京都大文字焼きのルーツ


そうではありません。キリスト教なのです。
 8月16日の夜にお盆の送り火として行われます。
山の斜面に大きな火の文字が浮かびます。
風流であり、また先祖の霊を思い浮かべる何かが
そこにありそうな感がしています。

 京都のみならず日本国中の人が親しんでいる行事です。
でもこれは京都よりもっと古い文字焼きの風習が群馬県に
あるのです。
 1300年ほど前に羊太夫というクリスチャンがいました。
秦氏です。700年A.D.ごろです。
 彼の墓から「INRI」(ユダヤ人の王ナザレのイエス」
の略と記された銅版が発見されています。
 その辺りのリーダーでして、彼がなくなったとき
人々は彼を惜しんで弔いの行事を始めたのです。
 山の斜面に大きな火の文字をうかび上がらせたのです。

 火は、ユダヤ教でも原始キリスト教でも祈りの時に
使いました。ローマ・カトリックでも、東方キリスト教でも
ロウソクを立てます。
 火は、祈りを表したものです。その風習を9世紀に
弘法大師が見て、京都で始めたのです。
 景教(キリスト教であり、光の宗教と言う意味)研究家
エリザベス・ゴードン女史も
「京都の大文字焼きは、空海が景教の風習を
取り入れて始めた」
と言っています。
 あの大文字の「大」は人の姿を表したものです。
大の字になっている人の姿。
 仏教の風習と思っている人がほとんどですが、
その本当のルーツは、キリスト教なのです。
 大の字になって祈るのは、旧約聖書のなかで
モーセ(神さまから十戒を授かった人)は、
芝が燃えているのを見てそこにひれ伏して祈りました。
その当時の祈りの姿は大の字になってひれ伏すのです。
山で燃えている芝の前で大の字になっている祈りの姿と
あいまって、日本人の祈りがそこに込められているなら
第2次世界大戦の戦争終戦日の翌日に
京都で神に祈るその行事も大きな意義をそこに
見出すことができるのではないでしょうか。
私は感慨深くそれを見るだけでなく
1人静かにひれ伏して祈りたい思いになるのです。
そんな日本人が1人でも多く起こされますように。

 ユダヤ教徒は、死者を大切にしました。
東方キリスト教徒も景教徒も死者を丁重に弔いました。
 古代の日本にいたキリスト教徒たち(秦氏など)は
死者や先祖を非常に大切に弔ったものです。

この内容は、レムナント誌から参考にさせてもらいました


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