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特に最近体力の消耗を自覚します。寝不足であれ、酒の飲みすぎであれ体力をなくし、気力が湧かなくなります。体調と心の充実はイコールの部分があり体力が無ければ気力が続きません。したいと思うことは有っても気力が湧かず、なすこともなく横たわる日が多くなりました。健康である事を羨ましく思うことが多い日々です。健康とは健康を感じ無い事だといいますが、毎日健康でありたいと考えるようでは、健康でない証拠なのでしょう。ある人の曰く賭け事も健康でなければ勝てないとの持論でした。ダメだと思う日は、すぐに打ち切り帰宅するのが鉄則だと話していました。
2005.07.31
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東京は左程暑くなく比較的プールはすいていました。娘のクロールを見ました。既に一年くらいスクールに通っていますが10メートルくらい泳ぐのがやっとです。スクールでは同じ事を1ヶ月くらい行い昇級試験があります。有るようです。試験日に都合で休むと再度同じ練習を1ヶ月行います。早く次の級に行くことは無いようです。商業主義が見え隠れします。また予定日に行けない場合、他の日に予定を入れますが、その日昇級試験をする人がいると、途中より練習を中断しその試験を見ているだけでした。出来るだけ練習を引き伸ばしているように見えます。息子は姉が泳ぎ始めた頃やっていた壁キックの練習をしていますが、思うように出来ないで居ます。規則違反でしたが長いウォーター滑り台を滑らしました水中に入る前一回転をし水中に落ちましたが割りと平気な顔をしていました。震えながらアイスクリームを食べ練習を終了しました。私は川で見よう見まねで泳ぎを覚えました。比較的泳ぎが出来るようになったのは30歳を越してからのように思います。毎土曜日オリンピックプールで泳いで居ました。早く泳げるようにと練習もしましたが自己流で左程上達はしませんでした。
2005.07.30
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暑中見舞いを兼ね挨拶に伺いました。女性の登用が多い会社で女性の担当者です。昨年まではお子様が幼稚園に通っているため5時には帰られておられました。最近何処のデベロッパーでも用地の取得が難しいとの話ですがこの会社でも事業地の取得が大変だと話されていました。ミニバブルのようだとの話も聴きます。用地が無く、またあっても大変高い価格で購入されているようです。然しマンションはそれ程売れているのでしょうか疑問です。同じ日ある小規模の不動産会社にお寄りしました。担当の部長さんの話では最近郊外に用地を購入しているそうです。何度も足を運び用地の立地、環境、そのた必要な要素を長年培った感覚を研ぎ澄まし判断するとの事でした。データを元に机上で計画をするようなことはしないそうです。また都市でも魅力ある都市、魅力の無い都市があり魅力のある都市の中心街に用地を求めるそうです。語りにも自信が満ち溢れていました。
2005.07.29
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予定が無く子供の日程にメリハリが取れませんでした。急に妻が韓国に行くといい始め、予定を組みました。友人の家族と一緒に申し込みをしました。息子は3ヶ月のとき取得したパスポートが切れてしまい再取得です。妻は大使館にビザの取得に出かけました。韓国は二度目ですが自由行動で数日ソウルの町を歩きました。市場の通りを歩き比較的綺麗な路地裏の店で昼食を取りました。その店に日本語が出来る客が居て流暢に話していました。市場の通りの中にシートを広げものを販売する姿には驚きました。車が来るとシートを巻き上げ通すのでした。死活の逞しさを感じました。子供は好きな焼肉を食べさせたいと思います。
2005.07.28
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食事の後品川のホテルのロビーラウンジでスコッチを飲みました。景色の良い所でと考えて居ましたが其処は中国料理店でした。食事の後なのでゆったりとしたラウンジで少し休みました。短パンをはいていましたが嫌な顔もせず愉快に飲む事が出来ました。子供達は退屈して居ましたが外人客に囲まれて静かなひと時を過ごしました。
2005.07.27
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プルータークの英雄伝2~8巻までカバー付きで1991年発行です。ちくま文庫のプルーターク英雄伝上中下三巻も購入できました。稀少本の魯迅文集1、2、4、6巻も陳列してありました。合計5000円分位を購入しこれからどれから読んだ物か思案中です。日本遠征記4巻も有りましたが四巻のみ購入しました。カバー付きでした。ギリシャ哲学者列伝上中下三巻耳嚢 上中下全三冊 根岸鎮衛著 長谷川強校注 等です。中国関係では宮崎市定氏の著作3冊を購入しました。台風で大変蒸し暑い一日でした。
2005.07.26
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蒸し暑い日でした。台風の影響は少なく雨は降りませんでした。帰宅途中近くのターミナル駅の屋上に甲虫の入荷の確認に行きました。屋上には一人の女性がベンチに腰を掛けていました。座ったままで手を動かしています。奥にあるペットショップに声を掛けましたが入荷は来月との返事でした。表に出ると先ほどの女性が一人立ち上がりフラダンスを踊っていました。余り見ない振りをして通りすぎましたがその後エレベーターを待つ間も踊りを続けていました。蒸し暑い夕方の屋上の一こまでした。
2005.07.25
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二人の兄と幼い頃より川で泳いでいました。小学校の下に淵がありその二つの淵で主に泳いでいました。上の淵は二つの川が合流する位置にあり水温が全く違っていました。自宅から二キロぐらい離れており昼食後皆で歩いて行ったものです。クロールの掻き方を教えてもらい見よう見まねで泳げるようになりました。川は余り大きな物ではなく台風などがあると泳げる淵が石で埋まり泳げない状態になることが有りました。しかしそのうちにまた泳げる上体に戻る事も有りました。現在は全く泳ぐ人は居ないと思います。娘は最近クロールで20メートルくらい泳げるようになりました。スクールに通ったお陰でしょうか?息子は壁キックをやらせていますが余り上達しません。バタ足はける意識が強すぎ腰に力が入りすぎています。スクールより自分で教えるほうがと思いますが、親と先生では受ける子供の意識が違い、なかなか練習をする気にならないようです。川遊びは小魚をつかまえたり、泳がない淵に魚が遊泳する姿を見たりそれなりに楽しい物でした。プールで壁キックを何度もするような味気ないスポーツとは自ずと違いました。遠い昔の思い出です。
2005.07.24
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ある夏、雲ノ平に行きました。北小谷から歩き始め数週間後のことでした。前日は岩苔乗越でテント泊まりをしていました。午前中に雲ノ平の小屋に着き、荷物を置き空身で高天原に下りました。その道すがらいたる所で水が噴出していました。登山道の穴からも噴出していました。全く飲み水には困りませんでした。登山シーズン前のことで人にも全く出会う事がありませんでした。当日引き返す予定でした。小屋で挨拶をして、すぐ川原の温泉まで行きました。川原に露天風呂が有り風呂の側は行き良い良くながれる川でした。ホースで水を引き込み温度を下げていましたが水の量は水路のように流れていました。一人で30分くらい温泉に入りました。誰もいない川原の温泉は太陽の光りに燦燦と照らされこれまでの登山を忘れる心地よい気分でした。硫黄の匂いは余りしませんでしたがその後下山までそのときの硫黄が付着し体から匂いを発していました。再び来た道を雲ノ平に引き返しました。途中で若い女性とすれ違い、風呂は如何でしたかと聞かれ、感想を述べました。今日はこれから入りますと笑っていました。こんな若い女性が入るのであればもう少しいればよかったと話、別れました。途中何度も雪解けの水を飲みながら小屋へ返りました。すぐに小屋を出発し、黒部川源流の碑がある道を川に下りました。途中5メートルはある積雪の中が水の流れとなっておりその中に入り水を飲みました。積雪の多さを知る思いでした。当日は夜遅く源流の碑の前にテントを張り宿泊しました。いろいろな方向より水が集まる場所でした。
2005.07.23
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人間の自覚はある日突然感じるもののようです。昨年までも暑いと思う日はありましたが、今年ほど体にこたえる年は有りませんでした。数年前より冬裸足でパーケットの床を歩けなくなりましたように、体の衰えとともに感覚が鋭利になるのでしょうか。歩きながら頭が下がり。気力のみで歩行するような気がします。特に仕事が終了した後。トルストイがタバコを喫してめまいを感じたときまだ大人ではないと感じたと書いていますが、歩行に疲れを覚えるときもう若くは無いと思います。
2005.07.22
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大型のマンションで既に数度の売出しをしています。集客力も有り売れ行きは好調のようでした。近くに別の会社のモデルルームがありそこもついでによりました。殆ど売り出しをしていませんが、来客はあるようです。集客力のあるマンションが近くにあるとその流れがあるようです。ブランド会社のマンションは企画も大きな面積、住み心地を追及しており価格もそれなりに嵩みます。その予算に届かない人には別のコンセプトで分譲されているマンションが手ごろなのでしょう。一頃50平米で3000万代くらいの企画マンションを分譲しそれなりに業績を上げた企業が有りました。良いだけではなく、価格のためには何かを捨てて次の選択を行う物です。その行動にうまく合致すれば不便でも、環境が悪くとも妥協点があるものなのでしょう。
2005.07.21
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比較的からっとした過ごし好い日でした。仕事の帰り駅前で以前会社に在籍したいた女性数名にであいました。一人の人が私に気づき頷いていました。帰り道で通り過ぎるところでした。見ると見覚えのあるかをが数名居りました。久しぶりに集合しどこかで冷たい物でも聞こし召すのでしょうか。妻が持ち帰った旅行案内を見ました。八月の後半どこか出かける予定にしています。計画のみで予定はまだ立っていません。妻はあらかじめビザの取得に大使館に出かけたようですが。あれこれ見ましたが予算と休日を考え決めたいと考えています。息子の誕生日が秒読みになりました。後幾つ寝ると、と毎日数えています。
2005.07.20
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ゴミは片付けなければ山のように積もるものです。必要か不必要化なかなか判断に迷いますが思い切り処分する事にこしません。あれかこれかコペンハーゲンの孤独な夢想家のようなことをしていると、部屋と精神が窒息をしてしまいます。整理術という書籍を加藤秀俊さんの親書で読みました。また資格三冠王黒川さんの書籍も読みましたが整理をする技術は思考の技術とも関連があるようで明晰な論理の人は簡潔な整理の達人ではないでしょうか。毎日書類を捜しているようでは時間の無駄も計り知れない物があります。また、必要な物が見つからない場合意識のどこかに不安が付きまとい安定的な思考が出来ない物のように考えられます。整理、整頓、準備。
2005.07.19
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入館後すぐに一年生以上しか出来ない滑り台に登らせ滑らさせました。すぐに着水点に降り順番を見ていましたが最後のスロープはなかなかのスピードでプールに投げ出されます。無理だろうと心配しました。位置に付いた息子を見つけ。降りてくる前にいち早くプールに入り受け止めました。スロープを降りる息子の顔は引きつっていました。勿論もう一度とは云いませんでした。着水後暫く水面下にかをが入ります。そこで慌てては水を飲むのが関の山です。水は飲んでいないようでした。大変込み合うプールで壁キックの練習をさせました。何度も行っていましたが満足できるキックは2割くらいでした。ダメな際は自分でもダメだったと話していました。プールに入るとアイスクリームを食べたいと言い始めましたが、食べさせませんでした。表のプールで数十回キックをさせ寒いようなので室内に移りましたが、集中は出来ませんでした。将来水泳の競技者になるわけではありません。どうにか泳げる程度で充分と思います。然し這えば立て、で性急な世の中のなのでしょう。
2005.07.18
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将棋は指しませんが見るのは好きです。何故指さないのか、強い人と弱い人の差が歴然としている競技は相撲と、将棋といわれています。当日の将棋は余りにも状況が良くなり、勝ち将棋を安全に指そうとして負けて仕舞いました。敗者の悔しさが最後まで伝わって居ました。81の盤面をめぐる駒の指しまわしですが研究に終わりが無いことにも驚きます。同じ将棋は無いそうです。また殆どの場面を暗記しておりどの将棋で如何展開したか位まですぐに解るようです。道の達人は大変な物です。たわしを洗うたわしが出来たらたわしもさぞ困るのではないでしょうか。
2005.07.17
