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2.ぼく、本当は良い子なんだよ
2.ぼく、本当は良い子なんだよ
S君のIQは著しく低い。だから、勿論、成績は凄く悪く、通知票は殆ど1ばっかりだ。S君の家庭はひどく貧しく、生活保護を受けている。だから、そで口の伸びたセーターに破れたズボン、はなを垂らした汚れた顔。
それだけで、初めからS君は問題児だ。「勉強は出来ない、身なりは汚い、乱暴はする。」これが問題児でなくて誰が問題児になるだろうと、誰も疑問を感じない。
「ああ言う子はね、先生、何をやっても無駄よ。」
みな初めから、決め付けている。諦めている。
目に見えるS君は、確かにそうかもしれない。そう言う所がある。でも、私には「だから、S君は問題児だ」とはどうしても決め付けることは出来なかった。
IQが低いと言うことはS君のせいではない。家庭が貧しいと言うことだってS君のせいではない。でも、S君は何故乱暴するんだろう。何故、乱暴しなければならないんだろう。
そんな思いを抱きながら、しばらくS君を見守っていた。他の子と同じ様にS君を注意したり褒めたりしながら・・・・。と言っても、授業中に奇声を上げる、女の子やおとなしい子に乱暴すると言うような行動が多かったので、注意する回数も自然と多くなる。でも私には、やっぱりS君のことを悪い子だ、問題児だと決め付けることは出来なかった。目が合うと、はにかみを浮かべてにっこり笑うS君。時々、ぼんやりと遠くを見つめる淋しそうなS君の表情。次ぎの瞬間には、ハッと我に返った様に、「バカヤロー。てめぇら、ぶんなぐるぞ-!」と乱暴な行動に出るS君。
はにかみを浮かべた微笑も、淋しそうな表情も、ほんの一瞬の事なので、余ほど心を込めてS君の事を見ていないと、だらしない服装、汚れた髪や顔、粗暴な言動、5点や10点のテストの影に隠れて決して見る事は出来ないS君の一面なのだ。面というにはあまりに小さ過ぎる、ほんの小さな一点なのだ。
でも、この小さな点から、私は、S君と心を通わせ会うことが出来るような気がした。家が貧乏でも、勉強が出来なくても、一人の人間として、S君は素晴らしい心を持っていると、私は直感した。「本当に美しいものって言うのは、目に見えない所にあるんだ・・・。」星の王子様の一節が思い出された。
しかし、それは余りに小さな点だったので,慌てたり押し付けがましい事をして壊してしまいたくなかった。ありきたりのお説教などして,折角S君が見せてくれた変化への糸口を摘み取ってしまいたくなかった。
私は,何時も心理劇のことを考えていた。私が心理劇から学んだことを、体験したことを子供達と分かち合いたいと思っていた。
場面を設定したり,役割を賦与したり役割交換の技法を使って劇を展開させていくのではなく、生活そのもの,毎日繰り広げられている子供達との生活場面で心理劇の原理や私が体験し学んだ技法を活用して発展的な関係を作っていきたいと思っていた。
日々の生活の中で『今、ここで、新しく』この子達と一緒に振舞い、子供達も私も変わっていけたら、発展していけたらと考えていた。
そして、それを、日々の生活の中で実践し始めた。劇ということに少し抵抗を感じていた私にとっても、劇をすることに慣れていなかった子供達にとっても、生活の中での心理劇は中々スムースに展開し、発展していった。
S君の事にもそれとなく気を配りながら、三ヶ月ほどたった。教室の中も和気藹々としてきて、もうすぐ夏休みと言う何となくうきうきした気分が教室中に漂っていた。
そんなある日の算数の授業中の事だった。
グループに分かれて問題を解いていた。それぞれのグループから一人ずつ代表が出て、黒板に答えを書き、子供達で答え合わせをしながら授業が進んでいた。
S君が彼のグループの代表になり、黒板の前に出てきた。ところがS君は、黒板の前でもぞもぞしている。
「S、おまえ出来ないのか!簡単なのに出してやったのに。おまえの為に、僕達のグループ負けちゃうじゃないか。」
「そうだよ、そうだよ。負けちゃうよ。」
「S君、馬鹿なんだよ。」
「ああ、良かった。S君と同じグループにならなくて!」
こんな風に、口々にS君を馬鹿にし始めた。それらが、子供達がS君に向ける目なのだ。ほとんどの先生や、父母達のS君に向ける目なのだ。
S君は、真っ赤になって、憎しみに満ちた目付きで子供達を睨み付けている。私は、
「ストップをかけるのは今だ!」
と思った。
私(先生):はい、ちょっと待って 。S君席に戻って。
S君 :席に戻る途中、女のこの頭をポカンと一発殴った。
女の子:やーね! S君は。 - S君を憎々しげに睨み返す。
S君 :何だとー。てめー。もう一回言ってみろ。
先生 :はい、S君席に戻って。
S君 :ふてくされたように、大きな音を立てて席に着く。
子供達:何、どうしたの先生?
先生 :どうしたのって、皆、気が付かなかった?
先生、ちょっとおかしな事が起こったようにに思ったんだけど・・・。
子供達:えっ、何?どうしたの? - 全く無邪気なのだ。
先生 :君達、体育好き?
子供達:好き好き。あったり前でしょう。変な事聞かないでよ。
先生 :体育の時間のS君の事思い出してみて。
子供達:-ちょっとびっくりしたような感じで- それがどうしたの?
先生 :体育の時間のS君の様子、思い出せる?
子供達:-すかさず- S君、体育うまいよ。
:勉強は出来ないけど、S君、体育は得意だよ。
先生 :先生、S君勉強が出来るかどうかなんて聞いてないよ。
体育の時間のS君の事聞いてるのよ。
子供達:S君私が逆上がり出来ない時に教えてくれた。
:ドッジ・ボールの時、S君がチームに入れば何時も勝つんだよ。
:S君てでんぐり返しがすごくうまいの。
:あたしもあんなに出来たらいいのになー。
:今度、おれのチームになれよな。
先生 :それなのに、S君に算数の計算が出来ないからって笑うの?
馬鹿にすの?その辺が、先生にはちょっと変だな、
おかしいなーと思うところだけれど・・・。皆はどう?
子供達:・・・・・・・・・・。 -教室中一瞬静まり返る。
先生 :人には、それぞれ得意なものがある訳でしょう。
A君は算数、B君は絵が好きって言うように・・・。
-いけないな、お説教になってはと、少し困り始めていると・・・
子供達:S君、僕のとこへ来いよ。教えてあげる。こんなの簡単だよ。
:そうよ。S君、やれば出来るのよ。
;僕が教えてあげるから、やってみなよ。
先生 :子供達の「今」的な態度に救われた思いで、ホッとしながら、
「子供ってすごいなー。私が、いくら『今、ここで』なんて言っても、
子供達のあの早さには着いていけないな。」と思った。
そして、心の中で苦笑した。
「全く、子供達って調子が良いんだから・・・。」と。
S君 :チラッと私の方を見る。
先生 :皆がそう言ってくれてるじゃない。教えてもらったらいいよ。
S君 :照れくさそうに、もじもじしている。
H君 :-自分から、S君のところに出向いて行き、S君に教え始める。
S君、早く黒板に出てやっておいでよ。
子供達:S頑張れよ。S君、がんばってー。
-子供達の声援が、S君の行動を促したようだった。
S君 :ニヤニヤしながら、恥ずかしそうに、決まり悪そうに黒板の前に立つ。
それから、式と答えを書く。
先生 :合ってますか?
子供達:合ってるう。
:出来た出来た。
:万歳!万歳! S君、出来たぞ!
