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今日は、ウィルス検査のためのみの採血に行く。結果は来週。72回を終えたので、今週はインターフェロン注射がお休みという貴重な1週間。女医さん「来週からはレベトールを飲まなくてもいいから、身体は楽なはずよ」先生!そんなこと言ったら、私、もうじっとしていられないよ~!!!ひたすら脚力の復活に努めようっと。さて、今朝の鹿島槍はこんな状態。朝7時に校正をもってくるという人のために、工場に行ったついでに撮ったもの。淡い鹿島槍と、里の秋が絶妙のバランスです。そう言えば、先週末の雨のあと、私の周辺もきれいに色づき始めました。けやきの紅葉ってこんなにきれいだったのかと思うくらい、今年のけやきはすてきです。で、私の村はこんな「里の秋」になっています。****************昨日書いたブログとタイミングよく、NHKbsでハイビジョン特集『いつかぼくらは鳥になる』という番組が流れた。パプアニューギニアの子どもたちの生活を中心に1時間半。9歳、14歳、25歳の男の兄弟。年齢差は、そのまま生きてきた時間の差であり、体験の差となり、知識の差となり、生きる力の差につながっている。その9歳の少年が話した。「僕は大きくなったら、兵隊になりたい。兵隊になれば、いろんな所に行くことができる。がんばれば兵隊になれると思う」「鳥」とは、その少年の住む集落の守り神。精霊である鳥の木彫りを代々伝えていく。それが一人でも彫れるようになると、一人前の男の一つの証。鳥になって大空に飛び立ってほしいけど、兵隊にはなってほしくないな。どこで「兵隊」という姿が記憶されたんだろう。少年の住む所は、セピック川。その昔、激戦というよりは、大本営の無謀な作戦によって、日本兵が白骨街道を作ったところ。昨日のブログの場所でもある…
2007年10月31日
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「パプア・ニューギニア」の意味知っている?「パプアはね、髪の毛の縮れたという意味。ギニアはアフリカのギニアのことで、住む人の肌の色がギニアの人々に似ていたからニューをつけたと、現地の人に聞いた。それを聞いたときには、涙が出たよ」と、昨年慰霊に加わった人のお話を聞いた。パプアの歴史初めて知った。何となくトロピカルでいいな、なんて思っていた私の馬鹿さ加減!!!!******************24日から「秘境ニューギニアと撃墜王 西沢広義」展が始まっている。主催 小川村ニューギニア会(ニューギニアで戦死した村出身者29人の遺族の組織)共催 小川村遺族会 西沢中尉の同級生後援 長野県ニューギニア会 小川村教育委員会 小川村公民館 小川村商工会※後援に教育委員会があるのに、村と議会はない。まるで松本市が戦争展を後援したのに、市教育委員会が「9条を守る」を前面に出したイベントは後援しないとしたのと、逆だけれど似たようなケースだ。この企画の広報用原稿(不肖私めが書いた)を再三再四修正されたあとに、村長に会いに行った。先客がいて結局は話せなかったのだけれど。(話せなくて良かったと思う。周辺にいる私が話すより、当事者同士が話すのが本筋だもの。でも、それはなされなかった)でもさあ、村長さん、「戦争賛美の記事は載せられない」と言う前に、主催者と膝をつめてその思いをくみ取るくらいの度量が欲しい…と私は思う。それができるのは、「互いに顔の見える自治体」だけのはず。※戦争を語ることは、地方に入れば入るほど、難しい。ましてや遺族が企画したイベントとなると…もちろん遺族の方々も「戦争賛美でやるわけでは決してない」と語る。その心情もよーく伝わる。自らの肉親を戦争で失っているのだから。ただ「戦争賛美」でないとしたら、何を中心に訴えるのかを、携わる者全員でもっともっと話し合う必要があったなあと思う。そこが不足したために、私を含めた周辺の者が「あーでもない、こーでもない」と口をはさむ余地ができてしまったのでは…「24歳で戦死した西沢中尉を通し、名も知れず戦場の露と消えた若者達への手向けの講演」だけでいいのだろうか。残された家族、撃墜された相手、特攻そのものなどをきちんととらえないと、単なる悲劇のヒーローの話に終わってしまうのではないだろうか。9月14日のブログに私が関わった理由を書いたけれど、ほんの少し関わった私でさえ、身を削られる思いがした。中心になって推進したTさんは、「もうこんなことはやりたくない」と嘆く。でも、この企画自体はすばらしいことだし、誰かがやらなければいけないものだ。だからTさん、これからも、あなたの知識・資料を私たちにもっともっと伝えて。波紋はどう広がるかわからないけど、やっぱり石は投げられたのだから…※私は左寄りだと自分では思っていたのに、今回、右寄りの面も持つひろーいエリアの人間になってしまったみたい。これは一重に私の認識の甘さのせい。といっても、もともと右だの左だのと分別するのがおかしい。これからも、オールラウンドでやっていきたいな、私は。
