第14章

独立










「さて、晴れて独立したわけやけど、リーダーはどっちがやる?」
 砦から家に帰って一息ついてレイが切り出した。
「そんなもん、お前に決まってるだろうが」
 何を今さら、というような感じでゼロが答える。そこまではっきり断言されるとは思ってもいなかったレイはしばし言葉を失った。
「決まってるって、決めた覚え俺ないんやけど」
 頬をかきながらレイがそう発言するもゼロは取り合うつもりもないようだ。
「脱退を言い出したのはお前だろ? その時に俺がお前に譲った」
「でもここのルールに従うなら強い方がいいんとちゃう?」
 ゼロが自分の左腿を一瞥する。“今”なら自分よりお前の方が強いだろ、とでも言いたげなようにレイには感じられた。
「もうちょっと真面目に考えてや……」
 ため息をつきながらそう言うレイを見て、ゼロは小さく舌打ちした。
「仕方ない、ちょっと待ってろ」
 そういい残し寝室の方へ左足を引きずりながら消える。
―――舌打ちて……。
 なんだか素直に自分がリーダーを引き受ければいいような気がしてならなかった。
―――たぶん、俺がリーダーなんやろな……。



「俺もお前も大して実力は変わらんからな。これで決めるか」
 戻ってきたゼロが親指と人差し指の間に一枚のコインを挟んでいた。ゼロがたまに見せてくれる昔西で使われていたという古い貨幣だ。
「表が出たら、お前な」
 コインを近づけられ、レイはその模様を焼き付けた。
ゼロに頷いてみせる。思っていたよりもフェアな方法だ。
「いくぞ」
 ゼロが親指でコインを弾く。二人ともコインの行方を追った。
 テーブルで1度跳ね、床に落ちてしばし転がって、止まった。
「お前だな」
 この事実を突きつけられては、引き受けるしかあるまい。レイはしょうがない、という風にそれを了解した。
「運が良いのか悪いのか分からんな」
 苦笑しながらレイがコインを拾う。
「……ん?」
 そのコインをまじまじと見つめ、レイはあることに気付いた。
「ゼロ」
「リーダーはもう決定したが、何だ?」
 あえて強調する彼が嫌な奴に見えた。目を細めてゼロを見る。彼は自分で淹れた紅茶を飲んでいた。
「これ……」
 彼の言いたいことは分かっている。だがゼロは相手にしなかった。
「確認しなかったお前が悪い」
 少しでもフェアだと思った自分が悪いのだ、そう言い聞かせることにする。
 そのコインは、両面同じ模様だったのだ。




 二人の脱退から1週間後。やっと全員が集まった“平和の後継者”の砦ではみなが一様に驚いていた。特に二人と親交のあったゼリューダ、ミュアン、ロゥ、メルシーへの衝撃は大きかった。いや、ミュアンにいたっては今にも泣き出しそうだ。
「あの二人が言うには、自分たちのペースで敵と戦いたい、ということです」
 落ち着き払った様子で話すレリムの姿が、皆には冷たく見えた。ことの真相を知っているのは彼女の他はウォーとダイフォルガーの2人だけだ。
―――せめて……お別れの言葉、欲しかったな……。
 ナナの幼心にも、ゼロとの別れはどこか切ないものがあるようだ。ぽつんと椅子に腰を下ろしながら、俯いていた。
 集会が終わった後、ミュアンは一人駆け足で砦を後にした。



―――なんだろう。なんか嫌な予感がする。
 その予感は突如ゼロの胸に去来した。
 何か、かなりの威圧感を持つものが迫ってくる。強いて言うならば圧迫感だ。
 自然と身構えるようにしてしまう。
「どうかしたん?」
 そのゼロに気付いたレイが声をかけてくれた。だが、なんと答えればいいか分からない。自分でもよく分からない感情を言い表すのはかなり困難だ。
「いや、たぶんなんでもない」
 自信がない分、弱気な台詞になる。だが、気のせいだろうと思い込み作業中の皿洗いを続けた。
 しかし、圧迫感は消えない。むしろ、強くなっている。
 そして。
「ゼロ!」
 突如家の中へ人が入ってきた。その声にこもった怒りが、ゼロとレイの頭に響いた。
「ミュ、ミュアンちゃん?」
 顔を引きつらせて玄関を覗くと、確かにミュアンだった。
「どういうことか説明しなさい!」
 これには流石の二人もびびってしまい、ゼロとレイはとりあえず彼女を家の中へ案内しテーブルにつかせ、お茶を出した。
「どういうこと? いきなり脱退って」
 声は幾分落ち着いたが、如何せん目が据わっている。なまじ普段はゼロに激弱の彼女な分、ゼロには非常に恐ろしく感じられた。
 もうすぐ19年になる彼の人生の中で、ここまで女性に怒られたのはたぶん初めてだろう。ユフィとケンカしたりミリエラとケンカしたりフィールディアにケンカ売られたこともあるが、今のような状況はない。
「どういうことって……」
 レイのがゼロの方へ視線を向ける。
(俺に説明しろと?)
(ゼロが話したほうがミュアンちゃんには伝わるやろ)
(言い出したのはお前だぞ?)
(これ以上怒らせたないやろ?)
 渋々ゼロが弁明の役を引き受けた。
「早いとこ戦いを終わらせるために」
 ゼロが口を開く。内心はどうか分からないが、声には力があった。
「そして帰るために」
「勝てなきゃ帰れないんじゃないの?」
 その説明を聞いても、ミュアンは睨んだままだった。
「勝つさ」
「根拠がないわ」
「俺とレイじゃ不安だとでも?」
「ええ、そうよ」
「だからといって、後継者が必ず勝つわけでもないだろ?」
「勝つわよ」
「根拠は?」
「貴方たちよりも敵を知ってる。数も多いし」
「数で勝てるほど、残る3人は甘くないだろ」
「やってみなきゃ分からないわ」
「いつぞや十天使に“神魔団”が攻めてきた時、俺がレリムに何て言われたか知ってるか?」
「知らないけど……」
「『“神魔団”と戦って死なずにすむのはレリム、ダイフォルガー、俺の3人くらい』だとさ」
「嘘よ」
「事実だ」
「だって私だって一人倒したもの」
「それは……」
「天師様は敵を過大評価してるだけだわ」
「だったら俺たち二人でも勝てるんじゃないのか?」
「それは無理ね」
「どうして?」
「女の勘」
 ここでゼロが黙り込んだ。予想以上にミュアンは頑固だ。意見を譲らない。
―――女の子って、怖いのぉ……。
 二人のやり取りを見てレイがそう実感する。いまや彼は蚊帳の外だ。
「じゃあこういうのはどうだ」
 何か思いついたのか、ゼロが口を開いた。
「お前も、俺たちと来ないか?」
 お、という風にレイが顔を上げる。どうやら、これはゼロが折れた結果だろう。
「私にも抜けろっていうの?」
「そうだ」
「か、簡単に言わないでよ!」
 ぷいっとミュアンが首を横に向ける。だが、若干頬が赤い。嬉しいのか、照れているのか。それでも二つ返事で返さないのが、彼女なりのレリムへの恩義なのだろう。
「1週間待つ。その間に決めてくれ」
―――1週間後って、ゼロの誕生日かいな……。
 たぶん思いつきの提案なのだろう。だが、確実にイニシアティブは今ゼロにある。
「……わかった」
 渋々ミュアンが承諾する。どうやら今日はここで引き下がってくれるようだ。
「返事、期待してるよ」
 昔、ムーンとの戦いが続いている頃にゼロがミュアンへ見せた笑顔、彼女が彼へ想いを募らせ始めるきっかけとなった笑顔がそこにあった。ミュアンの顔が真っ赤になる。
「あ、う、うん……」
 そうして彼女は走り去るように帰って行った。
「ご苦労さん」
 しばらくして、レイが口を開く。ゼロはどうやらかなりお疲れだ。
「ったく、敵わないな」
 本当は彼女を巻き込みたくなかったのだが、あそこまで攻められては逃げの一手として考えていた奥の手を使うしかなかった。ああ言えばきっと彼女が揺らぐであろうという実感はあったのだ。
「三人寄らばなんとやらっていうやん」
「どこの言葉だよ」
 今は傷を癒し、ミュアンの返事を待つだけだ。



「どうしよう……」
 自分の気持ちに正直になるなら、間違いなくゼロの方へ進んでしまう。
 だが、レリムから受けた大恩をそう易々と裏切れるほど、彼女も子どもではない。受けた恩は必ず返せ、そう言われて育ってきた。
「天師様に、相談してみるしかないか……」
 自宅のベッドに横になり、ミュアンはそう呟いた。



 翌日。ミュアン・リリルナはいつになく真面目な顔つきで砦へと向かった。すっかり風も冷たくなり、あとは雪が降れば問題なく冬と言える、そんな日だった。
 コートを着て、マフラーをして、準備は万端だと思ったのだが手袋を忘れた。かじかんだ手に息を当てて暖めながら、砦へと向かっていた。
―――あれ?
 自分の進行方向から、見慣れた女性が歩いてきていた。真っ直ぐに伸ばした金髪が、風を受けて揺れているのが見える。厚手のコートを着込み毛糸のマフラーと手袋をしている。普段は何だか雲の上の存在のような彼女が、ごく身近な存在に感じられた。
「天師様……」
「ミュアン……」
 どうやらお互い同士が目的だったらしい。二人は道端で立ち止まって顔をつき合わせた。言葉無く見詰め合う。吐く息だけが、白い。
「とりあえず、幸い近場に市場がありますから、暖かいところに行きましょうか」
「……はい」
 寒いもの、誰だって寒いのだ。


 二人が選んだのは、何の変哲も無い、アットホームな感じの喫茶店だった。
―――あら? ここ、何だか見覚えが……。
 ふとレリムの脳裏に知っているような感じが去来した。
「いらっしゃいませー」
 エプロン姿の可愛らしい少年が給仕を勤めているらしかった。
「2名様ですか……って、レリム様にミュアンさん!」
 三角巾に白のエプロンはきっと店の方針として着せられているのだろう。それが似合っているのだから、またなんとも言えない。彼の幼さを考えれば似合っていても何も不思議ではない、ミュアンはそう思い込んだ。たぶん、もう二十歳を向かえ今年で二十一になるレリムにはちょっと抵抗のある格好だ。
―――家庭に入れば、ああいう格好をするのでしょうかね……。
 まじまじとゼリューダを見つめ、レリムはそんなことを考えた。そして心の中で首を振る。自分には似合っていない、と思う。
―――お嫁さんになったら、ああいう格好して……。って、何考えてるんだよ、私……。
 一瞬自分がエプロンを着て夫と一緒にキッチンの前に立ってにこにこしながら二人で料理をしている光景を浮かべてしまった。
「あ、あの、メニュー、何にしますか?」
 恐る恐る、彼は二人に注文を取った。そこで二人とも我に返る。何故か若干照れた様子で二人ともコーヒーを頼んだ。

 数分後。
「はい、ごゆっくりどうぞ」
 ゼリューダが運んできたコーヒーをまず口に含む。ほろ苦さが丁度良く、美味かった。
 一息ついて、先にレリムが口を開いた。コートの下に着ていた普段の立派そうな服が少しこの店と合っていないような気がする、そんなことをミュアンは最初に考えた。
「ゼロに、何と言われましたか?」
 外側からでなく、いきなり内側からレリムが質問する。
―――全部正直に話さなきゃね……。
「誘われました」
「彼らと共に行かないか、ということですね?」
「はい」
 どうやら、レリムはそれほど意外には思っていないようだ。むしろ、予想していたような、そんな表情。
「貴女はどうしたいですか?」
 これではまるで自分を彼らの下へ行かせようとしているようだ。
「そのことについて、天師様に相談に伺おうとしたんです」
「後継者のミュアン・リリルナとしてではなく、一個人として、一女として、ミュアン・リリルナの希望を聞いているのです」
 レリムの目は真剣だ。だが、きっと彼女は自分の答えなど分かりきっているだろう。少しその期待を裏切ろうかと思ったが、心まで裏切れはしない。
「私は……ゼロと共に……」
 語尾が掠れる。若干レリムの首が縦に振られたように見える。
「構いません。貴女の望むままに動いても」
 これからは冗談などではない。本気の言葉だ。レリムは、簡単に人の感情を扱うような人ではない。
「どうしてですか……?」
 本当は喜ぶべきなのだが、素直に喜ぶほどもう彼女も子どもではない。拳を握り締めて、俯いた。表情を、レリムに見られないように。
「私は、もう、いらないんですか?」
 喜ぼうとした直前に湧き上がってきた感情が、これだ。自分が、“平和の後継者”にとって、不必要なのではないか、という不安。自分の居場所が一つなくなってしまうような恐怖。
「何を馬鹿なことを」
 涙交じりに訴えるミュアンに対し、レリムは冷たかった。
「先日“神魔団”の一人を撃破した中央十本指に入る戦士を不必要と判断するほど、私たちに戦力的余裕などありませんよ?」
 ふっと、何か温かいものが自分を包み込んでくれたような思いだった。
 これではまるで、本当に必要とされているのに、自分の我侭で抜けるようなものではないか。
「そうですね、貴女にそこまで未練があるなら、こうしませんか?」
 涙を拭き、顔を上げてレリムの言葉に耳を傾ける。
「彼らと後継者の、架け橋となってください」
「架け橋……?」
「なんだかんだ言っても、彼らもまだ子どものようなもですから、ミュアンが支えてあげ、必要ならば私たちも支援しましょう」
 つまり、言ってしまえば仲介役だ。
「天師様……ありがとうございます!」
 レリムへの感謝は、やはり尽きることはなさそうだ。


 ミュアンの訪問から三日後、ゼロは何気なしに中央市場へと足を運んだ。
 特にこれと言った用事があるわけではなく、ただなんとなく、といった部分が強い。やはり雪が無くとも冬だからか、通りに人影はほとんど見受けられなかった。寂しい、そう感じてしまうようだ。
 行く当てがなかったのは事実だ。だが、知らずにあの場所に来ていた、1年前、アノンの力で中央へと送られたあの場所へ、あの神殿へ。
 閑散とした木々の中、毅然とした様子で、存在を誇示するでもなく、かといって隠すわけでもなく、ただそこにある存在。
「……ここか」
 どう歩いてここまで来たのかはっきりとは覚えていないのだが。
 ゼロは大した興味も持たずに、その神殿の中へと足を運んだ。
 神殿とは言ってもそんな大それたものではなく、小規模なもので、貴族学校の一クラス程度の広さの広場の奥の方に神を崇め奉る祭壇らしきものがあるだけだった。長らく人が侵入した痕跡は見受けられないが、不思議と空気に埃っぽさはない。澄んだ空気は、久々に“空気が濃い”と思えるようなものだった。
「我らが神……エ……ルフを……ここに祀る、か?」
 現在世界全土で使われる公用語ではなく、それは数百年の昔使われていたというエルフ文字で彫られていた。しかも精巧に、最初から彫られたのではなく、誰かが付け足して彫ったような荒々しい文字だ。
 その他にも何かあるのかと神殿の中を見回してみたが、特にこれと言って興味を引くものは見つけられなかった。
「ん?」
 だが、一箇所だけ違和感を覚える箇所があることに気付く。傍から見れば普通の床で、特に何が違う、というわけではないのだが、何か変なのだ。そこだけ、人の気配がする。
 屈んで触れてみると、そこだけいやに軽い感じがした。
―――なんだ? ……これ、開くのか……?
 上手い具合に隠されている引き具を見つける。
―――なんか、子どもに戻ったみたいだな。
 よく知らない土地で、隠された扉を見つけ、新たな冒険が始まる、そんな心境だ。
 床下に隠された梯子を下り、しばらく真っ直ぐ歩くと通路の両脇にそれぞれ3部屋ずつ、計6部屋があり、その奥には異様に拓けた空間があった。
「ほぉ、来客とは珍しいな」
 不意に後ろから声をかけられた。どうやら、左右いずれかの部屋から出てきたようだが、どうしても特定はできなかった。すっと胸の内の入ってくるような、無愛想ながら凛とした声だった。どこか懐かしい、そう表現も出来そうだとゼロは内心感じる。
「来客ってほどでもないんだが……」
 振り返ったゼロは、一瞬だけ相手と視線を合わせた。
 相手は、プライドの高そうな取っ付き難い感じの男だった。すらっとした長身で、なかなかに整った容姿、特に目立つ容姿ではないが、ゼロは得体の知れない威圧感を感じた。
「まぁいい。お前に会わせたい奴がいる。まぁ、奴自信が望んでいるかは分からんがな」
 彼が部屋の一つを親指で指す。そこに入れ、ということだろう。何故だか、逆らえなかった。言われるがままに、ゼロは扉に手をかけた。




BACK / NEXT




© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: