貨物船の船員さんと


こんな毎日を想像できないほど忙しい毎日を過ごしてきたので
カルチャーショックどころじゃない。

通信さんとの将棋、2等航海士セコンドオッサー岡村氏、
3等航海士との五目並べ、
特に船長室でのマージャンは大人のやりとりだった。
23歳の若ぞうの出る幕ではない感じ
でも
こちらも毎週徹マンして鍛えた盲パイの腕の持ち主だ。
仲間になってするにしても
持ち合わせがない。
(これはおおっぴらにいえないし船員さんに
迷惑がかかるといけないけど、時効にしておいて)
でも幸いに1等航海士チョーサー宮本氏が私が責任をもつので「やってみー」
運が良かったのだろう、ソンも得もしなかった。
彼らの腕のたつのは航海中の楽しみの一つだから当たり前なのかもしれない。

太っ腹チョーサーは、見かけも太っ腹で、
甲板で逆立ちしてやせるためにもがんばっているけれど
船の生活は根気がなくなるよ、と嘆いている。
事務長丸山氏は紳士だ。明治大学出のインテリ、まだ若いが30前くらいだろう。
セカンドオフイサーは、話しやすい気さくな好人、
あれから39年経つがいまだに年賀状のやり取りをしている。
通信長人呼んで局長は1メートル80センチの大男。
42歳のひげの濃い浅黒き男性、笑顔のとき目が三日月になる。
鶴岡監督に似ている。

「おまえまだ童貞か?」
男43名の船室や甲板での話はどちらかと言えばそんな話が多い。
ビールをがぶ飲みして、話が延々とつづく。

最後に船長は木村氏、背は低いがどっしりとした体格、
足の太さは甲板では安定感があってよい。
彼の終戦時の呉沖のアメリカ軍のしかけた魚雷に命中し、
彼が浸水をとめにエンジンルームに駆け下りた話に感激。
海図で魚島を見つけてそこに座礁して、そこで出会った女性との
ラブロマンス。彼女との和歌のやり取りが始まり
彼の和歌を聞く。
「鹿島立つ万里の潮路を安らかに、今日の此の風伝えてしがな」
しかしこの恋は家庭の事情で実らなかったとのこと。

「シャワーに入ります」
こんな案内が時折スピーカーから流れる。
雨が降ってくるのではなく、
こちら側が雨に入っていくのだ。
これには感激した。
自然が主体ではなく、主体は船なのだ。
我々が雨に入ってあげるのであって、
雨が私たちに降ってくるのでない。
なんだかすばらしいではないか?

突然サイレンが鳴った。
出火しました!
22名と21名に分かれて集合!
私は22名の部類に入った。
多い方は非難ボートにのってもひとり多いので
なんだか不安だなぁ、そんな利己的な思いがよぎって
よけいに不安になる。
ボートにのるのか、面白いと思ったら
「今日は止めとく、
一応避難訓練しとかなくちゃ」ね、って。
でも危険物を運んでいるので
火がついたら、この船ひとたまりもないね、
爆発だよ。

夜が怖い、思っているより不気味だ。
波もなくエンジンの音だけが響いている真夜中に
甲板に出ると
歩けるような錯覚に陥る。
この海の底は、青空の海の底とは違うのじゃないか?
ひとりで甲板にでて物事にふけるなよ、
という忠告が耳にこびりついていた。

私はフルートを持ってる。甲板で夜中に吹いていたら
2等航海士、ボースン、通信士さんたちが寄ってきた。
日本の民謡、さくらさくら、荒城の月、などなど
みんなしんみりしてきた。
日本を離れて日本を思い出さしてしまったようだ。

めったに貨物船でお客さんがのることはない、
こんな音楽を聞かせてくれるお客なら大歓迎や!
機関士の老人がうれしそうにおせいじを言う。
うれしい、この上もなく甲板がうるわしい。
海の男たちの広い心に触れた波の上は地上では味わえない
心の豊かさと広さだ。

月が真っ白に輝いていた。
それが海面で輝いている。月は二つある。
日東商船「徳和丸」は日本からどんどん離れて
一直線にニュージーランドへ
近づいていく。

追伸:1963年の日東商船の「徳和丸」の船員さん!
もしニュージーランド航路に乗っておられた方を知っておられたり
ご本人がこれを読まれたらぜひ連絡ください、お会いしたいのです。



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