S君の肩を叩く者、わざわざ席を立ってS君に握手を求めに行く者。自分達も勉強に飽きてきたものだから、わいわいがやがや・・・・。
私は、ニヤニヤしながら、黙って子供達を見ていた。「何が万歳よ。さっきまで馬鹿にしてたくせに・・・。」そして、「全くいくら偉そうなこと言っても、私も大人の端くれ、ああはいかないな!」とすっかり感心していた。
授業の終りのチャイムが鳴ると、日直はいち早く「きょうつけ。礼。」と号令をかける。子供たちは、「わーっ」と元気良く外に出て行った。
それから、しばらくたった日の国語の時間。漢字の練習をしている時の事だった。私が机間巡視をしていると、突然、
「やーだー!S君たら、止めてよーっ!」
と女の子の甲高い声がした。見ると、S君は前の女の子の背中を突っついたり、髪の毛をひっぱたりしているのだ。私は、
「先生、ちょっとS君と話してくるから、皆さん今の続きしててね。」
と言いながら、S君の机の所に行ってしゃがんだ。S君の顔が私の顔のまん前にある。
先生 :「S君。」 -S君の目を真っ直ぐ見た。
S君 :目がキョとキョチ動き、視点が定まらない。
先生 :-何かS君の心の中にあるんだな、何だろう。
自分が悪かったって思ってるのかなと思いながら・・・
「またやっちゃったね、どうしてだろうね。」
S君 ;うるさいなー、と言う感じでふてくされた目付きで何処かに目をやり、
私を無視した。
先生 :このチャンスは逃せない。ほんの一歩、私からS君に挑戦してみよう。
三ヶ月間、S君を見守ってきた。S君と私の間にも、何とはなしの信頼関係のようなものが育っている。余りに恐れすぎても、S君は、私の手からするりと逃げてしまうかもしれない。先生は、君の味方なんだよと言う気持ちを声や表情に表し、S君が心を閉じてしまわないように気を付けながら話始めた。
先生 :「先生、ずっとS君の様子を見てきたの。友達に乱暴するね。
女の子をよく泣かしたね。お掃除をさぼっているのよく見るよ。
忘れ物もするね。授業中も騒ぐね・・・・」
S君 :「ぼ、ぼくね・・・・」
-時々ほんの一瞬見せる、何処か遠くを眺めるような
あの淋しそうな表情が、S君の顔に浮かんだ。
先生 :私はS君を信頼しきって静かに、S君の次ぎの言葉を待った。
S君 :「ぼくね、ぼくね・・・・・。」
-ちょっと上ずった調子の外れた声で繰り返した。
それから、突然、私をじっと見つめて、
先生 :-何? 表情で彼の目に答えた。
S君 :「ぼくね、ぼくね・・・・、本当は、いい子なんだよ。
いい子にね、いい子にね・・・、なりたいと思ってるの・・・。」
そして、こんな恥ずかしい決まりの悪い思いはした事がない
と言うような表情になり、
「ぼく、いい子になりたいって思うんだけど、
どうしてか分からないけど、どうしても悪い子になっちゃうの・・・。
先生 :何か熱いものがこみ上げてくるのを感じながら、黙って聞いていた。
S君は、まだ形にならない私の涙を見たかもしれない。
S君 :「手がね、こう、出ちゃうの・・・。」
「この手がね、こう友達をぶっちゃうのね・・・・。」
そう言うと、もうこれくらいにしてよ、
もう耐えられないよと言うように、
また、目がきょときょとと動き始め、体をもぞもぞ動かし始めた。
先生 :緊張を緩めなかった。「もう一歩、頑張って!」
と心の中で、S君と自分に向って叫んだ。
「そう。そうだったの。先生S君のことよく分かった。
先生もいつもS君は本当はいい子だなあって思っていたの。
君もそう思っていたんだね。
それなのにどうしていじめちゃうのかなぁ。先生応援するから・・・。
S君 :また落ち着きを取り戻して、
「ぼくね、この席にいるでしょ。だってね、ぼく何時もいじめるでしょ、
この席にいるの悪い子でしょ。
ぼく、何時もここにいるでしょ、だからねぼくねいじめちゃうの。」
先生 :-もう胸が詰まりそうだった。S君は、感じてるんだ。
僕が悪いんじゃなくって、関係が悪いんだって。
レッテル貼られて苦しんでるんだって。
それで、この難しいことをたどたどしい言葉で、
一生懸命に説明すようとしているのだ。
「そうだね。S君のいう通りかも知れないね。
S君は変わりたいと思っても、
何時も同じ席にいるんじゃあ変われないかも知れないね。
やってみようよ。席をかえよう。
新しい席には、あたらしS君がいるかもしれないね。」
S君の口からこんな素晴らしいことが聞けるとは思ってもいなかった。
私の方がすっかり興奮していた。
「ああ、また子どもに教えられた。」と。
「ちょっと待っててね。」
S君の傍を離れて、教室の前に行く。
先生 :「皆さんに自習してもらってる間にS君と話してみたの。
S君は本当は良い子になりたいんだって。
皆が迷惑するようなこともいっぱいしたけど、
何時も良い子になりたいと思っていたんだって。」
「ねっ。S君。」
S君 :黙ってうなづく。
先生 :「どうしたらいいかなって聞いたら、
S君、この席にいる自分は何時も悪い子だったから、
席をかえればいいかもしれないって言うの。」
子供達:「えー、ほんとかなあ。」
「席替えすればよくなるの?」
「僕は、そんな事ないと思うな。」
「いいよ、いいよ。はやく席替えしようよ。」
先生 :「やってみないと分からないわよね。
初めから出来ないって決め付けちゃったら、誰も変われないよね。」
子供達;「そう、そう。やってみようよ。」
「僕、席替わってあげるよお。」
僕が替える、私が替えたい・・・・、皆わいわいがやがや・・・。
先生 :有り難たいね、S君。みんな君のこと応援してくれてるんだね。
でも、S君は一人だから・・・。
それじゃあ、S君と一番中のいいE君替えてもらおうか。それでいい?
子供達:「いい、いい。」「いいよ。」「それがいいね。」
先生 :S君も、E君もそれでいい?
S君 :「いいよ。」
E君 :「いいよな、S君。」
S君とE君は席を替える。
先生 :ほんと、S君違う子みたいだね。
S君 :なんかすごくさっぱりしたと言う感じで、
照れくさそうに新しい席に座って、にこにこしている。
その時、S君の目は、何時になく輝いていた。私は、
「S君、席替えして上げたんだから、いい子になるのよ。約束ね。」
なんて言いたくなるのだが、でもそう言ってしまったら、せかっくのS君の自発性が紋切り型のお説教の中に丸めこまれて死んでしまう。
結論や答えは子供達が出すだろう。今、ここで、S君も、子供達も、私も、新しい体験をした。それぞれに、それぞれの立場で、新しい体験が成立した。それで十分ではないか。
私は、授業を続けた。
その日の放課後、S君が、雑巾を持ってお掃除をしていた。何だか清々しい顔をして、甲斐甲斐しく黒板を隅から隅まで一生懸命に拭いていた。そう言う時、何時ものことながら、大人の端くれである私は、つい心の中でニヤニヤしてしまう。でも、顔には出さないで、
「ああ。黒板、綺麗になったね。こんなにきれいな黒板だと嬉しいな。勉強しやすいものね。先生も、もっと字をきれいに書かないとね・・・。」
「あ。そうだ、黒板拭きも、ぼくはたいて来ようっと。」
褒められて、S君は照れてしまった様だった。あんまり決まりが悪かったので、三つの黒板拭きを抱える様にして教室を飛び出して行った。
結構、S君も心の中でニヤニヤしてたんじゃないかな・・・・。
S君は、しなやかな心と、敏捷な運動神経を持っていた。
マット運動の時のS君のしなやかな身のこなしと、ドッジ・ボールの時の敏捷な体さばき。それは、S君のはにかみを浮かべた微笑と、遠くを見つめる寂しそうな表情と一緒に、私が何時も思い出すS君の姿だ。
それから、5~6年もたった頃だろうか、ブルックリンの私のアパートに、日本の実家から、私宛ての年賀状が何枚か送られて来た。
何と、その中の一枚はS君からの年賀状だった。
「カズ姫先生、明けましておめでとう御座います。ぼくは、元気です。今、中学三年生です。先生、何時までも美人でがんばて下さい。ぼくもがんばります。」
「私達は、お互いに、目に見えない所に、本当の美しさを感じ合っていたんだなぁ。S君が、私の中に見つけてくれた美しさを、私は、絶対に失わないでがんばっていこう!」
と思った。S君、有り難う。
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