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若い時分、陶器と磁器の違いが判らず、陶磁器全部がセトモノと勘違いしていた私、後年、その違いが判り、焼き物一般呼称を畿内以東が瀬戸物、西日本は唐津物と知り赤っ恥です。そんな私が、旅先で買い求めた陶磁器は多く、今回は佐賀有田の深川製磁のご案内です。 江戸時代前期が発祥の九州肥前の焼き物、特に色鍋島は徳川将軍家や諸藩への献上品として作られ、柿右衛門は西欧に輸出され王侯貴族の食卓を美しく飾った高品質の和製ブランド品。有田焼には、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に朝鮮から陶工を連れ帰り、その内の一人が1616年に有田の泉山で白磁鉱を発見し、磁器の焼成に成功したのが初まりとの歴史がありました。その有田で百年近くの歴史が残る半端物『陶器市』が、4/29~5/5の日程で開催されます。硬さと白さが特徴の有田焼、あの柿右衛門・今右衛門・香蘭社・源右衛門、そして後段で紹介の深川製磁など約600店も参加、100万人の方々が訪れる国内最大級の大イベントになります。買い物のポイント、収納や手持ち食器を確認、良品の出揃う初日か叩き売り最終日かを決め、カートorリュックを持参、値切りは当たり前、傷・汚れ・サイズを検討し決断するのが決め手とか。 深川製磁との出合いは仙台時代、会社近くにショールーム兼営業所がありました。家内の偶然の発見で、以来、進物や自宅用に求め、有田の本店やチャイナ・オン・ザ・レイクも訪ねました。廃止になった宮内庁御用達用語(庁の指導もあって軽々には使えない文字)、今でも品質の高い製品を作り続けて、明治・大正・昭和・平成と四時代の皇室や宮家に納められているそうです。深川製磁の設立者は、以外にも香蘭社八代目社長の次男(深川忠次氏)で、自らの芸術理念と工芸思想のために香蘭社から独立、西洋デザインを取り入れた深川様式を確立し、業界に新風を吹き込みました。論より証拠、備前皿山深川製銘の陶磁器を1894年から生産し、1900年のパリ博(最高のメダーユドール賞)や次のセントルイス博(金賞)で評価され、明治期の日本陶磁器の名を世界に広めた立役者になっています。でも今の経営は厳しいようです。 有田郊外の工場周辺には、焼き物の公園チャイナ(磁器の意)・オン・ザ・レイクがあります。深川家伝来のコレクションを一堂に展示する忠次館、規格外品を格安で販売するアウトレット瓷器倉(じきくら)、オリジナルの器で供されるレストラン究林登(くりんと)、そして忠次妻の敏子メモリアルカーデンのラベンダーと多彩です。忠次館は丘の上にあり、外壁を14万枚も焼き上げたレンガ積み上げの建物で、代表商品が並ぶショップコーナー、くつろぎの2階カフェも楽しめます。 本店で求めた飯碗達、お気に入りは左二番目の花鳥外濃竹型ですが2割も値上がりです。私が25年来も継続の夜の後片付け、酔っ払って破損させ求めに走った飯碗もありました。でも我家の食事、1週間でパン食が12食、ご飯は5~6食ですから出番が足りません。深川製磁の特徴は、1350℃の高温焼成で白磁を極め釉薬の仕上げに卓越していることです。余話。磁器が陶器と比べ割れにくいのは、原料の違い(石粉と土)と焼成温度の違い、だから茨城県益子で求めたブランド陶器?は、欠け易く最近はめったに使用することが無くなりました。 食事での器は料理に合った器が一番、楽しく美味しくなる秘訣です。それに旅の思い出が加われば、これに勝るものはありません。あなたも機会をつくって陶器市を訪ね掘り出し物を!ても質の良い物を、静かにじっくり品定めしたいあなた・・・ならば陶器市は避けお出掛け下さい。次回は北海道の陸玄関口、函館の賑わいを予定しています。
2008.04.29
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弘前市は人口約19万人、市標が卍、明治維新まで津軽地域一帯の中心都市でした。二重式火山の津軽富士岩木山、ねぷた、りんご、津軽三味線、文教都市、明治・大正ロマンの町、世界遺産白神山地、地吹雪体験、ストーブ列車、津軽弁、青い山脈の舞台、海賊の安藤一族?、太宰治の斜陽館・・・弘前城址の桜・・・この地方には歴史や文化が一杯揃っています。今年は20日~26日が見頃の弘前城址の桜、今日は本州最北の桜のご案内です。 この地方の象徴は岩木山、標高1,625m津軽平野に美しい姿を見せてくれる独立峰です。写真は義兄の墓地からの撮影、緩やかな丘陵に霊園があり、いつでも眺めているようです。厳寒の旧木造・舘岡・車力などへ、農地用灌漑ポンプ業務で何年も通った思い出が蘇ります。 弘前のシンボルはお城。南部氏の家来だった土豪津軽藩祖為信がこの地方の城を次々と切り取り、天正16(1590)年に豊臣秀吉から三郡と合浦一円の統治が認められました。秀吉が小田原征伐の折、為信がいち早く駆け付け領土の安堵を得ていますから現在の処世術と同じです。この時から南部藩とは犬猿の間柄、だから津軽弁は南部藩間者を見分ける言葉になりました。弘前城が完成させるのは十万石の二代藩主津軽信牧、国指定史跡を受けた現存の天守閣や櫓、城門、水濠などが今でも残り、現在は49haの弘前公園として市民に開放されています。 弘前公園の桜はいつもはG・Wが最盛期、その後前線は津軽海峡を渡り函館に上陸です。公園内には日本最古のソメイヨシノを含め、約50種2600本の桜が植えられ、春のひと時を楽しませてくれます。由来は正徳5(1715)年、弘前藩士が25本のカワススミザクラを京都から取り寄せ城内に植栽したのが始まり、次いで明治15年と30年の二回に渡り旧藩士が各1,000本づつ植栽して盛大になり、桜まつりにはちゃんとした先人達の歴史が残っていました。感謝。 公園内の桜をより美しく見るには、早い時間に追手門(亀甲門)からの見学がベストです。お濠両側のアーチ状の桜を見ながら門をくぐり、見所ポイントは下乗橋(偉い人でも橋を渡る時は下馬する)と天守閣、シダレザクラの古木、本丸付近から岩木山を背景にした桜になります。お城の四季で、晩秋の早い淡雪の上に赤く燃えた紅葉が散る情景にもビックリさせられます。 本丸近くの公園では、場所取りと宴たけなわの組が混交した状態で賑わっています。ここから間近かの岩木山を望めば、百万ドル?の桜を入れての風景は写真スポットです。 曹洞宗太平山長勝寺、津軽藩主の菩提寺で本尊は釈迦如来になります。城の南西方向に全国でも珍しい同宗派三十三寺を集め、城の守りと地域の宗教・文化に大きな影響を与えました。関が原合戦のとき、藩存続を優先に兄弟が豊臣と徳川方に分かれて味方し、三男の信牧が二代藩主になるという運命を背負って時代を生きています。入り口の三門は高さが16.2mで信牧が1629年に建立、禅宗の教えで三解脱門(空門、無相門、無願門の三境地を経て仏国土へ至る門、むさぼる・怒る・無知の三毒から解放される境界の門)を表すとされています。徳川家康の養女を室に迎えた二代藩主信牧、だからなのか明治維新まで続いた津軽藩、戦後初の宮家常陸宮(今上天皇の弟)夫人として、津軽藩主家柄の華子さんが嫁いでもいます。 岩木山麓にある岩木山神社、津軽の人々の信仰の中心である津軽一ノ宮になります。奈良時代末期の宝亀11(780)年、山頂に社殿を造営したのが始まりで、津軽藩の総鎮守として歴代藩主から崇敬されて来ました。鼠のようなモグラのような狛犬?、右が上向きで左が下向きという変わった姿勢が珍しく可笑しいです。本殿・拝殿・奥門・楼門などは重要文化財です。岩木山へは九十九折りの長い坂道スカイラインを車で登り、リフトに乗り終点から急瓦礫道45分位の所。挑戦当日は風が強く雨降り模様、断腸の思いで途中で引き返した無念さがあります。次回は佐賀県有田の磁器製品を予定しています。