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いざ出る前になって行きたくないと泣き始めました。土曜日は友だちが少なく娘も良く泣いていたことがあります。言い訳は事務所に一所に行きたいでした。着く前には泣き止み保育園に入ると同級生の娘さんにを掛けられると気分はすっかりかわっていました。布団にカバーをかけ先生に挨拶をし何事も無く預けて着ました。小さい頃から寝つきが悪く昼寝が出来ずごろごろしていると先生に叱られそれも随分気にした時期が有りました。現在は昼寝は殆どしません。夕刻は機嫌よく帰宅近所の娘さんと遊んでいましたが思い出したようにムの付くものをしたいと愚図っていました。
2005.07.16
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ホテルの予定が思うように取得出来ずに居ました。会社の会員制ホテルの宿泊を確認しましたところ開いていれば連泊可能とのことで夕刻連絡を入れ予約をしました。何時も夏休みは後半に出かけていましたが今年は北海道に行きたいといい始めその予定に合わせる為前半を検討していました。予定を何時もかき回す癖のある妻の事。また予定変更になりそうですが取りあえず伊豆に行く事にしました。毎年出かけているため代わり映えはしませんが。
2005.07.15
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ウイルスメールには数度迷惑をこうむりました。現在はメーラーはマイクロソフトのものは使用していません。被害者である事より、加害者になることの不安を感じています。然し最近はザ・ウイルスというタイトルで来ます。また何処で知るのかアダルト形のメールが沢山来ます。不特定多数の方とのメールのやり取りが多いため、誰かが感染するとたちまち彼方此方から飛んできます。パソコンを拡張した以前の機種では再インストールに大変時間を費やしOSのアップCPUの付け替えまでしなければいけませんでした。現在は容量が大きくほとんどファイルをそのまま残しています。2ギガくらいの時代が嘘のようです。文章もパソコンと向き合わない限り出来なくなりました。叩きながら思考をするようになりました。
2005.07.14
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酒の種類によるようです。特にひどく症状が現れるようです。酒は嫌いではないのですが、最近は美味しいと思うことが余り有りません。しかし良く飲みます。美味しくなく良く飲むため体調が良くありません。惰性のため量も自ずと多くなります。酒を飲まない日は食事は30分で終わり後は見るとも無く家族のかけているテレビを見ているのです。一頃は暑い日のビールのいっぱいは大変喉越しがよく美味しいと思いましたが、最近はそれも有りません。年のせいでしょうか体調を整え美味しい飲み物を飲みたい物です。登山中の水ほど美味しい飲み物は有りません。何杯でも何杯でも飲みます。飲み終えると喉が渇きます。ジュース、お茶、コーヒーなど決して飲みたいと思いません。特に流水のある場所では顔を洗いのめるだけ水を飲みました。しかし暫く山も歩いていません。
2005.07.13
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4月21日提督は組頭黒川嘉兵衛を公式訪問した。日本役人と森山栄之助に迎えられた。士官たちは条約によって獲得した特権を利用し屡上陸し散策し始めた。普通民は好奇心をもってアメリカ人の周りに群がり、ボタンや剣華やかな衣服をつまみ英名を無言のまま尋ねた。しかしアメリカ人と人民の交際を許さないことがすぐに判明した。士官の赴くところは何処でも一部隊の兵士がついて来た。彼らは行動を監視し、後を追った。提督は大いに怒った。下田当局に対し、弁明を求める決心をした。そこで司令官参謀と二人の通訳を上陸させ組頭を訪問させ、不満を明記した覚書を提出した。兵士が後をつけること、人民を追い散らすこと、店舗を閉ざすこと。これは条約にもとることと主張した。もし嫌がらせを続けるならば全艦隊を率い江戸に向かい釈明を要求しようと脅かした。長崎のオランダ人は何時でも12名~14名の日本兵に後をつけられている。かかる前例をアメリカ人に対しても行うことは至当と考えている。組頭は司令を受けるため江戸にいる上役に照会をしなければならない。しかし早速家屋を閉ざさないようにする命令と、兵士に後をつけさせず上陸を許すように命令すると答えた。
2005.07.12
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艦隊は江戸湾より出発の準備をした。マセドニアン号を父島に先発させサザムプトン号とサプライ号は14日、ヴァンダリン号とレキシントン号は16日下田に向かった。4月18日提督はパウアタン号に乗り込み、ミシシッピー号を伴って下田に向かい同日午後3時30分。同港に投錨した。遠征期間中、艦隊の規律は終始良かった。然し4月19日数人の水夫を審理するためミシシッピー号で一般軍法会議を招集した。その結果部下の二人が逃亡したことを発見した。それは「無断上陸」というに過ぎず許可無くボートからでて酒を求めながら海岸を彷徨したというものであった。然しこのような行為は逃亡と看做され宣告は艦隊内で法に従い読み聞かされた。また不都合の者は一時拘禁され、給料を停止されるという普通の処罰を受けた。
2005.07.11
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ある書籍の注文があり二週間探す気力が無く其のまま放置していました。朝偶然書籍を見つけました。山積みされている本の下において有りました。すぐにメールで画像と、見つけた旨を連絡しました。2分後に購入の依頼が有りました。時間も経っていましたので既に購入の意思はないものと考えていました。古い書籍で大島亮吉さんの書籍でした。ホームページを開設していると何処で見つけるのか、突然余り関心をなくしている書籍に注文が入ることがあります。そうして大探しをすると書籍がシャップルされまた何処にあるのか行方不明となります。探す前に何時ごろ購入した書籍なのか、そのときに購入した書籍はどんな題名なのか見ます。そうして同日のブロックがありそうな所を探して行きます。その後別の注文の書籍を夜まで探しました。スペースが無く整理が出来ないのです。まだ記載をしていませんがペルリ提督日本遠征記を読み終わりました。
2005.07.10
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娘の通う児童館のイベントがあり息子もお願いし同行しました。近所の娘さん、娘の同級生息子5名と夏季予定表を提出するため私で歩いて児童館に行きました。飛び入りの息子は近くの惣菜屋で購入した弁当をザックに詰め込み案外楽しそうに出かけていきました。小さい子供は父兄同伴が原則だそうですが世話人の方にお願いをして預けました同伴でなくともいいとの話で預ける事が出来ました。知り合いの方が居り何かあればお願いをすることも出来ました。夕方元気良く帰宅し楽しかったと話していました。娘曰く同級生の男の子とすぐに仲良しになり一所に遊んでいたそうです。
2005.07.09
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朝7時30分集合、駅頭ビラを行いました。4時に目が覚め眠ろうとしましたが眠れず準備をして倉庫に。倉庫から自転車で待ち合わせ駅まで行きました。既に到着しておりすぐにポールを出し旗の準備が始まりました。当日は60名くらいの方の応援を受け最高裁勝利の演説と、ビラをまきました。連合のそうそうたるメンバーの応援でした。その後委員長とコーヒーを飲み解散。夕刻より子供の納涼会が有りました。朝ビデをの充電をし準備は完璧と思いましたが念のためフィルムの装填と新しいフィルムを装着しました。さて本番が始まりビデオの電源を入れて見ましたが反応が有りません。最後の年の納涼会と考えていましたので大変あせりました。会場の司会者の電源を見ると延長コードが伸ばされており電源のコンセントに余りが有りました。すぐに自宅に帰り電源コードを持参しました。先生にお断りをし司会者のすぐ近くで、電源コードの範囲内で撮影することにしました。御輿の出し物が最初でしたが多くの家族の方が円陣に取り巻き近くにいけないため手を持ち上げて撮影をしましたがアングルは散々でした。その後は定位置で家族の映像を撮影しました。必要が無いときは電源を切り充電モードにしていました。少しは充電できる物と考えてでした。会も終了になる頃踊りが始まりました。電源コードを仕舞い、近くで画像をとじたまま撮影をしました。目で覗いているため状況は良く解りませんでした。最後フライパン音頭?で終了でしたが踊りが終了と同時に電源が落ちて仕舞いました。然しどうにか少しの画像は残りました。何故バッテリーが放電したのか不明です。確認のため映像を流した後電源を切らずそのまま電源が入っていたのかもしれません。疲れていましたので注意が散漫でした。イベントでお化け屋敷が作られていました。息子は自分では入ったと申していましたが、先生曰く入口をうろうろした後入らなかったそうです。自分では入ったと申して居ましたが。先生も良く承知をしており自信をもって入場しなかった事を当然のように話していました。
2005.07.08
