・10章


天気は良好、なおかつ極端な気温ではない。
暖かな光が射し込む教室は、うららかな雰囲気で満ち溢れていた。

・・・眠い。
それが率直な意見だった。
我らが師ベル=マグワイア先生は、教卓の上で魔力の結合の理論について延々と語ってらっしゃる。

ぶっちゃけた話俺は、理屈で考えるより体得したほうが早いし、簡単でいいと考えている・・・・・・故に、どこぞの、俺からみれば病的なほど勉強熱心なアラン君やウェンリィさんとは違って(彼らからみれば、俺たち・・・俺、ダン、クレアの補習組の方が、病的なほどに勉強に熱意が無いように見えるそうだが)、体得した技術の理論的な説明というのは好まない。

・・・だが、この理論というのは別段難しい話ではない上に、長い話になるわけでもない。
授業のしょっぱなからそんな話を始めれば、時間が大量に余るのは目に見えていた。

トンッ、と。
板書(黒板に文字を書くこと、または書かれた文字)の方を向いて・・・要するに俺たちに背を向けていたわけだが・・・、内容についての説明をしていた先生は、これで終わりだよんっ、とでも言うように軽やかにこちらを振り向いた。

「さて・・・、今ので魔力の結合の理論についての説明を終わるわけですが・・・」
先生は周囲を見渡し、
「・・・質問のある人・・・は、いませんよね。流石にこれが理解できないようなら、私も困ります。」
と、例え質問があってもできないような発言をさらっとしてくれた。
・・・もちろん質問なんて毛頭持ち合わせていないが。
聞いていないのだから質問できないのは道理だろう。
しかし、質問の確認をするということは、授業は終了のはずである。
・・・不可解だ。

誰の顔にもそれが出ていたのであろう、
「・・・授業をここで終了します。」
先生は苦笑しながら授業の終了を告げる。
しかし、先生は日直に号令を要求していない。
要求していないということは、席を立つのは非常識、ということだ。
「では、これより――」
自然とクラスが水を打ったように静かになる。
なんだというのだろう。


「ちょっとした世間話、一方的な価値観の押し付けですが・・・」
少し自嘲気味に笑った先生は、まもなく口を開いた。
「さて・・・この世の中には魔術というものが存在しています。魔術とは、火や氷、光、闇などさまざまなモノを、体内に存在する魔力を編み具現化する技術を指しますが――」
先生は、教卓をゆっくりと横に移動しながら、クラス全体を見渡すように話す。
「魔術とは他に、魔法というものも、似た様な意味合いの言葉として存在します。」
魔法、か。
魔術と魔法は違う。
・・・・・・では何が違うのであろうか。

「魔法とは、魔術では成しえない領域の奇跡です。魔術のように科学では説明がつかず、未だにはっきりと原因がつかめないもの、それが魔法とされています。しかし、その存在自体は疑問視されている節があります・・・これはそれなりに有名な話ですし、皆さんもそう思うでしょう。」
確かに、魔法というものが存在するのかどうかというのは半信半疑ではある。
本当にそんな奇跡が存在しえるのだろうか。

「では、仮に・・・ですよ?仮に、魔法という奇跡が存在しえるのだとしたら。その魔法というのはどんなモノだと思います?」
・・・魔法が存在しえる。
それはつまり、なんでも可能になるということではなかろうか?
はいはーい、と元気にクレアが挙手をする。
「では、ブライト君。」
「なんでも可能になるってことなんじゃないですか?」
・・・流石は直球人間。
誰もがそう思っているから挙手をしなかったというのに、彼女は空気を読まずに・・・いや、ある意味読んだというべきか・・・特攻した。
その直球さに先生は優しく微笑み・・・そして首を振った。
「いいえ、違います。」
ぶー、とクレアが頬を膨らませて着席する。
・・・特攻したことにも気がついていなかったのか。

