”のんのん"紀行

●沖縄


世界遺産の沖縄

首里城跡や識名園など、琉球文化の隆盛を今に伝えるグスクや史跡。
世界遺産めぐりは琉球王国の成り立ちとその盛衰を知ることができる。




三山時代から琉球王朝へ

琉球王国成立以前の12世紀前後、沖縄では村落をまとめる按司(アジ)という
首長が各地で勢力を伸ばし始め、13世紀頃にはグスクと呼ばれる城塞を
築いて権力を競い合っていた。

その結果、14世紀になると3つの勢力に分かれて対立することになる。
今帰仁グスクを拠点に沖縄本島北部地域を支配したのが「北山(ほくざん)」
浦添グスクを拠点にした中部が「中山(ちゅうざん)」、島尻大里グスクの
南部が「南山(なんざん)」で、それぞれが王として名乗りをあげた、
この時代を「三山時代」と呼ばれた。
やがて三山の王たちは、独自に中国皇帝と外交・貿易関係を結び、その勢力
争いを国際社会にまで波及させた。

三山の対立は、特に勢力を強めた中山の尚巴志(しょうはし)と呼ばれる人物
が、1416年に北山の今帰仁グスクを攻め落としたことにより急速に終焉へと 向かった。
1429年、残る南山・島尻大里グスクを滅ぼした尚巴志は、この地に初の
統一王朝を開き「琉球王国」の誕生。王は首里城を拠点に琉球の礎を築く。
明国との冊封体制(明から琉球王として認知される)で大陸との交易が
活発になり、首里城の御殿では正使を迎え入れる儀式など行われた。
王朝はその後、第一尚氏王朝、第二尚氏王朝として明治まで存続した。

17世紀に入り、薩摩藩の植民地時代を迎えた琉球では、日本文化の影響を
受けた独自の文化が栄える。1879年明治政府は琉球に軍隊を送り、
首里城の明け渡しを迫る。それに屈した琉球王が城を出て琉球王国は滅び
沖縄県がおかれたのである。
琉球王国の歴史はこうして幕を閉じた、とはいえ当時の琉球文化は、いまも
沖縄の風土に色濃く残っています。島内各所に点在する史跡は、その面影を
伝える貴重な財産となっているのです。




沖縄の世界遺産とは・・・

「世界遺産」とは、貴重な文化財や自然環境を人類共有の財産として国際的
に保存・保護するために、「ユネスコ(国連教育科学文化機関)」が運営する制度。
その数、1999年末までに文化遺産 480件、自然遺産 128件、
両方の要素を持つ複合遺産 22件の計 630件を数える。
日本では奈良の法隆寺や広島の原爆ドームを含む 8件の文化遺産と、
白神山地と屋久島の 2件の自然遺産がある。

その優れた歴史的価値と芸術性により、
2000年12月 2日、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(全9ヶ所)が、
国内では 11件目、沖縄では初めて「世界遺産」に登録されました。


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: