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2017年12月1日から12月8日までの入院と手術の費用、病院の会計で支払ったのは合計 124,200円でした。これは入院時に提出した「限度額適用認定証」が利用して低く抑えられた金額です。その後、都民共済保険からの還付金が、292,000円ありました比較的短時間で振り込まれました。金額は私の年齢が当時59歳だった事が関係しています。最初の入院手術予定日の2月下旬だった場合、誕生日を過ぎてしまい60歳での請求となり、金額がこれより少なくなっていたはずでしたキャンセル待ちが通ったという偶然がもたらしてくれた幸運でしょうか都民共済だけでも実際に払った金額より多いので、なんだか得した気分でした退院後も同じ経験をした方達のブログを色々読んでいたところ、がん細胞が出ていなくても高度異形成の場合はがん保険の適用になるとの文を見つけ、すぐに保険会社に連絡してみました。高度異形成は子宮頸がん0期との判断になるそうで、思いがけずがん保険が下りる事が判りました。がん保険からはなんと 660,000円も払われました共済保険とがん保険の両方で 952,000円です驚いた私はすごく儲かったような気分で喜んでいたのですが、「今までずっと払って来ていたのが戻っただけ」と夫に諭されてしまいました退院後に更に色々なブログを覗いていなかったら、がん保険の適用にはならないと思い込んだまま支払いを逃してしまっていたでしょうもう手術を受けた方もこれから受ける方も、加入しているがん保険を(契約している種類などによって違いはあるかもしれませんが)必ず確認する事を忘れないでください
2019.12.04
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この日はいよいよ退院の日です。朝6時起床、便通あり。朝食後久しぶりに化粧をして寝間着から服に着替えました。なんだか随分久しぶりの感覚で気分がしゃっきりしたようでしたK先生が回診に来て、傷に貼ってあった4箇所のテープを全部はずしてくれました。傷は1cmほどの小ささで1針しか縫っていないそうでびっくりしました。傷の周りどころかお腹一面がアザになっているのを聞いてみたら、手術時に体内に入れた腹腔鉗子をぐりぐりと動かすのでお腹にアザが出来るのだと、少ししたら消えるので心配ないと教えてくれました。その後ナースが最終チェックで血圧や体温や傷の具合を確認して退院許可となりました。9時には退院会計書類が届きました。夫は9時40分頃迎えに来てくれてお世話になった病院を後にしました。最後の朝食、ごちそうさまでした8日ぶりに病院から出ると寒かった駐車場まで歩いても痛みもめまいも無かったので、途中でちょっとだけスーパーマーケットに寄ってみました。カートにつかまってゆっくり歩いたのですが、院内廊下はあれほど歩けたのに何だかすぐに疲れてしまいました。負担の少ない腹腔鏡手術であっても体力は落ちているもんなのだと実感しました。
2019.12.04
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ずいぶんだらだらと長引かせてまだ書き終えていない自分に呆れながら、今日で手術して2年目を迎えてしまいました自分自身の記録の為にも頑張って書かないと、記憶がどんどん薄れてしまいそうで焦ってます。朝6時に起床、朝食後に便通あり、身体はどんどん楽になって来ている感じがしました。この日も何度も廊下を行ったり来たりしましたが、背中を伸ばしてあるけるようになりました昼食後、許可が下りて手術後初めてシャワーを浴びる事が出来てさっぱりしました。傷にはテープが貼ってあるので、そこは擦ったりしないようにと言われていましたが、なんだか怖くてその周りは触らずにそうっとお湯を流しただけにしました。主治医のH澤先生は学会の為に京都に行ってしまっているので、代わりのK先生が来て手術の事など色々細かい事を説明してくれました。ナースからは明日の退院後の生活について、注意することなどをレクチャーしてくれました。不安や困った事などは何もなく、座って前に身体を強く傾けない限り全く痛みはありませんでした。この日の朝食。昼食、五目寿司でした。夕食。毎度質素な食事でしたけど身体の回復機能が欲するのか、ふりかけの助けを借りてモリモリ完食していました
2019.12.04
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術後2日目の明け方には、一人で身体を横向きに楽に変えられるようになっていました。お腹がゴロゴロしていたのですが、6時半に起床してトイレに行ったら便通があり楽になりました。窓の外は薄っすらと雪で白くなっていましたこの朝から食事が普通食に戻っていました。消化の良い物でしょうが、味は薄いしふりかけがなかったら大変だったでしょうね担当医のH澤先生の回診がありました。切除した子宮のガン検査の結果は次回の検診時に知らせますが、見た限りでは何も問題は無さそうだったと話してくれましたH澤先生はこの日の夜から学会出席の為に京都に発つので、午後の診察が最後になるけれど、予定通り8日に退院できるかその時に判断するとの事でした。H澤先生と少し話をしたのですが、年齢を聞いてびっくり若いとは判っていましたが何と私の長男の1歳下ですってこの後無理やりマスクをはずさせて記念に写真を撮らせてもらいました若くても研究熱心で実戦経験を積んだ良い医師に出会えた事は運が良かったと思います産婦人科医長の医師は毎日挨拶に部屋を回って来るのですが、入室しながら名前を名乗っておはようと言うと、こちらが返事をする時にはもう後ろ向きに部屋を出て行く姿。忙しいでしょうし、担当医ではないし、(後でナースが言っていたのは→)かなりシャイな性格だそうですが、ほんの数秒でも患者の顔を見る時間が持てないのかと思いました。毎日「あれはないでしょう」と思いましたよつくづくH澤先生で良かったと思ったものですこの日は手術室スタッフからの聞き取りがあり、感想などを聞かれました。昼間はからりと晴れ上がり、朝方の雪はすっかり消えました。晴れて志賀高原の山も見えるようになっていました。夕方、主治医のH澤先生の入院中では最後になる診察がありました。内診と腎臓のエコーが行われました。手術によって腎臓機能に問題が起きていないかのチェックだそうです。結果何も問題が無いので、8日の退院が決定しました。12月28日に退院後最初の診察予約、その時にガン細胞の検査結果も伝えられるとの事でした。夕方再び便通もあり、痰も減っていて体調もずいぶん戻って来ているように感じました。疲れない程度ですが、長い廊下を端から端まで行ったり来たり何度も歩きました。この日の昼食と夕食はご飯の量が結構多いのですが、病院の栄養士が回復に必要なカロリーを計算してくれているのだから、と頑張って毎回完食していました写真や文の内容からだいたい想像がつく事だと思いますが、N県の病院というのは、長野市にある長野赤十字病院です
2019.06.02
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12月4日に無事手術が終わり、5日にかけてベッドから動けずに一晩過ぎました。前にも書きましたけど、足の血行を促す為の自動圧迫装置?の音や動きを私は全く邪魔に感じず、むしろ暖かいしマッサージが気持ち良く感じていました。検温などで時々起こされるものの、時間が過ぎて朝になるのをウトウトしながら待っていたような気がします。明け方に腰が疲れて少し痛くなって来たので、恐る恐るでしたけど足を動かしたり少しだけ身体を横向きにしたのですがどこも痛みませんでした途中で暑くなって枕元に置いていたタオルでおでこや首筋の汗を拭くほどでしたので、検温時に看護師さんに毛布を一枚外して貰いました。朝6時頃、ベッドの頭部を少し上げて貰えました。酸素マスクもこの頃外されたように思います(はっきり覚えていません)8時過ぎに研修医が二人来て色々質問されましたが、話しても気分が悪くなったり痛みが出たりはありません。担当のH澤先生がその後回診に来て様子を診、手術は問題なく予定通り順調に済んだ事を教えてくれました。主治医の顔を見ると何となく安心するものですね9時頃に看護師さんが手伝ってくれてゆっくり起き上がり、身体を拭いてもらいパジャマに着替える事が出来ました。導尿管が抜かれ下着を付ける事が出来て何だか落ち着きましたその後看護師さんに助けられてそうっと気をつけて立ち上がり、廊下をゆっくりゆっくり歩きました背中を伸ばして歩けているよ、と看護師さんがびっくりして褒めてくれました歩いたおかげでガスが出てくれましたよ起き上がるのを手伝ってくれた看護師さんが気づいたのですが、何故かベッドの上のマットが低反発マットこれでは動きにくいでしょうとすぐに高反発マットに変えてくれました。明け方に暑かったのも低反発マットにすっぽり埋まっていたからかもしれませんね10時半頃麻酔科医の訪問がありました。手術後に吐き気や痛みが出ていないかの確認です。手術前にしっかりと説明を受け、何一つ疑問や不安の無い状態で手術を受けられた事、信頼しきっていたから痛みも感じる事が無いのかもしれないなどと話しました。ありがとうと言う気持ちで話していたので、安心しましたと喜んでくれました^^手術中に受けた神経ブロックの注射のおかげで痛みがなかったのですが、この注射が切れた頃に痛くなったら遠慮なく痛み止めを要求するようにと言われました。昼食には流動食が出ました。塩を振り入れた重湯のなんと美味しかったことその後再びそうっとゆっくり立ち上がり、多少のふらつきはあったものの痛みもなくトイレまで歩く事が出来ました(立ち上がる時はまだ看護師さん立会の元での事です)手術前と、排尿時に力を入れる方向が変わったような気がして一度に全部出せた気がせず、意識してお腹を凹ますような気持ちで排尿しました。この違和感は少し続きましたけど、退院後には自然と解消されたように思います夕方、前日に続き二回目の血液サラサラにする注射を足に受けました イタタッ夕食にはもう五分粥が出ました。味はかなり薄めでしたけど、頼りになる「ふりかけ」がありましたから大丈夫ガスが出ただけでしたから、夜お腹がゴロゴロして張って来たのは辛かったです。まだとても疲れ易いので、意識してなるべく横になるように心がけていました。夜中にいきなり大きな地震があってびっくりしたのですが、看護師さんがすぐに飛んできて安否を確認してくれました
2019.05.03
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退院後も色々な経験談のブログを読んでいたのですが、どなたの文だったのか判らなくなってしまった事がいくつかあります。参考にさせていただいたのにお名前を挙げる事が出来ずに申し訳ないと思っていますどなたかのブログで、自分の経験した事の記録として病院にカルテの開示を要請すると良い、との記述がありました。私もさっそくN赤十字病院に問い合わせ、入院、手術など全てのカルテ記録のコピーをお願いしてみました。ブログにあったアドバイス通り、何の不満も無くただ自分の経験した事を知っておきたいから、と説明しましたら、病院側は驚くほどすんなり気持ち良く了承してくれました最近の病院はとてもオープンになっているようですね数日後受け取りに行き、受け取ったカルテのコピーはかなりの量なので驚きました。詳細に読んでみると、どれほど患者に対して細やかな看護をしてくれていたのかが判ります。入院していて普通に話した事、当たり前のように病室を訪れてチェックされていた事が、顔色や表情、話し方など細かく注意して容態をチェックしていたのだと判りました。改めてナースの仕事の緻密さ大変さに頭が下がる思いをしましたありがとう看護師さん手術室内での事はもちろん細かく知る由もありません。その記録から具体的な事を書いておきたいと思います( )内は私の付け足し説明です。2017年12月4日、15時10分に手術室に入室しました。名前の確認などに「はきはきとした返答あり」と書かれていました(怯えていないか恐怖心は無いかなどのチェックだったのでしょうか)15時15分、左手の甲に麻酔用の挿管、麻酔薬の名前と量も記録されています。麻酔薬導入により私は意識が無い状態になった後、気管挿管で呼吸系統も全て管理下に置かれた状態になりました。そして右側を下にして横臥した状態にされ仙骨硬膜外ブロック注射を施され、更に内蔵痛を抑える為の腹部内蔵神経ブロック注射も施されていました。もちろん麻酔下でのブロック注射でしたので私は痛みは全く感じていません(後で確かめるまで知りませんでした)15時33分、砕石位になる(この手術に備えての体位です) その後膀胱内カテーテル挿入とイソジンによる消毒などがされていました。15時50分、手術開始。 ポート挿入、内視鏡操作開始。15時52分、気腹開始(腹腔鏡手術の為にガスを入れて腹部を膨らませ視野を広げる為)16時30分、子宮&両側付属器切除(子宮と両卵管)17時、膣断端縫合。17時10分、膀胱子宮下腹膜縫合。17時40分、気腹止める。 閉創前カウントOK,閉創。17時49分、手術終了。17時55分、仰臥位に戻る。18時、呼名:開眼、うなずきあり。 抜管(気管に挿入していたもの)18時28分、退室。 退室時の声掛けにうなずきあり。以上が手術室内の事ですが、これに合わせて細かく体温や血圧、尿量などを記録してありました。執刀医のH澤先生の名前以外にも手術室にいたスタッフ全員の名前は勿論、使われた薬品名とその量、使われた器具やガーゼの量と確認チェックなど今まで全く知らなかった世界を垣間見たような気になります。手術室への入退室時間: 15:10~18:28麻酔時間: 15:15~18:25手術時間: 15:50~17:49総出血量: 10cc更に別の用紙の「全科共通記録」というのがあり、上記詳細をプリントした書類がありました(上記は手術室内で手書きでの記録)繰り返しになりますがこの記録の記事も書き足しておきます。上記同様、( )内は私の付け足し説明です。手術日: 2017年12月4日診断: 子宮頚部高度異形成術式: 腹腔鏡下子宮全摘術、両側卵管切除術手術時間: 1時間59分麻酔: 全身麻酔+TAPブロック(Transverse Abdominal Plane block、腹筋膜面末梢神経ブロックの事)出血量: 10cc輸血・血液製剤の使用: なし(術中に必要があれば輸血などを行う由を前もって説明されて承諾書にサインしていました)検体重量: 60g腹腔内所見:子宮:萎縮(閉経後数年を経ているから)左右付属器:異常なし。病巣スコア:0点。癒着スコア:0点。タイムアウトを行い患者取り違えのないことを確認の上手術開始した。全身麻酔下、砕石位にて手術開始。子宮にマニピュレータを挿入。臍部よりダイレクト法でアプローチ。トロッカー配置: ダイヤモンド(腹腔内に挿入する鉗子のポジションの事で他にパラレルがあります)臍部:12mm、 左下腹部:5mm、 右下腹部:5mm、 下腹部正中:5mm(小さな傷跡は今は殆ど判らなくなっています)右円靭帯を切断し、後腹膜腔を展開。右尿管を同定し、子宮動脈を1-vicrylで結紮。右卵管間膜を切開、上部靭帯を切断。左でも同様に実施。膀胱子宮窩腹膜を切開。膀胱剥離。仙骨子宮靭帯を切断。基靭帯を1-vicrylで結紮切断し、頸部を露出。膣管をモノポーラで切開。(モノポーラは電気メスの事、他にバイポーラがある)膣より子宮を回収。1-vicrylで膣断端をz縫合4針。止血確認、両側尿管の蠕動を確認。腹膜を膣断端のみ1-vicryl連続縫合。洗浄、止血。臍部は筋膜を2-vicrylで縫合、皮膚はいずれも4-OPDS Ⅱで真皮縫合行い手術終了とした。(vicrylは生体内で吸収される縫合に使われる糸、56~70日でほぼ完全吸収されるとの事) 以上が手術内容の詳細です。色々な方のブログで、手術後に背中につないだ硬膜外麻酔のチューブから自分で痛み止めを注入した、という記述がありましたけど、私の場合は全身麻酔下での神経ブロックにより術後に痛みに悩まされる事が全くありませんでした。病院や医師によって様々な処置法があると思いますが、この神経ブロックは注射される時もすでに眠っていますから全く痛い思いをせずに済み本当に有難かったと思います明後日で手術を受けて1年が過ぎますが、小さな傷跡は殆ど判らない程になり、その後の生活で何一つ不自由な事はありません。あの時KO大病院の医師に言われるがままに円錐切除を受けず、思い切って子宮摘出術を受けて本当に正解だったと思っています。更に続く(術後の入院生活やかかった費用の事など書いて行くつもりです
2018.12.02
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12月4日、いよいよ手術の日になりました。6時に起きて、腸の動きが良くなるように冷たいほうじ茶を飲んだり廊下を行ったり来たり歩いてみたりしましたが、期待したように水溶の下痢に至りませんでした結果前日にナースから言われていた通り9時15分に浣腸を施されましたなるべく5分以上我慢して欲しいと言われて頑張ったのですが・・・・・、病室内をぐるぐる歩き回ったり深呼吸したり、途中で麻酔医が何か伝えに来たのですが「ごめんなさい、今何も聞き取れないし話せませんっ」と半ばパニック状態で答えて直後我慢出来ずにトイレへ駆け込んでしまいました。おそらく浣腸後3分半くらいだったと思いますその後、夜勤を終えたナースのYさんが挨拶に来られ、励まされてお別れしました13時、これ以降は水も飲めません。13時10分、弾性ハイソックスを着用、なかなか履き心地が良いと思いました。ナースが呼びに来るまで落ち着かないまま談話室で夫と景色を眺めたり喋ったりして待ちました。15時5分、お迎えのナースが来て夫と一緒に手術室前まで歩いて移動手術センター前の扉へ入る時、何も不安は無かったのですが、なんとなく夫に抱っこして「行って来るね」と別れましたセンターの中にはいくつもの手術室が並んでいました。ちょっと待たされてから中へ促されました。明るい広い部屋に沢山の器具・・・そんな印象でした。自分で乗って横になった手術台は案外と幅狭いものでした。周りに何人もの手術スタッフがいててきぱきと動いていました。ここまでパジャマで来たのですが、手術台に横になったらタオルケットみたいな物を身体に被せられその下で全部脱いでくださいと言われました。タオルの下で真っ裸、両手だけ出した状態です。左手に麻酔の点滴を入れるポートを刺す時、ちょっと痛いですと言われましたけど、痛みに殊の外強い私には何も問題ありませんでしたすぐに頭が重くなってボーッとして来ました。周りを見回したと思うのですが、次の「瞬間」と思って覚醒した時には全てがおわっていたのです。まだ気道挿管されたままの状態でしたけどぼんやりとした視界が開け、気づいた事を確認されてすぐに挿管を外してくれたように思います。まだぼんやりうとうとしたままでしたけど、病室に戻りますねと声をかけられてベッドに移動して運ばれました(はっきり覚えていませんが)目を閉じたままでしたけど周りの音はちゃんと聞こえていました。だるくてボーッとしていましたが手足の指を動かす事は出来ました。痛みは全く感じません。酸素マスクと点滴、酸素濃度を測る器具を指先につけ、心電図を取るラインが体に数箇所貼り付けてあるようでした。病室で夫に声をかけられてホッとした顔を眺める事が出来ました。時間は18時半を過ぎた頃だったと思います。足は弾性ソックスを履いた上から自動で圧迫して血行を促す器具が巻かれていました。真冬の事でしたのでそれが暖かくてとても気持ち良く感じました。時折ギューっとしまって緩むその器具の音、私は全く気になりませんでしたナースは病室に一時間毎に様子をチェックしに来てくれ、3時間毎に血圧と熱を測りに来ましたが、意識はもうはっきりしていたものの良く眠れたと思います。次は手術に関して具体的な事を書きます
2018.12.02
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入院窓口が開いている金曜日に入院となった次の日、土曜日は何もする事もなくただただのんびりと自由に過ごしていました。丸々一日家事はいっさい無いし自由気ままな一人の時間。H澤先生の回診も無く静かです。血圧や体温測定こそありましたけど、土曜日は実に優雅にゆったりと過ぎて行きました。廊下の窓からの景色、志賀高原の山々が見えています。冷え切った師走の澄んだ青空でした。売店に行ったり廊下を散歩したりテレビを見たり・・・・。午前中に夫が面会に来てくれましたけど、一番気になった話題は猫の事でしたあまり豪華な食事は病院ですから望めませんが、それでもちゃんと美味しく完食していました2日目の朝食昼食夕食。ご飯が結構多かったのですが、ふりかけのおかげで完食3日目、12月3日は次の日の手術ぬ向けて午後から色々準備が始まりました。この朝の検温時に血圧が80~150もあってびっくりしました。普段は別に高血圧じゃないので、何かの一時的な変動だったのかもしれません。その後数時間して測ったら正常値に戻っていました。手術前日に何か異変があって予定変更になったら堪りません、焦りました午前中に夫がパジャマや下着の洗い替えを持って来てくれました。3日目の朝食、ふりかけふりかけ・・・と昼食。これ以降は流動食になりましたので、普通食とはしばしお別れです。13時に小瓶の下剤を一本一気飲みしました1時間後に反応して下痢しましたが、その後は別に変化ありませんでした。ナースからは何度もトイレに行ったり来たりになるかもしれないと言われていたのですが、私の腸はかなり強かったのかもしれません。夕食、手術に備えての流動食になりました。コーンスープと卵汁と重湯。この夕食時に売店で買っておいたヨーグルトも食べました(許可されていた)夜9時以降は絶食になりましたが、水分をたくさん摂るように言われていたので空腹感はありませんでした。この夜の当直ナースのYさん、若くて可愛くてとても親切な方でした少し前まで手術室付きだったそうで、H澤先生の事を話してくれました。何人も内視鏡手術を行う医師はいるのですが、H澤先生の手際の良さは群を抜いていると、的確な技術や判断は尊敬できるのだと言いました。手術前夜に聞く話として、これほどありがたい内容はありません。ますますどっぷりと安心して任せる気持ちになれました。この夜、相変わらず下痢は無く、のんびりとテレビでM-1グランプリを見て笑った後眠りにつきました続く 担当医師の名前をH先生と書いて来ましたが、N赤十字病院の婦人科には2人のH先生がいることに気づきましたので、担当医の名前をH澤先生と変更いたしました。
2018.10.03
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11月30日の術前検診の結果は問題なく、めでたく12月1日の入院日になりました。午前10時入院予定でしたけど9時半過ぎには病院に到着しました婦人科外来の受付から病棟に案内され、外来の看護師さんから病棟看護師さんへと引き継がれました。前日に依頼していた差額6000円の個室がどうしても開かなくて、1日に差額8000円のトイレ付き個室か4人部屋になってしまうとの事。どうしても個室を希望していた私でしたのでしょうがないけど差額8000円の部屋に入る事にしました。年金暮らしの私達ですからちょっと贅沢で申し訳ないような気持ちもありましたけど、やっぱり一人で伸び伸びしていたいよねって思いました建物は古いけど清潔で居心地の良い部屋でした。小さなキッチンがついていたました(使わなかったけど)この地域では大きな病院なのですが、大都会の大病院と比べたら規模は小さいと思います。トイレ付きの個室は一室、トイレ無しの個室が二室、四人部屋が二箇所と六人部屋の病棟でした。産婦人科病棟ですから出産の方も同じ病棟に入院しています。時々元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえていましたこの頃インフルエンザがとても流行っていて病院はとても気を遣っていました。面会は家族しか許可されていませんし、その家族も病棟入り口で体温を測って記入しマスク着用が義務付けられていました。12歳以下の子供は家族でも面会は禁止でしたこの日は麻酔医からの術前説明があり、全身麻酔の事やそのリスクなどについて詳しく聞く事が出来ました。そのすぐ後に麻酔科の看護師から手術室での手順などの説明もありました。全身麻酔は呼吸も止まってしまうので、気管に挿入した呼吸器で麻酔と呼吸を完全に管理されるという事や、麻酔を弱めて自発呼吸が戻った事を確認してから呼吸器を外す事なども教えてもらいました。場合によっては麻酔が覚めた後に気分が悪くなる事もあるとも説明されました。手術室に入ってからどんな順番で手術に臨むのかなども細かく説明があり、質問にも丁寧に答えて貰えました。そうやって色々な事を詳しく知ることが出来たので、手術に際して恐怖も不安も全然ありませんでした。H澤先生や病院スタッフを信頼して全てを任せていられましたその後は日曜日のお昼過ぎまでほぼ2日間、全くの自由時間になりました最初の病院食はお昼のうどんでした。出汁がきいてなかなか美味しくいただけました階下の売店でヨーグルトやパズル雑誌を買ったり、楽な部屋着のまま自由にあちこち出歩く事が許されていました。持って行った文庫本を読んだりスマホのゲームをやったりテレビを見たり、個室でしたから音を控え目にしていればヘッドフォンをつける必要もなくて便利でしたシャワーは2つ、ナースステーション前に入り口があり、覗いてドア前に履物がなければ空いてる証拠で何時でも使う事が出来ました。入院時に準備する物は、前もって病院から案内書を貰っていました。それに沿って準備をしたのですが、少し前に大きな病気をして入院を経験していた友達からのアドバイスで保湿クリームを持って行きました。病院内は空調でとても空気が乾燥している事からあちこち痒くなったり、手術後の抵抗力が落ち気味の時に皮膚の乾燥から感染症になる事すらあるのだと聞きました。外は真冬の凍りつくような寒さでしたけど病棟内は確かに乾燥もしていたし室温も高くて暑いくらいでした。シャワー後毎回全身に擦り込むように塗ったニベアのスキンミルクのおかげでスベスベと潤った肌でいられましたそれ以外に持参して良かった物は「ふりかけ」です病院食はだいたいが薄味なので重宝しました蓋付きのマグカップも正解でした。廊下にお茶サーバーがあったのですが、乾燥していたので何度も往復して水分の補給をしました。室温が高かったので冷たいほうじ茶ばかり飲んでいたように思います12月1日、入院初日の夕飯、ふりかけの活躍初日でもありました続く
2018.07.23
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11月27日にH澤先生に初めて診察を受け手術が決定してホッと一安心していた私です・・・・・が、28日の午前中にN赤十字病院のナースから電話がありました「キャンセルが出たのですが」「昨日の今日でびっくりでしょう、あまりにも急なので無理な場合は結構ですがいかがでしょうか」少し申し訳なさそうな口調で話してくれましたなんと12月4日月曜日の手術にキャンセルが入り、私さえ大丈夫ならそこに入れて貰えるとの事。但し入院手続きは土日に出来ない為、入院するのはその前の週の金曜日になる・・・・つまり、12月1日の金曜日に入院して4日の手術と言う事なのですその場合、事前検査と家族帯同での説明は11月30日、電話を受けている日からだと「明後日」になるのでしたあまりにも急な展開に驚いてしまいましたけど、とにかく夫に相談、早いならそれに越したことは無いとの意見が一致したので4日への変更を受ける事に決めました夫も引退しているし私も仕事をしていないので、急な変更に大きな問題はありませんでした。精神的な驚きだけ、でも慌ただしいことこの上ない状態です電話を受けている時からだと、「明後日に術前検査と説明、明々後日に入院、今日から6日後に手術、一週間後には全部終わってる~」って事なのでした27日の初診以前に、何時入院になっても良いように一応の準備をしておいて本当に良かったです。☆高額医療限度額適用認定証を帰京時に申請して受け取っていた事。☆入院中の事を考えて髪の毛を短くカットしておいた事。☆おヘソの上まで来るようなデカバンや寝間着の準備をしておいた事。入院まで2日間しか準備時間がありませんでしたから、上記を済ませておいたのは正解でした。30日の朝、最初の予定では1月22日に受ける筈だった手術前の検査の為に病院に行きました。まず血液検査、採血と採尿は空腹状態で。次に心電図と肺機能検査。最後に胸部レントゲン検査でした。H澤先生の予約は14時ですが、その時までに全ての検査結果が上がっている必要がありました。検査が終わってから院内のカフェで食事をして時間を潰しました午後、H澤先生から病状についての説明と、手術内容の詳しい説明、そして手術や麻酔に伴うリスクについても詳しく話して貰いました。腹腔鏡下膣外単純子宮摘出術で大体2時間くらいかかると言われました。H澤先生は随分多くの内視鏡手術を経験しているのですね、と聞くと「県内ではおそらく私が一番多くやっていますよ」と話されました。自慢や驕った口調ではなく、ごく普通に自信を持って答えてくれたと感じました。夫もそんな話し方にとても好感を抱いたと、信頼できる医師で安心したそうです細かい質問にも丁寧に答えて貰って、全く不安も恐怖もありませんでした。むしろこれから起きる初めての体験にちょっとドキドキ・ワクワクするような気分だったかもしれません不謹慎だったでしょうか(笑)数々の同意書にサインをしたり入院手続きも済ませました。この地域では大きな病院ですが、病床数はそんなに多くないようです。どうしても個室に拘った私、トイレ無しですが差額6000円の部屋を希望しておきました。退院予定日は12月8日、入院日数は8日間なのでちょっと高くつくかなぁとは思ったのですが、ここは曲げられないと通しました続きます
2018.06.24
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N赤十字病院で初めて診察を受けた日です。11月27日は初診での手続きなどがある為、10時の予約時間の15分前には来るようにと言われていました。それより早く着いた私、どうなるかと気持ちが上擦っていたのかもしれません地域の基幹病院の一つですから結構大きな規模の病院です。外来患者が沢山いて、ここでもきっと何時間も待つようになるのを覚悟して行きました。案外古い建物ですが、産婦人科外来の待合廊下は天井が高く、中庭に面した大きな窓もある明るい場所でした。座る椅子はその窓側の片側だけ、通路はKO病院と比べるとかなり広く感じます。モニター画面に診察番号で表示されるのは同じシステムです。廊下に面して産婦人科外来の受付などの部屋があり、診察室はその奥にドアが並んでいます。充分なスペースがあるので、医師の話す声が廊下まで漏れてくる事はありません問診票を書いて順番を待っていたのは40分程でした(もっと待つかと思っていたので早くて驚きました)診察室に入って初めて顔を合わせたH澤先生は、思ったよりずっと若い医師でした。話し方は穏やかで落ち着いていて静かな感じです。紹介状と一緒に生検にプレパラートを提出してありましたけど、この病院へ来る事になった経緯などを合わせて説明しました。閉経後数年経っている為、円錐切除ではなく腹腔鏡下での子宮摘出を希望している事もはっきり伝えました。KO病院では納得行く説明も無く、私の希望意見は却下されて円錐切除のみを勧められた事などを話しました。H澤先生は黙って耳を傾けてくれ、話し終わってから「この場合の子宮摘出は充分に有り得る話ですよ」と応えてくれました私が話している間もH澤先生が話す間もちゃんとこちらに顔を向けてくれていました。あぁやっと信頼して良い医師に会えたんだと本当に嬉しかったです東京とN県での二重生活をしているからこちらの病院に来た訳ではなく、KO病院のでの一言も声をかけずに行われた内診生検や、私の希望的な話は遮るようにして円錐切除のみを言われた事などで、どうしても嫌だったと思い切って話してしまいました。H澤先生は不思議そうな口調で「どうして駄目だって強調したのでしょうね??」などと言っていました。その後、内診を受ける為に一旦また廊下に出て10分程待ちました。内診室はKO病院と同じような広さと設備です。看護師さんが親切なのも同じでした。大きな違いは内診の時です。検査時、H澤先生はさっきと同じ穏やかな口調で、カーテン越しにちゃんと声を掛けてくれました「どうして東京とN県の二重生活をするようになったのですか」とか、「子宮体がんの検査はしていなかったそうですから、一応しておきましょう」など。そして「ちょっと痛いけど我慢してください」と、検査の手順を前もって伝えてくれました。これを聞くと心構えが出来るからかあまり強い痛みを感じずに済みます。私は痛みに強い方なのですが、それでも検査の時はそれなりに緊張します。担当する医師の態度一つで、痛んだり楽だったり精神的・肉体的に大きく違うのです内診後再び少し待ってから診察室に入りました。数回の検査で高度異形成がはっきり検出されている資料がある為、この日は新たなる生検はしなかったそうです。子宮体がんの検査結果は後日連絡が来るとの事。そしてH澤先生からはっきりと子宮摘出手術の決定を伝えて貰えました。「腹腔鏡下膣式単純子宮摘出術」です。この病院でこの医師で、やっと全てが動き出すのが嬉しかったです手術の予約は年が明けて2018年2月21日と決まりました。3ヶ月も先になりますが、大急ぎで手術をしなければならない病状ではない為問題ないとの事。でもなんだか落ち着かないので一応キャンセル待ちに入れて貰いました(ここまで来たらもう早く終わらせてしまいたい)キャンセルで手術日が空く事がある、という話もsaigawa311さんのブログで知った事ですH澤先生も、「おそらくキャンセルが出ると思いますよ」と言っていました。その後に別室で看護師から入院と手術に向けた第一歩の説明を受けました。一ヶ月前の1月22日に入院前の術前検査と説明や同意書署名をするそうで、10時30分の予約ですが必ず家族と一緒に8時30分ころまでに来院するように言われました。予約の2時間も前に来院するのは、診察前に血液検査(採血・採尿)、心電図と肺機能検査、胸部レントゲン検査を済ませる為です。診察時にそれら検査の結果が上がっているようにとの時間配分でした。医師から私と家族への手術の説明と質疑応答、手術同意書への署名などが行われるそうです。看護師は院内地図に順路を書き込みながら丁寧に説明してくれましたH澤先生は、ネットで色々調べて選んだのですが、実際に会ってみると話し方も態度もとても誠実な方でした。患者である私がそう信じられる・・・これが何よりも大切な事だと思います。H澤先生は明るく溌剌とした雰囲気、と言うよりどちらかと言うと穏やかで落ち着いた方だと思います。そして患者にちゃんと向き合って目を見て話してくれる人でした「太った人の腹腔鏡手術は難しいと読んだのですが、私みたいな身体でも大丈夫でしょうか」、と聞いた時は、ちゃんと笑顔で「がんばりますっ」って言ってくれましたよ(笑)この日の病院滞在時間は2時間程度だったと思います。診察以外に入院の説明などがあったからですが、そんな盛り沢山としては驚くほど早かったと言っても良いのではないでしょうか。安心して頼って良い医師に巡り会えた嬉しさで、とても明るい気持ちで帰路に付きましたこの「明るい気持ち」が後に受けた検査や手術など、全般に渡って良い形で大きく影響を及ぼしたのだと感じています続く
2018.06.02
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N赤十字病院への紹介状を貰ってN市に戻るまでの数日間に、入院生活の準備を始めました。まだ何時どんな手術になるのか確定した訳ではありませんが、治療の為の入院は必ず来るのですから前もって出来る範囲で揃えておこうと考えたのです。まず住民票のある区役所に出向き「限度額適用認定証」を交付して貰いました。医療費の自己負担が大きくなるだろう時、入院時に保険証と一緒に提出すると、一月の支払いが自己負担限度額になります。後から高額医療費制度による払い戻しを申請するよりずっと楽で簡単なシステムです。この限度額適用認定証を申請する事は、前出のsaigawaさんのブログで初めて知りました認定証は、区役所の窓口で申請してから数分で受け取る事が出来ました。これはとても便利で有り難いものなので、入院する方は是非忘れずに交付して貰ってくださいねそれから美容院で髪の毛を今までで初めてというくらい短く切ってしまいました長いままだと入院時に面倒だろうと想像したからですが、これは大正解でしたシャンプー後にドライヤーを使わなくてもすぐ乾いてしまうのでとても楽でした手術した後の事を考えて、おヘソの上まである大きめの下着、つまりデカパンを数枚買いましたこれも退院後までとても役に立ったと感じています。同時にズボンがあると使いにくい事もあるかと思いネグリジェを一枚買いましたが、これは結局使わずに終わりました11月14日、N市に戻り次の日にさっそくN日赤病院に道順を確認しながら行きました。混雑がなければ20分程で行かれる事が判りました窓口で予約を入れて紹介状を渡し、H澤先生の予約が11月27日に決まりました。会ってみて心開ける医師でなかったらまた別の病院を探すのだと決めていましたが、やっとここまで来られたという安心感で、気持ちはとても軽くなっていました。続く・・・・・・・
2018.05.25
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悩んで病院や医師を変える時間を過ごした事、文にするととても簡単に思えてしまうのですがどうしょうもなく重苦しい辛い日々だったのを上手に言葉で表せません私にはあの2週間の苦しい気持ちをずっと忘れる事は出来ないでしょう・・・。11月10日、決戦のような気持ちでKO大学病院に向かいました。紹介状を書いてもらう先が決まったので、どうやって切り出したら良いのか悩みながら・・・予約は11時でしたのでその少し前に受付を済ませ、あの狭い息詰まるような廊下の椅子に並びました。前週が祝日だった為、金曜日に設定されているI医師の診察はとても混雑していました。私の番号が入室になったのは午後2時近くになっていました椅子に腰掛けてすぐ、生検の結果がやはり高度異形成だったとI先生から告げられました。「円錐切除ですね。 他にも蒸散って方法もあるんだけどね、まぁこれだと治るのは50%くらいなんだけどね。」そんな事を言われました。円錐切除が嫌なら治る確率が低くても他の手立てがあるんだよって意味だったのでしょうかI先生としては親切心だったのかもしれませんが、私には嫌味に聞こえてしまいました思い切ってその場でN県で治療を受けたいので紹介状を書いて欲しい事を伝えました。小心者の私は機嫌を損ねるのが怖いので、せっかく色々お世話になったけど、以前言ったように二重生活をしているN県の方で治療を受ける事にするので、そちらへの紹介状を書いて欲しい、と随分丁寧にへりくだって(済まなそうな笑顔もつけて)お願いしました「家から30分かからずに車で行かれるので便利」これを一番大きな理由にして話しましたすると、気が抜ける程あっけなく、「承知しました」と返されたのでびっくり依頼したN赤十字病院のH澤先生宛の紹介状が出来上がるまで30分程かかるので待って欲しいと言われました。待つ間、凝り固まっていた身体中の筋肉がほぐれて行くようでした。なぁんだ簡単な事だったかな、I先生も本当は優しい人なのかも、と力が抜けるような気分でした。紹介状が出来たと呼ばれたのは45分以上過ぎてからでしたけど気にならない程でしたもう一度診察室に呼ばれて紹介状と生検のプレパラートを渡されました。紹介状の入った封筒にはN赤十字病院H澤先生とちゃんと書かれていました。色々お世話になりました、ともう一度挨拶して部屋を出ようとした私にI先生が言い放ちました。私の背中に、まるで投げつけられたような一言、「N県に行っても円錐切除だからっ」看護師さんに笑顔で挨拶をしていた私、一瞬顔がこわばりましたけど踏みとどまって振り向きました。「はい、それでも近いのが一番良いと思いましたので」、そう言って部屋から出ました。なんでそんな言い方をされなくちゃいけないのN赤十字病院の医師紹介に、H澤先生の専門分野が「婦人科・腹腔鏡手術」と明記されているのを見たのでしょう。I先生はそれも気に食わなかったのかもしれません。でも後ろから投げつけられたあの言葉には、思い通りにならなかった患者への憎しみが込められていたように思えます私の思い過ごしかもしれませんが、そう感じたのは事実です。言わなくても良い言葉、言われる筋合いの無い言葉、余計な言葉、腹が立つ言葉医者でなくごく普通の人として考えてもI医師の思いやりの無い態度には疑問を抱きます。あの時の事を思い出すたび、今でもとても嫌~な気持ちになります会計を済ませて家の最寄り駅に着いた頃、すでに夕方になっていました。4時間半かかってやっとKO大学病院と決別出来た長い一日でした。疲れたけれど、これで新しい道が開けたのだと思いました。次の問題はN赤十字病院への予約申し込みと、初めて会うH澤先生が果たして信頼の置ける医師であるかどうかです。もうこれは賭け、ギャンブルのようなものです。ここまで来たら、H澤先生が私には合わなかったらまた別の医師や病院に移れば良いのだ、と決心しました。納得の行く治療と信頼関係が築ける医師に出会うまで、何軒だって変えてやると決めたのでした。続く・・・・・
2018.05.08
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どうしても馴染めないKO病院のI医師。それでも何とか良い部分を見つけようと、会った時の事を何度も思い出してみました。悪い人じゃないし素人の私が質問した内容が受け入れられなかったのはしょうがないのだろうとか、日本有数の有名大学病院の先生だもの、言われた通りに治療を受ければ一番簡単じゃない、とか。思い込もうとするのですが、やっぱり「否」になります医者を変えるという事がこれほどストレス溜まる事なのだとは知りませんでした。あるいはもっと割り切って簡単に他の病院に行きますって言っても良かったのでしょうか。いざとなると面と向かって「他に行きたい」なんて言えそうにありません怒らせるのは嫌だし、嫌な顔されるのも辛いし怖い、小心者の私はつくづく悩みました他の病院に移る紹介状を書いて貰うにはどんな手段を取れば良いのでしょう。毎日毎日ずっと言い訳をあれこれ考えて悩みました家から電車を乗り換えて行くのが遠すぎるから・・・・だとしたらどの病院を選んだら良いのか・・・・・希望する腹腔鏡手術を受けられるのはどの病院か、どの医者か・・・・・近い所が良いのですが、一番近くの大学病院の産婦人科はあまり評判が良くありません。人に依っては悪くても、良い事を言う人もいるので混乱します。設備が素晴らしい病院でも良い医師(相性など)に会えなかったら意味がありません。でもその判断をする資料が殆どありません。10月27日に初診で行ってコルポスコピーによる生検を受けて、その結果と円錐切除手術の予定を組む為の予約が11月10日に設定にされていました。それまでの2週間が私に与えられた考慮期間でした。随分沢山の病院や産婦人科のホームページを調べました。調べれば調べる程訳が判らなくなってしまったような気もしますどうやって探せば良いのか本当に判りませんでした。親切に対応してくれた予防医学協会のK先生に戻って相談してみようかとも考えました。でもK先生が勤めている病院は、神奈川県でとても遠いので通うのに無理があります。入院となった場合の事も良く考慮に入れなくてはなりませんので無理です地元のかかりつけの医師に相談してみようかとも考えましたけど、どの病院であっても私の希望する治療法に拘る理由を理解してくれる医師に会えなければ意味がありません。紹介先を入れない紹介状って書いて貰えないんだろうか、などと考えたりもしました後で知った事ですが、受付に予約を違う医師で入れて貰いたいと電話する事も出来るようですが、私はあの病院自体から離れたいと思っていました。近所の方で早期前立腺がんの手術を受けた方がいるのですが、気に入らない病院に腹を立て喧嘩して3度も病院を変えたそうです患者が我慢するのはおかしい、何度でも納得行く治療を受けられるように努力を惜しんではいけないよ、と激励されました。もめるような事なく病院を変えるには、悩んで思い出したのはI先生に「N県と東京との二重生活をしている」と伝えていた事でしたそうだそれなら問題なく変更を認めてくれるだろうその上色々辻褄合わせを考えてみると、実際N県で治療をした方が色々便利な事に気づきました。N県の家はリフォームしてお風呂場に暖房がついています。円錐切除にしろ腹腔鏡手術にしろ数週間はシャワーしか浴びられませんが、浴室暖房があれば風邪をひかずに済みそうです。東京の家のお風呂は古いタイルのままですから凍えそうですではN県のどの病院にしたら良いのか・・・・・・、saigawa311さんのブログに「日本内視鏡学会技術認定取得者一覧」のリンクが貼ってあったのを参考にしました。「内視鏡下手術を安全かつ適切に施行する技術を有し、かつ指導するに足る技量を有している事を認定」認定医以外でもしっかりした技術のある医師はたくさんいるそうですが、この時の私には大きな目安となる有り難いサイトでした。ここのの産婦人科を開き、アから始まる全員の名前からN県の医師を探しました。KO大学病院に勤務する医師も何名も見つかりました。I先生は入ってませんでした、だから嫌がったのかしらさらに絞り込んで、通うのに無理のない病院二箇所にそれぞれ一人ずつ見つかりましたその2人のいる病院のうち、家から近い方のH澤先生宛に紹介状を書いて貰おうと決めました病院宛の紹介状ではどの医師に会えるか判りません。私は自分で病院と医師を選んで指定して紹介状を書いてもらう決心をしたのですH先生のいるN市の赤十字病院の事、H澤先生自身の事を片っ端からネットで調べて読み漁りました名前が連なっている学会発表の内容を調べたりもしました。また、腹腔鏡手術の練習装置を自ら開発してあちこちに教えに行っている事も知りました。この先生が私の希望を理解してくれるなら一番良い形で治療が受けられるだろうと思いました。・・・・・・続く
2018.04.30
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子宮摘出手術を受けてからもうすぐ5ヶ月になります。私は案外簡単に摘出を決めたのかもしれません。閉経後の子宮頚部および子宮は萎縮してしまいます。子宮口に花が開いたように出ていた頸部は奥の方に萎んでしまっている状態だそうです。ですから円錐切除をするには、閉経前の場合よりも奥に長く切り取らなければなりません。電気メスで止血しながらの切除なので縫合する訳ではありません。それがカサブタが剥がれる術後2~3週間での出血や大出血になる理由です。閉経後の円錐切除では、そのカサブタの大きさも違って来るという事になります。更に奥に引っ込んだ子宮頸部ですから、断端陽性になる確率も大きくなるでしょう。そうなれば再びの円錐切除やら子宮摘出と、また入院手術を受ける事になります。円錐切除が一番的確な検査と診断の手段だとしても、2泊3日の入院手術に違いありません。円錐切除の入院の後に再びの入院(私の入院は8日間でした)何度も痛かったり入院したりは誰だって嫌でしょう色々な方のブログや記録文を読むと、子供をこれから持ちたいと願う方や結婚前の方の苦しみや悩みが痛い程判ります。閉経後の私とは全く違っているのが申し訳ないような気持ちになります。子宮という女性特有の器官はなんと不思議で素晴らしい器官でしょう。摘出した子宮の写真を見せて貰いましたけど、私のそれはもう小さく平べったくなっていて、本当にこんなところで3人もの子供を育てて無事にこの世に送り出してくれたのかと不思議に思いました。決して人が作り出す事が出来ない神秘の臓器です。ただ、その子宮を摘出する悲しみが私にはありませんでした。ひたすら感謝の気持ちで、今までありがとうと心で言い続けまでした。子宮は女性ホルモンを分泌する場所ではありません。ましてや閉経後はそこにある事も忘れてしまう程おとなしく静まり返っているものです。大仕事をずっと昔に終えて引退したもの、ガンの心配だけが残ったもの、になっていました。私は手術後に自分が経験した事を沢山の人に話しています。女性はもちろん、男性にも。女性にはとにかく子宮頸がん検診を必ず受けるように、男性には奥さん達に必ず検診を受けるように伝えて欲しいとの思いからです。中には「子宮を摘出して女として悲しくないか」と心配する声もいくつかありましたけど、私には全くその不安は無いと言い切っています。子宮があってもなくても私は死ぬまで女ですから女じゃなくなっちゃったようで気の毒・・・みたいな事を言ったのは若い人や男性の方が多かったのには驚きました。閉経後の同年代の女性たちは、口を揃えて「私だったら同じく摘出を選ぶわ」って言っています。生理がある頃と閉経後の気持ちの変化なのでしょうか、それとも年齢によって自然と身につく図太さなのかしら(笑)手術後に摘出した子宮と子宮頸部を検査した結果、私の場合は中度と軽度の異形成しか見つかりませんでした。手術前のコルポスコピー生検で、高度異形成が取り切れていたのだと思います。健康な子宮を摘出しちゃったのは本当に正しかったのだろうかと思いましたけど、医師から「高度が見つかっていたのだから中度もそのうち高度に変化していっただろうと想像がつく」と言われて納得しています。何よりもう子宮頸がんや子宮体がんの不安は永久に無いのですからね今、子宮摘出で悩んでいる方がここを読んでくださったら、「もし摘出をしなかったらどうか」その事を調べてよく考えていただきたいと思います。摘出しても永遠に女性である事には変わりないのですから。次に続く・・・・・・
