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今更ながらに(笑逝かない身体ALSと父が告知され、直後から図書館やネットで探しまくってまず、出会ったのが川口さんのHPだった。読みふけった。父にも紹介し、HPを印刷し。きっと父も読みふけったに違いない。沢山の勇気と、闘病の道を見せてもらった。そんなHPにも綴られている文章が、一冊の本となり、大きな大きな賞を受賞されることとなる。不義理な私は、受賞直前位に、やっとこの本を手にとり少しずつ、少しずつ読みふけっている。一気には読めない。心が詰まるから。父に読み聞かせたかった。どれほど喜んだ事か・・・。ajiさま、先日、自宅を訪ねてくださった時にはまだ未購入でごめんなさい(苦笑大切に大切に読ませてもらっています。沈黙の身体が語る存在の重み 介護で見いだした逆転の生命観 【特別寄稿】 川口有美子著『逝かない身体――ALS的日常を生きる』を読む 大宅壮一ノンフィクション賞を受賞! 沈黙の身体が語る存在の重み 介護で見いだした逆転の生命観 柳田邦男(ノンフィクション作家・評論家) 《凄い記録だ》――私はこの本を読み進めるうちに率直にそう感じ,「生と死」をめぐる著者・川口有美子さんの思索の展開と,次々に登場する既成概念を打ち砕く数々の言葉に,ぐいぐいと引きこまれていった。 難病ALSの母を介護した12年間の記録だ。症状の進行がはやく,大半は言語表現力を失った沈黙の状態に陥っていた。 ALSは随意筋を司る神経細胞が死滅していく病気だ。手足が動かなくなるだけでなく,呼吸する肺の筋肉も動かなくなるので,人工呼吸器をつけないと生きられない。唇も動かなくなるから,発語ができなくなる。最近は技術の発達により,頬などに残されたわずかに動かせる場所にセンサーを取りつけて,YESかNOかの意思表示ができるようになった。 例えば介護者が50音表の文字盤を示し,「あかさたな……」と発音しながら指でたどっていく。「あ」と言った時に,患者が頬の筋肉を動かすと,センサーがピッと鳴る。次は「あいうえお」と1語ずつ読んでいく。「う」のところでピッと鳴ると,患者が言おうとする言葉の第1語が「う」であることがわかり,パソコンに記録させる。同じようにして,次の1語を探すと,「た」であることがわかり,患者は「うた(歌)を聴きたい」と言っているのだと汲み取り,好きな歌をCDでかけてあげる。患者とのコミュニケーションは,こうやって時間をかけて可能になったのだ。 ALSが他の病気と違う最も大きな特質は,五感と脳は生きているという点だ。ALSが進行すると,頬かどこかに最後まで残っていた筋のわずかな動きも消えてしまう。そうなると,センサーは何も感知できないから,患者は意思表示の手段を失う。目蓋も動かせなくなる。たいていは乾き目を避けて,閉じたままにする。患者は光もなく何の意思表示もできない中で生き続けるのだが,聴覚も思考力もあるのだから,ただひたすら耐えるだけという過酷な日々を送ることになる。そういう状態をTLS(Totally Locked-in State)と言う。 私は30年以上にわたって,がんが進行した人々の生き方と死の迎え方について学びを重ね,人間が「生きる」意味と「尊厳ある死」とは何かについて,自分なりにたどり着いた考えを持てたつもりでいた。しかし,最近,何人もの進行したALSの患者・家族にお会いして,その「生と死」への様々な向き合い方を見るにつれて,ALSの場合,「生きる意味」や「尊厳ある生」の問題は,がんの場合とかなり異質な面があり,もっともっと思索を深めなければ本質に迫れないなと,立ちすくむ状態になっていた。 そのさなかに,川口さんの『逝かない身体』に出会ったのだ。 この手記は,個人的な介護のドキュメントなのだが,母の言葉,心理,身体の様子などについてのとらえ方が実にきめ細かく,それらの一つひとつを通して,「生きる意味」や「生きるのを支える条件」についてどんどん思索を深め,自分を変えていく。しかも,医学の用語や既製の概念などにとらわれない平易な言葉と文章で表現している。それらは,一般的に考えられている難病患者の「いのち」をめぐる通念を180度逆転させるような,極めてドラマティックな気づきを含むので,私は川口さんが到達したそうした気づきの文章に出会う度に,心を揺さぶられ,「目から鱗」の気持ちになった。それらは,「生きる意味」「生きることを支える条件」の新たな発見と言ってもよいものだ。 特に注目すべき気づきを紹介したい。 * 川口さんは,はじめのうちは,死よりほかに母を楽にする方法はないだろうと考えていた。慈悲殺の考えだ。しかし,ある日,母が早めに書いてあった遺書をこっそり読むと,そこには家族に対し,「いっぱいお世話かけてごめんね でもうれしかった ありがとう」と書かれていた。そして,続く文章からは,最後まで娘たちに介護されて,自分も娘たちもハッピーエンドを迎えたいという意思が伝わってきて,ハッとなった。安楽死は,そういう母の最後の人生計画と言うべきものを台無しにするものではないか。川口さんが母の寝顔を見ると,母は娘に否定されそうになっている命を全身全霊で守ろうとしているかのように,すやすやと眠っている。他者が手を出すのを拒否する安らかさ! 究極のオーラと言おうか。 川口さんのいのちを見る眼が,突然逆転する。コペルニクス的転回だ。 《「閉じこめる」(=ロックトイン:筆者註)という言葉も患者の実態をうまく表現できていない。むしろ草木の精霊のごとく魂は軽やかに放たれて,私たちと共に存在することだけにその本能が集中しているというふうに考えることだってできるのだ。すると,美しい一輪のカサブランカになった母のイメージが私の脳裏に像を結ぶようになり,母の命は身体に留まりながらも,すでにあらゆる煩悩から自由になっていると信じられたのである。(中略)患者を一方的に哀れむのはやめて,ただ一緒にいられることを尊び,その魂の器である身体を温室に見立てて,蘭の花を育てるように大事に守ればよいのである。》(『逝かない身体――ALS的日常を生きる』200ページより引用) 川口さんは,母がロックトインの状態になってからも,顔色などから母の心情を読み取っていた。顔の肌がさらっと涼しげな時は,リラックスしているのだとわかるし,発汗にしても,汗や肌の微妙な違いを見分ければ,身体のどこかに痛みがあるためか,焦りやストレスのためかの区別がついたという。身体は硬直したままであっても,皮膚の下の毛細血管は母の心情を反映して,恥ずかしければ顔が赤くなるし,具合が悪ければ青白くなり緑色っぽくもなる。 そして,川口さんは母の身体から,「あなたたちといたいから,別れたくないから生きている」という声を聞く。 言葉は発しなくても,全身全霊で向き合っていた母と娘との間には,密度の濃いコミュニケーションが成立していたのだ。私は25歳だった息子が脳死状態に陥った時,ベッドサイドで同じことを経験したので,そういう「瞬間々々の真実」を信じることができる。 そうした魂レベルの会話は,受け手の側の感受性が問われるものであることに,川口さんは気づく。 こうして川口さんは,「ただ寝かされているだけ」と言う医療者がいようが,重病人を辛いままに「生かしている」と批判する人がいようが,そうした言葉に動かされることなく,母を生の側に引き留めるだけ引き留めて,12年間の介護を全うしたのだ。 「生きる意味」は,病者が自らは見いだせなくなっても,「他者」によって見いだされうるものであろうという川口さんの気づきも重要だ。社会的な理解も支援も遅れているがゆえに,自己肯定感を持てない患者が多いこの国において,刺激的な命題と言えるだろう。 死と生に関する表面的なスピリチュアリティ論でなく,いのちを支えるリアリティに満ちた鮮烈な言葉が連打される問題提起の手記だ。
2010年04月20日
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4月7日 まれに見ぬ快晴佑、ピカピカの一年生になりました緊張し、何日も前から大騒ぎをし(笑桜が散ってしまうかなーと思ったものの、満開の桜と、まぶしいほどの青空に恵まれ無事、入学お姉ちゃんと同じ学校に通える事が嬉しくてたまらない佑。一年間だけだけど、上の子が居てくれると母としても安心感があります。式の後は近所の水産センターへ。ここは桜の名所で、沢山の大木があるスポット。公園内の池には鯉がうじゃうじゃいるの(笑怖いほどよ。(笑えさがなくても、立ってるだけでよってくる(笑飛び出してきそうな勢い(笑このお方ももう6年生(笑最後の写真は今朝二人で登校する様子2人とも頑張れーーー
2010年04月09日
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昨日は急に思い立って「ひらぱー」へ。ひらぱーとは、「枚方パーク」遊園地です。主人の仕事で大阪へ行く前に少し寄りました。ここは佑にも乗りやすい乗り物が沢山あり、「ジェットコースターが怖い杏」と「適度に怖い刺激がほしい佑」の思いが丁度噛み合う場所(笑いつも行くときは空いていて、自分達の好きな乗り物にエンドレスで乗っている子供達(笑ふたりの大好物はこれでもさすが春休み。ものすごい混雑ぶり。大好物にも15分程並ばないと乗れない(笑人は大混雑だったけど、滋賀ではまだまだ咲ききってない桜がここでは満開で。思いがけずお花見を満喫できました♪木曜は入学式。お天気に恵まれ、桜満開の中、小学校生活がスタートできますようにそうそう。杏の最高学年のスタートもねっ!(笑
2010年04月04日
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仕事終わりの帰り道。山を抜けて家が近づいてきたとき、あまりの月の大きさと月の低さにしばらく車を停めて眺めていた。家の周りは山に囲まれるド田舎。7時半でも真っ暗な地域(笑月は周囲を明るく照らし、昔話の絵本のように、山の間から大きく大きく輝いていた。あんなきれいな満月を見たのは初めてじゃないかな。父が逝ってしまう数時間前に見た月も光が強くきれいな月だったけど、今日の月は大きさからして半端ない。そうこう思いながらしばらく月を眺めていたら、今日がブルームーンの日だと思い出した!!!でも、月は青くはなかったけど(笑自宅に帰り、子供の歓迎を受け(笑)「先にお風呂つかっておいで~~」と子供をお風呂へ追いやり一人コーヒーでも飲もうかな~と思ったとき。「ママーーーーー!!! 大変大変!!! おじいちゃんが頑張って降りてきてるー!!!!! 山にあたるでーーーーー!!!!」とお風呂場から絶叫が(笑うちの子達はいつの日からかお月様の事を「おじいちゃん」と呼ぶ(笑「今日は笑ってるわー」とか「お絵かきしてはるかなー」とか月を見て言う。いつもお風呂場からは月が見えるんだけど、田舎で隣近所の目を気にしなくて良い利点を生かしてよく窓を全開にして「月見浴」をするのね(笑そのときは子供達は絶対おじいちゃんの思い出話をする。そしていつの間にか、どっちが沢山おじいちゃんの事を覚えているかの競争が始まり、姉妹喧嘩勃発(笑話がそれたけど、佑は余りのつきの大きさに「おじいちゃんが降りてきた」と叫んでたって訳(笑さすが7歳。言う事がメルヘンで可愛い(笑こういう日は素直になるのかなー。りゅうちゃんのブログも泣けた。憧れのajiさんと会って以来、私の頭の中はALSの占める範囲がよりいっそう大きくなり、伊藤さんから「金先生と会った」と聞くと本気で羨ましかったりもする(笑この間のNHKの番組もしっかり見ることができたし、それ以来、ajiさんの見解を何十回も読み直し、ヨーコちゃんのブログも読み直し。(コメントは出来てないけど(笑))偉そうなことも何も出来ないし、いえない。うまく言葉にすることもできない。何が正しいかなんていまだに分からない。でもでもさ。治らない病気なんだったら、せめてさ。ALSとの生活の中に苦痛ばかりじゃなくて楽しい事どんどん作ったもん勝ちなんじゃない?どんな生活だって。そうよね。一個でも笑える事、くつろげる気持ち、一時間でも穏やかな時間が流れますように。みんなの所に。同病患者さんも、家族さんも、遺族さんも。みんなみんな。ALSに関わる全ての人、関わってきた全ての人。みんなみんな。生きてるって素晴らしい。うん。遺してくれたものも素晴らしい。うんうん。
2010年03月30日
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近所に沢山ツクシがニョキニョキと顔を出しています。 お天気も心配した18日。 無事に次女佑が卒園式を迎えました 通ってる間は9時~2時の園生活の送り迎えが面倒だったり 月・火・木・金のお弁当が面倒だったり。 行事も沢山ある幼稚園生活は疲れる事も多かった筈なのに 卒園式ではずっとずっと泣きっぱなしでした(笑 長女の時も涙したけど、今回は親の私達も「卒園」 「もうココへ来ることもないんだ~~」と想うと こみ上げてくるものがある。 修了証書授与。 佑はなぜか、学年全員のトップバッターで受け取るため 他の皆と動き方が微妙に違う。 猛烈に緊張し、当日も夜中何回もトイレに起きてた佑。 ちゃんと大きい声で返事をし、立派に成功!!! 幼稚園生活って毎日お母様方とも出会うし、 先生とも蜜に関わるんですよねー。 年少時も年長時も素敵な担任の先生に関わってもらえて 親子共々幸せでした 佑は式が終わり、お別れセレモニーも終わった後、 緊張が解けたのか、「先生と別れたくない」と 園庭で号泣 ママも側でまた号泣(笑 4月からはピカピカの一年生
2010年03月20日
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鏡開き間近となりましたが(笑あけましておめでとうござります昨年12月頃にパソコンがウイルスに侵されリカバリされて真っ白の状態になり帰ってまいりまして。ネットには悪戦苦闘の末、繋がるようになったもののメール設定に手間取りまくりまして・・・。本日やっとすべて復活しました~~~~(∠T▽T)ノ彡☆はあ・・つかれた。なぜか私のメルアドは転送扱いとなっており、転送先で容量が一杯になっており。12月15日以降のメールは一切受け取れてない状態に・・・私宛にメール送ってくださった方がいらしたらごめんなさい・・・そしてみなさま。どなたのアドレスも全て消えちゃったのでメールください・・・さみしい(笑さて。新年をむかえ、もうすぐまた一つ歳をとります(笑もう全く嬉しいはずのない誕生日(笑でも子供たちは例年通り色々計画を練り練り(苦笑でも結局子供が満足するように計画を実行させるには当事者であるワタクシの協力が必要なわけで・・・例年通り、結局疲れる誕生日にむけて今日は「木」と「画用紙」の買出しに(笑)もちろん、当事者であるワタクシの陣頭指揮のもとイオンへ(笑5年生の杏にはもう正直に。「気持ちはすっごく嬉しいけど、何か欲しいとかって無いからね。 でも何かあげたいって思ってくれるなら コレが欲しいな!!!」と正月の買い物時にオネダリして、買ってもらいました杏はこれでOK(笑でも園児佑には何度言っても通じない(笑「ううん!!!ゆうはママに手作りのプレゼントがしたいの! 木でつくった壁かざりと、佑が画用紙でつくった鍵をプレゼントしたいの!」・・・・。・・・・・・・・・・・あ・ありがと・・(笑というわけで今日は「木」とボンド、画用紙などを買いにいったのです。当事者であるママ・私が「ゆうちゃんはどんなの作ってあげたいの?」と聞き(笑佑ちゃんの計画を遂行すべく、頭を使い、お金を使い、時間を使い・・・(苦笑イオンでゆっくり買い物したいのに、佑様の「早く帰ってママのプレゼントつくりがしたい!」の為にアッサリ帰り。今日枠組みができたので明日寒空の下ペイント予定(笑出来上がったら披露します~~~~(笑乞うご期待(笑今年もよろしくーーーーヾ(@^▽^@)ノ
2010年01月09日
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先週の土曜日は父の一周忌をしました。命日は金曜日。11月20日です。一年前の明日、父の病室を出て数時間後、父は一人で息を引き取りました。父がいなくなって初めてのクリスマスやお正月はむなしいばかりでした。雪が降れば、「おじいちゃんに見せる!」と小さな雪だるまを作ってベットサイドまで運んでた子供とそれをみて喜んでた父を思い出し、いなくなって初めての春、桜が咲けば、何度も行ったお花見を思い出し、最後の桜の季節となってしまったお花見のときの様子を思い出し。いなくなって初めての夏は、障害者プールに杏と通ってた事を思い出し。そして、一年。やっぱり秋は寂しいです。幼稚園の紅葉した葉が落ちた姿をみると、「あ~そういえば去年この木の葉が落ちた時に父は逝ってしまったな~」と思い出すし、病室のおじいちゃんに届けるんだって綺麗な落ち葉を一生懸命集めてた子供達のことも思い出すし。いなくなっても、今でもおじいちゃんの事をよく話すわが子を見ると、「天国で父は喜んでるだろうな~」とつくづく思うのと同時に、「天国でなんかじゃなく、今本人に聞かせてやりたい。見せてやりたい」と思うのも事実。一年経ったからといってまったく整理なんてできるもんじゃないとつくづく身にしみています。病気が分かって、闘病中でも楽しい事はいっぱいいっぱいありました。悔しい事も辛い事ももどかしい事も情けない事もいっぱいありました。ALSの特徴である強制笑いも強制泣きも強制怒りも(笑)いっぱいありました。後悔していないことも、後悔してることも、沢山あります。書きたい事や書こうと思った事は沢山沢山あるけれど、何故か何回書いても途中でパソコンが消えてしまったり、画面が戻って消えてしまったりするんです。(笑)もう、これは「グダグダ辛かった事ばかり書くな」という父の仕業としか思えません(^-^;だから「ALSってこんなに辛い」「こんなに悔しかった」って事は書きません(笑でもでも、もっともっと生きていたかった父に最後まで副えなかった、そのことを整理できないまま一年目の命日を迎えます。
2009年11月18日
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先日、「重度訪問介護」の研修に出向き、資格を取得できたこと、講義は非常に内容濃いもので、とても勉強になったことをコチラに書きました。そして、先日、とうとう。はじめての初体験。脳性マヒの患者さんで独居生活を送っておられる利用者さんのところへヘルプに入ってきましたーー一般的な家事のヘルプが主な仕事です。わたくし、一般的な主婦というよりも、かなりグウタラな主婦(笑だからこそ、「誰でもできる簡単な家事手伝いよー」の台詞が怖い(笑利用者さんは女性の方で、とても細やかな方だなという印象。身だしなみや女性としての生き方を当たり前のように大事にされている。大人な女性。・・・・私とは正反対(笑私が緊張してるということは、初対面でいきなり二人きりになる事に利用者さんも緊張されてるはずなので、できるだけ明るく。できるだけ、何でも聞く事。(自分のやり方でしないこと)そして無駄話はしないこと。を心がけて2時間入ってきました。これは以前の講義のときに、この利用者さんの講義があって、ご本人が一番望むこととしておっしゃってた事です。( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘそれをそのまま実行(笑普段自分の家は汚く散らかってるのでこんなにコッテリ掃除したのは久しぶりや~~~というくらい緊張してガッツリ家事してきました(笑私が入る日は、リラックスしてゆったりした気持ちで過ごしてもらえるような関係が築いていけたら嬉しいなと思います。でもどうしてもトイレ介助などをしてると父の事を思い出してしまったりするのよね。なんだか懐かしいというか・・・。そして、やっぱりALS患者さんの所へ入りたいという願望が・・(^-^;一体滋賀のALS患者さんってどこにおられるのかしら・・・・ぜんぜん出会えません。残念だな・・・。
2009年10月25日
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ご無沙汰しまくってたらブログの管理画面が変わっててびっくり!!(笑さぼりすぎだ(笑ひと夏元気に過ごし、先週土曜には長女の運動会も終わりました奇跡的にも我が町にはインフルエンザの波は小さく、学校も園も一クラスも学級閉鎖がない状態。我が家の娘達も元気に発育しております(笑次女、佑は相変わらず自信満々、自分大好き。自分最高ーーー!で暮らしてるし、長女、杏は相変わらずマイペース不思議世界で生きるB型女。 最近、スポブラデビューも果たしました(笑さて、昨日の夜は月がほんとーーーーに綺麗で、お風呂につかりながら室内を真っ暗にして、露天気分でお月見しましたまん丸の月から放射線に光が伸びて、それはそれは綺麗それをみてた佑。「おじいちゃん見えるかな」と。「おじいちゃんが亡くなった日も、月が綺麗やったんやで」というと、「おじいちゃんに似合うな♪」って(笑そして、今朝、5時位に目を覚ました佑が夢うつつでこういいました。「おじいちゃんから手紙もらったねんで~。 いつも見守ってあげるから、そのかわり 佑や杏やママやみんなが笑って元気に過ごす事がおじいちゃんへの 最高のプレゼントで、それがおじいちゃんは一番嬉しいことやからね。 って書いてあった~~~~」って。それを聞いて、ビックリしてる間に佑はまた寝てしまいましたー(^-^;父が亡くなってそろそろ一年。杏はDSの「ともだちコレクション」でおじいちゃんキャラをつくり、その夜には久しぶりにおじいちゃんの夢をみたと大喜びしてた(笑おじいちゃんキャラには「あまり食べられなかったからね。」といって刺身の舟盛りや、デザートをいつも大サービスしてる(笑そして、佑はご飯を残した日には「天国のおじいちゃんごめんなさいーーー」と泣く(笑皆の心にしっかり生きづいてる。嬉しいことです。でもでも、やっぱり目で耳で今聞かせてあげたいなって思ってしまう時のほうが多いけどね(;´▽`A``父が亡くなって、家族が一人減ったわけだけど、入れ替わりに、(生まれ変わり?)妹の3人目の子供が無事生まれました父のような頑固者に成長したら、生まれ変わり決定!!ということで(笑
2009年10月05日
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私の職場には、お年寄りが沢山訪れる。お仕事の忙しさに少しだけ慣れてきたのか、今日「ふっ」と心によぎった想い。「みんな元気でいいな・・・」80を過ぎてアチコチ痛いわーと言いながら元気に歩いて毎日通院してくる患者さんをみて、「いいなー」と素直に思った。元気っていい。父も生きていればまだまだ「若い」と言われる年齢。あっちが痛い、こっちが痛いと言いながらも元気に動き回っていただろうし、孫ともいっぱい遊んでいただろう。誰も笑ってくれないダジャレを連発し、一人ニヤついて「俺って天才!」って思ってただろう。今日は父がよく被ってた帽子とそっくりな帽子をかぶった父と同年代のオジサンが待合室に座ってる姿をみて、ふっと、「なんで父は死んじゃったんだろう・・・・」と強烈に寂しくなったりした。去年の夏は元気とはいかなくても、確かに生きていたのに。父がALSに侵されて、車椅子になり、イロウになり・・・と進行していった時もあまり深刻に「なぜ、父に限って!!!なぜ父ばかりが!!」とは思わなかったけど。今日はものすごーーーーく思ったなぁ。「なぜ、父がこんなに早くこの世から居なくなったのか。」って。・・・なんでよーーー!!!!!!って叫んでも許される位寂しくなったな。。。・・・生理だからかな(笑密かに傷心な母の心、子知らずで、佑はおじいちゃんの仏壇にむかって「おじーちゃん! 後、8回で、ゆうのお誕生日だよー!!!」と報告?オネダリ?(笑)してた(笑プレゼントをねだられて、きっと父はズッコケてる事でしょう(笑
2009年07月29日
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夏休みだからといってお仕事は早々簡単にお休みできません。 今日もあくせく。冷や汗かきかき。お仕事でした。 久しぶりのお天気だったので、患者さんは午前中だけで 100人越え。無━━ヽ(;◎Д◎)ノ━理━(;◎Д◎)乂━━━!!! そんな中。 猛烈に忙しい最中。 そう。 今日は皆既日食でしたねー とある年配の患者さんが 「今、三日月になってるで!!!」と叫ぶやいなや、 「●●さーん。」とお会計にお呼びしてるにも関わらず 患者さんたち、続々と外へ飛び出していく(笑 ついでに、受付にいる私以外の先輩方たちも(笑 私と、院長先生・・・。 壁を隔てて。 「肉眼で見えるのかなぁ~?」 「めがねみたいなもので見るって言いますよね?」 「そうだねー」 「はい・・」 続かぬ会話(苦笑 だって院長先生とは未だほとんど会話したことはなく、 カルテを置くのにも、ビビってる位だし(笑 この前なんて 「安心して置きなさい。噛み付かないから」 って言われたしね(笑 話はそれちゃったけど、 日食を楽しんだ患者さんたちが続々帰ってきてから、 受付のボスたちも帰ってきて。 「肉眼ではみえへんわ」ということで、 なんと、レントゲン写真をメガネサイズに!!(笑 「私も観たいな~~~~~! 行っておいでって言ってほしいな・・・」 と思いつつ、期待半分で仕事してたら、 「私らは最後やろうけどさ。 あんたは次の日食も見れるやろうけど。 行ってきていいで」 とメガネサイズのレントゲン写真をお借りして観て参りました(笑 綺麗に見えて感激~~~~ 子供も、ブラスバンドの自主練習の最中、 学校からみんなで見たそうです さて。 次回のときまで、元気で生きてるのかしら?(笑
2009年07月22日
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重度障害者のヘルパー資格を取得するための研修最終日。 昨日(27日)無事終わりました。 昨日はまず3グループに分かれて 実際街へ出ての買い物。 脳性マヒの男性一名(電動車いすで自走)と付き添い2名。 車椅子体験者一名と車椅子を押す人間一名。 合計5人で1グループとなります。 私は最初、実習者の乗った車椅子を押してまず店内を目指しました。 買い物先は全国チェーンで言う所のイオンのようなお店。 土曜ということもあり、かなりの混雑でした。 そして、店内中頃で、私が車椅子へ。 車椅子で実際の街中をうろうろするのは初体験 走り回る子供の怖さや、自転車のスピードの怖さ・ 商品が目より高いため、ほとんど売り場が見えないことや 冷蔵コーナーの冷気をモロに感じるため寒いこと・ お肉などの値札はほとんど見えない事などを知ったとともに、 人の目線も痛い位感じてきました(||゚Д゚)ヒィィィ(゚Д゚||) そして、買い物を終え、かえってきたら 調理実習。 利用者さんに材料のきり方や炒め方、 すべて一から確認して、利用者さんの食べたいと思う手順で カレーを作ります。 そして、そのカレーで昼食。 昼食後は、2グループに分かれ、利用者さんとヘルパーさんの 行動を少し離れて見学する、実習。 これまた駅周辺を2時間。 ウロウロと後ろをついて回る・・というものでして、 人の目線を感じまくりました(;´▽`A`` そりゃそうです。 車椅子の人がいるだけで見られるのに、 その後ろに6名程の大人が、無言でついてるんだもん(笑 私のついた利用者さんとヘルパーさんは 駅向こうのスーパーへ画材を買いに行かれ、 駅を通過して、お昼に行った大型スーパーへ。 お花をみたり、木材売り場をウロウロしたり、 カー用品をみたり。 普通にウインドウショッピングもされてました。 地元なだけに、知り合いに出会うかなと思ってたんだけど、 誰にも出会わず(多分)一安心でした(A;´・ω・)フキフキ 最終日はほとんど外へ出て動き回る、まさに「実習」で終了しました。 思い出すことの多い3日間で、修了時に 「亡くして間がないから、今すぐ働いてくれなくていい。 待ってるからね。会えて嬉しかったですよ」 と責任者さんに言ってもらい、号(┳◇┳)泣しちゃいましたね(苦笑 笑ってサヨナラしようと思ってたのに・・・・(;´▽`A`` 色んな思い出を思い出し、 新たに色んな気持ちが渦巻いた3日間でした。
2009年06月28日
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講義2日目。 前日の講義の後、帰って3枚のレポートを仕上げないといけなくて 少々寝不足状態で二日目を迎えました。 2日目は今回の研修を開いてる事業所の代表から コミュニケーションについての講義と 滋賀県自立支援センター代表の方からの講義。 この方は自身も脳性マヒの障害がある女性。 この女性・・・。 発言内容がまるで父そっくりだったの。 自身がヘルパーに何を求めるかを話してる、その内容が まるで父かと思うような発言で・・・。 ・自分達は自分で動けないから、ヘルプしてもらうのに、 例えば、痒いところ一つかいてもらうにも、ものすごく沢山の 言葉を使わないと伝わらない。 そして伝えようとする事はものすごい体力を消耗させる。 ・ヘルプに来てる筈なのに、何故わかってくれないのか! 何故わかってくれないの???? と強く思う。 そして冷静になってみて自分の態度を反省する。 ・ヘルパーは帰れば違う世界があるが、利用者はずっと家の中に 残される。逃げ場がない。 「もう誰とも喋りたくない」と思うときが多々ある。 などなど・・・・。 この「何故わかってくれないの??」という発言から 私はもう堪えていられず、どばーっ (┬┬_┬┬)(苦笑 ・・・。父も、ずっとずっと 「わかって!わかって!」と訴えかけていた事を思い出したから。 二時間目以降はずっとPTさんの講義&実習でした。 このPTさん。 びわこ学園医療福祉センターの理学療法士さんで高塩先生という方。 この高塩先生。 すばらしい!!!!(笑 普段は脳性マヒの子供達と関わる仕事をしながら 赤ちゃんの研究などにも力を尽くし、 日本のみならず世界を飛び回り精進されている男性。 赤ちゃんのような丸刈りの姿もキュート(笑 実は、私にこの講義を受けるよう、進めてくれた人は高塩先生とも 親しくお仕事されてる方で、この高塩先生の講義を聞くこと。 これは滅多にできる事ではないから!!と強く勧めてくれたんです。 「絶対感動するから!」と。 その通り、本当に感動的でした。 殆どが脳性マヒの障害についての講義でした。 何故なら重度障害の方のヘルプに入るということは脳性マヒの方と 沢山関わる事が増えるから。らしいんだけど。 一口に障害といっても色々ある。 そのタイプを見分ける事の大事さ。 そしていかに私達の視覚や聴覚が持つ情報が危ういものかという認識。 出来ているつもりでも、いかに「他者理解」が出来ていないか。 などを分かりやすく教えてもらいました。 そして 肢体不自由者を「物」としてでなく「者」として 「生きる」事への心理的支援が必要なこと。 非定型として生きるが故に生じる困難さを支援すること。 そのままの状態を認め、決して自分の世界に入れようとせず その人の世界を認めること。 自分と違うものを受け入れる事は苦手で、「無知」な事は 怖いものだと知る事。 今出来ている機能も数年後には失うかもしれない。 その失ったときの辛さを想像すること。知る事。 一生を通じたプランを立てる事。 介助の仕方を実習してもらう前に、 まず「正しく知る」事の大切さをじっくり講義してもらいました。 その後、実習へ。 ピチピチの学生さん達とグループを組んで、 寝返り介助の仕方や立ち上がらせ方など。 一日の終わりになって、高塩先生はこうおっしゃいました。 職員(在宅の場合はヘルパー)により介助方法が 様々だと混乱を招く。 なぜ、この介助方法を行っているのか。 理論立ててきちんと説明できるようになること。 「いわれたから」ではなく、自分で正しく利用者さんの体の状態を 理解して、介助を行う事。が大事。 最初にきちんと学べないまま年数だけ積んできた人は キャリアが長いというだけで、 ベテランになっても、もう直せない。 「私はこれでやってきた」と言って受け入れられない。 こうならないように、いつの時、誰の時でも、 「正しく理解する」事。 同じ病であっても、一人ひとりケースバイケースで 状態も痛みも違う。 そのことを忘れてはいけない。 理学療法士さんの講義ということで、 実践的な実習がメインになるのかと思ってたんだけど、 「心」の部分に長い時間を割いて講義をされたのは、 ご自分が現場でいろんなことを経験されてきてるからだろうと思いました。 もちろん、技術的な事や体の仕組み、姿勢ケアなど 実務もたくさん教えてもらったんだけれど。 二日目を終えて、何よりも 父が生きている間にこういった事を聞いていれば、どれほど心強かっただろうと思ったし、 父に聞かせてあげたかったな。と心底思いました。 それから、たとえば、患者会などでいつもグループミーティングを 行っているけれど、それよりこういった講義のほうが どれほど患者・家族の心を軽くしてくれるか・・・と痛感しましたね。 残るは一日のみ。 利用者さんと町へ出て買い物をし、料理を作る。 そして一緒に食べる(笑 これですべて終わりです。 資格を取得したからといってお仕事があるかどうかは わからないんだけど、 本当に意義のある充実した二日間でした♪
2009年06月25日
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先週末。重度訪問介護のヘルパー資格を取得するために研修に出かけてきました。色々悩んだ末。不安を抱えつつ、緊張しつつ。ピチピチの学生さんに混じりつつ。(笑私の想像では、一般的な話しばかりできっと退屈するだろうなーって思ってたんだけど、それは180度違って、どの講義もとても感動的でした何を聞いていても亡き父の事を思い出すし、今闘病中の友人達の事を思い出すし。一日目は「泣いたらアカン!!!泣いたら目立つ!!(笑」と思って我慢できたんだけど、二日目は一時間目から号(┳◇┳)泣一回堰が切れるととまりませんでした(笑寝返りの実習しててもウルっとしてるのは私だけだった(笑まずは。一日目。一時間目は市役所に勤める聴覚障害のある女性が講師でした。ご自身も障害があるため、障害者の気持ちがとってもよく理解できるお役所の方ということで、「重度訪問介護の制度とサービス」について講義を進めてくれる中でも、お役所目線ではない講義でとても聞きやすく共感しやすく・・・・。聞いてると、「この人が福祉課にいる時に相談行きたかった」と心から思いましたね。お役所の方々とは結構バトルしましたから。わたし(笑その後、一時間目の講師の方と、脳性マヒの障害がある男性との対談という形で二時間目が始まりました。自分でボランティアを集め、独居生活を送る男性のお話しからは「自分にとって市町村の役所は一番身近であってほしいのに、 一番遠く感じる」など、痛感できる台詞が沢山飛び出し、涙を堪えるのに必死でした。30分の昼休みを経て3時間目。実際ヘルパーとしても働く男性のコミュニケーション術についての講義と、グループに分かれてのディスカッション。5時間目。看護師でもあり、ヘルパー業もこなし、看護学科で助教授をしてる女性の「医療」の面からの講義が2時間続きました。この時は「ALS」を題材に、ヘルパーの痰吸引の問題や、緊急の事態が起こった時の対処の仕方などなど。現実問題、避けて通れない怖い話なども聞いたり・・・でも、お話しを伺う限り、素敵な看護師さんで、これまた「父の入院の時にこんな人が居てくれたら良かったのに~」と寂しく思いました。現実、病棟のナースさん達は色んなお方がいらっしゃる訳で・・・(苦笑とにもかくにも、身も心も充実した一日でしたそして、父が亡くなって以来、始めてっていうほど、色んな事を思い出した日でもありましたね。「ウン゚.+:。(*-ω-)(-ω-*)゚.+:。ウン」「そうやねん°・(((p(≧□≦)q)))・°」って思う事ばかりでしたね。この日は帰ってすぐ、3枚のレポートを書かないといけなかったんだけど、殆どが父を介護してたときの事ばかりになり、レポートというより個人的日記のようになりましたとさ(笑二日目はまた後日。
2009年06月22日
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色々悩みましたが。週末、重度訪問介護の研修を受けてきます研修受けたからといって、何かに繋がるかどうかは分からないけれども。実り多いものになればいいなぁ~。今の私に一日机に座って勉強できるでしょうーーーーか????(笑こうやっていつもお世話を楽しんでた娘達にヘルパーの話をしたら羨ましがってました( ̄∇ ̄*)ゞ「またしたい!!!」んだそうです勿論、おじいちゃんの。だそうですが。(〃 ̄ω ̄〃ゞ
2009年06月18日
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前回、ここでぶつぶつと呟いた事だけど。父を亡くして半年。ずーーーーっと頭から消えないモロモロと、少しずつ向き合って暮らしてきて、段々少しずつだけど、ヘルパーとして父のような障害を持った人と生活できたらな・・。そんな事が「仕事」とできたらな。と思うようになった。私は裕福でもないし、ボランティア精神溢れる人間でもない。だから、あくまでも「お仕事」として。なのだ。これまた悩んだ事だけど、この「お仕事」私のような元家族がヘルパーとして例えば同病の患者さんの元に入った場合、「お仕事」と割り切れるだろうか。元患者家族ゆえに、感情が芽生えすぎて、「ウザイ」んぢゃ?とか(笑ウザイっていうよりも、大丈夫か?自分。って事も自信ナッシングでも色々悩みながらも、ただ迷ってても仕方ないので、その道のエキスパートで私がとても信頼を置いている人に相談してみた。実は滋賀県にも年に1度(2度あるのかも?)事業所主催の重度訪問介護のヘルパー要請研修を行っている。彼女はこの研修でも講師を務めたりする人で、実は去年父が亡くなる丁度その頃にもこの研修は催されていた。私もこの研修で資格をとって、父の夜間の介護に入ろうと思っていたし、父もそれをすごく楽しみにしていた。結局間に合わなかったけれども。・・・話はそれちゃったけど、彼女に「また研修の予定があるなら教えてほしい」と連絡をしたのね。そしたら「急なんだけど、情報が入ったから!」と詳細を教えてくれた。それが今月。なんだよねーーー(;´▽`A``しかも、予定あり。の日w( ̄△ ̄;)wおおっ!何故にこんな急に!!!!(笑これを逃せば次は年末か・・・??(ーΩー )ウゥーン迷う・・・。気持ちはある。すごくある。でも気持ちの整理が出来てるのかは自信がないそれに詳細を読めば読むほど、難しい事ばかりで私に勤まりそうもない気がする(笑でもでも迷ってる時間がない♪~( ̄ε ̄;) そうそう。これまた迷ってる時間がない。話。実は色々モロモロあって、今月頭から、とある病院で受付のパートをはじめてます。週1だけど(笑全くはじめての医療事務の世界。迷ってる時間がないくらい、忙しい!!!!何もかもが始めてで、プチパニックを通り越して完全なるパニック状態。仕事が終わる頃には脇汗でまくり(笑5歳は老けたな、絶対(笑
2009年06月10日
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父を亡くして半年が過ぎ、今でも実家に行くと、お仏壇の中で笑ってる写真を直視は出来ないけど、段々、現実として受け止められるようになってきたかな・・・いやいや、全然受け止められてないな。なーんて、揺れながらも日々元気に明るく過ごしています。父の晩年を思うとさ。やっぱり告知された頃・そして呼吸器を諦めた頃。この頃の事がやはり一番辛く思い出される。私の父は得体の知れない病と出会ってしまったし、綺麗事では言い表せない位、本当に大変な3年間だったけれど、でも父がALSを発病したおかげ?で、多くのものを得られたのも事実。病気を通して、私の娘達は「病・死」という人間が生きていたら誰もが通過する当たり前の現実を知り、受け止めて前を向く強さをもらった。今では二人共「大きくなったらお医者さんか看護婦さんになる!」と言ってるし、杏なんかは、アホでは看護婦さんになれない。と勉強も頑張るようになった(笑私には、父のおかげで、大事な大事な友達を与えてもらった。その友人達に私は何もできない。父の時に何もできなかったように、今もまた、大変な思いをして毎日を生きている友人達に何もできない。できるなら毎日順番に彼女や彼らの元へ通って暮らしたい。夜間は泊り込んで過ごしたい。絶対楽しいと思うから(笑父を亡くして半年。今までは同病の患者さんと出会う事なんて辛くて考えられなかった。でも、きっと私達が通ってきた同じ道で悩んで苦労してる患者さんや家族が沢山居る。同じ道を通ってきた人間として、介助に関わらせてもらえたらうれしいな・・・と少しずつ思うようになってきた。父は亡くなる数日前、私が重度障害者のヘルパー資格をとろうかなと思ってると話したとき、嬉しそうだったし、楽しみにもしていた。だから。そういったお仕事を出来たらな・・・とほんのり思い始めている。・・・ほんのり。ね。
2009年06月04日
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最近、少しずつお部屋のリフォームに勤しんでます。と、いっても貧乏暮らし。高価なものは買えましぇん百均をウロウロ。雑貨屋さんのバーゲンをウロウロ。ウロウロしても結局買わずに帰って来るほうが多いし(苦笑でもでもココ最近一番のお気に入りは 納屋アンド蔵 (笑)主人の実家に同居の身なのは皆さんご存知でしょう。ココは結構な田舎でして、主人の実家は旧家でござい。田舎ならではの敷地の中に、納屋?小屋?が二つ。蔵が一つござい。(笑最近、この納屋を物色してると、ちょーーーー可愛いものを次々と発見したのでご紹介します( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ私にとってはお宝なのです。義両親にとっては「・・・そんなもんどーーすんねん?」な物品ですが(笑今日は。こちら。正真正銘。これぞアンティーーーーク!!!!明治時代からの鍵の束を発見しました((((o゜▽゜)o))) 麻ひもで束ねられて放置されてましたーーー!このままでも可愛いんだけど、私は選りすぐり達をこうやって飾ってます(〃 ̄ω ̄〃ゞ エヘヘ どぉう??飾りすぎ???(笑 これは百均でみつけたコルクボード。普通のワイヤーをフックにして突き刺しただけ(笑普通にアンティークキーとして購入したら結構なお値段になりそうな鍵がわんさか出てきて興奮したわーー(笑形も錆びも本物のアンティーク!(笑私はアンティークな鍵の形が大好き。これ↓は雑貨屋さんでみつけて、ほしくてほしくて(笑バーゲンで値下げになった時にゲットしましたー 20センチ位ある、でかいキーーー(笑・・・次回は又違うアンティークものをご紹介します(笑これも、明治時代から受け継がれ、放置されてたものです(笑
2009年05月28日
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休校2日目。 小学生の娘は宿題が鬼のように出され、 自主勉強もあるので、ある程度忙しく過ごしてます。 朝から百ます計算をし、10分休憩。 国語(漢字学習)をし、10分休憩。 算数をし、30分休憩。 社会をし、お昼休み(笑 という具合に、学校と殆ど変わりなく時間をすごしてます(笑 抜き打ちの家庭訪問もあるので 外出もできませんしね・・・(A;´・ω・)フキフキ それとは反対に、幼稚園児の次女・佑は 元気そのものの体をもてあましています(^▽^;) 突然踊りだしたり、歌いだしたり さっきは鉛筆を持ってずーーーっと指揮者になりきってたし 佑はお勉強が大好きな子。 漢字や算数がやりたくて仕方ない子。 だから入学前の「問題集」が愛読書(笑 突然踊ったり転げまわったりする合間に 「引き算」や「足し算」「漢字」のお勉強をなさってます(笑 本当に、こういった休校措置が必要なのかどうかは置いておいて、 健康体そのものの園児を家に閉じ込めておくのは 至難の業ですよ~~~~il||lil||liΣ(´Д`ハァ)il||lil||li (。-ω-。)----------キリトリ線----------(。-ω-。) さて。 以前にも書いたように、ただ今就職活動真っ最中な私。 毎日パート募集の広告やネット求人を悶々と眺めてます(^▽^;) 先日は、とある整形外科に面接に行って来ました。 勿論、落ちましたが(笑 夜診に入れる人を希望しておられたので、 夜は週1くらいしか入れないと伝えた段階で、アウトでした(^▽^;) でもね。 専業主婦してかれこれ10年のブランクは大きい。 履歴書書く段階から緊張で胃が痛い(笑 面接時間が近づいてくるだけで、何回トイレ行ったか(笑 面接場所にはメッチャ早く着いてしまって、 病院の近所ウロウロして時間潰したり、 緊張の吐き気と闘ったりして(笑) 無事に面接が終わった時には、もうグッタリでしたわ 不合格だったものの、一度面接に出向く事で結構根性がついた気がします。 落ちても怖くないってね(笑 ・・・と、言うわけで今後も職探しの旅は続きます。 早く仕事決めないと、電気止められるので(笑
2009年05月22日
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とうとう滋賀でもお一人発病。 23歳大学生。 神戸に数泊した後、帰ってきて発熱。 発熱しながら通学してたそうな・・・ヾ(・ε・。)ォィォィ 一人確定しただけだけど、 大津市・草津市・守山市・栗東市・野洲・湖南市の 中小幼は、一週間休校。 県立高校に至っては県内全校。らしい・・・ もおおおおおおおおお (~-~;)ヾ(-_-;) オイオイ... いづれ滋賀にも入ってくるのは分かってたけど、 たった一人出ただけで一週間の休校はないと思ってた。 普通のインフルエンザの時のように 学年単位とか、せめて一つの学校で患者が出たら その学校だけ。とか・・・かなって思ってたからショック・・・。 県内の体育館や施設も閉めるそうで クラブ活動も試合もボツ。 杏が頑張って練習に励んでたダンスチームが出る予定だった お祭も中止・・・。 練習時間や衣裳・・・。 ボツっすよ。。ヾ(- -;) 来週初めに予定してた佑の遠足も延期・・・。 学校の総会も延期・・・ハァ(*´・Д・`)=3 分かってる。 誰が悪いわけでもないさ。 でもでもさー。 熱が出たら、せめて街中に出ず病院へ行ってほしいーーーー 頼むぜぇ~・・・ハァ(*´・Д・`)=3宿題が山のように出され、 学校の先生は休校の間、個人宅を家庭訪問するらしい。 幼稚園の先生は休園が決まった今日の夕方早速家庭訪問された 私はアメリカで患者がでた時に マスク・消毒・手洗い薬・うがい薬などは 買いだめしてある。 (意味があるかどうかは分からないけどね) でも何にも用意してない人はプチパニック状態。 我が家はそれよりも食料の買いだめはしてないから 一週間の食材が困る~・・・。 1週間暇すぎる子供は可哀想だよ~~~(。>0<。)親にとっても同じだけどねーー♪~( ̄ε ̄;)
2009年05月20日
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母の日でしたねーーー。我が家は田植えで一日終わりましたが(笑母の日というと、小さい子供にとって一大イベント(笑数週間前から「ママ~欲しいものなに?」「ママ~何色がすき?」「ママ~なんか食べたい?」と、みえみえ(笑)の質問攻撃が永遠に続きます特に、誰に対しても 何かをしてあげる のが大好きな長女杏はこういうイベント時には燃える(笑正直、ウザイ・・・って位燃える(笑私の誕生日には一緒に買い物に行き、私が手にするものを次々と「え??それほしいの?」と聞いてくる(笑正直・・・・・ウザっ(笑いやいや。可愛いんですー(〃 ̄ω ̄〃ゞ エヘヘ5年生になっても純粋な心を忘れない杏は可愛い奴なんですよ。でも、純粋がゆえ、加減ってものも知らない(笑もう、まっしぐら。「ママーーーー」とまっしぐら。なんでござい(笑んで。数日前にあまりに質問攻撃が続くので「でも杏ちゃん。 母の日は田植えがあるから、朝から忙しいしさ。 きっとクタクタになってるやろーから、ご飯作ってもらったり そんな時間ないよ。 ママは、お金出して何か買ってくれたりもうれしいけど、 手紙とか絵とかでも嬉しいよ。」と伝えました。だって「ご飯作ってあげたい」となると、絶対にぜったいに佑と揉めるもん。台所でどっちが主導権を握るかで喧嘩になるし(^^;;結局、私が忙しい(笑で、杏なりにいっぱい考えてくれた母の日プレゼントは「花束」でした。杏のパパ(主人)がお花屋さんなので。パパが作ってくれたんだけどね。こんなのもらいました!可愛いでしょーーー???うふ♪(* ̄ー ̄)vで、先ほど母の日に忙殺された主人が帰ってきて、こんなものを渡してくれました。これでも5年生(爆成績はある程度いいんですよ。これでもね中を開けると・・・私から密かに(笑)リサーチした情報を元に杏なりの花束の設計図が(^^;;パパのベットに隠しておいてあったらしいです。注文書として(笑本来なら感動なのに、誤字脱字に呆然・・・♪~( ̄ε ̄;) いえいえ。母は嬉しかったですありがとう!!!勿論、次女佑は負けじと頑張ってプレゼントくれました!その報告は後日・・・( ´艸`)ムププ♪
2009年05月10日
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世間はゴールデンウイーク。でも我が家は全く予定なし。そんな予定なしっぷりが丸分かりなように、佑は毎日近所のお寺で逆上がりを練習し、制覇!!!!そして初めて自転車にまたがって3日でこれまた、玉なし自転車制覇しましたーーーー後ろを持って走りまくった母も感激!!!今日は頑張るシリーズ、自転車の巻!!!MAV_0001bynatuko初めて出来た瞬間を皆に見てもらえてうれしい佑。昨日乗れたときも「早くブログで皆に報告してーーー」とおねだりしてました(笑佑が色々チャレンジしてる間、姉である杏は一輪車の「空中のり」にチャレンジ中。「空中乗り」ってメッチャ格好良く聞こえるでしょ?ただ単に、「何にもつかまらずに一輪車に乗る」って事です(笑こちらも殆ど制覇しましたーーーo(●^∀^●)o後日、面白ビデオをアップします(笑今日はこれから地元のお祭。5年生になった杏は今年から本格的なお神輿を担いで練り歩きます。がんばれーーーー
2009年05月05日
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全く眠れず4時に書いたブログが消えちゃった(笑もーーーーーーーーーーーΣ(・c_・lll) なんだか全く眠れないって日が時々ある。これって更年期な訳かい?(≡д≡) こうなったら寝ないほうがマシだ(笑次女佑ちゃん。5歳。彼女はここ半年位の間、気が向けば・だけど「さかあがり」の練習に励んできた。30回くらいやると一回成功する。ってパターンでながーーーーい停滞期と闘ってた佑(笑頑張り豆が3回位ズル剥けした今日、やっと「かんぺき!!」にできるようになりました母は嬉しかったぞーーーーo(●^∀^●)o去年、やっと・やっと・やーーーーーーっと長女杏(当時4年生)ができるようになった時も、ウルウルしたけどね(笑 MAV_0000bynatukoがんばった証拠の頑張り豆!!!!