2007年10月30日
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といっても、ご本家のタカネビランジですが…マイナーなタカネビランジは掲載されるかなーと期待せずにいましたが、本日このとおり。これは地元紙「信濃毎日新聞」の投書欄「建設欄」に毎日掲載されている『続 山に咲く』シリーズです。「いっそう愛らしさが募る花」……ふむふむ、さもありなん。「変わった名前だが、その意味は不明」……、ふむふむ、正体不明なのか。なんか、似てるじゃなぁい?(こら、笑ってはだめよっ)「南アルプスの特産」……そうなのだ、台風の中、小石の飛ぶ稜線で見たこの花に心奪われ、一粒だけを、このO村に移植した…?それ以来、takanebiranjiは、心を奪われたタカネビランジに何とか近づこうとしているのよ。**********************25日、血小板 56000で50ml注射。ペグ・インターフェロン+レベトールの治療は72回を終えました。(レベトールは31日まで服用します)1週間休んで、11月9日からペグ・インターフェロン+レベトールの一段階前のペガシスを始めます。
2007年10月29日
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かぶれの注射3本め。ざくろの実はかなり「てかり」を失い、生き生きさも減ってきました。もうちょっとの命だぞ~、覚悟せよッ!!かぶれも弱まってきたから、IFの注射もできたらやろうと、血液検査。ところが血小板が49000。一昨日測った時は53000で、「まだ1週間経っていないから、こんなもの」と女医さんと2人でにんまりしていたのに…その前週の170000ていう数字は一体何だったのさ。大盤振舞するからこういうことになるんだッ。21日、汗を流して、ざくろの実が広がるのを心配しながら、こちらも気になっていたさつまいもを収穫した。昨年に引き続き、スマートなさつまいもはほとんどなく、ふとっちょ君がたくさんいました。これは私が「さつまかぼ」と名付けたおかしなさつまいもです。これは記念にしばらく保存しておきます。見かけはどうであれ、甘いおいもでした。2本蒸して、私の夕食代わりにしました。でもでも、葉っぱが元気だった割には、おいもさんの数は少なかったです。
2007年10月24日
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本日72回めの注射……………のはずでしたが…両手肘から先端と、首の周囲と顔に湿疹が出ました。両手は現在、ざくろの実のような状態です。かぶれには強いという自信を持っていたのですが、ざくろ状態、しかも水疱が並ぶようになってびっくり。昨日朝、医者に飛んで行きました。(ざくろになって、4日め)IFの治療をしているから、まずそこに行って諸注意を聞き、そのあと皮膚科に回ろうと。でも、女医さんのご夫君が同じ病院で外科をされていて、そこで診察。男医師さん「あっ、これは完全にうるしかぶれですよ」私「でも、うるしは知っているから絶対触っていません」男医師さん「でも、そうです」ということで、血管へ注射を1本。あとは軟膏と飲み薬をもらい、IF注射はかぶれの様子を見ながら、ぎりぎりまで延長することになりました。「私、かぶれには強いと思っていたんですが、なんでこんな状態になっちゃうんですか」男医師さん「今までにかぶれたことは一度もない?」私「ありますけど、多少赤くなる程度で治りました」男医師さん「蜂の毒と同じで、回数を重ねるとかぶれも酷くなりますね。自己免疫が強いせいですよ。それに体力が落ちているのも重なったのかもしれませんね」蜂の毒って、スズメ蜂なら2回目には抗体反応で呼吸困難起こして死んでしまう。それと同じぃ~!今年のうるしは、猛暑のせいか、結構ひどいかぶれを起こすようです。私の周囲でも2~3、そんな事例が耳に入ってきました。もっと早く耳に入れたかったぁ~!うるしには絶対、絶対触っていないから、原因は、14日に友人数人と里山の麓をうろちょろした時に、うるしの側へ行ったとしか考えられません。で、私がこんな状態ならば、もしかして彼らや、山の草木をおみやげにした彼女も同じ状態になってるのかなあと、心配で心配で。聞くに聞けない状態が続き…でも、それも無責任と先程意を決して、電話してみたら、一番心配だった彼女が何ともないということで、安心しました。だから、ブログに載せます(?)。紅葉にひかれて里山を歩こうと思っている人、気をつけてね。長袖を着ていてもこうなっちゃったんだからー(涙)
2007年10月23日
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19日の氷雨の中で、山々は白無垢に着替えていました。20日、21日と村の「おまつりスペシャル」があり、おでんの準備等々で、ちゃんと写真を撮る時間を持てませんでした。残念!20日午前9時30分の…さてどこでしょうか?(答はラスト)三脚を立ててずーっと待っていたのに、鹿島槍は姿を表わしてはくれませんでした。21日、朝6時。朝焼けです。稜線は見えましたが、双耳峰は見えず…あらら、あなたも見にきたのね。私と趣味が共通なのかしらん。21日、午前7時40分。集合時間ぎりぎりまで山を見てました。空もくっきり晴れたのに、双耳峰は…今夕、夕焼けの中に双耳峰のシルエットがくっきり浮かびました。答は五竜岳(鹿島槍の一つ北)でした。
2007年10月21日
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16日、71回めのインターフェロン注射。本来ならばあと1回で終りだったはずなのにぃ~ッ!!(愚痴は言わないッ!)勘違いしたのは、どうやら私ばかりではなかったらしい。採血を終り、血液分析器をジーッと見つめる私の目に…な、なんと、170,000という数字が飛び込んできた。血小板の数値だよッ。前回は55000、治療開始後、最高でも70000台で大喜びしていたのに、170000だって?おいおいおい、何だか知らないけれど、ここでこんな大サービスをしてくれるなら、もっと小分けにサービスしてくれれば良かったのにさ。女医さんも「今回はえらい調子がいいね」って。「なんでこんなにはね上がるんですか」と私。「たまにね、こういうことがあるんだよねー。まあ、今までの数字の方が正しいと思ってね。現に血小板以外は最低値すれすれなんだから」と女医さん。というわけで、注射量は半分の最高値 50ml。先週のウィルス測定は「マイナス」GOT20、GPT11 いいですね。****************以前、ウィルスがマイナスというのはウィルスが全くいないということではないと書きました。友人が「ウィルスがいないのに、なぜ治療を続ける必要があるのか」と疑問を示しました。ウィルスそのものは現在では測定できません。自己免疫がウィルスをたたくために自分の肝細胞を壊すと、細胞内にあった酵素が血液中に放出されます。その数値がGOTというわけです。GOTは肝細胞にしかありません。(GPTは他の臓器にもあるので、GOTの数値の方が大切なんです)で、GOTの数値が上がったということは、肝細胞の破壊が進んでいる…つまり、自己免疫がウィルスを見て見ぬふりできないくらいに、ウィルスの数が多くなったり活動が活発化していて、自己免疫の攻撃も強くなってきている…という状況なのだそうです。私は現在、GOTが下がっています。ほぼ正常に近い状況です。GOTがウィルスを黙認していてもいい状況なんですね。黙認状態なのか、ウィルスが全くいなくなっているのか、その辺の見極めを完全にすることは現在はできません。治療が終って、1ヵ月、3ヵ月、6ヵ月というふうに検査を続け、マイナスがずっと続けばウィルスがいなくなったと言えるのです。これはもう全く「賭け」なんです。私、賭け事は強いのです。但し、トランプのお話ですけど…(笑)
2007年10月19日