2018.04.25
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前回から随分長く空いてしまいました。KO大学病院での初診の事、どうやって書いたら良いのかずっと考えていました。私にしては、ある意味トラウマになる程に悩ましい困惑の日々だったのです初診の予約は10時でしたけど、色々手続きがあるので9時30分までには来院するようにと言われていました。自分なりに調べた事を書いたノートを携えて行きました。こうなったらとにかく悪い所を取ってしまわない訳にはいかないのだから、と腹をくくった朝でした超有名な大病院ですから、受付ロビーから人で溢れていました。初診受付に紹介状を提出し、産婦人科外来へ行き、少し待たされてから呼ばれて医学生による問診がありました。経過を説明した時に、閉経後数年が経っているので円錐切除ではなく子宮摘出を考えている由話しておきましたが、これが後でどんな効果があったのかは不明ですそれから外来の待合場所へ移動しました。古い建物で天井がかなり低く、廊下の両側にズラーッと長椅子が並んでいて、驚く程沢山の人が待っていました。複数ある診察室へはモニターに映し出される番号で入っていきますが、私の順番までまだまだありそうでした。どこの大病院でも待つのは当たり前、予約なんて入っていても当てにならないのは知っていました。でも窓一つ無い長い廊下、両側の椅子ににずらっと座った真ん中の通路はかなり狭い状態、息が詰まりそうでした。廊下から診察室まで看護師のいるスペースはありましたけど、医師の声が大きいのか結構診察室の会話が聞こえて来るのには驚きました(医師の声だけが聞こえました)声が聞こえて来たのは私の担当のI先生の診察室からでした。(患者のプライバシーって完璧に守られていないの)ここに落ち着いたのが10時少し前でした。待っている間に見ようとスマホを開いたのですが、圏外になってしまっていて何もする事がありません。時々居眠りしたりしながらただじっと順番が来るのを待っていました。私の番号がモニター上で点滅したのは12時半を過ぎた頃でした。部屋に入って挨拶をしてI先生と向かい合いました。写真で見た通り快活そうな方で確かに声の大きな先生でした。高度異形成との事なので円錐切除になりますと言われました。私は閉経後数年が過ぎているので、子宮摘出という方法があるのじゃないか、出来れば腹腔鏡下の子宮摘出術で高度異形成の処置をした方が良いのじゃないかと言ったと思います。I先生は「それはないね、まず円錐切除だよ」と。閉経後の子宮頚部収縮された状態でそれはどうかと聞いても、とにかく円錐切除が先で子宮摘出とかはその後の話だ、と。I先生の話し方は、私に対して話しているような感じを受けませんでした。私に向き合って話していない、そう感じました、最後までずっと・・・・。円錐切除は治療ではなく一番的確な診断が出来るのだと随分後になって知ったのですが、そういった説明は全くありませんでした。私だってネットで色々調べていきましたけど、医師から納得の行く詳しい説明をされたなら円錐切除を受ける事に承知したかもしれません。でも有名病院のベテラン(年齢的に)医師のI先生は、とにかく円錐切除だからの一点張りで取り付く島もない感じでした。自分の治療方法は絶対で他は有り得ないし変更もしない、自信があるのでしょう。色々調べた事を書いて持っていったノートも開けないままでした。心の中ではあーだこーだ思っても、その場その瞬間には何も言い出せない自分が今更ながら悔しいですとにかく内診と検査をしますから、もう一度外で待ってくださいと言われて部屋を出ました。内診を待つ間私が何を考えていたのでしょう、とても重苦しい気分だったと思います。どうなるんだろうとが頭の中に蔓延していたんじゃないかしら。内診を受けるのに再び廊下の長椅子で待たされました30分くらいしてから呼ばれて内診室に入りました。看護師さんたちは皆さんとても親切で感じが良かったのは覚えています。内診室付きの看護師さんも優しかったです半身をカーテンで仕切られた状態で、内診台に乗ったまま待つ私に色々声をかけてくれました。少し待たされていると「今先生が来ますからね」を言われました。足音がしたと思うといきなり器具を挿入されガチャガチャという音がして、ブチッと引っ張られるような痛みに思わず声を上げそうになりました。コルポスコピーによる診察と生検でしたけど、その間I先生は何一つ言葉を発しませんでした。私の記憶に強く残ったのは「足音・ガチャガチャ・ブチッ・ガタン・遠ざかる足音」でした今まで何度も受けて来た子宮頸がん検査の細胞診でもコルポ診でも、見えないカーテンの向こうから無言で検査されたのは初めてでした。そしてこんなに痛かった検査も初めてでした終わりましたよ~、という優しい看護師さんの声が無かったら、消えない身体の奥の痛みはもっとずっと長く続いたに違いありません再びの廊下待ち。随分長く待たされた感じがしました。再び診察室に入りました。やっぱりかなり奥に引っ込んじゃってるね。(先生喋れるんじゃない)円錐切除だけどとにかく今日の検査結果が出てから手術日とかを決めましょう。(ちゃんと言葉を知ってるんじゃない)大分不信感が募っていましたけど、「やっぱり子宮摘出にはならないのですか」と聞いてみました。あぁ、まず円錐切除だから・・・。(同じ事は何度でも声に出して言えるんだ)「円錐切除の後でかなり出血する人もいると聞いていますが」あぁそんなの大丈夫ちゃんと処置出来るから。 大体10人に4人くらい出血て来るけど問題は無いよ。(大問題ぢゃん)「私は下半身麻酔にものすごく恐怖感があって、全身麻酔とかって出来ませんか」そんなのしない、下半身麻酔で大丈夫だから(不安がってるのは私です、大丈夫大丈夫って言われても怖いものは怖いっつぅの)「私は現在N県と東京と行ったり来たりの二重生活なのですが」手術後一ヶ月は何かあったらすぐ来院出来るように、遠出は出来ませんよ。検査結果が出るまで一週間だけど、11月3日は祝日で病院が休みになるから11月10日にまた来てください。(治療方は全て医師のいいなりになれば良いって思ってるの)結局、どうしてまず円錐切除が大切なのか、どうして全身麻酔がだめなのか詳しい説明は聞けませんでした。私も敢えてもう一度聞く気力が失せてしまっていました。またまた廊下で待たされて、次回の予約票と会計に進む書類を貰うのに長く待たされました会計でもまた待たされて、この日病院を出たのは2時半くらいになっていました。ものすごく疲れた一日でした、そしてまだ身体の奥に鈍痛が残っていました忙し過ぎるスケジュールなのでしょう。医師の判断に任せておけば何も心配は無いのだから言う通りにしていれば大丈夫だよ、という自信なのでしょう。でも私には「信じて頼れる医師」には思えませんでした。沢山の患者さんにとって良い医者なのかもしれませんが、私には良い医者ではありませんでした。こちらに向いていない話方と内容、すれ違う患者からの質問と回答、そして何より一言も発せずに行われた痛い痛い生検。無言だったという事だけでも私は嫌ですこの病院の理念・行動指針という項目に【患者さんの権利】として:*人として尊重されプライバシーが保護された医療を受ける事ができます*安全で安心な最善の医療を受ける事ができます*ご自身の医療に関して納得できるまで説明を受ける事ができます*ご自身の意思で医療を選択する事ができます*ご自身の医療に関して意見や希望を述べる事ができますとありますが、嘘ばっかり沢山いる産婦人科医師の中で、もし他の医師が担当だったら違ったのかもしれません。他の患者さんだったらI先生が大好きになったかもしれません。不幸な事に私とI先生の相性は最悪だったようです・・・・・そしてこの有名病院が大嫌いになりましたこの日から私はいったいどうしたら良いのだろうと深く悩む日々を過ごす事になりました日頃は強い事を言っている私ですが、実は面と向かうと躊躇してしまう小心者だったのです続く・・・・・・・
2018.04.04
