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Nonsense Story
6
「別にそれで自分が不幸だと思ったことはないんだ。ばあさんの教育には閉口したけどね」
おじいさんはともかく、おばあさんは厳しいらしい。
両親がいないからこんな子になったと言われたら、お前達がかわいそうだ。
そういう理由のもとに、学校の成績から生活態度、交友関係に至るまで、かなり厳しいチェックが入るそうだ。
友人を作る気のない片岡はともかく、妹の明代ちゃんはしょっちゅう友達のことでおばあさんと衝突しているらしい。中学生になって、同級生の男の子と二人で歩いていた明代ちゃんを見て、おばあさんは頭から角を生やした。
「明代、一晩風呂場に閉じ込められたんだ。それで、一週間ばあさんと口きかなかった。今も冷戦中。まったくいい迷惑だ」
片岡はため息を吐いて、コーラに口をつけた。
片岡が住んでいるのは、おじいさんが子供の頃から建て替えられていないままの古い家で、トイレと風呂場は家屋の外にあり、外部から鍵が掛けられるようになっているらしい。
「俺達もチェックの対象なのかな」
ぼくはポテトをつまみながら言った。
「赤松さんはともかく、お前みたいなのと付き合いがあるって分かったら、俺も風呂場に一泊だろうな」
「夏だからそれもいいんじゃないの」
「中はサウナだぞ」
「ダイエットになるじゃん」
片岡は、じゃあお前が入れ、と言うと、喉を潤して本題に戻した。
「それで、俺は今までほとんど親父やあの女のことは忘れてた」
あの女とは、愛人だった看護師、白石久美子のことだ。そして、忘れていたというのは本当のことだろう。去年の片岡は、こんな暗い影を背負ってはいなかった。人を拒絶するような雰囲気を持っていても、彼には赤松のようなじめっとした暗さは微塵もなかったのだ。だから彼はただの『変わり者』で、決して『暗い奴』と言われることはなかった。
片岡は縁無し眼鏡の奥の細い目を、更に細めて続ける。
「それが、少し前にあの女から葉書が届いたんだ。親父が死んだって。親父は糖尿病だったけど、死んだのは病気のせいじゃなくて、仕事中の事故だったらしい」
駆け落ちしたことで会社勤めを辞め、道路工事やビル清掃などを転々としていたらしい片岡の親父さんは、仕事中に落ちてきた鉄骨の下敷きになり、数時間後に息を引き取った。
「訃報の葉書が届いた時には、もうとっくに葬式は終わってた。たぶん間に合っても行かなかったと思う。実際に今も、墓参りすら行ってないんだ」
それでも、片岡は訃報の葉書を自分で保管し、親父さんの死から何ヶ月も経ったある日、葉書の住所を頼りに愛人だった女性を訪ねる。
その時彼女はこう言った。私たちは幸せだったと。
最期に親父さんは、病院に駆け付けた彼女に言ったそうだ。お前に会えてよかった、と。
「俺は自分が不幸だって思ったことはないけど、じゃあ幸せなのかって考えたら、よく分からなくなった。少なくとも、あの女よりは不幸な人生だっていう気がした」
今までの片岡の話を聞いていて、ぼくもそう思わないわけにはいかなかった。
それなりに楽しみを見付けて生きてきたかもしれないが、あまりにも孤独な人生だ。庇ってくれる親はなく、信頼できる友人もいない。祖父母は兄妹が幼い頃から厳しかったようで、甘えられる人間なんて彼らにはいないようだった。
その一方で、白石久美子は最愛の人と暮らす喜びを味わっていたのだ。
「親父の病気を知ったのも、親父が死んでから訪れたあの部屋で、残っていた薬を見つけたからなんだ」
そう言った時の片岡はどこか寂しげで、目からは涙でも落ちてくるんじゃないかという雰囲気だった。しかし、そんなことは全くなく、片岡はその後も乾いた声で話し続けた。
白石久美子に誘われた片岡は、あの映画を一緒に観に行く約束をする。しかし、映画の途中で自分のしていることに疑問を感じ、エンドロールが終わってトイレに立った彼女を置き去りに、映画館を出たのだった。
「そういうわけだから、俺はあの女がどうなろうと知ったこっちゃない。ただ、あの場に呼び寄せてしまったのは俺だから、赤松さんには一言詫びておこうと思ったんだ」
片岡は、これで話は終わったと言わんばかりにコーラに口をつけた。赤松は下を向いて俯いている。
思わぬところで片岡の生い立ちを聞いてしまい、ぼくも沈黙した。昨日から対応の仕方試験でも受けているみたいだ。こんな時には何と言うべきなのでしょう? そんなん知るか。
駐車場の見える窓へ視線を向けると、車に反射した光が目を射した。なんだか逃げ場を失った感じだ。仕方なく自分もジュースを口に含む。
「彼女、胃の摘出手術を受けたりはしてないよね?」
「え? さぁ、聞いてないけど」
ずっと黙っていた赤松が、俯いたまま声を漏らした。どうやら片岡の話にショックを受けてうなだれていたのではなく、考え事をしていたらしい。
片岡は少し面食らったようだったが、赤松はかまわず続ける。
「糖尿病ってこともないよね? 看護師さんってことだから、糖尿で血糖値を下げる薬を常用していたなら、きっと低血糖には気を付けていたはずだし」
「分からないけど、親父の病気の話をしたとき、自分もそうだとは言ってなかったからたぶん違うと思う。あの女なら、たとえ病気でも、親父と同じであることを自慢げに話しそうだからな」
片岡は、今度は皮肉混じりに答えた。先程は始終淡々と話していたが、白石久美子に聞かされたという親父さんとの幸せな思い出話は、彼に忘れていた父親を思い出させ、嫉妬という感情を呼び起こしたようだ。
赤松は質問を重ねた。
「甘い物をよく食べてたとかいうことはない?」
「特別太ったりはしたなかったが」
「肝臓が悪いとかは?」
「高血圧だとは言ってたけど、肝臓は知らないな」
「お酒をよく飲む人かどうかは・・・・・・」
「分からない。とりあえず、俺が会った時は素面だったようだけど。何を知りたいのか分からないけど、俺に聞いても無駄だよ。最近は二回会っただけだし、その前は十年くらい昔に遡るからな。ほとんど何も知らないし、知りたいとも思わない」
片岡の言うことはもっともだった。赤松の目的は、白石久美子が低血糖症になった原因を知ることなのだと思うが、片岡に聞いて分かることではないだろう。知り合いとはいえ赤の他人。それも親の敵のような相手なんだから。
赤松は、はっとしたように顔を上げると、小さくなった。
「そうだよね。片岡君の気持ちも考えないで無神経なこと訊いてごめんなさい」
「いいよ、そんなに恐縮しないで。赤松さんがそんなことを気にしてしまうのも、俺があの女をあそこに連れて行ったせいなんだし。本当に悪かったと思ってる」
「じゃあお詫びはいいから、一つ頼みをきいてくれないかな」
許しを乞おうとする片岡に、赤松が遠慮がちに切り出した。
「何?」
「片岡君の名前を貸してほしい。わたし、もっと詳しいことを知りたいんだ。でも、全くの他人じゃ教えてもらえないことがあるから。片岡君なら知り合いってことで、聞ける話もあるかもしれない」
「・・・・・・詳しいことなんて知ってどうするの?」
「分からない。たぶん、安心したいんだと思う」
赤松は片岡の目を真っ直ぐに見て言った。いつも俯いている彼女が人の目を直視することは、犬が逆立ちするよりも珍しい。
さすがの片岡も、赤松の思いつめた表情に、名前を貸すことを承諾した。
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つづく
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