女子ボクシング小説 0
ホスト小説 0
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~非売品・ワンピース~セブンイレブンのくじで当たったグッズです。一度も中を見ていませんが……これ、ファンだったら垂涎の商品かな?ネットで売れば、いくらの値がつくか???~ドラえもん~これは、10年以上前にネットで購入。一度だけ部屋内で飛ばしましたが、狭いので移動できず上下くらいで終了。~デビルマン~貯金箱。1998年の永井豪展で購入。購入当初、実際に貯金していたのですが、硬化を取出したりしているうちに、ビニール製の蓋が少し破れてしまったのが残念~。
2020年10月29日
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上野での展示会の前に『世紀末展』(1998年)がありました。そのとき、買ってきた貯金箱です。《ビニール製》《パンフレット》(上下)《チケット》大人当日1000円(安すぎ)ちなみに今回は1600円(それでも安い)これは貯金箱ではなく、高価な像。セラミック製(ブロンズコーティング)17万円(税別)
2019年10月06日
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錆びついた感じや汚れがレトロでリアル感を出してます。個人的にはジャイアント・ロボ(横山光輝・作)も、同じくらい好きです。出口に置いてあった『ガチャガチャ』一つ買っとけば良かったなぁ~。クリアファイルを二枚購入。(一枚400円)次は、前回買った貯金箱を紹介します。
2019年10月05日
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《グッズ売り場》下の梅酒は「光武酒造」で注文すれば飲めるそうです。ハチミツだから当然ですが、甘みがあって美味しいそうです。しかも、梅酒は健康にもいい❢
2019年10月05日
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いろいろな、アニメも公開。30人くらいの人たちが見入っていました。(画面はデビルマン)
2019年10月04日
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先生の書斎をイメージしたものでしょうか?この書斎が生み出した勲章です。大きさは違ったと思いますが、私が小学生くらいの頃、流行った超合金のマジンガー。もちろん買いましたが大事にとっていたら、今どれだけの価値があったか?3つの戦闘機が合体して生まれる『ゲッターロボ』まだまだ続きます。
2019年10月02日
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まだまだ続きます。
2019年10月02日
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永井豪展が2019年9月にありました。前回は、もう20年以上前です。(デビルマンの貯金箱を買いました)上野の開催を知ったのは数日前でした。最終日なら間に合う……と、慌てて足を運んだ次第です。これだけの大がかりな展示会を約半月の期間、開催できる漫画家は何人もいないでしょう。展示品は生原稿(ほとんどは撮影禁止)やフィギア&キャラクター人形など……『600点』まずはチケット(当日1600円)を買って……いよいよ❢❢人間以上の大きさもさることながら、これだけの存在感を醸しだすキャラクターはそうはいません。悪魔の力を身につけた、正義のヒーロー”デビルマン”
2019年10月02日
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★★★の部分を書き足しています。私のブログ「あしたのジョーに足りないもの」に「わたしさん」という方から「わたしはそうは思わない」という反論を2015年12月01日に、いただいていました。今さらながらですが個人的な見解を述べることにします。1、力石は矢吹丈と試合する前に、一度バンタム級に減量して試合をしていた。これでは、丈と少年院以来の決着をつけるために、過酷な減量をする説得力が弱くなる。まずは、 契約体重(今でいうS・バンタム級)で試合をさせるが、その減量も凄まじいものであった。さらに丈との試合でバンタムへ……としたほうが、より過酷さが伝わる。という私の記事ですが、以下が反論です。1.あしたのジョー連載時にはスーパーバンタム(旧ジュニアフェザー級)は存在しない。レオ戦があってこそ力石の胸の内の不気味さが強調された。丈攻略へのフラグにもなった。という意見ですが、私とは食い違っています。(というか、よく分かりません。レオ戦は力石のバンタム級転向、第一戦ですが……)もちろん、連載時にはS・バンタム級は存在しませんが、あくまで契約体重です。これは現在の世界戦でも適応されています。「キャッチウエイト」といいます。たとえば下のクラスから上がってきた選手(元王者)が、上の階級の王者に挑戦するときに正規の規定体重ではなく、 事前に両選手間の話し合いで決められた体重で試合を行うこと。……ですが、私が言いたいのは丈と試合をする前に同じ階級(バンタム)まで凄まじい減量をするよりは、もう少し上の体重での試合で過酷な減量を表現したほうが、読者は「力石は丈と試合をするためには、もっと体重を落とさなければならない」と、なるわけです。(伝わるかな?)2、力石には命日がない。つまり、亡くなった日付が明記されてない。これは、致命的なミスだろう。もし命日があるとすれば、それは力石が死んだ雑誌の発売日か?という記事に、以下が反論です。2.ストーリーに何の影響もございません。ということですが、ただ命日はあったほうが読者にとっても記念というか出版社側にとってもビジネスにはなりますね。3、白木ジムの資金力は、バックである白木財閥であるが、それがいかに凄い組織力・事業なのかが分からない。という私の記事に対する、以下が反論。3.それが丈の青春が燃え尽きるまでのストーリーに必要ですか?はっきり蛇足です。……しかし本来のストーリーとは脱線しますが、少しでも何かもっともらしい(事業の)エピソードがあったほうが物語にリアリティが増すし、漫画の中の「白木財閥」はいかにも作り話っぽくて薄っぺらい。4、丹下ジムは、橋の下のおんぼろ道場から、いつの間にか新しい近代的なジムへと変わっているが、 丈のボクシングだけで金銭的に潤うわけがない。スポンサーがついたとしか考えられないが、それに関するエピソードは皆無である。やはり、 丹下ジムはおんぼろ道場のままで良かった。最後まで、 段平は貧乏だったとしたほうが、愛着・親近感がある。という私の記事に反論。4.カーロス戦では後楽園球場を満員にしてます。他の試合でも相当お客が入ったはずです。しかもテレビ中継が入れば当然お金が入る。そしてテレビ関東がバックアップに付いたんだからジムくらい新設してもおかしくありません。あれだけ人気がでれば当然練習生が入門してきます。なのにおんぼろジムのままじゃ狭すぎです。そしてストーリーもここから変化していく訳ですが・・・いやいや、ボクシングはそんなにおいしい商売ではないです。世界王座を2度防衛して、オプション(興行権)を取得できれば話は違ってきますが。それから(3度目の防衛戦で)負けてしまえば、すべて終わり。思い出とベルト以外、おそらく何も残らない。「あしたのジョー」に限って言えば、確かにテレビ関東が後ろ盾になって、数試合ぐらい会場を満員にする規模で興行を催したわけですが、それでも鉄筋のジムを新設……は無理がある。入場料収入、テレビ放映権料、スポンサー料などは一時だけ。一番あり得るのが、長期的にスポンサーがつくことですが、物語では具体的な金額の数字や金にまつわるエピソードが全くないために、(ある日、突然に鉄筋の新ジムが建っていたというのは)私から見たら唐突感があるわけです。丹下拳闘クラブに練習生は漫画で見る限り、あまり入っていません。確かに、浮世離れしたほうが夢があって漫画っぽいと言われればそうですが。拳闘クラブを改築した程度ならリアリティもあるけれど、それより私は「橋の下のおんぼろジムの段平」が好きなので。世界のプロボクシングを見渡せば、《地球が揺れる日》と言われたメイウエザーvsパッキャオは興行収益が600億円。二人の報酬の合計が、最終的に500億以上という例もある。が、この数字は今後もないでしょう。ただ、ボクシングは、それだけの可能性と夢がある競技。★★★2024年7月17日に書き直していますが、ボクシングマガジンで「最終的に両者合わせて600億円」と書かれてあったのを思い出しました。そして、ラスベガスよりボクシング熱が高いのは英国です。その英国出身の元ヘビー級王者であるアンソニー・ジョシュアとタイソン・フューリーが(英国で)2022年に対決する予定でした。(当時、ジョシュアは3団体王者でフューリーはWBC王者)その時の報酬が、両者150億ずつ。メイvsパッキャオのときも、当初は(両者合わせて)300億と言われていた。5、段平は、いつの間にか常識的に大人しくなってしまっている。比較するのもなんだが、 亀田の父は長男のフライ級・初防衛戦での初黒星の後、WBCの役員、JBCの事務局長を控室に呼び出して恫喝した。まさに漫画以上の キャラクターである。段平はやはり、ホセ・メンドーサとの世界戦で ジャッジに食って掛かるぐらいの破天荒さがあっても良かった。その言動を見かねた西やドヤ街の子供たちが止めに入る……。丈は、そんなことは無関係とばかりに燃え尽きた充実感を味わう。(実際、試合では丈が優位なシーンも多々あったし、ホセは怯えていたし、引き分けで良かったのでは?) という記事に対して、以下の反論……。5.段平が大人しくなったのは丈に対して親心が芽生えたから!たぶん力石戦での後遺症で丈がイップスになった頃からだと思っています。心配性になったというかもともと小心モノというか・・・それはおいといてホセ戦後、判定に不服で食って掛かるですって??丈が『燃えたよ燃え尽きた・・・真っ白な灰に』と呟き葉子に血だらけのグローブを託した判定のさなか段平がレフェリー相手に乱闘しろと?せっかくの読後感の余韻が台無しです。亀田の試合みたいに茶番劇にして面白いとかありえません。まあ、これがわたしの感想ですね。……一心同体・一蓮托生といえるジョーが大差とは思えない内容で負けたことに(ジャッジに対して)逆上しても面白いのでは?……と。「なんだとぉ~わしのジョーが負けただと!? お前らどこに目を付けてるんだぁ?」と号泣しながら、リング上からリング下のジャッジへ怒鳴り込むが、西やドヤ街の子供たちに必死に制止される場面を想像してください。「燃え尽きた」ジョーと対比する意味でも、そのほうが面白いと感じたしだいです。その後、段平は真っ白になるジョーに気づいて呆然と立ち尽くす……。そして、亀田の試合は茶番ではないです。あくまで真剣勝負です。特に一番騒がれた最初の(長男の)世界戦&奪取ですが、第1ラウンドのダウンと11ラウンドと12ラウンドは採点を取られたので印象が悪いですけど、ジョー小泉さん(世界的なマッチメーカーでボクシング博士という意味でも小泉さんの右に出る人はいない。2008年、世界ボクシング殿堂入り)のコラム記事では「1ポイント亀田が勝っていた」と、書かれてありました。ボクサーは、どんな悪態をつこうが暴言を吐こうが、リングで強い姿を見せれば勝てば官軍。メイウエザーやタイソンなども、そういった類。いわゆるアンチヒーローで、世間知らずだが喧嘩は強いという単純明快なキャラクターが米国では人気者になれる場合がある。理由は、そのアンチヒーローが負けるシーン(姿)を見たいという欲求から→報酬(ファイトマネー)の高騰へ。これが格闘技とスポーツの違いでしょうか。だから長男は山中と対戦するべきだったし、残念。あと、あの三兄弟は世間的には評判悪すぎですが、彼らは東日本大震災のときも被災地にボランティア活動をしていますし、試合の報酬の中から寄付もしている。(「わたしさん」は、何かしましたか?)私は個人的に何もできていないので、そのことに対して後ろめたさもある。「わたしさん」は漫画編集者ですか?(笑)それとも漫画オタク?いずれにしても有難うございました。それはさておき「あしたのジョー」はキャラ・ストーリーともに漫画界NO.1だと思っていますが、一番好きなのは韓国人の金竜飛(きん・りゅうひ)。思い出しながらこの記事を書いていますが、1、金は表の世界に出てくるべきでない(訳ありの)軍人。幼い頃に飢餓状態だった彼は、妹か弟を食べてしまった。2、そんなトラウマがあるから、今でも食欲がなく、したがって減量の必要もない。3、ジョーも力石のように凄まじい減量で苦労していたが、そんなジョーを金は「満腹ボクサー」とバカにして揶揄した。(力石が減量を強いられた理由は、元々ウエルター級なみの体格の彼だがジョーと闘うため)4、金は必殺技を持っている。「舞舞(チョムチョム)」という、ロープ際での連打。5、金にとって一番恐ろしいものは「戦争」で、ボクシングなど、のどかな遊びに過ぎない。6、金が、洗面所で一生懸命に自分の手を洗うシーンがあります。不気味な雰囲気で焦っているかのように、ただひたすら洗っている。汚れてもいない自分の手を、まるで汚いものでもあるかのように。つまり手は自分自身を表しているわけです。(このエピソードは凄い)3と5の内容を、金は計量が終わったジョーに(試合前にレストランで)話した。そして、金は席を立つ。それを聞いたジョーは、死ぬほど苦労した減量後の待ちに待ったはずのステーキを少し口にしただけで終えてしまった。それは金の飢餓のエピソードを聞いてしまっては、とても食事をする気になれなかったからだ。そのレストランに訪れた段平に、ジョーは「たっぷりと頂いたよ」と、セリフを吐いて店を出る。「なぁにが、たっぷりとだ? あの野郎、ほとんど食ってねぇじゃねぇか!」(段平)「俺は今日の試合、勝てる気がしねぇな」(ジョー)話は変わりますが、最後に紹介したい逸話があります。女子ボクシング漫画「女子ボクシング」の原作をK社にメールで持ち込んだところ、(編集K氏の)返事の中に以下の一文がありました。「ボクシング漫画を読みたい」という欲求事態がかなり珍しいものです。「格闘技ものが読みたい」「戦うマンガが読みたい」と拡大して初めて、ようやく市場として成立するかと思います。ここからジャンルの性質と競技の必然性について考えます。「何故、組み技も足技もないボクシングを選ぶのか」「キックボクシングや空手では駄目なのか」「階級制度と減量は自分より体格で劣る相手と戦うための後ろ向きな努力ではないか」などの問いが想定されます。……以上が編集者からの返信メール(一部)ですが、「階級制度と減量は……」について、私は声を大にして言いたい。まるで、ボクシング競技そのものを否定するかのようなコメント。(空手やキックも階級はあって、選手は減量をしている)しかも、自社の代表作である「あしたのジョー」において、力石やジョーの壮絶な減量をめぐってボクシングの過酷さを伝え読者を虜にした、あのエピソードは何なのか。だいたい、自分が勤めている会社の代表作と今の一番人気「一歩」について、この編集はどう思っているのだろうか?悲しいかな、これが現状の漫画編集者のレベル。(この低度が漫画家に書き直しをさせたり、連載の決定権を持っていることが問題)ここ10年以上、原作の持ち込みを拒否する替わりに「ネーム」(漫画の下書き)を募集する出版社および編集部が多いけれど、それは単に「読みやすいから」という理由だと思われる。しかし「ネーム募集」から、どんな作家が輩出されただろうか?漫画は「物語」と「絵」の融合であって、下書きはあくまで漫画家の仕事である。話を作る人間に「コマ割り」などやらせたところで技術もないし、仮にその持ち込みネームを採用したにせよ、編集者や漫画家が勝手に弄(いじ)って無視することは目に見えている。だからネーム募集などナンセンス。彼らにしてみれば、初めからネーム(コマ割り)を尊重するつもりはなく、あくまで参考にするていどなのだろうが、だったら原作者にそんな畑違いのことをやらせるなよ。と言いたくもなる。それに特に講談社は、自社の代表作である「ジョー」と「巨人の星」がともに原作付きなのだから、もっと原作者をリスペクトしろよ! と。
2016年09月22日
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不良少年がボクシングに出会うことで変わっていく「ジョー」に対し、いじめられっ子がボクシングで強くなっていく「一歩」は、 好対照のキャラクターと言える。しかし、ジョーには「真っ白な灰になるまで燃え尽きる」(完全燃焼)という作品のテーマがあったが、一歩にはそれがない。その不変のテーマに読者は共感し、ジョーにカリスマ性を感じていたのだ。作品のテーマがない一歩がこのまま“世界王者”になっても、カリスマ性を感じることはないだろう。 「強いってどんなんだろう?」は、ドラマの掴み・ボクシングを始める動機としてはいいかも知れないが、 作品のテーマとしては弱いのである。それが、キャラの弱さにもなっている。 一歩のキャラが弱いのは、 現在の漫画の作り方にもよる。 「主人公だから、こんな言動はダメ」という規制が多いためである。だから大人しい、 品行方正な キャラになってしまう。 確かに規制は間違っていない面もあるが、それだけでは単に「いい子ちゃんによる、いい子ちゃんのための漫画」に過ぎないのではないか。犯罪大国のご時世、もっと毒のある力強いキャラが見たいと読者は思っているはずだし、そうでないと現実に起こっている事件・事故の方が、絵空事・空想の漫画より面白いのだ。「ジョー」と「一歩」の違いはアニメにも表れている。「あしたのジョー」はアニメによって更に輝きを増した。
2016年03月13日
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カリスマ・テーマ・読者の想像を超えた展開など「一歩」には不足していると述べましたが、もう一つは“ヒロイン”の存在です。ジョーが パンチドランカーになったのも、力石が死んだのも、カーロス・リベラが廃人になったのも、全ては葉子が原因である。もちろん、彼女の思惑とは別の結果。力石は過酷な減量に耐え切れなくなって、遂に水を求めて水道の蛇口に向かってしまった。しかし、見張り役の練習生が(葉子の指示で)蛇口に針金を巻きつけて、水を出せなくなっていた。それでも、減量に耐えかねて水を求めて暴れる力石に、人間としての弱さを見た葉子は嬉し涙を流しながら、「これを飲んだからといって 力石徹が力石徹でなくなることなんて絶対にないのよ! 私は、あなたが人間としての弱さを少しでも持っていてくれたことが、とても嬉しい」と、コップ一杯の水を差し出した。その言葉で自分を取り戻した力石は、水を捨てて“打倒矢吹”に更なる決意を誓った。しかし、その葉子の言葉がアダとなって力石は帰らぬ人に。カーロス・リベラは、(力石を殺して、ボクサーとして立ち直れない)ジョーの野生を蘇らせるために葉子がベネズエラから来日させた。そして、ジョーと戦い廃人に。野生・ジョーはリベラとの試合で再生したかに見えたが、まだ納得しない葉子は「野生児・ハリマオ」を刺客として送り込んだ。結果、それがジョーのパンチドランカーの症状を悪化させる原因になった。彼らは葉子に翻弄されたといえる。(だから女は恐ろしい)財閥の娘がボクシング界に関わることで色んな弊害(へいがい)を生んだが、一番そのことを表しているセリフがあった。それは、試合中にコーナーで休憩しているジョーが、リングのコーナーから(リング外の)葉子に向かってうがい用の水をブッ掛けながら、 「女が俺達の世界に顔を出すんじゃねぇー!!」と、怒鳴るシーンである。ただの町のチンピラにセレブなお嬢様が恋をする……という設定は、原作者の意向だと思われるが、これが作画家にはよく分からなかったらしい。だから、紀子が出てきたと思われる。(原作には、紀子はいなかったらしい)普通の娘が“ささやかな幸せ”を求めてジョーに恋をするが、結局彼にはついていけなかった。完全無欠の世界チャンピオン、ホセ・メンドーサとの試合で廃人になるかもしれないリングに向かうジョー。しかし、葉子は控え室で愛の告白をすると共に(パンチドランカーの)ジョーを引き止める。「廃人となる運命が待つリングに、あなたを行かせるわけにはいかない」という、葉子を振り払うジョーのセリフが格好よかった。 「リングには、世界一の男が俺を待っているんだ」ジョーは試合が終わった後、葉子に試合で使ったグローブを手渡す。「これを……アンタに、 受け取って欲しいんだ」これは、ジョーの精一杯の愛情表現だったのだろう。実はジョーは葉子に初めて会った時、一目惚れしていた。しかし、意地っ張りな彼は、そのことをひた隠しにして葉子に突っ張っていたのだ。それも、好きなればこそ。自分に素直になれない子供のような心境である。しかし当初、葉子はチンピラ・ジョーには目もくれず、力石に恋をしていたと思われる。(力石もまた葉子に恋をしていた)それが、結局は巡り巡ってジョーと葉子が……という運命のいたずら。そのジョーは、葉子によってパンチドランカーを加速させ、廃人に……。やはり「あしたのジョー」は、いろんな意味で名作である。つづく。
2015年05月18日
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1、力石は矢吹丈と試合する前に、一度バンタム級に減量して試合をしていた。これでは、丈と少年院以来の決着をつけるために、過酷な減量をする説得力が弱くなる。まずは、契約体重(今でいうS・バンタム級)で試合をさせるが、その減量も凄まじいものであった。さらに丈との試合でバンタムへ……としたほうが、より過酷さが伝わる。2、力石には命日がない。つまり、亡くなった日付が明記されてない。これは、致命的なミスだろう。もし命日があるとすれば、それは力石が死んだ雑誌の発売日か?3、白木ジムの資金力は、バックである白木財閥であるが、それがいかに凄い組織力・事業なのかが分からない。4、丹下ジムは、橋の下のおんぼろ道場から、いつの間にか新しい近代的なジムへと変わっているが、丈のボクシングだけで金銭的に潤うわけがない。スポンサーがついたとしか考えられないが、それに関するエピソードは皆無である。やはり、丹下ジムはおんぼろ道場のままで良かった。最後まで、段平は貧乏だったとしたほうが、愛着・親近感がある。5、段平は、いつの間にか常識的に大人しくなってしまっている。比較するのもなんだが、亀田の父は長男のフライ級・初防衛戦での初黒星の後、WBCの役員、JBCの事務局長を控室に呼び出して恫喝した。まさに漫画以上の キャラクターである。段平はやはり、ホセ・メンドーサとの世界戦でジャッジに食って掛かるぐらいの破天荒さがあっても良かった。その言動を見かねた西やドヤ街の子供たちが止めに入る……。丈は、そんなことは無関係とばかりに燃え尽きた充実感を味わう。(実際、試合では丈が優位なシーンも多々あったし、ホセは怯えていたし、引き分けで良かったのでは?)
