Never be A Hopeless

Divorce-離婚-

エスケープ

2001年8月15日。

ワタシが、元旦那に見切りをつけ、やり返すことを決めたのは、奇しくも終戦記念日だった。

どんなに頑張っても、我慢しても、奴はワタシの心を踏みにじるだけの存在だと気づいたその日が、ワタシの闘いの火ぶたが切って落とされた、いわば開戦記念日だった。

あの日を境に、 VAWA self-petition へ動きだし、ワタシ自身の存在意義を見失わないために、アビューザーへの闘いを挑み始めた。

とは言え、完全には回復しきっていない、心の傷を抱えたまま、新たな生活を模索していくのは、予想以上に辛いことだった。しかし、後にはひけない。自分が自分でなくては、子供を幸せにすることなどできはしない。自己犠牲が美しいものだとは、ワタシには決して思えない。

え?子供には両親そろっていることが必要??離婚は親のわがまま??
Kiss my ass!
暴力の連鎖。そんなところで育つ子供が幸せ?本当にそう言えんのかよ!

ワタシが何か間違ったことをしたとすれば、男の本性を見抜く前に結婚を決意したこと。それだけだ。
その結果生まれてきた子供に罪はない。それどころか、息子は、ワタシの人生を、それまでとは比べ物にならないほど、意味のあるものにしてくれた。たとえ、息子が、ワタシの人生の中で、決して忘れ去ることのできない悪夢を植え付けた男の血を引いていても。

ワタシは、ワタシ自身で在り続けるために、離婚を決意した。

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ワタシと元旦那が別居をはじめてから、彼はワタシが昼間働いている間(正味6時間程度)息子の世話をしていた。当時ワタシは、たとえ離れて暮らしていても息子と父親の関係はあってしかるべきだと考えていたし、元旦那が息子に暴力を振るったことは一度もなかったので、取りあえずは彼に任せても大丈夫と思っていた。

しかし、別居後4ヶ月を過ぎたころ、彼は友人の家に居候を決め込みはじめ、ワタシがそこに息子を迎えに行くと、友人がベビーシッターをしていることがあった。

そんなことが続いたある日。

ワタシは息子を迎えに行くと、いつも彼のオムツがとても「重たい」ことに気がついた。元旦那は、オムツやおしりふきは奴が用意するから、と言っていた。
しかし。この重さは、普通じゃない。ワタシは息子を旦那のところに連れて行くときは、新しいオムツをつけて連れて行った。しかしこれは、、、。

そのことに気づいた次の日、ワタシは息子のオムツに、小さくしるしをつけた。果たして息子はそのしるしつきのオムツをつけたまま、私のところにもどってくるのだろうか、、、?

結果は、、、しかり、だった。息子は、出かけた時と同じオムツをしたままだった。

当時息子は2歳になったばかり。トイレトレーニングも始めておらず、りんごジュースや水をたくさん飲む彼のオムツは、6時間、一度も交換されないまま、ずっしりと重たくなっていた。

ワタシはもちろん、元旦那を問い詰めた。すると、あのどあほうの答えは、こうだった。
「ロンロンはそんなにたくさん、おしっこしないだろう!おむつは、ウンチをした時だけ替えればいいんだよ!」


だめだ、こりゃ。


奴の友人がロンロンをベビーシッターした時など、帰りの車の中で、なんだか臭う、と思ったら、ロンロンがカピカピのウンチでお尻を汚していたことだってあったのだ、、、。それを元旦那に告げたら、自分は知らなかったから、悪くないって言うから、びっくらこいた。

これは、立派な幼児虐待に当たる。幸いにして息子はオムツかぶれを起こさなかったけど、そうなる危険性を十分はらんでいるのに、適切なケアをしなかった元旦那&マヌケな友人。

その日を境に、ワタシは託児所を探し、息子を預けることにした。オムツの取れていない幼児を預けるのは大出費だった。だけど、元旦那には安心して任せることなどできやしない。
もちろん、元亭主は託児所に預けることに大反対したけどね。だけどワタシには、息子が奴と過ごすことが、手放しに賛成できることではなくなっていたのだ。

ワタシは元旦那の抗議をシカトした。そしてその日から、元旦那は息子に定期的に会うことはなくなったのだった。

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訴訟大国アメリカでは、『石を投げれば弁護士に当たる』んじゃないかと思うくらい、腐るほど弁護士がいる。聞いた話しでは、ここ、カリフォルニア州にいる弁護士の数と日本国内の弁護士資格保持者の数は、ほぼ同数だとか。

まあ、そんなにいれば、やはりピンからキリまで、ってなことになる。弁護士はもちろん営利目的の商売だし、多くの弁護士達がロースクールで使った学生ローンの返済に追われているので、高額な弁護料を請求してくるのだが...

