断章

断章

http://plaza.rakuten.co.jp/nipponites/diary/200404300000/
より抜粋


とある心あるメッセージと不信心者の会話



Re:【再放送】ファイト♪戦う君の歌を♪戦わない奴ら笑うだろう(涙声バージョン)(04/30) 修理固成さん

戦うとは、現実にまみれること。
戦うとは、金を貯めることだけではない。
戦うとは、戦わない奴らに笑われること。
戦うとは、色々と苦しいが勝つと今まで
味わったことの無い幸福感に包まれること。
それでも、戦うとは、多くの人の感謝の
言葉によらなければ、完成を認識できな
い行為。
戦うことを不幸にも見つけたなら、地道に
人の目をあまり気にせず、かといって迷惑
もかけずに続ける立場を維持しよう。
 ファイト!(2005年04月10日 00時52分02秒)



Re[1]:【再放送】ファイト♪戦う君の歌を♪戦わない奴ら笑うだろう(涙声バージョン)(04/30) nipponitesさん

修理固成さん、こんにちわ。1年前の日記にこんな含蓄のあるコメントをつけていただいて、恐縮です。

>戦うとは、色々と苦しいが勝つと今まで味わったことの無い幸福感に包まれること。それでも、戦うとは、多くの人の感謝の言葉によらなければ、完成を認識できない行為。

戦うといっても様々な状況がありますね。1)ボクシングや将棋のような勝者と敗者が明確に現れるゲーム。2)株のように完全なゼロサムゲームではないが、漠然と勝ち組、負け組がわかるゲーム。3)人生のように、勝者も敗者もなく、もし敢えてあるとすれば、それはそれぞれの心模様の中にあらわれる自分の姿絵をどう思うか満足するかにかかわるゲーム。

戦うことを一度選んだなら、1)と2)では人の感謝の言葉など必要とせずに、私は戦いつづけ、幸運にも勝者となったなら、不遜にも敗者の悲鳴と羨望の言葉を餌食にして、勝者の雄叫びを上げる事でしょう。同時に戦いから一時的に解放された安堵と虚脱から、全ての人に愛を注ぎなおす事で禊(みそぎ)のふりをして自己満足するのでしょう。

>戦うことを不幸にも見つけたなら、地道に人の目をあまり気にせず、かといって迷惑もかけずに続ける立場を維持しよう。
> ファイト!

魂のある言葉ですね。私はそれをニーチェのように「敗者の論理」というつもりはないけれど、それに同調して魂に安らぎを与えた生活をするつもりもありません。たぶん、今までの「私を私たらしめていたもの」がそれを許さない宿唖にあるのでしょう。けれど、いつの日か私もこんな生活に疲れ果て、悔恨の言葉とともに魂を清らかに帰依させる日が来るのかもしれません。それが死の間際なのか、もうすこし前なのか、もうこれからちかぢかに起こる事なのか、私にもわからないのですな。

こんな不信心者に救いを説いて下さったご好意には深く感謝いたします。

(2005年04月10日 09時54分47秒)





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