「・・・魔法が存在する、としましょう。しかし魔法の定義とは何か?
そう。魔法というのはね、定義が無いんですよ。魔法は元々存在があいまいなモノ。ならば、“なんでもできる”のが魔法だとすれば、魔法の定義は“なんでもできるモノ”になるのです。
要するにですね。魔法なんてものは、存在そのものが曖昧なんですよ。誰もが完全に魔法の存在、定義がはっきりしていない。例えば、火をおこすのが魔法だと感じる人もいれば、人心掌握が魔法だと感じる人もいる。
魔法に限らず、存在が曖昧なモノは、定義の可能性が無限にあるんですよ。
これを定義できない、というのは間違いですが、定義できるかといえばそうでもない。
価値観の相違、ってところでしょうかね。」
先生はここで一息ついた。

「話題が変わりますが・・・封印されし言語、というのをみなさんはご存知ですか?」
・・・話には聞いたことがある。
言葉に出すだけで魔力的な意味合いを持ち、言語の繋ぎ方によっては恐ろしいほどの魔術行使ができるという言語。
確か・・・、そう。

「日本語、と呼ばれていた言語です。」

「日本語というのは、昔この極東地域の、しかも列島大陸部分でのみ使用されていた言語です。昔は日本列島と言ったんですがね。この言語は、起源を中国語・・・極東地域の奥地では未だに使われているそうですが・・・として、日本列島で発達した独特の言語です。
その言語は非常に難解かつ容易で、表現力に優れ、詩的な表現が多様にできます。
俳句、和歌と呼ばれる、言葉による芸術には感服するばかりです。」
・・・少し、疑問を感じる。
いや、今の話に矛盾点がある。
封印された、と言う。
ならば、解読できる人間は存在しないハズだ。
しかし、芸術として理解できている、というのはどういうことだろうか。

「ただ、それらは先人の記述によるもので、実際に我々がその芸術を見ることはできませんし・・・」
・・・そういうことか。
芸術、といっても所詮は言葉。
如何にデータ化され、書籍化されても、それらの記録が失われているならば・・・
いや、完全に抹消されたと考えるのはおかしい。
「それに、ですね。日本語というのは、時の経過とともにその内に内包される魔力というのが増していくものなのです。
そんな恐ろしい年代モノを我々が見たら・・・どうなると思いますか?
答えは・・・そうですね、程度にもよりますが、間違いなく、膨大な情報量と魔力によって、脳のどこかが損傷するでしょう。・・・普通は脳が・・・」
「ドボン!壊れるでしょうね、間違いなく。」
先生は大袈裟に手を両脇に広げ、身体の前で打ち鳴らした。
まるで何かを潰すかのように。
・・・しかし、顔は笑っていない。恐ろしいほどに、それが真実だと突きつけていた。

「また、それらの芸術には、なんらかの呪詛の類がかけられている可能性が非常に高いですね。日本列島に伝わる古代の話。その中には、書物を見ただけで狂い死ぬ者や凶行にかきたてられる者、どこかしらの身体の障害を負う話が数多くあります。
これらは暗に、呪いがかけられていたことを指しているのでしょう。」
・・・ちなみに、だが。
呪いというのは魔術の一つである。
種類は多種多様であり、身体の異常状態を引き起こしたり、精神的な操作をして・・・といっても精神的というのは身体的でもあるのだが・・・疑心暗鬼などを引き起こさせるものもある。
それらに共通するのは、トラップ式という点である。
呪いというのはなにかと、呪文を唱えて相手に危害を与える、なんてことを想像しがちだが、実態はそうではない。
呪いの発動には相手への接触、もしくは相手がそのトラップに接触することが必要なのである。
加えて、そのトラップの発動時に呪文を唱えることが必要だ。
強さによって有効範囲は違うし、威力、症状も違うが・・・
しかし、見ただけで呪いを掛けられるというのは、それを踏まえればどれだけ恐ろしいことかが理解できるだろう。
何しろ、呪文を唱える必要性が皆無なのだ。
それは術者が死亡していてもどこにいても問題は無い。
恐るべきはその効果。
しかも放置するにつれ効果が増すというではないか。

「・・・ですからいくら言葉の芸術が見たいが為に日本語の資料を探しても、無駄です。
所有者はそれを完全に封印している可能性が高いからであり・・・それに、日本語を理解できる人間というのは今現在存在しないと思われます。」

「またまた話が変わりますが・・・」
・・・時間はそれなりに過ぎていた。
授業時間も、あと三割程を残すところとなっている。

「この話は私の個人的な考えであり・・・」
先生は教卓を横移動しながら、今度は自分の足元を見て、しかし明瞭に話す。
いや、そこまで大きな声で話しているというわけではない。
単に、この教室が静かなだけだ。
この静けさ、例えるならば真空状態とも言うのだろうか。
何も聞こえない状態で、脳に直接話しかけられているような感覚。
・・・もちろんそんなことはなく、きちんと先生は音の波を彼の口から発し、我が鼓膜はそれによって振動し、脳がそれを理解しているわけだが。

「・・・君たちに理解してもらおうなどとは思っていませんし、願ってもいません。」
そこで先生は言葉を切り、

・・・そして何故か。

俺の方を見た、気がした。

「・・・ですが、この話というのは否定できず、定義もできないものです・・・つまり魔法と似たようなことですね。存在自体が“曖昧”である。」
一瞬、だが。
先生は、まるで後悔するような表情を浮かべ・・・
そして、決意したように顔を上げた、・・・ように見えた。

「・・・君たちは。並行世界・・・というものを、知っていますか?」
え・・・。
一瞬、だが。
もの凄い殺気を、俺は覚えた。
・・・俺のモノじゃない。違う誰かのだ。

並行世界・・・
どこかで、どこかで聞いたことが、あるような。
記憶の引き出しを乱雑にガタガタと開けていく。
まるで、思い出さなければ自分が消えてしまうような感覚に襲われて。

無い。

無い。

まるで、本の目次にはある章が、すっぽり本文から抜けているような感じ。

・・・無い。

ナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイ!!!!

・・・思い出してはいけないと。
そう警鐘が鳴っている気が、した。


「・・・並行世界、とは。この世界に並行する世界のことです。
説明は非常に難しいですが・・・そうですね。
この世界の・・・Ifの可能性の世界、でしょうか。
もし、あのとき違う選択をしていたら。それが見られる世界です。」
教卓の真ん中に立ったまま、先生は動かなかった。
その目はどこか遠いところを見ていて。
俺は純粋に、その姿を畏れた。

再び口が、開く。
「・・・動物、植物、生きとし生けるもの全ては、瞬間瞬間に選択肢を持っています。それは君たちだって、私だって例外じゃない。理解できるでしょう?
交差点に立った時。右に曲がるか左に曲がるかで君たちの命というのはあっという間に散ります。
そんな大きなアクションじゃなくてもいい。例えば、短距離走のスタート時、体重を右にかけるか左にかけるかで、その時のタイムは違うでしょう?
例えば。この世界で、アームシュライト君が事故で亡くなった、としましょう。」
・・・いきなり殺されたぜ、俺。
先生は俺に恨みでもあるのだろうか・・・と先生を見ると、先生は詫びるような目でこちらを見ていた。
・・・仕方が無い。ここはあえて、光栄なことだと受け取っておこう。
俺は僅かに頷いた。

「・・・本人の了承が取れたようなので、話を続けます。彼は、気まぐれで裏路地を歩いている時に、上から落ちてきた建築材料に潰されてしまいました。」
・・・げげ。かなりリアルな話・・・
・・・・・・今度から裏路地は断じて通るまい。

「さて。その、裏路地で彼が潰された世界をAとしましょうか。
A世界では、確実に彼、アルウェン=アームシュライト君は死んでいる・・・それは間違いありません。
彼は帰らぬ人となりました、チャンチャン、ですよね。
当然、私は悔やむでしょう。
彼が、裏路地に入らなければ、裏路地で立ち止まっていれば、死ななかったのに・・・、と。
・・・しかし。しかしですよ?
彼が裏路地に入る前、そこには確かに選択肢が存在しているのです。
いや、裏路地を歩いている最中、その一瞬一瞬に選択肢が存在します。
その選択肢の中で、引き返す、立ち止まる、裏路地に入らない、などを選択していたら、彼は助かりますよね?
その、彼が助かる、という私の願望、IFの世界をBとしましょうか。
すると、A世界とB世界というのは、歴史が変わっているのにも関わらず、時間の流れ、時間軸は同じですよね?
しかし、確実に歴史の違いという差は生まれている。
ですから、時間軸が並行・・・並行世界、と言う事ができるのです。」
・・・成程、そういう考え方もある。
そして、それを否定することは不可能だ・・・肯定することもまた、不可能だが。

