NHK大河ドラマ 義経の放送が始まりました。
今回の 義経は滝沢秀明が演じます。
主人公である 源義経は謎の多い人物です。
義経が歴史に登場するのは22歳から31歳までのわずか9年に過ぎないにも関わらず、この現代においても人気者であるのは、 義経の人間性にあるのだと思います。
不祥事を抱えたNHKだが、果たして 義経の視聴率はどうなるか?
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今、家族の絆、親子の絆のあり方が問われている。
平家の”偉大なる父”清盛が源氏の少年・牛若丸に伝えたものは家族愛の心と一族郎党の絆の大切さであった。
そして、二人の心には永遠に満たされることのない熱い母への思慕があった。
「源平」という日本を代表する敵同士、清盛と牛若丸には、まるで真の父と子のように引き継がれていった絆があった。
しかし、牛若丸は清盛が愛してやまなかった平家一門を滅ぼす 義経となる。
宮尾登美子氏の大作「宮尾本 平家物語」を原作として、この二人の人間愛を欲してやまなかった生き様を日本を二分した「源平の戦い」の中に描き、若き義経と老獪な清盛を対比させ、混迷した現代社会の問題を解く大きな鍵を見つけていきたい。
小さい頃に始まった大河ドラマ「花の生涯」を見始めて以来、大河ドラマは見るものだとどこかでおもいこんでいたようです。
かなり以前、チラリと大河ドラマへの意欲を聞かれたときも、大河より小川の方が書きたいと言っていた位です。
しかし大河。小川のほうを書きたい当方としては天を仰いだのですが、大河は初めから大河ではないのがということに今更のように気付いたのです。初めの一滴のしたたり、幾筋もの小さな流れも淀みも含めて大河ドラマなのだと思った瞬間、気が楽になりました。
源義経ほど、謎に満ちた人物はいません。
わずか31年の短い生涯の中で、歴史に登場するのは22歳の時、兄の頼朝と対面してからの、わずか9年間に過ぎない。
にもかかわらず、死後800年以上経っている現在も、人々は 義経を愛し、ヒーローであり続けています。それは何故か。
平家を殲滅した果敢さゆえか?
兄の頼朝に認められなかった不憫さからか?
たしかに、それはあるでしょう。しかし、それだけではないように思えてなりません。
我々が 義経に惹かれるのは、 義経の危ういまでの純粋さ、ひたむきさに、人が生きることのロマンを 義経は最後まで捨てなかったように思えてなりません。
例えば兄、頼朝との確執も、実はこのロマンに端を発しているのではないかと思います。
システム、メカニズムで幕府を作ろうとした頼朝にとって、 義経のロマンは眩しすぎ、熱すぎたのではないのでしょうか。
そして近代化の末、煮詰まってしまった現代人に、 義経のロマンは、渇きを潤す、豊潤な湧き水となるのではないでしょうか。
宮尾登美子先生の描く平家一門は絢爛豪華な絵巻物の世界です。”平家に非らずんば人に非らず”と栄華の頂点を極めた模様が目の前に浮かびあがってきます。しかし、平家一門には 義経のような人気者はでてきませんでした。
「日本人はこれまでに人気者というものを持ったことがなかった。 義経において初めてもった。」司馬遼太郎さんの小説「 義経」の一節です。 義経が確かな歴史に登場するのは22歳から31歳までの僅か9年間にすぎません。日本の歴史の上にたった9年の「あと」を残しただけの人物が、そののち何百年の間、人の口にのぼり日本中の“人気者”であり続けました。人気者だったから、多分にその言動が誇張されたり、性格のうちのある一面だけが強調されたり、フィクションが加えられて脚色されたり、また事実が歪められて伝説化されたりしてきたように思われます。
義経の生涯についてもっとも正確と考えられる資料は鎌倉幕府の公用日記「吾妻鏡」「玉葉」などがありますが、それをおっていくと、記録のない空白の期間がところどころにみられます。記録者がさぼって書かなかったのか、何も書くことがなかったのか、書くことが憚れるなにかがあったのか…この空白の部分こそ“人気者”であり続ける 義経の謎のようにも思えます。
この部分を埋めていくことが新しい 義経像に一歩近づくことになると思っています。
「 義経音楽絵巻」
疾風のごとく現れ、去っていった日本史上に輝くスター、 源義経。彼の生涯は死後も多くの人々により伝説として語り継がれ、そして神話とも呼べるほどの壮大なロマンとして、現代の人々にも受け継がれています。
そんな 義経の生涯をスピード感溢れるテンポ、壮大なロマンへと誘うメロディー、さらには神話を語るようなスケール感、これらを織り交ぜながら、メインテーマとなる楽曲は作曲され、レコーディングも無事に終えました。どうかこれより「 義経音楽絵巻」を一年間に渡ってご堪能下さい。
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