HAPPYな人生のために

HAPPYな人生のために

引き際を意識すること



年末年始の休みから、ずっと考えていたが、
少しずつ自分の気持ちを陸上から次の夢へシフトしていけそうなので、
今までの日記を引きながらここでまとめの文章を気の済むまで書いてみようと思う。

終わった人が書く、振り返りの文章を。

――本当のことを言うと、どれだけ「もうやめよう」と言っても、またどうしてもあきらめられない気持ちになるかもしれず、それが怖いのだが、とりあえず心はそちらの方へ向かっているようなので、書いてみることにする。
本当に、心の底からああ、やめられるな、と感じなければ(”考える”のではなく)終わりはこないのだけれども、今度こそあきらめてよいと思えるのだろうか。
今日ドラマで「夢は敗れるものではなく、捨ててしまうだけなのよ」という言葉があって、どきりとした。
私は捨ててしまったのだろうか、と。
まだ捨てるべきではないのだろうか、と。
”捨てるべきではない”というのは、一体何に対してなのだろうか。
負けを認められない自分のプライドに対してなのだろうか。
まだ十分迷っているのはありありとした文章だけれども、
こういう終わりもあるのかもしれない。――

[1]終わりが来ること

「何にでもいつかは終わりがくる。
でも、その終わりがくることを怖れたりはせずに、終わりまでに出来ることをできるだけ、めいいっぱいすればいいんじゃないかな。
悪いのは終わりがくることではなくて、終わりがくることを認めようとしないことかな、と思う。

人生にも、旅にも、陸上にも、恋にも、映画にも、地球にも(?)どのような形であれ、いつか必ず終わりが来る。大切なのはその時が来るまでめいいっぱい輝いて楽しむことじゃないかな・・・?」
(2000.2.15)

思えば、私の引き際の悪さは、現役時代にこの『終わり』というものを明確に意識せずにやってきたことに起因するのではないか。たとえば、インターハイのチャンスはたった3回しかない。その中でめいっぱいのパフォーマンスをしようと思ったら、やはり全力を尽くして、インターハイを見据えた陸上をしなければならない。ところが、高校生の私には、そのインターハイが差し迫った3年の春にようやくその終わりを意識した。なんとしてもインターハイに出場し、そして入賞しようと心に決めた。
そして、6月の京都での近畿予選では何とか勝ち抜いた。ところが、同じ競技場での開催となった8月、炎天下の京都では、最後の最後に力を出し切れなかった。それは、私の詰めの甘さ、更には準備の遅さが原因だったのではないかと思う。
大学4年の夏も同じだった。就職活動や怪我など事情はいろいろあったものの、4年間あった大学生活でもっと早く真剣に生涯ベストを出そう、という目標を立てていれば、忙しい4年であたふたしなくて済んだのではないか。
そして、社会人になった今まで引きずるほどの思い枷をつけなくて済んだのではないか。

いつも遅すぎた。
目の前の問題にいっぱいになって、失敗した。
陸上生活ではいつも・・・敗北者だったのではないか。

余裕のない私。そして、手が届かなかった私。

後悔はやはり尽きない。
しかし、これを今後に生かすことや、今現役の後輩に伝えることぐらいはできる。

物事には終わりが来る。
どんなに来るなと願っても、終わりはやってくる。
別れはやってくる。
それは必然のことで、それが遅くとも早くとも、それを意識して準備をしなければ、
絶対に後悔する。
人生は限られてる。
だから、きっとムダにしない生き方をしようと思う。
目の前のことにだけとらわれて、
本当に欲しいものを手に入れそこなったりしないように、
先を見て、行動できるようになろう。

人生に死、
夢に果て、
愛に別れ、
必ずやってくる。



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