おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2019.09.20
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カテゴリ: 近代
2017年8月に『漫画 君たちはどう生きるか』が発売された。以降、漫画、原作小説ともにベストセラーを続けていた。おぢさんも本屋に平積みされていたので興味はそそられたが、今さら「どう生きるか」考える年齢でもないよねということで暫らくパスしていた。しかし、​ 余りにも良く売れている ​らしいので、軽く内容をチェックしておくかという気持ちで原作の岩波文庫版を半年ほど前に読んでみた。

青少年向けということもあり、読み始めると面白くて一気に読んでしまった。しかしながら、少年の頃であれば、気にはならなかったのかもしれないが、どうも人間を信じるヒューマニズムが鼻についてよろしくない。おぢさんは、それまで 吉野源三郎 氏の作品は読んだことはなく、どんな人物かも知らなかった。少し調べると、平和・護憲運動活動家であり、岩波書店の編集者で『世界』の編集に携わっていたことや、『きけわだつみのこえ』出版の中心人物、中村克郎氏が兄の手記出版について吉野氏に相談していたということを知った。

世界中でネオファシスト政権が席巻している現代、日本でこの著者の作品がベストセラーになることに奇異な感覚を覚えた。ネオファシストは基本的に人間を信じない人々なのではないのだろうか。自国は他国から正当な扱いを受けていない、あるいは他国からの軍事的な脅威にさらされているという、他国を信頼しない心。トランプ支持のFOXニュース以外はフェイクニュースだと決めつけるメディアや世間に対する不信。他人、他国を信頼しないから外交でも軍事でも強硬に自国の利益を主張する。この世界的な世相から免れていない日本で、人を信じる甘ったるいヒューマニズム臭漂う本がベストセラーになった。

これは何を意味しているのか、表面上はネオファシズムに覆われてしまっているように見える世界。実際には見えない所で自由主義が意外としっかりと息づいているということなのではないか。表面は時代の大きなうねりによって変わったように見えるが、表層と深層が入れ替わるのみで全体は意外と不変ということなのだろう。

先述のようなわけで吉野氏の書いたものは敬遠するつもりだったのだが、たまたま図書館で氏の『人間を信じる』というどストレートなタイトルの集成本を手に取ったので、もう読むことはないと思っていた氏の作品を読むことになった。おぢさんは最近あらためて、人間が信じられないならば、その人間たちが行う政治も民主主義もやはり信じられるものにはならないということを思い返していた。これは、結構重要なことだ。人間という信頼できない生物相手にブログで政治的主張をしたところでむなしいだけではないか。バカだか凶悪だか知らないが、とにかく信頼できない連中に何を言っても無駄、政治など無視して残りの人生を謳歌するに越したことはないのだ。政治などもってのほか、人間という信頼できない生物とはなるべく関わらないようにして、やむをえず関わるときは利用してやるか、騙してやるかぐらいの気持ちでいるのが人間不信の正しい態度だ。

吉野氏もまったく同じように考えていた。

民主主義という名で呼ばれるこの原則の底に横たわって、この原則に生命を吹きこみ、血肉を与えているものは、ほかでもないヒューマニズムなのです。人間を愛し、人間を信頼し、人間のこの地上における幸福を肯定しないで、いったい、どこに民主主義がなりたつでしょうか。
 実際、もしも人間が信頼できないものであるなら、民主主義もなにも、ありはしません。日本の民主主義的建設はもちろんのこと、そのほかいっさいの人間的努力もむなしいものとなって、私たちには、むきになってあらそわねばならない問題など一つもないことになってしまいます。
p.14-15 吉野源三郎『人間を信じる』(岩波現代文庫版)

実際、元々政治的な人間が政治的な世界からは距離を置くケースは結構ある。アドラー心理学で有名なアルフレッド・アドラーは政治に幻滅して、教育によって人間を変えなければ世の中は変わらないと考えた。それも一つの方法だが、信頼できない人間に信頼できる教育が可能かという疑問が残る。それでも政治参加に意味があるとすればガンジー氏の言うような意味ぐらいか。

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、
世界によって自分が変えられないようにするためである。
  ――マハトマ・ガンジー

吉野氏の『人間を信じる』についての感想は次回にするとして、80年前に戻るか。

 その弱点に向ってメスを入れ、世界最優秀国とする努力を為すことこそ本当の愛国のはずであるのだが、弱点に触れないように、痛いところは障らせないように、ただ盲目的に国民を働かせようとするから一向に栄えないのである。子供ではあるまいし、いつまでもだましおおせるものではない。
p.242 昭和14(1939)年「近々抄」『近きより2』第3巻第9号<10月号>​

80年前と全く変わらない情けない愛国がこの国に瀰漫している。本当のことを言うと、貶めているとか、批判ばかりとか言って逆切れしているようでは、いつまでも成長できない。
いくら誠意を示しても、頑として譲らないのは米国である。このお坊チャンと貧乏人の子とは、いつか一度は太平洋で相見えねばなるまい。
p.243 昭和14(1939)年「近々抄」『近きより2』第3巻第9号<10月号>​

二年後の太平洋戦争を予見しているようだ。もっとも、日米戦争は幕末の攘夷の時代から予見するようなものがあったが、この頃はもっと切迫し、対英米戦争不可避論がけっこう取り沙汰されていた。1939年7月26日、米国は日本の中国侵略に抗議して​ 日米通商航海条約 ​破棄の通告してきた。これにより日米関係は大きく悪化する。当時、日本は石油、鉄製品など軍需物資を含む多くの素材を米国からの輸入に頼っており、米国との貿易が閉ざされることは日本にとって死活問題だった。
太平洋戦争をアジア解放、日本の防衛戦争だとしてアメリカの不正義を罵りながら、現代においてアメリカ追従、同盟強化を主張するほど奇妙なことはない。アメリカが悪だったとすると、いつ改悛したのだろう。

「国家百年の計」というが、国家は理想的な場合でも百年の先しか考えてくれない。しかし我々の本能は未来永劫の先を考えている。
p.245 昭和14(1939)年「近々抄」『近きより2』第3巻第9号<10月号>​

年金に関しては、百年どころか五十年先のことも考えられていなかった。しかし、目先の参院選でごまかすのには成功した。国家が浅はかなのか、国民が浅はかなのか。

老後2000万円不足の真犯人 年金10兆円を散財した自民党と官僚80年史 (マネーポスト)

年金が負の遺産となっている原因は、過去の自民党のバラマキと杜撰な管理に起因していることは間違いないが、責任を取るべき人間は死んだか、呆けている。お人好し国民は、泥棒に今も票を入れている。
福島原発事故も責任を取るべき人はいないらしい。そういえば、太平洋戦争も東京裁判で裁かれた人間はいたが、天皇は裁判にもかけられていないし、辻政信は何の責任も取らされずに議員として復活した。

正しいことなら通るのが当りまえだと考えている人間を「まだ若い」と称するのであるそうな。
p.245 昭和14(1939)年「近々抄」『近きより2』第3巻第9号<10月号>

実際、おぢさんくらいの年齢になると、現代の政治のように、正しくないことは通り、正しいことは通らない場合が多いことを身をもって実感する。ただし「まだ若い」というのは誉め言葉で、正しいことが通らない世の中は変えてやらにゃあならん、と考えている人間はいつまでも若い。


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Last updated  2019.09.28 05:37:05
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