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10月27日に決まったKO大学病院での初診。それまでにもっと色々調べて知っておかなくちゃ、と少し勉強を始めました。子宮頸がんの事や円錐切除の事などは知っていたのですが、それは通り一遍の事だけで、もっと詳しく知らなくちゃと考えたのです。元々私はしつこい性格で、処方された薬などもかなり詳しく調べておきたい方なのです。受ける医療に関しても、詳しく自分なりの知識を持っていなくちゃと思いましたインターネットってこんな時は本当に便利様々な情報を得るのにこれ程適した方法はありませんよね。まず子宮頸がんの事、異形成についてとその段階について。円錐切除の事、入院の事なども調べました。K先生からは、円錐切除は3泊4日の入院になりますと言われていました。子宮頚部を円錐状に切り取る手術だとは知っていましたが、それに関する様々な事までは判っていませんでした。実際に高度異形成で施術を受けた方々のブログなどを片っ端から読み漁りましたそこで初めて子宮頸がんや高度異形成で治療を受けた人たちの年齢がずっと若い事に気づきました最近は20代から30代くらいの方の罹患数がとても多いそうです。当然ながらまだ生理があるし、子供を産む希望を持っています。挙児希望のある人達には子宮温存手術という意味での円錐切除が行われているのです。でも私は閉経して既に8年以上が過ぎていて、コルポスコピーの際にも子宮頚部が奥に引っ込んでしまっているから生検がなかなか難しかったと何度も言われていました。・・・・・違うぢゃん円錐切除でちゃんと患部を切り取れるのか判らないですよねそこで閉経後に高度異形成になった方の経験談を探したのですが、これが殆ど見当たりません本当に毎日毎晩パソコンの前に陣取って探しまくりましたやっとの思いで辿り着いたのが、このブログの最初にリンクさせてもらったsaigawa311 さんの「アラ還 高度異形成ブログ」でしたとても読み易い文章で判り易くて本当に有難かったですそしてこのブログで初めて閉経後の患者には円錐切除ではなく子宮摘出を薦める事があると知ったのです子宮摘出という言葉を最初にK先生から聞いた時は、まだまだ遠い話のように思っていました。そんなすごい事になるなんて信じられない、くらいにしか思っていませんでした。でもsaigawa311さんのブログを読んで、今の私にはそれこそが最良の治療法なんだと思うように変化したのですその後は違った方向から高度異形成に関して調べると、いくつもの医療機関の治療説明の項に「挙児希望の無い人や閉経後の人には子宮摘出を薦める」と明記されてるのが見つかりました。閉経後は子宮の萎縮とともに子宮頸管部も狭くなっている。閉経後、子宮頚部が閉じて内の方へ引き込まれている為、円錐切除はかなり奥の方まで行わなければならない事がある。円錐切除をして切り取った断端に異形成やがん細胞が見つかった場合(断端陽性)は2度目の円錐切除をするか、子宮摘出になる。円錐切除で断端陰性で一応完治とみなされても、その後ずっとコルポスコピーによる検診が必要になる。閉経後の子宮は「引退です、ご苦労様」状態で、存在しているだけの臓器になっている。ホルモンを出すのは卵巣であって子宮ではない。子宮摘出すれば永久に子宮体がんの恐れがなくなる。これだけでも充分私は円錐切除って有り得ない・・・と思いました。円錐切除を受けた方たちの経験談には、術後の出血がかなり挙げられていました。傷のかさぶたが取れる2~3週間後に起きる場合が多いようですが、中には大出血した方が何人もおりました(レーザーで焼き切る為出血は抑えられるけど縫う訳ではないので傷は治るまである意味そのままです)円錐切除後に子宮摘出を受けた人で、こんなのなら最初から摘出術にしておけばあの出血騒ぎはなかったのに数ヶ月で2回も入院手術になった、と書いたブログもありました。私は下半身麻酔自体にもかなりの恐怖感をもっています無痛分娩などで下半身麻酔を施されて、その後数ヶ月にも渡って足に痺れが残ったりした人も知っています。同じような悩みを書いたブログをいくつも見つけました。第一あの腰をエビのように曲げて腰椎に長い針の注射をするって考えただけでも私は震え上がっちゃいます脊椎麻酔・下半身麻酔が痛くなかったと言う人も、痛かったと言う人もいましたその頃、従妹が数年前に円錐切除を受けたと母から聞いて、話を聞く事が出来ました。彼女は40歳頃(閉経前)に受けたそうですが、下半身麻酔で覚醒したままの手術は怖すぎると言って、医者に全身麻酔に変えてもらったと話していました。(完全な全身麻酔なのか、静脈麻酔なのかは聞きそびれていますが、とにかく眠っている間に終わったと言ってました)彼女は円錐切除は問題ないから大丈夫だよと言ってくれましたけど、私はやっぱり悩んでいましたその他にも様々な理由で子宮摘出を受けたという方は周囲にたくさんいる事が判り、その後何も問題ないと教えてくれました。子宮を取ったら女じゃなくなるとかの悲壮な気持ちは全くありませんでした。人によっては子宮を失う事への嫌悪感や喪失感を訴えるようですが、円錐切除と子宮摘出を比べた時に後の面倒、痛みや出血や不安を抱えるのはどっちだろうと考えた時、私の状況ならそれは子宮摘出の方が楽だろうとなったのです。そうやって10月27日のKO大学病院での初診の時、担当の医師に子宮摘出にしたい希望を言ってみようと決めた私でした。担当医師のI先生については病院のサイトで写真を見る事が出来ました。なかなか優しそうな人に見えました。KO大学病院は日本有数の評判の良い病院ですから、何も心配する事なく医者を信頼して治療してもらおうと27日を待っていました。続く・・・・・
2018.03.07
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10月10日、ずっと以前は体育の日で休日だったのにねこの日、それまでの流れが大きく変わる日になりました何時ものように診察室へ入ると、K先生が結果の出た紙を前にして気の毒そうな顔で説明を始めました。今回の検査の結果で初めて「高度異形成」が検出されたのです細胞の拡大写真を見せてくれましたけど、素人目には何が何やらよく判りません。ただ正常細胞のモデル写真に比べると、細胞の形が細かいうろこ状に変形しているのは判りました。高度異形成が軽減して中度や軽度異形成に戻る事は滅多に無いから、円錐切除をしなければなりませんと言われました。でも癌の細胞は出ていないからね、の一言にだけは救われた思いでした。放っておくと約40%はガンに移行するそうで、これまでずっと検査を受けて来ていたからこそ今の段階で見つかったし、とてもラッキーなのですよと話してくれました。ここは検査を行ったりフォローしたりするだけのクリニックで、治療機関ではない為病院を変えなくてなりません。どこでも希望する病院へ紹介状を書いてくれると言われたのですが、区民検診での婦人科検診でしたから生憎かかりつけの産婦人科医を持っていません。そこでK先生への信頼感から任意の病院への紹介状を書いて貰うようにお願いしました。K先生は以前勤めていたKO大学病院か、現在客員教授である聖M大学病院どちらが良いか考えてくださったのですが、私の住所からならずっと近いだろうとKO大学病院への紹介状を出してくれました円錐切除手術は2泊3日の入院で、下半身麻酔によって行われるそうです。KO大学病院はそれこそ天下の名病院とも言える有名な大病院だし、様々な分野での手術例も日本一を誇るような病院ですから、もうこれで安心して治療を受けて終わりに出来るんだと期待しましたKO大学病院には10月27日の予約が入り、婦人科初診外来のI医師宛の紹介状を持って赴く事になりました。名病院だからとの期待がとんでもない勘違いだったと気付かされるのはその27日の事でした・・・・続く・・・・・・
2018.03.02
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9月23日から忘れずに抗炎症剤をきっちり一週間使い切りました。二種類の膣剤は体温で溶けるのか、ジワジワと下りてくるような感覚が気持ち悪かったです使い終わって3日空けて再び市ヶ谷のクリニックへK先生のコルポスコピーはやっぱり殆ど痛みを感じる事なく終わりました。今度は炎症が収まっていてちゃんとした検査が出来たようですコルポスコピーの後は出血する事があるので、検査後きっちりしたタンポンを入れられていて、次の朝まで抜き取る事は出来ません。当日のお風呂は禁止でシャワーのみ許可されています。まだ季節が暖かい頃でしたので、シャワーでも寒くなくて助かりました毎回の事ですが、コルポスコピー後に大出血が起きた場合、救急外来に見せる説明書と紹介状を持たされます。一度も使う事はありませんでしたけど、それだけ血管の多い出血し易い部分なのだという事です。今回の検査の結果は一週間後の10月10日、市ヶ谷に来るのは7回目になるのでした。続く・・・・・・
2018.03.02
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10月の検診まで時間が開きました。その前に少し自分の事をお話しておきますね2017年に異形成の診断が出た時、私は59歳でした。夫と猫と暮らしています。息子が3人、今は37歳、35歳、33歳になりそれぞれ独立して生活しています。過去の妊娠回数は4回、次男と三男の間に一度3ヶ月で流産を経験しました。初潮はちょっと遅目の14歳で、閉経は確か52歳くらいだったかなぁ・・・、しっかりメモをつけていた訳ではないので、はっきりした日を思い出せません生理は順調で生理痛もあまり強く感じた事はありませんでした。子宮筋腫は一度もありませんでした。三男を産んだのが26歳で、その後30歳になってからは任意で子宮頸がん検診を受けていました。異常が出て精密検査となったのは59歳の検査が初めての事す2012年からは東京と、田舎暮らしのような自然豊かなN県の家との二重生活をしています。住民票はそのまま東京に残してあるので、各種検診はすべてそちらの区民検診で行っています。但し最近の生活はN県での方が中心になっています。必要に応じて高速バスを使って帰京、時に車で夫と猫も一緒の時があります普段は静かな山間部でのんびりとした年金暮らしをしていますこういった二重生活が、今回の手術に大きく関係しているので一応の説明を書いておきました
2018.03.02
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きっとまた経過観察になるよ・・・、大した事じゃないよ・・・、でももしかしたら悪い結果かも・・・、自分には先があるんだろうか・・・、などと一人で歩いている時は気持ちが上下に揺れてしまう事がありました。検査結果を待つ時間、なるようにしかならないって判っていても不安で一杯になるものですね7月11日、当たって砕けろだっ、てな気持ちでクリニックへの坂を登りましたK先生の穏やかな顔、でも示された結果は再びの「中度異形成」でした。悪い結果じゃないとホッとしたのも束の間、やはり炎症が邪魔をしていて正確な診断結果だと言えないそうでした。視診では問題ないように思えるのだけれど、それも炎症がある為はっきり言い切れないと・・・。K先生から、中度異形成なので経過観察をしましょう、そして3ヶ月後の再検査時に正確な診断をする為に薬で炎症を治しましょうと言われました。抗炎症剤を1週間使い、使い終わって3日間空けて検査の日が来るようにしてください・・・って随分複雑だし忘れそう出される処方箋は4日以内に使わなければならないけれど、出る抗炎症剤を使うのは9月の終わり頃になります。次回の診察予約は10月3日になったので、逆算して9月23日から抗炎症剤を使う事になりました。それまで冷蔵庫に保存、忘れないようにしなければなりません次回検査へ向けての手順を繰り返し覚えながらも3ヶ月の猶予を得た事で気分は随分と楽なものに変わっていました。数ヶ月毎の経過観察で数年、結局自然に治ってしまった話を何人からも聞いていましたし、きっと自分もそうなれるかもしれないと思いましたこうやって2017年の夏を私はのんびりと気楽に乗り越える事が出来たのでした続く・・・・・・
2018.03.01
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暑い盛りの7月4日、地下鉄市ヶ谷駅からクリニックへの僅かな坂道に汗びっしょりになりながら検査に向かいました2回目のコルポスコピー検査です。前回の検査では身体の芯に響くような痛み残ったので、この日も痛みを覚悟して検査椅子に座りましたドキドキカーテンの向こう側で検査をするK先生、進行に合わせて一々声をかけてくれました。「ちょっと重苦しくなるよ」とか「少し痛いけど我慢してくださいね」とか・・・。それがなんとびっくり 殆ど痛みを感じる事なく検査が終わったのです細かく手順を説明してくれたのや、不安を取るように声をかけ続けてくれた事、そして何よりK先生の検査技術が上手だったのだと思います診たところ、やはり子宮頚部がかなり奥に引っ込んでしまっているのと、軽い炎症があるようだとの話でした。閉経後の子宮頚部の検査は、する側の医師も、される側の患者もなかなか大変な事なんですねこの時の検査結果は一週間後の7月11日の予約で聞きに来る事になりました。続く・・・・・・
2018.03.01
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(思い違いの部分の訂正をしました・3月1日)前回の検査から約2週間後の6月20日、検査結果を聞く為と再検査に再び市ヶ谷を訪れました。今回の担当医師は男性のK先生でした。私の都合で曜日が合わず、前回の女医さんの予約が取れませんでした。診察室に呼ばれてチャートの図を示しながら検査結果の説明がありました。結果は中度異形成でした。中度異形成の場合、自然治癒的に軽度異形成へ移行する事もあるそうです。反対に中度から高度異形成へと移行した場合は、円錐切除術、そして場合によっては子宮摘出へと治療法が変わっていくと説明を受けました。この時は子宮摘出という言葉にかなり驚きました気持ちの上ではそこまで深刻な状況をちゃんと把握出来ていなかったんでしょうね。もし最悪がん細胞が出た場合、すぐに処置するべきなのかと思っていましたが、殆どの子宮頸がんの進行はゆっくりなので、「今日明日」みたく慌てる事は無いのだと教えられました。そして、もし治療が必要になった場合、K先生に病院を紹介して貰う事が出来る事も確認しました。私の場合閉経後数年が過ぎているので子宮頸部がかなり奥になっているそうで、正確を期す為一ヶ月を開けてまたコルポスコピーを受ける事になりました。生検の傷が治った頃という意味だそうで、次回は7月4日の予約です。また1ヶ月後のコルポスコピー、痛い検査は何時まで続くのか・・・婦人科の医師を選ぶ時に「女医師」を掲げる人が多いのですが、過去の出産や検診からの経験では、女性の医師よりも男性の医師の方が概ね優しい事が多かったように思えます。女性は同性だけに厳しいのでしょうか、男性は想像するしかない痛みや辛さだけにいたわってくれるのでしょうかK先生も経験に裏打ちされた人柄か、とても優しく穏やかな印象のおじさん(ちょっとおじいさんかも)でした次回の予約もK先生の診察日を選びました。続く・・・・・
2018.02.17
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東京都予防医学協会で検診を受けていましたので、再検査の予約も同じ場所です。検診の時と違って併設のクリニックでの精密検査でした。初めて会った婦人科の医師は、気さくな雰囲気で親切な年配の女医さんでした。子宮頸がんに至る細胞の変化についての説明などを受けました。子宮頚部は扁平上皮からなる組織で、細胞の軽度異形成から中度、高度とガンになる前の状態から発見することが可能です。私の場合はスメアテストで中度異形成が疑われた為、更に詳しい検査へと移行したのでした。(もちろんこの時まで何の自覚症状もありません)【参考】子宮頸がんの基礎知識(国立がん研究センターサイトより)子宮頸がん 検査・診断(同上)診察台は下半身から向こう側がカーテンで仕切られていて医師や看護師の姿は見えません。ですから、医師から「ちょっと滲みるかな」、とか「少し痛いけど我慢してね」など声をかけられると安心するものです。コルポスコピーで細胞の生検を採取されました。腰の奥に響くような重い痛みが検査後も残りました。生理痛の痛みと同類の痛みです結果は次の予約時、約2週間後に再びここを訪れる事になりました。続く・・・・・
2018.02.08
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女性特有の疾病である子宮頸がんは、検診でガン化する前に発見する事が出来るので「予防できるガン」と言われています。私は30歳になった頃から、意識して検査を受け続けていました。夫の定年後は国保になり、区で行う2年に一度の検診を受けていましたが、この回だけ受け忘れがあって3年目の検診になりました。子宮頸がん検診以外にも胃がん・大腸がん検診など、区民ニュースを確認して自分で申し込まなければなりません。それでも毎年の事ですし、受けられる権利は全て利用しようと思っているので、自分で受診の管理をする事は面倒ではありません。だからこそ3年開けてしまった事は自分自身に悔しいことでした区の子宮頸がん検診は委託方式になっていて、リスト上の産婦人科医から選択して予約するやり方ですが、私はここ数回は東京都予防医学協会の保険会館を選んで検査を受けていました。(設備が新しく清潔なのが気に入っていました)4月4日、いつも通り市ヶ谷の保険会館へ行き、いつも通りに受診しました。Pap smear、スメアテストと呼ばれる検査は、子宮頚部の細胞をブラシのようなもので擦り取って調べる検査です。いつも通り「異常なし」の通知が来るだけだと軽く考えていたのですが、約一ヶ月後に届いたのは初めて見る分厚い封筒だったのです不安な気持ちで開いてみると、精密検査の必要がありますので予約を取るように、と。不安は更に膨らみましたけど、とにかく早くしないともっと怖いと思い電話しました。6月5日の予約が取れました。何がどうなっての精密検査なのかが判らない為、それまで漠然とした不安を抱えて過ごす事になったのです続く・・・・・
2018.02.03
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2017年、59歳の私は定期的に受けていた子宮頸がん検査にひっかかりました。30歳過ぎからずっと受け続けていた検査で、精密検査が必要と言われたのは初めての事でした。発見から治療への間、色々な悩みや不安がありました。子宮頸がん関係の情報はネット上でそれはたくさん見つける事ができますが、殆どの情報は20代~30代くらいの女性の事が多く、閉経後数年が過ぎている私のような症例に関する話はとても少なくて困りました。やっと見つけたsaigawa311さんの「アラ還 高度異形成ブログ」は本当に有難く貴重な体験談でした。その後、少しずつ記録を見つける事は出来ましたけど、閉経後という条件での情報量はとても少ない事に変わりありません。そこで私も上記のsaigawa311さんのように、同じような状況にある方への情報として体験した事を残したいと思い、ここに発見から治療への記録を綴って行く事にしました。間違いや書き忘れに気づいたら、その都度補足更新をして行くつもりです。自分自身への記録としてはもちろんですが、少しでもどなたかが参考にしてくださったら嬉しいと思います。
2018.02.03
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