2008.04.19
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信州松本は人口23万人長野県第二の都市、ですが不思議と仕事では縁の無かった町です。JR中央本線を利用して東京から特急あずさで2.5hr、名古屋からでも2hrと好立地、北アルプス・美ヶ原・蓼科などの基地であり、近くにはエレクトロニクスや精密機械、製糸(女工哀史=野麦峠)などの産業が栄え、また、日本海と結ぶ塩街道、そして人財を育てたという歴史が残ります。そんなことから今回は、交通の要所松本市に残る国宝松本城と商人街中町通りのご案内です。 戦国時代、松本盆地に立地する深志城(支城)が始まりの松本城、400年にも及ぶ歳月を凌いだ我国最古の五重天守を持ち、姫路城・彦根城・犬山城と共に国宝に指定されています。時代により六~八万石の石高は大きくありませんが歴代藩主は六家二十三代も続き、深志城時代には信濃攻略基地として武田信玄が切り取った時期もありました。豊臣秀吉が天下を取り初代の石川数正が移り住み、親子二代で戦う黒色で堅牢な城と城下町の整備が進められました。余談。外観が黒を基調としている城が豊臣方、白を基調とした城が徳川方といわれています。 鉄砲の普及により堅固な山城から機動性が優れた平城に主流が移った戦国時代、渡櫓や石落し、矢や鉄砲狭間などの工夫が施された歴史的・文化的風格ある平城が松本城になります。晴れの日に天守閣から北アルプスが望める信州のお城、期待して息せき切って山形弁の団体客を追い抜き、急で狭い階段を登り切ると・・・果たして眺望は・・・乗鞍岳・槍ヶ岳・常念岳など・・・無念・・・でも山の上空は、流れる雲が日光で朱色に輝く情景を見せてくれました。 家族で北アルプス挑戦の帰り、丁度、ロサンゼルスオリンピック閉会式の日の24年前に鰻を食べに寄ったのが最初の訪問(この当時、私だけ鰻が食べられずラーメン屋へ)、JR松本駅からは松本城へも女鳥羽川沿いの中町通りへもぶらぶらと散策しながらの距離になります。松本といえばサイトウ・キネン・オーケストラがビックテーマですが今回は割愛です。 中山道と北国街道を結ぶ善光寺街道(北国西街道)、西国の人々が善光寺参りに、信濃以北の人々はお伊勢参り・金毘羅さん参りにと賑わった街道、城下町松本市内でその中央に位置するのが中町通りになります。造り酒屋・呉服・油などの問屋が多く集まり繁盛していたようです。しかし江戸末期や明治に大火に見舞われ、商人達の知恵で白と黒格子の簡素で燃え難い『なまこ壁の土蔵』家並みが造られ、あの伊勢湾台風に襲われる悲運もありましたが、現在では電線地中埋設や街路灯新設などで往時の家並みが保存され、工芸品(陶器・漆器・木工品・ガラス品・染織など)、骨董品、地場食品(和菓子・佃煮・わさび・漬物など)の店で賑わう町になりました。 今回は最初から訪ねる予定だった民芸品店『陶片木(とうへんぼく)』、今時珍しい木製の引き戸を開けて店内に、1~2Fの展示品を一通り見学して、お気に入り30cm磁器製サラダボール・夏の水菓子用ガラス皿・焼酎の湯割用碗・正月用飾民芸品などを求めて17千円也でした。 陶片木の向かい側には和菓子店『翁堂』、創業90年の土蔵の店で中庭があり、奥には江戸・明治のギャラリー設置が・・・。店主らしい方の松本城や中町通りの由来説明に感服、私の故郷の塩釜神社を当地に勧請した縁からか、和菓子『しおがま(形・味同じ品)』の販売にも感激です。夕時の訪問で、竹風堂(小布施)の強飯定食が叶いませんでしたが存分に楽しめた町でした。次回はいよいよ津軽海峡を渡らんとする青森県弘前城の桜前線を予定しています。
2008.04.12
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最初に倉敷を訪れたのは42~3年前、でも何で知り訪ねたか動機が思い出せません。多分、きっと、福山か福岡出張の前後に大原美術館を訪ねたいと立寄った・・・想い出が・・・!以来何度訪ねたことか、そこで今日は家並み保存はしりの都市、倉敷美観地区のご案内です。 最近ではあっちこっちで昭和レトロの家並みブーム、でも倉敷美観地区は文化財保護法で『伝統的建造物群』に指定されている国の文化財、その辺の動機不純の安直家並みとは違います。それもそのはず350年前の江戸時代、倉敷は幕府直轄の天領地、倉敷川畔は米や綿花など物資集積所として栄え、商人達の白壁屋敷や土蔵が建ち並ぶようになったのが美観地区の発端。江戸時代からの日本文化の伝統を引継ぎ、川沿いを彩る柳並木が落ち着いた雰囲気を醸し出してくれ、石井幹子デザイナーによる一帯のライトアップが一層景観を楽しませてくれます。 JR倉敷駅から美観地区までは徒歩15分、ここには大原美術館を始め考古館・民芸館・日本郷土玩具館・アイビースクウェアなどが揃い、路地に一寸入り込んでも見どころ満載、どこもかしこも整備されているが特徴。特に郷土玩具館は米倉を改装、全国の紙・木・土などの自然素材で作られた郷土玩具を集め展示、庶民の生活やぬくもりが伝わって来てショップは楽しみ所です。 2枚の入館券は最初に訪ねた時の記念品、本館建屋入口はギリシヤ神殿風の建屋でロダン作の洗礼者ヨハネ像が(怪しい記憶だと庭に、『考える人』や『歩く人』が?)、目当ては世界画壇の巨匠作品、モネの睡蓮、エル・グレコの受胎告知、ゴーギャン、マティスなどになります。この地で財を成した商人の代表格が大原家、その実業家系の大原孫三郎氏が昭和5年に開設した、日本最初の西洋近代美術館ですから歴史があります。大人、入館券1,000です。余談。現館長夫人が蜷川幸雄氏主宰の高齢者劇団に加入し稽古、との文芸春秋投稿の館長手記を昨年読み、夢を実現させた夫人の生き方に人間として共感・共鳴を感じています。 代官所跡地に倉敷アイビースクエアが、色調がヨーロッパ英国を思わせる世界で、アイビーの蔦と朱レンガが美しい広場になっています。文化施設やレストラン・ホテルなどカルチャーエリアで、実はこの土地は一寸前まで倉敷紡績工場(クラボウ)の敷地で再開発したものでした。明治維新になり倉敷にも混乱と不景気が押し寄せ、これを打開するため明治22年にあの大原氏を中心に、代官跡地に最新の紡績工場(倉敷紡績)を操業させたという歴史があったわけです。 昼時は一寸足を伸ばして本町・東町へ、そこは塗屋造りの家並みが建ち並び庶民的な情景が漂う町、目指すは『くらしきの宿 東』、当然、ビール付きミニ懐石『じゅうろく弁当』を頂きます。明治初期創業の呉服問屋を改装した建屋、中庭もありしっとりした雰囲気での食事は幸せ気分。 美観地区の印象に残る宿は『旅館 くらしき』、大阪万博が開催された昭和45年に泊りました。旧家の砂糖問屋、その倉敷伝統の建築様式をそのまま利用して昭和32年に改築・オープンした旅館は高級。飛び込みでの宿泊でしたから、身分不相応の訳あり若い男女二人連れ、そんな印象・警戒を持たれた経験がありました。息子の勤務会社の保養施設、もう一度と思っています。町並み散策に疲れた身体を癒すには、落ち着いたここのレトロ喫茶が和みを提供してくれます。次回は信州の長野県松本市を予定しています。
2008.04.05
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