から出社し一見普段に戻った が何かがおかしかった自分の気持ちが続かない… 眠れない… おかしい… ハイになる… 落ち込む…そんなとき友達に言われた「なんか変だよ、いつもと違うよ、メンタルクリニックに行ってみれば」 と次の朝 そんなもんかな、という軽い気持ちで紹介された病院へ電話をかけた症状を伝えると、今からすぐに来てください とまた そんなもんかな と思い行った待合室で、南の島のビーチの画像が流れていた 気持ち悪くなった…個室に呼ばれ、2時間以上話を聞いてくれた津波の話から、会社の話まで…ドクターは聞き上手ドクターの診断は 今回の津波でPTSDの症状が出ているのは間違いないけれど、もっと深刻なのは過労状態の働き方から来るうつ状態の方が深刻だ とそれはどうなんだろというのが正直な感想だったが、翌日からの出社不可・ドクターストップという診断書をもらうことに当時働いていた会社はうつ病の人がわんさかおり、そのドクターも何人も患者で抱えているそうこっそり「この病院へ紹介されるとかあるんですか」と聞かれたくらいそんな事情もあり、会社の対応も慣れたもの「勤続年数から計算すると最長12カ月有給で病欠がとれます」とのことだったそれまで転職も間を開けずに働き詰めの20年弱…そろそろちょっと休むか と思い 「では後のことよろしく…」で休暇に入ったとたん体調復活最初こそ腐臭・死臭付きの夢を見ることがあったものの、会社への憤懣などあっという間に消え失せたただ復職するかどうかは悩んだ戻ればまた過酷な仕事条件… このまま続けて行くのか…続けると言ってもいつまで続けれられるのか… 津波がきっかけになったが、これらのことを考える良い機会になった休んでいる間に、今の仕事を手伝いがてらやっていたこともあり思い切って人生舵をきり直すことにしたうつ病だったのかどうかは今でもわからないが、津波という経験がきっかけで人生良い方向に転換できた(のであろう)と思っている追記:会社の同僚はスリランカでこの津波に遭遇、彼女だけホテルの部屋におり3歳の子供とご主人はビーチにいたそうだ子供はは溺死、ご主人は行方不明のままだそうだあの時、夫と別行動していたら… そう思うと… にほんブログ村に参加しています一日1回クリックしていただけると嬉しいです
August 17, 2010
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未だ完治せず持病となってしまった病気の発病経験その2ですWikipediaによる定義 甲状腺機能亢進症 とは、甲状腺内組織の活動が異常に活発になることにより、 トリヨードサイロニン(T3)又はサイロキシン(T4)、 或いは両方の甲状腺ホルモンの 分泌量(活性)が過剰になる疾患である。 甲状腺ホルモンは細胞レベルで非常に大切なホルモンであり、体の殆どの組織に 影響を及ぼす。代謝内分泌疾患の一つ。かれこれ20年も前の話だが…確か暑い夏だったその当時電車で1時間強の通勤時間の東京近郊に住んでいた毎日悪名高きギュウギュウ詰めの満員電車に揺られ通勤それ自体体力がいるような通勤生活だった日頃そんなに汗をかくという自覚がないはずだったが、その夏は何かがおかしかった朝ハンカチを持って電車に乗るが、半分行きつかないうちに汗で湿るそのうちハンカチでは間に合わす、タオルを持参それでも会社に着くころには絞るとポタポタするくらいの汗だった若いくせに「歳をとると汗っかきになるもんだ」などと思っていたそれだけ汗をかくということは、新陳代謝が良すぎるということつまり食べても太らないどころか、痩せるとにかく痩せる身長が167cmあるのだが、40kgを割ってしまった お・か・し・い とは 思ったしかし痩せるぐらいでは、病気とも思わず そのままズルズルと日が経ってしまったそんなころ会社の健康診断があり、あっけなく「再検査」の指示紹介状をもらい病院へ直行「バセドー病」だとはっきり言って、「なんですか それ」だった『目が飛び出る』という症状をなんとなく聞いたことがあるような…その程度の理解甲状腺機能亢進症(バセドー病)の症状は多数あり、どれもが出るわけではない(らしい)汗をかく、痩せる 以外に症状が無かったので病気という認識があまりなかったしかし、その後新陳代謝が良すぎ、体力がついていかなくなった症状に効く薬の種類と薬量が決まるまで、とにかくしんどかったことを記憶しているしかしこの病気は、完治は難しいらしいが薬が効くので死ぬ病気ではない薬さえ合ってしまえば、通常生活には困らなくなる(ことが多いらしい)私の場合は、1年ほどで数値もほぼ正常に戻り、生活も正常に戻ったその後1年経ったころ、薬ももう止めてもいいでしょう との判断で断薬完治か… とところが、半年後再発先生曰く「再発率は40%」だそうなので珍しいことではないらしいそれ以来、現在は数値もギリギリ基準内にあるにも関わらず「再発防止」のため薬から離れられない生活となっている この初診時から診ていただいているドクターが、今も私の主治医外傷性てんかんのドクターが今年の春、定年退職をされたので、外傷性てんかんの主治医も兼ねている実は、今日診察日だった20年来のことなので、いつもは「元気~~」とのどかに始まる診察であったが、さすがに前回乳がんであることをお知らせしたため「痩せたみたいだけど、その後どう」と今までにない少しシリアスな診察となった今日のところは、どちらも数値に変動はなく、抗がん剤での影響は受けていないこの先もこの2つの持病に関しては忘れていたい(ものだ)にほんブログ村に参加しています一日1回クリックしていただけると嬉しいです
August 10, 2010
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Wikipediaによる定義 扁桃炎 は、扁桃腺に菌が感染し、炎症を起こす病気。扁桃腺炎とも言われる。 一度感染すると菌が完全に無くなる事がなく、体力が低下した際などに再発する。 通常は抗生物質投与で治癒する。再発頻度が多い(年に3~4回)場合は、 扁桃摘出術を勧められる。扁桃摘出術は全身麻酔を施し、術後1週間程度で退院する。 ヘリコバクター・ピロリ (Helicobacter pylori)は、ヒトなどの胃に生息する らせん型の細菌である。単にピロリ菌と呼ばれることも多い。ヘリコバクター・ピロリの 感染は、慢性胃炎、胃潰瘍や十二指腸潰瘍のみならず、胃癌やMALTリンパ腫などの 発生につながることが報告されている。2009年7月痛い手術をするはめになったそれでも摘出してしまえば完治というのは、今の乳がんという状況を考えると楽なもの今から4~5年前くらいからだろうか、喉が痛くなり熱が39度以上出る症状が年に4回、5回とおこるようになったそのたびに病院に駆け込み、抗生剤と痛み止めをもらうことにしかしその処置はあくまで症状を抑えるだけで、根本治療ではない(らしい)恐ろしいことに発熱にだんだん体が慣れてくるのか、38度以上の熱でも全然平気で仕事ができるようになったそうなると 「あ、まただ」くらいで日常茶飯事になってしまったそうとう鈍いのか…しかしまた熱が出たのがたまたま日曜日いつもの病院は会社の近く自宅の近くの休日診療の病院を知らなかったそして2009年5月と言えば、覚えてますか 新型インフルが猛威をふるっていた時期休日診療の病院もそのままでは受付してくれない時期区の担当部署に電話をかけ、紹介してもらわないといけない時期だっためんど と思いつつも「最近海外へ行きましたか~~?」 「いいえ」「最近関西へ行きましたか~~? (その当時関西が凄かった)」 「いいえ」その2点だけ聞かれ「じゃあ インフルエンザじゃないと思いますので、○○病院の救急へ行ってください」と まあ見事なお役所仕事こんなんでインフルかそうじゃないかを振り分けていたんだともあれ、救急へ行きまたしても抗生剤と痛み止めを処方してもらうしかしその時言われた「年に4度以上咽頭痛と発熱を繰り返すのは、溶連菌が口蓋扁桃に常在して慢性炎症のもとになっている可能性がある」と詳しくは救急では検査できないので、きちんと耳鼻咽喉科へいってくれ… となんだか嫌な予感はしていたが、耳鼻咽喉科へ行った言われた「摘出すべし」 と2ヶ月後に手術手術のご案内を隅から隅まで読んでも、マニキュア&ベディキュアの項目なしないので、マニキュアもペディキュアもそのままに入院看護士長さんは渋い顔をしながらも「爪の根元が見えてるので問題ないでしょう」とお優しいお言葉(病院によって対応は違うので、注意してください)手術は全身麻酔午後1時のスタート「夕方にはお部屋に戻れますので、お見舞いの方にはその時間に来ていただくように」との事だった麻酔が効き手術はもちろん何も覚えてはいない外が暗いなぁ と思いつつ目が覚めたのは午後9時半しかも息ができない苦しい それで目が覚めたのだ間違いなく人生で一番痛かった経験だった朝まで酸素吸入状態… 死ぬかと思った朝になり何とか息は楽にできるようになったが、全くは声は出ず喉の痛みははんぱじゃないままそれなのに、「朝ごはんです」と運ばれてきたものはおかゆと梅干 因幡の白ウサギもびっくり声が出ないので抗議もできず、そのまま下げてもらうカテーテルもとれ、体は動くようになったが 相変わらずの痛み喉が痛いのに痛み止めが経口剤というのも…お昼ご飯にも笑えた… おかゆ&梅干にミックスフライ…どうもこの病院は、手術後=おかゆ&梅干、おかずは普通どおりということらしいそれでも回復はしていくもの声は出ないが、1週間で何とか口から食事もできるようになり退院もちろん食事をすると言っても、味は全然わからず声は退院後1週間ほどでほぼ回復この後半年味覚障害に陥った元来甘いものがキライなのに、全てのものが甘く感じるようになった食べるの地獄 体重減 地獄のスパイラルそして9月、体重激減のまま健康診断の時期なんか何かにひっかりそうな予感はあったきりのいい数字のお歳で受診票がくる、ペプシノゲン検査で引っ掛かった胃がんの疑い胃カメラ受けた所見なしでホッとしたものの、ピロリ菌感染だった8割方、一時除菌で成功するそう1週間で除菌成功 免疫ができるらしく、一生ピロリ菌とは縁が切れたそんなこんなの2009年、この年体重が6kg減った真面目半分、冗談半分「がんかもね~」などと言っていたまさか本当になろうとは…にほんブログ村に参加しています一日1回クリックしていただけると嬉しいです
August 9, 2010
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未だ完治せず持病となってしまった病気発病経験ですWikipediaによる定義 脳挫傷 (英:cerebral contusion、独:Hirnkontusion)とは、頭部を強打するなどの要因 によって外傷を受けた際に、頭蓋骨内部で脳が衝撃を受けて脳本体に損傷を生じる病態。 外傷を受けた側の脳が局所的に障害を受ける一方で、外傷とは反対側の脳表面は広範囲に わたって障害を受ける。これは外力によって慣性を付けた柔らかい脳が硬い頭蓋骨に 内側からぶつかって広範囲に挫滅するためと考えられる。 このような脳実質の挫滅、小出血、続発する浮腫を脳挫傷という。保険自動車so-so用語辞書から(抜粋) てんかんとは、痙攣(けいれん)・などの発作をもつ脳の慢性疾患です。 外傷性てんかん とは、頭部外傷によりてんかん発作を生ずるに至った場合に 認定をされる後遺障害です。 脳の損傷による症状がある場合や、頭部CTで脳挫傷などの脳組織の損傷が 認められる時は、外傷性てんかんを起こす可能性が高いとされています。2001年6月そのころ某バカみたいに忙しい会社の、超アホみたいに忙しい部署に所属していたコンビニのセブン・イレブンの意味ってご存知ですかその昔、アメリカでは朝7時から夜11時まで開いている画期的なお店だったその職場はまさしく7-11状態で、ほとんどの人が夜中まで普通に働いてたそれもどんどんエスカレートし、夜12時からミーティングとか平気で組まれてしまうもっとも、ニューヨーク、ロンドン、東京3者でミーティングをしようとすると、日本が犠牲になり、その時間になりがちだが、とにかくそれが日常茶飯事海外の人に日本人って7-11みたいに働くのね… って 言われる始末それどころか、それでも追い付かず土日なんてなかった…システムの入替時などは、月曜日に会社に来て 次に家に帰れるのは日曜日の午後着替えを取ってきて、また月曜日が始まるしかも会社はニューヨーク、ロンドンにもオフィスがあり…システム会社はシカゴ、なんだかんだと、年に何度も出張があり…7-11と言われていたころはまだよかったのかもそのうち「東京は年中無休24時間営業だ」 とそんな生活をしていた2001年6月マネジャー以上は年に1度 最低5営業日以上連続で休暇を取らなければならないという 事故・不正防止の社内規則がちらつくはっきり言って、「この状態でどうやって休みとんねん」 という感じしかし社内規則は規則 規則に従った…「たまったマイレージでビジネスクラスで行ける一番遠いリゾートどこ」メキシコのカンクン遠かった… アメリカ国内で乗り換え ほぼ20時間かかり到着アメリカに住んでいる友人とホテルで現地集合とにかく寝よう し・あ・わ・せ少しはスッキリし目をさましたどこまでも青い青い海と抜けるような澄み切った空とにかく朝食をと… ビーチのカフェで少し食べたもののはやり疲れが溜まりきっていたのか、ちょっとふらつくし変… 気持ち悪いそう思い、「部屋で寝てるね~」 と友人に言って部屋へ戻ることに覚えているのはそこまでここからは友人談になりますが立ち上がり部屋へ戻ろうと2、3歩歩いたところで、突然頭から転倒側石に頭をぶつけたらしく、頭から血を流して意識不明で倒れていた救急車で運ばれ処置室へそこで病院側から言われたことが 「先に金を払わないと治療しない」 だそうすごい… というかさすがというか友人も負けていなかった 「金は払うが、血を止めるだけでいい、開頭手術はするな」これもすごい… メキシコの医療技術を信じてない目が覚めたのは頭を縫われていた時 麻酔してなかったのか…そのまま病院に2日いたが、ドクター以外は英語ができずスペイン語オンリースペイン語はできないので、看護師は親切に話しかけてくれるけど意思の疎通なし治療らしい治療もしていなかったので、ホテルに戻ることにしたホテルの窓から見える青い海と空が虚しかった3日でショートフライトのが出たのでとりあえず英語圏で近いラスベガスへレントゲン、CT、MRIと検査をするも脳挫傷自体を治す手立てはなくロングフライトの許可が出るまで安静に と言われ、痛みどめをどっさりやることなかった~ 頭が痛いからカジノはうるさすぎて長居ができず…歩けないから街の散策もできず、痛み止めでフラフラしてるからショーを観に行っても途中で寝てしまうし…車いすで可能な行動範囲は… アウトレットだったバスで運んでくれるし、涼しいし、静かだし抜糸後ロングフライトの許可がでて日本に帰れることになった時は正直ホッとしたもちろん帰ってきてから精密検査を受けた青くなったのはアメリカでの医療費の請求書さすがに過労が原因と明白だったのか、会社が全て負担なんとか普段の生活に戻れたころ、後遺症が出始めた直後から耳鳴りは24時間鳴りっぱなしでイライラしていたが、なんとか耐えられる範囲内けれど 頭痛で起き上がれない 突然ブラックアウトして倒れる ことが何度もおこりまた脳外科を何件も回ることにしかし脳外科の範囲では、異常なし 異常なし 異常なし… といつ倒れるか不安が募るも、異常なしと言われるとよけい不安なもの何度目かに救急車で運ばれた時、もしかしたらということで脳波を測ったそれで判明 外傷性てんかんになっていたて・ん・か・ん それでも原因が分かっただけで、精神的に落ち着き、てんかん自体も薬でコントロールできる範囲になったため気分もようやく落ち着いたここまでくるのに約3カ月その間会社には「残業するべからず」というドクターストップをだしてもらっていたので以前に較べるとかなり楽な生活になっていたし・か・し 2001年9月と言えば9.11残業ならずのはずが、そろそろもとどおりの生活に戻りかけていたころその時間、NYと電話していたちなみにNYのオフィスからWTCは目と鼻の先そして、その瞬間「あ、ヒコーキだ。あ、ぶつかる~~~。ぶつかった~~~」という実況中継を聞く羽目に東京のオフィス内にも他にNYと電話していた人かかなりいたようで、一斉に騒ぎ出し、みんなしてTVモニターの前にはりつき状態ええええええこれって事故と言っている間に2機目が激突 そのままWTCが崩れ落ちるまで誰一人モニターの前から動けずだったWTCには取引先も多く、その先はおそらく想像どおりその後しばらく連日真夜中まで仕事が途絶えることはなかった…私にとっては、9.11を機に元の生活に戻ってしまったそしてこれじゃ死ぬと本気で思い、異動願いを提出異動はかなったけれど、外傷性てんかんとは未だお付き合い中会社なんていくら一生懸命働いても、「死んだらお終い」「ああ、良い人だったね」で終わってしまう(教訓) 命あっての物種です後記:長い話にお付き合いいただきありがとうございます。 備忘録のようなひとりごとでした いつかカンクンリベンジを果たしたいものです(余談)にほんブログ村に参加しています一日1回クリックしていただけると嬉しいです
August 6, 2010
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今日は甲状腺機能亢進症と外傷性てんかんの診察日でした。乳がんの告知を受けてから、初めての診察日だったので、乳がんの検査結果のコピーを全部持って行って参りました。診察室に入るといつものとおり、「元気~」と聞かれ、あ、あんまりお医者様と患者の会話じゃないですよねでも20年くらいお付き合いしている先生なのでいつもこんな感じです。「えっと、がんって告知されました」……… しばし 無言 ……「しかしいろんな病気拾ってくるね」と 言われた。先生、私も好きで病気拾ってませんってば持参した検査結果を見て、「乳がんのと連携しますから、治療がんばりましょう」と一言。はい、がんばりますよ、先生。だってそれしか方法ないですもん。今まで3カ月に1度の診察でしたが、これからしばらくはもっと頻繁に診察が必要とのことでお薬が60日分しか処方されませんでした。ほんとしょうがないことですが、病院通いが増えます。仕事どうしようかとか 思っちゃいます。今日のうれしかったこと。いつも満席で外にも10人ぐらい並んでいる人気のイタリアンが、奇跡的に空席ありで、美味しいランチをいただけました。幸せ
June 15, 2010
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今日はちょっと曇りがちのお天気のせいか…なんで乳がんになったんだろう… すぐネガティブになってしまいます乳がんだって病気の一種。医学は日進月歩 そう信じて前向きにそうは言っても…… やっぱりへこむしほんと一日の中でもこんな状態です。でもがんだけじゃないのよね。病気は。考えてみたら今までいろいろ病気をしてきたんだから、もっと気持に免疫ができていてもおかしくないのに、なんて思ってしまったりします。まだまだ修行が足りませぬ生まれつきアトピー性皮膚炎で皮膚はボロボロ両親は「この子は一生嫁にも行けない」と泣いたそう。まだアトピーなんて言葉もなかったし、ステロイド剤も存在していなかったそうです。10歳の時にもうどうしようもなくなり、入院。その時ステロイド剤に出会いました。凄かったです。みるみるうちに、かさぶたに全てをおおわれていた皮膚が、皮膚として甦りました今では「えっ?アトピー?どこが?」ってよく言われます。でもほんとにすさまじかったんですよ。家族でさえ、お風呂は一番最後に入ってって言うくらい。だから体操服を着なきゃならない体育の授業、特に水泳の時間なんて、ほとんど仮病子供って残酷。良くいじめられました いやな思い出だわ成人してからは25歳で甲状腺機能亢進症 いわゆるバセドー氏病を発病しました。 絢香のおかげでなんだかメジャーな病気になってしまいましたが… 何それって病気でした。死ぬことなないらしいし。 2年くらいで薬から脱却したものの、半年で再発。 今も服薬中… 長い付き合いです35歳のとき過労で倒れて、脳挫傷。 良く生きていたと医者に言われましたが、倒れて次に記憶があるのは 頭を縫われているとき。 痛っ そのあとしばらく記憶もないので、次の辛さは後遺症でした。 頭痛。そしてすぐ倒れます。24時間耳鳴りが止みません。 いろんな脳外科を回りましたが、原因わからずでした。 そして最後に行きついたのが神経内科。 なんと脳挫傷の後遺症で外傷性てんかんになっていたらしいです。 そのため脳波が狂ってしまい、頭痛等を引き起こしていたらしいそうです。 これも今もずっと服薬中です。ふぅ40歳のときはプーケットの大津波の現場におり、帰国後PTSDと診断されました。 結局1年休職。そのまま退社しました。そして45歳で乳がんかぁ~あ…… まだあった去年は毎月のように扁桃腺を腫らし、38度以上の熱を出してたものですから、さすがに先生に扁桃腺をとってしまった方がいいと言われ、1週間入院で手術しましたっけ。書き並べているとやけに「0」とか「5」とかが目につきます。鬼門なのかしら次回の「0」は50歳。どうなっているかな…生きてていたいです
June 11, 2010
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