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短歌会でお会いしたときに、ガーデナーのAさんから、鉢植えに仕立てた萩をいただいた。
苗からそだてて、鉢に移せるまでに育て、「今は、まだこの鉢にうつしたばかりで、苗も落ち着いていないから、しばらくそっとしておいて、秋ころになったら、もっと大きい鉢に移してやってください」とのこと。
萩をベランダで育てるなんて、できない相談だと思っていたので、鉢仕立てにしていただくと、とても楽しい。今年のお月見が、もう楽しみになってくる。
ところで、支柱 兼 持ち手の木枠(?)に、なにやら結びつけてある。
「もしや?」と思ったとおり、半紙を縦長に折ったもの。ひろげてみると、短歌一首、墨書してある。
(一年後、すっかりあたらしくなって、元気に葉を拡げています。)
なかなか思うようには書けないけれども、たまに墨書の歌の交換も、なにやら優雅でよろしい・・・というわけで、私も、一首詠んで、お返事。
返事の方は、写真を撮らないで出してしまったので、控えがないのが、幸いといえば幸い。
だが、ついつい、書きやすい字を選んでしまうので、短歌としてはどうかな・・・という作品になってしまった気がする。
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書家は、短歌を書くときに、視覚を重んじるので、勝手に同音の違う字を使ったり、ひらがなを漢字に替えたり、行を好きなように替えて許されるそうだ。以前、ある書家の先生が、当地の大学で展示会をなさったときに、啄木の歌を二行書きにして出品されていたのが納得が行かなくて、私の書道の先生に伺ってみたら、それは「書」としては許されると教わった。
「それなら、自分の歌を、自分でいじる分には納得が行くわけだから、自分の歌を自分で書くようにしたい。」と、これも書の先生に言ったら、「それは、一つの完成形だな。」と言われて、まだ若かった私は、無謀にもそれを目指したのだが、今度は、「この歌はこういう字で書いてほしい」というイメ―ジに近い字が、書けない。自分の字だから仕方がないけれども・・・
そのうち、65年も教えをうけた書の先生は、故人になってしまわれた。今ごろ、「できるもんならやってみろ」笑っていらっしゃるのかもしれない。
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