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Nonsense Story
11
家に帰ると、玄関の上がりかまちで母親が段ボール箱を解体していた。ばこばこと重い体でダンボールを踏みつけている。ダンボールの悲鳴が聞えるようだ。
「あら、もうちょっと早く帰ってくれば良かったのに。貴ちゃんが来てたのよ。あんたがなかなか帰ってこないから、ついさっき帰っちゃった」
「貴兄来てたの? 何しに?」
母の口から齢の離れた従兄の名前が出てきて驚いた。昔はよくうちにも顔を出していたが、一昨年の春に就職してからはほとんど顔を見ることもなくなっている。この前の親戚の集まりにも、彼は欠席していた。
「ジュース届けてくれたのよ。グレープフルーツジュース。台所にいっぱいあるわよ」
台所に行くと、スーパーの売り出しのように、パックのジュースがテーブルに並べられていた。
よりによってグレープフルーツジュースとは。二日酔いのことを思い出してげんなりしてしまう。
台所ではテレビが一人寂しく高校野球の中継を流している。母親に指摘すると、声だけ聞いているのだから切るなとのお達しだった。
「あんたも何かクラブやればいいのに。スポーツやってる子はやっぱりいいわ」
ぼくは母親の言葉を無視して話題を戻した。
「ジュースってまさか段ボール箱ごと持って来たの?」
「そうよ。スーパーのくじ引きで当たったんですって。でも、おじさんは飲んじゃいけないから目に留まらないようにって、貴ちゃんが持ってきたのよ」
おじさん、この場合、従兄の父親は、柑橘系のジュースが好きらしい。この前の集まりでも、みんながビールだ焼酎だと言っている中、早々にジュースに切り替えていた。そして、お中元のポンジュースを一人で一本空けてしまった。
ぼくもあの時、ポンジュースに切り替えときゃよかった。
「そうそう、貴ちゃんね、あんたにってアイスクリーム大量に買ってきてくれたわよ。お礼の電話しときなさい」
「えー、面倒臭い」
ぼくは玄関に戻り、母親の指示でガムテープを手渡しながら、悪態を付いた。
「何よあんた、小さい頃は貴兄ちゃん貴兄ちゃんって、いっつもくっついて歩いてたくせに」
「いつの話だよ?」
「あら、たった四・五年前よ。ついでに、夜中に一人でトイレに行けなかったのは・・・・・・」
「はいはい、電話しますよ、すりゃいいんでしょ」
やぶ蛇とはこのことだ。ぼくは大声を出して母親の言葉を遮ると、さっさと二階の自室に逃げ込んだ。
部屋は窓を開け放っていたにもかかわらず、サウナ状態になっていた。
ぼくはベッドの傍に置いていた扇風機のスイッチを入れて、携帯電話を取り出した。学習机の上に置いていた下敷きを取って仰ぎながら、扇風機の前に座る。従兄は珍しくすぐに電話に出ると、声が割れてるぞ、と言った。
ぼくは扇風機から顔を離して、ジュースとアイスの礼を言い、親や親戚連中の愚痴をこぼした。
「なんで年寄りって、人のガキの頃の恥ずかしい話をしたがるかな。この前の親戚の集まりなんて、俺、集中攻撃受けたんだからな。貴兄が来なかったせいだぞ」
ぼくのぼやきに、従兄は盛大に笑った。
「俺が行ってたって同じだよ。お前は親戚の中で一番年下だからな。いとこの誰かが子供でも生まない限り、ずっとお前がターゲットだ」
「冗談じゃない。貴兄、早く結婚して子供作ってよ。うちの母親、貴兄が最近顔見せないのは、彼女ができたからじゃないかって言ってたけど」
「おばさん、相変わらず鋭いこと言うなあ」
「え? じゃ、ほんとにできたんだ? 今度はどんな人? ひょっとして、おじさんと喧嘩してるのって彼女と関係あるわけ?」
彼が親戚の集まりに出なかったのは、自分の父親と顔を合わせたくなかったからだろうと、おばさんが言っていた。
従兄は就職してから一人暮らしをしているのだが、時々家に帰っては、おばさんの作ったご飯を食べたりおじさんと晩酌したりしているようだった。そして、おじさんとはよく喧嘩もしているようだった。
