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2005.10.30
死に至らない病 6
カテゴリ:
カテゴリ未分類
人間なんて勝手なもの。
別にそんなこと、知っていた。
自分勝手で、臆病で。そして、集団に埋没すれば
まるで自分自身が強大な力を持っているかのように振舞う。
分かりきっていた筈なのに。
人間なんて、弱い。
それもとっくに知っていた。
あれこれ言っていても、いざ自分の身に降りかかると何も出来ない。
非力で、疲れ果てて、そして進む道が見えなくなったときに
自らの手で自らの道を完全に閉ざしてしまう。
それも、分かりきっていた筈なのに。
最初の自殺者から、わずかも経たない内に、
「患者」は次々と自殺をした。
皮肉なもので、少しでも生きながらえようとする動物の本能を持っていながら、
我が身が「不老不死」であるとなると、
それに悲観して実際の寿命よりも遥かに早くに命を絶ってしまう。
それも、自らの手で。
ある者はこの先どうなるか分からない自分の症状を案じて、
ある者は繰り返される「検査」に嫌気が差して、
ある者は宗教上の理由だったか。
アメリカでは患者の一人がカウンセリングを受けてる最中に、
突然暴れだし、カウンセラーを殺害しようとした。
彼ら、いや、私の母も含めて。
皆、身体を蝕むその病よりも自らの心を蝕む病と闘うことになっていった。
母は、スイスの青年が死んだあの日から口数は殆んど無くなった。
時折、思いつめた顔をして、その度に私は体中を駆け巡る嫌な予感に、
身体と思考がピタリと止まって動けなくなる。
病室ではテレビを点けない。
これ以上、病気の情報は何ひとつ聞きたく無かったし、母にも見せたくは無かった。
「お母さん」
ぼんやりとすることの多くなった母に声を掛ける。
「ん?どうしたの」
母はゆっくりとこちらを向く。
「変なこと、考えないでよ」
その拍子に母は、突然。
大きな声を立てて笑い出した。
久々に見る母が大きな声で笑うところ。
いつも、毎日。
母の友人と会話をしては、電話をしながら、テレビを見ては、
その大きな声で笑って、目の周りがしわくちゃになって、
口元から笑いじわが消えなくなるほど笑っていた母は、
このごろ、くすりとも笑わなくなっていたと言うのに。
私の言葉で、これ以上無いってくらい笑っていた。
ぽかんとしてその様子を見ていた私は、だんだん腹が立ってきた。
なに、人が心配してるって言うのに。
「お母さん!」
ようやく笑うことを止めて、母が私をじっと見据える。
目元と口元には、まだ笑みがこぼれそうに残っている。
「ごめんねぇ、大笑いして。あんたは心配してくれてるんだよねぇ」
そう言って、また口元から、ふふっと声が漏れる。
「なに、私が、私も自殺するとでも思ってたんでしょう」
「・・・」
私は何も言えずに冷蔵庫の上の花瓶を見る。
花瓶にはカトレアが飾ってあって、
こんな派手な花は自分には似合わないと母が繰り返し言っていたカトレアを、
私は見つめていた。
「まさか。自殺なんかしやしない。第一、理由が無いよ」
母のほうを向くと、母もカトレアを見ている。
それから私のほうを見て。
「変な気を遣わせたね、ごめんなさい」
そう言って頭を下げた。
妙にくすぐったくて、でも、それと同時に安堵がこみ上げてきて。
ああ、この人はウソをつかない人だから。
特に、私には今まで一度もウソをついたことの無い人だから。
だから、その言葉も絶対に本当だから。
素直に、それは心の中に沁みて、疑うこともない。
*****
退院の知らせを聞いて、私は俄かにそれを信じることが出来なかった。
けれど、その後に入ってきた噂で、すぐにそれも納得できた。
「病」の患者が入院してきた。
それも、若い男性の。
つまり病院は「新しいサンプル」を手に入れたのだ。
高齢の母は、いくら元気だからと言っても体力的には不安がある。
若い男性なら、ある程度ならどんな検査にだって耐えられる可能性が高い。
「病状も、まぁ、安定しているようですし、これからは通院で十分ですね」
老医師はカルテを見ながら言う。
「おめでとうございます」
そう言って笑った。
「うそつき」
私は心の中で言う。
あんないい部屋に置いておいたのも、そして、突然の退院許可も、
全部あなたたちの都合でしょ。
「おめでとう」も何も無い。母は、完治どころか、不治の病なんだ。
不老不死って名前の不治の病。
あなたはとても偉い医師なんでしょうけど、それでもとっても治せない病気。
悪態のひとつでもついてやりたかったけど、
母が退院するとなると、今までは全く病院に都合してもらった母の生活費もかかる。
これからのことを考えると、職場にも復帰しなくちゃいけないし、
頭が一瞬で一杯になって、
「お世話になりました」
私は頭を下げ、診察室を後にしようとした。
「ああ、ちょっと」
老医師が私を呼び止める。
「何でしょう」
「いや、こういう事を言うのも、変に不安にさせるようで何ですが…」
医師が口ごもる。
「母の容態で、何か?」
急に、胸がざわつく。でも、退院できるって、いまさっき。
「いえ、お母様のことではないんです」
「実はまだ、断定できる段階ではないのですが…」
言いにくそうに医師は口ごもりながら話す。
胸中は穏やかではない。そんな話し方をされたのでは。
「おっしゃって下さい。大切なことなんでしょう」
たぶん、幾分語気は荒くなったのだと思う。
医師は話し始めた。
「ドイツ、そして、南アフリカで親が発症してから間も無く
子供が発症した事例が報告がありました。
どういった感染経路か、いまだ確認できていないのは事実ですが、
遺伝的な感染の可能性が全く無いとは言い切れないのです。
ですので、念のため、なのですが、ご家族の方にもお話するように、
そう思いまして」
ざわついていた胸が、冷えていくのが分かる。
私も、この病に?
「とは言っても、ご注意を促した所でどうなるものでも無く、
むしろ不安を持たせるだけのお話になってしまいますし、
その上、確証も無い。
ただ、お知らせしなくてはいけないことだと、私は判断致しました」
眉をひそめて、老医師が話す。
それを、私は聞こえているのか聞こえていないのか分からない。
自分でも分からない。
頭の中はすでに別のことでいっぱいだったのに、
それらも全てぐちゃぐちゃに混ざり合って、言葉も何も出ない。
正直に、私はここに告白する。
母を心配して、そして、ワイドショーとかでヒトゴトのように話す人たちに、
私は憤慨してきた。
あんたたちは自分のことじゃないから平気でそんな風に言えるんだ、って。
でも、結局私も一緒だった。
母が告知された時以上に、まだ病にかかっているとも分からない自分の身を思うと、
目の前が真っ暗になった気分だった。
勿論、母を案じていたのは、ヒトゴトだと思ってる人たちに憤りを感じていたのは事実。
それでも、ここまで心がかき乱されることが無かった。
もし、発症を言い渡されたら、自殺しないって保証は、
とてもじゃないけど、出来ない。
結局、私にとっても、「死に至らない病」はヒトゴトだったんだ。
そのときに、初めて気付かされた。
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Last updated 2005.10.31 00:50:23
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