Nonsense Story

Nonsense Story

風鈴 1




風鈴 1






 ちりん ちりり・・・・・・ん
 風鈴の音で目が覚めた。見慣れない木目の天井が ( ) に映り、ここが自分の家でないことを自覚する。
( はは ) が夏風邪で寝込んでいるとの報せがあり、八月最初の週末であった昨日から、旦那と共に泊り込んでいる。
 頭上のガラス障子を突き破るようにして入る陽光が、もう起きてもいい時分だと告げていた。隣の布団は既に空である。まだ眠いなぁと思いながら、わたしも自分の寝床から這い出した。思い切って障子を開ける。良い天気だ。縁側で梵鐘の形をした南部風鈴が、もう一度涼しげな音色を奏でた。


 襖越しの部屋に寝ている姑の様子を窺ってから、台所へ向かう。そこでは旦那が珈琲を片手にテレビを見ていた。
「もう起きたの? まだ寝てても良かったのに。あ、ひょっとして、おふくろが起きた?」
「ううん。お ( かあ ) さんはまだ」
 姑は、光の入らない部屋でぐっすりと眠っていた。熱はそれほど高くないのだが、咳き込みが激しく、昨夜はあまり眠っていないのだ。それは付き添っていたわたしや旦那も同じなのだが。
「昨日、おれより眠れなかったみたいだったから、まだ目が覚めないかと思った」
 旦那はテレビから睛を逸らさずに ( ) う。画面には、ある式典の様子が映し出されている。
 わたしは冷蔵庫から卵と食パンを出しながら応じた。
「うん、風鈴の音で目が覚めちゃって」
「風鈴って、おれが購ってきたやつ?」
「そう。あの古風で重そうな南部風鈴」
「・・・・・・あれってどんな音だったっけ?」
「どんなって・・・・・・見かけによらず軽やかな音だったよ。見た目は暑苦しいけど、可愛らしいガラスの風鈴より、ずっと涼しくなる音だね。どうしてそんなこと訊くの?」
 わたしが振り向くと、旦那は難しそうな表情でこちらを見返してきた。
「おれ、あの風鈴の音って、こっちに持ち帰ってから聞いたことないような気がするんだ」
「でも、いい音がするからって ( ) ってきたんでしょ?」
 梵鐘型の風鈴は、旦那が先月、広島に出張した際に購ってきた。何故広島の土産が東北名物の南部風鈴なのだ、せめて宮島のしゃもじだろうとわたしが詰め寄った折、彼はとてもいい音がするのだと云ったのだ。しかし、うちの窓辺には、既に友人の土産のイルカの風鈴がぶら下がっていたので、梵鐘は姑の家に吊るすことにした。
 まだその時の土産のもみじ饅頭も残っているくらい、記憶に新しい話である。
「うん。購う時は聞いたよ。でも、その後、音を聞いた記憶がないんだ」


 旦那の広島出張には、ちょっとしたトラブルがあった。そのせいで半日ポッカリ空いてしまった彼は、せっかくだからと 比治山 ( ひじやま ) にある現代美術館に足を延ばすことにした。ちょうど興味のある作家の企画展をやっていたのだ。
 駅から市電に乗り、比治山下で降りる。チンチン電車という俗称のとおり、チンチンとおもちゃの電車のような音を立てて去っていく小さな車両を見送り、看板を確認しながら美術館へ続く坂道に向かう。比治山というのはただの地名ではなく、本当の山なのである。
 坂道は広くきれいに舗装されており、歩道も整備されている。両側に茂る木々も、枝が車の通行の邪魔にならないよう整えられていた。たいして高くはない山で、中には公園も備えられた、ちょっとした散歩コースである。しかし、炎天下に歩くには、少々厳しかった。市電の冷房で乾いていた汗が、たちまち吹き出してくる。
 タオルでも持ってくれば良かったと思いながら、 ( ) に入った汗を手で拭う。と、細めた睛にその人物が映った。
 風鈴はいらんかね。涼しゅうなるよ。
 色褪せたキャップを目深に被った老人だった。
 気が付けば、歩道とは反対側の木の枝に、幾つもの風鈴がぶら下がっている。老人はその前にちょこんとしゃがんで、こちらを見ていた。
 その時、ふいに風が吹き、生ぬるい空気を掻き混ぜた。それと同時に、木々の風鈴たちが涼しげな音色を奏でる。その音につられるようにして、彼は道の反対側へ渡った。
 変わったのがあるんですね。
 竹でできた風鈴を手に取ってみる。他にも、オーソドックスなガラス風鈴から、風鈴とは思えないような火箸状のものもある。
 これなんか涼しそうかな。
 竹細工の風鈴を木にかけ直し、隣のガラス風鈴を手にする。青い朝顔の花が描かれている。
 おすすめはこっちじゃけどね。
 老人はそう ( ) って、鉄製と思われる重々しい梵鐘型の風鈴を出してきた。
 あんまり涼しげに見えないなぁ。
 見た目はこんなじゃけど、音は可憐なんよ。
 老人が風鈴を揺らすと、高級な おりん ( ・・・ ) のような音がした。気分が浄化されていくようだ。心なしか、汗も引いていく気がする。
 ね、ええ音しとりますじゃろう。
 旦那がどんな ( かお ) をしていたのかは分からない。けれど、老人は彼の反応に満足したように微笑んだ。
 特別にまけとくけぇ。
 そう云われて ( ) った風鈴は、手に乗せるとずっしりと重かった。


 わたしはフライパンに油を敷きながら、どんな音だったか必死で思い出そうとしている旦那に ( ) った。
「たまたま風のある時に、あなたが風鈴の近くにいなかったんじゃない? ほら、今も鳴ってる」
「え? あ、本当だ」
 旦那が縁側の方を振り返ったと同時に、玄関から人の声がした。
 ごめんくださーい。
 わたしは、はーいと返事をしてから、旦那に出てくれるよう頼んだ。しかし、彼はテレビの前から動きたくないらしい。目玉焼きが半熟でもいいのかと詰め寄ると、やっと出る気になってくれた。ゆで卵の半熟はいいのに、目玉焼きの半熟は好きではないと云う。どういう基準なのか、わたしにはいまいちよく分からない。
 客人は女性であるらしい。どうやら道に迷っているらしく、玄関から洩れ聞えてくるのは、どう行けばとか、どうしようという、嘆息めいた言葉ばかりである。
 目玉焼きを皿に移してから、わたしも玄関に向かった。
 格子戸の向こうが明る過ぎるせいで、玄関は仄暗かった。逆光で客人の ( かお ) はよく見えないが、まだ若い女性である。しかし格好が変だ。白い 襯衣 ( シャツ ) にもんぺである。
 彼女はわたしを見止めると、頭を下げた。
「どうしたの?」
「この人に道を聞かれたんだけどね・・・・・・」
 わたしの問いかけに旦那が応える。その後を、この辺りに多聞院というところがあるはずなんですがと、客人が引き取った。




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