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4月9日日本委任から艦隊を動かす事に反対の書状を受け取っていたが、提督は汽船を率いて水深の許す限り江戸の方へ進むとの通告を発した。翌朝艦隊は出航し江戸湾を遡航した。パウアタン号が出発するとき通訳達が来艦し熱心に思い止まる様に説得したが無理とわかると艦上に留まり提督の行動を注意していた。パウアタン号ミシシッピー号は他の艦に先行し品川付近の岬を回って名高い江戸のまじかに来た。靄が立ち込めており、首府ははっきり見えなかった。然し同市の輪郭は見定める事が出来た。吃水の浅い、最も口径の大きい大砲を持った蒸気艦二三隻を持ってすれば江戸市を破壊する事ができるだろう。漕ぎ進みながら、水道の測深に従事していたボートは、強い引き潮のため殆ど前進できなかった。船首を再び湾の下に向け引き返すことにした。艦隊は帰還し「アメリカ停泊所」に投錨した。
2005.07.07
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条約締結をワシントンの政府に報告のためアダムス中佐に命じ、サラトガ号を出発させた。同号はサンドイッチ諸島を経由し本国に向かった。日本の通訳は殆ど毎日来艦した。また日本からの贈り物の荷揚げ日本への相当品の搬出を行った。その後提督は数人の士官を伴って上陸し郊外の踏査を行った。周囲五里に渡る調査の範囲だった。村や部落に近づくと、日本の従者が一人急いで前に進み女と野次馬連とに命じ道を避けさせた。出来るだけ多く風俗習慣を知りたいという提督の目的にかなう物ではなく通訳に咎めた。特に女性を追い散らす事を。次の町に多少の茶子の用意を命じて有り、そこでは一行を避けるように要求はしないと約束した。提督は同町の町長の家に案内された。町役人の妻と娘がご馳走を持って入ってきた。かすかに微笑しながら賓客を迎えた。女性は裸足で、脚部には何もつけず、黒い色の衣服を着ていた。ふたりは肥りずんぐりしていた。微笑むとひどく腐食した歯ぐきに生えている黒い歯が見えた。既婚夫人が行うおはぐろであった。
2005.07.06
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4月4日条約締結を本国に知らせをるためアダムス中佐をサラトガ号でサンドウィッチ諸島に向かって出発させた。然し当日は波が荒く湾を離れることが出来ずアメリカ停泊所で投錨した。4月9日日本委員から艦隊を移動することに強硬な反対を受けたにもかかわらず提督は汽船を率い水深の許される限り江戸に近く進む通告をした。翌朝同湾を遡行した。日本委員は思いとどまるように来艦したが無理と解ると同乗した。首府の南港品川付近の岬を通って江戸の町が見える位置まで遡行した。初めて首府の町を眺める事が出来た。靄がかかり視界は遮られていたが町並みを見ることが出来た。水道の測量をしていたボート、汽船は潮流に逆らって進んでいたため困難をきたした。提督は引き返すべきと判断し再びアメリカ停泊所に帰還した。提督は出発の準備に掛かった。4月11日マセドニアン号をピール島に先発させ、サザムプトン号サプライ号は14日ヴァンダリア号レキシントン号は16日下田に向かった。4月18日朝4時提督はパウアタン号に乗船しミシシッピー号を伴って下田に向かった。同日午後三時過ぎ同湾に停泊した。
2005.07.05
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3月28日条約の打ち合わせのため上陸する。条約館に赴く。ポープ中佐より下田に関する調査書を受け取る。下田の開港を承認する。また直ちに開港することを希望した。次いで函館、那覇の開港を要求する。日本側は下田の即時開港以外はすべて同意の腹を決めている旨を述べた。論議の後、下田は開港されても船舶の必要とすべき一切のものは、十ヶ月を経過した後でなければ同港において提供する事が出来ない。という覚書をだすことにした。アメリカ人に許与される特権に関し日本人は当分の間アメリカ人が家族と居住することを禁ずる積りである事が判明する。提督は下田に領事を置くべきこと、条約調印の日から一年ないし十八ヶ月後までは領事を任命しないことが提案された。1854年3月31日英語で書かれた条約草案三通に署名する。またオランダ語、支那語の同草案写し三通とともに委員に手交した。日本委員は日本語、支那語、オランダ語で書いた条約草案三通を提督に手交した。条約の手交後提督は林委員に合衆国国旗を贈呈し各委員にも贈り物を贈呈した。その後日本委員による宴会が催された。料理は余り褒められた物ではなかった。
2005.07.05