2015年03月05日
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マンガは、娯楽の代表で在り続けなければならない。 元々サブカルチャーであったはずのマンガは、 社会のコアな人達によって支えられ育てられてきた……マンガは、そういう読者の気持ちが分からなければならない。 今のマンガは…………マンガの方が常識的で、現実に起こっている事件・事故が荒唐無稽でデタラメ。しかし、そこには緻密な人間の思想と思惑、様々な人間関係が入りくんで、シナリオが出来上がっている。つまり、マンガの想像力が現実(のスケール感・ドラマ)に負けてしまっている。あえてマンガを読む必要がない。……このままでは、読者のマンガ離れはより顕著化する。
2015年02月17日
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以下は、 コミック・バンチ誌(廃刊)への意見です。 バンチ誌で『T川』というヘビー級ボクシングものをやっていた。 格闘技漫画に興味がある私は、三、四度ほど立ち読みしたことがあった。 まず何の伏線もなく、いきなり主人公が右アッパーで倒すシーンがあったが、 そりゃないだろう。 その必殺? アッパーを出すためにどんな練習をし、どんな作戦を立てたのか、 そしてアッパーを使う意味とパンチの凄さ……そこを読者は見たいのである。現実の試合であれ、おそらくは対戦相手を研究してそのパンチを出すのであろうし、はたまた偶然のまぐれパンチかもしれない。そうだとしても、それはそれで説明する必要がある。 偶然が出る意味も何かしらのオチにしなければならない。そうでなければ、作り話の意味がない。そもそも『T川』は、話の根本から間違っている。 「中量級の体格を持つ主人公ならば、減量するより体重を増したほうが強くなる。なぜなら、格闘技は体重が重い方が強いから」とヘビー級ボクサーになったが……というのなら、デブが最強なのか?イベンダー・ホリフィールドは筋力トレーニングでサイボーグのような肉体を手に入れることによって、クルーザー級からヘビー級へ転向して統一タイトルを獲得した。さらに、マイク・タイソンに二度の黒星をつけた。 (アマ時代はL・ヘビー級の銅メダリスト)ボクシングをやりながら筋肉だけを増やすのは、並大抵のことではない。そのメカニズムや練習方法を示すこともキャラを創る動機・道具になるし、マンガのネタとしても意味はある。……がTは、ただのデブではないか。しかも(話の舞台である)、ヘビー級ボクシングの歴史や伝統、ステイタスについては何も書かれていないと思う。ほとんど見ていないから、よく知らないが。 (所詮そんなレベルなのは、自明の理。 その後、確認のために漫画喫茶へ行ったけれど『T川』は置いてなかった)人間にはそれぞれ一番動ける適正体重があり、ベストにシェイプされた筋肉量・体脂肪率がある。肉食野生動物は、腹が減ると凶暴性が増し危険になるが、それは格闘家も同じである。減量することは、そういう意味も含まれる。格闘技という原始的競技(?……いや、格闘技は今でも進化している)の選手は、そうすることによってより本能に働きかける。それに、体重を増やしたその階級で通用するのか? という疑問も生まれる。読者は、そういった基本的なところはしっかり見ているしシビアだ。いい加減なウンチクをベースにした話では見向きもしない。「漫画は技術書ではない」 と編集は言うが、そんな次元ではないのだ。リアリティと漫画的な嘘……のバランスが大事で、編集は商業誌としての立場と 読者へのメッセージを履き違えている。(彼らのいう)漫画で一番大事なキャラクター(格闘家)も私には魅力的に映らない。なぜなら、人間の喜怒哀楽が伝わってこないからだ。よって感動もない。私なら『T川』の主人公は相撲取りにする。 (同じ太った主人公という設定なら)相撲の伝統やしきたりを守れず問題児となり角界を追われる主人公は、その破天荒な性格ゆえ総合格闘技に転向する。(相撲の起源は何でも有り)その後、あらゆるスポーツ・格闘技の中で最も金を稼げるヘビー級ボクサーへ。それは、底知れぬ欲望を追い求めるがゆえであった。それによって、「北斗の拳」のケンシロウとは違う悪のヒーローのような最強ボクサーが誕生する……とするほうが自然だし、面白い。 (性格は破天荒だが、強くなるためには謙虚)格闘技・スポーツものは売れなくなったと、ある編集が言っていたが、 それも私の作品を敬遠する理由であったかもしれない……が単に面白くないからであって、ジャンルのせいにするのはおかしい、というか笑える。
2014年04月03日
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ジョーも一歩も、それぞれの個性は時代を表わしているとは思うが、不良少年のジョーは、今の漫画ではありえない。喧嘩に明け暮れる主人公が、さらに詐欺までして金儲けをする、なんて今の編集者は絶対に許さないからだ。 「そんなの少年漫画の主人公として、相応しくないよ」と……。しかし、そんながんじがらめの決まりみたいなものが、漫画の個性を奪っているのでは? 人間がそんなに簡単に、変われるものではないのだし。ジョーは力石にめぐり合い、ボクシングに没頭することで、徐々に変わっていったのである。不良少年が特等少年院に入ることで、力石という最大のライバルを得た。そして青春をボクシングに賭け、完全燃焼という(完全無欠の)テーマが生まれることで人生の目標を得ることができた。 しかし、一歩にはそんな男のロマンみたいなものが感じられない。不良性がないからではない、人生のテーマが見えてこないのである。いじめられっ子が「強いってなんだろう」という思いからボクシングを初め、ボクサーの時は勝負師になる……というのは分かるが、その先の勝負に勝つことで「何が見えてどう変わっていく?」という人生観が見えてこないのである。個人的なイメージでは「一歩」は、いい子ちゃんによる、いい子ちゃんのための漫画でしかない。没個性ゆえの一歩のキャラなのである。 しかし、その作品人気に頼らなければならない雑誌の現状……。
2014年03月29日
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前回、一歩には テーマがない。カリスマとは程遠い。と書きましたが、一歩が ジョー並みのカリスマ? を得るために、一つの提案。 いっそのこと(一番人気の)鷹村と一歩を対決させたらどうか。 二人の階級の間 (S・ライトあたりか)をとって、そこでやらせる。 その結果、何が生まれるかというと、鷹村の減量と一歩の増量です。 力石や ジョーにはない、「はじめの一歩」ならではの、もっとリアルな減量と、 筋トレをやりながらボクシングで体重を増やすという過酷な条件を強いられる増量。 そして、互いのチャンピオンベルトを捨てて、プライドのみで闘う。という設定。 もう、これぐらいのことをやらないと、マンネリ化した一歩に「読者の想像を超えた面白さ」は望めない。 話は変わるが、鷹村はミドル級の統一王者だったと思いますが、これが何を意味するのか? どれだけ凄いことなのか……まったく書かれていません。あくまで、一歩が主人公なのだから仕方ない面もありますが、とにかくヘビー級に次ぐメジャー階級で王者になれば、ラスベガスでビッグファイトができる。相手がデラホーヤ並みの超スター選手なら、スーパーファイトだ。試合の報酬は(最低)20~30億円になるでしょう。つづく。
2013年08月19日
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ジョーと一歩「3」においてヒロインの存在を述べたが、一歩には彼らしい恋愛をしてほしいと思う。ボクシング界のヒーローである一歩は、あるアイドルとのツーショットを写真週刊誌にスクープされ、ジムメイトに嫉妬交じりにからかわれてしまったりする。 しかし一歩は、身近な普通の女の子に、ほのかな恋愛感情を抱いていた。その後アイドルに告白されるも、断ることになる。「僕なんかが、とてもじゃないけど・・相応しくないです」そして一歩は(普通の女の子である)彼女と仲睦まじき家庭を築き、その家族のために闘う。編集者は「これは少年誌だから・・・」と、難色を示すに違いない。しかし、少子化・家庭崩壊の現代にこのテーマはいいと思うのだが。
2013年07月26日
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前回、一歩にはテーマがない。カリスマとは程遠い。と書いたが、一歩がジョー並みのカリスマ? を得るために、一つの提案。いっそのこと(一番人気の)鷹村と一歩を対決させたらどうか。二人の階級の間(S・ライトあたりか)をとって、そこでやらせる。その結果何が生まれるかというと、鷹村の減量と一歩の増量だ。力石やジョーには無い「はじめの一歩」ならではの、もっとリアルな減量と、筋トレをやりながらボクシングで体重を増やすという過酷な条件を強いられる増量。そして、互いのチャンピオンベルトを捨ててプライドのみで闘う。という設定。もうこれぐらいのことをやらないと、マンネリ化した一歩に「読者の想像を超えた面白さ」は望めない。話は変わるが、鷹村はミドル級の統一王者だったと思うが、これが何を意味するのか? どれだけ凄いことなのか……まったく書かれていない。あくまで一歩が主人公なのだから仕方ない面もあるが、とにかくヘビー級に次ぐメジャー階級で王者になれば、ラスベガスでビッグファイトができる。相手がデラホーヤ並みの超スター選手なら、スーパーファイトだ。試合の報酬は(最低)20~30億円になろう。 ミドルといえば……、なぜ村田選手をマスコミはVIP待遇で持てはやすのか。単に金メダリストだからではない、ミドル級の選手だからである。フィリピン出身のマニー・パッキャオはフライ級からS・ウエルター級まで六階級を制したが、一試合、PPV(有料放送の歩合)を含めると40億以上の報酬を得た。村田選手にはその可能性があるのだ。つづく。
2013年07月21日
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野球漫画は、もう現実を超えられない。従って、この先『今までのようなコンセプトの野球漫画』ではヒットはありえない。それは、以下の理由からだ。1、95年に野茂英雄選手がメジャーへ渡ってから活躍し、日米野球で逆輸入して日本選手から三振の山を築いた……という設定は、もはやスケールの点で漫画を超えている。メジャー挑戦する前に「どうせ、通用しっこないさ」などとマスコミに叩かれても、本人は夢実現のために自我の信念を貫き通したというエピソードも、ドラマチックだ。しかも《トルネード》という投球フォームで、当初はメジャーからも冷笑されたにもかかわらず、ナ・リーグとア・リーグの両リーグからノーヒット・ノーランの偉業を達成した。……本来ならば、野茂選手が渡米する前に、この漫画(ストーリー)があるべきだった。2、WBCでの韓国との決勝で、イチロー選手がサヨナラヒットを打った。彼は最後の一球の前の球をファウルしたが、「この球をファウルできたら、もうどんな球が来ても打てる」と確信したらしい。《新約・巨人の星》の、原作となる元の作品で、主人公のライバルだった「花形」を主役に抜擢するというアイディアはいいと思うが、肝心の内容がなにもない。ただ気合とか根性、カリスマ的なキャラの書き方しかしていない。実にナンセンスだ。(上記の、イチロー選手のような技術的なエピソードもリアリティを増すためには必要)野球漫画の金字塔といえる巨人の星を現代版に復刻、しかも主人公の最大のライバルだった花形を新しく主人公に据えるという設定は、講談社の社運を懸けた新連載だったろうが……見事にコケた!!(私は二,三回立ち読みしただけ)『今までのようなコンセプトの野球漫画』でヒットはあり得ない。というより、『今までのようなコンセプトの漫画』では、ヒットは難しい。
2012年11月04日
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発売中の劇画マッドマックスにおいて、「脅迫!恫喝!美人局!水商売危険パターン完全ガイド」というタイトルで、ぼったくり店を見抜くプロの技を紹介しています。115ページ目、8ページ構成です。原作担当です。是非、ご覧ください。
2012年07月21日
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6月21日発売の「衝撃実話 裏のウラ」(コアマガジン)において、「ホスト業界の現代事情」を20ページ掲載します。コンセプトは、『日陰のホスト時代、メディアが持てはやしたブーム、そして今……それぞれが時代に沿った形で、変化していった ホストクラブの現代事情』 コンビニで売られているコミックです。
2012年06月21日