これがね、ほんとに、いい弁護士と知り合うのって結構奇蹟に近いものがあるのよ。高い金払う前に、じっくりと吟味せにゃならんのよ。それがまた、引っ込み思案な(本当に)日本人のNeverbにはストレスのたまる仕事でねえ...

こんな事自慢にもならんが、Neveb、移民、離婚、子どもの親権裁判と、まあ、ある程度の数の弁護士ならびに弁護士事務所と関わってきました。で、いわゆる私立の弁護士さんにも、数人あったし、実際一人雇いました、高い金払って。

こん奴が...ぜんぜんいい仕事をしてくれなかった。

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ロンロンのおむつ事件 以来、ワタシが仕事をしている間は、ロンロンをデイケア(託児所)預けるようにした。おむつの取れていない幼児を預けるのは結構な金額だったが、もちろん、元旦那(今後Rと表示します)はお金を一円だって払わなかった(別居当初は、月に最低300ドルは払う、と言っていたんだけどねえ)。

そのおむつ事件をきっかけに、ワタシは本気で離婚弁護士探しを始めた。Rは、ワタシに何度も弁護士を使わずに離婚しよう、と迫っていた。離婚のペーパーワークはそんなに難しいものじゃないし、ロンロンの養育に関しては二人で話し合って決めよう、と。

もちろん、ワタシは一貫して『No』と言い続けた。

結婚生活中にさんざんワタシの生活をコントロールして、その上離婚後もRのコントロール下に置かれるなんてまっぴらごめんだった。書面上できちんと養育費、面会のスケジュール、親権が誰に属するかを決め、その上でロンロンとR、そしてワタシとRの関係を続けていく事が望みだった。

その事をRに告げると、彼は『お前は俺とロンロンを遠ざけようとしているんだよな。だけどな、俺はいつだってロンロンに会う事ができるんだ。それを拒否するのは法律に違反する事なんだ!』だって。
Rはいつまでたっても、ワタシを奴の脅しに簡単に屈する人間だと信じ込んでいたらしい。

全く飽きれたよ。Rは完璧なコントロール・フリークになり下がっていた。暴力が支配する環境の中、奴に対して完璧なイエスマンと化していたワタシが、奴の悪しき習慣を増長させてしまったのだろうか...。
女を暴力でのし続け、それを支配のツールとしてしまう男。そして、そうしている事に気づいていない哀しい人間。そこにはドメスティックバイオレンスの構図がはっきりと見て取れた。

その頃には肉体的な暴力を受ける環境からは脱していたけれども、Rのワタシに対する精神的なアビューズは続いていた。だけどワタシは、カウンセリングやすばらしい友人達に支えられ、Rのアビューズに屈しないだけの精神力を少しずつだけど、取り戻していた。

ワタシは、Rの要求に屈する事を拒み続け、息子と自分の権利を守るため、ついに離婚弁護士を雇うにいたったのだった。

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R(元旦那)との別居を前後して、ワタシは ヘザー から紹介された日本人セラピスト(さちさん)からドメスティックバイオレンスのトラウマ克服のためのカウンセリングを受けていた。
さちさんは、小柄だけど、理知的な大きな瞳がとても印象的なおだやかな女性だった。彼女はこれまでにも多くのDV被害者と関わって来ており、離婚に関することにもいろいろと情報をくれた。

そんな彼女が紹介してくれたのが、離婚や移民法を主に取り扱っている弁護士、デビッド(仮名)だった。
ワタシはデビッドとの面会を経て、彼を雇う事に決めた。弁護士費用は$1500。離婚を取り扱う弁護士費用では決して高い料金ではなかったが、当時のワタシには大出費だった。しかし、一刻も早くRとの関係をきちんと清算したかったワタシは、信頼していたさちさんの紹介でもあるし、実際にあったデビッドの印象が、信頼するものに足るものだと判断したのだったが...(これが後々、間違いだった事に気づかされるんだけどね)。

そうして、デビッドを雇ったのが2002年の3月。
デビッドの事務所に勤めるパラリーガルは、早速書類の作成に取りかかり、数週間後にはRに書類を届けるべく、アクションをとり始めた。

しかし。その頃のRは、電話では連絡が取れるが、住んでいる場所が不明になっていた。そのため、デビッドの事務所では、Rに連絡を取り、離婚の書類を受け取りにくるように依頼した。
Rは、いついつに取りにいく、とは返答するものの、約束の時間をすっぽかすという事を数回にわたって続けた。

そんなある日。
ワタシの職場に怒り狂ったRから電話がかかって来た。

『せっかく今日、デビッドの事務所に書類を取りに行こうとしているのに、どこにあるのかわかりゃしねえじゃないか!いったいお前らはどういうつもりなんだ!etc,etc』

まったくこいつは、救いようのない馬鹿である。デビッドの事務所は南カリフォルニアの某都市のダウンタウンにあり、Rはその町に住んでいる(いた)。いわば、Rにとっては庭のような町であり、デビッドの事務所のあるビルは、Rも絶対知っているはずなのだ。

ようするにRは、場所をよく探しもしていないのだった。
結局その日、奴がデビッドの事務所に現れる事はなかった。

その頃には時は既に2002年の6月後半に差し掛かっていた。
Rと別居を開始して8ヶ月、デビッドを雇って4ヶ月が既に過ぎようとしていた。

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もともと、別居や離婚を言い出したのはむこうだったのに、なかなか離婚の書類を受け取ろうとしないR。ワタシのイライラは頂点に達しつつあった。


本来、アメリカ(カリフォルニア州)での離婚は、当事者の一方が裁判所に離婚の申し立てを行い、その申請が受理されると、相手方に書類が届けられる。そしてその書類を受け取った相手方は、30日以内に返答書類を裁判所にファイルしなければならない。
ワタシの場合、この相手方に書類が届けられる、という時点で既に滞っていたため、何ら法的手続きが進まない状態にあった。順調に進めばデビッドを雇ってから7ヶ月くらいで全てのカタがつくはずだった。しかしデビッドの事務所は数回Rにコンタクトをとっただけで、『Rさんは事務所に見えられませんねえ』と、すまして言うだけだった。

そんな彼らの態度に、こいつら真剣にワタシの離婚を進めるつもりがあるのだろうか、と疑念を抱き始めたのだった。

そりゃね、彼らにはワタシ以外にたくさんのクライアントがいる事くらいわかっている。だけどこっちにしてみれば、ワタシ達の権利を守るために高い金払って、彼らを雇っているのだ。その上、彼らを雇ってから約半年も何も事が進まなければ、そりゃ疑いたくもなるってもんだ。

そんなある日、ワタシはデビッドの事務所に連絡を取り、奴が書類を受け取らなくても離婚を進める方法はないのか?と問いつめた。
すると、デビッドのパラリーガルは『あまり使いたくない方法だけど』と、前置きをして、Rになんとか離婚のファイルを受け取らせる方法について話しを始めた。

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R(元旦那)に離婚のファイルを渡すのは、通常それ専門の業者がやるのだが、R
の居所がつかめないし、ファイルを受け取りに出向く事気配もない。だけどこの
ままでは、離婚の手続きが続かない。
このケースの当事者であるワタシは、法律上Rにファイルを直接渡す事はできない
。だが、究極のところ、当事者以外であれば、誰であろうと相手方に離婚のファ
イルを手渡してもいい事になっているらしい。

そこで、デビット(弁護士)のパラリーガルは、ワタシにRを呼び出すように言っ
た。そして、ワタシの友人にRと会う時に一緒に行ってもらい、ファイルを渡すこ
とを提案した。
しかし、ワタシはRが素直にファイルを受け取るとは思えなかった。裁判所のペー
パーワークと知ったが最後、奴は受け取りを拒否する事は容易に想像がついた。
その事を告げると、もしもRがあくまでもファイルの受け取りを拒否したら、彼の
足下にファイルを投げて立ち去るように、とパラリーガルは言った。
たとえRがそのファイルを持ち去らなくても、それだけでファイルをサーブ(渡し
た)ことにみなされるそうだ。

ワタシは、Rに面と向かって対峙するのは、正直嫌だった。まだ、完全に心の傷は
癒えてはいなかった。だけど、このまま待ち続けても事は進展しない。

ちょうどその頃、Rはロンロンを週末預かりたい、とワタシに電話をよこしていた
。ロンロンの
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おむつ事件以来
、Rはロンロンとの定期的なコンタクトをなくしていた。
ワタシはその機会を利用する事にした。ロンロンを奴に預ける時に、友人に一緒
に行ってもらい、ファイルをサーブすることにした。

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エスケープ">


R(元亭主)がロンロンを預かる当日。
ワタシは、ロンロンを連れて、友人M1とカリフォルニア最南端の都市にある、巨
大ショッピングモールの入り口でRの到着を待った。

予定の時間より少しおくれてRは約束の場所に現れた。Rの姿を見つけたワタシは
、身体に緊張が走るのを感じた。公の場で何をされるわけではないとわかってい
ても、奴の姿を目の当たりにするのは、その時もあまり気分がいいものでもなか
った。

ワタシは事務的に、ロンロンの荷物を渡しながら、ロンロンの世話に関して留意
すべき事(トイレには何時間おきに連れて行け、とか、就寝時間の習慣など)を
記したノートをRに渡した。そのノートの中に、『日曜日の午後3時にこの場所に
息子を迎えにくる』という事を記しておいた。

そして、別れ際。

ワタシは友人M1にファイルを渡すように合図した。

M1は、何も言わず、離婚のファイルをRに差し出した。すると、Rの顔色がさっと
変わった。

『なんだよ、これ』

Rはファイルに手を伸ばさず、ワタシに向かって尋ねた。
心臓がバクバク高鳴り、気が遠くなりそうな自分を必死に保ちながら、ワタシは
ただ、
『これはあんたのものだよ』
と、だけ言った。

『だから、これは何だって訊いているだろう?』

Rはロンロンを腕に抱いたまま、ワタシに迫ってくる。M1はひたすら無言で、フ
ァイルをRに向かって差し出している。

恐ろしいほどの緊張感だった。

ワタシはひたすら『だから、これはあんたが受け取るべきものだからね』とだけ
言い続けた。

無言のにらみ合い。M1は緊張した面持ちで、でも、ファイルだけはしっかりとR
にむかってぐいぐいと、差し出していた。

そして、ついにRがちょっと手を伸ばしかけたその時。ワタシはM1にファイルを
押し付けるように合図した。

反射的にRはファイルを受け取った。本当に、思わず、といった感じだった。

その瞬間、ワタシはM1に『行こう』と告げ、その場から歩き去った。
Rはアタフタとしていた。そして、次の瞬間、怒りに顔色が変わったのが見て取れ
た。


Rは、ワタシ達の背後から、

『hey!これは何なんだって聞いているだろう!?。待てよ!hey!!
OK。お前が俺とゲームをしたいんなら、受けて立つぜ。お前は、ゲームをしたい
んだな!!』と、何度も怒鳴っていた。

そのとき、モールの入り口にある、News Paper stand(雑誌売りの売店)のにー
さんが、ワタシ達を何事かと見つめていた。きっと、Rの声は、周りの人たちにも
何かが起こりつつある事を感じさせる何かがあったのだろう。

まるで、ドラマ。だけど、その時は自分に起こりつつある事がちょっと現実離れ
したものである事なんて、思いもしなかった。ひたすら、自分のやっている事を
こなすことだけで精一杯だった。

ワタシは、M1と駐車場に向かって、すたすた歩き続けた。ロンロンをこんな形でR
に預けた事に一抹の不安を覚えながらも、ファイルをついにサーブできた事に安
堵していた。

だけど。この事がRをして馬鹿げた行動に走らせるたことに、ワタシはまだ気がつ
いていなかったのだった。

***********************

ロンロンを元旦那、Rに預けたその日。

友人M1とワタシは家に着くなり、ぐったり、といった感じだった。

M1は、ロンロンのベビーシッターをやったり、一緒になって遊び回ったりと、彼
の仲良しのお友達(年齢はずいぶん離れとるが...)だった。

彼女はぽつりと、『ロンロン、何やってるかなあ~』とつぶやいた。

たった数十分前に別れたばかりなのに、ロンロンを恋しがるM1。なんだかほのぼ
のした気持ちになったものだった。


さて、ロンロンをRに預けたのが、冬の日のある週末、金曜日だった。
正確な日付は思い出せないけど、南カリフォルニアにしては珍しく、曇ったり、
小雨が降ったりと、はっきりしない天気だったのをよく覚えている。

当時ロンロンは、幼稚園に通っており、Rのところへのお泊まりは週末だけの予定
であった。
なんせ、Rには
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おむつ事件
という前科があったので、ワタシは、荷物とともに、ロンロンの
御世話に関して注意すべき事を細かく指示したノートをRに渡した。そして、その
ノートの最後に、
『日曜日、ショッピングモールの入り口(具体名付きで)で、午後3時に迎えにく
る』と記しておいた。


そして、ロンロンを預けた二日後の日曜日。Rに離婚のファイルをサーブした同じ
場所で、Rとロンロンの到着を待った。


・・・しかし。約束の時間を10分、20分と過ぎてもロンロンたちはいっこうに姿
を現さない。日曜の混雑したモールの入り口で、ワタシはロンロンたちの姿を見
逃さないように、キョロキョロと、必死で息子を捜した。

焦る心をなんとか落ち着かせようと努力しながら、でもファイルを渡した時のRの
言葉が頭の中を反芻していた。


これが、Rの言う、『ゲーム』なのだろうか?


子どもを使って、ゲームをしかけているのだろうか?だとしたら、それを始めて
しまったのは、ワタシなんだろうか?ロンロンをダシにして、ファイルをサーブ
した、ワタシがきっかけを作ってしまったのだろうか???


約束の時間を40分過ぎた頃。ワタシは、Rの母親に電話をするために、公衆電話へ
走った。

(つづく)


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