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3月25日栄之助パウアタン号に来艦、提案された条約に関する評議をしたいと申し出た。1855年3月までに函館、下田がアメリカ船のための準備が出来ると答えた。提督は函館はあらかじめ測量をしなくとも承諾をするが、下田は決める前にまず調査をしなければならない。諸港が全部即刻開港できることを望むが実際上は一年間以上は役に立たないだろう。と答えた。栄之助はアメリカ代理領事の設定について言及した。町奉行は領事の仲介が無くとも船舶の石炭、食料のその他の必要物を供給するための事務を行う、よって必要が無かろうと。提督は領事の性質と任務に関し説明を行った。3月27日提督日本委員たちを艦上で饗応の日。後甲板は色々な旗で飾られ、訪問客に敬意を払う用意をした。アメリカに好印象を与えるため豊富なご馳走を準備した。また日本の慣習にあわせ高官と部下とは同じ食卓に着かないため二つの場所を準備した。常に威厳のある態度で振舞う林は総ての料理を賞味し殊に葡萄酒をチビリチビリと飲んだ。その他のものは素晴らしい大食振りを発揮した。松崎は一行の元気者でマラスキーノ酒を飲んだ、飲んだ効き目がたちまち現れ、特に気持ちよくなってしまった。林は、まじめな殿様で同僚全部が無節操に歓楽しているのに、生気で居たのは林一人であった。日本人一行は酒を供されすっかり賑やかになった。酒が大好きであった。彼らは高声で叫び続け、その叫声は愉快な音楽を奏でている軍楽隊の音よりも高く聴こえた。食卓の上にどっさり重ねられた食物がどんどん失くなるのはアメリカ人の一番の大食漢でも驚異であった。またお決まりの残りものを袖に詰め込み持ち帰った。持ち帰りは歓待中の重要な部分をなすものでアメリカ人が逆にこれを辞退すると日本人は何時も気分を悪くした。宴会後黒ん坊歌流を演じて日本人をもてなした。水兵たちが顔を黒く塗り扮装し演じた物で厳格でむつつりした林もこの演技には耐えられず気が軽くなった。日没になった。日本人はのめるだけの酒を飲んで退艦の準備をした。松崎は腕を提督の首にまきつけて、よろよろと抱きかかえ、涙ぐましい感情を持って日本語で「日本人とアメリカ人は同じ心である」といった。自分よりしっかりしている同僚に助けられながらよろよろとボートに乗り込んだ。最後のボートが艦を離れるとき、サラトガ号は17発の礼砲を発射した。そして艦は再び、何時ものような静けさのうちに残された。
2005.07.04
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二人で昼前より友人が中国旅行の際購入したお土産のお茶を飲んでいました。昼過ぎに自宅に返り私も相伴に預かりました。ウーロン茶ですが香りが良く紅茶のような匂いが大変強くしました。味は少し薄いようでしたが飲み応えがあり美味しい味です。黄山で購入したお茶のように濃くは有りませんが正に紅茶のような味がして美味しいお茶でした。お茶の知識は余りありませんが新潮選書にお茶の本がありそれを読んだくらいです。福建省に大変高価なお茶の取れる木があるようなことを記載されていました。高校生の頃出雲に自転車でいきまいた。九州を一周した後中国に入り日本海側を東方に向かう途中でした。途中でお土産屋さんのようなところでお茶をご馳走になりました。小さな茶碗に少し入れてくれました。飲むとまた入れるのです。どうして大きな器に入れないのかなと思いました。遠い昔の話です。
2005.07.03
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家を空けられないため朝から決算書読破術を読みました。比較的要領よく纏められており、読みやすい書籍でした。クーラーの効いた部屋で終日過ごしたため鼻水が出るようになりました。午後近くの眼鏡店に眼鏡の修理を依頼に行きました。縁の無い眼鏡のフレームが破損しました。聴くとフレームの合うものを探さないといけないようです。簡単には修理できないようで数日間預かりたいと云われました。眼鏡も大変費用を要するものです。
2005.07.02
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役所より電話が有りました。証明書を発行した際文字が無いため手書きの文字を入れたとのこと手元にあれば差し替えたいとのことでした。既に必要箇所に持参し手元にない旨を答えました。暫くして若し証明書として不受理された場合は申しで下さいとのことでした。先日二度弊宅まで来られたようでした。不思議な小回りが効くものだなと感心しました。然し妻曰く取得の際大変横柄な対応で驚いたと話していました。必要書類目的を話それ以外の証明になる場合少し解り良く説明があればよかったと思います。私も証明を見た後代用が出来るか提出先に確認した程です。
2005.07.01
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