「私は・・・私は、ですよ?並行世界の存在を信じちゃってる派です。
・・・まぁ笑うなら笑え、ってところなんですけどね。
存在の実証は出来ませんが、否定も同じく、できません。
・・・ただ、ですよ?
古来からこの日本列島と呼ばれていた地域には、魔術、宗教の色が大変濃いのです。
・・・それはつまり、土地そのものが魔術として成り立っているところもある、という仮定に行き着きませんか?
・・・“神隠し”というのを聞いたことがあるでしょうか。
人間、山深くなど人目に離れた地域に立ち入った人間が、突如として消えてしまう。
探せど待てど、遺品、証拠品も無ければ帰ってくることもない。
・・・これは、私に言わせれば・・・ですが、並行世界へと繋がるゲートをくぐってしまったのではないか。そう思うのです。
世界は並行していて交わることが無くても、並行な線の間に引かれた一本の線・・・トンネルをくぐれば、向こうの世界に飛ぶことができる。
・・・これは、画期的な考え方だと思いませんか?」
教卓の上で熱弁をふるう先生は、どこか子供じみていた。
まるで、自分の素晴らしい成果を親に見てもらう時のような、そんな顔。
それでいて。
その話はどこか、薄気味悪かった。

「・・・並行世界。それがIFの世界だとしたならば、私はこう考えるんです。
人の死というのは・・・どんな形であれ、それは天寿を全うしているんじゃないか、とね。
アームシュライト君が事故で死ぬ・・・それは、A世界のルール。最初から定められたことだとしたら?
そう、世界にはルールがある。
それは人の死・・・寿命とも言えますか。それとまぁ、それ以外にも様々。
それらは誰によって作られたのでも無し、ただただそうなるように決まっている。」
ひどく、悲しい目だった。
まるで、そう考えるのが当たり前のように語る彼は。
自身の目で、それを否定しているような気がした。

「・・・私は、ね。この並行世界をなんとか実現したいんですよ。
並行世界を作ることができれば、その世界のルールを理解することができる。
・・・世界から世界へのゲート作成、というのも重要な研究課題です。
私の研究というのは、それらも含んでいます。
・・・非常に危険思想と言われるんですがね・・・研究所からも、無意味な研究にこれ以上予算を出すのはバカらしい、と言われていましてね・・・」
・・・恥ずかしそうに少し俯く先生の顔は・・・ここからではよくわからない。
よくわからないが・・・
嗤って、いるように見えた。

「おぉっと、もうこんな時間でしたか!」
顔を上げた先生は、時間を確認して、大袈裟に驚いてみせた。
そして、真剣な顔になって、こう、言った。


「この話をしたことは、このクラスだけの秘密にしておいてください・・・私からの、お願いです。」


「はーい、じゃあこれで終わり!日直、号令お願いします。」
起立、礼をして教室を我先にと飛び出していく生徒たち。
俺が、その波に飲まれながら振り返ったとき。

先生は、ひどく懐かしそうな。

それでいて、嬉しそうな。

そしてなにより・・・寂しそうな表情を浮かべて、俺たちを見ていた。









2098年10月4日未明。

極東地域政府陸軍直属戦闘員養成施設職員、ベル=マグワイア大尉は行方不明となる。

原因は不明、彼が最後に存在していたと思われる彼の自室には争った後は無かったが、彼の研究
ノート、書籍、参考文献等が全て消えていた。
研究結果目的の拉致の疑いが強いが、証拠等は一切見つかっていない。
捜査本部は情報提供を国際的に求め、彼の行方を追っている。





ほら、見えるかい?
ああ、見えるとも。
ほら、美しいだろう?
ああ、美しいとも。
なんて美しいんだろうな。
この、紅い紅い液体は・・・。


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