2009年05月01日
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今日は父の65回目の誕生日。 そして5回目の月命日です。 父の誕生日だから。という訳ではありません(笑 幼稚園の先生が家庭訪問で訪ねてくれるので 庭に咲いてた花やハーブを玄関とリビングに飾りました。 父への「おめでとう」は昨日仏壇に向かって伝えたし、 少しだけ遺骨を自宅に持って帰らせてもらってるので 遺骨の瓶を拭きながら。今朝も伝えました。 もうすぐ先生が来られます。 もう一回だけ掃除機しよーっと(^▽^;)
2009年04月20日
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桜の季節も過ぎ、 午前中は「花より男子」の再放送 夕方は「イケメンパラダイス」の再放送でイケメンに見とれて 春休みをエンジョイした我が姉妹たちも、 杏は5年生・佑は年長さん生活を満喫しております。 私も、幼稚園と小学校のダブル役員生活も無事に終わり、 今年度は何にも任される事なく、平穏無事に暮らせる予感 桜大好き人間の私ですが、 今年の桜はとっても寂しいものでした。 父が大好きだった桜。後もう少し生きていてくれたら 一緒にお花見できたのに。 去年が最後の花見になるなんて、あの時は思わなかったなー・・・ などなど、桜を目にする度に色々思う事があり、 満足に眺める事はできませんでした。 それは子供たちも同様で、「おじいちゃんとお花見したかった」 と言うだけで、お花見したいって言わなかったのは 子供なりの寂しさがあったんだと思ったり。 でももう桜も散っちゃって、新しい緑がモリモリ出てきてる! それに伴い、私も最近は細々とお家を改造中 フレンチカントリーな部屋を目指し、 「安く可愛く」をモットーに雑貨屋さんをウロウロ。 百均をウロウロ 消しゴムハンコを習ってみたりもしたよ 「おくりびと」を観て号泣したりもしたよ(苦笑 そう。書きたい事やネタは沢山溜まってるんだけど 中々ブログに向かえなかったのー(^▽^;) って言い訳?(笑 少しずつ増えてきたお気に入りの雑貨もまたアップしていきたいと おもいまーす(〃 ̄ω ̄〃ゞ エヘヘ 今年度はまずバイト探し。 そして美女会メンバーとの再会。 仙台メンバーともガッツリ抱き合いたいし(笑 なんなら、日本縦断するらしいJJを捕まえて琵琶湖をみせてあげたいし(笑 たまりにたまったやりたい事が沢山ありまっす Fight!!(o^-^)尸~''☆ミ☆ミ
2009年04月15日
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2月27日。時間でいうと、今日。今日は杏(長女)の10歳のお誕生日。そして父の百箇日法要。百箇日かぁ~・・・。もう100日かぁ~・・・。とぼんやり切ない気持ちを抱えつつ、今日は杏の4年生最後の参観のため学校へ。4年生のいう学年は「10歳」という節目の学年で。参観では、一年間の成果の発表を、「二分の一成人式」というパーティー形式で祝うというもので、杏も「絶対絶対見に来てや!!!!」と気合入りまくり(笑・・。教室に入り、2分の1成人式が始まり・・・。「あ~・・・父にも見せてあげたい位、嬉しそうな顔してるな~」「あ~・・・大好きな孫と10年しか一緒に居られなかったんだな~」など感慨深い気持ちで参観してた私に、隣に居たママさんが突然「お父さん、いつ亡くならはったの?」って聞いてきたヾ(;´▽`A``突然の父の話題にはまだ弱い私(笑「去年の11月に」って答えた側から、ウルっやばいやばいっ!!!!(||゚Д゚)ヒィィィ(゚Д゚||)参観で泣き出す訳にはいかぬ!!(-o-;会話を切り上げようとした時、ママさんは「頑張ったね」と言った・・・。・・・!Σ( ̄□ ̄汗…)あかんって!泣いてしまうやんけ~~~~il||li(A´・ω・)もう、必死でウルウル目を元に戻したものの、一端ウルウルモードに入った私は、その後のどんな発表を見ても、号泣寸前(笑「2分の1成人式を記念して、 子供からお母さんへのお手紙があります」って渡された時には、それこそ号泣寸前!!!!4年生の今のクラスは、クラスメートや担任に恵まれ、本当に楽しく過ごせた一年でした。4年生から始まったクラブ活動ではブラスバンドに入り、トランペットも吹けるようになった。父はトランペットの音色が大好きで、杏にもよく「中学生位になったら夜空のトランペットっていう曲を おじいちゃんに聞かせてや」って話ししてたっけ。ブラスバンドは活動が活発で、先日は地元のNHKでテレビ生放送にも出演したりした。日々の些細な悩みはあったものの、杏の学校生活は笑顔でいっぱいな一年でした!今日の参観もプログラムがしっかりしていてとても楽しかったし、女子も男子も仲がよく、皆とってもいい笑顔で発表したり歌ったり。みーんな活発そうな子だけれど、素直そうな子ばかりで。珍しい位、仲良しクラスだという事が伝わってくる参観で。とっても「じ~~~ん・・・」とした一時間でした(●^▽^●)百箇日法要では少しだけ。ほんの少しだけでも穏かにお祈りができそうな気がしています。そして夜の杏の誕生日パーティーでは誕生石を使ったネックレスをプレゼントする予定で用意してます!!絶対喜ぶはず~~(〃 ̄ω ̄〃ゞ エヘヘ
2009年02月26日
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さっきふっと目覚めた。 外は嵐のような風と雨。 目覚めた時間は3時を回っていた。 そう。 丁度3ヶ月前の今頃… 父が逝こうとしてる時間だった。 目が醒めてしまったら眠れる筈もなく。 あの日の出来事や感情が時系列に鮮明に蘇り目はどんどんクッキリと冴えて行く(笑) 眠ることは諦めて、ベットの中で携帯からブログを書き出した瞬間、 これまた不思議な事に嵐のような雨も風もピタリと止んだ。 3ヶ月前の数時間前。 私は明日父の病室へ持って行くべく 発病してから行きまくった、花見や紅葉・公園や散歩・初詣や旅行… 撮り貯めてあるビデオをDVDに編集してたっけ。 明日はパソコンを病室に持って行くつもりをしていたので 夜中眠れない父が気晴らしに見れるように…と準備していたのだ。 石原裕次郎やクラッシックジャズのCDも借りて行こう~とか あれもこれも。と考え鞄に準備をしたりして。 明日病院に着いたら父の目をみて聞きたかった。 どうしたい?って。 これでいいの?って。 んな事聞かれても困るのにね(笑) 亡くなる前夜から飲み会へ出かけた主人を夜2時前に迎えに出かけた。 その時、病院へ行きたい。ってハッキリ思った。 自宅に主人を送り届けてすぐに病院へ向かえば良かった。 あんなに強く『今行きたい』って思ったのに何故行かなかったのか。 行っておけば、一人で逝かせる事はなかったのに… 亡くなる二日前。 私が病室で一人父の胸を押して呼吸を促してた時に、父の心臓は一瞬止まった。 全身から汗が吹き出し、目を開いて私を見た父の苦しい顔。 その後すぐに呼吸が浅く浅くなり、穏やかに眠ってるようになり、意識が朦朧としだした父。 あの時逝けていたら、父はせめて一人じゃなかったのに。 いっぱいいっぱいいっぱいいっぱい いっーぱい、色んな事を思い出す。 楽しかった日も、辛かった日も、悔しい思いも。 でもそれでいいと思う。 だって今日は記念日だから(笑) どっぷり浸って泣いていても良い日なのだから(笑) どうせ朝がきたら慌ただしい一日が始まるのだから。
2009年02月20日
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んじゃ。とやってみた(笑オモローーー(*≧▽≦)σゥケル-!自分の説明書メーカーわたし。 (笑)カッチカチ・・・(爆そして面白かったのが杏。 まさに!!!(笑探究心いっぱいすぎてすぐ迷子になる(笑余計な一言が多すぎて私に殴られる(笑でも何よりビンゴだった亡き父。爆笑ー! 全てにおいてビンゴ!!!(爆天国で絶対爆笑してるに違いない(笑
2009年01月18日
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とっくに明けてますが(笑)今年もよろしくお願いします無性に寂しいお正月を終え、子供の新学期もはじまり日常が戻ってきました昨年父を亡くした私はものすごく支えになってもらった人二人を亡くしていました。それも私は最近まで全く知らなかった…なんという2008年…一人は、父の病を知った直後からメールで沢山アドバイスをもらったり世間話をしたりして交流してた、父と同世代の父と同病のオジ様…ダンディで優しいオジ様に一度お会いしたかった…メールの返信がなくなり、心配で何回かメールしてたのですが。9月に亡くなられてたのだと知り、愕然としました。そして、同じ滋賀に住む、一緒に協会で役員をされてた方のお母様。娘さんが介護をされて、長年呼吸器をつけ療養生活を送られたお母様は本当にお幸せだったと思います…父が亡くなった朝と、お通夜で私を慰めてくれた彼女なのに、それから一ヵ月後のクリスマスイブにお母様も逝かれたなんて…私は今朝まで知らずにいました。みんなみんな天国で出会って宴会でもしてるのでしょうか。覗き見してみたいです。大切な人が逝ってしまった2008年…寂しく虚しく悔しい2008年でした。年が変わっても、気持ちはあの日から抜け出せず、『退院したら泊まりで夜間介護行くって言ったら、笑ってたのに。なんで居ないのよ』とか『また明日って言ってたのに。なんで居~ひんねん』とか。おんなじトコをグルグルしてる訳で。普通に日常を送っていても、虚無感は驚く程突然に場所を選ぶ事なく襲ってくる(苦笑)でも。それでも時間は勝手に流れるし(笑)私の丑年になり(笑)明日で私は36歳(笑)アラフォー女は強いのだ。今は頭痛と胃痛でグロッキーな私だけどね。アラフォー年女!今年は社会復帰します!(したいです!仕事くれ!(笑))
2009年01月10日
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忘れる事のない2008年という年も残るところ後1時間と少し。クリスマスや年越しを過ごすとき、居て当たり前だった人がこの世に居ない事が信じられないような気持ちでいっぱいです。佑は最近おじいちゃんの戒名を覚えた事がうれしくてずっと長い戒名を口ずさんでます(笑そして戒名が書いてある紙をみて漢字も写し書いてみたりして遊んでいます(笑何度も何度も戒名を呼ばれ、天国に上ろうとしてるおじいちゃんも、ずっこけている事でしょう(笑残された家族が悲しみすぎていると心配して天国にいけないよ・・・とよく言われます。いっそ天国など行かず、お化けになって周りをウロウロしてくれたらいいのに。と思ってしまいます(^^;;あと少しで新しい年。今年はココには書ききれない位、思い悩んだ一年でした。来年はどんなかなー。がんばろ。隣で杏は、笑ってはいけない新聞社をみて爆笑しています(笑よい年越しです( ̄∇ ̄*)みなさま、素敵な新年を( )')chu♪
2008年12月31日
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めりくり サンタにもらったジャッキーと歌う佑でした(笑 おじいちゃんにむけて歌ってるそうです(笑 ごめんなさい。 時期が過ぎたので、消去しました(^^;;
2008年12月25日
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御通夜を終えた夜。母や弟は葬儀場に泊まるため、私と子供達は実家へ泊まりました。父がずっと使っていた一階の和室に子供の分の布団を敷いて、私は父が使っていたベットに横になりました。真っ暗な部屋の中。暗さに目が慣れてくると、天井の模様もよくみえる。近くを走る国道ではずっと車の走る音がしていて、時々思い出したように隣のリビングで寝てるダックスがソファーから飛び降り水を飲みに行く音が響く。新聞配達のバイクの音や、早朝出勤に出かける近所の人の音など案外色んな音で溢れている父の部屋。暗闇の中で朝が来るまで身動き一つできずにいた父の気持ちが少しでも感じられたら・・・と思って父のベットに横になったんだけど、眠る事はできず・・・。父も眠る事は出来なかっただろうと思いながら起きていたんだけど、暗闇でもそれなりに賑やかな夜を過ごしてたんだなーと思えて何だか少しだけ、ホッとしたりもしました。亡くなってから御通夜まで日が少し開いたので、父とは長く一緒にいられたし、その間にこんなのも作りました。父は写真を撮るのが好きで、歩きにくくなってからも自分で現像しに出かけたり、写真整理もしてました。だから沢山沢山闘病中の写真があるんです。その中から抜粋したものを、葬儀会場入り口に飾りました。リハビリを頑張る姿障害者手帳をもらい、障害者用プールへ通ってた頃。水着に着替える事も必死な状態なのに、一生懸命だった。杏ともここのプールで泳いだりしてました。歌が大好きだった父の最期のカラオケ。自分のロレツの回らなさに爆笑する父。佑との公園デビュー。頭の絆創膏は足に症状が出ていて転倒し縫った直後だから。この時父はベンチに横になり、自分一人では起きられなかった。起きられない自分に笑ってる写真。治験で大阪の病院に入院してた頃。 足に症状が出始めた頃行った家族旅行と登山の写真。りゅうちゃんやオルちゃん達が来てくれた時の写真。父のお棺には、いつも着ていたコートや杏が初めて手編みした真っ赤なマフラー、孫達からの手紙。絵を描く事が趣味だった父が使えるように画用紙や色紙と色鉛筆。病気が分かっても吸っていた煙草。いっつも片手にしてたワンカップ酒。そんなものを一緒に入れました。ワンカップを買いにスーパーへ行った時は、お棺の中に入れるものを買うだなんて辛すぎて、酒コーナーの前でグズグズしてたら、隣のオジサンに「そんなに悩んでまで酒が好きなのか」って顔して見られました(笑私達が病室へ着いた時、父の状態を表す機械はすでに死を意味してたのに、杏が来た事を叫ぶと、少しだけ状態が戻ってきた父です。初孫だった天然娘を愛してた父と、そんなおじいちゃんが大好きだった杏。お棺の上に供える花束は、杏が一人で捧げました。骨あげの時も杏は怖がらずちゃんと拾ってました。案外強い子みたいです。でも、おじいちゃんが亡くなってから、私にくれる手紙には絶対に「長生きしてね」と書いてます。・・・やっぱり大事な人が逝ってしまうことって怖いんだよね・・・。私も怖いです。大事な同病仲間には絶対絶対ずっと生きてほしい。父の仏前に、どんなに好物を並べても、どんなに御参りしても、満たされない大きく欠落した気持ちがあります。発病当時から食べられなくなった父。仏前に並ぶ好物をもう何年食べてこなかったんだろう。生きてる間に食べてほしかった。と、どうしても心のどこかで思ってしまう。死んじゃったら、もう何もしてあげられない。って。最近では知らない間に泣いてるなんて事は減ったけど、その代わりに何もかも嘘に思えて仕方ありません。今でも病院に入院してるような気がしてしまいます。一刻も早く治療法がみつかりますように・・・。
2008年12月05日
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父が逝ってしまう前日。19日水曜日の夕方。パソコンの呼び出し音でナースコールを鳴らせるようにパソコンを自宅から持ってきてほしい。と父は話していました。私が重度訪問介護のヘルパー資格を取ろうと考えてる事を小耳に挟んでたようで、「なつあんはヘルパーの講習受けるのか?」と聞いてました。「講習受けて、退院したら夜間ヘルパーとして入ったげるから!」と答えると、「お母さんが限界やから頼むわ」と返事が返ってきました。「カーテン閉めて」と言われ、「レースだけ?分厚いのも閉める?」と聞くと笑ってました。帰り際には「ありがとう。きをつけて。また来てや」と言ってました。19日深夜、主人は飲み会で、1時頃駅まで迎えにいきました。その道中、月が本当に綺麗でした。私が住む所は山に囲まれてて、田舎な為、夜は真っ暗です。月灯で、真っ暗な世界が明るく見渡せるほど、綺麗な月でした。父の部屋のカーテンを閉めて帰ってきたことを後悔しました。今から病院行ってカーテン開けてあげたら、月が見えるかな。と考えていました。次の日パソコンを持って行くなら。夜の間エンドレスでDVDをつけておけば、寂しくないだろうと思い闘病中、沢山記録していた父との散歩や旅行のビデオを夜中に何時間もかけてDVDにダビングしました。ダビングが終わって、1時間ほどウトウトした時に母から電話があり・・・。病院へ向かったのです。私はビデオをダビングしながら、まだかろうじて会話が出来た頃の父や歩けている父の姿を見ながら明日病院へ行ったら、「もっともっと生きてほしい」と伝えようと思いました。「頑張って退院しよう」「死んでもらったら困る」と伝えようと。呼吸器云々の話しではなく、ただただ、「生きていてほしい」それだけ伝えたかった。それを伝える事は無責任に思えて、ずっと口に出せずに居たから。私にそう言われる事が分かってたからこそ、そう言い出される前に逝ってしまったのかな。父はこの日19日、母に「もう終わりにしたい」と伝えたそうです。闘病中弱音を吐かなかった人です。ずっと病気とも制度とも世間とも闘ってた人です。お父さん、自分から終わりにしちゃったの?心穏かだったの?と聞きたいです。 写真は去年、胃ロウ増設手術の前に、孫たちと。
2008年11月27日
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いい顔してるでしょ?遺影に使った写真です。必死に踏ん張ったら立てる。そんな時期に映された写真です。信じられません。先週の火曜日にはまだ父は生きてました。丁度一週間前。家族揃ってお見舞いへ。その日父は、主人に遺言のように語りかけ、28日の母の誕生日のお花を注文しました。「わたしは財布持ってないから、お金は母からもらってね」と笑いを入れて会話をしました。そして杏と佑にも。「杏ちゃんも佑ちゃんも、大好きやで」と。今回の入院中、ずっと父のまなざしは柔らかく温かかったように思います。それは覚悟のようなものがあったんだと思います。孫へのメッセージを残した後、妹家族が帰宅した丁度その時間。病室には私と杏だけだったその時間。父が苦しみだしたんです。全身から滝のように汗を流して、目を見開いて・・・。看護師を呼んで吸引してもらっても、状態はよくならず。。。看護師が部屋から出た後も私はずっと一人で胸を押し続けてました。すると・・・。何回も呼吸をやめてしまうんです。体を叩いて「ちゃんと息しないと!!!」と叫ぶと思い出したように、弱く呼吸をしてくれるんだけど、またやめてしまう。このままだと私が一人で看取る事になるんじゃないかと怖くて怖くて・・・。結局数十分したのち、母が病室に入ってきて、二人でまた看護師を呼んで。かなり深い位置まで入れてもらって吸引をしてもらう事ができ父の意識も戻ってきました。ベットがびしょびしょになるほどの汗が出るくらいの状態だったのに、意識がハッキリしてくると途端に「時間が遅くなってしまったから、帰ってくれていい」と私達家族への気配りをしてくれていました。あのときの恐怖がずっと拭えません。結局父は水曜の夜中に急変し、木曜の早朝に息をひきとりました。急変した時、一人だったはず。あの状態が再現されたのか、眠ったままだったのか。。。私には分からないけれど。どうしてもそんな想像が頭から離れません。息をひきとった後に家に戻ってきた時の顔は笑ってるように本当に驚くほど、素敵な顔をしていました。「嘘やで~~~」と笑いながら目を開いてくれるかのように。子供達も全く怖がることなく、何度も何度も「温めてあげるー」って顔をなでまくるくらいに穏かで柔らかい笑顔のままでした。その顔がせめてもの救いです。うーん・・・。続きはまたこの次に・・・。
2008年11月25日
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今朝6時35分父は逝ってしまいました穏やかな顔をして何年ぶりかに布団をかぶり何年ぶりかに真っすぐ上をむいて何年ぶりかの眠りについています父がALSになってしまったことではじめたブログです皆さん沢山たくさんありがとう
2008年11月20日
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11月8日父が肺炎からくる呼吸苦のため緊急入院した。鼻から酸素を入れ続けているものの【苦しい】「苦しい」と繰り返す。胸を押しての呼吸介助を続けて、やっとウトウトできるくらい。とにかく 苦しい のだ。苦しいから体位も決まらない。向きを変え、頭の位置を直し、足の位置を直し、吸引をする。その2分後位にまた「向きかえて」との要望がある。殆どずっとその繰り返し・・・。体をマッサージし、胸を押し、右をむいても左をむいても、車椅子に座っても、苦しさから開放される事はないようだ・・・。医師は酸素を入れている数値が高いので血中二酸化炭素の数値を心配してる。二酸化炭素の数値は今現在で60だそうだ。だから、吸入してる酸素の数値をせめて「3~4」に。と言うんだけど、父は「7~8」でも苦しさを訴えるので、3~4なんてとてもじゃないけど、我慢できない・・・。今私達家族は退院できる日を願いながら、アバラの浮き出た体をさする事しかできない。
2008年11月16日
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幼稚園の運動会も無事終わり、私の靭帯も大分痛みがなくなりました!肺炎後の喘息はまだ残ってるものの、眠れないほどではなくなり大分復活の兆しです運動会は雨の為延期になり、水曜日というド平日に行われたものの、主人は半日休みを取って観に来てくれたし妹家族も観に来てくれて賑やかに過ごせましたー パンダと小鳥おにぎりさて。話しは変わって。わくさんから長~~~い間お借りしたままの折りたたみ文字盤。父に試してみたところ、もう少し一文字づつの枠のサイズが小さいほうがいいと言う事で。思案中。こんな感じで進んでいます。A4サイズの紙4枚に印刷してあります。この状態で使えそうなら、透明シートに印刷し、ラミネートしようと思っています。50音以外のスペースも作りました。「上・下・みぎ・左・口・テレビ・WC・寒・暑・ 吸引・座・寝・◎・×」と入れてあります。「こんな文字入れて~~~」と言ってもらったら簡単に作れますお作りして送りますよ~~~*:.。*(●´∀`)八(´∀`●)*。:*・'日曜の子供達と父の様子。子供達は医療用の手袋をはめさせてもらって「バチスタ手術です」と言いながらノリノリでマッサージしてました(笑すぐに飽きちゃうんだけどね(笑
2008年10月22日
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先週の土曜に決行される筈だった幼稚園の運動会。前日夜~当日早朝まで雨だった事は確か。でもどこの天気予報をみても7時すぎには晴れてくると書いてあったのも確か。が。6時半に「延期ですぅ~~」の電話がil||lil||liΣ(´Д`ハァ)il||lil||li そしてその後、一日中快晴(笑延期になった運動会は明日決行の予定です。っつーーーか。今日ずーーっと雨やんけΣ(T□T)グランド、ビショビショやんけ~~~でさ。幼稚園の運動会って、役員である親はかなり頑張って手伝わないといけないのよね。私も、準備や打ち合わせを何度も重ねてきて運動会予定日の前日には前日準備って奴を頑張ってきたの。園庭の遊具を運んだり園庭の石を拾ったり。ゴミを拾ったり。当日用のテントを出したり、椅子を並べたり。そして「これでヨシ」となったらすぐ片付けたり(笑園児が作った万国旗を園舎2階から園庭すみの大木にくくりつけてみたり。ながーーーーい万国旗を、あっちこっちと持って動いてたときのこと。ずっと肺炎の薬を飲んでる私は常に眩暈がしててねー。(言い訳(笑))「集めてきた万国旗、二階まで放ってくださいー」って言われて足を踏み込んだだけ。ただそれだけ。(笑踏み込んだ右足。あらぬ方向へ。グネッ!!!!!!Σ( ̄□ ̄汗…)その後、気のせい気のせい。とお仕事を続けたものの夜には痛みはピークへ。生まれたての小鹿状態(笑次の日、運動会延期の連絡と共に、すぐ整形外科へ。はい。靭帯、のびちゃってましたハァ(*´・Д・`)=3なんとドン臭い(笑痛い思いしてまで頑張ったのに、運動会は延期になっちゃうし。グネリ損だわーーー明日は痛い足を引きずって頑張ってきます(笑ハァ(*´・Д・`)=3無事に早く終わってほしいー!
2008年10月14日
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知らない間に。10万アクセス突破してました。誰が踏んでくれたのかもわかりませんが・・・こんな、サボりまくりのつまらないブログに足を運んでくれた皆様。ありがとうございましたーーーーボチボチだけど続けていけたらいいな~と思います(〃 ̄ω ̄〃ゞ エヘヘ今後ともよろしくです(m*´∀`)mペコリン♪さて。この2ヶ月ほど咳が止まらず殆ど眠れない日が続いて 先日病院へ行った私。 アレルギーからの気管支喘息。だと診断されたんだけども その薬も全く効かない夜11時~1時位は毎日毎日何度も吐くほど咳が止まらない。息をするのがやっと・・・Σ(T□T)んで。 再検査してもらいに、また病院へ。 結局レントゲンを撮ったら 肺炎 でした 両肺の下半分真っ白そりゃ治らないはずだよね~~~~(笑 熱もしんどさも全く無い。 ただ咳がずーーーーーーーーーーーーっと止まらないだけの肺炎(笑 強い薬を処方してもらって 咳も減ってきて昨夜は久し振りに安眠できました熱でも出てりゃ大人しく寝てるんだけど、 肺炎って言われても元気だし、薬のおかげで咳からも開放されつつ あるので、運動会の食材などを買出しに少し足を伸ばして でかけた今朝のこと。 買い物も終わり、食材いっぱいのカートを押してるときから 微妙~~にお腹が痛い・・・・Σ(T□T) でも、家まで車で25~30分。 大丈夫大丈夫!と甘く見てた私・・・・(苦笑 きつい薬を何種類も出してもらってるので、それに負けたのか お腹の痛みは最高潮に・・・ ヤバイ・・・これはもたない・・(笑 何度か「波」を乗り越え、紛らわし(笑) 沢山あったコンビニも通り過ぎてしまって、 さあ、後10分くらいで我が家と言うときからが もうピーーーーーク 冷や汗&シートベルトを握り締め、 何とかギリギリ。本当にギリギリ到着しましたーーーー(笑 この歳になって・・・とマジで焦ったわ(笑 SATC映画のシャーロットの気分(笑 明日は幼稚園の運動会予行演習。 役員は見学&お手伝い。 土曜が小学校。来週土曜が幼稚園。両方役員をしてると、本当に忙しいこの10月。(笑なんとか乗り切らないとね~~~
2008年10月01日
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・・・・。(笑大変ご無沙汰しておりまする(笑あ~~~~ダメですねーこんなにサボってばかりでは元気に暮らしてるんですよ幼稚園の送迎で人と会話する事が増えて引きこもり生活からやっと抜けられて(笑書きたい事やオモロイ事、ムカツク事(笑日々多々あるんですけどー・・。中々ブログに向かうとどう書いていいか分からなかったりしてズルズルと・・・(笑ってズルズル言い訳してます(笑9月頭から父は胃ロウ交換のレスパイト中。明後日退院です。この病院。新しい主治医の居る所。この病院の神経難病の病棟に入るのは初めて。ですがですが。全くといっていいほど、プロ意識「・・・」な看護師達の集団でして♪~( ̄ε ̄;) オムツ替えをしたら大概きちんと変えられてなくて漏れてるし。服はぐちゃぐちゃ。家族が来てるなら家族がやれ。と言わんばかりに全く何もしないし。胃ロウの用意も部屋に放って帰るし。文字盤読んでというと、大きくため息を付き、ビックリするくらい嫌々読むし。まあ、ビックリ集団です(笑でもね~~~。今までも高いプロ意識を求めるがあまり、今まで色んな病院で入院する度にクレームが多かった父。ここでも文句を言おうものなら、「じゃあ出て行ってください」「自分で他を探せ」と言われるのは分かってる。ただただ、我慢するしかないんですよねーーーΣ(T□T)まあ、これも自分が蒔いた種なんでしょうか(苦笑レスパイトを心待ちにしてた母までもが、「可哀想でみてられない」と、仕事終わりに毎日駆けつける程、行き届かない病院。何のためのレスパイトか・・??(爆それほどなのに、何も言えない我が家です呼び出し回数が多い・欲求が多いと受け入れてもらえなくなる。だから黙ってるしかない。そんな状態の難病患者さんってどれほど居るんだろうか。改善して欲しい。との要望はどこへも出せない。言うと我侭だといわれるだけ。家族も黙ってろと言われる世の中。やりやすい患者。穏かな患者。じゃないと、生きて行くことは至難の技。そんな世の中。頑固親父世代には生きづらい難病生活さて。愚痴はここまで(笑昨日は「敬老の日プレゼント!!!!」として子供達と父の全身マッサージをしてきました(笑足・腰・背中をタオルでゴシゴシ。汗が出るほど強くゴシゴシ。父にとってその時間だけが唯一からだの痛みや痒みから開放される癒しの時間。骨が浮き出た父の体の細さに驚く子供達(^^;;「おじいちゃんの足、ほっそ~~~!!!!」「ツルツルやん~~~!!!」「うらやまし~~~~!!!」とそりゃもうウルサイウルサイ(笑父も久し振りに爆笑してました(笑そして少しだけお散歩へ。3時間少ししてから帰り際に、父は文字盤で「みなさん、今日はありがとう。 また家のほうに遊びにきてね。ばいばい」と言ってましたo(●^∀^●)oそして、佑は病室出た直後からずっと号(┳◇┳)泣してました(笑「はやくげんきになってほしいーーーー」って。
2008年09月15日
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ぼやぼやしてる間に、明日から8月やんけ~~~~(≡д≡) ガーン・・・。って。別にぼやぼやして過ごしてた訳じゃござーせん(笑激動の。マジでげきどうの7月が終わろうとしてる今日、かけこみブログ更新です(笑いや~~~。7月は地獄だったわ(笑まんず、初っ端に幼稚園の祭&バザーがあったの。私は、今年度実行委員なため、おにぎりやウドンの販売員(笑バザーを円滑に行うために、会議や準備などをずっと重ねて、それなりに大変な思いを乗り越えて、当日を迎えるわけよ。そしたらさー。当日の定刻になっても、おにぎり配達されないのよ!!!!「配送ミスですから~」って店員さん言ってたくせにさ。なんのこっちゃない!発注してなかった!!!!のよ!3種類のおにぎりは前売りチケットにて全部で300個近く売れている。発注や確認で前日も当日の早朝も連絡をとってたにもかかわらず、発注してなーーーーい なんてありえへんっ!!!!売り子である我々は化粧も崩れまくり、トイレにも行けず、お昼も食べられずひたすらお客さんに頭を下げ、発注ミスを犯した店員さんがそこら辺で買い集めてきた多種多様なおにぎりを販売する羽目に・・・号(┳◇┳)泣この件については書いても書いても書き足りないのでかけないでいたの(笑実は何度もブログに書こうと打ち出したものの、途中で消しちゃってた(笑だってあまりにあり得ない出来事で、頭の中から消してしまいたかったの~~~~~(笑そして、夏休みに入り、杏&佑の習っているバレエ教室の発表会があったリハーサルやレッスンを毎日のように積み重ね、怒鳴られまくり、半泣きでレッスンしてきたおかげで、本番は幕が上がると同時に親の私は(T-T )( T-T)ウルウルでしたーー(笑初舞台の佑ちんも見事にやりとげたよーー父も介護タクシーで観に来てくれたし、本当感無量発表会が終わるまでは夏休みも始まった感じがしなかったんだけど、終わったら終わったで、次は杏が毎日ブラスバンドの練習で学校へこれまた我が家は夏休みって感じがしない毎日(笑おまけに、今日はつまらんことしてくれて、杏に雷落としまくったしねー・・・。親やめたくなって泣けてきたわ(苦笑しょーもない嘘をつくな。嘘をついてしまったら、そこにはもう嘘しか重ねられなくなるし、引き返せなくなる。そしてそのしょーーーもない嘘は人を傷つけ、最後には自分に戻ってくるんだ。成績が悪くたって運動神経が悪くたって、どんなに馬鹿だって怒ったことはない(苦笑でも嘘だけはダメだって言い聞かせてきてるのに、、、しかも、めっちゃツマラナイしょ~~もない嘘・・・(笑聞いてくれる?(笑ブラスの練習に宿題持ってって勉強してるんだけど、あきらかに友達に漢字教えてもらってるのよね(笑杏に分かるわけがないんだって(^^;;馬鹿なんだから(笑なのに、自分でやったって言い張るからさー。「じゃあ、【絵画】って書いてみろ!!」って言うと「海外」って書くのよーーーー「それは【かいがい】やろ。ちがうってば。 誰かに教えてもらったなら、そういえばいいやん。 で、自分で覚えられるよう練習ノートに書けばいいねん。 なんで嘘つくねん」ってどんなに言っても「自分で書いたもん~~~」「ほな書いてみろや!【絵画=かいが】って!!」っていうと、「海外」としか書けないのよーーーーーーーあーもう。何十回言ったら分かるんだ!!!嘘はバレルんだってばよ・・・・・・・・そんなこんなで、わたくし生きてます(笑8月は穏かに過ごしたい(笑あっ。そういえばもうすぐ佑たん5歳のお誕生日ーー
2008年07月31日
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みなさま。わたくしの存在、お忘れじゃないですか?(爆ご無沙汰しすぎてすみませんビックリするほど忙しい役員生活の中で元気に暮らしておりましたが、先週末より佑と共に軟禁生活に突入してましたーーーそうです。この時期大流行の「みずぼうそう」佑ちんもちゃっかり受け取ってしまったらしくて、先週金曜よりポツポツと赤いものが・・・...(((´ω`;)スススが。出てきた水泡は3・4個(爆熱も出ず、超~~~元気!!!!!(笑頭の中や口の中に水泡が出来て、大変だった。って話も良く聞くから軽かったことはラッキーなんだけど、全く普通に元気なのに、背中にできた水泡3個のせいで、どこへも出かけられず、ずーーーーっと軟禁生活を送るのは幼稚園児には、ある意味拷問・・・明日からやっとやっと母子共に社会復帰できそうなので、ほーーーーんとうれしいです(笑さて。ブログを書かない間にも色々ありました~~~(笑父のALSはストップしてくれる気配もなく、寝返りする力もほぼ奪ってしまっています・・・。殆ど一人で介護してる母も、通勤途中に車が突っこんできたらしく、危うくぶつかる!!!!ってトコで転倒!!Σ(T□T)車は何もなかったように逃げたんだけど、母は膝にヒビが入ってしまいまして・・・痛む膝を抱えて、仕事と介護・・・。レスパイトを依頼してもどこもダメ。ダメなんだからこれ以上どうしろって言うのよ。だそうだ。じゃあ、どうして生きていけっていうんだ!とぶつけようのない憤りばかり。なり。(苦笑「無理なものは無理なんだもの。 我侭いわないでよ。」なんだそうだ笑っちゃう。娘が二人側に居るといっても、小さな子供を抱えた妹は、フルで介護するわけにもいかない。私は私で、最近は本当にノータッチになってしまってる・・・。(説明すると長いのでしませんが(笑))あー親不孝。ね~。やっぱり久し振りに書き出すと、暗い話題が占領しちゃうー(^^;;もっと洒落た文才が欲しいぜ。チッ。とにもかくにも。生きていくのって大変だなーと痛感しつつ。生きてます。わたし(笑もっとちゃんと更新せねば!!!
2008年06月26日
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先日。ピーナッツさんから憧れの。念願の(笑)夢に見た(爆)クリスピークリームドーナツが我が家に!!!!!!えーーー!!!マジでぇぇ~~~~???????イエ━━━━━d(≧∀≦)b━━━━━イ!!!! 8秒 チン で、フワっとモチっとしたドーナツを頂きました~~~~~~(〃 ̄ω ̄〃ゞ エヘヘあ・あ・甘いっ!!!そして、う~~~~んおいちーーーー(笑ピーナッツ姐さん。本当にお気遣いありがとう幼稚園のお迎えでも早速自慢しちゃった~~( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ「今日のお昼はクリスピークリームドーナツなのよ~」って(笑羨ましがられましたとも!!!(〃 ̄ω ̄〃ゞ エヘヘさて。人生には誰でも一度は「モテ期」(モテモテの時期)があると思いますが。我が佑ちゃん(4歳)は早くもモテ期。を迎えてる様子(笑クラスの一番男前(マジで男前)とお手紙交換をしたり愛を育んでおります(笑幼稚園時代にモテ期を迎えてしまったら、後が怖いーー(笑大人になった時にモテ期を迎えるようがいいよねー(爆
2008年05月23日
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もう。本当に忙しい長らくご無沙汰してすみません・・・。幼稚園の「広報部」役員になって、すぐの仕事が、新学期の先生紹介号発行。この為お弁当持って幼稚園行ったり、バタバタと過ごしてたかと思うと、小学校の学級委員にも当たってしまったため、先日は学級委員や町委員が属する「部会」発表&会議でした。この「部」により、私の今後一年間が明るいものになるかそうでないか、が決まる(笑前日は下痢になるほど、心が重かったです(笑幸いにも活動も少なくて、メンバーも最高の部に配属?され一安心ですーーーー。もお本当に怖かった~~ヾ(;´▽`A``アセアセ幼稚園のほうは、第一号の発行は終わったものの来月の講習会の準備・運営。再来月はバザー。そして同じ再来月には学校の所属部主催の催しものがある・・・。とにもかくにも、今学期中はあっちこっちと忙しい日々ですでもでも。そんな中でもママ業も頑張ってますよーー(笑佑のお弁当です(笑 シナモン弁当(笑シュガーバーニーズ弁当(笑微妙だけど二つ共似てる(笑他にもリラックマなど。いわゆる「キャラ弁」というやつ。の、簡単バージョン(笑「明日はこれ~」「あさってはこれ~~~」と楽しみにしてる佑のために。そして佑に可愛いお弁当を作ると、姉(杏)が拗ねる(苦笑杏の遠足の日には杏の為にまた可愛いお弁当を作らねばならぬ。(ーΩー )ウゥーンこれって悪循環(爆そしてそんな日々の中、父が4日程肺炎で入院しました。もう退院しましたけど。。。その中で、色々思う事や考える事にぶつかりました。前進すべきか、立ち止まるべきか、後退すべきか。子供の頃から積み重ねられた軋轢が亀裂から噴出しコントロールの仕方が分かりません。幸いにも(?)忙しすぎて悩んでる暇は余り無い。というのが救いかしら(笑そして自分が混乱してるのか(笑)裁縫と同じ位嫌いなスイーツつくり。イチゴ大福を作りました(笑あ~何だか久し振りにブログを書いても、書きたい事や報告したい事が沢山ありすぎて。でも一つ一つの事をじっくり書くには時が過ぎてしまっていて(笑「報告書」のようになってしまう(≡д≡) もう少しマメに更新したいと思います
2008年05月09日
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佑の幼稚園生活が始まり、前回のブログに書いたように、役員を二つも受け持ってしまい忙しい毎日を過ごしてます。幼稚園の役員は「広報部」まず、幼稚園の先生達やPTA会長・各部を紹介する第一号の発行にむけて、子供を園に送っていき、お迎えの時間までそのまま幼稚園に残って仕事をする日々。気心の知れたメンバーなのであーだ。こーだ。と賑やかに楽しんでますo(*^▽^*)o学校の学級委員のほうは、まだ所属する部会が発表になってないのでGW明けまで緊張を引きずってます(笑 il||lil||liΣ(´Д`ハァ)il||lil||li 佑は入園後、吐き戻しの風邪。その後すぐに咳の風邪をもらったようで、姉妹そろって「肺炎になりかけてるっ!!!」と言われ暫く寝込んでました。これはちょっと大変でしたーーΣ(T□T)そんな中、杏のほうは4年生になりクラブ活動が始まり、料理クラブを希望したものの、じゃんけんに負け(笑ブラスバンド部に入部しました(笑我が校のブラバンは、先生がとっても熱心でスバラシイ先生で、クラブ活動も盛ん!今日は担当になったトランペットを持ち帰り、先ほどから耳障りな音を発しております(笑そして二人の母である私はそんな中、姉妹二人分のバレエ発表会衣装をチクチク製作。二人共土台だけは完成しました~~~(。>0<。)ビェェン 型紙と説明書を貰って作るんだけど、頑張ったでしょーーーー????わ・た・し(笑 これは「土台」であってここにまだ装飾をつけます。リボンやレース、スパンコールなどなど(^▽^;)杏の衣装を作ってる時は、ふと気付いたら表側のサテン地を挟み込んでしまってた部分があって、急遽シーチングから解いてやり直し・・・。ハァ(*´・Д・`)=3そして気付いたら朝!!!!完全に徹夜したのなんて何年ぶり~~~(笑丁度「HEROES」の一挙放送をやってたのでずーーーーーっと観ながらチクチク・ガタガタとやってました。(超面白かったよーー!!【24】に似たスピード感があってはまりました!)徹夜できるなんてまだまだ若いのね~~わたし(笑夏までは忙しい日々が続きそうーーー(。>0<。)夏休みにはご褒美として東京へ行きたーーーーーい!!!!!!!!待っててよーーーーみーんーなーーーー!!!(笑
2008年04月25日
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杏が幼稚園を卒園してから、 「引きこもり主婦」を満喫してた私(笑杏を学校に送り出したら、佑と二人でまったりな生活パジャマでノーメイクなまま夕方まで。って日もザラだったりして(笑引きこもり暦 約4年目で、佑が入園しました。そ・し・て。幼稚園実行委員 役員。 広報部副部長ーーーー(笑そ・し・て。杏の小学校 学級委員ーーー(爆ハァ(*´・Д・`)=3まさか引きこもりから太陽の下へ引きずりだされてすぐにダブルで役員になるとは思っても見ませんで・・・。かるーーーく落ちてます(笑まさか学級委員のクジを引いてしまうとは思ってもみませんでした・・。il||lil||liΣ(´Д`ハァ)il||lil||li 今年は宝くじでも買うか!!!(笑そのうえ・・・今朝は小雨の中こんなに元気に通園した佑ですが。お迎えに行き、家についた途端!!嘔吐しまくりーーーー工エエェェ(´д`)ェェエエ工ただ今38.5分・・・。急にあわただしく走り出した日常に、自分自身まだまだついていけてませんーーーヾ(;´▽`A``アセアセ
2008年04月18日
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本日。無事に入園式を迎えました。我が家の次女、佑普段は姉妹余り似てないなぁ~と思ってたんだけど、杏が着てた幼稚園の制服を着て、杏の年少時と同じクラスに座ってる佑をみてるとお姉ちゃん(杏)の入園時がまざまざと目に浮かぶように激似!!!!(爆ずっと仲良くしてた、たった一人の友達とクラスを離されてしまい、入園式が終わって解散するまでずーーーっとブルーだった佑(苦笑暫く慣れるまで時間がかかりそうです・・・。っていっても今月末頃までは、あっという間にお迎えなんだけどね(笑それにしても。佑の幼稚園のお便りや準備品が山のようにあるのに、杏も新学期のお便りや準備品が山のようにある!!!どっちがどのプリントなのか。。。もうぐちゃぐちゃになったりしてるや・やばい・・・il||lil||liΣ(´Д`ハァ)il||lil||li 一度、学級委員の選出会議をブッチしちゃった経験のある私(笑2度とそんなヘマをしないように、ちゃんと書き込んでおかないとヤバイなー。。二人分のバレエの衣装も中途半端でストップしてるし、入園後・新学年後の準備品もある・・・。ハァ(*´・Д・`)=3 考えるだけでめんどくさーーーーー
2008年04月09日
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昨日はアイの実家へ里帰り散歩に行ってきました去年の五月に我が家にやってきて以来、一度も里帰りをさせてなかったアイ。歩いていける距離に実家があるんだからもっとマメにつれてってやらないとダメだねーー@(;・ェ・)@/反省…アイは、お母さん犬より姉妹犬より一回りデカかった(笑元からデカかったんだけどね(笑ママ犬ロンに似てる(笑姉妹犬アイより一回り小さく大人しい美女。ママの毛色が少し混じった色をしてるアイは殆どパパ犬の茶色の毛色だし、サイズもパパ似だし一緒に並ぶと一番貫禄があったよー(笑一緒の所を写真に撮ろうとしたんだけど、動きが激しすぎて(^▽^;)それに、他のワンちゃんばっかり撮ってたからアイを撮るのは忘れてました(笑アイを実家へ里帰りさせた後、実家の両親と妹家族と共に我が家の近所へ花見にいきました満開の沢山の桜に囲まれて、気持ち良かった~~~!一昨年は父は歩いてて、一緒に花見に出かけた。近所の桜が咲き乱れる土手や山の中にあるお寺など。歩いてどんどんお花見が出来た。去年は佑だったか杏だったかが桜の季節に風邪をひき、父とはお花見に行けなかった。その時は「今年が最後の花見だったかもしれないのに」と心残りだった(笑でも今年も行けた(笑父の病状は進行してしまったけれどもね・・・。園内に居たのは一時間もないだろうし、車椅子のヘッドの位置が悪いと不機嫌だったし、「自分一人ココに置いて、皆で遊んで来い」などと言い出すオヤジだけれど(笑花粉にまみれたおかげで鼻はつまりまくり目ははれまくって、昨夜は殆ど眠れなくなったけれど(笑それでもやっぱり「桜」っていいねーーー
2008年04月07日
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後一週間で佑ちゃんも幼稚園生゚*。☆ヾ(´∀`)(´∀`)ノ☆。*゚喋りも態度も一人前な佑なので、心配する事もさほどありません(笑でもこの時期は何かと忙しいやってもやっても入園準備に追われてます(笑そして、夏にあるバレエの発表会の衣装作りもスタートしております再三ココで豪語してるとおり、私は裁縫大嫌い女(笑ほーーーーんと、この時期は憂鬱ーーーなのーーil||lil||liΣ(´Д`ハァ)il||lil||li しかも今年は佑も初舞台ちびっ子ならではの、プリプリの可愛い衣装で踊ります(苦笑そのぷりぷりの衣装も作らねばいけないΣ(T□T)杏の衣装は一着はレンタル。もう一着はロマンティックチュチュ。。。ロマンティックチュチュ。スカートの長いチュチュ。作った事、ありましぇ~~~~~んっ夜中1時まで夜鍋をして、やっと佑のシーチングだけ完成しました(笑先生のOKが出たら全部バラバラにしてサテン地と本縫いするんだから、こんなに時間かけて下地を作ってちゃいけないよねーー(苦笑ハァ(*´・Д・`)=3先が思いやられるーーーil||lil||liΣ(´Д`ハァ)il||lil||li でも。この年齢のシーチング姿って可愛いのよ(爆そして。入園を前にして、私と杏と佑。3人揃って友達の美容院を休日に開けてもらってカットしてもらってきましたー佑ちゃんは人生初めてのカット(笑でも、「絶対短くしないでーーー」って喚きまくったので先をそろえただけです(笑長すぎて、毛の先っぽはお尻にはさまるくらいだからね(笑それでも本人はご満悦ー↑これが。↓こうなった(笑
2008年04月01日
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ALSで寝返りも厳しくなってきた父からメールがあった。「スッポン足袋」って知ってる?私の子供のころの運動会は、これをはいて走っていた。和服を着たときに、はく足袋の底にゴムが塗られ、地道を歩けるようになっている。 今では、祭りでみこしを担ぐ人がはいているのを見かけます。どこかで、探して買ってきてー(*^。^*) 実は今、ベッドでズック靴をはいてます。これはシーツが滑りやすく、足の踏ん張りがきかず、寝返りがしんどいからです。 ところが、重いのと、無理をすると脱げてしまう欠点があり、スッポン足袋を思いつきました。よろしくお願いします。♪o(^o^)o。スッポン足袋?初耳(笑検索するもヒットしない。色々迷ってたら友人が「トビ職人の人が履くような足袋は?」と教えてくれた。それで検索するとこれにヒット買ってみた。父・履いてみた(笑快適~~!!とのことでしたーーー良かった良かったε=Σ( ̄ )ホッ今も夜はずっと一人で寝てるし、昼間も一人の時間が長い父にとって寝返りはとても重要!!この足袋を使うことで、足にふんばりが効き、寝返りも楽になってくれると嬉しい!上靴とは違って足首も固定されるので、(↑これは、りゅうちゃんが言ってた事。 なるほど!!と思った)それも相乗効果になってくれるといいな~~と期待してるんだけどもo(*^▽^*)oエヘヘ!
2008年03月23日
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