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12日、松代大本営地下壕で、小学校6年生を案内した。元気が良くて、でもきらきらとした目をした子どもたちの姿に心がなごんだ。先輩からいただいた9月30日の沖縄タイムスの全面写真の新聞記事を見てもらい、地下壕の歴史と重ねて、話してあげた。きらきらした目が、地下壕の暗闇の中で、もっときらきらして大きく見開かれたような気がした。*********沖縄の集団自決を「軍や国の命令」はなかったとする教科書検定意見に対する11万人抗議集会の後、教科書会社が記述変更申請をしているという。検定意見のつかなかった会社も申請したそうだ。沖縄県民や国民の力の助けをもらって動いた教科書会社…その力がなかったなら、多分言われたとおりに削除したままだっただろうな。家永裁判を思い出す。32年をかけた訴訟には、家永さんの並々ならぬ決意を感じるし、「骨・コツ」を感じる。途中でいろいろ圧力や脅迫を受けただろうに、彼は自分の歴史認識をガンとして譲らなかった。何のために?もちろん自分のためでもあるだろうけど、歪曲した歴史を次世代には残せなかったのだろう。沖縄の状況から-家永裁判(赤字の部分については、「天皇のために玉砕」は自発死だと日本国はとらえていると私は思うのだけど)教科書裁判32年の争点から(文字がたくさんで読みづらいけど、斜読みでもいいから)あらためて、家永裁判の資料を見ると、沖縄だけでなく、最近の自由主義史観による扶桑社の教科書に書かれた点とほとんど重なる。「沖縄の集団自決」の他にも、卑弥呼の記述、毛沢東の写真掲載、731部隊記述、南京虐殺の婦女暴行の記述等々…。国及び国民が過去の歴史の事実を事実として認めたうえで進まないと、こんなおかしな流れがまたまためぐってくることになる。家永裁判が始まってからまだ半世紀も経っていないというのに。沖縄に関しては、まだ体験者がいるから、今回の力を生み出した。あと50年経って、同じようなおかしな流れが台頭したとしたら、そのときは、一体どうなってしまうのだろうか。体験者がいなくなっても、体験者の話を正しく受け継いでおく必要性が本当に大切になってくるね、今。
2007年10月15日
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9日 血小板 55000 30ml 注射やっぱり40mlまたは50mlを数回続けると、血小板がぐぐぐっと落ちますね。インターフェロンをやっていない状態で、血小板が10万を切ると、肝硬変か肝癌だと言われていますが私のはインターフェロンの副作用です……よね。先日の患者会主催の講演会でいただいた資料を、今日は仕事を休んで、じっくり読みました。ずいぶん勘違いしていることもありました。肝炎ウィルス自体は肝細胞を壊すわけではないんですね。ウィルスをたたくために、自己免疫が肝細胞を壊すのだそうです。そして再生能力の強い肝細胞は次々と再生するのですが、その時に、繊維の固い細胞が再生されるのだそうです。まあ、間接的にはウィルスのせいなのですが、講師は「ウィルスの性格が悪い」なんて言ってます。「この性格を優しく直すために、インターフェロンを使うと考えるといい」とも言ってます。今、私のしている治療は最先端ですが、それよりも新しい方法が実験段階に入っており、半年もしたら現場に降りてくるかもしれません。「インターフェロンベータ方式」という、点滴方式です。でもね、これは日本で開発されたもので、欧米にはない方式。欧米にないというだけで、有用性が疑問視され、認可までに時間がかかるのだそうです。血液製剤だって何だって、欧米が使用禁止したのに、日本はまだずっと使い続けた結果が、今の訴訟を生み出しているのにッ!欧米に追随せずに、日本人にあった薬をもっと開発・認可してほしいです。私の半年継続が終るだろう来年4月ころに、この新しい方法が認可されたらどうしよう…発熱も頭痛も脱毛も「うつ」もない…って言われても、私はもうあと半年で止めようと思っています。今はね…本日、午前は休みましたが、午後から仕事です。頭痛がありますので、これにて、おやすみー。
2007年10月10日
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ぐっと寒くなりました。このところ、「どこどこへ行って来ました」という報告のみで、私らしさの一部が欠落しているかなと思いつつ…でも、私の原点ですもんね、山は…(と、自己弁護です)10月7日、母といっしょに室堂まで往復してきました。黒四ダムまでしか知らないという母に、「それじゃあ、上まで行こうよ」「鹿島槍ヶ岳を裏側から見せてあげるから」と誘って。その実、何かの理由をつけて、私も山に行きたかったのですよ。朝7時半のトロリーバスに乗りました。まだ団体さんは動いておらず、比較的スムーズに室堂へ。空は一点の曇りもなく、空気はスカーッと澄んでいて…大観峰あたりでもすでに感動の声を発していた母ですが、室堂のターミナルから一歩踏み出した途端に「うわー、すごいねえ」「うわー、紅葉がきれい」の連続。私には、紅葉はまだ早めであと1週間から10日程で最盛期かなと思えましたが。