「ま、な」
「あんまり怒らせるようなことしてると、おじさん血管切れちゃうよ。そうでなくても血圧高いんだから」
「俺らのことは置いといて、お前はどうなんだよ? そろそろできてもいい頃なんじゃないの、彼女」
急に下卑た笑いを含ませて、従兄はこっちに振ってきた。ぼくが言葉を濁すと、兄貴風を吹かせたようなことを言ってくる。
「とりあえず、彼女ができたら親に見せる前に俺に見せに来いよ。しっかり品定めして、アドバイスしてやっから」
ぼくはため息を吐いた。
「それ、この前、親戚中から言われたよ。みんな言うこと同じなんだもんな。親戚中に品定めなんかされたら、どんな女も逃げてくよ」
「じゃ、俺のとこにだけ連れて来い」
「それもみんな言ってた」
「みんな、それだけお前のことを心配してんだよ。身内の中で一番年下だからな」
うしし、と笑いながら、従兄が茶化す。ぼくは声を低くして言った。
「心配してるんじゃなくて、面白がってるだけだろ」
「あれ? バレた?」
まったく、二十四歳にもなってこれなんだから。みんなあっちの心配をした方がいいと思う。年齢だけでこっちにしわ寄せが来るなんて不公平だ。
「ま、いいや。それより一つ聞きたいことがあるんだけど」
ぼくは気を取り直して、従兄に質問をした。答えは調べないと分からないからまた連絡する、とのことだった。
明日でもいいかという彼の問いに、明日は登校日だからメールにしてくれるよう頼んで通話を終えた。
ぼくをからかってばかりいるような従兄だが、ぼくが聞きたいことがあると言えば極力答えようとしてくれる。今回のように調べてくれることもある。言えばきっと、悩みや相談も聞いてくれるだろう。
他の親戚達にしたってそうだ。面白がっているにしても、ぼくを気に掛けてくれていることはたしかなようだった。
しかし、片岡や白石久美子にはそんな存在がいない。
片岡には身内はいるが、彼は一緒に暮らす祖父母にさえ敬語を使って生活している。妹は両親の記憶が残っていないせいか、兄のように過去にこだわったりはしていない。たとえ明代ちゃんも片岡と同じ気持ちだったとしても、彼は妹に弱音を吐けるような人間ではないだろう。
そして何より、片岡にも白石久美子にも、憎まれ口を叩いても自分を心配してくれるような親がいないのだ。
赤松にしてもぼくにしても、そんなに親しい友人がいるわけではない。でも、身内が自分を心配しているということは痛いほど感じている。
それは少々うざったくもあるが、時として歯止めにもなる。
どうしようもなくムカつく奴をボコボコに殴り倒したくなった時や死にたいと思った時、決まって彼らの悲しむ顔が浮かんできて、どうしても実行に移すことができなくなるのだ。まるで彼らの意思に引き止められるかのように。
ぼくは過去に何度も彼らの泣き顔を見てきた。ぼくのしでかしたとんでもないことで同級生の家の玄関先で頭を下げる姿も、ぼくがクラス中からハブにされていると知って、学校に乗り込むと唇を噛みしめる姿も。
ぼくが死んでしまったら、彼らは発狂するかもしれない。そう思うと、学校で誰にも口をきいてもらえなくても、教師にさえ見捨てられても、この世から逃避するわけにはいかなかった。
白石久美子にはその歯止めがなかったから、薬を飲んだのかもしれない。 ぼくはフローリングの床に寝転んで、片岡のことを考えた。ひんやりしているかと期待しての行為だったが、床は硬いだけだった。
片岡はどんな感情の昂ぶりも、自分の力だけで制御しなくてはならない。だからこそ、彼の温度は低く保たれているのだろうか。心の水が沸騰したり、激しい波を起こしたりすることがないように。
ぼくと片岡の微妙な温度差の原因は、その辺りにあるのかもしれない。
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つづく
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