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格闘技漫画を見て感じることは、薄い内容を更にダラダラと引き伸ばしている、といった印象。だからテンポが遅い。(単行本なら一気読みできるが、肝心の内容が・・・)昨今、野球や大相撲の人気の凋落が顕著なのは、理由のひとつに“スピード感がない・テンポが遅い”ことが挙げられるという。(これらに関してはどうしようもないけど、漫画は変えられるはず)これは漫画にも当てはまる。読者は、目まぐるしく移り変わりの激しい世の中に生きている。必要以上に遅いテンポは、時代のニーズに合っていない。本来「格闘技漫画」は読者が一番熱くなるジャンルであるはずが、「これは漫画だから・・・」と、どこか冷めた目で見ている。それはただ単に現実のリングで行われている闘いを、漫画で見せているに過ぎないから感情移入できないし、荒唐無稽な技で勝ってもリアリティが無いから白けてしまう。
2011年12月26日
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セブンイレブンなどの、コンビニで売られているコミック「夜のビジネスDX・ホントの真相」(コアマガジン)に、私が原作を書いた漫画が掲載されます。12月5日発売。たった2ページですが。101ページ目です。タイトルは、「私生活を投げ売るホスト」ある売れっ子ホストが、自分の部屋にカメラを置いて、その私生活をネットで動画公開するという実話に近い話です。当ブログにて内容を公表しようとしたところ、わいせつもしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれるということで、掲載できませんでした。今後、この出版社から定期的にホスト系の漫画原作を出す予定です。
2011年12月05日
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Y・Jに「Y王」というホスト漫画があるが、編集者に言わせると、「これはホスト漫画ではない」と言う。「ホストを通じて主人公が、人間として成長する話」だと。しかし、ホストをやりながら人として成長するとは到底思えない。そんなのはただの綺麗ごとでしかない。女を騙すのが上達するだけで、あと上手くなるのは世渡りと暗算か。ホスト諸氏を「この漫画ってムカつく」と言わせるぐらいに赤裸々に、彼らの本音をつづった内容が実は真に面白いのではないか?そして、絵柄は劇画調よりコメディ的なものがいいと思う。なぜなら女を騙して金を盗るといった内容ではギャグ的要素が必要になってくるし、漫画チックな絵のほうが受け入れられ易いと思うからだ。「ナニワ金融道」が良い例である。だいたいY王のように主人公が超美形と言うだけで、普通の男の読者は退(ひ)くだろう。なぜなら一般の男のホストに対する評価は、「女を騙して金を儲けている輩」だからである。しかし“女にモテたい”のも男の本能。それが美形ともなれば更にやっかみは強くなるが、“女と酒に囲まれて金を稼ぐ”のもある種、男の願望であることもまた事実なのである。ホスト漫画で読者が知りたいのは、「彼らはどうやって女を口説いているのか?」「そしてどう騙して、女から金を引っ張っているの?」そんな、あくまで彼らの本音である。綺麗ごとでは決してない。そしてY王の、やたら長い心理描写は実はナンセンスで、的を射ていない。綺麗ごとで固めているという前提だから、会話自体が無意味といえる。(Y王がそれなりの人気を得た)私なりの見解は、「絵が上手い」「ホストというジャンルに魅かれる。つまり、美形のホストに憧れる読者層がいる」「漫画というメディアはそれだけ魅力的」といった所である。彼らの本音をリアルに、又ユーモアに面白おかしく見せてくれるモノがあれば……と思う。「面白おかしく」という意味は、『仁義なき戦い』の脚本家・笠原和夫氏は著書『映画はやくざなり』の中で、「実録モノはお笑いがないと売り物にならない」というコメントがあるが、私も同感である。高倉健や鶴田浩二が全盛のヤクザ映画は、いわゆる“義理と人情”の綺麗ごとの世界であった。しかし、その路線も飽きられてくると次に菅原文太が主演する『まむしの兄弟・シリーズ』(これは「仁義なき」と同じ路線であり、この成功が後の「仁義なき」を生み出す土壌となった)そして、『仁義なき戦い』が生まれた。この映画の大成功の裏には、単に「実録路線」に止まらず、金子信夫が演じる山守親分や脇役のヤクザ達の命乞いをしたりするギャグ的要素があった。漫画にも同じことがいえると思う。『ナニワ金融道』の絵は、どこかほのぼのとしたパロディ・お笑い的な雰囲気がある。この、「他人の命より自分の金」といった内容において、シリアスな劇画調の絵ではなくヘタウマで漫画チックな絵だったからこそ、えげつない内容でも受け入れられたと思う。ホスト漫画も同様で、ホストの汚い世界をいかにリアルに表現していくか……において、「主人公の、真面目だが天然キャラなるがゆえにどこか助けられる」部分は、必要不可欠だと思う。実録路線を謳いながら笑いの要素を出すのは、それなりの力がいる。ホスト物は本来、格闘技とともに読者のニーズが最も多いジャンルだと思うのだが、その素材を活かしきっている作品はない。(格闘技マンガも同様)
2010年05月09日
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カイジは、友達の借金を背負い込んで、敗者復活のためのエスポワール(希望の船)に落ちた。当初、まだ《限定ジャンケン》をやると知らされていないにもかかわらず、軍資金・1千万を借りた。今まで金に縁がなかった主人公が、借金とはいえ、見たこともない大金を掴んだ場合に、その札束の重みや匂いが、肌触りを感じたり鼻孔を通ったときの喜び……それが、全く書かれていない。博打に命を懸けるような、たとえ泡銭とはいえ一瞬でも手にできた喜びや儚さ、人間の性質をとことん突き詰めることが、この漫画の美学なのではないか。
2009年08月18日
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お疲れ様です。先日は、いきなりの電話失礼しました。電話でも話したように、私の作品のコンセプトは、既存の漫画とは違うことを前提としています。もちろん私自身の嗜好もありますが、違うことがオリジナルでもあるし、何より今の漫画があまりに酷いために違う発想が大切だと考えるからです。ホストに関する情報は、ニュースの特集や特番、漫画やドラマなどで出尽くした感がありますが、それらとは違うものを提供できると思っています。「ホストでぶれいく」は「夜王」のような綺麗事ではなく「実話ナックルズ」のような、ただ汚い部分を拡大解釈したようなステレオタイプの話とも違います。若い読者は好き嫌いはともかく、ホストには少なからず興味があると思います。新しいタイプのホストの主人公(強面の三枚目で不器用)と実録版の先輩ホスト、下ネタのギャグとパロディ的な要素を取り入れたのが「ホストでぶれいく」です。……が、編集者にはギャグやパロディが理解できないし「やっぱりホストは格好良くないと……」などと、あくまでイメージが固まっているようです。あと女子ボクシングについても、(以下は某編集者の返事ですが、ほとんど同じ意見です)『やはり男性読者としては、刺激を感じたくて女がボクシングをやる、という設定についてこれないのではないかと思います。要するに、「なぜ戦うのか?」という事に対して、説得力のある設定が非常に難しいテーマなのではないかと。これまでもいくつか女子ボクシングの原作を拝見させていただいたことがあるのですが、リアリティを追求し、それなりにかわいい女の子が殴られているシーンを読者が果たして読むのか?また、その女の子が戦う理由は、共感できるものなのか?これはあくまで個人的に考えていることなのですが、女子高生なり女性がボクシングや格闘技をする漫画は、それこそ単行本1巻分くらい、戦う理由つまり育った環境や、やらなくてはならない条件などを丁寧に書く必要があるのではないかと思います』……という返事ですが、現実に女子ボクシングという競技があって女子ボクサーが存在するわけですから、女の子がボクシングをやらなければならない動機や(女の子が)戦う理由は共感できるものなのか?についてクリアしなければならないとしたら、女子ボクシング漫画は描けないという結論になります。ハリウッド映画の「ミリオンダラー・ベイビー」(主人公は初めからボクシングをやっている)の例もあるし、ただ「ライスショルダー」(モーニング)は画力的にボクシングのジャンルに無理があったのだと思います。「はじめの一歩」のような技術論もないし、他にも見るべきものがない。 完。
2009年04月29日
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机上の論理では“K-1・総合格闘技”に勝てる!!これが格闘技マンガにおける読者の最大のロマンなのだ。プロの選手をも唸らせる技術論を、漫画的だがもっともらしく表現できるかが漫画家・原作者の資質であり、荒唐無稽な技で勝っても読者は白けるだけ。そこにはリアリティが無いから感情移入できない。しかし、「格闘技マンガ=子供騙し」というのが実情である。(漫画家を操る編集者はナゼこのことに気付かない!?)古今東西の格闘技マンガ(ただし「空手バカ一代」は例外)を見て感じることは、薄い内容を更にダラダラと引き延ばしている、といった印象。1話分のネタを10話にして単行本にしようというセコイ考え。だからテンポが遅い。単行本なら一気読みできるが、肝心の内容も無いし・・・昨今、野球や相撲の人気の凋落が顕著なのは、理由の一つに“スピード感が無い・テンポが遅い”ことが挙げられるという。(これらに関してはどうしようもないけど、漫画は変えられるはず)これは漫画にも当てはまる。読者は目まぐるしく、移り変わりの激しい世の中に生きている。必要以上に遅いテンポは、時代のニーズに合っていない。(遅いテンポ以上に、その中身がつまらない元凶)本来「格闘技漫画」は読者が一番熱くなるジャンルであるが、「これは漫画だから・・・」と、どこか冷めた目で見ている。それはただ単に現実のリングで行われている闘いを、漫画で見せているに過ぎないからである。オマケに“格闘家という人間”を描けていない。(=キャラが立っていない)更に“頭で格闘技”をやっているから、熱い戦いが伝わってこない。(ただの格闘技オタク・少し位の経験者に、何が伝えられる?もちろん単なる技術書でないことは、言わずもがな)欲望にまみれ、自由奔放な現代に生きる(格闘家という)侍の生き様が見たい。格闘技は男の欲望に最も忠実な競技であるが、(相手を喧嘩まがいの技で倒し、富と名声を得て、異性にも注目される)そのスポットライトを浴びてヒーローに成るためには、節制と恐怖心を克服する勇気・緻密な戦略(ファイトプラン)・旺盛な戦う本能・そして強靭な身体が必要なのだ。漫画がつまらない2漫画の売り上げが落ちた理由は「コンビニで立ち読みするから」「携帯や他のものに金を使うようになった」「漫画喫茶・古書店が増えた」ためという。だから、それだけの物でしかないということ。1誌で“読める”のはせいぜい1つか2つ。そんなんじゃ買うより立ち読みした方が良いに決まっている。だいたい携帯に何万も使う若者が、数百円の漫画を買わないとは「面白くない」以外にどんな理由がある!?本当に自分が好きなものだったら、他人の手垢がついた物ではなく正規の値段で買うと思う。今の漫画誌はアイドルのグラビアがメインである。漫画はオマケ。(個人的な意見) つづく。
2009年02月21日
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実際、紙面に載ってる格闘技マンガは、リングでの闘いをただ漫画(リアルな絵)で見せているにすぎない。総合格闘技・ボクシング漫画、どちらもそうだが例えば、Y・Jでは三作にわたり延々と意味不明なボクシング物をやっている。試合のシーンなど、ただ意味のないパンチの応酬を描いているし。リングのマットに手を付いてパンチを出すとかルールもめちゃくちゃだし、うんちくもデタラメなものが多い。そして、何のドラマもない。(Y・Sで以前やっていたPというのは、もっとひどかった)経験者が見たら、「こんなセリフは、ボクサーは吐かない」と思われる言葉しか出てこない。行動も同じ。作者・編集者は、「これは一般読者を対象としているので、プロのボクサーが実際口にしているとか関係ない」と言うだろうが、それは違う。なぜなら、経験者やプロが見て納得する言動が伴ってないと、リアリティがないし、それはそのドラマ自体が嘘だという事を意味する。さらに言えば、プロが見て納得する技術論がベースにないと、格闘技モノは説得力がないのである。「空手バカ一代」が受けたのは当時の読者が納得するだけの技術論があったからである。まずは土台となる技術論がしっかりしていないと、あり得ない技で勝っても白けるだけなのだ。「技術書ではない」と編集者は言うが、それが分かってないから駄目なのだ。それ(技術)があってキャラクターを立てる必要があるのだが、格闘家というキャラすら立っていない。根本的に強くなるとか、強いとは?が分かっていない。リングで闘う恐怖とか…それすら表現されてない。なぜ闘う必要があるのか?とか。格闘技マンガは、読者が最も熱くなるジャンルであるはずなのだが・・・。
2008年12月31日
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