母と鹿島槍(後方の三角形の山)(ロープウェイを待つ間に)約1時間のコースをゆっくりと、おやつを食べながら歩きました。みくりが池と雄山と逆さ雄山雷鳥荘と左奥に剣岳あっ、あの剣に、しーちゃんやこたやんが登ったんだァ。良かっただろうなあ…山々の裾野を彩る草紅葉うす~いワインレッドと、うす~いグリーン、イエローが何ともいえずに柔らかく生まれ立ての紅葉、初々しい紅葉を見た思いでした。草紅葉の一つ、ちんぐるま今年は乗鞍岳の花々も生まれ立ての姿を見られたし、自分以外はみ~んな初々しかったですねえ(笑)でも、まあ、ちんぐるまも熟年になってこそ、この色が出せるのですから…最後に前々から横目で通り過ぎていた黒部湖の遊覧船にまで乗ってしまいました。登山で来たときには、絶対乗れませんからね。母は乗り場までの階段をじっと見詰めていた挙げ句、「この階段の昇り降りが心配だから」とキャンセル。その間、一人で待っていてもらいました。このキャンセルは大正解で、ほとんどのお客さんは息を切らして、登っていましたし、私ももちろん、最後の20段くらいは、ゼイゼイでした。でも湖面からダム上空はるかかなたに白馬三山が見えたのはうれしかったですねえ。来年80才になる母と、今の私の体力が、まあまあどっこいどっこいだったのは驚きでした。これで血圧があがらなければ、またまた次回を計画しようとねらっています。「もうこれで、行きたい山はないよ」なんて言った母ですが、私の出汁になっていただきたく、「乗り物+ちょっと歩く」の山につきあってほしいな。今回はもう一つ、贅沢をしました。室堂も日帰り圏内にありますが、たまには山麓の宿に泊まってみようと。いつも通り、突然の思いなので、温泉宿はすでに満員。翌朝に鹿島槍の朝焼けの見えるはずの白馬のペンションを予約しました。ところが、深夜1時頃に雨の音が…。翌日は大雨注意報が出る程の雨となりました。鹿島槍の朝焼けはもちろん見えず…それでも、サンアルピナ鹿島槍のスキー場にあがり、聳えているだろうあたりの双耳峰に目をやり、濁流の大冷沢を横目に大谷原まで車で入り、満足して帰った母娘のコンビはすごい!(笑)*****************今回はね、普通ならば紅葉真っ盛りの時期なので、団体がものすごーくたくさん入っていました。で、私も含め一般客は大分おかんむり。だってさあ、一般より団体がどんどん優先されて、乗り込んでいくんですよ。しかも某団体は「思ったより混んでいて、後の行程に支障が出るから…」とかなんとか言って、担当係官と交渉を始め、それが通るんですよね。(プンプン!!!!)観光ツァーや登山ツァー、自然探訪ツァー、いろんなツァーがあって、行きたいと思えば、下調べも何もせずに、現地に行ける…こういう旅の仕方でいいのかなぁと思う反面、老若男女、時間とお金と気持ちさえあれば旅ができる…この方法がなければ行けない人もいるだろうから、一概にはなあと。要は旅行会社の姿勢一つということかもしれないな。
2007年10月09日
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久方ぶりのブログです。青ガラスからは、更新されないブログを見てか、「治療は順調?」というメールが来ました。無駄のない文章です(笑み)、やっぱり男の子ですね…9月25日、40ml (血小板・68000)10月2日、40ml (血小板・65000)と順調に治療しています。田中康男元知事が変えた肝炎治療補助が、当時のカルテがなくても「抗ウィルス治療」に関しては、元通りの補助が出るようになりました。患者会の力は偉大です。さてさて、今朝ほんのちょっと鹿島槍が姿を見せました。2007年10月4日 朝8時2007年9月21日 朝6時これから厳冬期にかけて、朝焼けの見事なシーズンが到来します。先シーズンは暗いうちに起きて、朝焼けを見に行く気力はなかったけど、今年は、今のところ、気力も少し湧いてきています。スノーシューをはいて…ね。レベトールを飲まなくてもいいというだけで、気分が楽です。ちなみに、これは7月28日朝の鹿島槍。まだ残雪がありました。山も季節と共に、刻々と変化しているんですねえ。いいなあ。裏の土尻川は、水が少なくて、アオミドロみたいな藻が増えています。そんな川の上を真っ赤な蜻蛉が飛び交って…蜻蛉の朱がバラを染めたのか…バラの紅が蜻蛉を巻き込んだのか…私もこんな服を着てみようかしらん。
2007年10月04日
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