鹿島槍ヶ岳からのお便り

鹿島槍ヶ岳からのお便り

夏の特別講座-愛敬浩二さん



信州大学経済学部助教授 愛敬浩二先生

夏の特別.jpg


参加できなかった私、ビデオ記録を何度か見てまとめました。
小気味良い講演会、タイムリーな講演会のようでした。


 冷戦が終り武力によらないで戦争を解決していく流れと、国益になるなら他国を殴ってでもという武力による平和。日本はどちらを選択しようとしているのか。こういう状況の中で、?国民一人ひとりの責任は重い。岐路にある今だからこそ、きちんと考える必要がある??マスコミなどでは日本は対米従属の点から戦争参加へ向かっていると書かれているが、政府はやりたくてやっている?。今日の学習会のポイントはこの二つ。
 「戦争というのは結局、この子どもたちの歌声を空襲警報のサイレンが押し殺すことだ。恥ずかしそうな笑みを恐怖の表情に変えることだ。それを正当化する理屈をぼくは知らない」(池澤夏樹『イラクの小さな橋を渡って』より)この言葉が全て。仮にフセイン政権が悪だとしても、歌をうたっている少女を殺してもいいとは絶対に言えない。長崎幼児殺害事件で某人が「親を市中引き回しに」と言ったが、それならブッシュもそうすべき。戦争で人を殺すことのみ正当化するのは、戦争をやりやすくしている。

1.「三つのグラウンド・ゼロ」
 9・11とアフガン攻撃/『イラクの小さな橋を渡って』/スミソニアン博物館「原爆展」企画の波紋をグラウンド・ゼロの視点(〇mで見る?現地にいってその立場にたつ)で見る必要性。例えば実現しなかった「原爆展」。核兵器を使う恐れの一番あるアメリカが核の悲惨さを知らない。それが「日本は戦争の反省をしてないのに、アメリカが先に反省する必要はない」「原爆はアメリカ人だけでなく日本人も救った。慈悲深く戦争を終らせた」という発言につながる。

2.正義なきイラク戦争-アメリカ政府の現在
 9・11の直後からイラク攻撃は浮上しており、攻撃理由を探していただけ。「反テロ戦争」「大量破壊兵器」「イラクの民主化」と変化している。大量破壊兵器も化学兵器も未だに見つかっていない。イラク戦争は国家対国家の戦争なのにマスコミは?自爆テロ?という表現をしている。自爆攻撃が正しい。大体イラクはあの程度の攻撃しかできなかった。経済制裁の中で、大量破壊兵器などは作れるはずがないと、アメリカの査察官も言っている。最後にたどり着いた「民主化」という理由も国連や国際世論を無視し、情報操作までして戦争を始めている。これは正義のない戦争、侵略戦争にほかならない。アメリカは戦争による外交しかできず、そして戦争を選択できるのはアメリカだけ。決して石油目的だけの戦争ではない。

3.根拠・理念を欠いた軍事支援と「軍事大国化」-日本政府の現在

 ア.一九九〇年代の軍事大国化の歴史
 冷戦が終結した時、仮想敵国を作って軍備を整備してきた日本は困惑した。そこで国連中心主義をとりPKO協力法を制定し海外派兵体制を整備。次いで周辺事態法、テロ対策特別措置法で国連決議に関係なく海外派兵ができるように、自治体には努力規定が課された。9・11を利用してPKO等協力法や自衛隊法の「改正」で武器使用を拡大し防衛機密保護規定を導入した。さらに有事法制が制定されアメリカの戦争への協力を国民や自治体に義務づけた。つまり、アジアで米軍が軍事行動を起こした時点で、周辺事態法で自衛隊が後方支援を始める。この瞬間に日本は戦争当事国となり、攻撃される危険性が生じる。政府は後方支援だからと言うが、戦争で一番狙われるのが前線と共に後方支援(兵站)と言われている。当然武力攻撃予測事態となり有事法制が発令される。日本が攻撃されたら国民の一人ひとりが協力するのは当たり前ということで、国民の動員が可能となり、海外での武力行使もできる。これが戦争突入への一連の流れだ。そして、イラク新法では、戦場での後方支援を実現させ、集団的自衛権行使をしようとしている。

 イ.背景 こんなにも軍事大国への道を猛進するのは、アメリカへの従属だけでなく、国益のためには武力を使うという人たちが日本の重要なポストを占め始めていることの表われ。アメリカに頼らずに自衛隊の単独派兵ができれば、日本の国益にとってこれに勝ることはないということだ。経済人から「資本・人材を守れぬ九条」という発言が出るなど、今ほど民間や企業から改憲を望む声が出されたことはかつてない。

4.憲法九条の「精神」と「効用」
 小泉首相は七月に「非武装中立論は無責任」と発言している。

 ア.九条は理想論だと言われるが逆で、リアリズムからできた。日本を統治したアメリカが「日本からの安全保障」のために、敗戦国の武装解除を目的として作ったもので、「日本の安全保障」のためではない。ということは、押し付けられてはいない。

 イ.一九五〇年代の冷戦下で反核運動や基地闘争などの平和運動を通して、日本人自らが憲法九条を非武装平和主義という「理想」へと転換していったもの。むしろ押し付けられたのは「自衛隊」の方だ。朝鮮戦争で米軍出動後の穴を埋めるために作られたのが警察予備隊(自衛隊の前身)。つまりアメリカの世界戦略の下請けとして出発しているのだ。

 ウ.憲法九条の効用は日本政府の軍事的選択を何度も抑止してきている。六〇年安保、ベトナム戦争、九四年の北朝鮮危機などに自衛隊投入論もあったが、九条があったが故に投入されずにきた。

 エ.「武力によらない平和」の可能性
 「武力による平和」と「武力によらない平和」という世界史的岐路にある。その中で、「平和国家・日本」の責任と可能性を見ると、先ず、有事法制はできてしまったけれど、それを発動させないようにすることが大切。そして、アメリカの世界戦略が在日基地に依存している事実を踏まえて、日本国民がいろいろな方法で米軍の軍事行動をしにくくすることが、ひいては国際貢献になる。例えば、非核宣言自治体や非核条例など核兵器に対する視点を持ち続けること。

 オ、平和のための想像力
 アメリカが簡単に軍事や銃を使うことは世界的に見てもおかしいと思う感覚を、同盟国である日本は持ち続ける必要がある。
 カ.今、「松代から考える」ことの意味
 戦争指導者たちはこの大きな壕に入り戦争を続け、関東地方から避難してくる人々を碓井峠で阻止・排除しようとしていた。まさにマツシロは「軍隊は国民を守るのでなく、戦争決定をした一部の人を守る」ことの象徴である。その日本が軍事的オプションを取り始め、さらにアメリカという武力による平和を求める国を同盟国としている。本当に有事なのかどうかの見極め/アメリカの世界戦略という視点から見て、日本をアメリカにとって使いにくい国にすること/日本では軍隊は国民を守ったことがないことを語り継いでいくこと、こんな努力を地道にしていこう。


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: